魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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純白03

 

 

 

 

 

 天に御座します、神様。

「…かみさま」

がらんどうな声が呼ぶ。馬車の中、乾いた明るい床板の上で。

なぜ、その御座より降りて御手で救い上げてくださらぬのかと。地上の暴力を、平然と無視されるのかと。

傲慢なのは、救われると信じていた人々なのか。不意に足元が揺らぐ人間を、バケモノが笑っている。困ったように。

初めて村に現れた時と同じ顔で。

 

 

 

 数刻前、村人全員で煮え切らない話し合いを繰り返し、やっと逃げることが決まった昼間。村に現れたのは、現在、村人達をどこぞへと連れて行くため馬車に乗るよう指示する犬頭の女だった。

 謎の白い燕尾型の細長い旗と共に唐突に現れた彼女に対し、スレイン法国民の誰もが最初はぽかんとするばかりであった。

見た目の印象と違い花のような香りのする彼女は、首から下はまごうことなく品の良い美女である。まるでメイドの様な黒衣のロングドレスを、綺麗なボディラインを魅せるように着こなす姿。長い黒髪をさらりと流す様。全てが、正に艶やかと言っても過言ではない容姿だ。

その首から上に真ん中に傷跡が一本走る犬頭が無ければ、法国の兵士でも敵国の女に見惚れていたであろうと思わせる程に。

 その戦闘要員とは思えぬ姿に、誰も彼もが混乱し戸惑うだけで行動を起こせなかった。彼女が無条件降伏と投降を呼びかけ、アンデッドの大軍が周囲に現れるまでは。

 暫しの間を空けてから、全員が起きたことを理解した。そして悲鳴を上げ、我先にと一斉に村の外へと逃げ始めたのだ。しかしその全員が、一瞬で、為す術無く捕縛された。

武器を手に取った者達もいたが、あっという間にその武器をへし折られ、結局何も出来やしなかった。

 

 今は皆、放り込まれた馬車の中で大人しく蹲っているだけだ。

弱りきった人々は、残された手段として、神様を呼んでいた。

「…かみさま」

誰かがまた、神様に縋りつき、呟く。

 

 晴れ渡る青空の下に並ぶ簡素な五台の荷馬車と、純白の美しい馬車。簡素な馬車は元々は、法国の民草が逃げるのに使うはずだった物だ。しかし、その見た目に似つかわしい繋がれていた普通の馬は今は、アンデッドの馬に変わっている。

 幌馬車に乗せられた法国の人々は、不安そうに身を寄せ合っていた。まるで地獄に向かっているような、今にも発狂しそうな面持ちのままに。恐ろしい、恐ろしいと震える彼らの視線の先にいる犬頭の彼女は、時折苦笑を浮かべるが、指示を済ませてからは黙したままである。子供が泣き出そうとも、微動だにしない。見た目から格が違うのだと否応なく示してくる立派な馬車の隣で、立っているだけである。

 女の体と犬の頭を組み合わせた継ぎ接ぎの姿。胸をざわつかせるその存在から指示されるまま、モンスターに囲まれ、続々と馬車に押し込められていくだけの彼らの目には最早、生気も希望も無い。勇敢に戦うこともできず生き延びてしまった誰もが、只管に後悔していた。

そしてただ静かに、無力感に苛まれながら涙を零すばかりである。

 彼らの心を支配するのは、バケモノ共に対しての憎悪と軽蔑。そして、認めがたい感情がもう一つ。憎くて憎くて堪らなくても、それでも尚彼らが抱いてしまうのは、密かな畏怖の念だ。

抵抗の意思を示して、斧や鍬、包丁を握りしめた者達は沢山いた。口汚く罵った者だって少なくない。それなのに、その身を壊された者は誰一人とて居なかった。破壊されたのは、あくまで武器だけだ。

威圧的な態度は一つも取らず、村人全員を無傷で無力化できる程の、その圧倒的な強者故の振る舞い。それは弱者として寄る辺を必要とする人々にとって、憧れであり、眩い天上のものである。

「…………私達、本当に殺されないのかしら」

 生き残った人間の女が、小さく可愛い子供を抱きしめながら口を開く。その独り言に対して誰もが目を逸らし、応えはしない。

 未来を悲観しさめざめと泣く村人達に、犬頭のバケモノは懇切丁寧に今後のことを説明してくれた。その内容は、法国民にとって都合の良い妄想のような、確かな救いであった。しかし、話が済んだ後は沈黙を貫くバケモノの様子からは冷徹さしか感じられず、彼らは彼女を疑っていた。その彼女の沈黙が実は、冷酷な感情故ではないと知らないままに。それは単に、今までにも話し掛け宥めようとして尽く失敗し続けた優しい彼女の諦めと傷心の現れであるだけとは、露にも思わずに。

「出発します、わん」

その一声を掛け終えて、彼女は純白の馬車に乗り込んだ。その馬車を先頭に駆け始めた一団に、護衛兼見張りの役割を担う地獄の猟犬が並走し始める。人々からまた、ざわりと悲鳴が上がった。

 

 ざわつく生命の物音が騒々しい、無数の鼓動が鳴り響く世界。上空に座す太陽が何時も通りに世を照らす中、戻るべき場所へと純白の馬車が導く一団は進む。ただ真っ直ぐに、乗った者達の複雑な心境など、無視して。強く暖かな日差しに照らされる道を、お伽噺から生まれた様な馬車を先頭に進み行く。苦くも暖かな香りの満ちる、明るい道を。

 

 先頭の美しい馬車内にて、それはそれは重苦しく、ペストーニャ・S・ワンコはまた溜息を零していた。

 

 

 

 暫く走り続け、草原を抜け、森林を突っ切り、そうして平野に馬車は出る。視界を遮るものが無いその場所で、目的地はその姿を現した。

法国内で有名だった城塞都市の高い壁を、小窓の向こう側の遠くに人々は認める。その都の中央にて、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の巨大な旗が掲げられている、苦々しい事実も。その光景によって、人々の目から更に光が消えていく。徐々にはっきりと見えてきた都市の無残な姿に、光の消失は加速していった。

敵国の旗と、白地に青い縁と剣のシルエットが描かれた細長い燕尾型の旗がたなびく法国都市が、今は誰の所有物と化したかなど明白なことである。この土地の支配者が今は誰なのか、言われずとも認めずとも、誰もが解っていた。

 元々は壁があったのであろう出入り口の城壁の穴に、馬車は悠然と入って行く。

 ぽっかりと空いた壁の穴の向こう側にあるのは、抉れた大地と刈り取られた街並み、そしてその先にある崩壊した城だ。中央高台に聳える城はその半分を綺麗に抉られ、崩壊し、その内部を無防備に晒していた。

 中に入り、無数のアンデッドが練り歩くのが見えて、馬車に乗る人々はそろって呻き声を漏らした。中心に向かって真っ直ぐとある破壊されて出来上がった道には、まるで柵のようにアンデッドが並んでいる。地獄へようこそと死のパレードに出迎えられたかのようで、とうとうさめざめと泣き出してしまう者達も現れ始めてしまった。精神の限界を迎えて、皆が皆一様に顔を青褪めさせていく。

それでも、アンデッドの馬は指示通りに停車するだけである。他にも何台もの馬車が並ぶその場所で停まった意味など唯一つであり、降りるしかないことは指示されずとも村人の誰もが理解している。しかし拘束されているわけでもないのに、まるで固まったかのように誰も動き出さなかった。

 そこに突然、打って変わって底抜けに明るい声が飛び込んでくる。

「おかえりなさい、ペストーニャ様!」

その明るい声の発生源は嬉しそうに、迷い無く、白い豪奢な馬車へと近付いて行く。軽やかで足早な、楽しげな足音を響かせながら。そして、純白の馬車から降りてきたペストーニャに再度、心からの労いの言葉を、その明るい声の主は笑顔と共に送った。

「お疲れさまです!怪我とかしていませんか?大丈夫ですか?」

にこにこ笑う青年に対して、彼女も心底嬉しそうに、優しい声で返す。

「ただいま戻りました、わん。こちらは何も問題は無いですよ。そちらは留守の間に何か無かったですか?」

「大丈夫です!あっ、でも、ユリ様が何か御用がある様子でした。ペストーニャ様のことを少し前に探してましたから」

「分かりましたわん。こちらの皆さんの案内が終わったら、さっそく向かいましょう。…あ、わん」

「はい!」

 思わず馬車から身を乗り出して、唖然と法国の人々はその光景を見ていた。

何故なら、心底嬉しそうにバケモノと語らっているのが、どう見てもただの人間の若人だったからだ。耳も尖っていないし牙も角もない、健康的な小麦色に日焼けした善良そうな人懐っこい笑顔の青年は、一目で好印象を抱く様な人物だ。

 なんで、どうして、という疑問を抱きながら、法国民達は戸惑った顔を見合わせるばかりだ。そうして驚いて、冷静になってよくよく耳を澄ませば、遠くから人々の笑い声まで聞こえてくる。そのことに、法国民達は何度もぱちくりと目を瞬かせた。

 そしてまた、様々な、しかしどれもが嬉しそうな足音がタッタッと近付いてくる。

「ペストーニャ様!おかえりなさい!」

「やっぱり!何か聞こえてたから自分だけ駆けて行ったのね、ズルいわ!」

「僕達もちゃんとお出迎えしたかったのに…」

賑やかな声が、またもや法国の者達にとっては警戒すべきバケモノへと自ら足どり軽く近付いていく。

「こら、喧嘩はダメですよ、わん」

またもや人間と、そして獣頭やグロテスクな見目の亜人種達まで現れ、法国の者達はぎょっとする。

犬頭の彼女の周りに嬉しそうに集まりだしたのは、亜人、人間種含めた様々な種族の者達だ。バラバラの種族だが、しかし誰もが親しみと敬愛の念を彼女に抱いているのは、一目で分かる程に明らかなことだった。

「そうだ、重傷者が少ないなら、私達だけで案内や治療をしますよ!」

魔法使いらしき見た目の女性の提案に、周りも続々と賛同する。

「あら、それじゃあ…、お言葉に甘えても良いかしら?今回は兵士の方は居ないから安全だと思うし、ユリが何か用があるみたいだから…、あ、わん!」

付け足された語尾に、クスクスと笑い声が返される。彼らは力強く頷き、彼女から任されることを誇らしげにして、とても喜んでいた。

「任せてください!」

「私達だけで大丈夫ですよ!」

「それでは任せましたわん。全員、一般市民保護地区の施設に移動させてください」

口々に了承の意を伝えた彼らは、見送りの言葉と共に笑顔でペストーニャを送り出した。護衛と共に去っていく背中が小さくなるのをキラキラした瞳で見つめるその姿は、憧れの先生を見詰める無邪気な子供のようである。

 そして彼女が見えなくなると、任された仕事をさっそく彼らは開始した。

「さぁ、皆さん、施設まで案内しますから、動ける人は下りてくださーい」

「動けない人や、病気、怪我の人はいませんか?治療しますよー!」

「はいはい、こっちですよー」

案内し誘導する担当と、治療魔法をかける相手を探す担当、馬車内から動かない人々への声かけ担当と別れて、手慣れた様子で彼らはきびきびと働き出した。

動くのが辛そうな老人に顰め面をされながらも巨体の亜人はその身を背負い上げ移動を助け、尖った耳に対するひそひそ話など無視してエルフは泣く子供や母親の移動を手伝っていく。

 そんな彼らのことを眺める呆然とした法国の者達は、誰一人とて事態を把握しきれていない。しかし国土を蹂躙されている者として従わざるを得ず、渋々と困惑したまま馬車から次々と降り始める。そうして彼らに誘導されるままに、とぼとぼと歩き始めた。そんな村人達の内一人が、ぼそりと、思わず呟いてしまう。

「…なんなんだ、あの犬頭の気持ち悪いメイドといい、魔導国とは、」

それは、本人からすれば小さな呟きのはずだった。だが、聞こえてはいけない相手に聞こえてしまったのは、しんと辺りが静まり返ったことで発言者にも痛い程に分かることだった。

「おい、あんた、今なんつった」

いの一番に犬頭のバケモノへと駆け寄ってきた青年が、丁寧な口調をかなぐり捨て村人に詰め寄る。

「先生の悪口を、助けられた分際でよく言えたわね。さすがは法国の民ね、プライドだけは天下一品みたい」

丁寧な口調のままだが、嫌悪感を一切隠さないで獣頭の亜人は吐き捨てるように詰る。

場にはピリピリした空気が漂い、緊張が走りだした。そして、青年が腰の武器へと手を伸ばしたことで、村人達全員がギョッとする。法国民にとっては、彼が何故そこまで怒るのか全く分からない事態だった。

 しかし彼が怒るのは、その場に居る魔導国側の者達にとっては至極当然のことだった。彼らは皆、魔導国の冒険者であり、そしてその多くが、魔導国の孤児院出身の者達だからだ。

特にペストーニャの優しさも愛も知っている孤児院出身の者達は、怒りを剥き出しにしていた。その愛によって同じく救われた身で彼女を貶した存在が、彼らは許せなかったのだ。

それは決して、決して、許されることではなかった。

「止めましょう、私事で殺しても、先生方はきっと喜ばれない」

「うっ…、それも、そうだな…」

大柄な亜人がそっと、人間の手を壊さぬように気を付けながら尖った爪の生えた手を添えて、怒りに顔を歪めていた青年を諌める。諭された青年は尊き優しい方々がその顔を歪めるのを想像して顔を顰めると、渋々とだが武器を定位置に戻した。

「さぁ、移動を開始して!それから、人間だからという理由だけで救う神などこの国にはいないということを、よく頭に刻み込むように!」

その亜人の声に人々は戸惑いつつ、移動を再開した。もう誰も、口を開かないままに。

 

 

 

 届く騒ぎに耳を傾け、ペストーニャは再度ため息をこぼした。最早何度目かも分からない溜息である。

少し離れた所から文字通り聞き耳を立てていた彼女は、首を振り、歩みを再開する。近くに潜む不可視の護衛と、追従する死の騎士も、彼女から少し遅れて歩み始める。

「あんなに慕ってくれる可愛い子供達、そして善良な冒険者の方々…。ああ、良心が痛むわ…」

協力してくれている魔導国の冒険者に対して、当然のことだが、現在開催されているゲームのことは一切説明していない。善良なる彼らを騙して、白の陣営は利用しているのだ。

 彼らには、白陣営の活動は、『最後の一兵まで戦うことを決めた法国の方針に巻き込まれる民草を哀れんだ魔導王による保護活動』という説明をしている。そして、冒険者達に協力要請をした理由は、『危険に魔導国民が巻き込まれるのは良しとしないが、数多のアンデッドの軍隊は用意できても傷ついた人々を慰めるような人員は用意できないため、苦肉の策としての冒険者頼み』としている。

そんな表向きの理由をでっち上げゲームを隠匿する面倒を負ってまで冒険者を白の陣営が利用しているのには、当然理由がある。

圧倒的な人手不足という、白の陣営側参加者がゲーム開催決定直後にぶつかった最初の大問題がその理由だ。

 

 今回のゲームにおいて、大量の人間を助ける目標のある白陣営には、その助けた人達の面倒を見るための人手が数多必要だった。大量の人間の面倒を見るつもりならば、やはり、人手不足はかなりの痛手となってしまう。

しかし、アインズ・ウール・ゴウンに逆らう存在の救済に意義を見出だせない者達が、ナザリック地下大墳墓においては圧倒的大多数であった。 

 たっち・みーが率いる白の陣営側に参加希望を自ら申し出た者達は、ペストーニャを除けば、セバス・チャンとユリ・アルファ、ニグレド、それから姉を手伝いたいという理由からシズ・デルタ、以上である。そしてニグレドは、留守番・見張り係になる必要があったため、見た目の問題もあったが、白陣営には結局のところ不参加となってしまった。

 黒陣営側に参加するのは領域守護者と彼らが従える多くの配下達。そして食事が出来ると浮き足立つ者達が何名も。元々配下と呼べる存在も少ない上に、どれも非戦闘員である白陣営参加側との人員格差は酷いものであった。

 プレアデスの姉妹にユリが助力を乞おうとしたが、それも手遅れとなる。

ソリュシャン・イプシロンとエントマ・ヴァシリッサ・ゼータは早々に仲良く黒陣営側に参加表明を表してしまい、残っていたナーベラル・ガンマとルプスレギナ・ベータはナザリック防衛のためコキュートスと共に留守番組になってしまい不参加になってしまったのだ。

最終手段としてナザリックのメイド達を連れて行きたいと執事とメイド長がモモンガに嘆願してみたが、それは即刻却下された。万が一のことが起きた時にナザリックのメイド達が死ぬのは絶対に嫌だと、モモンガが頑として譲らなかった為である。

そうなるとユリも、そしてセバスにも打つ手が無くなってしまう。

 勿論、審判側であるモモンガの協力と指示で、白陣営側の護衛や見張り、そして雑務を担当する戦闘員は多く準備された。だがしかし、普通の人間のような見た目の存在は、当然いなかったのだ。準備されたアンデッドで法国民の世話をすることは出来なくもないが、余計な混乱と不和を起こすことになりかねないと白陣営の誰もが懸念した。

そうして、せめて人間に近い見た目の人員が欲しいたっちと、ナザリックの者達は絶対に危険に晒したくないモモンガの話し合いが行われ、最終的に提案されたのが魔導国内の冒険者の利用だった。

 

 尤もらしい理由を並べ、『遠くの土地に旅立てる強さ、異文化交流を時には行える柔軟さこそ必要なのだ』という魔導王陛下の御言葉による呼びかけの結果、その慈悲深き御言葉に多くの冒険者が感銘を受け、多くの協力者が現れた。

人手不足が解消されたことは、至高の存在が話し合って提案し、そして協力までして行ってくれたことだったのでナザリックの者達にとってそれは極めて当たり前のことであった。至高の存在に、解決できない問題など有る訳がないのだから。

予想外だったのは、想定外な熱意と共に魔導国の孤児院出身の冒険者が集結したことである。

 真面目なユリとペストーニャは、自分達が必要としている人材だからと冒険者組合に直接出向いて協力者を募ったのだが、その結果、孤児院出身の冒険者達が集結したことは彼女達にとって全くの想定外であった。

孤児院の子供達とは偶に顔を会わせ、一部の者達と僅かばかり関われているかどうかであるぐらいは、彼女達も自認している。だからこそ、自分達が慕われている事実が信じられず、疑問でしかなかったのだ。

まるで直接命を救われたかのような並外れた熱情を抱く彼らが現れた理由は、未だユリとペストーニャには謎でしかない。しかしそれでも、その善意を利用している自覚はあるので居心地悪くは感じていた。

「……ごめんなさい。万が一があったら、必ず復活魔法を掛けるから」

勝手な謝罪を独り言で済ませ、ペストーニャは気持ちを切り替える。そしてまた止まっていた足を動かし、待たせている相手がいる建物へと足を進めた。

 

 

 

 戻って来た馬車の中に何か不審物が残っていないか調べる青年は、本来ならば施設への案内係だった。

見た目から好印象を抱かれやすいためその役目を負っていた彼はしかし、つい先程に怒りから武器を取り出したためその役目を取り上げられていた。

取り上げられたと言っても、不愉快な相手だったため彼にはどうでもよく、寧ろ有り難いことだった。あんな不愉快な連中を優しく案内するぐらいなら、馬車の点検作業という地味な作業をずっとしている方がマシだ。うっかりつい先程の腹立たしい出来事を思い出し、青年は頭を振ってモヤモヤを追い出そうとする。

「よし、こっちは終わったぞー!」

それに応えて周りからも次々と、同じく終了と報告が上がっていく。馬車からひょっこり顔を出し額の汗を拭った青年は、隣の馬車を確認していた仲間に声を掛けるつもりだった。そろそろ夕食にするか、保護する人の増えた施設の手伝いに行くかと。しかしその考えは吹っ飛び、仲間の背後に居た騎士に目を奪われ、彼は口をぽかんと空ける。

「やぁ、お疲れ様。ペストーニャはもう行ってしまったのかな」

白銀の鎧を装備し赤く燃え盛るようなマントを肩から垂らすその騎士は、その見た目の重苦しさとは正反対な軽い口調で尋ねてきた。

「はっ、はい!えと、ユリ様が探していたと伝えたら、会いに行くと、仰ていました!」

たっちに気がつくまでの緩んでいた声と違い、堅くなった調子の返事。それにたっちは苦笑する。

冒険者は皆、慈悲深き魔導王陛下が望まれるままにと、孤児院出身の者でなくとも、現場指揮官として紹介されたユリとペストーニャ、それからセバスとシズの言うことに良く従った。そして彼らが敬うたっちについても、明確な説明をされないままなのに、対上位者として接してくれている。

「そうか。休憩室の方かな?」

本当は砕けた感じで接してくれてもたっち個人としては全く構わないのだが、それはそれでややこしいことになるので仕方なく流していた。

「おそらくは、そちらに行かれたと思います」

「ありがとう。あぁ、そうだ。ついでに伝えておくよ。実はさっき、夕餉の準備を…、えーと…、外部に委託してね。ほら、君たち冒険者が寝泊まりしている場所近くの広場に、ささやかだけど礼を準備した。お酒も有る。忙しいだろうけど、せめて夕食ぐらいは美味しい物を食べて休んでくれ」

たっちの言葉に、冒険者達の顔が綻ぶ。お礼を述べる彼らに、お礼を言うのはこちらだと、本心からたっちは伝えた。

なにせ、協力してもらっている冒険者達には拠点から一切出ることなく、日々精力的に働いてもらっているのだ。拠点にやって来る人々の世話に関しては、彼らに大変助けられている。そしてその労働時間は、ゲーム終了後には絶対にボーナスを払わなくてはいけない程になっていることも、たっちは把握していた。

更に言うなら、彼らを騙して運用しているのだから、罪悪感もかなりのものである。

彼らが感銘したという魔導王陛下の御言葉は皆で考えた嘘の作文であるし、当初は赤子以外皆殺しの予定だったことはナザリックの者達にとっては周知の事実だ。当然、拠点から出さないのは安全のためではなく、黒の陣営と対戦中のゲームを露呈させないためだけである。

純粋な笑顔とお礼を眩しく感じ目を逸らしつつ、たっちは気に掛かっていたことを尋ねてみる。

「そう言えば聞いてみたかったんだが、君は孤児院出身の冒険者だったよな、確か。前にペストーニャと楽しそうに話していた」

「はい、そうです。俺だけじゃなく、彼女も、彼も、それからアイツも。後あっちの二人も!」

周りを指差し、誇らしげに青年は答える。

「ユリとペストーニャのことを随分と慕っているようだが、どうしてだ?あぁ、いや、変な意味でなく純粋な疑問なんだ。ユリも、あまり君達と関われている訳じゃなかったから意外だったと言っていたから、気になってね。それに、君達は彼女達が人間でないことも分かっているのだろう?」

魔導国内の孤児院全般の運営に携わるペストーニャとユリ、彼女達と孤児院の子供達が共に過ごした期間は殆ど無いと言ってもいいだろう。定期的に施設を訪問するだけの彼女達よりも、孤児院にて住み込みで働く者達の方が、子供達と共に過ごした時間は当然長い。

「その短い時間だけで充分だったんです。何十年経とうが定期的に現れて子供たちの頭を撫でてくれる、ただそれだけで」

問われた彼のシンプルな返答に、力強く周りも頷き同意を示す。

「何年経っても変わらない姿のままなのに孤児院に定期的に通い続け愛してくれるって、凄いことだと思うんです。私達はきっとユリ様やペストーニャ様より弱い、所詮は赤の他人のはずなのに、ずっと変わらずに愛してくれるなんて…」

うっとりと語る獣頭の彼女のその瞳を見て、たっちは理解した。

彼らにとって、最早ペストーニャもユリも肉眼で見える愛そのもの、生きる聖母に等しい存在なのだと。何年経ってもずっと変わらない姿をしている彼女達だが、そんなことを糾弾する者など居ないのだと。

「君達は、ユリとペストーニャを愛してくれているんだな」

その言葉に、また爛々と彼らの目が輝く。雄弁に、その通りだと叫んでいた。

「俺は、コントロールが出来ない聴力のタレントで苦しんでいたけど、ペストーニャ様が助けてくれたんです…!あの時に頂いた御言葉が、ずっと支えになっています!」

一人が言いたくて言いたくて堪らなかったという風に、嬉しそうに語り始め、周りも思いの丈を吐き出していく。

「私は幼い頃に酷い親から逃げ出したところを偶然通りがかったユリ様に助けてもらいました!」

「ぼくは、欲しい本を貰いました!魔法学院に行くお金まで援助してもらってます…!」

「孤児院の大好きな先生が老衰で死んだ時に寄り添ってもらった御恩は忘れられません。幼心に本当に辛かったので…」

嬉しそうに語る彼らの輝く目には、たっちも嬉しくなる。

困っている誰かが救われる。当たり前だとたっちが信じたかった理想が行われていると語る証人達に、汚れた心が救われ洗われるような心地であった。

独りぼっちの子供も、報われない子供も、暴力から逃げられない子供もいない。当たり前だと信じたかったことが、目の前にあることが、たっちは嬉しくて堪らなかった。

 

 

 

 広間を通り抜け、目的地を視界に入れたペストーニャは、死の騎士には一旦外で待機と見張りを申し付ける。そして、石造りの頑丈そうな建物玄関へと向かって行った。

 元々は集会所と裁判所を担っていたその建物の重厚な両開き扉は、見張りの死の騎士によって開きっぱなしの状態にされている。その扉向こうは広々とした吹き抜けの空間が用意され、床には毛並みの良い赤いカーペットが敷かれていた。壁には巨大な額縁と、迫力満点の、モンスターを人々が踏みつけ勝利する絵画が飾られている。少し前の常時なら、その空間は緊張感と威厳が溢るる空間だったであろう。

とはいえ、今はその広間には必要物資が所狭しと並んでおり、景観はお世辞にもよろしくない状態だ。一階にある部屋は全て改装されて、冒険者達の休憩所となっている。そして二階は、ユリとペストーニャ、そしてシズの休憩所になっていた。

 休憩中の冒険者達が、ペストーニャの姿を見て、慌てて顔付きを変えて立ち上がった。そんな彼らに気にせず休むよう指示を出しつつ、ユリが部屋に居るかペストーニャは尋ね、在室を確認してから階段を上がる。

 二階には両開きの扉一つと、その向こうの広大な一部屋だけがある。その扉をノックし、了承の返事を貰ってからペストーニャは扉を開けた。

「ただいま、ユリ。待たせてしまったかしら?私を探していたと聞きましたわん」

「おかえりなさい、ペス。お疲れ様。大丈夫よ。急ぎじゃないの」

中央の机で書類を睨んでいたユリは、顔を上げて帰ってきた同僚兼友に、にこやかに微笑みかける。そして椅子に深く腰掛けなおすと、ティーカップに手を伸ばした。

 美しい彼女の周りにある家具は、どれも繊細な装飾が施されており、まるでユリの美貌を飾る額縁の如くであった。そのどれもが、彼女が丁寧に扱う理由から察せる通り、ナザリックから持ち込まれた物である。

室内に元々あった家財や装飾品は全て撤去されており、室内にはナザリックの美女に相応しい品々が用意されていた。

部屋の奥、衝立の向こうに並ぶ三台のベッドも、片隅にあるコンソールテーブルと空間を飾る小さな花瓶一つも、机も椅子も全てだ。どれもが以前あった家具全てよりも、高価なものに変わっている。しかし、そのどれもが外に持ち出してもかまわないと判断された、ナザリック内では結局その程度でしかない代物である。

その持ち込まれた豪華絢爛な家具に対し、そして「何かあって壊れても別に気にしないで。壊れても構わない物しか持ち込んでいないから」というユリの微笑と共に発せられた爆弾発言によって、攻め込んだ魔導国の戦利品って無いのでは…?と、冒険者達がざわついたことを彼女達は知りやしない。

 お茶の香りを味わい終え、腰を上げたユリが視線を遣った先、扉の近くには包帯と清潔な水を作り出すアイテムが幾つか用意されていた。それだけで何のために自分を探していたのかペストーニャは察しが付き、また溜息を吐きたくなってしまう。

「ごめんなさい…、また付き合ってくれるかしら?やっぱり、独りで行くのは、どうしても憂鬱で…」

「勿論、お付き合いしますよ」

「我が儘を言って、ごめんなさいね」

「気にしないで。気持ちは痛いほど分かりますから」

苦笑して顔を見合わせる彼女達にとって、治療行為に必要な道具など本来なら不要な品だ。しかし治療魔法が使用可能なペストーニャは、なぜそれが用意されているのか知っているので何も言わない。ただ、哀しそうにするだけである。

まるで水浴びをした犬のように頭を振り、落ち込みかけていたペストーニャは気合を入れ直す。

「頑張りますわん…!」

「えぇ、頑張りましょう!」

友人を見習い、ユリも気合を入れ治す。彼女達が互いに励まし合うその理由は、これから行く先で受ける言われない罵詈雑言に対してだ。

そうして彼女達が改めて気合を入れ直し荷物に手を伸ばしたところで、ノック音が響いた。手を止め、来訪者が誰か尋ねると、大きな声が返ってくる。

「ペストーニャ様!ユリ様!お疲れ様です!」

「お疲れ様です!よろしければ、お茶をどうぞ!準備しましたので!」

扉向こうからも良く聞こえる明るい声を掛けられ、少し目を見開いてから、今度はくすりとユリとペストーニャは微笑い合う。

一旦荷物から離れペストーニャが扉を空けると、元気よく声掛けしていたのに急に照れ臭くなったのか、おずおずと彼らは部屋に数歩だけ入ってきた。しかしそれでも、片方は獣の顔を、片方は冒険で負ったのであろう左半分を潰すかのような傷跡を笑顔でくしゃりとさせ、にこにこと嬉しそうにしている。彼らが持っているトレイには、湯気の上るティーカップが二つ、ちょこんと置かれていた。

「ありがとう御座います」

「本当に、嬉しいですわん」

その言葉に、嬉しそうな笑みはますます強くなる。しかし、近くにあった治療道具一式を見て彼らは一気に顔を顰めた。敬愛する彼女らがこれからどこに行き何をするのか察して、心配そうに眉を下げる。

「あの、私達も護衛で付いて行っても宜しいですか?隔離施設に行くのでしょう?」

「私も行きます!いや、そもそも、法国の失礼な兵士や民など、救う価値などあるのでしょうか!?」

その無垢な質問に、彼女達はどうしたものかと曖昧に笑う。

「確かに、救う価値なんて、きっと無いですよ!あいつら、助けてもらっておいて、あんな酷い悪態ばかり言うなんて…!」

許せないと続いた言葉に、片方もうんうんと力強く頷く。

ユリとペストーニャが行こうとしていた、彼らが毛嫌いする施設は、法国の兵士と民の中でも人間種以外を大変嫌い暴れる為に隔離された者達がいる場所だ。更生の見込み無くば別の場所に設けられた施設へと移っていくのが本来の手筈だが、怪我の都合で運搬できない者達も居た。そんな者達がそこに詰め込まれている。

そしてその施設の者達は、ペストーニャの治療魔法に対して魔導国の魔法は穢れているから受けないと頑として突っぱねているのだ。そのために準備されたのが、一応彼らが自力で治療できるようにと用意された治療道具一式だった。

「気持ちは嬉しいですが…」

ユリもペストーニャも曖昧に笑うだけで、強く否定はしない。

罵詈雑言を浴びせ続けられれば、さすがに彼女達だって疲弊と嫌悪感に襲われる。特に仲が良いユリとペストーニャは、友達が貶されるという耐え難いストレスにも参っていた。

「僕達があいつらにガツンと言ってやりますよ!任せてください!」

にかりと獣の犬歯を見せて笑う亜人の冒険者の背後から、ノック音が響く。きょとりと冒険者は首を傾げ、ナザリックの者達は目を見開き、ユリが扉に駆け寄り慌てて開いた。

「やぁ、突然すまない」

「たっ…!っ、わざわざ、この様な所まで足をお運び頂けるとは、申し訳ありません!」

「御呼びして頂ければ、参りましたのに…!如何されたのでしょうか!?」

ユリもペストーニャも突然の来訪者に対し焦りながら、深々と頭を下げる。特にうっかりしていたユリは、酷く慌てた様子である。

遅れて冒険者達も、片方はトレイを手にしたまま不器用に頭を下げる。名を明かさない騎士の名を、彼女達はわざと口に出していないことは察しており、冒険者の彼らは当然そこには踏み込まない。

 来訪者は、汚れ一つなく自ら輝くかのような美しい白銀の鎧の騎士である。その見目とは真逆の柔らかな声が、優しく労りの言葉を投げかける。

「ペストーニャ、ユリ、それから冒険者の君達も、まずはお疲れ様。あぁ、跪かなくていいから、そのままで。それから、来客中にすまないが少し伝えたいことがあるだけだから、良いかな?」

「勿論です!」

騎士に断られ、せめてと頭を少しばかり顔を伏せるユリが答え、それから騎士は冒険者達にも顔を向けた。

自分たちにも問うてるのだと遅れて気付いた彼らは戸惑い慌てながら、当然構わない旨を返答した。

「実はさっき、夕餉の準備を外部に委託してね。近くの広場にささやかだけど礼を準備した。忙しいだろうけど、せめて夕食ぐらいは美味しい物やお酒を、ゆっくり楽しんで休んでくれ。ユリもペストーニャも、もちろん冒険者達も」

「そんな…、わざわざ配慮して頂き、勿体無いことです。有難う御座います…!」

「本当に、身に余る褒美ですわん…!」

「何を言ってるんだ、ユリもペストーニャも、シズにもセバスにも、本当に沢山仕事をしてもらって助かるよ。あぁ、シズも今日一旦ここに帰ってくるから、姉妹でゆっくりすると良い」

その言葉に、ユリが嬉しそうに顔をほころばせる。友人の嬉しそうな様子に、ペストーニャも微笑ましそうに穏やかな顔付になった。

「それから、君達も、協力してくれてありがとう。助かっているよ」

その騎士の言葉が、自分達に向けてだと気付くのに、冒険者の彼らは把握するまでにかなりの時間を要した。

確かに、彼らにとって現れた白銀の騎士は、名も地位も知らない存在だ。しかし周りが上位者として扱い敬意を払っているので、少なくとも冒険者の一人二人気にかけることなどしなくても良いはずの存在であるはずだ。自分達より遥か上位、魔導王陛下にきっと近い存在なのは、馬鹿でも察することができる。そんな存在が、わざわざ自分達を気遣ってくれている事実に、彼らは目を白黒させた。

「わ、わざわざ僕達、あ、いえ、私達のことまで配慮して頂き、ありがとうございます!」

「仲間達もきっと喜びます!」

嬉しそうに返事した彼らに、騎士は満足そうに頷く。そして、ユリとペストーニャへ視線を遣った。

「あ、えっと、それじゃあ、僕達は失礼致します。お茶はここに置いておきますね!」

自分達は部外者であると察した空気の読める子が、未だぼんやりしている片方を小突き、退室する旨を告げる。ユリとペストーニャがお茶に対する礼は言っても引き止めないのを確認し、彼らは部屋から出て行った。

「失礼します!夕餉の件は僕達から皆にも伝えておきますね!」

「あ、はい、しっ、失礼致します!」

ぺこりと頭を下げて、閉まりゆく扉向こうに去って行くその背中をたっちは見送る。足音も遠ざかり、不可視の護衛と影の悪魔が頷くのを見てから、たっち・みーは口を開ける。

「ユリとペストーニャが運営している孤児院の子供達は、本当にいい子ばかりだな。二人の教育がしっかりしているおかげなのかな」

「滅相もありません。そのようなことは、有り得無いかと。私は定期的に見て回るのが精一杯で…、教育など出来ていないかと思われます」

「恥ずかしながら私も、ユリ様と同じ思いですわ」

思いがけない褒め言葉に、ユリもペストーニャも謙遜どころか戸惑ったような声を出した。しかし騎士は、そんなことはないだろうと言葉を続けた。

「もっと自信を持っていいと思うよ」

「左様で御座いますか?しかし、」

至高の存在の言葉を受けても、それでも自信が持てない異形の彼女達の否定文を遮り、たっちは優しく言葉を掛ける。

「気になって何人かと少し話をしたんだが、色々聞けたんだ、ユリ、ペストーニャ」

つい先程の出来事を、たっちが伝えると、ユリもペストーニャも驚きつつも嬉しそうに話に耳を傾けた。顔を緩めて、聞いて思い出した昔のことを嬉しそうに口にする。

「その話はきっと私ですわん!まぁまぁ、もうそんなに大きくなってたのね、あの泣き虫な子が!」

「本は…、きっと私ですね。ふふ、懐かしいです。あの子は魔法学院に行くべきだと私が言ったこと、忘れていなかったのね…」

「忘れていたのは寧ろ、私達だったのね、ユリ」

「本当ね、ペス」

微笑む彼女達に対し、彼らはユリとペストーニャに対して最早信仰に近い感情を抱いているようだとは、さすがにたっちも伝えなかった。もう少し柔和な言い方をと考え、迷った末に、母親のように想っているようだよとたっちは伝えた。

「もしそうなら、嬉しい限りです、わん」

「えぇ、そうね。なんだか不思議な気持ちだけど」

未だ戸惑いを隠せない様子だが、照れくさそうに顔を見合わせユリもペストーニャもはにかんでいる。

「ユリ、ペストーニャ、君達を誇りに思うよ。あの子達を助けてくれて、ありがとう」

その思いがけない御礼の言葉には、暫しぽかんとした後にユリもペストーニャも大慌てで頭を下げてとんでもないことだと否定した。

「そんなに卑下ばかりしないでいいのに…」

「し、しかしっ」

「至高の御方から御礼を言われるなど身に余る栄誉すぎて…!」

「けどなぁ……、ユリとペストーニャと違って、教育も愛も、救済も何も、俺は、できていなかったんだよ」

全くもってうまくいかなかった世界を思い出し、たっちは肩を落として力無くぼやいた。

遥か遠い記憶に思い馳せ、たっちは自嘲する。

その場に居る誰も知らない、彼自身の人生を、瞼の裏に投影して、腐りきった世界で授かった小さな幸せと、その子に自身が与え指し示すことができたこと全てを思い起こす。そのちっぽけな、愛の全てを。

そんなたっちの様子に戸惑う彼女達を見て、つまらないことを言ってしまったなとたっちは後悔する。

「さぁさぁ、行ってきなさい、二人共。広間に準備したナザリックの食事が無くなってしまう」

誤魔化すようにその背を押して、たっちは戸惑うメイド達を部屋の外へと見送った。その顔に浮かぶ表情を見て申し訳ないと思うが、少し独りになりたい気分になってしまっていた。

 

 風に当たりたくてテラスに出ると、遠くからはしゃぐ声が聞こえた。

快活なよく通るその声は、先程たっちの問いかけに対して真っ直ぐに応えてくれた者の声だ。小麦色の肌をした彼は、真に神がいるなら罰を食らっても何らおかしくないことを最後の最後に言ってのけた。揺るぎなく真っ直ぐに、『ユリ様とペストーニャ様は、俺達にとって神様です』と。

「…天罰か。くだらないな」

澄み渡る青空は、変わらずのんべんだらりとしたままだ。唐突な雷も、嵐もやってこない。

心地の良い静寂が壊れることは無い。それは、分かりきっていたことだった。

 

 見上げるそこは、空なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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