「えー……こほん」
巧の前で、ルイズが始祖の祈祷書を広げた。その目の下には、浅いくまが現れている。
「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を謳いつつ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが恐れ多くも祝福の詔を詠み上げ奉る……」
巧はあくびをかみ殺した。タルブの村から帰ってきて、疲れているのは彼も同じである。ルイズは続けた。
「炎……」
「炎?」
「炎は熱いので、気をつけること」
「……」
「風が吹いたら、樽屋が儲かる」
「……待て」
流石に、巧は口を挟んだ。
「こいつは姫様の結婚式で読みあげるんだろうが。ふざけんのもいい加減にしとけよ」
「ふざけてなんかないわよ! 精一杯考えてこれなの!」
「そ」
これほどの剣幕で噛み付かれては、「そうかよ」と言う他なかった。
「大丈夫なのかよ。祝福の詔とやらは『口上の後、四大系統に対する感謝の辞を誌的な言葉で韻を踏みつつ詠み上げ』なくちゃならないんだろ」
「そうよ!」
「間に合うのかよ、それ」
「間に合わせないといけないのよ、私が……式まで、もう時間がないんだから。あんたはもう、寝なさい」
ルイズは放り投げるようにそう言って、カーテンを閉めた。ランプの明かりは消える気配がない。今日も、夜更かしして詔を考えなおすつもりらしかった。
一週間あけた割に、状況は何も進展していなかった。こうなってしまうと、巧にできることはほとんどない。
「……根詰めすぎるなよ」
ルイズに聞こえているのかいないのか分からないくらいの声でそう言うと、巧はしばらくぶりに部屋の布団を広げた。
◆
巧が目覚めた時、ルイズはすでに身支度を整えて、始祖の祈祷書を携えていた。その表情には疲れの他に、妙にはつらつとした雰囲気が漂っている。
「タクミ、遅いわよ。さっさと準備なさい」
「お前、徹夜したのか?」
「まあね。なんとかすればなんとかなるものよ」
フフフ、とルイズは不気味に笑った。徹夜明けの異様なハイテンションが彼女を支えているらしい。呆れるばかりの粘りだ、と巧は内心舌を巻く。
「布団を畳んで、上着を着なさい。すぐにも馬車が迎えに来るわよ!」
しかし、馬車は来ていなかった。馬車が乗りつける手筈の広場には、王都のものと思しき早馬が一頭、口から泡を吹いてつながれるところだった。
「君、オスマン氏の居室は!」
馬から飛び降りたばかりの使者は、つばきを飛ばしながら二人に尋ね、礼も言わずにオールドオスマンの居室に走っていった。ルイズと巧は、わけもわからず広場に取り残される。
二人は顔を見合わせて……どちらともなく、使者を追った。
「……布告とな?」
「いかにも! 敵軍はタルブの草原に陣を展開、我軍と衝突しつつあり! 学院におかれましては生徒及び職員の禁足令を願いたく!」
二人が耳を押し当てた分厚い扉の向こうからは、それでもはっきり、使者の言葉が聞き取れた。
「アルビオンが、もう攻めてきたんだわ」
苦虫を噛み潰したような表情で、ルイズが呟く。
「……況は……っておる?」
「は! 敵軍は巨艦『レキシントン』を筆頭に戦列艦が十数隻、上陸した総兵力はおよそ三千! 我軍の艦隊主力は卑劣な騙まし討ちにより壊滅状態、地上戦に投入可能な兵力は二千と見積もられております!」
「……ルマニア……援軍は……」
「同盟に則り、ゲルマニア軍の派遣を現在要請中、しかしながら先鋒隊の到着は三週間後とのことです!」
「……ずいの、それは」
「は! 現在はタルブの村に竜騎兵による火災が発生しているのみですが、今後被害の拡大が予想されております!」
巧は全身の血が逆流するような感覚を覚えた。弾かれたように扉から離れると、広場に向かって駆け出した。
「ちょ、ちょっと!」
ルイズの静止も聞かず、中庭に飛び出す。オートバジンに挿しっぱなしのイグニッションキーをまわして、ヘルメットに頭をねじ込む。ほとんど同時に、足元のスタンドを蹴っとばした。
「おい、相棒!?」
「待ちなさいよ、タクミってば!」
石造りの塔から追いかけて来たルイズが、何とか間に合った。
「どこ行くつもりよ!」
「タルブの村だ! シエスタを助けに行かねえと!」
「何言ってんの! 戦争してるのよ! メイジの一人や二人を相手にするのとはわけが違うんだから! 相手は戦艦に、本物の軍隊なのよ!」
「だとよ、バジン。行けるか?」
オートバジンは、困惑したようにランプを明滅させた。
「そりゃ、行くだけなら行けるだろうさ。この世界の軍隊も、ライオトルーパー連中と比べりゃ物の数じゃねえ」
「あんたまで馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!」
「まあ、最後まで聞け。いいか、相棒、帰ってくるのはかなりキツイぜ。嬢ちゃんの口ぶりじゃ、相手にはアルビオンで見たあの船もいるんだろう。……王子サマの言ったこと、忘れたわけじゃねえよな」
「覚えてるよ、うるせえな」
「だったら、やめとけよ! 今度こそ死んじまうぜ! せっかく生き残ったんだからよ、もうちょっと命を大事にしろよ!」
「そうよ! 死んだら駄目だって、言ったでしょ!」
「それも分かってる」
「だったら!」
巧はルイズを見た。それから、オートバジンを見た。
「俺がお前たちの言うことを聞いて引き下がれるような人間なら、ここには来てなかった。これしかないんだ、俺には。他のやり方じゃ、何も掴めない」
悪いな、とハンドルを撫でて、巧はエンジンをふかす。「仕方ねえな」と呟いて、オートバジンは静かになった。
「分かったわ」
ルイズは、静かにならなかった。
「私も連れて行きなさい」
「は? 今なんつった」
「私も連れて行きなさいっていったの! 村の人達を助けに行くんでしょ。手がいるわ」
「馬鹿言うな。残れ」
「馬鹿言ってるのは、そっちよ! 戦争なのよ! 喧嘩するのとはわけが違うわ。助けに行くと言うなら、それなりの計画を立てなくちゃ」
それに、とルイズは続ける。
「最近、あんたのことが分かってきたわ。放っておくと、すぐに死にたがるんだから。ちゃんと監督者が必要でしょう」
いいからヘルメットをよこしなさい、とルイズは手を突き出す。
「……こりゃ相棒の負けだぜ」
「お前まで、そんなこと言うのかよ」
「俺は相棒の身を第一に考えて言ってんだ。だいたい相棒よ、もう考える時間も惜しいんじゃねえか?」
「……」
確かに、オートバジンの言うとおりだった。巧はルイズのヘルメットを取り出すと、目の前の主人に放り投げる。
「危なくなったら、お前だけでも逃がすかんな。その時はちゃんと逃げろ」
「タクミも逃げるなら、そうするわよ」
顔をしかめて、返事をせずに、巧はエンジンをふかした。ずん、と音を立てて、世界に一つしかないオートバイが走り出した。
◆
道を無視して、オートバジンは最短距離を進んだ。ものの焦げるきな臭い匂いが強くなる。不意に森が途切れて、巧たちはだだっ広い草原に出た。
「まずいぜ、相棒」
オートバジンが小さく言う。草原の向こう、タルブの村のあった場所から、煙が上がっているのが見えた。空中には『ロイヤル・ソヴリン』……いや、『レキシントン』を筆頭に、アルビオンの艦隊がのしかかるようにして飛んでいる。
巧は目を眇めた。
「ありゃなんだ?」
空に、鳥のようなものが飛んでいる。戦艦と並んでいるせいでサイズ感が狂っているが、鳥よりもかなり大きい。
「アルビオンの竜騎兵よ。まずいわ。あいつら、森を焼くつもりみたい」
村の外れの辺りから一際大きな炎が上がって、一筋の白い煙が空に向かって吹き上がった。上空を旋回する竜の一騎が降下してきて、ブレスを吹いた。
ごう、と炎が頭上を通過して、青い草原が燃え上がる。ヘルメットの奥で、巧は奥歯をかみ締めた。
「バジン、落とせるか」
「落とせば落とせねえことはねえが、俺も落ちるぜ! それより相棒、兄弟を呼ぼうじゃねえか!」
「兄弟?」
「ここの宝物庫、見なかったのかよ! 俺が教えてやったじゃねえか!」
さっさとやれ! 四桁の数字をオートバジンががなって、巧はいつかのことを思い出した。
【3】【8】【2】【1】
【JET SLIGER COME CLOSER】
視線の先で、村の外れの建物が爆発した。一瞬遅れて、それが“竜の羽衣”を納めた寺院だったと気づく。
「ちょっと! どうするつもりなの!?」
「さあな」
硬質な推進音をめちゃくちゃに上げて、巨大な質量が近づいてくる。低空に下りて来ていた竜騎のいくつかが、その異様な姿に道を開ける。寺院に保管されていた時のボロ布が高速機動にはためいて、燃え上がるタルブの草原に舞い上がった。
「来たぜ、相棒!」
かすれた【SMART BRAIN MOTORS】のロゴが空中を横切り、モンスターマシンはオートバジンと併走する。
SB-VXO。ジェットスライガー。
「変身!」
コードを打ち込んでファイズに変わると、巧は大質量に飛び移った。ルイズに手を伸ばす。
「来い!」
「でも……」
「嬢ちゃん行け! 下に残るのはやべえぞお!」
一瞬の逡巡の後、ルイズは巧の手を取った。ファイズの腕が彼女をモンスターマシンに引き入れて、加速した。
「タクミ……?」
不意に違和感を覚えて、ルイズは顔を上げた。無機質な仮面の向こうに、巧の表情はうかがい知れない。ジェットスライガーは緩やかな螺旋を描きながら、しかし猛スピードで舞い上がった。
強い恐れがあった。かつてジェットスライガーの操縦桿を握った時とは、何もかもが違う。
どこを操作すればどの機能がもたらされるのか、どう操作すれば性能が最も発揮されるのか、肌感覚で理解できる。
伝説の使い魔だの、ガンダールヴだの、全く実感のなかった言葉が、急にリアルに感じられる。右手のルーンが、焼け付くように熱い。
「こいつも“武器”ってわけか」
さらに上昇する。上空にいてこそ、タルブの村の惨状がはっきり把握できた。寺院だけではない、村全体がめちゃくちゃに焼かれている。森にも草原にも火の手が上がり、のどかな村は全く、蹂躙されていた。
「ふざけやがって」
見慣れぬ飛行物体に群がってきた竜騎兵たちを、ジェットスライガーは推進剤の一吹きで振り切った。ハルケギニアにはあり得ない三次元機動で直角に移動すると、あっという間に巧は竜騎兵の全てを視界に納めた。レーダーが竜を補足し、ロックオンマークがディスプレイに踊る。
「――!」
いつに無く好戦的な気分だった。こいつら全員、ぶっ潰してやる!
だが――。
巧の手が止まった。これは……これは、今までのとはわけが違う。ゴーレムやオークを倒したり、ワルドの手を粉砕したりするのとは、何もかもが違う。
『きみは、戦いを好んでいるわけじゃないだろう?』
ギーシュの言葉が頭をよぎった。その通りだ。相手はメイジとは言え生身の人間。
(俺に、背負えるか?)
ルイズに召喚されてからこっち、巧は殺人だけは避けてきた。異世界とは言え、死人が生者をどうこうしようなんて、馬鹿げているにも程がある。しかし――。
『戦うことが罪なら――』
そうだ。巧は拳を握り締める。この瞬間、乾巧は「死せるオルフェノク」であることをやめた。傍観者であることをやめた。そして、この世界に、新しく「自分の白」を求めることを決めたのだ。
拳を解いて、コンソールを操作する。搭載された全ての火器が待機状態になり、ミサイルポッドが解放された。
「ルイズ」
振り向いた少女に、巧は低い声で言った。
「目を閉じてろ」
次の瞬間、無数のミサイルが、全ての方向に放たれ――全ての竜騎兵が爆発した。竜騎士の操る火竜は、最速でも百数十キロ。音速で迫るジェットスライガーの火線に、なす術があろう筈もなかった。
「す――」
すごいじゃない、とルイズが呟いたのが、巧に聞こえた。
「人の話を聞いてろよ」
「見届けなくちゃ。使い魔を一人で戦わせるわけには、いかないもの」
「……そうかよ」
彼のご主人様は、時々、少しばかり高潔に過ぎる。
「行きましょう。地上への艦砲射撃は止まってないわ。竜騎士だけじゃなくて、旗艦を落とさなくっちゃ」
「落とすったって、お前な……」
「ラ・ロシェールの港町を押さえられたら、トリステインまでほとんど間がないわ。学院のみんなも、どうなるかわからない。……誰かがやらなきゃ、いけないわ」
「ああ、そうかよ」
「ごめんなさい、助けに行くなんて言ったのに。これじゃ、結局おんなじね」
「気にすんな。他にできるやつは、いないんだろ」
ジェットスライガーの機首を、雲間に浮かぶ巨艦に向ける。巧も、あの船に一矢報いてやりたいという気がしていた。
「行くぜ」
操縦桿を握りなおす。いつか地上を走り抜けた港町に向けて、今度は空を突っ切った。
(続く)