魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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主演:捧げる者達 6

 

 

 

 その招集令は、唐突なことだった。

 守護者統括のアルベドが隠しもせず眉間にしわを寄せてしまう程に、整頓されていない隊列の酷さがその証拠だ。

 第十階層の玉座の間に緊急招集されたナザリックの者達は皆、突然呼び出され、当然だが到着した順番にめいめい広間に入っている。それにしては、互いに呼びかけ合い助け合って、そこそこ綺麗に並び直してはいるのだが、ナザリック地下大墳墓の管理を任されている彼女にとっては耐えられない有様だった。

 愛するモモンガの御前に、自分の力不足の証明を並べられたようで、アルベドには不快で仕方がない。

 玉座に腰掛ける愛しい殿方の隣では、さすがに彼女も舌打ちはできない。だが、玉座の数段下で不敬にもモモンガに背を向けて悠然と立つ山羊を、アルベドは不愉快さと嫌悪を隠しきれないままに睨みつけていた。

 そして、その首と胴を切り離し、狩人が獲物を自慢するように首を剥製にして自室に飾れたらと、うっそり妄想していた。その妄想は、ウルベルト・アレイン・オードルがナザリック地下大墳墓に客人として訪れた日よりずっと、彼女の微笑の下で密かに行われている妄想だ。

 無意識のうちに実行してしまうのではないかとアルベド自身が危惧する程に具体的な妄想では、血抜き処理の手際から飾る剥製を縁取る装飾まで細かく夢想できている。

 しかし、それ程憎もうとアルベドはまだ実行には移さない。

 あの憎たらしい存在を殺した所為でアルベドが愛しい愛しいモモンガから憎まれるなど、堪ったものではなかった。

 殺すとしたら、愛しい殿方がアルベドが手を汚した事実を知らないで済む瞬間。いつの日か訪れるであろう、その首を刎ねる機会に恵まれた瞬間を、まだ今は待たなければいけない。

 じっと、獲物の首を付け狙うアルベドの眼光は、どちらかと言えば狩人より獣側だ。その獰猛な金の眼はしかし、愛しい殿方を見詰める時には嘘のように柔らかくなった。

「アインズ様、私も下に降りて、ウルベルト様からの御話を賜りたいと思います。……パンドラズ・アクター、貴方は──」

「私めは“反抗期”ですので、このまま愛しい父上の隣にいようと思います!」

「お前の言う“反抗期”はどんどん滅茶苦茶になっていくな……。アルベド、コイツは変わらず無視してくれて構わない。気にするな。私ももう気にしないことにした」

 何やら草臥れたその様子を気遣う様子を見せつつ、アルベドは器用に綺麗に微笑む。

「左様で御座いますか……。パンドラズ・アクターのここ数日における勝手は、目に余るものがありますが……。アインズ様が構わないと仰せなら、これ以上私から申し上げることは御座いません。ですが、何かあれば直ぐに御命令を」

 アルベドは、自分の口からすらすら出てくる大噓を微笑みながら平然と連ねた。

 ウルベルトの言葉を跪いて聞きたいなど欠片も思っていないし、パンドラズ・アクターが愛しい存在の傍にいることに嫉妬はしていても今は離れろとは彼女は思っていない。寧ろ信頼していない山羊に相対するモモンガの隣に、忠誠に対して疑う余地の無いパンドラズ・アクターが立つのだ。

 アルベドからすれば、大変都合のいい話だった。

 それでも、その傍から僅かでも離れることに苦しみを覚えながらアルベドは階段を降りる。憎たらしい山羊はなるべく視界に入れないようにして、階層守護者達の中央、守護者統括としての場所に片膝を付けた。

「やぁ、皆、集まってくれて有難う。急だったがよく来てくれた」

 頭上から降ってくる偉そうな口ぶりにまた、辛うじて落ち着かせていた怒りが一気に湧くのをアルベドは感じていた。怒りを抑えるため浸っていた妄想の海は、一気に干上がってしまう。私達を一度は捨てたくせにと、今後のことなど何も考えずに今直ぐ唾を吐き捨てたくなる程だ。

「このウルベルト・アレイン・オードルは、ナザリックに正式に帰還する。今までは客人としていたが、これからはナザリックの皆と共にあろう」

 その表明に、玉座の間に集まったナザリックの者達全員が歓声を上げる。アインズ・ウール・ゴウンに忠誠を誓う者としてのその歓喜の声、その轟に荘厳な静けさは壊れ、玉座の間は揺らいだ。

 しかしアルベドは拍手もできず歓声も上げられなかった。ただじっと玉座にいる愛するモモンガを見詰め、発狂してウルベルトを殺しそうな自分を宥めることだけに努めていた。

 その胸中を蝕むのは悔しさや憎たらしさから生まれた苦痛。迸る怒りから生まれた激しい心音。

 それでも、彼女はその激情に耐えてみせた。

 愛しい殿方が嬉しそうにしている様子を眺めていれば、アルベドはどんな苦渋にも堪えられたのだ。

「まったく……。ウルベルトさん、急に皆を集めて何事かと思ったら……」

 驚き、呆れつつもご機嫌な様子の玉座につくモモンガを、名を呼ばれ振り返った悪魔はじっと見詰める。

 階段下から見上げるウルベルトの視線は獲物に絡みつこうとする蛇の様で、モモンガは戸惑ってしまう。

「ウルベルトさん……?」

 友の理解出来ない行動と、その敵意滲む視線に、アインズではなくモモンガとして玉座に座す彼は問い掛ける。しかし答えは返ってこず、結局は戸惑いが増すだけに終わる。

 しかし戸惑うだけのモモンガと違い、至高の存在そのものを憎むアルベドと“反抗期”を理由に宝物殿守護者ではなくアインズの子息としてその隣に立つパンドラズ・アクターは、迷うこと無く臨戦態勢に移行していた。

 ウルベルトが足を進め、玉座へと向かい一段上がる。異様なほど、その靴音だけが場に響いた。

「もう一つ、全員に伝えることがある──」

 その御言葉を発する悪魔を、そこに居る者達はひたと見据えていた。一部の者達を除いて。

 アルベドは、パンドラズ・アクターに金の刺すような視線を遣っていた。そして、その焦点どころか目線すら理解に苦しむ目と、視線を絡ませていた。

 こくりと、彼らは小さく頷き合う。

 その瞬間にアルベドは、この数日間におけるその身勝手な行為には怒りと嫉妬を抱いていたが、それでも全て許した。パンドラズ・アクターと、そこにある意志と共通の至宝を認識し合い、そして、共通の不倶戴天の敵を、認め合った瞬間に。

「──アインズ・ウール・ゴウンの玉座は、このウルベルト・アレイン・オードルが貰い受ける!!」

 その不遜な宣告に即座に対処できたのは、守護者統括のアルベドと宝物殿領域守護者のパンドラズ・アクター、そして第七階層守護者のデミウルゴスだけだ。

 大災厄の魔たるウルベルトがその名に恥じぬ混沌を齎し反旗を翻したことも、目前でアルベドが微笑を崩しアイテムボックスからバルディッシュを抜き出したことも、炎獄の悪魔たるデミウルゴスが炎を纏い玉座へと飛び出したことも、皆見ているだけで理解はしていない。呆然と、ただ見詰めていた。

「ははっ、ムカつく姿を選ぶじゃねぇか、パンドラズ・アクター! 《魔法最強化・連鎖する龍雷》!」

「お褒めに預かり光栄の極みです!」

 たっち・みーの所有する攻撃のスキルで魔法攻撃を暴力的に打消し、爆風の中、その姿と力を借りたパンドラズ・アクターが玉座の前で盾となり構える。

「ウルベルト様!!」

「貴方の相手はこの私よ、デミウルゴス! 愚かな造物主を持ったことを悔いなさい!」

 バルディッシュの鈍い煌めきを視界の端にとらえ、デミウルゴスは慌てて体勢を整える。長く伸びた悪魔の爪が辛うじて刃を流し、スーツを裂いただけで済む。しかしそれは、デミウルゴスにとっては不快極まりないことだ。舌打ちするデミウルゴスに、アルベドの嘲笑が掛かる。

「貴方の愛しい山羊も、私が首を刎ねてあげるわよ……!」

「アルベド、貴様……!!」

 珍しく感情を露わにし怒りに歯を剥き出しにしつつデミウルゴスが冷静に足止めスキルを重ね、完全武装ではないアルベドの行動阻害を行う。

「コキュートス! 友として要請する! ウルベルト様に御味方してくれ!」

「ナッ、デミウルゴス、一体ナニヲ……!?」

 その発言にアルベドの腸が一気に煮えくり返る。躊躇なく嘗ての友を切り捨て、反逆者の首を刎ねるべきなのに、一体全体何を躊躇しているのかと。

「このッ、恥知らず共があぁああッ!!」

 その絶叫に、ナザリックの者達が身を震わせる。音としての振動だけでない、濃縮された憎悪が確かにそこにはあり、それが異形の者達にですら、悍ましいと感じさせたのだ。

「私がッ、私が愛するモモンガ様に反逆した愚か者共も、即座に御味方しなかった不届き者共も、全員、この私が首を刎ねてやる……ッ!!」

 確固たる決意を込めるように、そのバルディッシュをへし折らんばかりにアルベドは凶器を握りしめる。

 そして、その美しい身が、歪む。

 まるで悪そのものがこの世に形を取ろうとしているかの如く、吐き気を催すほどに変貌してゆく。それに応えるように、デミウルゴスも真の醜悪なる悪魔の姿に変貌しようとする。

 存在し得る世界の穢れと醜さ全てを煮詰めて産まれたようなバケモノ同士の食い合いが始まるのだと、満ちる殺気とそれをただ見詰める彼等の背筋を走る怖気が証明していた。

「……止めろ」

 ウルベルトにその剣先を向けていたパンドラズ・アクターが、背中から聞こえてきた小さな声に固まる。それは醜いバケモノになろうとしていた者達も同じだ。

 全員が、懇願に限りなく近い命令を出した玉座の骸へと、ゆっくりその顔を向けた。

「頼むから、もう、止めてくれ……」

 酷く痛々しく、弱々しい声だった。

 命令ではない、完全なる懇願。強者の我儘でもなく、それは弱者が涙と共に垂れ流す様な無力なただの願い。意味のない唯の音の羅列。

 絶対の支配者であるはずのアインズ・ウール・ゴウンのそれに、静まり返った後、一斉にどよめきが起こる。

 愛するモモンガの、心からの悲鳴を聞いてしまったアルベドが変貌を止めて、へたり込んでしまう。その手は武器を離し己の顔を覆っている。そしてまるで、転んでしまった子供の様に泣きじゃくり始めてしまった。

「ああ!! だから……、だから、嫌だったのよぉ……!!」

 優しく慈悲深い愛しいモモンガが、深く深く傷付いていることが、アルベドには痛くて堪らなかった。

 その奥底にある誰にも触れない、しかし自分達に注がれるものを、砕かれたことが酷く悔しくて堪らなかった。その大切なものを守れもしない癖に“守護者統括”などという御大層な名前を掲げている自分が、彼女には恥ずかしくて堪らなかった。

 身も蓋もなく泣きじゃくるアルベドは武器に目を遣る。しかしそれを握ることに何の意味も見いだせず、結局泣くのを続けるだけだ。

「ッ……、」

 アルベドは結局、“アインズ・ウール・ゴウンのため、ナザリック地下大墳墓を護るため”そのためだけに産み出された存在だ。アインズ・ウール・ゴウンを去る選択肢も、残る選択肢も、その全てを壊す選択肢も、何も用意されていない造られた存在なのだ。

 至高の存在のように自由ではない。

 生み出しておいて全て置いて去ったくせに戻って来る、偉大なる存在のその御意志による自由な行為も選択も、被造物でしかないアルベドには止められやしない。

 その忌々しくも偉大なりし存在が、誰にも触れないモモンガの心を侵犯することも、粉砕することも、土足で踏み躙ることも止められやしないのだ。

「ああ……、なんで……、私は……!!」

 そして粉々にされたその御心を、元に戻す術もアルベドは知らない。

 だから、只管に帰ってくるなと無意味にも願っていた。だから、それなのに帰ってきたウルベルトが目障りで不快で、嫌で嫌で仕方がなかった。

 愛するモモンガの隣で、ウルベルトが親しげに振る舞いモモンガがそれに嬉しそうに応える度に、アルベドは世界で一等尊い存在を人質に取られている気分だった。

「モモンガさん」

 その悍ましい口が、愛しい存在の名を呼ぶことにアルベドは歯ぎしりする。そしてそれは、アルベドだけではない。

 ほんの僅かな隙を狙いウルベルトを殺そうとしたパンドラズ・アクターが、飛び出る。強化された魔法の一撃をすかさず放つことで、モモンガはその行為を阻害した。

「私は、出ていく」

「父上、そのようなことをされずとも、私めが問題をすぐに解決して差し上げます」

「止めてくれ、パンドラズ・アクター。頼むから、私にお前を憎ませるな……」

 その力無い言葉には、さすがのパンドラズ・アクターも動きを止める。正義を体現したかのような白銀の鎧と情熱を表す赤いマント、違和感を覚えながらもモモンガはそれを押し退ける。

 偉大なる父に弱々しく押された息子である彼は、よろめき、思わず道をあけてしまう。

「……ウルベルトさん、全てを貴方に託し、オレが出ていきます。どうか……、ナザリックの子供達を幸せにしてください。皆も、ウルベルトさんの言うことを良く聞くように」

 しんと、静まり返った空間で返事をしたのはウルベルトだけだ。

 アルベドは声にもならない嗚咽だけを流し、言葉を見つけられなかったパンドラズ・アクターは、呆然とその背に手を伸ばす。

 夢現のように、絶望したまま、ナザリックの者達はその光景を眺めていた。動こうと、何か言おうと誰もがし、そして正解を見つけられずに戸惑っている。

「アインズ様……! いえ、モモンガ様、モモンガ様ッ……!!」

 悲痛な彼女の悲鳴に近い絶叫には、モモンガもさすがに無視できず、泣きじゃくり黒髪を振り乱す美女に視線を遣った。しかし結局、聞こえてきた友の声に応えるべく、直ぐ様目を逸らしてしまう。

「分かりました、モモンガさん」

 そう言って当り前のように差し伸べられた山羊の右手に、モモンガは咄嗟に、応えるべくつい手を出してしまった。

 警戒すべき相手に対するその行為に一部の者達から悲鳴が聞こえ、モモンガが自分がまだ相手を友と思っていることに苦笑した瞬間、ウルベルトがギルドの指輪を掲げる。

「それじゃあ、地底湖に遊びに行きましょうか!」

「は?」

そうして骨の手を強く握り返しニヤリと笑ったウルベルトは、モモンガを連れて第四階層地底湖の、“上空”に転移をした。

 

 

 

「はああああああああああああ!?」

 間抜けなモモンガの驚愕の声に、ウルベルトの爆笑が返ってくる。しかし実際笑い事ではない。

 確かに死にはしないかもしれないが、それでもかなりの高さから現状落下しているのが現実だ。何か対策をと考え、飛行魔法を思いつくのが当然だろう。しかしその魔法は、発動するより前にウルベルトの発言に邪魔された。

「チキンレースしましょうよ、モモンガさん!」

「はあ!?」

「度胸試しですよ! 先に《飛行》を使った方が負けです!」

「なんで!?」

「なんならガルガンチュアでも起動しますか? 面白いかもしれないですし! ガルガンチュア起動!」

「いやいやいや! それどころじゃないし! ガルガンチュアも起動しなくていいから!」

 上空から降ってくる至高の存在からの命令に、結局ガルガンチュアは人間だったらかなり辛いであろう無茶な中腰の姿勢で停止した状態になってしまう。

「「モモンガ様ああああああああああ」」

 混沌の二重奏が更に上から降ってきて、モモンガはぎょっとして声の降ってきた方へと振り向く。

 当たり前のように、アインズ・ウール・ゴウンのギルドの指輪を持つ守護者統括と、宝物殿の守護者が同じく上空から落下してきていた。

 冷静に考えれば分かることだっただろう。アインズにべったりと纏わり付く自称反抗期のパンドラズ・アクターが追いかけて来ることも、あのアルベドも自称反抗期になって命令に従わなくなることも。

 かつてアインズの膝に乗るためだけに赤ん坊の泣き真似までしてみせた彼女が、反抗期にならないはずがなかったのだ。

「おのれ! モモンガ様を苦しめた挙げ句このような暴挙に!!」

「父上! やはり私は貴方様に忠誠を誓わねば生きていけませぬ! たとえ未来永劫憎まれようとも!!」

 空中で翼のあるアルベドが有利なはずだが、怒りに任せ振り下ろされたバルディッシュはウルベルトの魔法で容易く吹き飛ばされる。しかし至高の存在のうち遠距離射撃の得意な“バードマン”が煙の中からスキルを発揮し、その不意打ちにウルベルトは左側の腕と耳、そして角を大幅に抉られることになった。

 そしてまた、モモンガも迫り来る衝突に対して何か、《飛行》以外の対策をせねばいけなかった。

「クソッ! 当たっても許してくれよ、ガルガンチュア! 《爆裂》!」

 ガルガンチュアと、落下しているウルベルト、モモンガ、アルベド、パンドラズ・アクターの間に爆風が起こる。幸いなことにガルガンチュアに爆裂魔法の直撃は避けられたようで、爆発したのは何も無い空間だ。

 ウルベルトが巨体の頭上に、肩から背にかけてのなだらかな坂の上にアインズとアルベド、パンドラズ・アクターが、爆風によって落下の衝撃を緩和させながら着地した。

「父上!ご無事ですか!?」

「なんで追ってきた!? 私の意志は伝えたはずだ!」

「私の意志も伝えたはずです!!」

 自称反抗期の息子に怒鳴り返され、モモンガは黙るしかなかった。

 皆が戦い合うところを見たくないのがモモンガの我儘なら、それはパンドラズ・アクターの我儘だ。

 絶対に譲ることのできない領分、自分の中で揺るがない普及の存在。それは間違いなく、誰にも侵犯できないものだ。

「私もです、モモンガ様」

 モモンガとウルベルトの間に、パンドラズ・アクターとアルベドが並ぶ。そこにあるのは美しい程の純然たる決意だ。

「私が愛している唯一の方……、たとえ貴方様に憎まれようと、私は、コイツだけは許さない……!!」

 不敵に笑うウルベルトの上空から、耳障りの良い美声が降ってくる。その声は自身の立場を明確に指し示しながら、造物主の側に下り立った。

「ウルベルト様、御怪我を……!?」

 アイテムボックスから回復アイテムを取り出したウルベルトはシルクハットを脱ぎ、自身に頭からぶっ掛ける。巻き戻したように修復された頭を雑に振り、短く息を吐くと、悪魔は、焦燥する悪魔に落ち着いた声音で答えた。

「気にするな、平気だ」

「左様で御座いますか……」

 あからさまにデミウルゴスは安堵していた。その姿に、アルベドは怒りと哀しみを抱く。

 結局は自分達を捨てたその存在を、今まで側にいてくれた偉大なる慈悲深い方よりも選ぶ悪魔に対して、裏切られたという悲哀がどうしても心に生まれていた。まるで今まで共にあったこと全てを、無価値と放り捨てられたかのようだ。それは余りにも憎く悲しく、そして酷く寂しくも感じられた。

 次に現れたのはアウラとマーレ、そしてコキュートスとシャルティアだ。

「アインズ様! ウルベルト様!」

 階層守護者達は今は全員がギルドの指輪を所持している。後から集まった者達は湖の畔に一度転移した後、至高の存在と守護者達の着地地点を遠目から視認してから転移したので、上空から落下はしてこなかった。

「……パンドラズ・アクター、急ぐわよ」

「分かっております」

 これ以上の数の差は圧倒的な不利に繋がると、モモンガの防御は賭けに近いが捨てて、ウルベルトに向けアルベドは突貫する。その援護はバードマンに化けるパンドラズ・アクターが務めていた。

「アルベド……!!」

 悲鳴を上げたのはシャルティアだ。

 しかし幼さを残す偽りの美貌を持つ真祖の吸血鬼は、動けなかった。その血を固め創ったようなルビーの瞳の戸惑いを一瞥し、しかし、それでもアルベドは武器を握り締め振りかぶった。

「デミウルゴス……!!」

 次に痛ましい声を上げたのはコキュートスだ。

 蟲王は武器を握り締め構えていたが、覚悟が足りず動けなかった。酒を酌み交わし嫉妬も尊敬もする良き友が、反逆者として守護者統括と戦っている事実に未だに目を逸らしたかったのだ。

「短期決戦か……、それじゃあ──」

 ウルベルトが呪文を唱え始め、それを聞き何をしようとしているか察したモモンガが焦りを隠さずに叫ぶ。

「パンドラズ・アクター!!」

 続いて叫ばれた至高の存在の一人である御名に、その意味を汲み取ったパンドラズ・アクターは直ぐ様その御姿に化け、その姿によって発動するスキルの重ねがけで強化された防御魔法を素早く展開した。

「アルベド! いや全員、伏せろ!!」

「そうそう、モモンガさんなら分かると思ってたよ」

 ウルベルトから放たれた魔法は一直線に光線を残し、アルベドの横を通り過ぎ、そしてパンドラズ・アクターの展開した光の壁を相殺されつつも粉砕し、轟くような荒ぶる爆風を第四階層全体に置き土産にして消えていった。

「……あれ?」

 その白光の軌跡はそこまで命中率の低い技ではなかったはずだが、随分とアルベドにもパンドラズ・アクターにも自分にも離れた場所を通ったことにモモンガは疑問を抱く。仮に防御魔法の展開が間に合わなくとも、きっと直撃はしなかっただろうと確信できる程の逸れっぷりだ。

 確かに気になるが、しかし先程の爆風に守護者達が吹き飛ばされていないかの方が心配になり、モモンガは周りを見渡した。

 さすがは守護者というべきか、軽く吹き飛ばされていきそうな見た目の可憐なエルフの双子も、細く白い吸血鬼も、顔を顰めてはいるが未だしっかりと足場の悪いガルガンチュアの背に立っている。

 アルベドは直近で余波を受けたせいかふらついているが、目に見えるダメージは見当たらなかった。

 そして、後ろから遅れて多くの驚愕の声が波になり聞こえてきた。

 それに驚きモモンガが振り向き辺りを見渡すと、よく見れば湖畔にはナザリックの者達が集まってきていた。

 ウルベルトがわざわざ“地底湖”というワードを発したので、ギルドの指輪を持たない者達も転移門を使い必死に追いかけてきたのだろう。足の早い者達から順に集まり、そして翼を持つ者達は湖上空を駆けて追いかけようと試みていたらしい。ただしその努力は、先程の爆風で大分後退させられている。

 しかしその中で唯一、爆風に堪え飛び込んできた大きな影があった。

「アインズ様! ウルベルト様! どうか矛を収めて頂けないでしょうか!」

 第六階層の守護者達から借りたドラゴンの羽音と共に現れたのは、その背に乗るプレアデスの副リーダーであるユリ・アルファだ。

「分をわきまえない行為であるのは重々承知しております! 懲罰も喜んで受けます! しかしどうか! どうかお止め下さい!」

 プレアデスの姉妹の姉として、常に落ち着いた様子とは真逆の、その絶叫。普段なら綺麗にまとめられた夜会巻きも、すっかり乱れている。

「現在既に各階層で混乱が起き、妹達とセバス様が何とか対処をしております!! ですが、これ以上は……!!」

 喉から血を吐きそうな程の必死なユリの懇願に、アインズは言葉を無くす。

 全てが壊れてしまう、その恐怖がアンデッドであるはずのモモンガの体を動かさなかった。

 しかしそれを見詰めるウルベルトが、集まってきたナザリックのメンバーに冷徹な命令を淡々と下し、更に場は混乱することになる。

「丁度良い。ナザリックに所属する全員に命令を下す。モモンガさんを殺せ」

 信じられない程に、その命令はその場に響き渡った。

 アルベドは目を見開き、そして慌てて振り向いて、そこにあった愛しい殿方の酷く傷付いた様子に絶望した。

愛しい愛しいモモンガが、酷く傷付いている顔を晒していた。言ってしまえばモモンガの顔は、ただの頭蓋骨だ。表情を構成する肉も皮も無い。

 だがしかしナザリックの者達には、そして彼を深く愛するアルベドには痛い程に分かることだった。

 偉大なる慈悲深い支配者が、心の柔らかい部分を深く傷付かせているのだと。

「あ、ああ……あぁ……! モモンガ様……!!」

「ウルベルトさん、どうして……」

「父上、あのような下郎と話す必要など御座いません」

 アルベドが無防備にその白い背をウルベルトとデミウルゴスに晒し、バルディッシュも手放し駆け出す。何も考えず、ただ愛しい方の側にふらふらと駆け寄り、その骨の胸に手を当てる。パンドラズ・アクターが、今度こそは譲らぬとモモンガの前に立ちはだかった。

 それでも、友に裏切られた彼の絶叫は止められない。

「なんで……、どうしてですか……」

 久方ぶりの再会だった、事情があったとはいえ別れがあった、仮想現実という空間での希薄な繋がりだった。それでも、友と思ってた男の裏切りを、モモンガが糾弾しない訳にはいかない。

 当然困惑だけではない。再会した彼がくれた嬉しい言葉全て、大嘘だったのかとモモンガは深く傷付いていた。再会してから昔と全く同じとはいかなくても、語らい笑い合えたことを喜んでいたのはモモンガだけだったのかと、虚しくて悔しくて、辛くて堪らなかった。

「ウルベルトさん!どうしてですか!? オレは貴方に、そこまで憎まれることをした覚えは無いですよ!? むしろ、」

「むしろ、なんですか?」

 傷付けられた驚愕と哀しみから一転して、モモンガの中で怒りが沸々と湧き上がってきた。

 悠然と立つその姿は、嘗てモモンガが憧れも含む眼で見詰めた姿そのもの。だがしかし、あれ程に尊敬していたはずの、格好良いと純粋に思っていたはずの姿が、今のモモンガには妙に醜く悍ましく見えてしまう。

「貴方が作ったデミウルゴスも含め、ここはずっと、オレが守ってきたんですよ!!」

 その怒声にはしかし、馬鹿にするような拍手が返ってくる。その巫山戯た軽い音だけでモモンガは数度、強制的に精神を沈静化された。

「だけど、それを“あげる”って言ったのはモモンガさんですよ? なぁ、皆?」

 ウルベルトが辺りを見渡すと、誰もが気不味そうに視線を逸した。ウルベルトからの問い掛けに対し、否定も肯定も、何も返ってこない。ただ何も言わず、誰もが黙りこくっていた。

「ついさっき、そのアインズ様が言ってたよなぁ? このナザリック地下大墳墓を去るって。そして俺にアインズ・ウール・ゴウンの全てを譲るって」

「そ、それは……」

「よくもぬけぬけと……!」

 怒りに声を震わせるアルベドを無視して、ウルベルトは冷淡な問いかけを続ける。

「忠誠を誰に誓っているんだ、お前達は」

 その言葉が届いたナザリックの者達全てが、戸惑いの表情を浮かべる。

 忠誠とは、至高の存在に対して捧げられるもの。そして、その偉大なる御方からの御命令ならば、彼等は如何なる難題をもこなすべきだと常識としてとらえている。だからこそ、ウルベルトからの命令もモモンガからの命令も、本来なら従順に従うべきなのだ。その命令には、矛盾も何も無いのだから。

 モモンガはウルベルトに従えと言った、そして、そのウルベルトはモモンガを殺せと言った。

 酷く明確で具体的な命令は鋭利な刃物の如く、しっかりとナザリックの者達に突き刺さっている。拒否できる要素など、NPCとしては、何一つとてありはしない。

「……い、嫌でありんす」

 小さな呟きだったが、その苦しみに共感した多くのナザリックに属する者達にその声は深く響いた。

 ウルベルトとモモンガの間に、武器を手放したコキュートスが立つ。無骨で不器用でしかし真っ直ぐな彼は、どちらにも頭を向けずにその頭をガルガンチュアの上でその身にこすり付けた。誇り高い武人たらんとする勇ましい彼の無様なその姿に、あまりの痛ましさにどよめきが起こる。

「ウルベルト様、アインズ様、ドウカオヤメクダサイ。ドウカ、我等ヲ、オ許シクダサイ」

 静まり返った次には、子供のすすり泣きが流れ出す。

「なんで、なんで……こんな……、やだよう、お姉ちゃ、ん」

「ま、マーレ……、な、泣かないでよ……!!」

 いやだいやだと泣きじゃくる弟につられて、その肩を貸してあげる姉も涙声だ。

 ナザリックの純粋な子供達、ただそれだけのために生み出され望まれ存在を与えられた彼らにある心は、残酷にもズタズタにされている。

 ズタズタに裂かれて、その奥底にあるものを彼等は知った。長い長い時の中で育まれてきた温かいものを。どれ程苦しくとも、己自身を矛盾せしめても、足元が崩れ落ちても、それは手放せないのだと、思い知った。

 “殺したくない”。ナザリックの子供達は皆そう願ってしまった。たとえ他の至高の存在全てが、その唯一を否定しても殺したくないのだと思い知った。

 成長と成果を自分のことのように嬉しそうに褒めてくれたことをある者は思い出していた。頭を撫でて抱き上げてくれたことをある者は思い出し、失敗をしても見捨てずむしろ成長の機会を与えてくれたことを思い出す者もいた。

 その記憶にある喜びも誇りも尊さも、捨てられる訳がない。切り捨てられる訳がないのだ。

 気付けば皆がさめざめと泣いていた。今まで命令をされるだけでも嬉しそうだったナザリックの存在が、与えられた命令に嫌だ嫌だと泣いている。

 それは、モモンガを、憤怒に一瞬で連れて行くには充分すぎる事象だ。

「ウルベルトさん、止めてください」

 冷ややかどころではない、極寒でもない、色も温度もない刺さる怒りが音になっていた。丁寧な物言いなのに、殺すぞと言われたかのような不快感と威圧感に満ちている。

 その、明確な敵意に満ち満ちた声には、泣きじゃくる子供達も小さく息を呑み黙り込む。誰に対して言ったか分かりきっている言葉なのに、聞いた誰もが謝りたくなってしまっていた。

「ウルベルトさん、もう、これ以上の勝手は許さないです」

「へぇ、忠誠を誰に誓うかも決めかねる子供達に、そこまで肩入れしますか」

 びくりと各々の肩が跳ねる。ただでさえズタズタにされた心を泥のついた靴底で踏み潰された彼等は恥じいり、自身の居場所を探すかのように俯く。

 しかし分からなかったのだ、どうしたって、分からなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンのために産み出された彼らにとって、至高の存在からの御命令に逆らうことは自身の魂の根幹からの否定だ。

 それを平然とやってのけるのは、設定変更という大いなる言い訳を手に入れることができたアルベドと、生みの親がモモンガであり“反抗期”という言い訳を手に入れたパンドラズ・アクターぐらいのものだ。

 どうしたって、彼等以外の産み出された者達は考えてしまう。今この瞬間にウルベルトに逆らうということは、どういうことなのかを。

 それは、己の意志を不遜にも持つということ。

 万が一また、自分の造物主とモモンガが似たような立場に立たされた時には、選ばなければいけないのだ。

 命令に唯従うのではなく、最も忠義を尽くすべき相手を、己の意志なんぞで。

「そんなことはどうでもいいんだよ!!」

 その怒鳴り声に、抜けられない思考の渦に陥っていた者達はぽかんとしてモモンガを見つめる。

 彼の荒れ狂う怒りが、ただ迷うだけの情けない自分達には向けられていない事実に戸惑い、そしてその慈悲深さに気づくと、はらはらとまた彼等は涙を流した。

「ナザリックの皆を傷付けた代償は支払って貰います。本気で、戦います。たとえ……、貴方を殺すことになっても」

 ニヤニヤと何がそんなに嬉しいのか、不気味に悪魔は笑っている。

「おやおや、お怒りですか。それで? 俺を殺してまで、何が欲しいんですか? 皆の忠誠ですか?」

 モモンガは首を横に振る。単純明快な、心にずっとあった答えはするりとその口から滑り出た。

「オレは、ナザリックの皆を守れるなら、それでいい」

 その潔い言葉に導かれるように、アウラが、そしてマーレが、モモンガの前に背を向けて立った。

「ウルベルト様、ごめんなさい」

「僕達は……、モモンガ様をお守りします……!!」

 モモンガを庇うマーレとアウラの声は震えていた。その瞳は泣き腫らしたせいで腫れぼったく、震える脚は哀れで庇護欲を覚えるような姿だ。とても勇ましいとは言えない。実際その瞳は未だ困惑の色を湛えている。

「ウルベルト様、私達はモモンガ様とずっと一緒でありんした。この選択は、とても苦しいでありんすが、それでも同じ苦しみなら、私はモモンガ様と共にあることを選ばせて頂くでありんす」

 同じく泣き腫らした眼のシャルティアが、必死に震える声を張り上げ、ウルベルトとモモンガの間に立つ。やはりその眼にも、戸惑いが残っている。その白い手は、可哀想なほど震えていた。

「ウルベルト様、ドウカ、ドウカ今スグ御命令ノ撤回ヲ!! デミウルゴス! オ前モ、ウルベルト様ヲ御止メシテクレ!!」

 必死に叫ぶ友の呼び掛けを無視する悪魔は、その感情も表情も全て分厚い眼鏡の硝子奥に隠しこんでいる。

「ッ、ウルベルトさん……! 返してもらいます! この子達もナザリック地下大墳墓も……、大切にしてくれないならオレに返してもらいます! 貴方はユグドラシルでできた大切な友人だけど、オレの大事な今の仲間達、ナザリック地下大墳墓の皆を蔑ろにするぐらいなら、オレは貴方を許せない……!!」 

 張り詰めた空気に、迸る緊張、次の誰かの一手でナザリックは確実に崩壊へ進む。そして今、その一手を握るのはウルベルトだ。その発言と意志が、ナザリック内の内紛の開幕となる。

 もはや退けない戦い前、各々が必死に覚悟を決めてゆく。

「モモンガさん、やっと我侭を言ってくれましたね」

 そんな緊張感が溢れる空気にそぐわない優しい声音に、各々の間抜けな漏れ声が重なる。

「…………はい?」

 殺し合いが始まるのだと肩肘張っていたのに、がくんと膝カックンを唐突にされたかのようだ。何を言っているのだお前はと睨むモモンガに、ウルベルトはにやりと意地悪く笑う。

「はあー……、アイツの言葉を借りるのは癪だけどな……、仕方ない。モモンガさん、良い所が全部悪く発揮されてますよ。少しは我が儘を言った方が良いって、どっかの誰かさんが言ったの忘れちゃいましたか?」

 その気が抜けた言葉に、モモンガは昔のことを思い出す。ナザリック地下大墳墓を手に入れたばかりの、ギルド長になったばかりのモモンガにウルベルトと仲の悪かった騎士が送ってくれた言葉だ。

「それって、たっちさんがオレに……」

 ナザリックの子供達には意味の分からない問答に、どよめきと戸惑いの声がそれぞれから漏れ出る。ウルベルトとモモンガそれぞれの顔を交互に伺い、子供達はどうしたら良いのかと焦っていた。

「よーし、ガルガンチュア、起動終了。沈め」

 その言葉の意味は全員に伝わった。それは、自分達の足場がいなくなるということだと。

「え、ちょ、それ今言ったら……!」

 指示されるまま動くゴーレムは従順に、そしてその質量は重力にも従い、一瞬で落下を始めた。

 

 

 

 ギルドの指輪を使えば、全員着水せずに優雅に土の上に降り立つことができただろう。それなのに、ガルガンチュア上にいた全員が湖にその身を浮かべていたのは、これまたウルベルトのせいだった。

 落下する寸前に転移しようとしたモモンガに、アメフト選手の如く華麗なタックルをウルベルトが決めたからだ。奇怪な音を口から出しながら吹っ飛ぶモモンガと、それに大笑いしながら落下していくウルベルトを見てしまえば守護者達も誰も転移できなかった。

 その結果が全員で仲良く水浴びだ。

 モモンガ様、モモンガ様、と叫びながら焦りを隠さずモモンガの側に近づいてきたアルベドとパンドラズ・アクターを宥めると、モモンガは、呑気に水に浮かび楽しそうにしているウルベルトを睨みつけ、そして、疲労の滲む呆れた声を出した。

「…………ウルベルトさん、今回の反乱は茶番ですね?」

「あっはっは、正解です」

 その会話が聞こえた全守護者とドラゴンに乗るユリが、はあ?と間抜けな声を出す。

「だって、こうでもしないとモモンガさん、また遠慮するでしょう。俺はね、そういう一方に尽くさせたり我慢させたりは、友達同士だと思ってないから」

「……それじゃあ、思いっきり言いますけど、あんたバカですか!! それでこんな、ナザリック全体を大騒ぎさせるとか!! 本当にさっき怒ってたんですよ!? 絶対殺すって思いましたからね!?」

「あっはっは、良いですねー」

「笑いごとじゃねーよ、この悪魔!!」

「そうです、悪魔ですよー」

「うっわー、ムカつく。ウルベルトさんそんなうっざいキャラしてましたっけ?」

「モモンガさんこそ、そんなジメジメした性格でしたっけ?」

「お、殺りますか?」

「返り討ちにしますよ、こっちがガチビルドだって忘れていますか?」

「ウルベルトさんこそ、装備全部預けてゲーム止めたの忘れていますか?」

 結局不穏な空気が流れ出し、少し安堵していた守護者達がまた不安そうに至高なる存在の御尊顔を交互に見やる。しかしまた、ウルベルトとモモンガが同時に噴き出したことで目を見開き、そして振り回される彼らは再度ほっとした。

「はー、馬鹿らしい」

「まったくですね」

 アルベドだけは警戒を緩めず、そしてここぞとばかりにモモンガにぴっとりくっついている。それに対し仕方ないなあと放って置くモモンガと、それに淋しそうにするアルベドを見て、ウルベルトはふむと頷く。

「モモンガさん、NPCだってこと意識しすぎだよ。アルベドの好意が恥ずかしいからって逃げるのはアルベドが可哀想でしょう」

「そっ、そんなことはない、ですよ!だいたい設定を書き換えたのは事実で……」

 突然、自身に抱きついている当事者をちゃんと女性として見ろと指摘され、モモンガが露骨に狼狽える。

「設定が絶対なら、シャルティアが廓言葉をサボったりペストーニャがワンを付け忘れるのをなんて説明するんですか」

「そ、それは……」

 まだ何かしらの逃げ場を探すモモンガの、その逃げ場を奪ったのは愛に生きるサキュバス自身だ。熱い瞳で見上げ、愛を訴える彼女は濡れ姿が妙に色っぽく見えて、モモンガは更に動揺する。

「モモンガ様! 私は、私はたとえモモンガ様がその様なことをなされなくとも、最後まで残ってくださった貴方様をお慕い申し上げております!」

「ほら、逃げない」

 水中で必死に逃げようとしたパニクる骸骨の背をウルベルトは押し、アルベドにわざとくっつけた。

「ちょっ、ウルベルトさん……!」

「一度は出て行った俺でも、あの子達は俺を至高の存在として忠誠を誓ってくれるでしょう、そこの一部をのぞいて。でもねモモンガさん、」

 そっと近くで囁かれたその言葉に、モモンガは黙り耳を傾ける。

「俺よりも、百三十年一緒に頑張ってきた、共にいてくれた貴方の方が皆に愛されてますよ」

「そんなこと……」

「おやおや、デミウルゴスを泣かせたのに、また謙遜ですか」

 露骨に驚き動揺するモモンガに、ウルベルトは苦笑する。

「俺に、モモンガさんと一緒にいてほしいって、俺にもモモンガさんにも忠義を貫かせて欲しいって、必死だったよ。そんな熱血キャラにした覚えはないんだけどねぇ」

 穏やかな声が面白そうに紡ぐその事実に、モモンガは胸中が熱くなるのを感じる。あそこまで深い忠義と同格に扱われた事実が、じんと空の胸に染みているのをモモンガは確かに感じていた。

「もっと我が儘、言ってくださいよ、モモンガさん」

 また一押しされて、モモンガは周りを見渡す。すると、きょとんとした表情でびしょ濡れの守護者達と目が合って思わずモモンガは、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。

 

 

 

 この世界に来てから、目新しい物を見つけるのがモモンガの趣味の一つだ。

 実際、ユグドラシルで遊んでいた時もそうだった。知らない世界、アイテム、魔法、武器、それが目の前に現れる度に心が踊った。未知が好きだった。

 今でも冒険者組合に力を注いでいるのは、彼らが持って来る世界の品々と冒険譚が楽しみだからだ。

 だが本当は、聞いたり持って来て貰ったりはモモンガの楽しみ方ではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導王の楽しみ方だ。

 モモンガ自身は本当は、直接出向きたいのだ。

 発見された時は海と思われた湖も、謎の遺跡にあるという不気味な壁画も、モモンガは直接その未開の地で見てみたかった。つい最近報告のあった鉱石の採掘現場は、この世のものとは思えない程に美しいクリスタルのみで構成された空間が奥から見つかったという。それも本当は自分が最初に発見できていたらと、モモンガは思ってしまう。

 だがしかし、報告だけで充分と我慢している。

 自分の楽しみを我慢してでも守りたい存在がたくさんできたのだから、それは当然のことだった。

 確かに初めは、かつての仲間達が残してくれた子供だからという気持ちばかりだった。しかし当然今は違う。

 長い時の中で共に頑張ってくれた、信頼してくれた、痛いほど愛してくれた、愛されようと健気に尽くしてくれた、愛しい子供達。いや、新しい仲間達だ。共に笑って、頭を抱えて、困って、意見を出し合ったり、喧嘩もした、大事な仲間達なのだ。

 今回の一件で、モモンガは痛いほどに自身の抱く願望が分かった。もうニ度と仲間達を失いたくないのだと。

 そして、ナザリック地下大墳墓の仲間達が後から来た誰かに奪われ、好き勝手されるなど、たとえそれがアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーでも許せることではないのだと。

 湖に浮かびながら、モモンガは辺りを見渡し、ナザリック地下大墳墓の者達に問い掛ける。

「……お前達、私に、アインズ・ウール・ゴウンではなく、このモモンガ自身に、忠誠を誓ってくれるか?」

 命令ではなくお願い事だ。断られても仕方ない無力なただの願い事。だがしかし力強い言葉が一気に返ってくる。

「当然で御座います! アインズ様!」

「ぼ、ぼく、もしもアインズ様を、殺せって言われても無理です……! 逆らうなんて許されなくても、逆らいます……!」

「マーレだけじゃないですよ! 私も大好きです、アインズ様!」

「誓うでありんす、アインズ様! というか、アルベドだけじゃなく! 私も!! 本心からアインズ様を愛しているでありんすよ!」

 モモンガは自身に抱きつく柔らかい存在から太い舌打ちが聞こえた気がしたが、聞き流して気のせいだということにした。

 わざわざ泳いで近づいてきたコキュートスが、モモンガに対し頭を下げる。その波で揺られながら、モモンガはその真っ直ぐな声に耳を傾ける。

「コノコキュートス、コノ身朽チルソノ時マデ、御側ニ仕エタク思ッテオリマス」

「……ありがとう。マーレ、アウラ、シャルティア、コキュートス。その言葉を、本当に、心の底から嬉しく思う」

 そして、少し離れた所で気配を消し、黙りこくったままの悪魔にもモモンガは視線をやり優しく尋ねる。

「デミウルゴス、お前は誓ってくれないのか?」

 その慈悲と愛に悪魔は身を震わせ、何か言おうとして口を開く。その唇は、みっともなく震えている。その御言葉の意味に感極まり、俯き、眼鏡を外し彼は咽び泣いた。ダイヤモンドの眼が濡れて輝き、その髪も着水の衝撃で今までに誰も見たことない程に濡れ乱れている。

 何度か深く呼吸をし、やっとの思いで呼吸を整えてから、デミウルゴスは震える声で応えた。

「っ、……このデミウルゴス、喜んで忠誠を捧げさせて、頂きます!!」

 その答えに、モモンガはまた満足げに頷く。そして、辿々しくもアルベドの肩を抱き、パンドラズ・アクターの肩に手を乗せた。

「アルベド、パンドラズ・アクター、お前達もこれからも変わらず、私を、いや……、このオレを、愛してくれるか?」

「当然でございます……!! あぁ、世界で唯一愛しい、我が君!!」

「私の絶対であり唯一の方……、未来永劫に、このパンドラズ・アクターめは貴方様の為にあります」

 その大仰な答えに苦笑しつつ、有難うとモモンガはその言葉を受け取った。そして、その光景を横目で満足そうに眺めていたウルベルトに、じたばたと泳いで近づく。

 意外そうな顔をしてモモンガを伺う悪魔に対し、モモンガは我儘を続けた。

「ウルベルトさん、一緒に世界征服してください」

 それは、我侭と言うにはあまりに可愛げのない大それた願い。素材集めに付き合ってほしいと言うぐらいの軽さで言うには相応しくない言葉だ。

 しかし、ナザリック地下大墳墓を偵察なし一発クリアしようと言い出した彼の我侭だと思えば、ウルベルトには当然の、まったくもって自分の友らしい願い事に思えた。

「ナザリックに、残ってください」

 続く我侭には、呆れ混じりにウルベルトは笑って答える。

「それでまた、モモンガさんと友達に戻れるならお安い御用ですよ」

 これまたあっさりとしたその返答に、若干緊張していたモモンガは驚いたような声をこぼす。この期に及んでまだ断られることも考えていた慎重派の友に呆れながら、あっけらかんとした態度でウルベルトは応えた。

「モモンガさんとまた遊びたかったって、言ってるじゃないですか」

 こんな風にね、なんて戯けて言う悪魔に、アンデッドはからりと笑った。

 

 

 


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