「トリステインの新兵器だと?」
「そのような噂が、兵の間に流布しております。何でもゲルマニアとの共同開発によって実現した、超強力なゴーレムだと」
「ふむ……」
アルビオンはロンディニウム郊外の寺院。王政を打倒して誕生した新生アルビオンは、大勝間違いなしと目されていたトリステインとの緒戦において、信じられないほどの大敗北を喫した。
レキシントンを旗艦とする空中艦隊は突如出現した怪光戦によって潰滅、同時展開していた地上部隊はトリステインの迎撃になす術もなく散り散りになった。聖地奪回を掲げる神聖皇帝クロムウェルの野望は、初手からつまづいた形になる。
「面白い。トリステインの言うフェニックスとは別に、そのような戦場伝説が誕生しているとは! これもハルキゲニアの新たな歴史というわけだ」
しかし、当のクロムウェルには焦りの色はない。開戦前と同じに薄い笑みを顔面に貼り付け、報告に来た大隊長に下がるよう命じる。
「さて。傷の具合はどうかな、子爵殿」
「元より癒えていればこそ、こちらにお呼びたてになったのでしょう。申し訳ありません、閣下。一度ならず二度までも、失敗しました」
奪った王宮とは比べものにならぬ程に狭く、古びた部屋の中で跪いているのはワルドだった。体のあちこちに大小の火傷を負い、残った片腕には包帯を巻いている。
クロムウェルは彼の言葉を聞いて、鷹揚に笑んだ。
「気にすることはない。新兵器はともかく、敵は未知の魔法を使った。確かに手痛い敗北であったが、どうして貴殿一人に責任があろう。今回の敗戦は、我々全員に責任がある」
「既にお聞き及びでしたか」
「もちろんだとも。我が優秀な秘書官から報告を受けている。敵が使ったのはおそらく“虚無”の力であろうということもな。ミス・シェフィールド」
「ここに」
どこに潜んでいたのか、部屋の影の中からフードを被った女が現れた。地味な雰囲気の、クロムウェルの秘書だ。
「君から説明してくれたまえ。アンリエッタの件だ」
「かしこまりました」
女は羊皮紙の巻物を広げた。
「アンリエッタの率いるトリステイン軍の用いた未知の魔法。先ほど閣下が仰ったとおり、これは“虚無”であると推測されますわ。トリステインは“始祖の祈祷書”を解き明かし、伝説の“虚無”を手にしたのでしょう。少なくとも、王室に分けられた秘密の一端を握っていると予想されますわ」
ワルドは顔を上げる。
「王室の秘密とは……?」
「アルビオン王家、トリステイン王家、ゲルマニア王家に分けられたという始祖の秘密だ。各王家は始祖の秘宝を分かちあっている……そうだな」
「ええ」
女が頷く。
「アルビオン王家に分け与えられた秘宝は、水のルビーとあと一つ。ですが、水のルビーは見つからずじまい。もう一つの秘宝は、未だ調査中ですわ」
「要するに、どちらも行方知れずというわけだ。我々はここまで足早に駒を進めてきたが、何ら目標を達成できていない!」
「閣下……私の力不足です。申し訳ありませぬ」
「子爵、子爵。それは違うと言ったはずだ。貴殿を責めるためにここへ呼んだのではない。貴殿は、先程の戦場伝説、その正体を知っているはずだ」
「ゲルマニア製のゴーレム、ですか」
「その通り。何度か戦ったことがあるだろう? 何、少し頼みがあるのだ」
「頼みなどと言わずとも、一言御命令いただければ」
「そう言うな、私たちはお友達だろう? 頼みというのは他でもない。……入りたまえ」
「は……」
廊下から、うっそりと入ってきた男があった。ワルドは目を見張った。金髪碧眼の美青年。戦死したはずのウェールズ皇太子である。
「驚いたかね。本式ではないが、これも“虚無”の力だよ。死者を蘇らせ、思うがままに使役する。ウェールズ君は確かに名誉の戦死を遂げたが、私の力によって蘇ったのだ」
「……まさか。そんなことが」
しかし、目の前にいるのは確かに戦死したとされるウェールズに他ならない。ワルドは慎重に尋ねた。あれ程の敗戦にも関わらず、クロムウェルのこの余裕。死者すら蘇らせる“虚無”の力を恃みにしているとすれば、それもうなずけた。
「であれば、我が軍の損耗も問題にはならぬ、と?」
「まさか、まさか」
クロムウェルは苦笑した。
「いかな“虚無”とて、所詮は魔法の一種にすぎんよ。あれほどの敗戦を帳消しにできるのなら、最初からそうしていたとも。ウェールズ君を蘇らせたのは、あくまで彼が駒として必要だったからだ」
「駒とは……」
「ふむ、『私では不足なのか』という顔をしているね。だが、考えても見たまえ。駒にはそれぞれ、役割というものがある。貴殿がビショップなら、彼はナイトといったところかな。一足飛びに女王を落とし得る」
ワルドは眉根を寄せた。クロムウェルはウェールズを使って、アンリエッタを調略するつもりなのか。今頃トリステインは戦勝に湧き、出陣を主導した女王の発言力は上がっているだろう。作戦が成功してアンリエッタを傀儡にすることができれば、トリステインを骨抜きにできる……。
「しかし――」
ワルドは影のように立ち尽くすウェールズの姿を見た。蘇ったという青年の雰囲気はどこか希薄で、不気味だ。ウェールズが口を開く。
「皇帝陛下。子爵は、私を疑っておいでのようです」
「ふふ、無理もない。安心したまえ、彼は間違いなく任務を遂行するよ。そうだね?」
「もちろんです。アルビオンに栄光あれ」
「そういうことだ。――子爵」
クロムウェルはさっと身をかがめると、ワルドに耳打ちした。
「貴殿の感覚は正しい。私が兵を蘇らせないのも、それが理由だ。皇太子殿下は、既に人間ではない」
ワルドははっと顔を上げた。クロムウェルの肩越しに、ウェールズが笑みを浮かべた。その表情に、奇妙な幾何学模様が浮かび上がった……ように、見えた。
◆
しゅぼ、と機関に火が入った。“錬金”によって作られた小さな金属の機関がせわしなく動き始める。ピストンの上下動がシャフトに伝わり、機構の中心にセットされた木の板がゆっくりと回転し始めた。波上に切り分けられた板には、どこか間の抜けた感じの蛇が描かれている。
「おお! 回った! 回ったぞ!」
禿頭のメイジは小躍りしながら跳ね回った。
「やったなバジンくん! 私の“愉快な蛇くん”がここまで進化できたのも、きみのおかげだ!」
呼び掛けられたオートバジンが、ランプを明滅させて答える。
「俺の助言なんて大したことねえよ! すごいのはコルベール先生じゃねえか。こんな短い期間で、もう内燃機関を完成させちまった!」
「そ、そうかね? そう言われると悪い気はしないが……これは私たちの、そう、内燃機関だよ。内燃機関……実にいい響きだ。素晴らしい言い回しだ……」
コルベールは恍惚と呟く。人型に変形したオートバジンは、何度も感慨深そうにうなずいている。巧は一人と一台をどこか遠巻きに見ながら、“私たち”の中に自分が含まれているのかどうか、考えていた。
この禿頭のメイジとオートバジンとの間に親交が生まれたのは、つい最近のことだ。コルベールはずっと、異世界から来た乗り物に興味津々でこちらを見守っていたらしい。好機の視線を向けてくるメイジはいくらでもいたので、巧は気づかなかったが――。
「こいつはもう、なんにだって使えるぜ! 車輪を回せば馬車に馬はいらなくなるし、プロペラを回せば空も飛べる! もちろん、出力はもっと上げなきゃならねえだろうが……」
「なんだって!」
コルベールが他のメイジと違ったところは、異世界の技術に強い興味を示していた点だ。彼はオートバジンを分析させて欲しいと頼んできた。オートバジンは快く了承し、巧もそれを止めようとはしなかった。元より有閑の身分である。
「そ、空を飛べると言ったのかね? 回転の力で?」
「ああー、そうだな。まずは揚力の説明からしなくちゃならねえ。そうだ、現物を見てみればいいぜ! 前に行ったタルブの村ってところにな……」
コルベールが羊皮紙にメモを取る。一人と一台は、あっという間に意気投合した。コルベールが進めていたエンジンの研究に、オートバジンの知識は大きく役立った。以来、彼らは巧をほとんど置いてけぼりにしながら、エンジンの開発を進めている。
「あとは、燃料だよなあ。強い酒や市販の油じゃあ、燃焼効率が悪すぎるぜ」
「ふむ……それについては、私の方でなんとかしてみよう。錬金が得意なメイジなら、何か思いつくかも知れないからね」
「これは希望的観測だがよ、タルブの零戦から燃料のサンプルが採れるかも知れねえ。どんなにうまくいっても、雀の涙だろうが……」
「それはいい情報だよ! ゼロから始めるより、余程期待できる」
これも、“時々すっごく熱くなる”というやつか。研究室とは名ばかりの小屋の中には、外よりも熱気が籠っているように感じられる。巧は、上着のボタンを外した。
「……」
実際、気温は高いのだろう。エンジンを動かすのに液体燃料を燃やしているし、乏しい光源を補うため、昼間だというのに部屋にはランプが灯されている。
「俺、出てるわ」
議論に熱中する二人から、返事はない。巧は扉を開けて、外に出た。爽やかな空気が頬を撫でる。
「シー……」
今日は洗濯日和だ。シエスタはそろそろ、干したリネンを取り込み始めるところだろう。巧も作業に加わらなければ。真っ白な洗濯物と青空のコントラストが、きっと疲れがちな心身を癒してくれる。
「……ランシー……」
それにしても、ここから厨房の裏へは、どう行くのが近道なのだろう。教室を移動する学生たちにぶつかれば、どんな面倒が発生するとも限らない。とすると、多少遠回りなのは承知でヴェストリの広場を経由した方が……。
「モンモランシー!」
あまり爽やかではない声に、巧は顔を上げた。薔薇の花を握りしめた金髪の少年が、血相を変えて辺りを歩き回っている。
「モンモランシー! どこだい!?」
そういえば、ここに来て最初の面倒ごとは、彼とそのガールフレンドに纏わるものだった。巧はそっと目を逸らし、足早にギーシュから距離を取ろうと努める。
「モンモランシー……タクミ!」
だが、その試みは失敗に終わった。ギーシュは凄まじい速さで巧に接近すると、血走った目でこちらを覗き込んだ。
「きみ、モンモランシーを見てないか?」
「見てねえ」
「どこにもいないんだ……今日の授業が終わってから、ずっとだ! ぼくはずっと、彼女を探している……」
「お前、また浮気したのか?」
「浮気だって!?」
ぎょっ、として巧は後ずさった。ギーシュの目に、異様な光が宿っている。
「そんなことをするわけがないだろう! このギーシュ・ド・グラモンともあろうものが、最愛の女性を裏切ることがあるとでも!? きみ、ぼくにまた決闘を吹っかけさせる気なのかい!?」
「いや、そんな――落ち着けよ。どうしたってんだ、お前」
「モンモランシーがいないんだ。モンモランシーが……」
少年は泣き出した。それからすぐに泣き止むと、顔を上げてキッと巧を睨みつけた。
「……まさかとは思うが、きみ、モンモランシーを隠しているんじゃないだろうね?」
「何?」
「ああ、きっとそうだ! タクミ、きみはなんて奴だ! どこだ、どこに隠してるんだ!? ……そこかい!?」
ダッ、とギーシュはスプリントして、コルベールの研究室の扉を開けた。凄まじい剣幕に、一人と一台も議論を中断する。コルベールが言った。
「おや、ミスタ・グラモン。どうしたのかね?」
「……いないじゃないか!」
「隠してなんかねえよ、大体」
巧が「なんで俺がモンモンを隠さなきゃならねえんだ」と言い切る前に、ギーシュは駆け出していた。「モンモランシー!」の叫びを残して。
オートバジンが困惑したようにランプを明滅させた。
「……なんだってんだ?」
巧がぽつりと答える。
「また飲み過ぎたんだろ……」
それで、巧はすっかりそのことを忘れてしまった。ギーシュの奇行は、多少行き過ぎていたとは言え、あり得ないことだとは思えなかった。それにその日干したリネンは真っ白でふわりと柔らかく乾いていたのである。
ルイズと自分のリネンを抱えた巧は、上機嫌で部屋に戻った。聞いた話では、この陽気はこの先数日間続くということで――。
「……」
しかし、部屋の扉を開いた途端、その気分は吹っ飛んでしまった。ベッドメイクより先にルイズが戻っていたからではない。ベッドの奥に身を屈める、金髪の少女の姿を見つけたからだ。
「何やってんだ、お前ら」
「……ちょっと事情があってね。安心なさい、ギーシュじゃないわよ」
「本当? ああ、本当ね。ごきげんよう、タクミ」
モンモランシーがベッドの端から澄ました顔を出した。
「おう。ボーイフレンドがお前を探し回ってたのを見たぜ。こんなとこに隠れてていいのか?」
「良くはないわね。全くもう……」
ルイズがため息をついて、額に手を当てた。
「ねえルイズ。そんな顔しないでよ。ちょっとだけ、私を匿ってくれればいいんだから」
「匿う?」
巧は訝しげにモンモランシーを見た。澄ましたその顔に、冷や汗が浮かんでいる。ルイズが顔をしかめた。
「ちょっとだけって、いつまでよ」
「それはわからないけど……一週間か、一ヶ月か。とにかく、ギーシュが私を探さなくなるまで! ね、お願い! タクミも、いいでしょう?」
巧はそのままの表情で、ルイズを見た。
「どういうことだ」
「どうもこうもないわ。モンモランシーはね、ギーシュに惚れ薬を盛ったのよ」