元は宗教都市だった瓦礫の山の上にて、その足故か平然と悪路を歩む山羊頭の悪魔は煙を味わう。
ぷかぷかと浮かんでは消ゆく自身が吐き出した煙が、宵闇の中へとまた消えていく。その光景を、彼は見るともなしに、ぼんやり見送っていた。
スレイン法国の神都に大災厄が訪れ全てが終わってからすぐに、北西へと向けて純黒の馬車は走った。向かう先は、黒の陣営の中心拠点として設定されたスレイン法国のとある都市である。
その都市は、ゲームで勝つために必須の土地。そして、ウルベルト・アレイン・オードルにとっても広く蹂躙を開始する最初の足がかりとなる大事な拠点である。
本来ならば人の足では何日も掛かるはずの道のりは、悪魔の意志によって劇的に短縮される。アンデッドの尋常ではない馬力と、強制的に造られた直線の道によって。結果、ほんの数時間で、純黒の馬車は宗教都市に到着した。
ちなみに、ゲームのルール上、移動手段は基本的に支給の馬車のみとなっている。〈転移門〉を使える使えないの不利が発生しないようにするためだ。アンデッドの馬は疲れを知らずに信じ難い速度で快適に走るのだが、ウルベルトにとっては少しダルいルールだった。
湖の前に馬車を止め、ウルベルトは馬車から降りることなく独りごちる。
「さぁて、どうしようか」
宗教都市にて身構える者達など無視して、まるで研究者のように彼は絶壁に彫り込まれた神々を観察していた。信者のようにじっと、しかし冷めきった瞳で。
それを見ていた法国の人々は、安堵と拍子抜けをしてしまっていた。
常と同じく輝く湖の前に現れたのは、まるで旅の曲芸団一座の如き装飾の施された真っ黒な馬車。それが、たったの三台。風がわりな見た目なうえ一台は異様に大きいが、それでも片手で数えられる程度の台数のみ。湖の向こう側に現れ、ぽつんとある姿は間抜けで笑ってしまいたくなる光景だ。
見た目だけで言えば、それはあまりに滑稽な光景である。
一方は、湖の前に停車したまま微動だにしない華美な馬車。もう一方は、警戒心を滾らせ武器を握る法国民。まるで観光客相手に警戒しているような、そんな馬鹿馬鹿しい気分に法国民達はさせられていた。
しかし彼らは決して気を緩めない。彼らは魔法によって、神都がどれほど無残な終幕を迎えたかを知っていたからだ。
その恐ろしい結末を見届けた者は、報告を終えた後は自室に籠もっている。転移魔法が使える魔法使いの逃亡者も後を絶たず、その宗教都市に残る人々は逃げられなかった者達と逃げなかった者達に分類される程だ。
そして、逃げ出さなかった者達は更に二つに分類できた。
一つは、己が故郷と神々を信じて逃げ出さなかったバケモノ嫌いの者達。彼らは哀れにも蹂躙された神都にいた者達への弔いのためにも、戦い抜く覚悟を既に決めていた狂信者だ。
もう一つは、魔法の探求者だ。無駄なプライドや事情があり魔導国に亡命せず法国で探求し続けてきた少数派達。彼らは最後の最後に、魔法の深淵を覗きたいという欲を抱きその都市に残っていた。自身の命すら対価に、その片鱗だけでも拝めるならと残った、ある意味、魔法の狂信者達であった。
彼らは皆、理由は違えど血走った目で純黒の馬車を睨んでいた。次の瞬間に何が起こるかと、瞬きすら惜しんで固唾を呑んで睨みつける。
まさか馬車の中で、ウルベルトがゲームルールの最終確認として、中心拠点はどのような状態でも占拠できていれば問題ないか確認しているだけだとは露も思わずに。
純黒の馬車から、遠目からでも人ではないと分かる者が降りてくる。その存在の人ならざる見た目に、法国の一部の人々は顔を顰めた。
そして、続いて降りてきた者達には誰もが動揺した。続けてどんなバケモノがと警戒していた彼らが見たのは、女だった。しかも、一人はドレスを着た少女、二人はおそらくメイド服を着ているという全くの想定外の出で立ちだ。
あまりの予想外に、法国側はざわついてしまう。
しかし、あれは人間か、助けるべきか攻撃か様子見かと法国側がざわついたのは一瞬だった。彼らは、いや魔法使い達は皆、その青白い光に心奪われ立ち尽くしてしまう。心に住まわせていた全ての憂いを忘れ、ただそれに見入ってしまう。
ワールド・ディザスターの周囲に展開されていく、青白く輝く超位魔法の魔法陣に。その圧倒的なる、美しい力に、誰もが見惚れていた。
それは、目まぐるしく姿を変えて放つ魔法の力を溜めていく。広がり、円を描き、滑らかに陣が作り出されていく様は人々に魅せるための芸術品のようだった。
法国の魔法使い達は、その美しさに涙した。バケモノを憎む者達すら、耐えきれずに雫を零す。神話の領域、自身が決して片鱗にすら到達できない階位にある魔法。常人の理解をゆうに超えた何か。普通に生きて死ぬだけでは決して知ることも見ることも出来ない世界の片鱗を目撃した事実に、己の立場も忘れて彼らは滂沱の涙を溢れさせていた。
最早、その場の軍指揮官の言葉に意味もなく、かろうじて整えられていた隊列は崩れる。魔法使い達がそれを見ただけで泣き崩れるほどの圧倒的なる力、その意味を理解した者達は続々と逃げ出し始めていた。
そうして一瞬のようで永遠のような時間が経過し、魔法使い達は山羊頭の悪魔が欠伸をしたことで我に返る。つい先程まで、その見事な衣装と魔法陣もあって神の降臨の如くだった姿が、急に俗物の如くなったことで誰もが夢から覚めたような顔になっていた。
その欠伸はあまりに俗世間じみていて、退屈だと雄弁に述べていた。それに呆ける彼らが間抜けな声を出したのと、超位魔法が発動されたのは同時であった。
そのたった一つの魔法は、人々を見守ってきた神々の像の彫り込まれた崖を、粉砕した。
轟く崩壊音は雷鳴の如く響き、砕け散った岩は霰のように降り注ぐ。天から崩れ落ちてきた神々の彫像の瓦礫によって押し潰され、人々は次々と容易く死んでいった。全てが平等に砕け、そして全てが平等に潰されていく。
破壊の音がやっと収まり静まり返った時、そこに人々が居た痕跡は何も無かった。まるで最初から何もそこには無かったかのように、瓦礫の山だけが存在した。
そうして、純黒の馬車が現れてから一日も経たずに宗教都市の法国民は死に絶えたのであった。己の幸運を知らぬ間に、何が起きたのかも分からないうちに。
貴重なアイテムをわざわざ使うのは勿体無い、そんな理由だけでウルベルトが超位魔法の発動までの時間を大人しく待っていたなど、知る由もなく。
そうして、黒陣営側の中心拠点の都市が塵芥となってから二日目の夜が訪れる。
ウルベルトによって生み出された残骸の山、その目前の湖の上には冒涜的な砦ができていた。それを、残骸の中、一等小高い場所からウルベルトは眺めていた。
「一日目には終わらせるだろうとは思っていたが、まさか塵芥にまで変えるとはと、父上が仰せでしたよ」
「中心拠点は占拠できているなら状態は何でも良いって言われたし、後、少し気になったんだよなぁ」
彼に追従して残骸の天辺まで来た傍らの者に、のんびりとウルベルトは答える。
「この街を破壊しようとしたら神様とやらが現れて、敬虔なる信徒達を救いに来るのかなって」
「成る程。それで、現れましたか?」
答えずに辺りを眺めるように片手で促すウルベルトに、パンドラズ・アクターは小さく嗤う。
「愚問でしたね。そもそも、真の神は既に君臨されているのですから現れるのは紛い物の神でしょうし」
楽しそうなその声に、真の神とは誰のことなのか、などという愚問をウルベルトはしなかった。
「それで、この瓦礫の山に呼ばれた理由をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「旗を立てる道具がほしくてさ。ぶっ刺しても良いけど、やっぱりバランス悪くてな、どうにも安定しない」
周りを眺め、不足しているものにパンドラズ・アクターは納得し頷く。湖上の砦には陣地表明の旗があるが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の巨大な旗は見当たらなかった。元は宗教都市だった陣地にも、旗は一本もささっていない。
必要数を確認するために辺りを眺め、そして、もう片方の陣地も必要になるかとアイテム管理担当者として彼は思案する。
「たっち様の分は…、不要ですかね。あの御様子なら、元々あったものを御使いになるでしょうし」
その独り言に、ウルベルトが反応し尋ねる。
「宣言通り、平和に征服しているのか?」
「えぇ、降伏を促しておられましたよ。二日目には強制的な手段に出ておられましたが、一部分が消滅しただけで残りは無事な状態で占拠しておりました」
聞いておきながら、どうでも良さそうに返事をしウルベルトは話題を変えた。
「そういえば、パンドラ。キッチンスペース一式って用意できるか?簡易なもので良いからさ」
「可能で御座いますよ。料理をなさるのですか?」
「デミウルゴスと一緒にエントマが頑張ってくれてるし、新鮮な肉も沢山あるしな。三日後の晩ぐらいには、本陣に一旦戻る予定だから労ってやりたいと思ってな」
パンドラズ・アクターが得心がいったという風に、ああと声を出す。
「やはりデミウルゴス殿は、遊軍部隊としてお勤め中でしたか」
「まぁな、国境で釣りをしてるよ」
「それは楽しそうですね。それでは、私めも勤勉なる悪魔の友人を見習い、職務に戻ろうと思います。キッチンスペースも直ぐに準備致しましょう」
頭を下げ、お任せあれと大袈裟に振る舞うパンドラズ・アクターにウルベルトは苦笑する。そして、影の悪魔の呼びかけに気付いて地面に目を遣った。
その報告を受けたウルベルトがにたりと嗤うのを見て、パンドラズ・アクターも嬉しそうに尋ねる。
「如何なさいましたか?」
「この辺りを偵察していた法国の部隊が居たらしい。その内一人がなかなか強いらしいぞ。ここに招いてみようじゃないか、パンドラ」
「やれやれ。油断大敵で御座いますよ、ウルベルト様」
窘めつつも止めはせずに、ウルベルトが誘導の指示を出すのを彼はただ見守っていた。
影の悪魔が去り、暫くは静寂が続く。
手加減を誤って殺してしまったかなと彼らが危惧し始めた辺りでやっと、重たい足音が聞こえてきた。
「デミウルゴス殿に殺されるのは勘弁願いたいので、どうぞ私めの後ろに御下がりを」
「お前も心配性だなぁ」
残骸の上に這い上がり、叫びながら鈍足で走るそれは、ウルベルトからしてみれば蛞蝓のようなものだ。とてもじゃないが、自分がそれに殺されるとは思えないような存在でしかない。
「ぬあああああああああ!!」
頭から既に血を流し、今にも足を縺れさせすっ転びそうな様子の兵士の前に死の騎士が立ち塞がる。圧倒的なその壁に対して、兵士はその胸にぶら下げていた宝石を引き千切ると勢いよく掲げた。すると、それが発光し、なんと斬りかかろうとした死の騎士の動きを止めたのだ。
その想定外の出来事に、ウルベルトもパンドラズ・アクターも一気に警戒レベルを上げて臨戦態勢に移る。
「今のはアイテムの効果だな」
「死の騎士の動きを止めるとは…。あ、いえ、動き出しましたね。効果は若干の足止め程度ですか…、ふむ…。ウルベルト様、如何致しますか?」
「足止めをしたアイテムの確認がしたい、殺すな」
「畏まりました」
突貫する兵士の生死について、悪魔とドッペルゲンガーの間で淡々と話し合われ取り決められる。
自身がどこに向かって走っているのか理解しないまま、彼は今度は宝石をウルベルトとパンドラズ・アクターめがけ投げつけた。
「死ねぇ!!バケモン共があ!!」
光を放とうとした宝石はしかし、男が瞬きをした間に両断されており輝くこともなく地面に落下する。呆然とし、それでも戦士として駆け抜けようとした男だったが、しかし、背後から迫っていた死の騎士に頭を鷲掴みにされて空中に釣り上げられてしまう。
「この、クソッ、クソッ、クソッ…!!」
じたばたと足掻くも、アンデッドの手から脱出できずに男は苛立ちのまま口汚い言葉を並べる。それに対してウルベルトは別に何も感じない。しかし、次に発せられた言葉は別だった。
それに対して、ウルベルトは拍手したい気分になった。目の前にいる喚く男の、まるで宝くじに当選した後に隕石に当たって死んだような、酷い運に。
男は、よりによってパンドラズ・アクターの前で、最も言ってはならない暴言を吐いたのだ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王はクソッタレの下衆野郎、最低趣味の下劣漢で、あんなのが王として君臨するのが間違っていると。
そもそもパンドラズ・アクターは、各拠点から要請があればアイテム提供と設置手伝いのためだけに転々としているはずの存在だ。この戦場においては一所に留まらない、言ってしまえばレアキャラのはず。そんな彼が偶々ウルベルトと談笑している時に見つかるなんて、驚くほど運があまりに無さすぎる男だ。
「…ウルベルト様、これは私が貰っても?」
生みの親と同じく表情の読み取り難い相手だが、怒り心頭なのは雰囲気からも伝わる。ウルベルトは当然すぐに許可を出した。
「アイテムについてちゃんと調べるなら、後は好きにして良いぞ」
「有難う御座います。さて、デミウルゴス殿とマーレ殿にもアポを取付け、色々ご教授頂かなければいけませんね」
その口から出た拷問の先生一覧に、あ、思った以上に怒ってる、とウルベルトはこっそり思う。だが、それだけで終わりだ。男がこれからどんな目に合おうと、ウルベルトには関係ないことである。
「ん?これ動かなくなったけど、死んでないか?」
「なんと!人間は脆い!」
慌てて死の騎士に手を離すようにパンドラズ・アクターが命令し、男は開放される。剥き出しの岩肌に打つかるだけと思われた肉体は、途中で動きだし地面に伏せる形で着地する。そして闇夜の森へと目掛けて、兵士は脱兎のごとく逃げ出した。
「おや、謀られましたか」
冷静な独り言を呟き、当然の如く駆け出したパンドラズ・アクターは男に一瞬で追いついた。そして、綺麗な回し蹴りが男の鳩尾に入る。勢いよく転がって来た弾む男の頭を、サッカーボールの様に足でウルベルトはキャッチする。
「おいおい、パンドラ。ムカついてるのは分かるけど、拷問する前に死ぬぞ?」
「あぁ、しまった!つい!」
ウルベルトが顔面を擦り降ろされた男の襟首を掴み、持ち上げると呻き声があがった。しかし今や頭部から流れていた血どころではなく、皮膚が捲れ肉が剥き出しになった頬や鼻頭も真っ赤な状態である。内蔵も潰れている様子のため、無事であるかは怪しかった。
「セーフですか!アウトですか!」
「うーん…、お、動いた。ギリギリセーフみたいだぞ、パンドラー」
「それは良かった!」
男が一命を取り留めたことに嬉しそうに声を上げ、パンドラズ・アクターはウルベルトに駆け寄ってくる。
それにしても本当に運のない男だと、ウルベルトはとうとう感心する。先程の衝撃で首でも折れて即死できていれば幸せだったのに、変に逞しいせいで生き残ってしまうとは。しかしおかげでアイテムの調査は問題なく行えるのだから、ウルベルトにとっては彼の運の無さは有り難いことである。
そんな取り留めのないことを考えながら、ウルベルトは無造作にアイテムボックスから取り出したポーションを男にふりかける。
「ほら、次は気をつけろよ。即死なんて、つまらないもんな?」
ウルベルトが差し出す呻き声をあげる男を貰い受けながら、パンドラズ・アクターも明るい声音で返す。
「まったく仰せの通りかと!」
しかしふと、表情は変わらないが俯き顎の辺りに細長い指を当て、パンドラズ・アクターは思案を始める。そして、真剣な口調で語り始めた。
「私めは考えが甘かったようです、ウルベルト様。このような考えを抱く愚か者がいるとは…。ですので、少しばかりの我が儘を、たっち様に伝えに行こうと思います」
父への冒涜に怒る息子が出したその名前に、ウルベルトはにやりとする。
「パンドラ。アイツもなかなか、食えない奴だぞ」
今までとはまた違う調子で評するウルベルトに、パンドラズ・アクターはきょとんと顔を向ける。しかし、そうして返された言葉は常と変わらないものだった。
だからアイツのことは大嫌いなんだと、不愉快そうに、しかし口元は歪めながらウルベルトはそう零した。
黒の陣営中心拠点を占拠して三日目の黄昏時。元は崖であり、そして神々の彫像だった残骸の上にて、ウルベルトは煙をのんびり味わっていた。
都市に降り注ぎ全て押しつぶし掻き消した瓦礫の山の隣では、湖が素知らぬ顔で常と同じ表情を見せている。
その湖のうえには、無数のカラフルなストライプ模様のテントが並んでいる。大量のアンデッドによって作られた足場の上に設置されたそれは、とても華やかで、賑やかな装いだ。陸地と湖上のテントそれぞれを繋ぐ道にはランタンが設置され、黄昏の訪れと共に灯り始めている。
まるで、サーカス団が見世物をしにやって来たかのような光景。
しかし、辺り一帯はとても静かで、風が通り抜ける音と夜を迎え興奮する動物たちの鳴き声しか無い。湖を汚すドス黒い染みも、ただ静かにテントの下に広がって、澄んだ水に溶けていくだけだった。
待ち合わせしているウルベルトのために屋外に用意された寝椅子は、繊細な金の細い蔦と花弁を象る宝石細工が贅沢に施されている。一目見ただけで、桁違いの高価さが伝わる品だ。
まるで本物の様に生き生きと茂る黄金の植物は、漆黒のクッション部分に添って飾られている。質の良い厚い布を間に敷いて地面に置かれたそれは、土埃と無骨な岩の上では場違い感が否めない。口があればきっと、こんな所に私を置かないでと不平不満を垂れただろうと思える程だ。
それに背を預けながら、パイプを咥えるウルベルトは湖の上にある自身の拠点をぼんやり眺めていた。朱と濃紺と灰色の雲が斑に空で混ざり、世界は眩い紅に染まり、じとりと濃紺が裾から新色を開始していた。
パイプを吹かして彼は、紫炎が夕刻の色に染まる空を揺蕩い、また消えていく紫煙を見送る。そして、その耳が、ぴくりと動く。
その原因である足音の主は、待たせておきながらひょうひょうと語り掛けてきた。
「この様な所で御独りでは、危ないのではありませんか?」
足音と声の発生源を一瞥もせず、警戒もせずにウルベルトは変わらずのんびりと答えた。
「周りに一応、護衛ぐらいはいるよ」
「狙撃にも備え、盾役ぐらいは手近に置かれた方が良いでしょう」
発言者は、引き連れて来た死の騎士に緊急時は壁となるように命令し、寝椅子の周りに配置する。今回のゲームにおいてアイテム管理担当者を担っている守護者に、にやりとウルベルトは笑いかけた。
「ありがと、パンドラ。そうだな…、狙撃には備えるべきだよなぁ」
にやにや笑いながら、おちょくるように言うウルベルトに対し、パンドラズ・アクターは肩をすくめる。
「礼には及びませんよ、ウルベルト様。ただ…、私めが至高なる方の御姿を借りて貴方様を撃ち抜いたことは、そろそろ忘れて頂ければ幸いなのですが」
「努力はするよ」
どこか気安さのある声かけを交わし終え、ウルベルトは身を起こした。そして、アイテムボックスから取り出した物を、来訪者に差し出す。
「葉巻、お前も吸うか?」
「それでは、一本頂きましょうか」
ウルベルトから差し出された葉巻をパンドラズ・アクターが受け取ると、それと同時にウルベルトは自身の指に装備された爪のような細長い刃物で葉巻の吸口を切り落とした。
「火は…、《火球》で良いか?」
「顔面が丸焦げになるのはご勘弁願いたく」
「はは、冗談だよ。ほら、使え。あと、ここ座っていいぞ」
言いながら、起こした身を隅に寄せてもうひとり座れるスペースをウルベルトは作った。そして、またもアイテムボックスから取り出した燭台と火の灯された蝋燭をウルベルトは差し出す。
「…では、お言葉に甘えて」
空いた場所に腰掛け、ウルベルトの差し出す灯火でパンドラズ・アクターは葉巻に火をつける。上品な寝椅子は、最早見る影もなく、ベンチと言われてもおかしくない程だ。きっと口があったら、憤慨の言葉を並べ立てただろう。
唐突に短い笑声をパンドラズ・アクターが零す。それに対し、ウルベルトがどうしたと聞けば愉快そうに彼は答えた。
「いえいえ、デミウルゴス殿がこの光景を目の当たりにしたら私めは殺されるかもしれないなと思ったら、可笑しくて」
パンドラズ・アクターの指摘に、ウルベルトも笑う。その息子の様子は、とても容易く生々しく想像できた。
「あいつ、いつまで経っても堅いんだよなぁ。まぁ、そう創ったのは俺なんだけど」
「私めが殺される前に再教育して頂きたいところで御座いますよ、ウルベルト様」
「あぁ、努力するよ」
「…先程から努力されるばかりで御座いますねぇ。結果も出して頂ければ、幸いなのですが」
パンドラズ・アクターの皮肉めいた返答に、楽しそうにウルベルトは笑う。そうして笑って、煙を楽しみ、隣に座る守護者に優しく問い掛ける。
「それで?たっちの野郎はなんて言ってたんだよ、パンドラ」
足を組んだウルベルトが、膝に頬杖をついて背中を丸めて尋ねる。パンドラズ・アクターは、慌てて答えるようなことはせずに、葉巻を味わっていた。ウルベルトも大して気にせずに、煙を味わい暮れゆく景色を眺め、ただ待った。
そうして暫く静かな時が流れ、やっとパンドラズ・アクターの口と思しき黒い点から、回答が出てきた。
「……………非常に面白い御回答を頂きました」
その答えにならない答えだけで、ウルベルトは全てを察し汲み取った。だからこそ、同じような答えを返す。
「俺の言った通り、なかなか食えない奴だっただろ?だからムカつくんだよなぁ、アイツ」
「えぇ、全くもって仰せの通りです、ウルベルト様」
その思い切った返答は、さすがに予想外でウルベルトは腹を抱えて笑ってしまう。それを一瞥し、葉巻を咥えながらパンドラズ・アクターがおもむろに立ち上がる。その背に、優しく問い掛ける言葉が掛かった。
「俺には何か聞きたいことはないのか?」
「…いいえ、貴方様に問うことなど、何もありません」
「それで良い。俺はもう決めてるからな」
背を向けていたパンドラズ・アクターが振り返り、ウルベルトへと顔を向ける。ウルベルトのパイプから風に流されやってきた紫煙が、そっとその軍服を撫ぜた。その紫煙が流れ消え行くのを、パンドラズ・アクターは視界になんとなく捉える。そしてそのまま追いかけ、湖へと再度視線を戻した。
最後の別れを味わった葉巻を、その細長い指でパンドラズ・アクターは弾き飛ばす。中途半端に楽しまれた葉巻は、空中で弧を描いた後にあっさりと落水した。
「おいおい、ポイ捨てとはマナーが悪いな」
「現在進行系で色々と御捨てになられているウルベルト様から、まさかそのような御指摘を受けるとは」
「捨ててはないさ。無駄なく使ってるだけだ。魚の餌になるだろう?」
その惨い言い分を追求する訳もなく、パンドラズアクターはウルベルトの近くへと戻ってくる。そして、腰掛けるウルベルトの足元に自ら膝を地につけ、頭を垂れた。
ウルベルトは静かに、その跪く友人の息子を眺めている。
「ウルベルト・アレイン・オードル様、今この時、このパンドラズ・アクターめの忠誠を、お受け取りくださいませんでしょうか」
真剣なその告白を、悪魔は優しくからかう。
「どうした、父親主義のお前が珍しい」
悪魔のそれに対して、ドッペルゲンガーも茶化すように応えた。
「えぇ、父上は絶対です。しかし、次に絶対なのはウルベルト様で御座います」
「くくっ、無茶苦茶だな」
愉快そうに笑った悪魔は、しかし、長く息を吐き出すと煙管をアイテムボックスへと放り込んだ。そして、跪く守護者の前へ、その手を差し出す。
「だけど、お前らしいよ」
「…ありがとう御座います」
ウルベルトの差し出された手に、嘗てパンドラズ・アクターが宝物殿で父に贈ったのと同じ意味合いの口付が、落とされる。
その忠誠を、深い愛を、悪魔はいつのまにか迎えていた闇夜の中で静かに受け取る。
青白い月明かりの下、血の染みた澄んだ湖の傍で、揺らぐことない愛を。
立ち上がったパンドラズアクターが、そう言えばと指を一本立てる。
「ご依頼されていた御旗を立てる道具を、ご用意させて頂きました」
やっと触れられた話題は、本来ならば最初に言うべきことだった。なぜならウルベルトが待ち合わせていた理由が、それなのだから。
この場に事情を知っているナザリックの者がいれば、パンドラズ・アクターを怒りのままに糾弾しただろう。しかし、当の本人もウルベルトもどちらも大して気にしていないために謝罪は無く話は進む。
「へぇ…。悪くないな。でも、準備が大変だったんじゃないか、パンドラ」
満足そうに、ウルベルトは瓦礫となった宗教都市にて旗を掲げる骸骨と人間を見渡す。
旗を支える人間はぐったりした様子で、膝立ちしている。揺らぐことのないように人間がその手で握り締めるのは、瓦礫に刺さる旗だ。その背からそっと協力する骸骨と組み合わさったその姿は、まるで一つの芸術品のようである。
青褪めた顔したまだ生きている彼らは、苦痛に耐える顔を晒している。嫌で嫌でたまらないのだと、隠しもせずその表情に出していた。しかしそれでも従っているのは、地獄の底を覗いてきたからだろう。
最後にウルベルトは、瓦礫の山頂で掲げられるアインズ・ウール・ゴウン魔導国の御旗へ視線を遣った。その巨大な御旗を掲げる大役を担った者は、つい最近見た覚えのある人間だった。
「有難う御座います、ウルベルト様。白陣営から譲っていただいたものを、急ぎ躾て参りました。とは言え、恐怖公にご助力頂いたのでそこまで苦労はありませんでしたよ。それから、」
パンドラズ・アクターが右手を天に掲げる。
「これで仕上げです」
そう呟いた彼のその細長い指が器用に音を鳴らす。すると、骸骨の手から一つの小さなアイテムが落下した。そして次の瞬間、茨が地面が生え人間は皆その茨に包まれた。瞬く間に茨の拘束は完了し、微かにしていた動きも一切なくなる。
「“いばら姫の夢”というアイテムに御座います。効果は、絶対不可侵と自動迎撃。デメリットは行動不可能と外の世界が把握できなくなること」
アイテムの解説をしつつ、旗を立てる道具を準備するという役目も全うできたことにパンドラズ・アクターはとても満足そうである。
「こいつら、幸せな夢を見てると良いな」
優しい口調で、にたりと語りかけてくるウルベルトに、パンドラズ・アクターも明るい声音で同意する。
「えぇ、私がゲームの終わりに迎えに来た時、心から喜んでもらえるためにも、幸せな夢を見ていることを祈りますよ」
「そうじゃないと、愉しくないもんなぁ」
「全く仰せの通りかと」
あははっと、心底愉快そうな楽しそうな笑い声が重なり合う。そのバケモノ達の笑い声は、闇夜に響き渡ってゆく。
それはどこかで祝い事をしているのではないかと聞く者に思わせる程にとても、とっても愉快そうなものだった。