アルビオンからの呼び声/王女の憂鬱
居並ぶ生徒たちから歓声が上がる。白い馬車の中から、白いドレスに身を包んだ少女が、赤いじゅうたんの上に降り立った。にっこり微笑むと、優雅に手を振って見せる。トリステインの王女、アンリエッタだった。
「あれがトリステインの王女? ふん、あたしのほうが美人じゃないの」
多くの生徒が整列して王女を迎える中で、それを遠巻きに見ている者たちがいる。留学生であるキュルケにタバサと、平民でルイズの使い魔の乾巧だ。
「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」
キュルケに水を向けられた巧は、つまらなそうに答えた。
「さあな」
「もーぅ、いけずなんだから!」
巧は、王に良い思い出がない。日本には皇族がいたが、もちろん巧なんかとは縁がなかったし、巧と縁の深い“王”のことを思ってみれば、やっぱり良い思い出はない。
「あら」
キュルケが声を上げた。その視線の先には、獅子の体に鷲の頭を持った、奇妙な獣がたたずんでいる。馬ばかりの王女一行の中では、とりわけ目立った。
「なんだ、ありゃ」
キュルケは答えない。仕方ないので、巧はタバサに視線を向けた。タバサはそれに気づいて、広げていた本から顔を上げる。そして、短く言った。
「グリフォン」
次いで、乗り手を指差す。羽帽子を被ってマントを羽織った、凛々しい男である。
「いい男」
巧は小さくため息をついた。奇しくも、それは今日一日の王女が何度も見せた振る舞いと似ていた。
◆
「どうしたんだ、お前」
夜になった。巧は床に敷いた布団の上に座って、ルイズに尋ねた。昼間、王女の行列を迎えてから、彼女は落ち着きがない。今も、ベッドに立ったり座ったり、教科書を開いてみたり閉じてみたり、どうにも体を持って行きあぐねている様子だった。
「なんでもないわ。なんでもないのよ」
「……そうかよ。明日も早いんだから、もう寝たほうがいいぞ」
「そうね。そうなのよ」
ルイズはベッドに腰掛けて、しかしランプは消そうとしない。
「……」
本格的におかしい、と巧が感じたとき、部屋の扉が叩かれた。最初に二回、それから三回。それを聞くと、ルイズははじかれたように立ち上がった。ドアを開ける。
廊下に立っていたのは、黒頭巾を被った人物だ。
「……あなたは?」
黒頭巾はさっと部屋に入ると、ドアを閉める。手にした杖を振って、短くルーンを呟く。光の粉が宙を待った。
何も起こらない。
「ごめんなさい。でも、どこに目や耳が光っているか、わかりませんからね」
黒頭巾は頭巾を取った。巧にも見覚えのある顔である。ルイズがさっとひざを突いた。
「姫殿下!」
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
アンリエッタ王女だった。
それから、巧は二人の少女が思い出話に花を咲かせるのを見ていた。どうやら、ルイズと王女は旧知の仲らしい。
巧はルイズに目で合図すると、黙って席を外した。
「……」
後ろ手に扉を閉めると、見知った顔と目があった。
「あっ」
「なにしてんだ、お前」
この世界に来てから二日目、初めてファイズに変身した相手である。金髪をカールさせて、フリルつきのブラウスを着た、鼻持ちならない貴族である。
「ギーシュだったか? 立ち聞きかよ」
「ち、ちちち違うよ、きみ! ぼくは女子寮に入る不審な人影を発見してだね、それが姫殿下かな? でも違うかもしれないなー、と思ってね」
「立ち聞きだろうが」
巧は扉に寄りかかって、ギーシュを見た。決闘したときとは、随分雰囲気が違って見える。ゴーレムを巧にけしかけた時よりも、年相応だ。
「お前、今のほうがいいぜ」
「それはどういう意味だね、きみ」
「そのまんまだよ。あの後、あの女とは仲直りできたのか?」
ギーシュは答えなかった。どうやら、完全に振られたらしい。巧は黙って、目を閉じた。
その時、扉が内から開いた。顔を出したのは、ルイズである。
「タクミ、ちょっといい? ……ギーシュ、あんたはなんでここにいるのよ」
「ルイズと一緒に土くれのフーケを捕まえたのは、あなただそうですね」
ギーシュごと部屋に招き入れられた巧は、アンリエッタにそう言われて、所在無さげにルイズを見た。
「姫殿下は、私たちの力を借りたいそうなの。アルビオンの皇太子様から、手紙を取り戻して欲しい、って」
「手紙?」
「わたくしがウェールズ皇太子に送った手紙です。それがアルビオンの貴族に渡れば、彼らはすぐにもゲルマニアの皇帝に届けるでしょう」
「それの何がいけないんだよ」
ルイズとギーシュが巧をにらんだ。
「姫殿下の御前よ!」
「そうだ。言葉を慎みたまえ」
アンリエッタは二人を手で制した。
「申し訳ありません。少し急なお話でしたね」
アンリエッタは、手短に国際情勢を話した。
アルビオン王国の現王権は、貴族の反乱によって危機にさらされている。反乱軍が勝利を収めれば、次はトリステインに侵攻してくるであろう。これに対抗するため、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことを決め、アンリエッタはゲルマニアに嫁ぐことになった……。
「政略結婚ってやつか」
アンリエッタはうなずいた。
「分かった? トリステインのためにも、結婚を反故にさせるわけにはいかないの!」
「……なるほどな」
そんな大事を招きかねない手紙の内容を聞かないだけの分別は、巧にもあった。
「それで、お前は行くって決めたのか」
「ええ。お国の一大事ですもの。あんたも来るのよ」
「アルビオンは戦争してんだろ。危なくねえのかよ」
アンリエッタの表情がかげる。
「そうよね、やっぱり……ルイズ、ごめんなさい。わたくし、どうかしていたわ。友人を戦場に送ろうだなんて……」
「姫さま! いいんです、私だって姫さまの力になりたいのですから! ちょっと、タクミ!」
「それに、姫さまだって――」
「タクミ!」
ルイズが首を振る。
「……悪い」
「いいえ、ありがとう。わたくしの周りに、わたくしの気持ちを考えてくださる人は、多くありませんから。お気持ちだけでも嬉しいわ」
やや、気まずい沈黙が流れる。
「……姫殿下!」
それまで黙って跪いていたギーシュが声を上げた。
「その困難な任務、このギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けください」
「あなたは……」
「グラモン元帥の息子にございます」
「まあ、あの……ありがとう。あなたも、あの勇敢なお父様の血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」
ギーシュの表情がパッと明るくなる。
「姫殿下……! このギーシュ、そこな使い魔よりも殿下のお役に立つことを誓いまする」
そうして、ちらりと巧を見た。ルイズも巧を見た。アンリエッタも、巧を見た。
巧は顔をしかめた。この世界に来てから、こういう“使命感にあふれた”雰囲気に飲まれがちだ。
「ああっ、たく、分かったよ! 行けばいいんだろ!」
でも、それも悪くなかった。巧も、アンリエッタの手助けがしたいと思ったのだ。何か大きなもののために自分を犠牲にしなくてはならない彼女が、せめて役割を完遂できるよう、力を尽くしたいと感じたのである。
「ありがとう。ギーシュさん、使い魔さん。わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」
ギーシュは感激に顔を輝かせた。この時ばかりは、巧も彼に倣って跪く。
ルイズは、いつぞやフーケを捕らえに行くことを決めた時と同じ顔で、アンリエッタを見た。
「では、明日朝にもアルビオンに出発したいと存じます」
◆
朝もやの中、ルイズとギーシュは馬に鞍をつけていた。巧は厨房の裏からオートバジンを引っ張ってきて、イグニッションキーを挿した。アイドリングしておくには、この時間は少し静か過ぎる。
「また馬かよ」
「あんた、馬とは相性悪いわよね。馬もそいつとは相性悪いみたいだし……」
「馬は遅すぎんだい! 相棒、嬢ちゃんを後ろに乗せるわけにはいかねえのかよ!」
オートバジンのランプがピカピカ光る。ルイズは首を振った。
「どの道、一人は馬に乗らないと。あんた、どう見ても三人以上乗れるようには見えないわよ」
「だってよ」
「馬に合わせて走ると燃費悪ぃんだよなあ!」
「我慢しろ」
巧はオートバジンを黙らせる。鞍をつけ終えたギーシュが、今度は口を開いた。
「お願いがあるんだが……ぼくの使い魔を連れて行ってもいいかな?」
「お前、使い魔なんていたのかよ」
「当然さ! 出ておいで、ヴェルダンテ!」
ギーシュはそう言うと、鞍から飛び降りた。地面が盛り上がって、小さな熊ほどもある、巨大なモグラが顔を出す。
「あんたの使い魔、ジャイアントモールだったの!?」
「そうだよ! 可愛いだろう、困ってしまうだろう! ヴェルダンテはいつも、貴重な宝石や鉱物を見つけてきてくれるんだ。土系統のぼくにとって、この上もない協力者だよ」
巧はルイズの手に視線をやった。昨晩、アンリエッタが彼女に託した、“水のルビー”が光っている。
「おい、その指輪、隠しといたほうがいいんじゃないか?」
「失礼な! ぼくのヴェルダンテは人に襲い掛かったりはしないよ! 何しろぼくに似て、紳士だからね!」
紳士だというモグラはしかし、ルイズの指輪を見るなり飛びかかった。
「きゃ!」
「ああっ、駄目だよ、ヴェルダンテ!」
「確かにお前によく似てるな!」
巧はオートバジンを降りると、ルイズに駆け寄って……沸き起こった一陣の風に思わず目を細めた。風は見事にヴェルダンテを吹き上げ、オートバジンの真上で解き放った。
「ぐえ!」
「ああ、ヴェルダンテ!」
オートバジンとヴェルダンテはひっくり返って、土にまみれた。後者はともかく、オートバジンは不満の声を上げた。
「チクショウ! 相棒、早く引き起こしてくれえ!」
「ヴェルダンテ、大丈夫だったかい! ……誰だ! 人の使い魔を!」
朝もやの中から、長身の男が現れた。また、見覚えがある男だ。確か、王女に同行していた、羽帽子の男……。
「すまない。だが、婚約者がモグラに襲われているところを、黙ってみているわけにはいかないからね」
「貴様、ぼくのヴェルダンテに!」
ギーシュが引き抜きかけた薔薇の杖は、一瞬で男の起こした風にさらわれた。
「やめろ。僕は敵じゃない。君たちが姫殿下に密命を受けたのと同様に、僕も密命を受けたんだ。君たちに同行するように、とね。学生だけでは、心もとないのだろう」
巧は男を見た。この見下ろされる感じ……巧は草加雅人を思い出す。
「誰だ、お前」
「ああ、申し遅れた。女王陛下近衛衛士隊、グリフォン隊隊長の、ワルド子爵だ」
ワルドはにっこりと笑った。気に食わない。
相手が悪いとみたギーシュが、やや力の抜けた声で尋ねる。
「『僕の婚約者』とは?」
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだよ。……本当に久しぶりだね、ルイズ」
「ワルドさま……」
立ち上がったルイズが震える声で言うと、再びワルドはにっこり笑って、ルイズに駆け寄るなり、抱え上げた。
「ああ、ルイズ! 僕のルイズ! 相変わらず軽いな君は! 羽のようだよ!」
「……お恥ずかしいですわ」
「照れ屋なのも変わっていないね。では、彼らを紹介してくれたまえ」
ワルドはルイズを降ろして、言った。ルイズはすっかりペースを乱されて、順にギーシュと、巧を指した。
「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のタクミです」
「君がルイズの使い魔か。まさか人とはね……婚約者がお世話になってるよ」
「ああ。世話してる」
「ちょっと!」
ルイズはとがめたが、ワルドは声を上げて笑った。
「あっはっは! こいつはふてぶてしいな。流石はあのフーケを捕まえたというだけのことはある。アルビオンでも頼りにしてるよ」
「そうかよ」
巧はワルドに背を向けて、オートバジンにまたがった。ヘルメットのシールドを下ろして、イグニッションキーをひねる。
ワルドは気を悪くした風もなく、口笛を吹いてグリフォンを呼び出した。よどみない動きで騎乗すると、ルイズを抱きかかえるようにして乗せる。
「では、行こうか。諸君、出撃だ!」
グリフォンが駆け出す。ギーシュは誇りと、それからちょっぴりの劣等感をにじませて馬に鞭を入れた。
巧の見たところ、ワルドはかなり草加雅人に似ていた。その奥にどんなものを隠しているのか知れないが、何重にも仮面を被っている……。
巧はしばらくその背中を見送ってから、アクセルをふかした。
朝もやの中にエンジン音を響かせて、オートバジンは街道に消えた。