コキュートス城内にある隠し扉の先にある地下、正確に言えば魔法で作成された異空間へと至高なる存在は去ってしまった。
その背を見送り、取り残された守護者達は、ただ黙り込んでいる。華美な装飾品に埋め尽くされた室内には、重苦しい空気が流れていた。
その沈黙を初めに破ったのは、デミウルゴスの美声だ。
「行ってしまわれたね…」
哀愁の滲むその呟きにも反応せず、パンドラズ・アクターはじっと、父の消えた先を幼子のように見詰めていた。本棚の後ろに現れた、螺旋階段の奥にある闇を。その向こうに居る尊き存在を、ひたと見詰め続ければ捉えることができるのかの様に。
「…失礼、私めは少しの間、席を外したいと思います」
次に口を開いたのは執事、セバス・チャンだ。その目に滲む煌めきを一瞥し、悪魔が優しい声音で語りかけた。
「今更、私達の間に隠し事なんかする必要があるのかい、セバス」
背を向け去ろうとしていたセバスが、その問い掛けにぴくりと反応して立ち止まる。
「気持ちはよく分かるよ。私も、ウルベルト様と再会できた時は取り乱してしまった。それを思えば、まだ帰還を決められていないたっち・みー様のため、執事として自身を律しここまで立派に振る舞った君は、賞賛に値するよ」
本当に、と念押ししてデミウルゴスは褒めちぎる。それは嫌味なんかではなく、彼の正直な気持ちであった。
「同じ立場に立ったことのある者として、君を、心より尊敬しているよ」
彼の口から溢れるのは、耳障りの良い賛辞の声。しかし非常に珍しいそれらに返ってきたのは、苛立ちを隠しきれていない、軽蔑すら滲むような棘のある言葉だった。
立ち去ろうとしていたセバスは、視界を滲ませる存在を親指で乱暴に拭う。そして眉間の皺を深くし、デミウルゴスに向き直った。
「隠し事ならば、あるでしょう」
その発言に、デミウルゴスの笑みは瞬時に消え去る。
「…すまない、先程の尊敬するという発言は君の愚直さで打ち消されたから取り消すよ、セバス」
「構いませんよ、デミウルゴス様」
先程までの友好的な空気など、瞬く間に消えてしまっていた。言ってしまえば普段の、正に犬猿の仲といえるピリピリした空気に、場がガラリと変わる。
さすがにパンドラズ・アクターもそれには警戒し、視線だけをやっと、対峙し合う彼らに向けた。
「それでは、説明をして頂けるのでしょうか?私が、唐突に、帝国から一番遠方の冒険者組合支部で冒険者の方々の訓練相手に抜擢された件。それが、」
それは普段と変わらない丁寧な口調のままだが、あからさまに苛つき、攻撃的な物言いだった。
「その長期出張期間が、どう考えても、貴方とウルベルト様がたっち・みー様を見つけられた時期と、被る事について」
「君らしくないね、セバス、嫌味かい」
くっくと喉を鳴らし小馬鹿にしたように嘲笑う悪魔は、こてりと首を傾け、平然と答える。
「単純明快だろう?あの御方を殺す時に君が居るか居ないかだけで、勝率は大幅に変わってしまうのだから」
「デミウルゴス…!!」
憤怒を爆発させるセバス・チャンの前に、先程まで全く動く気配を見せていなかったパンドラズ・アクターが立ちはだかる。悪魔に掴みかかろうとしていた手が突然のことに止まり、その眼は怒りを孕んだままじっと目前のドッペルゲンガーを睨んだ。
「失礼ながら、執事殿、その怒りは私共から言わせれば、間違ってますよ」
「それは、…っ」
自身の創造主に対する不敬と殺意。それに怒りを覚えることも、それ自体が誤りだと言われ非常に不快に思うことも、NPCにとって当然のことだ。しかしセバスは、パンドラズ・アクターに対して何も言うことが出来ない。未だ理性が完全に消えている訳ではない彼には、その指摘の意味が理解できてしまったのだから。
激しい怒りと正しい理性が互いを打ち消し合った結果、セバスは何も言えず、行動もできなくなっていた。
「…間違っていないのでしょうか?それはそれで、大変問題ですな」
パンドラズ・アクターの嫌味な指摘が続く。笑うはずがないその顔から嘲笑を感じとり、不愉快に思いながらも、それでもセバスは口を閉ざしたままだ。彼の創造主が迷っていたように彼も、指し示された行き先のどちらを選ぶかなど、決めきれていなかった。
「ここは、至高の御方からの御言葉を拝借させて頂きましょうか!」
その芝居がかった言葉は、セバスにとっては酷く鬱陶しいものだった。その質問を装った皮肉と嫌味はネチネチと、セバスを責めているだけなのだから。
「セバス・チャン殿、貴殿は、その忠誠を誰に誓っているのでしょうか!?」
そののっぺりした顔をぐいっと近付け問い質す被造物は、当然無表情だ。だがそれでも、何もかも分かったうえで質問し笑っていることが伝わってきて、セバスは非常に疎ましく思えた。
「…私めは、」
その答えを、口から出すことを、しかし結局セバスはできやしなかった。その口から回答が出ることは無く、沈黙が再度訪れる。
暫し流れたその沈黙から、責め立てられている様な気持ちになっていたセバスに助け舟を出したのは、意外なことにデミウルゴスだった。
「パンドラズ・アクター、そろそろ意地悪は止めないかい?君は、ずっと父君が傍に居たから分からないだろうが…、それは本当に、苦しいことなんだ」
背後から掛けられたその言葉には、パンドラズ・アクターも些か驚いた様子だ。しかし流石に感じ入るところがあったらしく、落ち着いた声音で反省の弁を述べた。
「…そうですね、まだ父上と至高なる御方々の話し合いの結果も出ていないうちから…、大変失礼しました。…どうやら、頭に血が上っていたようです」
親しい悪魔からの嗜める声を聞き入れたドッペルゲンガーは執事から離れ、再度丁寧な詫びを入れた。その謝罪を、執事も快く受入れる。
「気にしないでください。…デミウルゴス、私も頭に血が上っていました。貴方はあくまで最悪の事態を想定して行動しただけ、そうですよね?」
「あぁ…、当然だろう、セバス。我々は、アインズ・ウール・ゴウンに君臨する至高の方々のため、ナザリック地下大墳墓を護るため、あの御方々から生み出された存在なのだから」
「……分かっておりますよ…」
落ち着くためか、机上で寂しく放置されていた水差とグラスで水をあおっていたパンドラズ・アクターが、飲み終えたグラスをことんと机上に戻す。そして、くるりと半回転し、まるで台詞のように朗らかに述べた。
「話合いが良い形で纏まることを私も願っています!私達は、大切な仲間同士なのですから!」
しかし、まるでその声音と真逆のように執事の顔は暗いままだ。
「今は確かに、そうですが、しかし、」
「単純明快な話ですよ」
視線を落としていたセバスが顔を上げると、そこには相対するデミウルゴスとパンドラズ・アクターが居た。
その細長い指が、セバスの立つ足元を指し示した。
「対立するなら、我々は全身全霊をもって、モモンガ様とウルベルト様の敵対者を殺し尽くすだけです」
セバスは指し示された足元を見詰め、誇らしげに立つ守護者達に目を遣り、そして偉大なる創造主と慈悲深き支配者と絶対の君臨者の消えて行った先を見詰めた。
「…私めは、たっち・みー様に造られた執事。主のお側に控え、ご命令に従うこと。それこそが、執事として生み出された私の存在意義」
それは、天地がひっくり返ろうとも揺るがない事実。それを確かめるように、セバスは呟く。
「願う立ち位置なぞ、主の傍ら、ただそれだけ。その主を自ら選ぶなど、大変おこがましいことにしか思えません。ですが、」
セバス自身の内には、唯一つの欲望だけがあった。
「間近で最期の時まで見守ることが出来たならと願っているのも、事実です」
彼らが誇らしげにしているのに倣い、セバスも胸を張り、その想いを言葉にした。
「あの御方が振るう、正義を」
問いに対する答えではない、ただの彼の願いを聞いて、同じ造られた存在は、わらっていた。
女神と悪魔の彫刻が施された巨大な扉を、セバスは見つめる。そして、自身の背中側に居る、造物主に思い馳せる。
心より望んだ、一時的とはいえ、至高なる方の帰還の時。それに対して溢れ出る喜びは、セバスにとって紛うこと無き事実だ。しかし、それと同時に抱く憂いも、悲しいかな嘘ではなかった。
悪魔の優しい声と、ドッペルゲンガーの嫌味な問い掛け、そして、ずっと傍に居てくださった慈悲深き支配者。それらが、セバスの心内にひっそりと影を落としている。
可能性として存在し続ける、その時と選択肢。それの結論など、当然セバスの中で未だ絡み合ったまま、解かれる気配すら見せてもいない。
それでも、全ては勝手に進み、どこかに帰着してゆく。
その諦めにも似たセバスの複雑な心情を反映したかの様に、とうとう扉が動き始める。その動きは滑らかで、時の本流の如く淀みが無い。
開かれた扉の向こう、ナザリック地下大墳墓の最奥に、そこで生まれた者達と支配者が集まっていた。
緊急招集ではなかったため整然と並ぶナザリックの子供達は、僅かでも音をたてることすら主人に対し無礼だと言わんばかりに黙り込んでいる。結果、玉座の間はそこに居る生物とアンデッドの数に反し、静まり返っていた。
本来ならば絶対なる支配者に対し頭を下げているはずの彼らは、背筋を伸ばして緊張した面持ちで玉座へと続く道を見詰めていた。期待や不安、戸惑いまで混ざり、様々な表情を彼らは披露している。
それらを一瞥し、セバスは情けない思考全てをかなぐり捨てて、堂々と至高の存在の帰還を告げた。
「たっち・みー様、御入室されます!」
ナザリック地下大墳墓の執事の凛とした声が響き渡り、そして、硬質な金属音が一つ続いた。一旦その身を隅に移動させた執事は、自身の後方から現れた存在に対して深く頭を下げる。
扉の向こうから現れたのは、輝く白銀の鎧を纏い、燃え盛るような赤いマントを風も無いのに室内ではためかせている聖騎士。
アインズ・ウール・ゴウンにその御名を嘗ては列ねていた、至高なる存在、たっち・みーであった。
本来なら、その登場に対し拍手と歓声が鳴り響くところだ。だが、前回帰ってきた者によって植え付けられたトラウマのせいで、彼らの複雑な心境が反映され、控えめな拍手のみが行われた。何よりも嬉しいはずの至高なる存在の帰還は、彼らの中ではすっかり不安の種になってしまっていたのだ。
その反応をさして気にする様子も無いたっちにセバスは内心ほっとしながらも、追従し始めた。
複雑な色合いの視線を一身に受けながら、たっちは視線を迷わせることもなく歩んで行く。巨大な扉から、唯一の座へと真っ直ぐ続く用意されていた道を。
たっちが現れた扉と相対する壇上にて、ナザリックの子供達が忠義を誓う支配者達も、彼を見詰めていた。しかし子供達と違って支配者達は、常と変わらぬ鷹揚とした態度のままだ。
モモンガは玉座に腰掛け、その一段下では、モモンガと同じくナザリックに君臨するウルベルト・アレイン・オードルは、悠然と立っていた。そこに不安の色は一切ない。
それでも静かな興奮と僅かの不安に浸りながら、ナザリックの子供達はじっとその至高の存在を見詰め続けた。
そうして静かに歩みを進めた彼は玉座の前へと到着すると、その足を止めた。その瞬間、一部の守護者達は体がこわばるのを感じていた。何か起きるのではと、警戒心を咄嗟に抱いてしまったのだ。しかし、たっちは軽くモモンガに会釈をしただけで何もしない。
それに対し、それでも警戒心を抱きつつも、何事も起きなかったことに彼らはこっそり安堵の息を吐いた。
それと同時に、至高の存在が帰ってきたことを素直に喜べない自身の心境変化に嫌な苦しみを覚える。そして、彼らは妬またしいという気持ちも含んだ睨みを、この場で動揺なぞ一切していない者達に送りつけた。
今この時、玉座のある壇上にて、立つことを許されている守護者達を。
玉座の右手側に居るアルベドも、左手側のパンドラズ・アクターも、その表情を常のそれから何一つとて変えていない。面を貼り付けたかのような完璧な微笑と、表情不明な唯の黒い三つの点そのものだ。ウルベルトの居る所より下にて、優雅な立ち姿を披露するデミウルゴスも、常と変わらないあくどい笑みをたたえていた。
仮に次の瞬間に騎士が牙を剥いたとして、彼らが何をし何を優先させるかなど、明白なことであった。
しかし現状は、何も起きていない。また、何か起こす気も全くない様子の騎士に対して跪く守護者達は胸を撫で下ろす。何事も無く終わるのかと、ナザリックの誰もが内心ほっとしていた。だがしかし、たっちが玉座ではなく隅へと移動を始めたことで、彼らは一斉に動揺し、ざわめき始める。
移動したたっちがナザリックの者達と玉座側の境界線を睨むように立ったことで、彼らの落ち着いたはずの心境は、また簡単に困惑の色に変わった。
「たっち様…?」
「何故アノヨウナ隅ニ御立チニナラレテイルノカ…」
「お、お姉ちゃん、なんで、たっち・みー様は…、」
「私に聞かないでよ!」
どこにも属さないような場所に立つたっちに対し、流石の守護者達も困惑と疑念の視線をたっちに送ってしまう。そんな彼らの疑問は、玉座からの声によって答えられた。
「まず説明しよう。たっちさんは正式に、アインズ・ウール・ゴウンに帰還はしていない。ウルベルトさんの時と同じく、客人待遇で受け入れよ」
ナザリックの者達は、胡乱なる者を見るような視線を隠せず、不安げにちらりとたっちの方を伺う。ウルベルトが帰還する前なら有り得なかった感情が、ナザリックの者達には芽生えていた。
その姿に、内心舌なめずりをする者達が居た。分厚い笑顔、もしくはポーカーフェイスでドス黒いその心を上手に隠すのは、忠誠を捧げる相手を既に選び取った者達だ。彼らには、全くもって迷いも不安も無い。
今は未だ愛しい仲間達だが、選び取った結果次第では敵となる、そのことに対しては些かの同情を抱きつつも、彼らは冷徹に周りの動向を見張っていた。
「次いで、これは今は関係ないのだが、せっかく皆が集まっているのだから伝えておく。…ウルベルト・アレイン・オードル、そしてデミウルゴス、前に」
名を呼ばれた悪魔達は、壇上から下りてナザリック地下大墳墓の皆の前へと歩み出る。ウルベルトは愉快そうに口元を歪めており、デミウルゴスは緊張しつつも誇らしげな様子だ。
今度は何事だろうかと、しかし相手が相手なので不安ではなく好奇心と喜びを胸に、ナザリックの者達はそわそわし始めた。
「ウルベルトさんにはナザリック遊軍隊の隊長を、デミウルゴスには副隊長を務めて貰う。そして、遊軍隊は第七階層の全ての者達が請け負うように」
一瞬の静寂、そして割れんばかりの拍手と咆哮が響き渡る。特に、第七階層の者達が居る場所からは、桁違いなものが巻き起こっていた。
「平時は今までと何も変わらない。だが有事の際は、ウルベルトさんとデミウルゴスの独自判断でアインズ・ウール・ゴウンにとって最善と思える手を自由に行える権限を与える。報告から行動まで全て、自由だ」
歓声に対し軽く会釈をした後、デミウルゴスはモモンガに向けて膝をつき頭を垂れ、忠誠の儀を示す。
「遊軍隊副隊長のお役目、拝命させて頂きます。絶対なる勝利、そして永劫の繁栄を、御身に御約束致します」
その力強い言葉に、祝福と称賛を伝えるが如く、大きな拍手の波が再度巻き起こる。そして、続いてウルベルトがナザリック地下大墳墓の皆に向け優雅にお辞儀をした。偉大なる御方のそれに一瞬呆け、慌てて子供達は頭を下げ、そして祝意を示す。
「ウルベルト・アレイン・オードル様万歳!!」
「至高なる存在に忠誠を!!」
「第七階層の命は全て、ウルベルト様とモモンガ様に捧げます!!」
その声に礼を述べてウルベルトは、マントを翻し玉座へと向き直る。そして、モモンガに向かい、一歩進んだ。その靴音が、また玉座の間に嘘のように響き渡る。
それは嘗ての悪夢のような光景を思い出す姿だ。だがしかし、ナザリックの者達の心中に不安は一切沸き上がらなかった。ただじっと彼らはその光景に目を奪われていた。
玉座からモモンガも立ち上がり、一段下へと進んだ。
まるで神話のワンシーンを切り取った名だたる絵画を見たかのように、ほぅと感嘆の溜息をナザリックの子供達は思わず漏らしていた。
モモンガのスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが床を突く音が、響く。モモンガがスタッフを傾け、数段下で軽く頭を下げるウルベルトの左肩にそっと当てた。
「ギルドマスターと、アインズ・ウール・ゴウンに、このウルベルト・アレイン・オードルが絶対の勝利を約束しましょう」
その約束の御言葉だけで、ナザリックの涙腺を所有する者達は歓喜のあまり泣き始めてしまう。その胸に満ち満ちる喜びだけで、死んでしまっても構わないと彼らは純粋に思っていた。それほどに幸せだったのだ。
「有事の際は任せました、ウルベルトさん」
「えぇ、任せてください、モモンガさん」
顔を上げたウルベルトとスタッフをその肩から上げたモモンガに、波のように徐々に大きくなる拍手が届く。
ナザリックの者達は咽び泣き、肉体の事情で泣けない者達は必死に拍手を鳴り響かせ咆哮を上げていた。中には喜びが強すぎて、ただ只管に至高なる方々をうっとりと眺めている者達もいた。
それは先程まであった客人として帰還した存在に対する不安への反動もあり、その熱はなかなか収まりを見せない。
「いやぁ、参ったな。ただ任命されただけなのに、ここまで泣かれるとは…」
「とりあえずウルベルトさん、手を振ってあげて。ほら、テレビで芸能人がしていたみたいに」
「マジで?やんなきゃ駄目?」
「子供達のためです」
ひそひそ話をばっさり切られたウルベルトは仕方なしに、子供達に向き直り手を振ってみた。結果、物凄く嬉しそうな子供達の声と拍手が一段とボリュームを上げて響いたのだった。
遠い目をしているモモンガとウルベルトを眺め、たっちはこれが何か異常が起きた故の過剰反応ではなく、常日ごろからナザリックの者達はああなのだと理解した。いや、理解せざるを得なかった。
ナザリックの子供達に対し、軽く会釈をし手を振る悪魔はまるでファンに応える人気芸能人だ。投げ遣り気味だが、それでも子供達の望むまま手を振ってあげているウルベルトを見て、あの山羊でも気遣いとかできるんだなと、若干失礼なことを思いながらたっちは呟く。
「……………これは、なるほど、これが話に聞いていた愛が痛い、か……」
たっちが何事か仰せになったのが微かに聞こえた執事が、慌てた様子で早足でその傍に近づき、尋ねる。
「たっち様?如何されましたか?」
そんな堅物な執事の目尻にも、涙が浮かんでいるのを見て、たっちは愕然とした。
「……マジか」
「まじか?」
「いや、何でも無い…。気にするな、セバス。ただの独り言だから」
「左様で御座いますか…?」
納得していない様子だったが、たっちが何でも無いと言ったためセバスはプレアデスのリーダーとして立っていた場所へと戻って行った。
少しして、場が漸く落着き、モモンガの咳払いが響いた。
肝心な話を一番最後に持ち出すのは間違っていないことだろうが、予定よりも草臥れているなと思考がぶれ、モモンガは再度咳払いをした。集中しろと自分に言い聞かせ、モモンガは子供達を見渡し、そしてたっちに視線を遣った。
そこでやっと、緊張感が帰ってくる。
「さて、次にスレイン法国を殲滅する件だが計画後半が大幅に変わったので今から説明する。この件に関することが理由で、たっちさんは一時帰還をしたので計画にも関わってくる。これからの説明が終わったら各自、自由に選んでくれ」
正式に帰還をしていないのに作戦に関わってくる、告げられた言葉に動揺を隠せない者達ばかりだ。
何よりも、モモンガの口から出た“選ぶ”という言葉。それにはやはり、不安になってしまう者達が多かった。しかし、彼らの愛する偉大なる支配者は変わらずどっしりと構えてあり、悪魔も余裕の笑みのままだ。それに対して喜びと安堵を抱きながら彼らは、その御言葉を賜った。
「黒と白の陣営、どちらか好きな方を」
そうして漸く、ナザリックの者達にゲームルールの説明が行われた。
一国を盤上にしたそのゲームに、無垢な子供達は目を輝かせる。至高の存在と一緒に遊べるゲーム、それだけでも彼らにとっては垂涎ものだ。しかし、一抹の不安が彼らの瞳には確かに宿っていた。その不安げな視線は、壇上から離れた場所にいる至高の方へと静かに集まっていた。
その様子を眺め、セバスは溜め息を吐き出したくなるのを堪える。
あたかも不安も悩みなども無いのだと言わんばかりに胸を張り、堂々と立つことを頭のてっぺんからつま先まで意識した姿。執事としてではなく、造物主を支える忠実なる被造物として、彼はそこに立っていた。
ナザリックの者達の様子をこっそり伺っていたセバスは、次に、玉座とその壇上にいる存在へと意識を向けた。
そこに居る悪魔は変わらぬ笑顔のまま、ドッペルゲンガーもポーカーフェイスのままだ。しかしどこか、あの時と同じ、同情にも似た優しさが漂う表情に滲んでいるとセバスには思えた。
あの時と変わらない雰囲気を漂わす壇上の彼らを、セバスは見詰める。そして、ちらと再度たっちをセバスは盗み見た。
先程、御方が何事か呟いた時は聞き逃してしまっていたことを、セバスは大変後悔していた。
身の程知らずなことだが、きっと偉大なる造物主は自分と似たような不安を抱かれてるに違いないと、セバスは考えていた。先程の呟きは、もしかしたらその不安を吐露されていたのかもしれないと。聞くことが出来ていたならば、ほんの僅かでも、御支えすることが出来たのかもしれないと。痛烈な後悔が、セバスの胸中にはあった。
「…」
無意識に俯いてしまい、セバスはふと、あの時に指し示された自身の足元を再度見詰めることとなる。そして顔を上げてまた、誇らしげに立つ守護者達に目を遣り、そして偉大なる創造主と慈悲深き支配者と絶対の君臨者とを見詰めた。
そして、殺し尽くすことを彼らが選ぶならと、決意した。自身は、生かし尽してみせようと。
尊き存在が殺し合うことも、尊き存在が胸を痛められるような殺し合いも、与えられた力を全て使って、止めるのだと。
自分は選んだと、意志を伝える如くセバスは睨む。それが伝わったのかは分からないが、確かに彼が笑ったようにセバスには感じ取れた。