魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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純黒03

 

 

 

 

 

 天に御座します、神様。

「…かみさま」

がらんどうな声が呼ぶ。森の中、湿った暗い大地の上で。

なぜ、その御座より降りて御手で救い上げてくださらぬのかと。牙を剥く地上の暴力を、無視されるのかと。

傲慢なのは、救われると信じていた人々なのか。不意に足元が揺らぐ人間を、バケモノが笑っている。嘲るように。

初めて村に現れた時と同じ顔で。

 

 

 

 数刻前、村人全員で煮え切らない話し合いを繰り返し、やっと逃げることが決まった夜中。村に現れたのが、今や村人の過半数を惨殺したであろう可憐な美少女だった。

 謎の黒い燕尾型の細長い旗と共に唐突に現れた少女に対し、スレイン法国民の誰もが最初はぽかんとするばかりだった。

とても愛くるしい微笑みを浮かべる彼女は、村人全員が今までの人生にて見た中で間違いなく一等の美少女だった。村人にとって噂にしか存在を聞かない華美なドレスを着こなす彼女は、白く、細く、儚く、汗など流さない存在のように思わせる。その流れる銀糸に見合わぬ幼さの残る顔は、しかし強烈な色香を纏い、年齢も性別も関係なく誰もを虜にさせた。誰もが、危機感を抱くこともなく、彼女に見惚れてしまっていた。

その美少女が、小さな爪一つで、村一番に屈強な大男の首を容易く地に落とすまでは。

 暫しの間を空けてから、全員が起きたことを理解した。そして悲鳴を上げ、我先にと一斉に森の中へと逃げ始めたのだ。しかしその殆どの者達が、周囲を包囲し待ち構えていたモンスターにあっさりと殺された。

その待ち伏せを掻い潜り森へ逃げ込めた者達も、今や走るのを止めて座り込んでいる。

 弱りきった人々は、最後に救いを求め、神様を呼んでいた。

「…かみさま」

誰かがまた、神様に縋りつこうと、呟く。

 

 青白く照らされる夜の森に響く、心底楽しそうな胸をざわつかせる女の甲高い笑い声。それに追いかけられながら悲鳴と断末魔を背後から聞いてきた彼らの目には最早、希望の光など無い。容易く追いついてきた麗しき少女の愉しそうな笑みを見れば、逃げられたのではなく逃され、弄ばれたのだと誰もが否応なく解ってしまった。

下手に生き延びてしまった者達は、誰もが後悔していた。今や無力感に苛まれながら、涙を零すばかりである。その場に居るのは最早、リビングデッドのみであった。

 硬直する彼らを支配するのは、バケモノ共に対しての恐怖と軽蔑。そして、認めがたい感情がもう一つ。恐ろしくて恐ろしくて堪らなくても、それでも魅入られてしまう、その美貌に対する羨望。

可愛い顔をしたバケモノは、逃げ惑い泣き叫び命乞いした人々の絶叫を奏でたのに。武器を手にした者達も、その圧倒的なる力を持って一瞬で物言わぬ肉塊にしたのに。その圧倒的な美しい容姿に、可憐なその四肢に、指先に、それでも彼らは見惚れていたのだ。

それが嘘偽りでしかない有り様だと知らないままに、彼らは悍ましい美にその心を捉えられていた。

 銀髪の少女が、また綺麗に微笑む。この世のものとは思えない、微笑。

まるで花畑にいるのではないかと錯覚させる程に無邪気に、可愛らしく、楽しそうに、愛くるしく。しかし、その足元に広がるのは花々ではない。血で真っ赤に染まった大地と、無数に積み重なる死体だ。

 その光景を、法国の民草は呆然と見詰めている。月明かりの下、無意味にてらてらと光るだけの冷めた臓腑と垂れる血液。嘗ては生物の一部だった何かが、今はただ食物連鎖の最下層で転がっている様を、ただ漠然と、彼らは視界に入れていた。

その身を震わせ、逃げることも戦うことも諦めて、踏み潰される肉塊に己の運命を重ねながら。

 軽快な足取りで、人間に見せつけるように彼女が肉片を踏みつける音が月夜にまた響く。

自身と眷属達の素晴らしい仕事跡を踏みしだく行為に高揚を覚え、麗しいその顔は益々機嫌を良くして笑みを深めていった。

「私達も、殺すのか」

 生き残った人間の男が、咄嗟に握りしめてきた全財産の入った小袋片手に口を開く。震える声を発した生き残りをじぃと眺めて、彼女が小さく可愛いその口を開く。

それに対して人間達は驚いた。村人に対して少女は今までに笑いかけるだけで、何一つ声を掛けやしなかったからだ。最期の言葉を聞く程度の慈悲があるのだろうかと、人々は彼女の艷やかで愛らしい唇を見詰めた。

そして、その口が、にんまりと裂けるように嗤う。嘘みたいに、夢幻の如く、麗しかった美貌は消え去っていた。

「残りは、砦に連れて帰ってくんなまし。じっくり、愉しませてもらうことにしんしょうかえ」

その愛くるしい声による無慈悲な命令に、人間には見えない存在が彼らに這いよる。誰もが何も理解できないまま、一人、二人と闇夜の中に消えていき、悲鳴は遠ざかっていく。

そうして最後の一人も、月を背に心底愉快そうに嘲笑うバケモノを最後に見て、この世から別れ地獄の底へと連れて行かれた。

 

 恐ろしいほど静まり返る、生き物が死に絶えた世界。上空に座す月と星々が何時も通りに世を照らす中、戻るべき場所へと白く小さな足はヒールを鳴らして歩み始める。可愛らしく、くるくると踊りながら。静かな死で染められた道を、悪夢から生まれた様な美しい少女は進み行く。甘く冷たい香りの満ちる、暗い道を。

 

 それはそれは恐ろしくも美しく、シャルティア・ブラッドフォールンはまた微笑んだ。

 

 

 

 愉しい夜の散歩も終わり、シャルティアの視界に黒の陣営の中心拠点である砦がある湖が見えてくる。その向こう側にある、瓦礫の山に姿を変えた宗教都市の残骸も。

 アンデッドで構成された冒涜的な砦が建てられた月と星を映す闇夜の湖。都市の面影など既に無い岩と土でできた山は、無力な神々の像の成れの果てだ。穏やかな月明かりに照らされているその一帯には、既に濃厚な死の匂いが染み付いていた。

思わず鼻歌交じりになりながら、さらに軽やかにシャルティアは歩みを進める。その口元は、微笑っていた。

ふと、その小さく可愛い足が止まる。そうして紅玉の瞳がゆるりと動き、ある物を視界に捉えた。

ひたとそれを見据え、シャルティアは崇拝の念から頭を下げた。瓦礫の山の天辺にある巨大なアインズ・ウール・ゴウン魔導国の御旗に対して、深々と。

その魔導国の国旗以外に掲げられているのは、黒地に赤い縁と細い十字架が描かれている燕尾型の旗、黒陣営の拠点を示す旗である。闇夜の中だが、闇の住人である吸血鬼の瞳は遠目からその御旗を容易く視認していた。その下で旗を支える憐れな人間の姿も。

 また、シャルティアは笑う。今度はにたりという音が似合う歪んだ笑みである。

瓦礫の上、小高い所で御旗を支えるのは、茨に包まれた人間と、それを助成する骸骨だ。その茨に包まれた人間が生きていることも、ゲームが終わった後にどうなるのかもシャルティアは話に聞いている。だからこそ、滑稽で、心底面白くて愉快で堪らなくて、嘲笑ったのだ。

闇夜の中でぴくりと動かない彫像めいて見えるそれが、ずらりと並び旗を掲げる姿は、本来ならば不気味以外に言いようがない光景だ。しかしシャルティアにとっては、喜劇の一場面にしか思えない光景である。

シャルティアは、分相応な姿である憐れな人間に対して酷薄な笑みを浮かべる。そして、よくお似合いでと言い捨てて、また歩みを再開した。

 

 夜を吸い込み真っ黒になった湖上に造られた無数のアンデッドによって組立てられた砦。無数の骨で造られたその足場の上にはカラフルなストライプ模様のテントがいくつも並び、無数のランタンが灯っている。

骸骨の手によって掲げられる銅と金で繊細な装飾を施されたランタンは、その光自体がカラフルである。ただでさえテントによって砦全体がカラフルで派手な印象になっているのに、青や黄、ピンクやオレンジの光まで灯され、さらに悪目立ちしていた。

そんな見た目だけは華やかで楽しげな死臭漂う静かな場所へと、暗い陸から続く不気味な一本道があった。

砦と同じく骸骨で構成されたその道、陸と湖上の境目は、死の騎士が見張りをしている。そしてその湖上の中心へと行く道の途中、ランタンの下にて人型が一つ。

 赤い灯りに照らされながら真っ暗な森の向こう側を見詰めるのは、露出の激しい扇情的なメイド服を来た、麗しい金髪の艶めかしい美女だ。

じっと、文字通り微動だにしなかったその四肢が、微かに動く。緩慢とした瞬きに、まつ毛が揺れる。その金糸に縁取られた深い蒼の瞳が、美しいドレス姿の少女を捉えた。

 鬱蒼とした森から現れた美少女が月明かりに照らされながら近付いて来る姿は、まるで御伽話の不吉な報せめいた光景だ。不気味で、ぞわりとさせるような場面である。

しかしその光景は、ソリュシャン・イプシロンにとって待ち侘びた光景、ただの嬉しい報せであった。

「おかえりなさいませ、シャルティア様」

恭しく頭を下げて、捕食型粘体は真祖の吸血鬼を出迎える。

「ただいま帰りんした、ソリュシャン」

見た目だけなら戦場にそぐわない、美しいソリュシャンと可愛らしいシャルティアが並び立つ。そこだけが突然に、ぱっと華やかな夜会の場になったかの様だった。

周りをくるりと見渡し、シャルティアは片手を上げ、周りにいた潜伏と隠蔽スキルに長けた護衛に対しての指示を出す。陣地に戻ってきた為に、半分は陣地周辺の守護の任に戻したのだ。

「ウルベルト様は如何されているでありんすか?」

「今は奥のテントで、エントマのために食事を御準備されてますわ」

ソリュシャンの返事に、シャルティアがぱちくりと目を瞬き、綺麗な紅の瞳を輝かせる。そして、うっとりとした口調で甘やかな吐息と共に言葉を漏らした。

「まあ…、ウルベルト様ったら、ほんに御優しい方でありんすえ…。さすがはモモンガ様の御友人でありんす。なんて慈悲深い御方でありんしょう…!」

「えぇ、シャルティア様の仰る通りですわ。ウルベルト様の御寵愛を受けられて、エントマもとても嬉しそうですし…、…ですが、」

区切られた言葉の先を、シャルティアは可愛く小首を傾げ促す。ソリュシャンは、複雑そうに苦笑しつつ話を続けた。

「姉としては嬉しくもあり、けれど嫉妬もあり…、素直に喜べなくて…」

「あらあら、複雑な姉心でありんすね」

「えぇ、恥ずかしいことですわ。可愛い妹に対して嫉妬なんて」

気落ちした様子のソリュシャンに、シャルティアは優しく語りかける。

「そこまで気に病むことはないでありんしょう。至高なる方に愛されること、御役に立てること…、これ以上に甘美な幸せなど、ありはせんのですし。私も嫉妬しちゃうでありんすよ」

「そう言って頂けると、気が楽になりますわ。ありがとうございます、シャルティア様」

不気味なアンデッドが掲げるランタンの下を潜り抜け、砦内を巡回中の配下達に頭を下げられながら、楽しげな彼女達のお喋りは陣地中央へと向かっていく。

「こちらのテントに居られますわ」

ソリュシャンが手を向けた先の陣地中央には、まるでサーカス団のような赤と黒の縞模様の派手な丸型のテントが設置されていた。

そのテントの出入り口の守護を任されているアンデッドとモンスター、そして悪魔達は、階層守護者と戦闘メイドに気が付くと、恭しく頭を下げる。

彼女達が更に近づくと、入り口近くの柱を構成している骸骨の手が左右から伸びてきて出入り口のカーテンを開いた。ストライプ模様の布地の更に先には、闇を縫い合わせて出来上がったような黒い布地が幾重も垂れていた。

 

 

 

 中に入り、自動的に脇へ避けていく黒の布地の向こう側へとシャルティアとソリュシャンは歩みを進める。そしてその先にある、光あふれる場所へと出ると、優しい声が濃厚な死と血の匂いと共に彼女達を出迎えてくれた。

「おかえり。お疲れ様、シャルティア」

「至高なる御方からの歓迎と労いの御言葉、恐れ入りんす。シャルティア・ブラッドフォールン、只今帰還したでありんすえ」

真紅のシングルソファに腰掛けていたウルベルト・アレイン・オードルは、テントに入ってきたシャルティアとソリュシャンを視界に入れると、開いていた本を閉ざし、足置きにて乗せいていた蹄の先を下ろした。そして腰掛けたままに、彼女達へと姿勢を向けた。

「ソリュシャンも、シャルティアの出迎えに行ってくれて、ありがとう」

「恐れ入ります。私めには勿体無いお言葉ですわ」

頬を染めてはにかむのは恋をする乙女のようだが、胸に手を当て頭をゆるりと下げるさまは忠実なる部下のそれである。相反するような仕草も表情も、全て、唯一つに向けられたものだ。

数歩、ウルベルトの前に歩み寄り、シャルティアとソリュシャンは床に膝を付こうとしたが、それは御言葉によって止められる。

「いいよ、ここ散らかってるから、シャルティアとソリュシャンの服が汚れるぐらいなら跪かないでほしい」

その気遣いの言葉に、麗しいその顔を彼女達はますます蕩けさせる。

「あぁ、なんと御優しい方…。感謝致しんす、ウルベルト様」

「偉大なる御方からの御気遣いに、心の底から感謝いたしますわ」

ウルベルトが指摘する通り、テントの床、彼女達の足元は夥しい量の臓腑や血で汚れていた。

テントの中にて積み重なる檻と、その中にいる無数の人間、そして椅子に括り付けられた数名の人間達。そのいずれかの人間か、それとも既に亡くなった存在が残した断片か、その両方か。

誰のものだったか、何人分のモノだったかなど、全く分からない程に散らかったそれは、凄惨な出来事を無言のままに語る。

「散らかしっぱなしで悪いな。残骸は都度片付けてもらっているんだが、すぐに散らかしちゃって…」

床に敷かれた木の板は、赤黒く染まり、じっとりと湿っている。つい先程に革袋から溢れたばかりの臓腑は、まだ片付けられずに床の上に残っていた。椅子に括り付けられた人間の腰掛けるそれも、既に大量の血液が滲み込んで変色している。

「ウルベルト様が気を煩わすことなど無いでありんすえ。御身が御楽しみになられている、それだけで良いのでありんす」

全肯定するシャルティアの隣で、ソリュシャンも頷く。それに対して笑って、ありがとうと答えながらウルベルトは手にしていた本に視線を戻す。

その表紙には、『美味しい!簡単!夕ご飯!』と可愛くポップな書体で書かれていた。

「ところで、お食事の準備をされていると伺ったでありんすが、あれがシェフでありんすかえ?」

クスクス微笑うシャルティアの視線の先、人間の体液の匂いが一層濃く漂う中央に、場違いな物が唐突に設置されていた。

 調理台と手洗い場、そして焜炉が並ぶそこは、所謂キッチンスペースである。そして、その場で料理の真っ最中であるのは、血みどろのエプロン姿の人間。

料理をする者としては如何なものかと思える程に顔を青褪めさせ、今にも吐きそうな顔をしている男は、血の染み付いたコック帽をかぶっている。成形途中のハンバーグのタネを持つ手は震え、今直ぐそれを手放したいとその目は訴えていた。

「あぁ、元兵士だが、指示通りに材料を切って、肉を捏ねるぐらいはできる、有能な奴だよ」

「ウルベルト様からそのような有り難い御言葉を頂けるとは、なんと恵まれている人間でありんしょう」

「まったくですわ」

調理台の近く、椅子の上でひくひくと痙攣し血を垂れ流している人間を見据えながら、美女達はニヤニヤと嘲笑う。

太腿の肉を削ぎ落とされ白い骨を晒す虫の息の人間が、何のためにその肉を削がれたのか。シェフが指示されるままに何を調理しているのか、それはその場の人間達の青褪めた表情が雄弁に語っていた。

「ところで、こっちは何も問題無かったが、シャルティアの方も問題は無かったか?」

片手から片手へ、空気を抜くためにハンバーグのタネが放り投げられる間抜けな音が響く中、ウルベルトは尋ねる。

「はい、予定通りの地区まで殲滅し旗を建ててきたでありんすえ。白側が近付いていたでありんすが、凡そ間に合いんした。予定していた内の三つ、それから未確認だった土地にあった砦や村を少し、取られてしまったでありんすが…」

「気にするな。それぐらいは想定内だ。よく頑張ってくれた、シャルティア」

その褒め言葉に照れる愛くるしいシャルティアのその表情は、つい先程までのあくどい顔付をした者と同一とは思えない程にあどけない。

「それじゃあ、明日もこの調子で陣地を増やそうか。隠れている軍が見つかったけど、今のままだと好きに出来ない場所に居るからな」

ウルベルトが満足そうに報告を聞き届けた所で、シェフの動きが止まる。涙目の彼は、綺麗に成形された楕円形の塊が五つ並ぶトレイを、ウルベルトが見えるように差し出していた。

「うん、上手じゃないか。それじゃあ、続いてはっと…、」

読み上げられたレシピ通りに、並ぶ塊の中央を軽く抑え凹みを彼は作っていく。続いて、フライパンに油をひき、戸惑いながらも言われるままにコンロの火をつけた。

「さて、話し合いは後でゆっくりするとして、シャルティア、何か欲しい物は無いか?頑張ってくれたご褒美に、何かあげるよ」

「そ、そんなっ、ご褒美だなんて…!」

熱くなったフライパンにハンバーグのタネが置かれ、焼ける音が煩く鳴った。肉の焼ける音と良い匂いを嗅ぎながら、遠慮するシャルティアが我が儘を言えるようにウルベルトは説き伏せていく。

「あんまり遠慮されても嬉しくはない、そうモモンガさんに教わらなかったか?」

「っ!…で、では…、ウルベルト様、この辺りにいるのは、好きにして良い人間でありんすかえ?」

そわそわした様子のシャルティアは、未だ言って良いのか迷いながら尋ねる。そんなシャルティアがちゃんと我が儘を言えるように、ウルベルトはあくまで強制的にならないように、そっと優しく続きを促した。

「そうだけど、欲しいものがあるか?どれでも構わないぞ、シャルティア。好きなものをいくらでも選ぶと良い。そうだ、ソリュシャンも何か欲しいものは無いのか?」

ウルベルトの言葉に嬉しそうにし、礼を述べてからシャルティアは檻の中にいる人間の物色を始めた。しかし同じく問われたソリュシャンは首を横に振り、遠慮がちに断りを入れた。

「私めは褒美を貰えるようなことなど何もしていませんわ。仕事もしていないのに、褒美だけは頂けません」

「何を言ってるんだ。昼間は途中までシャルティアに付いてくれたうえ、ここの人間から情報収集や教育まで務めてくれたんだ。充分な働きじゃないか」

ウルベルトのその言葉に、ソリュシャンはぱちくりと目を瞬かせる。確かにウルベルトの指摘する通りの仕事はしたが、何かしらの成果を上げた訳ではないために、まさか把握されているとは思っていなかったのだ。

「感謝してるよ、ソリュシャン」

「っ!なんと、勿体無い!あ、ありがとう御座います、ウルベルト様…!その様な身に余る御言葉を頂けただけでも、光栄の極みで御座います…!!」

常に落ち着いた雰囲気を纏う彼女だが、その声には確かな喜びと、プレゼントを前にした興奮が隠しきれずにあった。

「遠慮するなよ、ソリュシャン。好きなのを選びな?おっと、そろそろかな」

次の指示を出された人間は、ぎこちない動作で何とかフライ返しでハンバーグを一つ引っくり返す。差し出されたフライパンの中、片面に程よい焦げが付いたのを確認すると、よしよしと満足そうにウルベルトは頷く。

「良い焼き色だ」

満足そうに呟いたウルベルトは、ハンバーグを全てひっくり返し、後は火を止めて、蓋をして蒸し焼きにするよう指示を出す。もうここまでくれば、出来上がりだ。調理人の役割は、終了である。

「さてと、約束は約束だ」

その言葉にやっと、料理をしていた男は安らかな顔をした。長い長い勤めを終えて、やっとベッドで眠れる時が訪れたかの様な、安堵の顔を。

「おっと、いけない。ソースを作るのを忘れるところだった。ほら、材料はボウルに入れてるから、その肉を取り出して、それと肉汁を混ぜるまでが、お前の最後の仕事だ」

すぅっと顔を青褪めさせながらも、しかし、最後という言葉を支えに元兵士のシェフは仕事を再開する。綺麗な青い大皿に焼けた肉の塊を退けると、肉汁が残るフライパンの中へと、ガラスボウルに入った材料を注ぎ込む。

黄金色の蜂蜜と、茶色のどろりとした液体と、そして真っ赤な搾りたての液体。それらを混ぜながら、またもや泣きそうになっているシェフの背後から、からかいの言葉が掛かる。

「味見をするかい、シェフ。最期の晩餐だ。どんな罪も許されるだろう」

場に響く乱れた呼吸音と破裂しそうな心臓音は、シェフが奏でるものだ。フライパンから手を離し、混ぜ終えたことを報告するシェフのその顔を見て、くつりとウルベルトは嗤う。

「冗談だよ。お疲れ様。…《真なる死》」

どしゃりと、立っていた人間が死体となって崩れ落ちた。それは、彼とウルベルトの間で取り交わされた約束の結果である。

転がる死体と、完成されたハンバーグの置かれたキッチン、椅子の上で虫の息の骨を晒す男。

面白い光景だなぁなどとぼんやり思っていたウルベルトの耳に、無邪気にはしゃぐ女の子の声が届く。

「ウルベルト様、あの檻の娘共が欲しいでありんす!」

レシピ本を閉じてアイテムボックスの中に放り投げると、ウルベルトは立ち上がり欲しい物を見つけたシャルティアへと近付く。

細く白い指が指し示す檻の中には、彼女が度々可愛がっている吸血鬼の花嫁と見た目年齢が近い震える少女達が三人居た。

「ああ、いいぞ。シャルティア。どうする?ナザリックに運ばせておこうか?」

「御気遣い頂き有難う御座いんす、ウルベルト様。少し遊んで立場を分からせた後にナザリックに運びんすが、自分でやっておくでありんす」

「そうか。一通り調べたから大丈夫とは思うが、怪しいと思ったらナザリックには入れないで殺すんだぞ?」

「はい、気を付けるでありんす!」

元気よく、とても気持ちのいい返事をしたシャルティアは、檻に視線を向ける。そして先程の表情は瞬く間に消して、何を思いついたのか、歪んだ笑みを浮かべた。

「ふふふふ、愉しみでありんすえ…」

その愉しみについては、シャルティアの製作者のことを考えてウルベルトは当然深くは尋ねなかった。シャルティアが楽しいならそれで良い、ここで思考をウルベルトは完結させる。

「私はあれが欲しいですわ。あの年齢はルール違反ではないのですよね、ウルベルト様」

ソリュシャンが指示す先には、未だその眼に光を宿す若者達が二人居た。その灯火を掻き消したいのだろうと気付くが、楽しみを邪魔しては悪いと思い、ウルベルトは口を閉ざす。

「ルールで決まってる年齢以下の人間なら別の所にまとめてあるから安心していいぞ、ソリュシャン」

嬉しそうにお礼を述べる彼女達の背の向こうでは、指された者達が揃いも揃って目を見開き、自分達に対する扱いに愕然としていた。しかし、どれ程哀れっぽく鳴こうとも、睨もうとも、それは彼女達にとって無関係で無関心でどうでもいい出来事だ。なにせ彼らは、そこでは生きている物でしかない。

食料や玩具の心の内など慮らないことは、普通のことである。それは、ただ消費される存在でしか無いのだから。

 

 衣擦れの音がして、テント内にまた新たな人でない存在が現れる。

「ウルベルト様、デミウルゴス、只今帰還致しました」

「同じく エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ 帰還致しましたぁ、ウルベルト様〜」

現れたのは、派手なストライプの衣装がすらりとした手足に似合う、銀の尻尾以外は人間の様な見た目の男。そして、妙に動かない顔以外は人間らしく非常に可愛い風変わりなメイド服の少女。どちらも姿形だけならば脅威を感じさせない、人に近く感じる出で立ちである。

しかし檻の中の者達は、警戒し恐れる。いまさら淡い期待など、彼らは抱かない。否、抱けないのだ。それほどの地獄を、その両の眼で見て、体と魂全てで味わってきたのだ。このテントの中で生まれるのは絶望と耐え難い痛みだけだと、嫌という程に彼らは既に知っていた。学ばされていた。

 デミウルゴスは檻にいる憂う暗い顔をした人々を愉しそうに眺め、その口角を何時も通りに吊り上げる。エントマは、生きている人間の表情などに関心を抱くことなく、漂う良い香りをこっそりと味わっていた。

「おかえり、デミウルゴス、エントマ。二人共、お疲れ様」

いつものように謙遜し、床に膝をつこうとした彼らを、シャルティアとソリュシャンの時と同じ様に理由を述べウルベルトは止める。

「積もる話は別のテントで聞くよ。それよりも、丁度良かった。エントマ、おいで」

招かれたエントマは恐る恐ると、しかし期待もしながらウルベルトの側へと近付いた。

「ほら、エントマのために作ったんだ。ほんとは皿にちゃんと乗せて、綺麗に盛り付けて出す予定だったけど…、せっかくの出来たてだ。…食べてくれるかな?」

キッチンスペースにて邪魔な死体を蹴り飛ばし、青い皿に乗ったハンバーグを、ウルベルトはエントマに見えるよう差し出した。

「………ああ、なんと、ウルベルト様…!私めの為に、このような…、なんと勿体無い…!!」

思わず素の声で、歓喜に震えながらエントマは礼を述べる。あまりの身に過ぎた褒美に、戸惑いを隠せないままにエントマはおたおたしてしまう。

そんな可愛らしく喜ぶ彼女の様子に、ウルベルトは柔く微笑む。

「少し待っててくれ」

小皿に一つハンバーグを移すと、スプーンで掬ったソースをさらりと掛ける。続いてウルベルトはフォークを引き出しから取り出した。そして慌てるメイドの傍に近寄り、自ら跪いて背の低い彼女と視線を合わせる。そしてエントマへと、それをそっと手渡した。

その光景に羨ましさを抱きつつも、ナザリックの者達はその慈悲深さに胸を打たれ静かに涙し感動する。なんて御優しい方なのだと、ナザリックの者達は心を深く打たれていた。

「ほら、火傷しない様に気をつけるんだよ」

「っ…!!」

もはや胸がいっぱいで、あまりに身に余る光栄すぎて、エントマは辞退したい程だった。しかしそれを断るという万死に値する行為が取れる訳もなく、恐る恐るハンバーグにフォークを刺し、半分に割ったそれを仮面の下の口へと運び込んだ。

「…!美味しいです!すっごく美味しいです、ウルベルト様ぁ!」

表情は変わらなくても、その声音がとても解り易い喜びを表している。ぴょんぴょん跳ねて心底嬉しそうにはしゃぐエントマに、ウルベルトも嬉しそう目を細めた。

「エントマに喜んでもらえて良かった。このお肉は気に入ったかい?」

「はい、このお肉、美味しいですぅ!」

「そうかそうか、美味しいか!」

嬉しそうにウルベルトは立ち上がり、振り返ると、虫の息になっている男へとアイテムボックスから取り出したスクロールを一枚放り投げた。

「良かったな。美味しかったてさ」

ウルベルトが発する癒やしの呪文に呼応してスクロールが燃え上がり、緑の燐光が死にかけの男に降りかかる。封じ込められていた癒やしの力は開放され、その超常の力は行使される。あの世への階段を着実に登っていた法国の兵士だったが、その階段は消え失せて、また奈落へと逆戻りとなった。

「あ…あー…」

「んー?壊れたか?」

虚ろな目で口を開閉させる男を、ウルベルトは、そしてナザリックの者達は、何の感慨もなくただ見ている。そして興味を失い、また雑談を再開させようとしていたが、それは男の絶叫で邪魔された。

「ふ、ざけるなぁ…!!」

唐突に大口を開けたかと思えば、男はぎゃあぎゃあと騒ぎ出した。男の体を椅子に括り付ける鎖と革ベルトが暴れ、喧しく音をたてる。

「離せ!!これを外しやがれ!!はずせはずせはずせ!!!」

「あのなぁ、敵国の兵士に開放しろって言われて素直に聞くバカがいると思うのか?」

呆れたように、ウルベルトは溜息を吐き出す。しかし発狂した男の叫び声は止まない。

「はなせ!!はなせはなせはなせ!!」

「その拘束具が無くなれば良いでありんすか?」

にっこり笑うシャルティアの手には、その綺麗な手には似合わない太く長い釘と重たそうな金槌が握られていた。まさか、と横でその光景を見ていた法国民の誰もが、その真紅の瞳に浮かぶ残虐さにぞくりとする。

 その冷めた声音に、思わず暴れるのをピタリと止めた男の前に、いつの間にかシャルティアは立っていた。その細い白磁の指先は、彼の望み通りに拘束具を外す。そして、その腕がどこかへ逃げ出すよりも速く、その小さな手は、腕に釘を打ち付けて肘置きに固定した。

「ぎっっやあああああああああ!!!!!!」

「外しんしたのに、感謝もしないとは。まったく失礼な輩でありんすね」

淡々と呆れたように言いながら、シャルティアは釘でその肉を椅子に固定していく。けっこう面倒だとシャルティアがぼやき始めたところで、麗しい微笑をうかべるソリュシャンも手伝い始めた。デミウルゴスからも的確な指示が出て効率は上がり、暫くすれば彼の望み通り拘束具は外された状態となっていた。

「シャルティアは優しいなぁ、こいつの我が儘を聞いてやるなんて」

「ウルベルト様の慈悲深さに比べたら、わらわに出来ることなど、先程の無礼をこの程度で済ませることしかないでありんすえ」

照れたように頬を染めるシャルティアの頭を、ウルベルトはよしよしと撫でる。彼女の頬が更に真っ赤になったのに微笑ましく思いながら、ウルベルトはデミウルゴスに呼びかけた。

「プルチネッラに伝言を頼む。別のテントで仕事中なんだが…、悪いが仕事追加だ」

「畏まりました。拘束具が気に食わなかった彼らのため直接釘で手足を椅子に打ち付けておくように、伝えておけば宜しいでしょうか」

恭しく頭を下げた叡智の悪魔が汲み取った言伝は、今や椅子に座る表情を動かさない人形に成り果てた者達の顔すらも絶望に染め、硬直させた。

「あぁ、せっかくのシャルティアが聞き届けてあげたリクエストだ。お仲間全員にプレゼントしてあげないと、不平等だろう?」

「えぇ、御優しいウルベルト様の仰せの通りかと。それでは、私めより確かに伝えておきます」

考え全てを汲み取ってくれた悪魔に、ウルベルトは嬉しそうにしている。創造主の意志を汲み取れたことに、デミウルゴスも誇らしげだ。

愉快そうに嗤う悪魔は、椅子に座る人間を眺める。そして釘が何本有れば足りるか試算を行い、シャルティアも手伝って、釘の太さや長さはどれ位の物だと丁度良いか調べ始めた。

「それじゃあ、片付けたら移動するか」

背伸びして、調理器具一式の後片付けを始めようとしたウルベルトが手を伸ばした先にあった道具を、ソリュシャンとエントマが先んじて掴みとった。

「私共が片付けますわ、ウルベルト様。御料理も、私共が持って行きますわ」

「私も!お礼の為にも片付けをさせてください、ウルベルト様!」

後片付けを押し付けるのは気が進まず、ウルベルトは渋る。しかし、エントマがこれをやらせてくれないなら自害せんばかりの勢いで迫ってきたため、引き下がらずを得なかった。任せる旨を伝えれば、それはそれは嬉しそうにプレアデスの姉妹は働き始めた。

「あぁ、そうだ。別のテントでデミウルゴスの労いも準備してるからさ、プルチネッラに伝言したら、直ぐに来てくれよ?」

「それは…、なんと恐れ多い。有難う御座います、ウルベルト様」

可愛い息子の恭しく堅苦しい態度は相も変わらずで、ウルベルトは苦笑する。もう少しだけでも対等に振る舞ってくれないものかとは思うのだが、それを直接伝えて上手くいった試しは今までになかった。

ふと、大人しくなった人間達が視界に入り、そして自身がソリュシャンを見習い教育するかと言っていたことをウルベルトは思い出す。それから、某卵頭の道化師から結果を出せと催促されたことも。

「…………うん、自分は、どうやら教育はあまり上手じゃないらしいな」

肩をすくめ、ウルベルトはぼやいた。しかし、これから先で教育方法を磨き、そして愛しい子らに対等を教えてゆけば良いのだと気持ちを切り替える。

「先に行ってるから、青と黒のテントに後で全員集合なー」

ウルベルトの言葉に、嬉しそうな了承の言葉が返ってくる。その背後には、啜り泣きと悲鳴とが渦巻いているが、それは極めてどうでもいい少し聞きすぎて食傷気味になったBGMでしかない。

「…………」

ウルベルトは足元に転がる、自ら願い出て死んだ肉の塊を一瞥する。無表情のまま、何をしても無駄なのだと悟り安らかな眠りを選んだそれは、本当に幸せそうな表情をしていた。

その死体を跨いで、外へと、テントから出て行こうとするウルベルトの背中に、最後に一つ、大きな声が降りかかる。大きな大きな、呼び声が。

「神様!!」

必死なその声を少しの間味わうべく、目を閉じ、ウルベルトは足を止める。その後に続いた絶叫を聞き届けてから、彼は歩みを再開した。

 歩み続けた黒い垂れ幕に包まれた道の向こう側では、騒々しいランタンの灯の上で、暗い夜が涼やかにひろがっていた。知らん顔を決め込む血液を呑んだくれる湖は、月と星の灯火を身に纏って美しく輝いているだけである。

 山羊頭がゆるりと天上を、美しき満点の星空を見上げる。歪んだ眼にきらり、流れ星が一瞬写り込んだ。それは、彼の知らぬ間に消えゆく。

「……なぁ、おい、呼ばれてるぞ」

宵闇の中に溶ける独り言。

返事はない。それは、わかりきっていたことだ。

 

 見上げるそこには、星々しか居ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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