ゆらゆら揺れるランプの明かりを頼りに、ルイズは始祖の祈祷書を眺めた。もちろんそれは白紙だったから、ランプが点いていようと点いていまいと変わらないようなものだったけれど、詔をしたためようとするなら話は別だ。
「はあ……」
何度か寝返りを打って、今日何回目かのため息をつく。いくら眺めても祈祷書が白紙のままのように、詔が浮かんでくる気配は無かった。羽ペンをインク壺のところに戻して、ルイズはベッドにひっくり返る。
姫さまの新しい門出を飾る詔を任されたのは、とっても名誉なことだと思う。ヴァリエール家のルイズ・フランソワーズここにあり! と叫べる、ルイズにとっては数少ない機会だ。
なのに筆が全く進まないのは、結婚式そのものを祝福する気になれないからだろう。
「だめよ、ルイズ。そんなこと、ほんの少しだって考えちゃ……」
がちゃん、とドアのほうで音がして、巧が帰ってきたのが分かった。
「おかえんなさい」
「まだ起きてんのか。珍しいな」
「ただいまくらい言いなさいよ」
「ここは俺の部屋じゃないらしいからな」
ドアの札をしゃくって、巧が布団を広げる。不意に怪訝な表情になって、男はベッドの側に視線を向けた。
「……お前、なにやってんだ?」
「書き物」
ルイズがそっけなく答えると、背後で巧が布団を広げ始めたのがわかった。ルイズが自分から干渉しない限り、巧はいつも勝手に自分のことをしている。要するにルイズも自分のことに集中できるわけだが、相談に乗ってほしいときは今一つ気が利かないと思う。
「ねえ」
「……どうした」
「やっぱいいわ。あんたに聞いてもしょうがないから」
「なんだそりゃ。だったら最初から声かけんなよな」
俺は眠い。巧はそう言って、布団に入った。今日も昼寝しているのを見かけたのに、もう眠ってしまうつもりらしい。
よく寝るやつ……と呟いて、ルイズはランプを吹き消した。こうして暗くしてみると、彼女の使い魔の手元でルーンが光っているのが良く見える。ワルドは――思い出したくもないけれど、このルーンをガンダールヴと呼んだ。
伝説の使い魔、ガンダールヴ。タクミがほんとにそうなら、なんで私はゼロのままなのかしら。
かすかな劣等感をシーツごと被って、ルイズは無理やり目を閉じた。彼女の使い魔が普通の人間と変わるところのない寝息を立てていることが、ほんの少しだけ救いだった。
◆
「ああ、あれ? なんでも、始祖の祈祷書らしいわよ。トリステインの王女の結婚式で、詔がどうとか」
天気の良い日なら、日当たりの良い中庭は巧の定位置だ。少なくとも授業のあるうちは、誰にも邪魔されずにのんびりしていられる……はずなのだが。
「ダーリン、聞いてないの?」
今日はどういうわけだか、キュルケがちょろちょろしていた。授業を抜けて、中庭にサボりに来たらしい。彼女の向こうでは、タバサも中庭に下りてきている。普段は多少奇矯に振舞っていても、あえてサボるタイプだとは思っていなかったが……。
「知らねえな」
「あら、そう。この前のアルビオン行きも、その関係だと思ってたんだけど。トリステインとゲルマニアの同盟の話、聞いてないかしら?」
「さあ、どうだかな。お前、わざわざそんなことを聞きに来たのかよ」
巧は背中をにじってキュルケから距離をとった。初対面の印象もあって、巧はこの女がどうも苦手だった。何しろ燃やすことを愛好しているというのが良くない。
「もう、つれないのね。ちょーっと、手伝って欲しいことがあるのよ」
キュルケは胸元から古びた羊皮紙を取り出して、べろりと広げた。
「なんだそりゃ」
「宝の地図よ」
「宝ぁ?」
「ゲルマニアでは、爵位と公職の購入が認められているわ。誰でも軍人や官僚になれるの。それって貴族になれるってことよ」
「それで、宝探しってわけか。興味ねえな。だいたい、お前は元から貴族だろうが」
「違うわよ。貴族になるのはあ・な・た。ダーリンならシュヴァリエを目指しても良いけど、もっと手っ取り早く地位を手に入れておいたほうが、後々安心よ? 最近、あちこちきな臭いんだから」
「それはどうかな」
不意に、背後からきざな声が割り込んだ。
「ギーシュ! あんた、いつから聞いてたの?」
「最初からさ。タクミ、そのゲルマニア女の口車に乗るのはやめておきたまえ。戦時となれば、貴族は矢面に立って戦うものだ。きみ、戦うのは得意でも、好き好んでるわけじゃないんだろう」
それに、とギーシュは続ける。
「その宝の地図だって、怪しいもんさ。どこの馬の骨とも知れない輩の古文書を高値で売りつける商人を何人も見たことがあるよ。その多くがニセモノだ」
そう言うと、彼は片手に下げたワインを煽った。水の悪いトリステインでは、酒を常飲する。……が、それにしても彼は飲みすぎていた。明らかに、顔色が悪い。
「二股の挙句に振られて、荒れてるのよ。最近」
「ぼくは二股なんてしてないやい! ケティは手を握っただけだし、モンモランシーにだって軽くキスしただけさ! それを寄ってたかってきみたちは!」
ううっ、と泣き出した少年の声は、途中から胃液を戻す音に変わった。きゃあ、と叫んでキュルケが飛びのく。
「お、おい……」
「大丈夫、大丈夫だとも」
ふふふ、と笑って、ギーシュはワインで口をすすいだ。酔っ払いの面倒を見た経験は、巧にはない。真理は時たま、酒のビンを開けていたけれど、それにしたって格好をつけていただけだ。
「いいのよ、ダーリン。酔っ払いはほっといて、宝探しに行きましょうよ」
「興味ないって言ってんだろ。だいたい胡散臭いぜ、その地図」
「まあ、一枚二枚ならそうでしょうね」
キュルケは再び胸元に手を突っ込むと、羊皮紙の束を取り出した。
「でも、これだけあればどうだか分からないでしょう? 一つくらいは、本物があるかもしれないわ! 本当に一攫千金も夢じゃないわよ。本物が見つかれば、ゲルマニアに行かなくったって、褒賞がもらえるかも知れないわ」
そしたら、姫さまからの覚えもめでたいでしょうね。キュルケは、これはギーシュを見ながら言った。
ゲロを避けて、ギーシュはどかりと腰を下ろす。
「その話、ぼくも一枚噛ませてもらおう」
◆
最初に言ったように、巧は宝には興味がなかったし、貴族にはもっと興味がなかった。姫さまからの褒賞とやらも、あまり現実的なものには思えない。アンリエッタ王女は今、そんなに愉快な心持ではないはずだった。それに、彼のご主人様も。
「いいわよ、行ってきたら……」
ベッドの上で白紙の本――キュルケに聞いたところでは始祖の祈祷書なる由緒正しいものだそうだが――を広げて、ルイズは気のない返事を巧に返した。
「お前、大丈夫かよ」
「なにが。私はいつだって大丈夫なんだから。あんたは好きにしなさいよ」
「……」
今のルイズは、どうも詔とやらで頭がいっぱいらしかった。確かにこの間のことを思い出してみても、ルイズとアンリエッタの関係は一日二日のものではない。ぽっと出の巧が土足で立ち入って良い領域ではないのだ。
政略結婚そのものをどうにも出来ない以上、この問題はルイズが自ら折り合いをつけるしかない。
そうでなくても、本来一人部屋に、二人きりで毎日過ごしている。ここらで一人きりになる時間を確保してもいい頃合だ、と巧は判断した。
「じゃ、行ってくる」
と言った巧に、ルイズはやっぱり気のない返事を返して、ひらひらと手を振って見せた。
そんなわけで、巧はキュルケたちに同行することになったのである。
【REFORMATION】
――ファイズの背後で、巨大な影が爆発する。根城にしていた寺院に逃げ込みかけたオーク鬼が、クリムゾンスマッシュの露と消えた。
「さっすがダーリン! 鎧袖一触ね!」
廃寺院を中心に、廃村のあちこちにオーク鬼が倒れていた。槍によるものと思しき刺し傷や、かまいたちに吹かれたような切り傷、墨になるほどの火傷で倒されたものがいくつかある以外は、冗談みたいに大きな穴が空いて、死んでいる。
「打ち合わせと違うぞ」
「それは酔っ払いが先走ったからでしょ。本当なら、もうちょっとスマートに行くはずだったのよ」
「ぼ、ぼくはもう素面だぞ!」
ギーシュが声を震わせると、
「粗忽者」
とタバサが止めを刺した。
「なんだとぅ!」
「もういいだろ。後でやれ。宝探しに来たんだろうが」
「そ――そうだ! キュルケ、今度こそ本物なんだろうね! “ブリーシンガメル”とやらは!」
「ええ、たぶんね」
「頼むよ、本当に……」
ギーシュが情けない声を出した。気持ちはわからないでもない。キュルケの言い出して始まった宝探しの旅は、宝探しという点では全くの空振り続きだった。当初ギーシュが懸念していたように、宝の地図はどれも偽物だったのである。
四人は廃寺院の中に足を踏み入れた。
「えっとね、祭壇の下を探ってみて。チェストがあるはずよ」
「どれ……あった」
「その中に、ここの司祭が村を放棄するときに隠した金銀財宝と、ブリーシンガメルがあるはずなんだけど……」
ギーシュが、埃まみれのチェストを引っ張り出した。巧はタバサと並んで、それをやや遠巻きに眺める。
「“ブリーシンガメル”って、なんなんだ?」
「“炎の黄金”で作られているとされるタリスマン。身につけた者をあらゆる災厄から守る……とされている」
大きな音を立てて、ギーシュがチェストをこじ開けた。果たして――。
「これが“ブリーシンガメル”かい?」
ギーシュは不満げに、焚き火に向かって古びた首飾りを示した。くすんだ真鍮が鈍い光沢を放つ。
「それに、“金銀財宝”? 銅貨ばかりじゃないか! なあキュルケ、これで七件目だぞ! 全部ハズレだ、秘宝なんて一つも見つからないじゃないか!」
キュルケは聞いているのかいないのか、小さいやすりでつめを磨いている。タバサはいつも通り大物の本を広げているし、あまりチームの雰囲気は良くなかった。
「今日もこのパンか」
巧は、ギーシュが手に取ったのと同じ、焚き火であぶった固パンをかじった。どうにも学生たちのテンションが上がりきらないのは、食事の内容が振るわないこともあるようだ、と思う。巧はともかく、貴族の子ども達には我慢ならないのだろう。
「じゃ、どうするの? あんただけ手ぶらで帰ってもいいのよ」
「きみ、まだ諦めてないのか?」
「あったりまえよ! まだ宝の地図は残ってるんだから!」
キュルケは、また羊皮紙を広げた。
「次は、かなり期待が持てるわよ。タルブの村に伝わるという、竜の羽衣。風系のマジックアイテムみたいね。馬を使えば、ここからすぐよ」
「村か……」
田舎の村だ、貴族が行けば眉をひそめはするものの、表面上は歓待してくれるだろう。少なくとも、野宿はしないで済む。チームの雰囲気は、新たなアテの浮上に和らいだように見えた。
巧にしてみれば、別に野宿も耐えられない話ではなかった。旅はいいもので、普段がどんな人間であっても、どこかに行く“途中の人”になれる。彼の“旅”が始まったのも、そうした旅の途中に起きた出来事だった。
焚き火にかけたヤカンのお湯で、コーヒーを入れる。
「ダーリン、これ濃いわよ」
「普通」
「薄いな」
「……悪かったな、へたくそで」
巧は、最後に出した薄いコーヒーを覚ましながら啜った。学院を出てから、一週間が経っていた。
(続く)
エターしたと思ったか?
俺はエターしたと思った。