上杉が天下をとり、ある程度の仕置きを済ませた秋の午後。
「うーむ……」
日は高く上り、雲ひとつない透き通った青空と黄色と赤に染まった木々のコントラストが美しい。
「う~ん」
そろそろ夏の暑さか和らいで、幾分か過ごしやすくなってきたこの時節。
おだやかな陽気に包まれた城内の廊下をうなりながら歩いている人物がいた。
青みがかった短髪。青を基調とした衣服。そして特徴的な『愛』の前立。
上杉謙信が第一の家臣。直江兼続だ。
最近どうにも精神的に落ち着かない。
戦乱が終わって、気が緩んだか、と考えて普段は仕事に打ち込んで紛らわせるも、今日は休みを言い渡されている。暇をもてあましている状況だ。
「んーんん?」
兼続の視線の先、ちょうど部屋から出てきた痩身の少しくたびれたような男。
兼続にとっては敬愛する主君に近づく不貞の輩。であったが、上杉にとってはなくてはならない人物であり、紆余曲折のすえに謙信と恋仲になったヤツ。
「おい、颯馬」
「ああ、兼続殿」
「どこかに行くのか?」
「少し城下のほうに……以前の政策が機能しているのか見てみようかと」
以前の政策とはこの城の城下町を活性化するための商人の誘致などの諸政策を言っているのだろう。兼続も一部に関わっている。
そこで、ふと兼続に妙案が浮かんだ。
「それならわたしも行こう」
「えっ!?いや、しかし」
「いいじゃないか、ちょうどひm、んんっわたしも関わった話だしな」
今、暇って言いそうになっていたような、と呟きそうになるが、口には出さない。拳が来るだろうから。
「わたしが行くと問題があるようなことか?何かいかがわしいことでも……」
「していません!!」
兼続、こと上杉の風紀に関しては特に厳しい。颯馬には半ば八つ当たり染みて当たるところがあるが、基本的に真面目が服を着ているような性格だ。
ということもあって城下町。
「ふむ、やはり活気付いているな」
颯馬が町を見回し、満足げに呟く。
城下町にやってきた二人は最近整備したばかりの中央街道にそって歩いていたが、政策の効果もあったのか、天下平定まえに比して桁違いとも言うべき人の数となっていた。
「謙信様が治めているのだぞ、至極当然のことじゃないか」
兼続は主君の偉大さをまるで自分のことのように誇らしげに語る。
兼続の目から見てもここ最近の町の発展は想像以上のものがある。
乱世が収まり、領民がそれぞれの仕事に精を出すことができるようになって、生活水準があがってきた証左といえよう。
「さて、見たいものは見ましたし、戻りますか」
「ま、まてまて。戻るのは早くないか?」
颯馬の言に自分でも驚くくらいに反応してしまった兼続。颯馬も驚いた様子で兼継を見る。
「いや、えと、せっかく見るならいろいろ回ったほうがいい。人が増えているのだから表面を見るだけでは事足りないだろ」
なんというのか押し付けがましい理論である、が、言ってることは分からなくもないので、颯馬はそうですねと同意しておいた。
「うむ、そうなんだ」
ほう、と胸を撫で下ろした兼継であるが、実のところ内心とまどっていた。
いくら暇を持て余していたとはいえ、わざわざ颯馬と城下を巡らなくてもいいわけだ。
それがわたわたと拙い言い訳をして颯馬を引きとめてしまった。自分でも考えていなかった完全に不測の事態だった。
そもそも何を安堵しているのだわたし!
というように混乱の極みにいた。
「あの、どうかしました?」
「なんでもない、行くぞ!!」
百面相をする兼続に不審感を持ったのか颯馬が尋ねるのだが、強引に話をそらしてドンドンといってしまう。しかたなくその後をついていく颯馬であった。
先を行く兼続はとある店の前で立ち止まった。のぼりを見ると甘味処とある。
「よし、いくぞ颯馬」
「へ?いや、でも」
そうしている間にも兼続は店内に入ってしまった。
颯馬も後から入店する。するとそこにはもうすでに菓子をつまんでいる兼続の姿があった。
「まあ、座れ颯馬」
「はあ」
先ほどから普段の兼続らしからぬ行動に鳩が豆鉄砲どころではない颯馬。加えて、日常的に颯馬をいじる兼続のことだ。何か裏があるのではと勘繰ってしまうのも無理はない。
と、そこで兼続が食している菓子に目がいった。色とりどりの小さな粒。
「あの、兼続殿。それはいったいなんでしょうか?」
「ああ、これか。これは金平糖という砂糖菓子だな」
「砂糖菓子ですか。はじめてみました」
歴史において日ノ本の中心は常に京である。鎌倉など栄えた都市は他にもいくつか存在するが、それも常に京の都を手本としていた。そんななか越後は京から遠く離れた田舎の国。文化に関しては遅れをとっていて、謙信の代でも近畿の大名が鉄砲のような最新装備をしていたのに対し、上杉軍は鉄砲隊を組むのにずいぶんと苦労したものだ。
しかし、それも昔の話。
上杉が天下を取って以来、この国の中心は越後に移ってきているといっても過言ではなく、南蛮渡来の貴重な品が越後まで届くようになっているのである。
砂糖菓子という貴重品も例に漏れない。
「だが、さすがに南蛮渡来。値が張るんだ」
「まあ、そうでしょうね」
完全に他人事のように流す颯馬。
兼続はもはや日本のNO.2金の心配などする必要はないはずだ。
「値が張るんだよ。颯馬」
もういちど言おう。金の心配などする必要がないはず。
「颯馬……」
「わかりましたよ。払います!!払えばいいんでしょう!!」
颯馬自身高給取りなのだが、あいにくの貧乏性。出来るだけ金は使いたくないところであるし、戦乱の中で稼いだ金子は秘密工作に流用したためにすっからかん。今ある金は一度出奔して、戻ってからの貯蓄になる。
颯馬は謙信では絶対に出来ないような、手を汚すような仕事を進んで引き受けていたこともあり、天下統一後に一度出奔している。その颯馬を謙信が一人で探し出して連れ帰ってきて今に至るのだが、謙信が颯馬を探している間、上杉の政務を一手に引き受けていたのが兼続である。
そういった事情もあって兼続に頭の上がらない颯馬であった。
「うむ。よろしい」
「はぁ……」
沈んだ顔で金子入れを確認する颯馬。幸いにして中身はそれなりにあるようだ。
それにしても……
金平糖をポリポリと食べる兼続を眺める颯馬。
「ん?なんだ、わたしの顔に何かついているのか?」
そんな視線に気がついた兼続が颯馬に尋ねた。
「いえ、なんか可愛いなーと」
「うぐ!?ごほごほッ、な、なにをばかにゃ!」
つい口走ってしまった颯馬は、ヤバッと思い殴られる覚悟をきめたのだが、兼続のほうも意表を突かれて咽を詰まらせ、さらに舌を噛んで口元を押さえている。
「ああ!?兼続殿、大丈夫ですか?」
「うぐぐ……い、いきなり変なことを言うからだ!!」
目じりに涙を溜めつつ、頬を上気させて兼続が言う。
「もういい、次いくぞ次!!」
照れ隠しか、食べかけの金平糖を袋ごともってとっとと店を出て行ってしまい、颯馬があわてて支払いに走ることになった。
その後も行く先々で兼続があーだこーだと注文をつけ、颯馬は自分お金子入れがどんどん薄くなっていくのに戦々恐々しながら、兼続が帰ろうと言い出すのを祈っていた。
「お、これなんかよさそうですね」
そんな中で颯馬から店先にいったところがある。
女性用の装身具を売っている店であった。店先に並ぶのは、色とりどりの様々な絵柄の櫛。
「なんだ颯馬、そんなものを持って。上杉に女装趣味の軍師はいらんぞ」
「そんなんじゃないですよ。ただ謙信様にお似合いだなと思いまして」
「う、む……確かにその色は謙信様にお似合いかもしれんな。こんなときでも謙信様のことはちゃんと考えているのだな」
ズキリと胸の奥に鈍い痛みが走ったような気がした。
「ふん、謙信様に変なことをしてみろ。いくら恋仲といっても許さぬからな」
「変なことなんてしませんよ!」
「お前の言うことは信用ならん!」
「理不尽ッ」
あまりの横暴さに愕然とする颯馬の様子にさらに兼続は腹が立った。
「わたしは帰る!!」
そう言って颯馬を残して戻ってしまった。
その夜。
うう……さすがにやり過ぎた。
今度は頭を抱えながら、颯馬の部屋に向かう兼続。
城に戻ってから、部屋の篭って自己嫌悪の渦にいたが、ウジウジしているのも性に合わないということで、潔く颯馬に謝罪しようと思い立ったのだ。
「颯馬……いいか?」
「兼続殿?ええ、いいですよ」
障子戸から返ってきた返事を聞いて中に入る。
「その……わがままが過ぎた。すまなかった」
颯馬の前で頭をたれる。
思い起こせばこれが初めてのことかもしれない。
「ええっ?兼続殿頭をお上げください!まったく気にしていませんから!」
驚き桃の木山椒の木。まさか、兼続がここまでしてくるとは夢想だにしていなかった颯馬は心底驚いた。
しかしながら、兼続との掛け合いは最初から大抵このような感じだ。上杉に来て数年。もう慣れた。
「いや、しかしだな」
「ほんとに気にしないでください。今日は俺も楽しめましたし、兼続殿がそんなことだとこちらの調子も狂いますから」
「そうか、ならお前の言うとおりにしようか」
そうしてこの日のことに関しては和解することが出来た。
その後、少しばかりの雑談をして、兼続は部屋を後にしようとしたのだが。
「あ、兼続殿。どうぞこれを」
颯馬が差し出してきたのは綺麗な装飾の施された櫛。
「これをくれるのか?」
「はい」
「しかしな、わたしにはこういったものは似合わないと思うぞ」
「そんなことはありません。兼続殿はご自身で気づいていないだけで魅力的な女性なんですから似合わないはずがありません」
「!?お前はまたそういうことを……」
自然、頬が熱を帯びるのが分かる。
面と向かって魅力的などといわれるのははじめてであるし、そういった観点から褒められることに慣れていないのでしどろもどろの対応になる。
こいつのこれは天然なのか?
本人が否定してはいるがキクゴロー曰く颯馬は女好きという話だ。仮に天然でこれなら周囲がそう思ってしまうのも無理はないかもしれない。
「と、とりあえず貰っておく。それと、そういうことはおいそれと口にするなよ」
そうして颯馬の部屋を後にした兼続であった。
すでに日は沈み、庭のすぐそばを通る廊下には月明かり以外の光は存在しない。
それでも兼続の足取りは軽く、先ほどまでの落ち込んだ気分がウソのようであった。
そんな兼続が曲がり角を曲がろうとしたそのとき、不意に声をかけられた。
「兼続」
「ひゃ!?」
突然の呼びかけに心臓が飛び出すかと思った。
兼続が通り過ぎようとした柱の影から現れたのは小柄な女の子。天下人の上杉謙信その人だった。
「謙、信様?いかがなされたのでしょうか?」
突然の登場に驚きはしたが、それ以上に謙信の纏う尋常ならざる気に兼継は大いに萎縮した。
「いや、なに。休暇の日にまで働く家臣の労を労おうかと思ってな」
「えと……それはまさかわたしのことでしょうか?」
なぜか兼続の背に冷たい汗が流れた。
「それ以外に誰がいるというのだ?まったく、久しぶりの休みにまで『仕事』をするのは、わたしが言えたことではないが控えたほうがよいぞ。体を壊しては元も子もない」
「あの……わたしは今日はお休みをさせていただいていましたが」
「ほう……では颯馬と出かけたのは私用であったのか……楽しめたか?」
「!?」
息を呑んだ。
そしてまずいことになった。謙信は政務を投げ出して颯馬を探すほどに入れ込んでいる。一途である。
故に今回の一件知られたのは非常にまずい。後ろめたいことはないけれど。
そもそもどうして謙信が今日のことを知っているのか。
双眸を細め、兼続を注視する謙信。
空気が重い。筋一本動かせないほどの重圧。
「ふむ。だが、兼続は颯馬とそこまでの仲ではなかったな。ああ、颯馬の仕事を手伝っていたのだな。相変わらず真面目だなあ。『仕事』熱心な家臣を持ててわたしは幸せだぞ」
「謙、信、様?」
謙信はすーと滑るように移動すると、グワシッと兼継の肩を掴み、全霊の気を込めてこう言った。
「『仕事』の報告を聞こうか、兼継」
翌朝、文字通り真っ白になった兼続が廊下で倒れているのを定実が発見、保護したものの軍議は欠席。
颯馬も腰痛を患うと同時に日ごろの疲れが出たのか体調を崩し、欠席した。
ちなみに謙信は上機嫌だったという。