魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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審判 02

 

 

 

 

 

 蒼天の下、まるでその心の内のような、黒い炎が広がる焼け野原にて、彼ら二人は対峙していた。

 

 なすすべなく侵されていくスレイン法国の国土にてゲームを行う対戦者同士であり、相容れない同士の者達が。

 

 たっち・みーが、一歩前に出る。鎧がぶつかり合ってガチャリと鳴った。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルが、一歩前に出る。蹄が土を鳴らした。

 

 その両者が、静かに睨み合っていた。腹の中を探り合い、相手を惨めに負かしてやろうと、雌伏して時至るのを待っている。互いにその腕の中に、子供を抱き上げながら。

 母親の腕の中から見つけた子供を、たっちは強く抱きしめている。

 崩壊しかけのボロ小屋の中から出てきた子供を、ウルベルトは片腕で抱えている。

 まるで対になるよう神が配慮したかの如く、彼らの腕の中で大人しくしている子供達は、互いの抱くそれとは真逆であった。

 たっちの抱くそれは、手足は一般的な本数と形に等しく、肉付きはとても良い。愛されてきたのだと、煤と涙に汚れながらも薄っすらと桃色が見える膨らんだ丸い頬が証明している。

対してウルベルトの抱くそれは、一般的な形から逸脱し歪で、骨と皮のみで創られたような姿だ。愛など知らぬと、ぎらりと獣のように睨みつけてくる鋭い瞳が雄弁に証言していた。

「……ウルベルトさん、貴方、ロリコンだったんですか?」

「おいこら、ぶっ殺すぞ、くそたっち。なんで俺があの鳥野郎と同じ扱いなんだ」

「エントマも可愛がってるって聞きましたから…、もしかしてと」

たっちの発言に露骨に苛ついている様子のウルベルトに、周囲のナザリックの者達はそわそわと落ち着かない。いや、そもそもの状況が既に酷い有様であり、どうしようもない状況なのは彼らも流石に理解している。だからこそ彼らは皆、次の瞬間には爆発するかもしれない爆弾と対面しているような面持ちで固まっているのだ。

そのため、ウルベルトの大きな溜息には誰もが思わずビクリと反応してしまった。

 デミウルゴスの尻尾が、セバス・チャンの肩が、ユリ・アルファの視線が、周囲に潜む護衛の者達が、びくりと大袈裟に動いた。

「……たっちさんには珍しくも何ともないことでしょうけど、俺にとっては、幸せそうにしている子供なんて大変物珍しいモノだったんですよ」

またか、そんなことを目前の騎士が思っていることなど知る由もなく、ウルベルトは口を滑らせる。嫌味と皮肉で相手をなじるため、吐露していく。

「すさんだ眼でギラギラと周りを睨んで、全てを喰えるか喰えないかだけで判断するような、腹を空かせてずっと彷徨っているような…、そんな子供が当たり前だったんです、…俺の知ってる世界では」

「う?」

「…こういう子供もね、普通でしたよ。貴方は知らないでしょうけど、アンダーグラウンドで、こういう子供が売られていることも買われていることも棄てられていることも、全部、普通だったんですよ」

吐き捨てるように語る彼の片腕で抱き上げられた子供は、何も知らない顔で己を抱く悪魔を見詰めていた。

 ウルベルトもまた、子供を見返す。しかしその視線はその子供を素通りして、全く別の何かをその向こう側に見ていた。だからこそ、その瞳に宿るのは慈しみでも同情でも無い。もっと別の澱んだ何か、だ。

「……だから、可愛がっているんですか」

「さてと、話を逸らすのはここまでですよ、たっちさん」

じとり、悪魔の瞳が、殺すべき家畜に、価値の無い動物に、視線を移す。

「ウルベルトさん、」

たっちの言葉など無視して、ウルベルトはその片腕にいた子供を背後のデミウルゴスに向かって放り投げる。

「デミウルゴス、ちょっと預かってて」

「っ、は、い。畏まりました…」

露骨に嫌だという顔をしつつも、宙に放り投げられ落下してきた子供をデミウルゴスはキャッチする。何が起きたかよく分かっていない子供に至近距離で見詰められ、また露骨にデミウルゴスは、今にも吐き戻しそうな嫌悪感剥き出しの表情を晒した。

「どけよ、セバス」

地面に倒れ伏す女性の傍に膝をついていた執事は、暫しの迷いを見せた後にそこを離れた。そして、ウルベルトがさてどうやって殺そうかと思案している時に、女は目を覚ましてしまう。

暫しぼうっとした後に彼女は、ウルベルトに気付き、すぅっと顔を青褪めさせた。

「あっ…!」

怯えながらも上半身を少しばかり起こし、彼女はたっちの腕の中にいる子供に気付く。その胸が動いていることに、その頬がまだ血色よく染まっていることに、彼女は場違いな安堵をしてしまう。そして直ぐに、それどころではないのだと察した。賢い彼女は、はらはらと美しい涙を零し、そして頭を下げる。

「お願いします…!あの子だけはどうか、助けてください。亡くなった弟夫婦に託された唯一の子です…!どうか、どうか…!!」

「あー…、良いなぁ」

悲痛な声に返されたのは、返されるべきでない愉悦に満ちた声。

彼女は、そこにあった悪魔の歪んだ笑みを見て、顔を上げたことを心底後悔した。思わず顔を逸らそうとした女の頬に、ウルベルトが持つステッキの石突きが添えられる。彼女の願いは叶わない。その瞳には、悪魔が映る。

「良い声で鳴くんだよ、こういうタイプの人間って」

「ウルベルトさん、駄目です。…それは、駄目です。俺が許さない。彼女も俺が保護します」

「たっちさん…、あまり我が儘ばかり言うべきじゃないと思いますよ。今更、ゲームのルールを破るつもりですか?」

たっちが毅然と首を横に振るも、それに返されたのは子供を相手にするような大人ぶった解ったような言葉だ。苛立ちも微かに混ざった声で、ウルベルトが呆れ果てたと吐き捨てる。

しかしそれでも、たっちは譲らない。首を横に振り、ウルベルトを否定する。そして傲慢にも断言してしまう。それが当たり前のことなのだと決め付けて、彼は、言い放った。

「親子は、一緒にいるのが当たり前です」

しんと静まり返り、風すら止んだかのようになった。炎も、燃やされている何かも、全てが空気を読んだかのように静かだ。人間も、異形種すらも、その湧き上がる怒気に恐れを抱き、鳥肌を立たせ、足を竦ませる。

「………あぁ、だから、」

その細長い爪の様な刃物が、自身の顔に食い込むことすら気にせずに、ぐっと顔に手を当て、何かを抑え込むようしていたウルベルトが、怒声と共に一気に魔法陣を展開した。

「だから、お前はムカつくんだよ、このクソ正義厨が!!」

「セバス!!」

無詠唱で、強化された無数の魔法の矢が至近距離でたっちに向かい発射される。

超越者でも対応不可能とも思える速度と数を誇る超至近距離からの攻撃に、しかしたっちはそれでも対応してみせる。不可避の矢を、避けられないならばと尽く剣で受け砕く。結果たった数発だけが彼に掠り、その鎧を抉るだけだった。

彼が執事の名を呼ぶと同時に放り投げた子供も、無事に執事の腕の中へと着地した。

遠慮ない舌打ちが響く。それはニつが重なり合った大きな音だ。

「親子が一緒にいるのが当たり前だぁ…?お前が普通だと思ってることは、豊かで、恵まれているからこそ、普通なんだよ…!!」

騎士の赤いマントを引き裂かんばかりにウルベルトが掴む。まるで汚ならしい物に触ったかのように、その顔が顰められた。

「ああ!糞が!!そのムカつく鎧ごと、粉微塵にしてやるよ!糞たっち!!」

輝く魔法陣が再度展開されるも、横目で第三者の介入を察したウルベルトは直ぐ様にたっちから離れる。

「〈魔法最強化・焼夷〉!」

天空目掛けて吹き上がった火柱が、たっち、セバス、ウルベルトの距離を引き離す。

預かった子供をユリに任せ主人のもとへ駆けつけた黒衣の執事に、ウルベルトは舌打ちする。

 騎士と執事の背後に守られるように居るのは、困惑し白い顔をさらに青白くさせているユリだ。そして彼女は、気を失った子供と、いつの間にか回収されていた女を庇うように腕の中に抱えていた。

「ウルベルト様!この子供、そろそろ捨てても宜しいでしょうか!?」

目前に現れたストライプ模様のスーツの背中に向かって、ウルベルトは落ち着けと声を掛ける。

「何を言ってるんだ、デミウルゴス。あっちがゲームのルールを破るなら、こっちがゲームのルールを破るわけにはいかないだろ」

「っ、しかし…!」

とはいえ、ウルベルトも内心では捨てるべきと判断していた。圧倒的な不利とは認めないが、ウルベルトのタンクとなるのが子供を抱えたデミウルゴスというのは、あまり笑える事態ではない。

「…たっちさん、そんなくだらない考えのために今更、本当に、ゲームのルールを破るつもりですか?…今までのこと全てが無駄になりますよ」

「だから、説得をしているんですよ」

「説得、ねぇ…。成る程。剣はペンよりも強し、ですか」

剣を構えるたっちがウルベルトに躙り寄ろうとし、歯噛みしつつデミウルゴスが身構えたその時、光線が現れた。両者ともに想定外の光り輝く矢が、飛んできたのだ。光り輝く、高速の、五本の矢が。しかもそれは、たっちの脚を狙い放たれた物だった。

 不意打ちだったその射撃を、たっちは跳躍し回避する。だが、彼の脚の着地点に目掛け間髪入れずに一斉射撃が放たれ、その左足には二本の矢が突き刺さった。

「クソッ!!」

矢が刺さった足を庇いながら、たっちは狙撃手が居るであろう方角を睨みつけつつ一歩下がる。不意打ちにはならない状況となると、嘘のように矢は飛んでこなくなった。

「ふ、ハハハ!!友達は大切にするべきだなぁ、デミウルゴス!」

誰が矢を放ったか理解したウルベルトは、にやりとする。

先程飛来してきた矢を、彼は知っていた。この世界に来る前にユグドラシルでもよく見たその矢は、この世界に来た後も、偽物が自分目掛けて放つのを正面から見たことのあるものだ。

「ゲームのルール違反者が誰か、これで分かっただろ。さぁ、その女を、」

腕を伸ばすウルベルトと、剣から手を離せないままのたっちが睨み合う。後もう少しで戦闘の火蓋が切って落とされるようなひりつく空気が漂う中に、執事の叫び声が響いた。

「動くな!!」

それはとても珍しい、セバスの怒号のような短い声。遠くまでよく伝わるように響くその大声が、誰に聞かせたいのかは明白だ。喧しいとしか思わなかったウルベルトだが、続く言葉でその執事を早々に黙らせなかったことを後悔する。

「―――モモンガ様を、悲しませるおつもりですか!!」

ウルベルトが得た射手に対する、致命的な一手だった。見えず聞こえずとも、狙撃手がその手による攻撃を取り止めたことが嫌でも彼には理解できた。

苛立たしげに睨みつけてくるウルベルトに怯みつつ、セバスは言葉を続ける。

「そもそも、ここで我々が身内争いをして、何かメリットがあるというのですか!?」

その言葉に、デミウルゴスが短く吐き捨てるように笑う。

「まさか、君に損得勘定について能弁を垂れられる日が来るとはね…」

「その意味については、今は深く言及は致しませんよ、デミウルゴス」

即座の戦闘開始の事態は免れ、緊張感を孕みつつも、各々が戦闘態勢を解除する。

ただし誰も気は緩めない。剣を鞘に収めても、拳を下ろしても、次の瞬間に備えたまま、互いの絶妙な距離幅も保ったままである。

「……とりあえず、落ち着いて話し合いましょう、ウルベルトさん」

「何を偉そうに言ってやがるんだ、この事態の原因が」

普段被っている上品さなどかなぐり捨てて怒りを剥き出しにするウルベルトと反対に、たっちは冷静な振る舞いを崩さない。それがさらに、ウルベルトを苛立たせる。

 ずっと変わらない感情が、彼の中でぐつぐつと煮立っていた。

 生まれた瞬間から自分は圧倒的下に属する存在で、同じく生まれた瞬間から勝組の存在がいる。抗えない、変わらない、自身ではどうしようもない不条理。本物の騎士のような振る舞いをするその男を見ていると、そういった不愉快なモノをまざまざと見せつけられているようで、ウルベルトは胸糞悪くて仕方がなかった。

それは、死んで生まれ変わっても、世界を破壊し尽くしても晴らせないような不快さと屈辱だ。

「ウルベルトさん、今度こそ、ちゃんと話し合いましょう。向き合いましょう」

「ああ?何良い子ぶってんだ、クソたっち。ルールを破って、正義を気取って、相変わらずだな、クソが」

隠しもしない嫌悪と侮蔑の意思は、子供のようでもある。しかしその挑発はスルーされ、騎士は淡々と言葉を続けた。

「貴方は…、まるで私の頭の中がお花畑のように言うけれど…、…全部、分かっていましたよ」

一呼吸置き、何か覚悟を決めるようにたっちは深く呼吸をした。そして彼は、真実を吐き出す。

意識して見逃して目を逸らした、知っているのに知らないことにした、現実を。その全てを知っていたのだと、白状する。

「あの世界は歪んでいて、当たり前のことは当たり前じゃなかった。自分の居た場所が、あの世界では珍しい、幸せで豊かな暖かな場所だというのも分かっていました」

「へぇー…、下で這いつくばる虫けらなんて、たっちさんには見えていないのかと思ってましたよ」

嫌味を返すウルベルトの声が、震えていた。一体どういう感情が、悪魔の感覚器官が働いてその様になったのかなんて誰にも分からない。それは当然、彼自身にもだ。

「見えないふりを、していたんですよ。目を逸らしていたんです」

「…それはそれは……、御大層な正義で」

酷く疲れたような溜息が、たっちの口から吐き出される。それに苛ついたウルベルトが口を出すよりも早く、彼は言葉を紡いだ。

「それでも俺は、ここでの、この世界での答えを見つけた」

鞘から剣を抜いたたっちに、ウルベルトとデミウルゴスが警戒する。しかしその抜き放たれた剣は悪魔など無視して、世界そのものを殺さんとするかの様な勢いで大地に突き立てられた。

まるで巨大なバケモノに、止めを刺すかのように。

「俺は、この世界を征服し、幸福に、支配します。それまでに立ち塞がる全てを破壊し尽くして、殺し尽くしてでも」

たっちは言い切った。迷いもなく、躊躇いもなく、狂気も正気も滲ませずに断言した。世界に対する不遜とも言える、横柄と感じられる堂々とした態度で。身勝手すぎる尊大な願いを口にした。

「俺の理想を、この世界に押し付けます。俺は、俺の理想を成し遂げる。俺の正義を」

「そんなうわ言を…、俺に聞かせてどうするんですか」

ウルベルトは、不愉快だった。しかしその感じる苛立ちが、いつもの騎士に抱く苛立ちとはまた別の種類に感じられて、彼は自身に戸惑う。威風堂堂と立つ相手が眩く、目を逸らしたくなることに、何故と疑問を密かに抱く。

いつも以上に腹立たしく、そして己が惨めに感じることに、ウルベルトは意味も分からぬままに焦りを感じた。

 そんなウルベルトの隙に切り込むが如く、揺るがぬ騎士は問い質す。陰険なほどに優しい声音で、問を突きつけたのだ。

「ウルベルトさん、貴方も、答えを見つけてください」

「…何を、」

「『まだ人なのか』と、尋ねてきた貴方自身も考えて、その問に答えるべきでしょう」

それは、かつてウルベルトが意地悪でたっちに問い掛けたこと、嫌がらせの言葉だった。大嫌いな相手が苦しむことを願って紡がれた呪いの言葉に対し、何を今更とウルベルトは嘲る。その返答をすべきなのはたっちの方であり、ウルベルトは無関係なのだと、彼は、信じ込んでいた。

「俺はもう、」

「弱い人間に、腹が立つんだろ」

その一言は、強烈だった。ウルベルトの顔に貼り付けられた悪魔の笑みが、がらりと崩れ落ちる。NPC達と、弱い人間が、困惑した表情のまま固まる。動けなくなる。

「何も変えられない弱者を見て、慰められているのでしょう」

「やめろ」

深く深い奥底にあった誰も触れてこなかった暗部に、騎士の言葉はずけずけと入り込んでくる。いや、正確に言うと、誰も触れてこなかったのではない。誰も知らなかった為に、触れることができなかっただけだ。

 当の本人すらも無いことにしていたそれを、たっちは、たっちだからこそ察することができた。この世で一番、彼を憎たらしく想っているからこそ、理解できてしまったのだ。

「人間が、所詮は誰も守れないことに、何も変えられないことに、安心するのでしょう」

「黙れ!!黙れよ、クソッ!!」

その叫びは、懇願であった。

 自身の造物主が、ただの言葉の羅列に苦しんでいる事実に、振り返った悪魔は驚愕する。その顔に塗り込められた、混乱と怒りと戸惑いは、あまりにも悲痛で、彼の脆さを感じさせるものだった。

偉大なりし御方に対して、不敬なことを考えてしまったとデミウルゴスは慌てる。しかし次の一手が浮かばずに、造物主と同じく迷い子のような表情になってしまう。

「悪魔としての愉しみ、それだけじゃないでしょう。あれは、貴方の個人的な感情と欲望も原因だ」

「やかましい…、ウゼェ、黙れ!!」

ウルベルトの絶叫に呼応するように、黒い炎がたっちの背後から現れ襲う。跳躍し避けたたっち目掛けて、その炎を吐き出した巨大な蜥蜴が突撃する。その通り道全てを真っ黒に焦がしながら猛進するその召喚獣は、召喚主が望むままに、たっちを殺そうとしていた。

「はあぁっ!!」

攻撃を攻撃で相殺する、脳筋だ無茶苦茶だとかつての仲間に散々言われた時と同じように、襲いかかってきた炎を全て真っ向から攻撃で受け返し全てをたっちは相殺した。また炎を吐き出そうとしている蜥蜴の、その僅かな隙に、その頭部に目掛け飛び跳ねその剣を彼は打ち立てる。

もんどり打つ蜥蜴など気にもとめず、スキルの重ねがけで威力を向上させた技によって、その頭部は斬り落とされた。消滅していく魔物に一安心しつつ、周りを見渡して、そして上空を見上げてたっちは舌打ちする。

「セバス!協力しろ!それからデミウルゴス!」

名を呼ばれた、翼を広げていた悪魔は戸惑いつつもたっちの言葉を待つ。

「お前にできることはない!ここで待ってろ!すぐにウルベルトさんを連れて戻る!」

それに対してデミウルゴスが返答するより早く、たっちはユリとセバスに下は任せたと短い指示を出す。そして彼は、上空へと跳躍した。

その持てる身体能力全てを使って駆けて、地面を蹴った彼は、腰を低くおろし、まるで飛んできたボールを上げるかの如くその手で造物主を上へと押し出したセバスの協力によって、一気に有り得ない程の上空へと躍り出た。

上空で戦闘準備を行い、魔法陣を展開していたウルベルトの前へと。

「〈魔法三重最強化…」

詠唱中の悪魔の前に現れた騎士は、一気に斬りかかる。

「・朱の新星〉!!」

「〈次元断切〉!!」

轟音。それ以外に言いようの無い音が、世界に轟く。まるで世界の終焉の始まりを告げるような、この世そのものが軋む音。白く世界を塗りつぶす光。

そして、反動のように嘘のような静寂が返ってくる。

至高の御方も死んだのではないかとNPCが思ってしまうようなエネルギーの中心点で、ウルベルトもたっちも〈飛行〉を使い浮いていた。

片方はその鎧と肉体能力で、片方は予め使用していた魔法やスキルによって、その身を守ったのだ。

「貴方はずっと、全てを憎んでいるだけだ。憎んでいるくせに、それを認めないから、」

「違う!黙れ!!」

「救おうとして!変えようとして!結局は何も出来ないままに終わっただけの自分に重ねて、そのどうしようもない感情をぶつけてきたんだろ!!」

「違う!!俺は!!違う!!」

否定をしながら肯定をしているようだとは、ウルベルト自身も感じていた。

本当に違うのなら、笑えばいい。澄まし顔で馬鹿にしたように、笑い飛ばせばいい。悪魔のように、嘲笑えばいいのだ、何時ものように。

しかしそれがウルベルトにはできなかった。たっちの言葉全て、聞きたくもなかった。聞き流すこともできなかった。笑えなかった。不愉快だった。否定したくて堪らなかった。稚拙な言葉を並べてでも、それを認めたくなどなかった。

「見るのも嫌なんでしょう、人間が」

それでも、たっちは言葉を続ける。

ゲームオーバーの文字が、ウルベルトの頭の中に流れた。だからだろうか、真っ黒な背景に真っ赤な文字で鮮烈に輝くその文字が頭にこびりついているからなのか、彼は魔法を放てなかった。

 呪文の一つも頭に浮かばない彼の脳裏に出てきたのは、今は全く関係ないはずのもの。

 ガスマスク、淀んだ空、富裕層のみ暮らす煌めく世界、ゴミの掃き溜め、オイルの浮かんだ水たまり、鼠、蛆虫、ゴミを食う子供、帰ってこない仲間達、それでも存在する幸福そうな人間達。

「弱くて何も出来なかった、世界を救えなかった自分を思い出すのが、嫌なんでしょう」

自身の胸をのたくりまわるその不愉快な感情を、ウルベルトは知っている。知りたくもないのに。今までに見てきた人間の抱えてきた感情全て、それを見ながら自身が奥底に抱えてきた感情全て、全て、何もかも、ウルベルトは知っている。

「俺は…、」

憎くて、憎くて、憎くて、憎くて、そして、悲しくて堪らなかった。

全てが無駄に終わったその結末が、世界に見捨てられたその結末が、許せる訳がない。そして今更、奇跡が存在することなど、弱者であり敗者となった彼が許せるわけもなかった。

自分と同じ様に、弱者は、淘汰されるべきなのだと。救いもなく、奇跡もなく、勝利も無いままに、終わるべきなのだと。血塗れになって泥の中で、無意味に、無感動に、死ぬべきなのだと。

ウルベルトは、無意識に、いやわざと自覚しないままに願っていた。

誰にも祝福されず、神々の寵愛もなく、奇跡も起きずに敗北しなければ、そうでなければウルベルトには許せなかった。絶対に、許せなかった。

そうでなければ一体、あの敗北は、あの積み重なった無駄死には、何だったというのか。

「俺は、…悪魔だ。…ああ、そうだよ!!憎くて憎くて仕方ねぇよ!!全部全部全部!!腹立たしい!!俺は、」

「貴方は人間ですよ。一体いつまで人間のままでいるのかと、呆れる程にね」

感情を爆発させてなお全否定されたウルベルトは、呆ける。

お前は世界一の馬鹿だと言わんばかりに、たっちは呆れ返った口調で否定する。お前は悪魔ではないのだと。そして無慈悲にも、俺は悪魔だと逃げた彼の逃げ道を、丁寧に、優しく塞いだ。

「ウルベルトさん、貴方は一体いつまで、あの世界に対する苛立ちを抱えていくつもりなんですか」

強烈なフラッシュバックが、ウルベルトを襲う。どれほど長い年月が経とうとも完全には消えてくれない絶望の記憶が、彼の心臓を掴み、握り締める。

「あの世界で死んでいった人達を、死んでもまだ引きずっているなんて、」

あの世界で、甘い蜜を啜る人間を打ち倒そうと、世界に変革を!と熱く語って、冷たい肉に成り果てた者達の顔、顔、顔。しかしそれが、殺してきた法国の兵士と重なり、ウルベルトは吐きそうになる。

「貴方は哀れで、」

たっちが口にするのは、心の底より寄せられた同情心の塊の言葉、憐憫の情あふるる言葉だった。それが、奥底からすくい上げられたウルベルトの心の深部をまた鋭利に切り込んだ。切り刻んで、明るみにして、それでもなお、騎士は追撃を止めない。真綿で首を絞めるように、屈辱の汚泥に彼を沈める。

「とても、優しい人だ」

胸くそ悪いというかのように、騎士は、そっと告げた。

「あ゛あ゛っ…!!糞ッ!!」

引き上げられて、明るみにされてしまった激情。それが何かなどウルベルトにはもう解っている。今更否定など出来るわけもない。誤魔化しようもない。

全てが憎い。全てが悍ましい。全てが腹立たしい。全て、踏み潰してぐちゃぐちゃにしてやりたい。未だに希望がある世界、光に縋ろうとする無力な者達への苛立ち。それは、ウルベルトが未だ人間だからこそに抱いた強烈な感情。

 嫉妬だ。

 自分達が敗北したのに、同じような存在が救われるなんて、許せなかった。そんなことになれば、嫉妬で気が狂ってしまうとウルベルトには解っていた。

だからこそ、神がいないことに安心した。誰も救われないことに安心した。弱者が何も成せずに死ぬことに、ウルベルトは安心した。

 仲間達と自分の敗北は、あの敗北は、誤りではなかったのだと。

「糞!糞が!!だから…、だから、お前は大嫌いなんだ…!!」

「よく分かりますよ。だから私も、貴方が大嫌いなんです」

互いに互いが、あまりに正反対で、そのくせまるっきり同じだから、嫌でも分かってしまう胸くそ悪さに、ウルベルトもたっちも盛大に顔を顰める。

彼ら二人共に、気持ち悪くて気持ち悪くて、不愉快で仕方がない気分だった。

 たとえ世界に否定されても、悪と謗られても得るものが無くとも、真の正しさを求めた男。

 たとえ世界に肯定されても、正義と褒められ富を得ても、空虚な正義に縋った男。

 その豊かで幸せそうな姿が、その強さと正しさを求める姿が、互いに互いを腹立たしくせていた彼ら。話し合いも理解も捨てて、ただ只管に互いに相手を愚かだと思いながら、何も変えられずに何も無い結末を迎えた哀れな存在。

やっと彼らは異世界で、数多の犠牲の上に理解を得た。互いに互いが大嫌いであるという、単純明快なる理解を。

 

 

 

 「……〈魔法位階上昇化・隕石落下〉」

ウルベルトがステッキをたっちに向けて言い放ったその魔法に、たっちは思わず聞き返した。

「…は?」

現れた隕石は、しかし、当たり前のように騎士によって両断される。まるで柔らかな素材でできているかの如くスパッと半分にされたそれは、地面に落下し打つかると同時に物凄い音をたてた。下を気にしつつも、いきなり戦闘行為に移ったウルベルトに警戒したっちは声を荒げる。

「いきなり何なんだ!」

「俺が悪魔でなく人であるなら、たっちさんにとって大罪人だろ?俺は殺されても文句が言えない立場って訳だ。けど、テメェに為す術なく殺されるのは胸糞悪いんだよ、クソたっち」

「勝手に思考して、勝手に話を進めるな、クソ悪魔!!」

「おいおい、悪魔じゃないって言ったのはテメェの口だろ。無茶苦茶だな」

「マジで殺したくなってきたから黙ってくれませんか、ウルベルトさん」

お前の指示に従うなんて胸糞悪い、そんなことを絶対に言おうとしたのであろうウルベルトを、咳払いで黙らせてたっちは、本題に移る。

「この世界は、あの世界じゃないんですよ」

「…解りましたよ。もういいですよ。十二分に解りましたから……」

気落ちした様子の悪魔は顔を歪めて、もういいから黙れと告げる。しかし騎士は、その言葉を当たり前の様に無視した。

「貴方は今は、世界に災厄を撒き散らす悪魔、“ウルベルト・アレイン・オードル”。そして私は、聖騎士の“たっち・みー”です。それ以上にも、それ以下にも、なれない」

たっちが語るその言葉に、ウルベルトがぴくりと反応する。彼の語る全てを改めて真摯に受け取り、彼は、苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

そして、その言葉の続きを、ウルベルトが引き継ぐ。やはりこの正義厨は愚かだと、間抜けだと呆れながら、心底うんざりしつつも、全てを理解しながら。

「……元人間として、完全な異形にも成り切れない。俺達は、何モノでもない、それで、良いんですか」

純黒も、純白も、この世界には存在しないように。人間にも、異形種にも、正義にも、悪にも、神にも、成れない。

 完全なる何かではなく、完全なる何かを演じる何モノでもない存在として自覚して生きること。

たっちの指し示す道に、ウルベルトはため息を吐く。

「…しんどいだろ、それ」

「三人いれば、なんとかなるでしょう。貴方が自分が人間でもあることを忘れたら、私とモモンガさんで殺しに行きますよ」

「じゃあ、たっちさんも」

「ええ、殺しに来てください、もしもの時には。それでこそ、この世界を導く資格があるのだと思いますから」

そう言って、たっちは剣を収めた。そんな彼に対してウルベルトは、いつものように嫌味を零す。

「…糞みたいな綺麗事ですね」

「さっきから発言がクソ塗れですね、お里が知れますよ」

「やっぱりお前いつか殺す」

詰り合いながら、罵り合いながら、にらみ合い、殺意をぶつけ、嫌悪感剥き出しにして、彼らは空中で歩み寄った。そして、互いの右手を差し出す。

そこに居る握手を交わす存在は、ただの虚像だ。光を吸い込む黒く艶めくマントも、光を反射し白く輝く鎧も、真っ赤な嘘である。

その心中に在るのは、全てが混ざり澱んだ、汚くて斑で、みっともなく、はしたなく、薄汚い感情。

 嫉妬と傲慢、それだけである。

 善良であるが故に、正義にはなれない彼。善良でないが故に、悪にはなれない彼。

どちらも中途半端で、天には届かず、しかしかと言って大地に当たり前のように立つこともできない。しかしそれでも、彼らには世界を導く力があった。あの歪んだ世界とは真逆に、絶対の力が。感情によって暴走させた結果、数多の存在の生命も運命も何もかも、容易く翻弄させてしまう程の力が。

「この世界全てを幸福で堕落させるぐらいしてみせろよ、この悪魔。あの世界が、嫉妬するほどに」

「言うじゃないですか、聖騎士風情が。これからも正義をせいぜい語ってください。よくお似合いですから、その傲慢な押し付け」

言うだけ言って、たっちとウルベルトは互いの手を離した。そうして焼け爛れた地上に戻る途中、思い出したとウルベルトが口を開く。

「しかし、あの女は渡しません」

「ウルベルトさん…、一人ぐらい良いじゃないですか」

「ここまできて今更、ゲームルールを破る訳にはいかないでしょう。そもそも殲滅を考えていたのは、個人的な理由じゃないですよ。この国に染みついた思想はナザリックの目指す世界には、邪魔です」

ウルベルトの指摘に、たっちは反論できず黙り込む。

白の陣営にてどれ程に優しくしようとも、法国民は処遇を大人しく受け入れるだけで礼を述べてくることなど一度たりとも無かった。いやそれどころか、一部の者達が大変酷い罵詈雑言を何もしていない異形の者達に吐きかけてくるという報告があるばかりだ。

「俺は、この国の思想の根絶が将来のためになると考えてます」

「確かに…、この国は浄化した方が良いとは思います。しかし、あんな親子の様子を見てしまっては…」

もう諦めないと決めたたっちにとって、ルールのせいでまた人が救えないというのは不愉快なものであった。しかし、ウルベルトの指摘するところも理解できていたため、言葉尻を濁したのだ。

 ここまでの殺戮も救済も、全てゲームルールに則って行われたものだ。ここでそのルールを破っては、ゲームは破綻し、殺戮も救済も規律も何もなくなり、たっちが一番始めに懸念した結局誰も救えないという事態に陥ってしまう。

相変わらず諦めの悪いと、揶揄する声に続いてウルベルトがぼそりと零す。

「だいたい、なんで俺がたっちさんの言うこと聞かなきゃいけないんですか、嫌ですよ」

「…俺の思い通りになるのが嫌なだけなんですか、もしかして」

「はっ、違いますよ」

やいのやいの言い合いながら地上に近付いていく二人はしかし、地上にいる一つの姿に喧嘩を止めた。

「…あー…、モモンガさん、久しぶりー」

「…あれだけ大きな音がしたら、そりゃ来ますよね…」

地上に居たのは、女性をずっと守っていたのであろうユリと、子供を抱えるセバスとデミウルゴス。そして、そんな執事と悪魔に首を傾げる淫魔のアルベドと、彼女が愛するモモンガだった。

人間は、さすがにぐったりと気絶しているままだ。目を覚ます気配は一切無い。ナザリックの者達だけが、平然と意識を保っていた。

「それで、解決しましたか?仲良く握手してましたけど」

「やめて、モモンガさん。第三者から冷静にそんな風に言われると鳥肌が立つし蕁麻疹が出る」

「細かい詳細については追って説明します。それよりも、丁度良かった。目下の問題を解決してくれませんか?」

ウルベルトをスルーして、たっちが話を進める。ひとまず現状の残った問題を説明して、黒の陣地にいる女性を助けたいという我が儘をたっちは審判に申し出た。

聞き終えたモモンガは、ふむと考える。しかしそれは自分が仲裁するまでのことか?と首を傾げそうな雰囲気である。実際に、一体何事かと身構えていたモモンガは、少し拍子抜けしていた。

そして、その問いに対する単純明快な答えを審判は事も無げに言い放つ。

「その女性と、たっちさんの陣営にいる人とを交換することで手を打ちましょうよ」

1-1=0。提案されたのは、単純な物々交換である。人間と人間を交換する、真当な取引だ。

例外措置だがルールを破ることにはならないのだから、ゲームは破綻しない。ここまで進行されて今更、例外など許されないゲームは問題なく継続されることになる。

「…それで良いです」

「…分かりました」

モモンガが仲裁し、提案した取引に両者がのった。彼らも、妥協案として真当だと判断したのだ。

たっちはユリに向き直り、指示を出す。彼の頭に浮かんだのは、未だ説得に失敗し続けている一人の法国兵士だ。

「ユリ、仕方ない。丁度彼もあっちに行かせろと言っていたし、報告によると説得も尽く失敗しているみたいだし、連れてきてくれないか。あの男を」

「畏まりました」

説得に失敗し続けている処遇に困っていた男。該当する男がいる場所へと移動を開始したユリに代わり、気絶する女性と子供の面倒をセバスが引き受ける。

「ユリが戻ってくるまで待機ですね。…というか、あの子供、なんですか?」

デミウルゴスとセバスが抱える子供を指差し、モモンガが尋ねる。

「「拾いました」」

「…え、ペロロ」

「「違います!!」」

同時に答えた後に全力で同時に否定してきたウルベルトとたっちが互いに睨み合うのを、相変わらずだなぁとモモンガは眺める。そんなモモンガの傍に、ウルベルトが近寄り、そしてたっちも歩み寄る。

「モモンガさん、今度三人で、ゆっくりお話しましょう」

三人、その言葉をウルベルトが自ら口にしたことに、モモンガは驚く。その口調がどこかすっきりした雰囲気なことにも、戸惑ってしまう。だがしかし、同時に喜ばしいとモモンガは思った。どこかいつも憂いているようだった友が、なんとなくだがそれでも、開放されたようで。ギルドマスターとして、友として、モモンガは素直に嬉しかった。

「俺がたっちさんのこと、どれぐらい大嫌いなのか語ります」

「えっ、なんで」

「俺もウルベルトさんの性格の悪さと嫌いなところを語りますよ」

「たっちさんまで!?」

それはどういう集まりなんだと、モモンガが笑えば、ウルベルトもたっちもつられて笑い出す。肩を並べて笑い合う至高の存在の姿に、被造物も不安を胸から掻き消して、微笑ましくその光景を見詰めている。

 それは、ナザリックの者達にとって完成された芸術のように美しい光景であった。醜悪と汚泥を通り越して完成に至った目を逸らしたくなるようなバケモノ達の美しい友情に、その場に立つナザリックの者達は純粋な涙を浮かべ拍手を送っている。

 

 真っ黒に染まった大地の上、晴れ渡る高い青空の下、彼らは無垢に喜んでいた。命ある者達が尽く死に絶え燃え尽きた跡で、心より笑いあい、微笑んでいたのだ。柔らかい腸が晒され、加工された骨は物と化し、焦げる死肉の臭いも濃厚に漂うその場所で、気持ちよく、爽やかに、屈託のない笑顔で。

 

 そんな彼らの頭上、雲の隙間から、陽光が降り注がれる。キラキラと美しい光の筋がいくつも並んで、まるで天が祝福しているかの如く彼らを照らした。

 

 その祝福の光あふるる世界に、纏わりつくのは血の臭い。しかしそれでも、そこにいる誰もが確かに、幸せな空間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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