俺の夢/旅の始まり
「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに――みんなが幸せになりますように」
乾巧は目を閉じて、深いまどろみに身を任せた。隣にいる真理と、啓太郎の気配が、ゆっくりと遠ざかっていく。
悪くない結末だった。友人たちに囲まれて、このまま静かに逝く。それは、彼の辿った経緯からすれば、贅沢すぎるほどの終わり方で――。
「……を使い魔にするなんて聞いたことありません!」
「……ス・ヴァリエール。例外は認められない。彼はただの平民かも知れないが……」
「そんな……」
巧は薄く目を開いた。彼の終わりを、耳障りな口論が邪魔していた。意識が現実に引き戻される。真理や啓太郎ではない、大勢の気配を周囲に感じた。
オルフェノクにも、死後の世界があるのか?
「いいから早く契約したまえ。この後の予定というものがあるのだからね」
「……わかりました」
あたりを野次が飛びまわっている。眠っているには五月蝿すぎる環境だ。
巧は舌打ちして、だるい身体を引き起こした。今度こそ本当に目を開ける。
「起きたのね」
目の前にいたのは、見知らぬ少女だった。真理でも、ましてや啓太郎でもなかった。
「誰だ、お前」
「……あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」
少女の顔が近づいて、唇に生暖かい感触があった。次いで、左手に猛烈な熱――熱!
「あっつ! お前――何したんだ! 俺に!」
「ルーンが刻まれてるだけよ、大騒ぎしないで! 叫びたいのは私のほうなんだからね!」
見ると、左手に妙な形の幾何学模様が焼きついて、熱と痛みは少しずつ治まり始めていた。少女の方は、顔を真っ赤にして頬を膨らませると、傍らのはげた男を振り返った。
「ミスタ・コルベール! 『契約』、終わりました!」
「そのようだね。なかなか変わったルーンだが……ともかく、無事に使い魔の儀式を完遂できて、大変結構。今年も落第者がいなくて何よりだ!」
コルベールと呼ばれた男はきびすを返し、野次馬たちに声を張り上げた。
「さ、それでは教室に戻ろう。『フライ』を――」
まだ事情が飲み込めずにいる巧の目の前で、男と子供たちがいっせいに浮かび上がった。子どもたちが、少女に嘲りの視線と、言葉を投げかける。
「ルイズ、お前は歩いて来いよな!」
「その平民と一緒にね! その使い魔、あなたにお似合いよ!」
後には、少女と巧だけが残された。地面に放り出されたままの巧をじろりと見て、少女が口を開いた。
「あんた、なんなのよ」
「それはこっちの台詞だ。お前、なんなんだよ。大体ここはどこで、どうやって俺を連れて来たんだ、おい!」
「うるさいうるさい! まだ飲み込めてないの? あなたには馴染みがないでしょうけれど、ここはかのトリステイン魔法学院、ちゃんとハルケギニアだから安心なさい。 あなたは私に使い魔として召還されたのよ」
トリステインに、魔法学院だと? 死後の世界にしては、冗談が過ぎる。
少女は不満げに鼻を鳴らして、胸を張った。
「そして私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。今日からあんたのご主人様よ。ルイズ様と呼びなさい!」
わけがわからなかった。巧は混乱した頭で、とにかく自分も名乗るべきだと結論した。
「……乾巧だ」
「イヌイタクミ……タクミ、でいいかしら。変な名前」
「うるせぇな、お前ほどじゃない。大体なんだ、さっきの連中。空を飛ぶのは、なんかの手品か?」
「ただの魔法よ。メイジなんだから、当たり前でしょ! それに、私の名前は貴族にふさわしい高貴な名前なの! 平民のあんたがケチつけてんじゃないわ!」
ルイズは烈火のごとくまくし立て、イライラと巧をにらんだ。
「さっさと行くわよ! すぐに授業が始まるんだから。あんたの荷物も私の荷物も、あんたが持ってきなさい」
「『あんたの荷物』だと? ねーよ、そんなもん!」
「その箱! あんたのでしょ。一緒に召還されてきたんだから!」
ルイズがあごをしゃくる。芝生の上に、見慣れた銀色のアタッシュケースが、いかにも所在なさげに転がっていた。
「こいつは……」
「い・く・わ・よ!」
ルイズが巧の耳を引っ張った。手にしたアタッシュケースが揺れる。
「離せよ! 一人で歩ける。大体、どーしてお前について行かなきゃならないんだ」
「そういうものなの! いいから言うとおりになさい!」
ふざけやがって。巧は舌打ちした。こんな女、振り切るのは難しくない。彼はよほど、ルイズを無視して行こうかと考えて――。
「……分かったよ。行けばいいんだろ」
やめた。少しだけ、昔のことを思い出したからだ。出会ったばかりの真理と、目の前のルイズは少し――いや、かなり似ている。
(たぶんこれは、俺の人生に与えられたロスタイムだ)
手には懐かしいアタッシュケースの感触がある。そして、かなり強引な女が一人。
また、何かが始まるかも知れない。巧はいくらか軽くなった足を一歩、トリスタニアの芝生に踏み出した。