馬。
馬といえば、木場のことを思い出す。ホースオルフェノクの男。一度は袂を分かち……最後には、再び肩を並べて戦うことのできた仲間。
だが、乗り物としての馬と巧とは、相性が良くないらしかった。
「腰が痛え」
「情けないわね。馬にも乗ったことないなんて……これだから平民は」
ルイズは周囲の目を睨み返しながらぼやいた。
「帰りは、馬を借りて乗って行ってよね。平民の男と二人乗りなんて、おかしいったらないもの」
「仕方ないだろ。俺だって、あそこまで馬に拒否られるとは思ってなかったんだ」
そういえば、草加にはじめてあった時に、あいつは馬に乗っていた。巧と馬との相性は、こちらを基準に考えたほうがいいのかも知れなかった。
「とにかく、財布はあんたが持ちなさい。落とさないのはもちろん、スリにも気をつけるのよ」
「こんな重いもん、掏られるのかよ」
貨幣の詰まった皮袋を、巧は懐にしまった。
「没落メイジの中には、そういうことをする連中もいるわ。ちゃんと用心しときなさい」
「へいへい」
「まずは服。それから布団……は無理ね。かさばりすぎるわ」
「布団ならベッドがあんだろ。換えが要るのかよ」
「何言ってんのよ。服も布団も、あんたのよ」
「何?」
巧は目を丸くしてルイズを見た。
「なによ。いいから行くわよ」
ぷいっと顔をそらしてルイズはどんどん歩き出した。一体どういう心変わりがあったのか、ともかく巧はそれに続いた。
「平民の服って良く分からないわね。といって私の分かる服じゃ、高すぎるし……」
「いらねーよ。これ、お前がもらった金なんだろう」
「要るわよ! あんたの上着、ギーシュと決闘して以来、ボロボロじゃない!」
「別に平気だろ、このくらい」
「それに、これから暑くなるわよ。一枚くらい、薄いのを持っときなさい。洗濯するにも困るでしょ」
巧は困惑しながら、ルイズの言うままに薄手のズボンを一枚と、シャツを二枚買った。
「布団は……そうね、学院のを借りましょう。あとは――」
服を押し付けて、ルイズは巧を眺め回した。
「あんた、剣を持ちなさい」
「なんだって?」
「キュルケに目をつけられたとなると、命がいくつあっても足りないわよ」
「俺にはファイズのベルトがあるの、見ただろ」
「ファイズ? ああ、錬金するやつね。あれかさばるじゃない。今日も持ってきてないし」
確かに、ファイズギアは持ち歩くには邪魔だ。肩からかけることも出来なければ、背負うことも出来ない。東京にいた頃は、バイクの荷台にくくりつけたり、車の助手席に乗せたりしていたのだが、当然ハルケギニアにはそんなものはない。ルイズの言うことは、もっともといえばもっともである。
「馬にも載らねえしなあ」
そんなわけで、二人は武具店にやってきた。裏通りに居を構える、胡乱な店である。
「七十五エキュー? そりゃ話になりませんや。どんなに安くたって、剣は二百からが相場で」
五十がらみの主人は顔の前で手を振った。
「うそおっしゃい。ここは傭兵連中も来るんでしょ。そんなんじゃ商売上がったりじゃない」
「それがそうでもございませんで。近頃は貴族の方々が下僕に剣を持たせるとかで、随分繁盛しております」
「盗賊?」
「ええ、土くれのフーケとかなんとか言いまして」
「それで、相場が高騰してるのね」
「へえ」
あんたが喋るとややこしいことになる、と言われたので巧は黙っていた。なるほど、ルイズはなかなか隙がない。だが、金もないようだった。
「――棒! 相棒!」
ふと、剣の山の中から声がかけられた。
「相棒! 相棒じゃねえか、おい!」
聞き間違えではない。ルイズと店主が振り向いた。主人が舌打ちする。
「バジ公、黙れ! 今、貴族のお方と商談中なんだ!」
「うるせいやい! 俺は相棒を見つけたんだよ!」
「俺か?」
「ああ、そうだぜ! 相棒よ、この剣の山をどけてくれい!」
ルイズが主人に向き直る。
「誰?」
「いや、誰といいますか、その、インテリジェンスウェポンの一種、だとは思うんですが、へい」
二人の会話を尻目に、巧は剣の山をかきわけた。
「こいつは――」
見慣れた銀色の輝き。黒い樹脂のハンドル。全体を埋めるようにして周りに積み上げられた剣をどけると、鋭角のシルエットがあらわになる。
「へへ、久しぶりだな、相棒!」
確かに相棒だった。巧の相棒と言い切れる相手がいるとしたら、それは“これ”を除いてはありえない。
「バジ公……そうか。お前が」
SB-555V。オートバジン。うれしそうに、そのディスプレイが光った。
「おい、俺を買えよ」
「ああ、買うぜ。店主! 幾らだ?」
「そいつなら50で結構でさ。大体、持ってこられたはいいが捨てられもしませんで。貴族の方にも溶かせませんでで、邪魔で邪魔で仕方がなかったもんでして、へえ」
巧は財布を取り出した。
「ちょっと! こんなの買っちゃって、どうするのよ!」
「こんなのじゃねえや、小せえ嬢ちゃん! 俺ぁオートバジン! 俺と相棒は一心同体なんでえ! 安心しな、全力で働いてやっからよォ!」
ルイズはオートバジンが騒ぐのを無視して、巧が押す二輪車を指差した。
「どう考えても邪魔じゃない! どうやって持って帰るのよ! 馬で三時間かけて来たのよ!」
「馬より早く帰れるぜ!」
「うるさいわ! 今からでも返しに行くわよ」
巧は黙って、燃料タンクに瓶から液体を注いだ。余った金で酒場から買ってきた、一番強い酒だ。
「本当に大丈夫なんだろうな」
「おうともよ! 効いてきたぜ。エンジンをかけな、相棒」
イグニッションキーをひねる。銀色のバイクは機嫌よくエンジンを響かせた。荷台には買ったばかりの服をくくりつける。
「これ、すごくうるさいわ」
「エンジンだ。こいつに乗って帰る」
ヘルメットは、昔使っていたのと同じものがついていた。いささか傷が目立つが、とりあえず使うのに支障はなさそうだ。
「私は?」
「相棒と一緒に乗んな! ばっちり送ってやるからよ!」
「いいの?」
「ああ。でも、馬はどうすんだよ」
「馬舎に置いてけばいいわ。どうせ借り物だし」
「そうか。じゃ、後ろに乗れ」
巧は予備のヘルメットを出した。
「しっかり掴まってろよ。危ないからな」
ルイズがうなずくのを見届けて、巧はアクセルをひねった。軽快な音を立てて、オートバジンは走り出した。
初めて乗るバイクの速さと乗り心地に、ルイズは目を白黒させた。巧が精通しているらしいこの不思議な乗り物は、馬とはまるで違う。耳もとを切る風の鋭さ、冷たさ。幻獣で地を駆けるのとも、竜に乗って空を飛ぶのとも、別物だ。
「なあ――」
彼女の前で、巧が何か言ったような気がした。
「なに?」
「今日はどうしたんだ」
「なにがよ!」
「俺に服を買ってくれたり、剣を買おうって言い出したり――お前、ちょっとおかしいぜ」
「あんたが言ったんでしょ!」
「なにを!」
「『使い魔ごっこは終わりだ』って!」
「……」
巧は黙った。二人の耳元を、いく陣かの風が吹き去った。
「ツェルプストーにも言われたわ! 『私には人を使う才能がない』って! むかついたわ! でもそうよね! あんたはあんなだし、一度も私の言うことを聞いたことがなかったわ。気が向いたことだけやってたのよ!」
「……」
「ギーシュの時だってそう。一度は、私がゼロ呼ばわりされたことに怒ってるのかとも思ったわ。でも違うの。あんたは吹っかけられた喧嘩を買っただけなのね」
巧は言い返しもせず、黙って聞いていた。それから、アクセルを緩めた。このほうが、互いの声がよく聞こえる。
「洗濯だけはちゃんとしてるわ。でも、それはあんたが洗濯好きってだけのことだったのよ。最初に私についてきたのはどうして? キバって人に似てるから?」
「どこで聞いたんだ、それ?」
「いつも寝言で言ってるわ。キバじゃなければ、クサカかミハラ? ケイタロウ……は違うわね、きっと。なら――」
巧は引き取った。
「真理だ。園田、真理。お前は少し、真理に似てる」
街道にはほとんど、オートバジンだけだ。巧は、ちらりとルイズを見た。
「でもお前は真理じゃない」
「そうよ。あんたがやってたのは、『マリの使い魔ごっこ』。私がやってたのも、『使い魔のご主人様ごっこ』だったわ」
殊勝な台詞だった。それでいて、辛らつだった。巧はさらにアクセルを緩めて、彼女の声を聞いた。
「私もやめるわ。ご主人様ごっこはおしまい。あんたが使い魔ごっこをやめたようにね」
「ああ。いい考えだな」
ルイズは巧の耳に、口を寄せた。ヘルメット越しに、彼の耳は彼女の声を拾った。
「私はルイズ! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!」
「俺は――」
空を行く大きな影と、小さな銀色の単車がすれ違う。向かい風が吹いて、二人の耳元でひときわ大きく、風鳴を響かせた。
でも、ルイズには確かに聞こえた。
「乾巧だ。乾が苗字で、巧が名前」
そこまで聞いて、彼女は自分が家名だと思っていた“タクミ”が、彼の名前だと知ったのだった。ルイズは少し笑った。
「何も知らなかったのね、私」
それが聞こえていたのかいなかったのか、最後にもう一度、巧が口を開いた。
「悪かった。あの時、突き飛ばしたりして」
「――いいのよ。気にしてないから」
怪我もしてないしね、と言ったのは口の中だった。遠くに、魔法学院の姿が見え始めていた。