魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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主演:捧げる者達 7

 

 

 

 

 

 ウルベルト・アレイン・オードルが大勝負に出た切っ掛けは、三つ。

 

 一つは愛に燃え盛るサキュバスから与えられた憎悪、一つは文字通り表情の読めないドッペルゲンガーからの警告、そして、果無い忠誠を傾ける己が生み出した悪魔からのいじらしい懇願だ。

 

 

 

 ウルベルトの世話係として側仕えになったのは初めはデミウルゴスだけ、後からアルベドが追加された。尤もらしい理由を並べ立て御世話係になった彼女は、完璧な微笑とともにウルベルトに頭を垂れた。

「至高なる存在であり、アインズ様の御友人でもあるウルベルト様の御世話係という大役を授かり、恐悦至極で御座います」

後から思えば、その時からウルベルトは背筋に薄ら寒い何かを感じとっていた。わざわざ作り上げたかのような完全な出来上がりの微笑む美女が、不気味に思えて仕方なかったのだ。

しかしそれを上手く指摘することも声に出すことも要望を出すこともできずに、ウルベルトは暫くの間アルベドを側に侍らせることになる。正に世界を傾けそうな程の美女が隣で完璧な微笑を浮かべているのに、ウルベルトにはそれを全く喜べなかった。むしろその微笑が仕事の為に側を離れる時には、心底安らぎを得ていた程だ。

 

 それに対して、やっと既視感に似た答えをウルベルトが得たのはナザリックを訪れてから五日目のこと。

初日に比べれば歓待の熱も流石に若干落ち着いてきた頃、第六階層の闘技場にて、ウルベルトがモモンガと共に夜空の下で色々と語り合っていた時だった。

 その時にモモンガとウルベルトは、まあまあくだらない積もる話をしていた。

なにせ互いに抱える今までのことだけでも話題は膨大で、この世界に来てからのことも語り足りない。話のネタは尽きず、草臥れる身体も無く無限とも言える時間を手に入れているとなったら、やはりダラダラと話し続けてしまうものだ。

側仕えのメイドも控えるデミウルゴスもアルベドも闘技場の観客席に腰掛けており、時折話に混ざりながら、のんびりと最初は時間が過ぎていた。

 

 しかし、暫くして至高なる存在が揃っていると聞きつけた手隙の下僕達が闘技場に集まってしまい、更にはモモンガが一緒に話をしようと誘った結果、我先に近付かんと押し合いへし合いになってしまい場が大混乱になってしまったのだ。

その混乱をおさめたのは統括の名を持つ彼女だ。

「ほら、アインズ様と、ウルベルト様にあまり御迷惑をお掛けしては駄目よ」

そう言って微笑んだまま、モモンガとウルベルトの周りに興奮のまま群がるナザリックの皆を嗜める彼女はまるで優しい母や姉のようだった。しかしやはりウルベルトには、その微笑も優しさも崇拝もただ恐ろしいものにしか思えなかった。

その黄金の瞳とぶつかり合った瞬間に恐怖を覚え、そしてやっと、ウルベルトはかつて自身が居た世界のことを思い出した。なぜ今の今まで思い出せなかったのかと自分を訝しく思う程に、それをウルベルトはよく知っていた。

 笑顔だが、いつか絶対に殺してやるという確たる決意を秘めた視線。

それは社会の下層でよく見かけた光景だ。絶対なる勝ち組、上層に君臨する者達に対して媚び諂いながらも、その眼からはどうしても憎しみと怒りは消せない。

貼り付けたまま微動だにしない笑顔も、上っ面だけの心のこもっていない声もその証拠だ。アルベドに敵視されているのだと、ウルベルトは漸くその時に気が付いた。あの自分に向けられる崇拝の姿勢はただのハリボテなのだと。

そしてその時から、アインズ・ウール・ゴウンが抱える秘めたる火薬庫にウルベルトは危機感を覚えていた。

 

 

 

 次に決め手となったのは、自称“反抗期”を迎えた宝物殿の領域守護者たるパンドラズ・アクターだ。

 

 べっとり付き纏われる被害者のモモンガ自身は、また訳のわからないことにハマってしまったと頭を抱え精神を何度も沈静化させていた。だがしかし問題を軽視しており、そのうち飽きるだろうと早々に諦め放ったらかしにしたのだ。結果的に、アルベドかパンドラズ・アクターのどちらか片方、もしくは両方が常にモモンガの側に必ずいることになっていた。

モモンガが苦笑している時、ウルベルトには全く笑えなかった。

自称“反抗期”のパンドラズ・アクターは、アルベドと同じ気配でじっとウルベルトを観察してくるのだから堪ったものじゃない。

やっと周囲が落ち着いたのを理由にアルベドから離れられたと思えば、今度はモモンガと会う度に警戒し殺意を撒き散らすパンドラズ・アクターだ。モモンガ自身は何も問題ないと本気で思っている様子だが、ウルベルトには全くそう思えなかった。それどころか、友達が呑気に地雷原で散歩しているのを見せられている気分だった。

 

 挙句の果て、廊下ですれ違った時にウルベルトはパンドラズ・アクターから警告されたのだ。

誰にも聞こえないように、暗殺者の刃物のように、するりと言葉をウルベルトの耳にパンドラズ・アクターは送った。

“巫山戯た真似をしたら殺す。たとえ父上に恨まれようとも”と。

今までの名前通りの張り上げた声は何だったのだと問いかけたくなる程の、全く笑えない冷ややかで静かな声だった。思わず振り向いたウルベルトの糾弾しようとした声はしかし、喧しい役者の声に掻き消される。

「おぉ、朝から偉大なるウルベルト様とすれ違えるとは、何たる幸福!!」

ウルベルトから離れ追従していたデミウルゴスと側仕えのメイドがくすくす笑って談笑を始めてしまえば、もう何も言えやしない。

「まだ“反抗期”を続けているのかい?パンドラズ・アクター、あまりアインズ様に御迷惑をかけるのは守護者としては如何なものかと思うがね」

「助言有難う御座います、デミウルゴス殿!それでは、私は父上の御尊顔を眺めに行きますので、Schönen Tag noch!」

肩をすくめるデミウルゴスと、苦笑するメイドから少し離れた場所で、独りウルベルトは冷や汗をかいていた。

 

 

 

 それらの経緯を踏まえて何かをしなければいけないという葛藤が生まれても、その結果ある作戦を思いついても、ウルベルトにはなかなか踏ん切りがつかなかった。

作戦が想定通りにゆけば全て丸く収まるが、そんな確約は当然誰もしてくれない。

下手をしたら、再会したばかりの友を傷つけるだけで終了するかもしれない。更に言うなら最悪、ウルベルトが死ぬ可能性もある。そんな作戦を、自分の一存でしても良いのだろうかという不安はどうしても拭えない。

躊躇し、今までのこと全てに対し見て見ぬ振りをするのが懸命なのではと、言い訳まで生まれてきてしまう。

 

 その迷える背中を最後に一押ししたのが、ウルベルト自身が作り上げた悪魔のささやかなる懇願だった。

 意を決した表情で現れた、モモンガ的な言い方であれば“自身の息子”に対し、今度は何事だと正直ウルベルトは初めはうんざりした。

しかもウルベルトが部屋で独り休みたいと伝えたのに、それを無視してまで現れたのだ。

丁度自身の行く先に頭を抱えていたウルベルトにとっては、ますます追い詰められたような気がして、不愉快だった。しかし、その嫌な感情はデミウルゴスからの懇願を聞いて霧散することになる。

 その懇願は、今までに心中に積み上げた靄を吹き飛ばすのには充分な、愛らしい願いだった。

今はアインズ・ウール・ゴウンを名乗るモモンガに、そして造物主であるウルベルトに共に忠誠を誓い捧げたいという、いじらしい必死な悪魔の願い。

「どうか、この身に余る願いを、聞き届けて頂きたいのです」

その決死の思いで伝えてきた願いを、デミウルゴスにさせたモモンガの伝えた想い。それを彼の口から聞いたことによって、ウルベルトはとうとう覚悟を決めた。

全てを捧げ守ってきた彼に報いるには、自分も全てを賭けるしかないのだと。

「デミウルゴス、勝負を仕掛けるぞ」

自身の真意と作戦を全て伝えたウルベルトは、自身の創り上げた悪魔が困惑し逡巡するのを感じ取る。

それも仕方ないことだろう。創った側として、この勝負が策士のデミウルゴスが嫌う賭け事タイプなのは、ウルベルトにも嫌というほどよく分かっている。周りのリアクション次第で成功も失敗も委ねられる、ウルベルトにとってもあまり好きではない、しかも一発勝負だ。

賭けた、負けた、また挑戦は決して出来ない。

「…私を創造してくださったウルベルト様と、私共と共にあってくださったモモンガ様のために、このデミウルゴス、全てを捧げます」

聡い悪魔のその答えに、ウルベルトは心からの謝辞を贈る。そうして、ナザリックの未来をベットした勝手な賭け事は始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九階層にあるバーの扉には、“CLOSE”と流れる文体で描かれた文字がぶら下がっていた。

その扉を、現在自室で謹慎処分中のはずのウルベルトは堂々と開いた。それは招かれて来たから、という事実もあってこその振る舞いだ。

 薄暗いバーにいる存在は、三つ。

シェイカーを振るマスターは居ないものとして扱うとして、カウンターに肩を並べるウルベルトを押し動かした切っ掛け二つに、彼は貼り付けた笑顔でにこやかに声を掛ける。

「やぁ、アルベド、パンドラズ・アクター。長くここを去って、不在にしていた罪は今回の件で許してくれるかな?」

ウルベルトに、顔のように配置された黒い三つの点と、端正な顔が向けられる。ただし美人は即刻顔を歪めた。この酒宴を称する腹の探り合いに招いたのは、某役者の方だ。アルベドはその知能をもって弾き出した結果から、仕方なく渋々とこの場にいるのだろう。

そのせいか、既に随分と飲んでいる様子だ。

「ふん、偉そうに」

「全くです!」

「おいおい、随分と冷たいな。あぁ、マスター、ギムレットを」

頷くマスターはアルベドの前に完成させたカクテルを置くと、さっそくウルベルトの注文に取り掛かる。

置かれたワイングラスの中にあるグラデーションになっている真紅を暫し眺め、アルベドはウルベルトを無視してこくりとカクテルを飲む。

「反抗期なのですよ、このパンドラズ・アクターも、守護者統括殿も」

そう言うとくいっと彼もロックグラスを傾け琥珀色の液体を、顔面の配置から口と思われる部位から喉奥に流し込んでいた。それを横目で見ながらウルベルトは内心、それどうやって飲んでいるんだよと思っていたが、わざわざ尋ねはしなかった。

いまは尋ねるべきことも、聞くべきことも、他にある。

「しかし、ウルベルト様、このパンドラズ・アクター、貴方様を見くびっておりました!…今回の件で、私も、渋々ながらも守護者統括殿も、貴方様を許すことに致しました」

自身の隣に腰掛けた至高の存在に、パンドラズ・アクターは嘘偽りなく心よりの賞賛を送っていた。

 至高の存在などという不和の元になりかねない、それも一度はアインズ・ウール・ゴウンを去りモモンガの心に暗い陰を落とした者達など、パンドラズ・アクターにとって本来不要の存在だ。だからこそ、至高の存在の探索隊をアルベドから提案された時に喜んで飲んだのだ。

当然その真意も全て汲み取ったうえでだ。

だがしかし、アインズ自身からの命令で肝心の探索隊は解体されてしまった。そうなってしまえば最早アルベドにもパンドラズ・アクターにも、他の至高の存在に対して帰ってくるなと願うしかない。

しかし、ただ願うことに何の力も意味も無いことなど、常識だ。願っていても、至高の存在の御意志が帰還すると決めた時には、守護者達に為す術など有りはしないのだ。

「貴方様のおかげで守護者の皆様の忠誠がどれ程か、試すことができました。本当に有難う御座います、ウルベルト様」

パンドラズ・アクターは愉快そうにコップに入った氷の塊を転がす。いや実際に、パンドラズ・アクターは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 ナザリック地下大墳墓の宝物殿守護者でしかない“パンドラズ・アクター”では出来ない、至高の存在である“ウルベルト・アレイン・オードル”だからこそ出来たあの重い問いかけは、パンドラズ・アクターが問い掛けたかったことだ。その答えまで確認できたあの結果は、パンドラズ・アクターにとって最高に満足ゆく結果だった。

「ナザリックの皆には苦しい選択をさせたな。まだ引きずって、思い詰めている奴もいるようだが…、これで良かったのか、パンドラズ・アクター」

「えぇ、この結果は父上のためになる。とても素晴らしい戦果でした」

淀み無く言い切るパンドラズ・アクターのその姿は、軍服がよく似合っている。そこに迷いも後悔も言い訳じみた何かも、何もない。あるのはただ一つ、成果だけを求めるという断言だけだ。

「……貴方の発言で、アインズ様、いえモモンガ様が私の好意に対し真剣に考えてくださるようになったのよ」

唐突に隣の隣から聞こえてきたその独り言のような発言が、酔ったアルベドの必死の感謝の言葉だと気付き、ウルベルトは苦笑する。

「なに、俺もモモンガさんの友人として心配になっただけだ」

マスターがウルベルトの前にカクテルグラスを置く。その爽やかな香りを楽しんでから、一口含みウルベルトは嚥下した。

「自分は遠慮ばかりして我儘を言わない…、今回の件だってナザリックを離れるなんて絶対に嫌だったはずだ。それなのに自分が貧乏くじを引けば丸く収まると判断したら、さっさと引退を決めた。モモンガさんらしいっちゃ、らしいんだけどな」

パンドラズ・アクターがグラスを降ろし、その手の中で解けた氷が振動で揺れた。からんと揺らぐ音がする。

「父上は、とても慈悲深い方です」

その声にはパンドラズ・アクターにとっての“唯一”に捧ぐ優しさと本音が、滲んで現れている。ウルベルトはデミウルゴスのことを想起し、やはりこの役者にとっての絶対の存在はこの世に唯一つなのだなと納得する。

「……俺以外のギルドメンバーが来てたら、あんまり面白くない展開になってたかもな」

「そうですね、貴方様が帰還されたのは、こちらにとっても幸運でした」

さすがに、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー全員がモモンガと仲が良い訳ではない。それに何よりも、モモンガのしたことを聞いて、ただ聞き流せる者達ばかりではないだろう。

ウルベルトのようにモモンガ自身と仲が良く、人間に対し元々失望していた様な元人間が現れたことは、彼らにとって本当に都合が良いことだったのだ。

(どっかの正義厨が最初に現れていたら、冗談抜きでナザリック内は崩壊していたかもしれないしな…)

折角の酒が台無しになることを思わず考えてしまったウルベルトは、杯を傾ける手をぴたりと止めた。不快な思い出を必死に忘れようとするその耳に、これまたぶっ飛んだ、それどころではなくなる思いがけない助け舟が隣の隣から飛んできた。

「…貴方、モモンガ様のことが好きなの?」

その唐突な爆弾発言に、しんと空間が静まり返った。そして、ウルベルトが爆笑しパンドラズ・アクターも噴き出した後にカウンターに沈み肩を振るわせる。

「ぶ、ははっ、こ、恋は盲目って言うけど、どんだけ必死なんだよ、アルベド!あー、笑いすぎて腹が痛い!」

「いやいやいや!統括殿のぶっ飛び具合には負けてしまいます!!」

「なっ、何よ!私は恋のライバルには全員釘を差しておきたいのよ!正妃は絶対に私よ!!」

さすがにここまで遠慮なく笑われれば、アルコールに関係なくアルベドも真っ赤になってしまう。がたりと立ち上がり必死に叫ぶ姿は可愛らしくもあり、そのアホ毛と腰の妖しい黒い翼はパタパタと忙しなく動いている。

「まぁ、友達としてな。今度こそ、ずっと隣あって、馬鹿みたいに遊んでいたいとは思うよ」

その発言で、腰を上げ興奮のまま翼を広げていたアルベドはようやく腰を降ろした。なによ私は愛に真剣なだけよと、ぶつぶつ言いながら、ワイングラスに残る液体をぐびりと飲む。その顔は変わらず赤い。

「それでは、我々はモモンガ様のためなら死ねる仲間ということで、絆を結びましょうか!」

グラスを持ち上げ、高らかにパンドラズ・アクターが言う。それにウルベルトは賛同しかねた。

「いや、死ぬのはちょっと…」

「何よ!友達でしょう!モモンガ様のために死になさいよ!」

「いや、重いわ。そんなんだからモモンガさん、若干引いてるんじゃないか?」

「えぇ!?なんですって!?この愛のせいで、伝わらないの…!?そんな、私は、どうしたら…!?あぁ、モモンガしゃまあああ!!」

「統括殿は実はだいぶ酔っておられるのではないでしょうか?」

パンドラズ・アクターの冷静な指摘に、ウルベルトは堪らず噴き出した。当然酔っ払いは酔っ払いらしく、毛程も酔っていないと自己主張している。

「あー…、でも、ずっと感じてることはあるんだよな、たぶん…」

グラスを傾けアルコールで口の滑りを良くしてから、ウルベルトは断言する。

「俺、友達のモモンガさんが殺されたら、世界を地獄の業火で焼き尽くすわ」

冗談でも、酒のせいでの勢いでもないと言うのは伝わったらしい。いやそれどころか、アルベドもパンドラズ・アクターも何を当たり前のことを言っているのだという空気を出している。

「あら、奇遇ね、私もよ」

「私もです!」

総意を得られたと認識したパンドラズ・アクターが仕切り直す。

「では我々は、モモンガ様が殺され…は、不敬かつ縁起が悪いので、モモンガ様が世界に否定されたら焼き尽くす仲間、ということで!如何でしょうか!」

そういうことならと、グラスが三つ持ち上がる。繊細なグラスのためにぶつけ合うようなことはしなかったが、各々の中には硬質な音が確かに響かせ合っていた。

 

 

 

 暫くして、ウルベルトは最初の一杯を飲み終えると立ち上がった。

「それじゃあ、俺はお先に。誰かに見つかる前に部屋に戻らないとな。その酔ったアルベドはお前に頼むわ」

「おぉ、なんと惨たらしい…!私めにこのような役目を押し付けなさるとは…!」

立ち上がりマントの皺を整えさっさと去ろうとするウルベルトに、まるでロミオに手を伸ばすジュリエットのようにパンドラズ・アクターが大袈裟に振る舞う。

「本当にいちいち仰々しいな…。あぁ、そういえばさ、パンドラズ・アクター」

バーの扉に手を掛け、ウルベルトはちらりと相も変わらずな顔をしている、アルコールを呑んだ意味はあるのかと言いたくなるようなパンドラズ・アクターに問いかけた。

「お前、俺を焚き付けたか?」

じっとその空虚な点に見詰められ、思わずウルベルトはぎくりとする。しかし返ってきたのは道化の返事だ。

「んー、何のことだか、さっぱり分かりかねます!」

「…そうかよ」

元々問い質す気は無かったウルベルトはあっさり諦め、扉を開けようとしていた手に力をいれる。

「ただ、私の名前の意味を、今一度御考えあそばせていただければ、と」

バーから出て行ったウルベルトが振り向けば、扉が閉まり切る前に、その向こうでお辞儀するパンドラズ・アクターが見えた。

崇拝から象るお辞儀ではない、舞台役者のそれだ。観客に対し、ご来場有難う御座いましたと伝えるそれは、そっと閉まる扉向こうに消えていった。

カーテンコールも御免だと、ウルベルトは内心で毒吐き急ぎバーの扉に背を向けた。その視線の先には、忠義の見本を見せるかのように頭を下げたデミウルゴスがいた。

 

 

 

 

 

 場所とウルベルトの抱える事情で、跪きはしていないがそれでもきっちりと頭を下げたままのデミウルゴスにウルベルトは頭を上げるように指示を出す。 

「お話が問題なく終わったようで宜しかったです。しかし、今後はもう少し安全な策をとっていただければと…、ウルベルト様?」

「んー、いや、モモンガさんも大変だなぁと思ってな」

少しくたびれた様子のウルベルトに、何か問題でもあったのかとデミウルゴスが心配そうにする。

「何でも無い、気にするな。それよりもデミウルゴス、俺は悪魔だと言っただろう」

にやりとウルベルトは笑い、歩き出す。それはウルベルトの自室とは真逆の方向で、戸惑いながらもデミウルゴスは追従する。

「悪魔はやりたいことをやるだけだ。俺の願いを叶えるためなら、何だってしてやる」

「左様で御座いますか、それは、とても尽くしがいがあります」

「ははっ、そうだろう!さて、少し遊びに行こうか、デミウルゴス。謹慎は退屈だ」

ふるふるとデミウルゴスが首を横に振る。追従しているので、その動作は見られていない。ただ忠言を呈する自分に活を入れるための行為であった。

「ウルベルト様、謹慎中なのですから、そろそろ御部屋に戻らないといけません。仮に街に出るとしても、護衛を規定数以上は付けないといけませんし…」

「悪魔が堅苦しいことを言うなって」

「……五分だけです」

「はいはい、十分な」

ウルベルトはデミウルゴスの指からギルドの指輪を抜き取ると、忠言に耳を貸さずに転移していった。そして更に、一度だけ訪れたエ・ランテルの王城にウルベルトは転移を重ねる。

 

 

 

 誰も居ないエ・ランテルの玉座の間は闇夜に溶けている。まるでその闇から溶け出たように、ウルベルトは現れ、《不可視化》を自身にかけるとテラスに出た。

夜風は気持ちよく、謹慎中の悪魔の身に祝福のように注がれる。眼前に広がる賑やかな輝きに満ちるアインズ・ウール・ゴウン魔導国の夜景に、悪魔はにんまりと笑みを深くする。そこに満ちるのは、悪魔にとって不愉快な幸せそうな明るい声と輝き。だがしかし、その全てがアインズ・ウール・ゴウンを育むための栄養素なのだと思えば、悪魔としても酷く愛しく思えた。

 

 あぁ、なんて美しい国だろう。どうせ同じ檻の中で暮らすなら、灰色よりも黄金の檻が良いに決まってる。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルは、心よりの賞賛を魔導国に送った。

 

 

 

 

 

 

 


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