魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

22 / 37
純黒01

 

 

 

 

 

 何故、こんな待遇を受けているのだろうかという何度目か分からない今さら無意味な自問自答を、男はまた抱く。

繊細な彫り込みの入ったキラキラ輝くスプーンとナイフとフォーク、そしてモーニングスター。血が滴る新鮮なバラバラ死体が、何体も。それらが目前の机上で、ただ使われる時を待っているのを、男はぼんやりと見ていた。

 男は、スレイン法国の戦士として最後まで戦おうとし、あえなく魔導国側に捕まった哀れな捕虜である。一つの部隊を率いる隊長でもあり、北西に向かったと報告があった魔導国の黒い馬車を追いかけ、偵察する役目を担っていた。

 

 

 

 

 

 スレイン法国の北西、周りは雄大な自然に囲まれた僻地にあるその都は、六大神に見守られる荘厳なる宗教都市と謳われていた。

 

 巨大な崖と湖の間に細長く広がるその都市は、神の御加護を得るために人々が多く訪れる場所だった。都市の背にある崖に彫り込まれている巨大な神々の御姿は、信心によって成された大業。それによって常に神々に見守られている神聖なる清らかな場所だと評判が高く、知らない者は少ない。

 都市の前に視界いっぱい広がる輝く湖は、まさに神の愛と恵みそのものの如く壮大で、全てを祝福し受け入れるかのようであった。当然人々もそれを愛し、神聖なるものとして扱っていた。その都市に暮らす法国の人々にとって、神々の像と湖の水に祈りと感謝を日々捧げるのは産まれた時からの習慣であった。

 そして、そこは戦時にも役に立つ構造となっていた。

 自然の城塞に幾重にも取り囲まれたそこは、大軍を一斉に送りこめない立地によって攻める側としてはとても厳しいものだ。都市の中央神殿では、儀式によって常人では到達不可能な魔法を行使する準備が常に備えられている。そこは、有事の際には反撃の役目も担っていた。

 また、都市はいつでも籠城戦に移行できる程に万全の管理がされていた。

常日頃から悪天候などで道が絶たれると補給が厳しくなるということもあり、街内の備蓄管理は厳しく事細かく行われていた。それと同じく、その都で暮らす魔法使い達も使用可能な魔法とその種類を全てしっかり街に把握されていた。それらによって常に、ありとあらゆる緊急事態に対応可能な常態維持がそこでは行われていたのだ。

 

 

 

 それ故に、男は信じられなかった。

彼も、その配下も悪夢を見ているのか、それとも厳しい地形の中を密かに移動するうちに道に迷ったのではないかと、疑った。いや、そうだと信じたかった。しかしいくら待っても、宗教都市が元々存在していたと思われる場所にある残骸の山は消えやしない。その瓦礫の山にて主張する高々と掲げられた敵国の紋様が入った巨大な旗も、決して消えやしなかった。

 一等小高い所にある旗は、間違いなくアインズ・ウール・ゴウン魔導国の国旗。中央にてたなびくその巨大な旗の棒を支えている存在は骸骨と、そして人間だ。血を流し項垂れる人間は、茨で拘束され膝立ち状態で旗を支え続けている。

それ以外の無数にある同じく人間と骸骨に支えられた旗は、男の見知らぬ紋様の入った細長い燕尾型の旗だ。その燕尾型の旗は全てを吸い込む様に黒く、赤い縁と細い十字架が描かれている。

 

 遠目からでも嫌でも分かる、法国側が完全敗北をした姿に、男も部下も膝から崩れ落ちるしかない。

 彼らが把握する限り、魔導国側の馬車が法国の宗教都市に到着してから、一日、長くとも四日しか経過していないはずだった。それなのに、かの壮麗な都市はその美しさも厳かさも全て破壊しつくされ、ただの塵芥に変えられている。挙げ句の果て、神聖なるものとして扱われてきたはずの湖上には冒涜的な砦が造られていた。それが、おびただしい数のアンデッドを組み合わせ造られた物と気付いた時、彼の配下数名は嘔吐した。

そこに広がる全てが、悍ましいという言葉でも足りず、バケモノ共を殺し尽くしたいと思うには充分すぎるものだった。

しかしそれでも、彼は隊長として撤退を決めた。情報を欠片でも集めて本陣に戻る、その使命を全うできないのは彼にとっては悔しくて堪らない。だが現実問題、遠くからの観察以外が出来る状況ではなかった。

潜伏予定だった街は文字通り跡形もなく、アンデッドの足場に法国の兵士が足を乗せればどうなるかなど火を見るより明らかである。この惨状を伝え、上の判断を仰ぐしかなかったのだ。

 そうして撤退を始めた男と部下達は、鬱蒼とした森の中で、今までに見たことも無い形容し難い存在と出会う。

 山羊頭で二足歩行し、漆黒の衣装に金の細かい細工と宝石飾りを贅沢に施した、優々と佇む何かを。そして、銀の尻尾を持つ蝙蝠の翼を生やした悪魔を。

 彼らの進行方向上空に突然現れたそれに対して、法国の兵士達は戸惑う。彼らの経験値が、山羊頭のそれを亜人種と断定できなかったのだ。得体の知れない恐ろしい何かだと本能がざわつき、彼らは鳥肌をたたせる。

見た目に凶悪さは無く寧ろ華やかで品があると言って良い程なのに、彼らは理由も分からないまま、ひたすらに怖気走っていた。

「てっきり旗の人間を助けに行くかと思ってたのに、冷静な判断をするんだな。おかげで賭けに負けてしまったよ」

「人間の思考を読むのは難しいですね。私も半分が残り半分が撤退ですので…」

「そっちの予想が当たりに近いな。何か賞品を用意した方が良いかな?」

「そんな、滅相もない!」

そのゆったりした会話は、完全に法国兵士達を無視したものだ。あまりにのんびりしたもので、混乱したまま法国兵達はただ見上げていた。

「おっと、いけないいけない。お待たせしたね、諸君」

黒檀のマントを優雅に月夜に光らせて、蹄が地面に付く。銀の尻尾も、ゆらりと地面を撫ぜる程近づいた。

「さっそく始めましょうか」

会話が終わり、そして淡々と放たれた魔法一つで男の配下はあっさり殺される。

先頭を駆けていた兵士一人を殺した前後もずっと、雑談していた悪魔達は何もなかったかのようである。その優雅な立ち姿のまま、何一つ変わらない。

「………っ!!クソックソックソが!!このバケモン共が!!」

あまりに呆気なく大事な部下の人生を終わらされた男は怒り狂い、山羊頭のそれを口汚く罵る。任務がまっとう出来なかった悔しさもあり、彼は怒りのままに振る舞った。そんな彼に引っ張られた部下達も、激情のままに叫び敵へと突貫してゆく。

 山羊頭の彼が爆笑していること、銀の尻尾の悪魔の眉間のしわ、それらの意味など考えぬままに。その行為を後悔し、死んで逝った一人を羨む、とても近い未来など知らぬままに。

そうして彼らが向かった先は、地獄以上の地獄であった。

 

 

 

 そこは、法国の宗教都市が誇りにし大切にしてきた湖の上。

 無数のアンデッドで湖の上に築かれた砦には、派手なストライプ模様の巨大な丸型テントが幾つも並んでいる。

まるで人を小馬鹿にするような派手な色合いは、中では楽しい催し物をしているのではないかと思わせる様な色合いだ。テントそれぞれ色の組み合わせが違うが、どれもが明るく、可愛らしい彩りをしているのは共通していた。そして、喧しいその色合いとは真逆に、どのテントからも不気味な程に何も聞こえてこないことも同じである。

 その内の一つに、赤と黒の縞模様の派手なテントがあった。

その中には、簡素な黒い檻と血まみれの道具とまだ血塗れじゃない道具が転がっている。そして、男と彼の部下達が括り付けられた椅子も。

幾つもある積み重なった檻の中には、性別と年代によって分類された人間が詰め込まれていた。少女達は身を寄せ合って啜り泣き、中年女性の幾人かは壊れたようにぶつぶつと祈りを捧げ、虚ろな目をした老人は天の迎えを待つかのように虚空をぼんやり見上げていた。

 無駄だと分かっているはずなのに、後悔するだけと解っているはずなのに、救いを求めて彼はまた辺りを見渡した。

繊細な彫り込みの入ったキラキラ輝くスプーンとナイフとフォーク、そしてモーニングスター。血が滴る新鮮なバラバラ死体が、何体も。変わらずあるそれらは、悪夢は未だ覚めないのだと証明している。

男はがっくりと俯いた。投与された毒物によって力の入らないその身体は、思っていた以上に勢いよく項垂れる。その衝撃で椅子が少し軋み、ギィという音がテント内で煩く周りに響いた。そしてまた、しんと静まり、誰かがぶつぶつと呟く音だけ流れ始める。

「………」

今では壊れた誰かの独り言しかないテント内だが、初めは酷く喧しい場所だった。

開放しろだの、バケモノ共めだの、男を始めとして人々が思い切り騒ぎ立てていたのだ。後から思えば、檻の中や椅子に括り付けられている状態で何故と問いたくなる程に。それ程に、誰もがギャンギャン騒いでいた。

それなのに誰一人とて今は叫ばないのは、叫んでいた人間の無残な末路を見学したからである。

「……!」

その惨たらしい最期を思い出してしまい、男は胃液を吐き出しそうになる。全部が夢だったらと、もう何度めか分からない弱音が心中で沸き上がる。 

「隊長…」

隣から気遣わしげな声が聞こえ、男は顔を上げて横を見る。左右にずらりと並ぶ椅子には、隊長と呼ばれた男と同じく椅子に括り付けられた兵が複数人、腰掛けていた。彼らは皆、彼の可愛い部下だ。

不安がる部下達に何か言いたいが、言葉を出せないので隊長であるはずの男は口を閉ざすしかない。

 兄だったらもっと上手く対処して皆を守れたのだろうかと、ふとこの場に居ない人を彼は思い出した。生真面目で口が重いが、どんな場面でも冷静に判断することができ、場を落ち着かせるのに長けている自慢の兄を。

「…っ、……!」

やはり話すことができず落胆するが、それを隠して力強く首を横にふる。大丈夫だと言いたいのは伝わったらしく、部下達は少しホッとしてくれた様子だ。

お前は本当に口が悪いなぁ、兄がよく言ってたお小言を彼が思い出したその時、布が動いただけの微かな音が、響いた。

それはテントの出入り口の垂れ幕が動いた音。それだけで誰もが硬直し、目を見開き黙り込んでしまう。僅かばかりでも安心してくれた部下達の顔には一瞬で、絶望と死相が塗り込められていた。

 

 姿を現したのは、この地獄に相応しい山羊頭の悪魔で、彼は小さく息を呑んだ。

 長い爪のような刃物を、人間のようなその指に一本一本身に付けたバケモノ。しかしそれが羽織る滑らかな見目の黒衣のマントには、優美な薔薇が添えられている。着用する衣服も装飾品も全て、大金持ちですら逆立ちしても一生手に入ることが叶わなさそうな一品だ。被る帽子にも細やかな飾りが施され、その金属によって煌めいている。片手に持つステッキはシンプルだが、純金の重厚な持ち手の細工と、深く塗り込められた黒は紅を滲ませ、厳かな様相である。

認めたくないが、そのバケモノには人間には持ち得ない荘厳さがあった。恐ろしく悍ましく、しかしどこか、心奪われるような。

「なんだ、随分と静かになったな」

「ソリュシャン様の教育のおかげかと思われます」

テントの中へと山羊頭に続いて現れたのは、純白の衣装に烏の嘴を模した仮面を付けた何か。道化師のような、医者のような見た目は、真っ白なのに全く信頼できない雰囲気しかない。それが何なのかは分からないが、しかしきっと碌でもない存在なのは確かだと男はひっそり思う。

「そうだな、プルチネッラ、後でソリュシャンを褒めてやらないといけないな」

「流石わ至高の御方、何と御優しいのでしょう!」

嬉しそうに弾む声は、嫌味などではなく本心からそう言っているのだと伝わる。残虐なる悪の権化に対して優しいと、心の底から素直に褒めているのだと。優しさとは真逆の行為を目の当たりにしたはずの誰もが、しかし、黙りこくっていた。抗議の声は誰もあげない。だがそれも、やむを得ないことだ。

山羊頭の彼がたった一言、煩いなと言っただけで、金髪の美しいメイドが特に煩かった檻の中に居た八人を惨殺したのだから。

その惨事を思い出してしまったのだろう、誰かの嘔吐物が床に撒き散らかされる。パニックになったのか号泣し始める者達まで現れ、阿鼻叫喚の地獄絵図に一気にテント内は変わっていく。

それを聞く男だって、せっかく耐えた嘔吐の欲求が帰ってきて大変だった。目前の血が染み込んでどす黒く変色した木の板に、胃液を吐きだしたくて仕方がなかった。

「おやおや、人間とわ弱々しい生き物ですね」

「仕方ないさ、プルチネッラ。だからこそ、神に選ばれたなんて妄想に人間は縋るんだ」

「成る程!あぁ…、ウルベルト様と御話をしていると、なんと勉強になるのでしょう…!なんと有り難いことなのでしょう…!」

喜びと感動を、仮面をつけた存在は口に出していた。その会話に、人間に対する情愛は一切感じられない。目の前で人が手足の先からゆっくり溶かされ絶叫しながら絶命するのを見た瞬間から、そんなものは此処にありはしないと男には分かっていた。だがそれでも、ここまで無価値なものとして扱われる事態を覚悟など、できていなかった。

いや、正確には、ここまでの地獄を想像ができなかったのだ。

「さあ、ウルベルト様、何をして遊びましょうか?このプルチネッラわ、ウルベルト様と遊べるだけで恐悦至極の至りで御座います。それ故、ウルベルト様がされたい遊戯をしたいのです!」

「んー、そうだな、久々にオッドアイでも作って遊ぼうか、プルチネッラ。ほら、こいつら口は汚いのに、目だけは綺麗だからさ」

「左様で御座いましたか…。恥ずかしながら、瞳の観察まではしておりませんでした」

恥じ入った様子で頭を下げた仮面のバケモノは、悪魔の指し示す、ずらりと並ぶ椅子に固定された人間に仮面を向けた。その頭蓋に収められた丸い眼球の瞳の色が、じぃっと観察される。

「青紫、琥珀、青、金、黒、濃紺、緑……」

自分の瞳の色を呼ばれると同時に見つめられ、男はぎくりとする。そして、自分と可愛い部下達がこれからどんな目に合うかの察しもつき、顔を青褪めさせた。

「おや、これはこれは綺麗な…、漆黒」

それが惚れた相手から送られた言葉であれば、誰もが嬉しがるような台詞だろう。しかしその発言は、単純に褒めただけでも好意がある訳でもない。それは、これから弄ぶモノに対しての、ただの呟き。無感動な独り言だ。

「バケモノめ!悪魔め!!」

荒い呼吸を繰り返していた部下の一人が、一歩、仮面のバケモノに近づかれただけでヒステリックに喚き散らした。勇敢な雄叫びではなく、恐怖から生まれたひっくり返った情けない声である。目尻に浮かんだ涙を唾とともに散らし、半狂乱で男は叫ぶ。

漆黒の瞳を持つ部下に落ち着くように声を掛けようとして、何も出ない自身の口と喉に男は苛つく。

「近付くな!!近付くな近付くな近付くな!!」

最早まともな思考も出来ていない様子の部下に、男はますます焦燥する。しかし、彼ができることなど、何も有りはしなかった。彼が無駄な身じろぎをしている間に、とうとう最後には助けてと呟き部下は啜り泣き初めてしまう。

その痛ましい姿に彼は唇を噛み、そして為す術も無く見ていた。

「おいおい、その悪魔とバケモノに敵対する国で生きていくことを決めたのはお前達だろう?」

仮面のバケモノも、男も共に、口を開いた悪魔へと視線を向ける。呆れたようなその言い草は、法国の兵士だけでなく、法国の民全てを小馬鹿にしていた。

「こうなることぐらい覚悟はしていなかったのか?まさか、自分達人間が、人間だから、神に救われ助かるなんて都合の良い妄想をしていただけなのか?」

その指摘に、兵士達の目が、いや法国民全員の目が泳いだ。

男も、一向に現れない救いと確実にある絶望を前にして、その問に噛み付くことはできない。仮に、口を開き言葉を発することが出来る身だとしてもだ。

戸惑いと困惑を顔に浮かべたまま、何か叫ぼうとして吐き出せないままの兵士に、悪魔は呆れるどころか興味すら失った様子だ。どんな感情と理由からかは不明だが、短い溜息が悪魔から吐き出された。

「さぁて、俺もソリュシャンを見習って教育をするか」

そう言うと背伸びして、山羊頭の悪魔は、テント内の片隅で様々な道具が並べられた机上に足を向ける。

ステッキは、背を向けていたので何をしたのか分からないが、唐突に空中に消えた。その右手の鋭利な爪のような刃物も、次に手が持ち上がった時には消えてしまっていた。

 空いた手で悪魔は、一つの、男にとっても馴染み深い品を手に取る。何に使うのか考えたくもない品々が並ぶ中、悪魔がその手に取ったのは、スプーンだった。

馴染み深いと言っても、一兵士でしかない男にとっては有り得ないほど、そのスプーンは細かく彫り細工がされ輝いていた。

「わ、我々は、人類の…」

「喋った奴の目玉をくり抜くとしようか、プルチネッラ」

背を向けていた悪魔のその一言だけで、何か言おうとした兵士は黙り込む。青褪めた部下は縋るように隊長である彼を見遣ったが、何も出来ない男はただ共に焦ることしかできない。

「誰が喋ってた、プルチネッラ?」

「この人間で御座います!」

「…へぇ、綺麗な青だな」

いつの間にか後ろに回り込んでいた心底楽しそうにしている仮面のバケモノが、嬉しそうにその手を兵士の肩に乗せる。悪魔の宣言に慌てて黙り込んでいた彼は目を見開き、悪魔が言った色合いの瞳を晒していた。

 スプーンと、そして長方形の箱を悪魔は兵士達の元に持ってきた。

仮面の道化師が預かり、開いた小箱の中には綺麗な紫の布と凹みがある。丸い物を固定して置けるように造られた円形のくり抜き。それが何を置くために作られた物なのかは余りに明白で、口を開いた彼は必死の形相で叫び始める。

「おゆるしを、お許し、お許しください!!」

拘束されたまま身悶える彼の左目が、道化師によって強制的に開かれる。

「…!…!!」

喋ることが出来ないまま、それでも隊長として、仲間として彼は口を必死に開閉した。しかしそれに何か意味や効果がある訳もなく、部下の眼孔に、スプーンが突き刺さった。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ」

嫌な音をたてながら埋まっていくスプーンが、ある一定までいくと止まり、眼球をほじくり出す為に動かされる。その度に、短い悲鳴が上がり、その身は逃げようと悶える。しかし脆弱な人間が、力でそこから逃げる術などありはしない。血を溢れさせながら、その眼球が徐々に本来なら有り得ない場所へと移っていく。

 まるで悪魔の食事シーンのようなそれは、目玉がくり抜かれ、あっさり終わった。男は呆然と、その光景を見ていただけだった。

糸引く眼球と未練がましく残る神経は雑にちぎられ、部下から取り出された青い瞳孔の眼球は円状のくり抜きへと収まった。

「っ、あ、ぁああ…」

力ない嗚咽と悲嘆の声。聞くも耐えないそれが響き渡る中で、しかし悪魔達は変わらず楽しそうにしている。

 男は呆然と、その凄惨なる光景を見詰め続けた。部下達は絶望し、涙を流している状況なのに、隊長であるはずの彼は何も出来なかった。言葉を発することも許されず、椅子に拘束されているだけである。

何か隊長としてできることを、そう思惑しても、彼には悪魔に取り出された眼球を見詰め返すことしかできなかった。

 

 そうして、目を逸らしたくなるような地獄と幾つもの悲鳴を見届け、聞き届けた男の背中側に、足音が止まる。

「ウルベルト様、次はこちらの緑なんて如何でしょうか?」

「おお、良いんじゃないか、プルチネッラ」

にんまり嗤う悪魔が近付き、項垂れる男の頭を持ち上げ至近距離で覗き込む。

硬い木の椅子に括り付けられた男は、ひたすらに視界に入る其れらを消したくて消したくて堪らなかった。

「ん?一番口汚く喚いていた奴じゃないか。やぁ、元気そうで何よりだ」

そう朗らかに語りかけられ、男はぎくりとし肩を跳ねさせる。

山羊頭が二足歩行で洒落た服を着て歩きやがって!なんて、少し前の自身の発言を思い出して男は身体を震わせた。他にも取り返しのつかない罵詈雑言を、既に男は沢山吐いてしまっていた。

兄から士気を上げる為とはいえ口の悪さは直せと言われ続けたのに無視し続けていた自分は本当に愚弟だと、彼は遅すぎる猛省を行う。

「少しくすんでいるが良い緑だな」

彼が悪魔から褒められたのは、瞳。先程から嫌だ嫌だと思考してるのに、つぶさに悪魔の情報を拾い上げる憎たらしい眼だ。男は、自身の眼球すらも呪ってしまう程追い詰められていた。

「こっちの奴と入れ替えてみようか」

悪魔の左手で、男は顎を掴まれた。

その毛並みの気持ち良い滑らかさとふわふわした感触、刺さる尖った長い爪に対して調子の狂った悲鳴をあげることも、彼には許されない。

悪魔は、綺麗な銀食器のスプーンを掲げる。食卓の机と皿の上の飯はずっと、こんな気持ち悪い光景を見ていたのかと、そのどんどん近付いてくるスプーンに対して無茶な現実逃避を男はしていた。

「…っ…!!…!!」

その匙は今までと同じ様に、頭蓋骨という皿から眼球という具材をすぽんと掬い上げた。

悲鳴をあげたい激痛と強烈な不快感に男は襲われる。それでも、悪魔からその権利を取り上げられた男にはそれが出来ない。

「…悲鳴が無いのはつまらないな」

悪魔から非難がましく睨まれるが、銀の尻尾を持つ悪魔から『黙れ』と命令を下されていた男には、悲鳴をあげる権利すらない。

「私めが奏でてご覧にいれましょうか?」

「いや、違うんだ、プルチネッラ。コイツからは聞くに堪えない大切な友と部下に対する罵声が多かったから、デミウルゴスが黙らせたんだ」

「左様で御座いましたか!でわ、デミウルゴス様を呼んで来ましょうか?」

木箱の中に、自分の左目が置かれるのを男は残された右目でただ見ていた。雑談をされながら片手間に取り出された、左目を。

そして、その銀のスプーンが、今度はその隣に並べられていた色の違う眼球を拾い上げる。次に何をされるのか分かっているはずなのに、信じられないという思いが男は未だ強かった。

「いいよ、忙しいのに、わざわざこんなことで呼び戻すのは悪いからな」

「おぉ、ウルベルト様わ、なんと御優しいのでしょう…!」

仮面の上から涙を拭う仕草をするその声に、感情は感じられない。とても平坦な声音は、その存在含め全てが大嘘の様だった。

「はは、ありがと、プルチネッラ」

「感謝など勿体なく!」

場違いな談笑と世辞の言葉が終わった後、耳を塞ぎたくなるような音が、頭蓋と脳髄に眼孔から直接響く。まるで子供のお遊戯のように、スプーンの腹でぐりぐりと新しい眼球を押し込まれ、男は新しい目を強制的に得た。

「なかなか良い色合いじゃないか?」

「えぇ、素晴らしいと思います!ほら、あなたもご覧なさい!」

力無く項垂れる男の顔面前に、鏡がねじ込まれる。鏡に映る自身の気持ち悪さに、男は再度吐き気が込み上がってきた。

左目には、男の隣に並ぶ部下の赤茶色の眼球が埋め込まれていた。血が涙のように流れ、ただ嵌め込まれただけの眼球は焦点が合わないで明後日の方を向いている。

「あぁ、でもクリスマスカラーっぽいな。うん、やっぱり金にしよう」

その言葉の意味に、男はぞくりと鳥肌を立たせる。嫌だ、もう許してくれと言う権利もない男はただ、また眼孔の中にスプーンをねじ込まれた。

 

 

 

 これ以上苦しむことはないだろうと思っていたのに、眼球が定位置から出て暫く経ってから彼は、苦しみに果てなど無いと知ることになる。

「さてと、プルチネッラ、そろそろ仕事に戻るから、後は好きにしていいぞ」

「畏まりました、ウルベルト様」

悪魔が去る旨のことを口にして、テント内の人間はほっとしてしまう。しかし続く会話から、それが誤りであったことを思い知る。

「取り合わないで、ちゃんと分け合うようにするんだぞ?」

「えぇ、勿論です!」

「それから、その椅子の奴らは特別歓迎するから、食べ尽くさないように」

「重々承知しております」

まるで親が子供達に言い聞かせる様なその言葉。その言葉の意味、食事とは何のことか、解りたくもないのにテント内にいる誰もがきっちり理解してしまう。

 悪魔が去り行き、再度衣擦れの音がする。少しの間が空いた後に、大量に何かがテント内へと入って来る音がした。それらによって、布が揺れ動く。そんな些細な音に、こんなにも恐怖する日が来るなんて誰もが知らないことだった。そして、知らないままでいたいことだった。

 悲鳴が響き渡る。おぞましいバケモノが、テント内に群れて現れた。先程の悪魔とは違う、生物として認めたくない様な醜悪な見た目で蠢くモンスターの群れと、数多のゴキブリが。

ゴキブリが足元から這い上がってきて、兵士の一人が絹を裂くような悲鳴をあげた。

「おっと、これは食べてはいけません!檻の中にある人間だけです。さあ、どれにしますか?」

信じられないことに仮面の道化師からの注意を聞き届けた様子の害虫達は、部下の体から降りていく。そうして尋ねられたバケモノ共は、一つの檻に群がっていた。

「やはり柔らかいお肉わ人気ですね」

間もなく大人に成りそうな年頃の少女達が、檻の中で半狂乱に叫でいた。群がるバケモノに舐めるように見られ、その柔らかな肢体にはゴキブリが這い回っている。檻から逃げられる訳もなく、身を寄せ合う彼女達はただ泣き叫んでいた。

「いやあああああああああああああああああああ!!」

「うそ、うそうそ、やだやだやだやだ!!」

「さぁ、お食べなさい」

無慈悲にも檻の扉はあっさり開かれ、バケモノ達の爪や伸びた舌によって、一気に少女達は引きずり出された。その細腕や足での抵抗など、当然何の意味も成さない。

「たすけて、お願い、許して!!」

縋る言葉にも何の意味も力も無い。檻にしがみついていた少女は、腕を切られることで外に引きずり出され、その悲鳴は胃液の中へ溶けていく。

 引き千切られ、噛み砕かれ、裂かれ、潰され、啄まれ、咀嚼され、飲み込まれ、啜られて、彼女達は人間の形を失っていった。

倒れた死体の内一体が、恨みがましく顔を兵士達に向けていた。背中側に真正面の顔を向けた乙女の口からゴキブリが溢れ、その可愛らしいと称されるであろう顔面は、虫に食まれ消えていく。

「あ、ああ、かみさま…」

檻の中に。小柄な女の子が一人取り残されていた。その女の子に、仮面の道化師が手を伸ばす。まるで救う者かのように。

怯え後ずさるも、檻の外にいたバケモノが垂らした唾液に腕を溶かされ、彼女は思わず前に飛び出てしまう

「あっ、」

腕を捕まれ、少女は檻の外へと引きずり出される。小さい悲鳴をあげた彼女は、されるがままに仮面のバケモノと踊り始めた。

 黒い檻の上で、バケモノとぐちゃぐちゃになった死体に見守られながら、くるくると。荒唐無稽なワルツが唐突に止まり、そして再度なされるがまま彼女は、バケモノに添えられている手を支えに背を反らせた。

仰け反った少女の視界に広がるのは、惨たらしい死の世界と涎を垂らすバケモノ共だ。

「さぁ!ご覧なさい!歓喜なさい!貴方わ幸運なのだから!」

目を見開いた彼女は、数多の肉塊を視界に入れる。そして、待ち受ける己の運命に静かにはらはらと涙を流す。

「貴方わ間もなく彼らに食われ、ナザリック地下大墳墓を…、」

少女の左手首を掴んでいた手を放し、その頬をまるで恋人のように優しく仮面の道化師がそっと撫ぜる。

「アインズ・ウール・ゴウンを護るモノ達の、血肉になる誉れを得るのですから!!」

嬉しそうに、道化師は細いその腰に添えていた手を放し、乙女を地獄へと叩き落とした。神の救済はそこには無く、重力という無慈悲な現実の法則だけが働く。

待ってましたと言わんばかりにバケモノ達が群がり、落下した彼女を一斉に食い始めた。あっという間に肉塊になり始めたそれは、人らしい姿形をあっという間に失っていく。

その少女の血潮の香りが、漂い、鼻腔内に触れた瞬間、男は耐えきれずにとうとう吐き出した。

 

 知る限りの神々の名前を思い出し、心中で縋り付きながらも男は祈る。

どうか、兄はどこかで無事に生き延びていてくれと、ただそれだけを。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。