魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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純白02

 

 

 

 

 

 一部が抉れた城塞都市を一望できる神殿内にて、異形の頭部を晒した騎士は紅茶を味わう。

ふわりと浮かんでは消ゆく湯気が、少し薄暗くなってきた部屋の中へとまた消えていく。その光景を、彼はただ一瞥し、報告書を眺める作業へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 スレイン法国の神都に大災厄が訪れ全てが終わってからすぐに、南東へと純白の馬車は走った。向かう先は、白の陣営の中心拠点として設定されたスレイン法国のとある都市である。

その都市は、ゲームで勝つために必須の土地。そして、たっち・みーにとっても広く救済を開始する最初の足がかりとなる大事な拠点である。

本来ならば人の足では何日も掛かるはずの道のりは、騎士の意志によって劇的に短縮される。アンデッドの尋常ではない馬力と、強制的に造られた直線の道によって。結果、ほんの数時間で、純白の馬車は城塞都市に到着した。

 ちなみに、ゲームのルール上、移動手段は基本的に支給の馬車のみとなっている。〈転移門〉を使える使えないの不利が発生しないようにするためだ。アンデッドの馬は疲れを知らずに信じ難い速度で快適に走るので、たっちはそのルールに不満は無い。

 

 固く閉ざされた門の前にて馬車を止め、たっちは直ぐさま飛び降りた。その足取りは軽く、侵略者のものとは思えない程である。

「さて、急いで始めようか」

独り言ちて、城壁の上にて身構える者達をたっちは見上げる。槍を握り締め敵を睨みつける兵士達を一瞥し、そして思っていたより高かった壁をたっちは観察する。

 それを見ていた法国の人々は、安堵と拍子抜けをしてしまっていた。

聳える城壁前にて現れたのは、まるで旅の曲芸団一座の如き装飾の施された真っ白な馬車。それが、たったの三台。風がわりな見た目なうえ一台は異様に大きいが、それでも片手で数えられる程度の台数のみ。壁の向こう側にてぽつんと草原の中にある姿は、笑ってしまいたくなるような光景だ。

 そんな城塞都市にて身構える者達の複雑な心情など知らずに、まるで観光客のようにたっちは物珍し気に壁を眺めていた。いや実際、観光客気分でたっちは高い壁を眺めていた。主人の後に続いて馬車から降りた執事もメイドも、物珍しい品を眺める主人を微笑ましく見守るだけである。

 見た目だけで言えば、それはあまりにおかしな光景であった。

豪奢で派手な純白の馬車から降り立った白銀の鎧を身に纏う騎士、そして傍に控える執事と目を疑うほど美しいメイド達。憎っくき敵国が攻めてきたというよりかは、どこかの貴賓がやって来たと説明した方がしっくりくる見目の彼ら。そんな彼らに相対するは、固く門扉を閉ざし武装した法国民達だ。

あまりに状況がチグハグで、心境と合っていない状況に法国民は戸惑ってしまう。門を開け歓迎の式典を挙げなければいけない気分に、彼らはさせられていた。

しかし相手は敵国の者だと、騎士が発した言葉で彼らは気付かされ我に返った。

「スレイン法国の皆さん、こんにちは。突然申し訳ありませんが、降伏してください。大人しく門を開けて改心してくれるなら、私は誰も殺さないことを誓います」

城壁をしげしげと眺め終えた後、スクロールに封じられていた魔法で拡声した騎士は傲慢にも言い放ったのだ。開門しろと、敵国に大人しく従えと。法国民の緩んでいた警戒心は、一気に引き締められる。その声色だけは優しく爽やかな騎士を、城壁を守る全員が睨みつけていた。

「さぁ、無駄な抵抗はしないで、開門して下さい」

我慢できずに罵詈雑言を飛ばす者達まで現れ、正に敵国の言葉を伝えてくる騎士への罵りは増えていく一方である。

 執事とメイドの顔が不愉快そうに歪むも、騎士が片手を上げ人差し指をその口元に当てたことで渋々と黙り込む。それを見届け、たっちは、滔々と降伏することによるメリットを罵倒の嵐の中で語った。

降伏し改心するならば誰一人殺さないこと。これからは魔導国民として幸せに生きていけばいいこと。魔導国は平等であり誰もが幸福になれること。彼にとって、ただの幸福な事実を、淡々と。

「スレイン法国の神都は、滅びました」

最後に付け足された言葉は、法国民を震撼させるには充分な一言だ。増えていく一方だった罵声が、ぴたりと止んでしんと一気に静まり返る。

「つい先程のことです。もう貴方達に戦う理由など無いのですから、大人しく降伏してください」

嫌味でなく、ただ事実を突きつけ現実的で合理的な提案をたっちは行う。彼は城門を見詰めた。しかしいくら待っても開かれないそれに落胆し、肩を落とす。

「…明日の朝まで待ちます。ここで待たせて頂きますので、そうですね、せめて個人で降伏を願い出たい方がいらっしゃれば、どうぞお気軽に来て下さい」

期日を提示し、そして妥協案も述べて騎士は馬車内へと戻っていく。執事もメイドも、静々と乗ってきた馬車内へと帰っていく。唐突に現れた騎士は、一方的な通告のみをして、そして一方的に切り上げたのだ。

法国民は、白昼夢をみたかのような顔を晒していた。

 騎士の声に耳を傾ける者など居るはずもなく、与えられた猶予は戦闘準備と一部の人間の脱出ルートと合流地点の再確認の時間にあてがわれた。騎士からあれ程に甘い言葉を貰っても、都市の人々は己が故郷を信じ逃げ出さなかったのだ。神都が滅びたと敵に言われたからと、敗北を受け入れようという意見も市民の暴動も行われない。むしろ法国民として、神都にいた者達への弔いのためにも、戦い抜く覚悟を彼らは決めていた。

 門の前にぽつんとある馬車への攻撃は、昼間にたった一度だけ行われた。全てが無効化され、半刻も経たぬうちに無駄打ちになるだけだと攻撃停止命令が出たため、それ以降は行われていない。

 結果、騎士が馬車から降りる時を狙う、単純なその司令一つに都市の全員が取り組むこととなった。その街の誰もが、そのためだけに駆けずり回ったのだ。これから始まるであろう戦争を前に、老若男女関係なく休む間も惜しんで出来ること全てに取り組んでいた。その瞳に、誰もが熱い意志を輝かせながら。 

その誇りとしていた街で大して戦うこともしないまま降伏宣言をすることになるとは露も思わずに、彼らは必死に働いていた。

 

 

 

 そして夜は明け、純白の馬車から一日目と同じように白銀の騎士が降りてくる。

まるで一日目を忠実に再現しているかのように、やはりその鎧には曇り無くマントも皺一つとて無い。そして歩むその足取りも恐ろしいほどしっかりしている。控える執事とメイド達もだ。本当に一晩中その馬車内に居たのか怪しいほどに、その美貌は変わりなく整えられた衣服に皺などありはしなかった。

たっちが数歩、門の前へと足を進める。漂ってくるピリピリとした空気に薄々と失敗を勘付きながら、それでも期待を込めて彼は口を開いた。

「さぁ、城門を開けてください」

それに答えるように、法国側から一斉攻撃が仕掛けられた。

それは、一部の者達が無駄打ちになるから止めないかと苦言を呈した程の、過剰な一斉放射だ。それこそ個人相手ではない、万の軍勢に向けてこそ放たれるべき攻撃量。

魔法の武具による、様々な特殊効果が付与された矢の雨。都市に居る全ての魔法使いを動員しての、ありとあらゆる属性の攻撃魔法の嵐。そして、本来なら相手の攻城武器を破壊するためにあった巨大投石機は、放たれる岩に魔法の炎をまとわせて放たれた。

それらは全て、仁王立ちする騎士たった一人に叩き込まれたものだ。

そして、その結果を見て法国民の誰もが愕然とした。騎士のピンチに対して、周りに控える謎のメイドや執事ぐらいは慌てるはずだと誰もが思っていた。しかし実際は、誰も慌てやしなかったのだ。騎士も、呆れるような悲しむような仕草を微かにしただけだ。

 次の瞬間、騎士が常人には視認できない速度で剣を横に振るった。その動きだけで、苦言を呈した者の懸念とは真逆の意味で、その攻撃は全て無駄に成り果てた。全ての攻撃が、騎士が肩に纏わせる赤いマントを焦がすことすら無く、消え失せたのだ。その上、その攻撃を打ち消して生まれた余波だけで城壁一部は破壊されてしまう。

 起こった現実が信じられずに、多くの者達が呆然としていた。しかし、まだ闘志が残っていた何人かの魔法使いは予め準備していたとおりに魔封じの水晶を使い召喚魔法を起動させていた。そうして現れた偉大なる天使の御姿に、人々は安堵し、また闘志を滾らせる。その天使が自分達を守ってくれるのだと信じて、彼らは武器を握りしめた。

しかしそれは生まれたと同時に、消えてしまう。その天使が、頭上の輪から足元までを容易く一刀両断されたことによって。

 天使が真っ二つになるのを真正面から見ていた法国の者達は、何が起きたか理解する前に塵芥に成り果てていた。それが、騎士の二撃目だとも知らぬ間に。

 たっちが放ったその二撃目は、天使を真っ二つに裂き、そのままの勢いで城壁を、城塞都市の一部を蹂躙した。たったの一閃が、城壁と街と中央に聳える城を、一直線上に粉砕したのだ。

閃光が走り去った跡には、抉られた跡だけが残る。そこにあったはずの何かしらは、まるで初めから無かったかのように消し飛んでいた。

光が消え去った後も轟き続ける崩壊の音と、余波で崩れ続けていく建物と自然物。それらがやっと収まり静まり返った時、そこには道ができていた。ぽっかり空いた城の傷口前から、門があった場所へと。

全てを破壊し尽くして完成された、まるで支配者を出迎えるかの如く真っ直ぐの道が。

「あぁ、残念だな…。せっかくの立派な城壁が、壊れてしまった…」

騎士の呟きの聞こえた執事が、悲しそうに顔を歪める。城まで壊れてしまっているのを見咎めた騎士は、更に露骨にがっかりとしていた。

 当然、その破壊された城塞都市にいる者達はそれどころではなかった。

 轟音と静寂に続いて法国民を支配したのは、パニックだ。事実を事実と認められない者達、事実と認めたからこそ未来に絶望する者達、何かに縋ろうと右往左往する者達。ありとあらゆる絶望と恐怖、混乱、悲哀が、感情だけが場を支配している。

もはや確固たる一団ではなく、ただ群れているだけの動物に法国民は成り果てていた。泣き叫び、そして神の名前を叫び、天に縋る咆哮ばかりが響き渡る。

その中で幾人が走り出した。この状況で、最も生き残れる可能性がある、残された唯一の方法を行おうとして。バラバラの立場の彼らだったが、しかし目を合わせただけで互いに何を考えているか汲み取り、迅速に行動していく。何名かは倒れていたスレイン法国の国旗をたなびかせていた棒を引っ掴み、自国の国旗をむしり取った。何名かが城壁の塔や、人々が暮らす家屋から真っ白な布地を見つけ必死で走り出した。何も言わずに彼らは必死に、黙々と作業する。

「たっち様、ご覧ください」

「ん?…あぁ、やっと解ってくれたのか」

執事が嬉しそうに指し示す先、そこでは何人かの人間が大小様々な大きさの白旗を振っていた。

 

 

 

 そうして、白陣営側の中心拠点が占拠完了してから三日めの昼が訪れる。

 たっちによって生み出された真っ直ぐの道の先、破壊された城隣に建てられていた神殿内には執務室ができていた。攻撃の軌道から逸れていた為に被害が少なく済み無事な部分が多い神殿は、たっちの希望で利用されていた。眺めが良いそこは、彼がこっそり楽しみにしていた本来使う予定だった城代わりにはなっている。

 たっちはまた、紅茶を口に運ぶ。そして報告書を捲り、スレイン法国の地図を横目で眺めた。

神殿内部は、少し前までは厳かで仰々しい雰囲気に満ちていた。しかし今は、事務机と物資が大量に運び込まれ、ただの執務室に格落ちしている。神々が祝福を注ぐようだった天窓のステンドグラスも、今ではただ明りを室内に入れるための窓でしかなく、それ以上でも以下でもない。中央に設置された大きめの机には巨大な地図と鉱石、そして書類と羽ペンやインクが散らかっている。

まるで、俗世間の事務方がせっせと務めていても違和感が無いような光景である。実際少し前までは死者の魔法使い達が、報告書のまとめ作業と最終チェックという事務処理にあたっていた。

神殿内に微かに残る静寂さも、洗練された厳かな雰囲気も、支配された後は為す術無く消えていくだけだった。

「……やっぱり、もう少し頑丈そうな、湯呑みとかが良いかな」

ぼそりと、執事が居ないからこそ言える愚痴をたっちは呟く。

彼のために用意された茶器は、甲冑に覆われた手で持ち上げただけで壊れそうな程に儚い持ち手のティーカップだ。うっかり割ってしまいそうで、先程からたっちは地味に気にしていた。

そもそも一応戦場であるこの場所に、わざわざナザリックから道具を運び込み、茶を淹れなくても良いだろうと、たっちはこっそり思っている。しかし、紅茶は文句無しに美味しく、執事も嬉しそうに用意するので黙したままだ。

そうしてまた恐る恐るティーカップを持ち上げて紅茶を一口嚥下し、読み終えた報告書を机に置いた。そして次の書類に移る。偵察部隊による報告書の次は、中心拠点内で管理している人々の記録だ。そこに記載された捕縛された人々の情報、管理状況を、淡々とたっちは把握していく。

『たっちさん、今、大丈夫ですか?』

「モモンガさん、はい、大丈夫ですよ」

《伝言》に反応し、たっちは報告書から顔を上げる。机から離れ、背もたれに身を預けてモモンガの言葉をたっちは聞いた。

『審判希望の住民がいない古い村ですが、拠点登録はオッケーです。古さ関係なく、人が住んでいたと思われる場所は占拠可能です。ただし、偽装判明時はペナルティで陣地一つ消失です』

「了解しました」

たっちが審判役のモモンガに依頼していたのは、事前に設定していたルール規定だけでは判断がつかない物事の判定だ。

今回のゲーム上、判断に困った時は審判のモモンガとアルベド、それからアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレが話し合い多数決を取って決めることになっている。

『それからついでに、追加詳細です。キャンプ地など人が居た痕跡程度は拠点は不可。新しく作られた砦などは、丸太とか洞窟をベースにしているとか造りに関係なく、拠点として登録可能です』

「それは丁度良かった」

つい弾んだ声を出してしまい、モモンガが首を傾げるのを感じ取ったたっちは続けてその理由を話した。

「実は、法国の兵士達が集まって砦を造っているのを見つけた報告がありまして。着々と作業を進めているらしいので、どうしようかと思っていたんです」

『さっそく陣地一つ追加ですね。って…、いけない、いけない。油断大敵です。たっちさんも気を付けて』

心配性のモモンガらしい発言に、たっちはこっそり笑う。大胆なことをするかと思えば、石橋を念入りに叩いてから渡るようなその相変わらずな性格は、とても彼らしく微笑ましいものだ。

「モモンガさんの決めた通り、護衛は必ず付けてますよ。偵察も送ってます」

『まぁ、たっちさんなら何も心配ない気はしちゃうんですけどね』

「はは、それこそ油断大敵ですよ。私がこの世界でもワールドチャンピオンなのかは、まだ分からないんですから」

謙遜と警戒の言葉だが、しかしどこか自信に溢れた声でたっちは答える。しかしそれをモモンガは、わざわざ窘めはしなかった。

「それじゃあ早速偵察を送って、砦の人達に降伏するよう頼んでみます」

『それ、聞いてくれる人いますか?』

「残念ながら居ないですね、今の所。一生懸命造っただろう壁を粉砕することになってしまいましたし、心苦しいのですが…、なかなか理解してもらえなくて」

『仕方無いですよ。たっちさんは何も悪くないです』

「ありがとうございます、モモンガさん」

励ましの言葉を有難く受け取り返したところで、モモンガの言葉が一旦途切れ、そして申し訳なさそうに再開された。

『……すみません、長話になっちゃって。後、そろそろアルベドが…』

最後に付け足された言葉にたっちは思わず笑ってしまい、モモンガから笑い事じゃないんですよと、責めるように言われてしまう。

「そうでしたね、すみません。それじゃあモモンガさん、そっちもそっちで頑張ってください」

『えぇ、頑張りますよ。たっちさんも、気を付けて。また何かあったら連絡ください』

《伝言》が切られ、室内に再度静寂が帰り、遠くから伝わる喧騒だけがBGMとなる。

 

 報告書を眺める作業に戻ろうとしたたっちだったが、しかし、鈴の音に止められる。誰かの出入りを知らせるそれが響いて、少しの間が空いた後に、部屋の扉をノックする音がした。

「セバス・チャンです、法国民の様子を報告しに参りました」

その声の主に入室の許可を出し、たっちは報告書を再度机上へと戻した。

今や聞き覚えどころか馴染み深いものとなったその声と姿、自身が創造した執事、セバス・チャン。彼が滑らかな動作で頭を下げるのも、背筋を伸ばしたまま歩む姿も、変わらず優雅で堂々としたものである。こちらも負けていられないと、胸を張りたくなる程にだ。

「ありがとう、セバス。それで、どうだった?」

「恐れ入ります。まず、現状何も問題は御座いません。先程の騒ぎの件も落ち着きました。ただ、一部の方々は隔離施設に移って頂いております。また、残念ながら処刑が決まっていた数名を、なぜかパンドラズ・アクターが譲渡希望されたので渡しております」

「そうか。パンドラズ・アクターが…、おそらくアンデッドを作るのに使うのだろう。今回は国土全体を使ったゲームでアンデッドの使用量が大変なことになっていると、モモンガさんも言ってたしな」

「私めもそう思いまして、全て譲り渡しております。事後報告になったこと、お詫び申し上げます」

「構わない。今は皆忙しいのだから、都合がいいように進めてくれ」

それよりもと、礼を述べようとした執事を止めてたっちは話を続ける。

「そっちは良いとして、しかし、やっぱりナザリックの皆は有能だな。先程の騒ぎは尾を引くかと懸念していたのに、特に大きな問題にはならなさそうで安心した」

「それは、是非とも直接皆に言って差し上げてください、たっち様。きっと喜びます」

「……うん、そうだな…。ちゃんと直接、言うべきだよな」

しかし、それで咽び泣かれたりしないだろうなと内心思いつつ、嬉しそうな執事にたっちは曖昧に返事する。さすがにあのオーバーリアクションには未だ慣れないので、直接声掛けするかは悩みどころだ。しかし、きちんと礼を言うべきなのは良く分かっていた。

 八肢刀の暗殺蟲など、不可視化スキルや隠蔽スキルに長けた者達の尽力で、街中に潜んでいたものは残らず発見し街全体の把握も既に完了している。

 プレアデスのユリ・アルファとシズ・デルタ、メイド長のペストーニャ・S・ワンコも、ゲームが始まってからずっと働かせ続けている様な状況だ。

彼女達は現在、掌握した街を捕虜の軟禁場所と一般市民の保護地区とに分けて、それぞれの生活の面倒を見ている。

それと同時に見張りや物資の管理も行い、更にタレントや武技、アイテムなど発見物の報告書作成まで行っている。この時点で働かせ過ぎて申し訳ないのに、様子を見ながら魔導国施設に国民移送も進めてくれているのだ。

ゲームに負けようが勝とうが、今後自身の立ち位置がどうなろうとも、白の陣営で頑張ってくれた者達には手厚い報酬を与えることをたっちは固く決意していた。

「それでは、私めはこれで、」

報告を終えたことで下がろうとした執事を引き止め、たっちは地図を広げる。

「ついさっきモモンガさんから審判結果が届いた。廃村でも、古さ関係なく拠点扱いになる。ついでに砦も拠点登録が可能だ。ただし偽装判明時は、ペナルティで陣地一つ消失だ」

了解の意を示すべく、執事は頷く。

「畏まりました。他の者達には私から伝えておきましょう」

「あぁ、頼む。それでだ、報告書にあった森林内の砦、北東の住人が逃げた跡と思われる村々、そしてこの拠点を結べば…、なかなか大きい陣地になるだろう?」

「…成る程。確か、偵察では軍隊も見つけていたはず。この大きな陣地内に軍隊を追い込み、可能な限りの捕縛をお望みで御座いますか?」

執事が地図上で指し示した箇所と指を滑らせながら述べた考えに、たっちはにやりとする。

 今回のゲームにおいて、道や山林などの居住区ではない箇所は、最低三つの拠点を直線で繋ぎ囲まれた土地が好き勝手できる自陣営のモノとなるルールだ。

そして、さらに細かく決まっていることもある。囲まれた中にある居住区が敵の陣地となっていた場合は、手を出せない。より広範囲で囲まれた場合は広大な陣地側のものとなる。一部のみ重なり合っている場合は、どちらの陣営にも属さない扱いとなる。などといったことが決められていた。

 そしてたっちは、勝負にも勝ちたいが、救済のためにも広範囲の自身の陣地作成を優先としたかった。そんな考え全てを汲み取ってくれた執事に、嬉しそうに彼は力強く頷く。主人の意志を汲み取れたことに、執事も誇らしげにしている。

「そういえば、以前森林内で見つけた砦も戻って来た見張りから話を聞きました。なかなか立派な建物になってきたと」

その報告に、たっちは考え込んでしまう。壊してしまうことになるのは仕方ないと諦めていたつもりだが、やはり何とかならないだろうかという気持ちが芽生えてしまった。

「そうか…。やっぱり壊すのが勿体無いな。従ってくれない者達を隔離するのに都合が良さそうだから、出来ればそのまま利用したいところだが…、厳しいか」

「確かに、白の本陣でもあるここに危険思想の者達を置いているのは、あまり良くないですね…」

主人の懸念する内容に、執事も気付かされ考え込む。

 黒の陣営と比較して、白の陣営は殺す数が圧倒的に少ない。

今後を考え改心の機会を与える為に拘束もなるべくしていないので、数が増えると内部で混乱が起きる危険性が自然と増えることになる。現状の管理体制に問題がないか足場を確認してから陣地を広げてとなると、黒の陣営との勝負には負けてしまう。

ゲームに勝つ為には、混乱の原因になりそうな者達を隔離しておける施設がほしい所だった。そして今後増える人数を考えると、破壊する建物も最小限に済ませたい。それに何よりも、犠牲者が出なければ納得されず投降しない状況は、たっちにとって打開したいものだった。

「…そうだ、手紙を書いてみよう!大声で投降を呼びかけるから怯えさせてるのかもしれないし、手紙なら相手も冷静に読んでくれる可能性があるんじゃないか?」

「良い御考えかと思われます。早速ユリに手紙をしたためてもらいましょう」

これは成功しそうだと、たっちは自分の妙案に嬉しくなる。今度こそ、無血開城の期待ができた。

「砦の中に置かないと読んでくれないだろうし、読まないで捨ててしまう者も居るだろうな。不可視化スキルのある者達で、密かに砦内に沢山手紙を届けてみてくれ、セバス」

さらりと行われた人間ならば無茶難題の命令を、執事は眉一つ動かすことなく承諾する。まるでお茶のお代わりを頼まれた時と同じ様に。

そして、砦の中にいつの間にか敵からの手紙が無数に置かれていることは恐怖以外の何物でもないのは誰にも指摘されないまま、その案は採用された。

 

 

 

 最後に深々と頭を下げた執事が出て行くのを見送って、たっちは再度報告書を持ち上げる。

「…兵士はともかく、一般市民は早め早めに魔導国へ送れるようにした方が良さそうだな。ここで世話するユリやシズ、ペストーニャの負担も減るだろうし」

魔導国内の馬車を移送に利用できないか相談をと、思案していたたっちの耳に鈴の音が届く。またもや誰かの出入りを知らせるそれに、たっちは警戒する。

セバスは出て行ったばかりであり、プレアデスもメイド長も多忙な身のため来訪は滅多に無い。

机上に置いていた兜へ、たっちはそろりと手を伸ばす。不可視の警護役が暴れる気配は無いが、念の為である。

ノックの音が室内に響き渡る。そして、来訪者は扉向こうから名乗りを上げた。

「たっち・みー様、パンドラズ・アクターめが参りました!入室しても、よろしいでしょうか?」

その申し出に対して、少し悩みつつも、たっちは兜に伸ばしていた手を引っ込める。そして、入室を許可した。

 扉を開け、深々とゆっくりお辞儀をする軍服姿のドッペルゲンガーに慌てた様子も困った様子もない。常と何一つ変わらない、相変わらずの雰囲気だ。

「どうした、パンドラズ・アクター。何か問題でもあったか?」

来訪した理由が分からず、たっちは尋ねる。宝物殿守護者がたっちに会いに来る理由など、何一つ無いはずであった。そして何よりも、彼は現在多忙なはずなのだ。

 パンドラズ・アクターは、今回のゲームにおいて特殊な役割、アイテム管理担当者を担っている。

 たっちの白陣営側もウルベルトの黒陣営側も、何にどう使うにせよ道具が必ず要る。

その必要な道具、特殊なアイテムなどの要請された品々を渡すべく、宝物殿守護者は現在、各陣営とその拠点を奔走しているはずだった。

水を無限に生むアイテム、清潔な大量の布、移送用の馬車、拘束道具に嘘発見器などなど、白陣営側が要望した品だけでも準備などに時間がかかるはずだ。だからこそ、パンドラズ・アクターは今回のゲーム中は礼儀を欠く行為でも都度の挨拶は不要となっている。

勿論それはナザリックの者達が決めたことで、たっちは別に礼儀を欠いてるとは思わないことなのだが。

「いえいえ、何も問題は御座いません、たっち・みー様。御希望のアイテムも全て用意できております!」

問題がある訳でも無いのに、わざわざたっちの前に姿を現した理由は一体何なのか。思い当たる節が全く無く、たっちの疑問は解消されないばかりだ。もしかして挨拶をしに来たとか言わないだろうなとたっちが懸念していると、恭しくパンドラズ・アクターが頭を下げ口上を述べた。

「まずは、三日目にて中心拠点の掌握完了、おめでとう御座います」

なんだか厭味ったらしい言い草に煽られ、思わずたっちは聞き返してしまう。

「……ウルベルトさんは」

「一日目には全てを塵芥に変えられ、占拠を済ませておりました」

「…そうか。それで、まさかそれを言うためだけに来たんじゃないだろ?」

その問に、パンドラズ・アクターがその長い指を一本立てた。

「実は、一つ気掛かりなことができてしまいまして」

「気掛かりなこと?」

鸚鵡返しのそれに、こくりとパンドラズ・アクターは頷く。

「はい、たっち様、つかぬ事を伺いますが、モモンガ様を侮辱した愚か者はおりませんでしょうか?」

居ると答えればその人間がどうなるのかは、その声音から察することはできない。平坦な口調はその顔のようで、何かを察するのは難しい。しかしそれでも、その問いが指し示すところはナザリック地下大墳墓にて生まれた存在を良く知る者達にとって、汲み取るのは容易いことだった。

「仮に居たとして、その者達を引き渡す義務は無いはずだ」

「おお、それは確かに、仰せの通りかと」

戯けた様な返答は、たっちの返事を受け止めたとは思えない調子である。やはり当然、彼は平然と言葉を連ねた。

「しかし、このパンドラズ・アクターめの心の内を慮っては頂けませんでしょうか?心より敬愛する父上のことを嘲った愚か者共が、これから魔導国で平然と生きて逝くなど…、あぁ、耐えられぬのです…!」

「すまないが、我慢してくれ、パンドラズ・アクター。人間は誤る生き物だ。そして、その過ちを正し、生き直せる生き物でもある」

「おぉ、なんと慈悲深い…」

感動したような言い草のその声は欠片も震えておらず、只管に嘘臭い。パンドラズ・アクターは、つまらなさそうに吐き捨てた。

「しかし、その慈悲深さは平等なのですね。ウルベルト様で御座いましたならば、私に甘くしてくださいますのに」

「……平等とは、違うな」

手を組み、考え込むが、最適解はたっちの中で既に出ていた。パンドラズ・アクターがその名を出すならば、たっちが口から出すべき答えは唯一つだ。

「これは正義だ」

その言い切られた、訂正するのも指摘するのも憚られる凛とした物言いに、しかし呆れたような返事がされた。

「恐れながら申し上げます…。その正義とやら、何とも無価値で無意味かと。絶対なる存在、何にも代え難い、いえ代えられることなど出来ぬモノは存在いたしますので」

「その盲目に、何の意味がある?」

次に食い下がったのは、たっちの方だった。まるで仕返しのように、呆れた声音で彼は返す。

「そうして甘やかして何になるんだ、パンドラズ・アクター。それはいずれ、腐敗に繋がるんじゃないのか?」

「御方が座す玉座も、何も、何も腐りは致しません。ただ、偉大なる絶対の神が、君臨し続けるだけで御座いますよ」

その声は冷たく、巫山戯た調子ばかりが常の守護者にしては珍しく、彼自身の感情が表立っていた。

「正義など、嗚呼、くだらない。ただあの御方が居る、それだけが絶対であり、唯一正しいことで御座います、たっち・みー様」

その言葉、その感情をたっちは噛み締め、聞き届ける。そして、それに晒され続けてきた人でなくなった友の心内に思い馳せる。

「……ありがとう、パンドラズ・アクター。探していた答えの一片が見つかりそうだ」

「それはそれは、宜しゅう御座いました。それでは、このパンドラズ・アクターめは退室させて頂きましょう。お邪魔致しました、たっち・みー様」

少し拗ねた様な、怒ってる様な、つまらなさそうな様子で、踵を返し出ていこうとする友の創造した子を、たっちは優しく呼び止める。

「それで、パンドラズ・アクター、…俺を値踏みした感想は、どうだった?」

「はっはっはっ、いえ、値踏みなど、恐れ多い。ただつまらない感想を抱いただけですよ!」

去ろうとしていた彼が、声だけで微笑いながら振り向く。軍服の裾が揺れ、金属が微かに鳴いた。そのくるりと振り返った彼の顔が一瞬、たっちには意地悪く笑ってみえた。

「貴方様とは、あまり美味しいお酒が飲めそうにないなと」

それに対して、たっちも、にっこりと笑って返す。

「はっ、それは当然だな。上司と飲む酒なんぞ、緊張して美味しく感じる訳がないだろう?」

「…はは、」

あっはっはと、大きな笑い声が重なる。それはまるで、化け物達が人間の真似をして無理に作ったような笑声。

聞く者を不快にさせ、そして妙に不安にさせるような笑い声だった。

 

 

 

 

 


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