「ご覧になりましたか」
「うむ。見た」
禿げた中年と、白髪の老人……教師のコルベールと、校長のオスマンである。二人の除きこむ“遠見の鏡”には、ワルキューレを圧倒した青年と、彼を召喚した桃色の髪の少女が言い争っている姿が、まだ映っている。
「ただの平民が、メイジを圧倒しましたよ! あんな動き、メイジでも出来はしない! やはり彼に刻まれたのはガンダールヴなのでは!?」
「ううーむ。かも知れん」
「オールド・オスマン。すぐに王室に報告して、指示を仰がなくては……」
「いや、それには及ばん」
オスマンはコルベールを手で制した。
「ガンダールヴのルーンは戦闘時に強く輝いたと聞く。君は、彼のルーンが輝いたところを目にしたかね?」
「いや、それは。何しろ、隠れていましたし」
「つまり、彼がガンダールヴだという確信は得られておらん」
「ですが!」
「……王宮にあんなオモチャを渡せば、どう使われるかわからんじゃろ。これでよいんじゃ」
オスマンはパイプに口をつけると、プハッと煙を吐いた。
「あーあ。やめだやめ!」
巧ははたきを放り出して、ベッドにひっくり返った。ルイズに命じられた部屋の掃除は、半分も終わっていない。
彼がこの世界に来てから、一週間が経った。その間巧がやったのは、掃除、洗濯、その他家事。ギーシュと戦ったのを除けば、ほとんど家政夫さながらだった。
「やってられっか、こんなの」
開いた窓から吹き込んだ風が頬をなでる。巧がまぶたを閉じかけた時、体に鋭い痛みが跳ねた。
「痛ってえ!」
ベッドから転がり落ちるようにして立ち上がると、憤怒の形相の“主人”が目に入る。その手の中で、乗馬用の鞭が剣呑に揺れた。
「私、午前中のうちに、掃除を済ませるように言ったわよね。今、何してたのかしら?」
「寝てたんだよ、文句あっか」
「大有りよ! 掃除をサボった! ご主人様のベッドで寝てた! しかも靴を履いてた! それに、私はもう一つ言っておいたわよ!」
「何をだよ」
ルイズはこめかみに青筋を浮かべて、乗馬用の鞭をいじった。
「午後の授業には顔を出すよう言ったでしょ! この前はあんたが来なかったせいで、大恥かいたんだからね!」
この前、というのはシエスタと聞いた爆発の時のことだろう。巧は顔をしかめた。“ゼロのルイズ”のうわさは、この一週間で十分耳にしたところである。
「魔法が失敗したのを俺のせいにするんじゃねえ! 俺は行かないからな。爆発に巻き込まれるのはごめんだ」
「な、な……」
ルイズが震える。彼女は顔を真っ赤にして巧の耳をつかむと、文字通りに吼えた。
「ご主人様に向かってなんって口の利き方! これは調教が必要なようね!」
「いででででで! 離せよ! 離せったら!」
「きゃ!」
思わず振り解いていた。いつの間にかルイズがしりもちをついて、巧はそれを見下ろしている。
気まずい空気を味わいながら、巧は身に着けていた三角巾と、エプロンを外して捨てた。
「とにかく、俺は行かない。使い魔ごっこも、もうやめだ。やってられるか、こんなもん」
巧は部屋を出た。いつになく苛立っていた。彼はふて腐れた顔のまま校舎を抜けて、メイジ達が“アウストリの広場”と呼ぶ芝生の広場に出た。
少し、やりすぎたかも知れない。鈍い後悔が胸の中に広がっていく。しかし、自分から謝る気にはなれなかった。
ここ一週間、さんざんこき使ってくれたのは、他ならぬルイズだった。いけすかないメイジ達からいけすかない視線を向けられ、“使い魔の平民”扱いされるのは、思った以上に堪えた。
「くそ」
もともと、他人と仲良くするのは得意ではない。巧にとっては真理や啓太郎が特別だったのだ。
「くそったれ」
寝転んだのに、もう昼寝する気にもなれない。巧は立ち木に寄りかかって、目を開いた。
「あら?」
知らない女と、目が合う。当然メイジだ。学生というには、とうが立っていて……そういえば、校長と思しき老人と一緒に歩いているのを見たことがある。
「あなた、ミス・ヴァリエールの使い魔さんよね? イヌイくん……だったかしら」
「そういうあんたは誰なんだ」
「あら、これは失礼。私はロングビル。オールド・オスマンの秘書よ。あなたはこんなところで、どうしたのかしら?」
巧は目を伏せた。
「……別に、どうってことない。ただのサボりだ」
「そうなの」
ロングビルはそこらのメイジと違って、平民がうろついていることをなんとも思わないらしい。彼女は巧を遠慮なく観察すると、口を開いた。
「暇なら、少し手伝ってくれない? 宝物庫の目録を作るのに、人手が欲しいのだけれど」
いつもなら、「他を当たれ」と言う所だったが……今の巧は、何かやることが欲しかった。体の良い現実逃避である。
うなずいた彼を見て、ロングビルはにっこり微笑んだ。
「じゃあ、ついてきて。あなたに見せたいものもあるのよ」
なるほど宝物庫というだけあって、頑丈な塔の中には所狭しと用途不明の品々が置かれている。一つ一つ目録に記していくのは、確かに手間だろうと思われた。
「で、俺は何をすればいいんだ」
「いいから、こっちに来て。この棚を見て欲しいの」
巧に見せたいもの、というやつらしい。暗い宝物庫の中、巧は一番厳重に封のされた棚に近寄った。
「こいつは――」
光の届かない棚の中に、見覚えのあるシルエットが浮かんでいる。黒地に白のライン。銀色の金属は、ファイズのベルトと同じものだ。
「あなたが生徒を倒したときに使ったベルトに、そっくりでしょう」
「ああ」
「これが何か、知ってるかしら? オールド・オスマンも良く知らないのよ。黒のベルト、なんて呼ばれてるけど……センスを疑っちゃうわよね」
ロングビルは少し笑った。巧はしばらく、黒のベルトを眺めていたが、やがて視線をロングビルに向けた。
「こいつは、デルタのベルトだ」
「デルタ。本当はそういうのね。使い方も、あなたのベルトと同じなのかしら?」
「大体な。……こいつの出自は、わからないのか」
「ええ。オールド・オスマンに聞いてみれば、少しは分かるかも知れないけれど」
「そうか」
巧は短く言った。すでに自分が生きることを見限った世界の話なのに、妙にデルタのベルトが懐かしく見えた。
しかし、これがここにあるということは、三原もこの世界に来ているということなのだろうか。奴はこれからも光の中を歩いていける“人間”だ。もしそうなら――。
「どうかしました?」
ロングビルが覗き込むようにして、巧を見ていた。
「いや、なんでもない。でも、使い方を知ったところで意味ないぜ。こいつは、普通の人間には使えない」
「……そうなのね。でも、使い方を記しておくことに、意味があるものなのよ」
◆
その日の夜、巧は部屋の外で横になっていた。
寝床代わりに使っているわら束の上で、巧は天井を見上げる。まだ、ルイズとは、一言も口をきいていない。
巧はクシャミを一つして、毛布に包まった。旅をしていた時に使っていた、寝袋が欲しいと思った。石造りの寮は、夜になるとひどく冷える。
と。隣の部屋の扉が、音を立てて開いた。中から出てきたのは、真っ赤な火トカゲである。尻尾で燃える炎が熱い。
「な、なんだよお前。こっち来んな!」
炎は天敵である。火トカゲは巧の制止も聞かず、近寄ってくると上着のすそを咥えて引いた。
「おい、やめろ! 服が燃えちまう」
隣の部屋のドアは開け放たれている。巧は火トカゲの口から上着を引っこ抜いた。
隣に住んでいるのは誰だったか、ルイズとしょっちゅう喧嘩している少女だ。それがどういうつもりで部屋に引っ張りこむつもりだろう。
火トカゲの炎に追い立てられるようにして、巧は部屋の中に足を踏み入れた。
扉が閉まると、部屋は真っ暗になる。ややあって、指を鳴らす音。同時に部屋中のろうそくが次々に点る。
ろうそくの照らす部屋のベッドに、女が一人座っていた。
「なんの用だ」
「あら、剣呑ね。こちらにいらして、座ったら?」
巧は近寄ったが、座らなかった。話が見えない。
「あら、つれないのね。でも、そんな所も素敵よ」
女は巧に合わせて立ち上がった。
「あたしはキュルケ。“微熱”のキュルケよ。び・ね・つ」
「……」
「あなたがギーシュを倒したときの姿……イーヴァルディの勇者もかくやという姿だったわ。あたし、痺れちゃったわ。その日から、あたしってば、あなたにお熱なの」
巧は後ずさった。
「分かる? 風邪を引いたわけじゃないわよ。“微熱”のキュルケは、情熱的なのよ」
「……他を当たってくれ」
「あたしに恥をかかせるつもり?」
「悪いけどな。熱いのは嫌いなんだ。それに――」
巧はあごをしゃくった。キュルケは首をめぐらせて、窓の外を見る。ガラス張りの窓には、男が五人、食い入るようにして部屋の中を見つめている。
「ペリッソンにスティックス! マニカンとエイジャックスとギムリまで!」
惚れっぽい割に、きちんと名前を覚えているらしい。巧はひそかに感心して、キュルケに背を向けた。
その背後で、真っ赤な炎が爆発する。キュルケが窓に向かって魔法を打ち放ったらしい。ガラスの窓が溶けていた。
「誰かしらね! 今のは! ぜんぜん知り合いでもなんでもなかったわ! とにかく! 愛してる!」
「や、やめろ!」
あわや巧の唇が奪われようとしたその時、音を立てて部屋の扉が開いた。逆光に影だけ見るのは、ルイズである。
「ツェルプストー!」
「ヴァリエール。取り込み中よ」
「人の使い魔に、なにしてくれてるのよ!」
「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命よ。あなたの家系が一番ご存知でしょう?」
キュルケは顎を突き出した。
「それに、あたしが彼をどうしようと、あなたはどうでもいいのではなくて? 随分ぞんざいに扱っていたようだけれど。普通なら、この寒いのに使い魔を外で寝かせたりしないわよ。私のフレイムくらいになると、気温なんか関係ないけど」
「私の勝手でしょ! それに、こいつが自分で外に出たのよ!」
「そこまで許しておいたなら、彼があたしの部屋にいてもいなくても同じでないかしら? ヴァリエール家は人を使うのも下手糞ね」
この台詞が相当カンに触ったらしく、ルイズは顔を真っ赤にして歯をかみ締めた。爆発しそうになるのを抑えて、彼女は巧にこう言い放った。
「……タクミ! 行くわよ!」
巧もこれには異存なかった。このままキュルケの部屋にいたら、何をされるか分からなかったからだ。
「あら。行ってしまわれるの?」
「ああ。じゃあな」
巧はルイズの後に続いて、廊下に出た。
「あんたも中で寝なさい」
「……」
「ほら、わら束持って」
「怒ってないのかよ」
ルイズはここで初めて、巧を一瞥した。
「外に置いといたら、キュルケに何されるか分からないでしょ。明日は街に行くから、早く寝なさい」
それだけ言うと、ルイズはきびすを返して、自分のベッドに戻っていった。点されていたろうそくが消えて、部屋が暗くなると、巧も程なくして眠りに落ちた。