魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

34 / 37
純黒05

 

 

 

 

 

 神はいるのだと、男は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔に付いて行くことを選んだ男と共に、ウルベルト・アレイン・オードルは純黒の馬車へと戻る。

 

 まるで訪ねてきた客を饗し出迎えるかの如く、その豪奢な純黒の馬車にスレイン法国の兵士は乗せられる。

思いがけないその事態に、ただでさえ戸惑っていた彼は、山羊頭のバケモノからの質問にさらに瞠目する。

男が探す弟がどのような人物なのか尋ねてきた、その問い掛けに。

一体何を考えているのかと訝しみつつも、しかし彼は沈黙を維持できなかった。黙っていても、大切な弟を見つけることができないからだ。

 尋ねてきたのも話を聞くのも山羊頭という一番人から遠い見た目の方で、そのことに対しても男は戸惑いながらも、仕方なく語る。尻尾を除いた見た目と、幼子を抱える姿だけは人らしく思えるようなバケモノから酷く忌々しげに睨み付けられながら。自分と同じく偵察隊として任務についていた弟について。

そうして語り終えて、男は知った。彼らこそが、彼の愛する弟が率いていた部隊を捕縛していることを。

「それなら、中央拠点に戻ろうとするか、デミウルゴス」

「畏まりました。兄弟ともに、最高の饗しをさせて頂きます」

にたりと笑う一応は人のような面をした存在はやはり、全くもって人間には思えなかった。

 

 

 

 奇妙で恐ろしい、しかし全く揺れないために快適であった馬車の旅の終着点。そこで兵士を出迎えたのは、冒涜的な湖上の砦であった。

 生まれて初めて見るような胸くそ悪くなるその光景に、男は心の中に芽生えつつあった甘い考えを急激に萎れさせ、初めて己の選択肢に微かな疑念を抱いた。今と未来をどこか甘く捉えていた己に対し、本当に大丈夫なのかと嫌な不安に男は今更ながら襲われる。

 彼の視線の先には、法国の宗教都市が誇りにし大切にしてきた湖とその向こう側の瓦礫の山があった。湖上には、無数の骸骨とアンデッドで築かれた砦が平然と建っている。そこに設置された派手なストライプ模様の巨大な丸型テントが幾つも並んでいる様は、この世の全てを馬鹿にしているようだ。

しかし今更、引き返せる訳もなく、男は淡々と進むバケモノ達に続いてその砦へと渋々と足を踏み入れた。

「おかえりなさいませ、ウルベルト様、デミウルゴス様。おや、そちらわ…、一体どなた様でしょうか?」

「弟を探しに来た客人だ。デミウルゴス、それはプルチネッラに預けておけ」

「畏まりました」

砦にあったテントの内一つから現れたどう見ても人ではない白い服を赤く汚す存在に、男はぎょっとする。口調は妙に丁寧なその存在は恭しく、しかし首を傾げながらも尻尾の生えたバケモノから子供を受け取った。

「プルチネッラ、それは俺のペットだ。少しの間、世話を頼む」

「それはそれは!なんと恵まれた子供なのでしょう!」

心よりの祝福を、馬車の中で眠ってしまっていた子供へとバケモノは送る。その光景は、足元と眼前にひろがる光景と同じく、男にとってとても気持ちの悪いことだった。

しかし何も口には出さずに、男はまた歩み出したバケモノ達に大人しく着いていく。そうして足を進めていくうちに、男にも終着点が分かってきた。

赤と黒の縞模様の派手なテントへと、向かっているのだと。

 

 そのテントの黒い布地をいくつか越えた向こう側で、たとえどのような世界が広がっていようとも、生きてさえいれば、弟は嬉しそうにしてくれるはずだと兄は思っていた。

生きてさえいれば、兄弟ともに兵士として生きる以上ある程度の覚悟はしているが、それでもその言葉を互いに言い聞かせ合う程度の当たり前の弱さは兄弟にもあった。生きてさえいれば何とかなると、苦笑し合った弟は、きっと生きて笑ってくれると兄は信じていた。

「……………………あ……、兄、貴…?」

赤黒く染まった木の床の上、椅子に打ちつけられた弟を見て兄は、感嘆の声をあげる。なぜか片目の色が違い、やつれ、酷い顔色をしているが、それでも生きている。死んでいない。

神はいるのだと、男は思った。

きっと、これから救いの手が差し伸べられるだろうと期待する兄の耳に、弟の絶望に浸された声が届く。

「なんで、」

「…ん?」

「なんで!?なんでっ、こんな所に来ちまったんだよ!!!」

戸惑いと悲痛に満ちた弟の金切り声が、兄を痛烈に出迎えた。兄は、その声に目が覚める思いで弟をひたと見詰める。

「ああ…、いや違う…。はは、さすが兄貴だ、魔導王陛下に御味方したんだな?陛下の下についたんだ。…なぁ!!そうだろう!?そうなんだよな!?兄貴は、俺達は、」

椅子に縫い止められたその身が血を吹き出すのすら厭わずに、絶叫し暴れようとする弟を兄は呆然と見詰める。

「俺は!!許されるんだろ!?」

これは誰だと、兄は悲痛な疑問を抱く。口は悪くとも心根は優しかった弟が、部下を大切にしていた弟が、自分だけの救済を心の底から求めているその無様な有り様に、兄は心が掻き毟られる気持ちであった。

そしてその怒りを、やるせない想いを、兄は近くにいた憎き敵に、バケモノへと刃を向けた。

「―――『平伏したまえ』」

怒りのままに走り出した兄はしかし、悪魔の言葉に為す術無く倒れ伏した。その手から滑り落ちた短剣が、からからと虚しく板の上で鳴く。

男は苦しそうに、怒りに顔を歪ませる。そんな床に這い蹲る男を一瞥し、心底憐れみつつも、ウルベルトはそれから視線を容易く外す。

そして彼は、あまりの事態に言葉を失くす弟の前に立った。

「さて…、弟くんよ、残念ながら君の兄は先程、その魔導王陛下を殺そうとしたんだ」

ウルベルトが優しく事実を伝えると、瞳を見開き信じられない、いや信じたくないという顔を弟は晒す。そんな彼の頭上から、液体が、とくとくと細く小さな瓶から注がれる。

紫色をしたポーションをアイテムボックスより取り出したウルベルトが、傷付いたその身に降り注いだのだ。

 回復薬を注がれたその肉体は、元の形状へと戻っていく。その手首から肘にかけて椅子に縫い付けるべく刺さっていた釘は再生される肉に押し出され、からんからんと床に落下していく。本来あるべきでない金の虹彩の眼球は、再生された正しい眼球に押し出され外へとはじき出された。

転がり落ちた金の虹彩を持つ目玉は、元持ち主の太ももに落ちて転がり、そして地面に落下した。

 傷を癒やされ今はただ椅子に腰掛けるだけの男は、それを正く眼窩に収まった自分の両目でぼんやり追う。そして、地面に落ちたそれが、悪魔の蹄に無意味に踏み潰されるのを、ただ見ていた。

健康な肉体を取り戻した兵士は顔を上げ、そして何もしない。

何も行動を起こさない弟を見て、兄は絶望する。

「お、おい!何をしているんだ!?」

ただ座っていないで、立ち上がり落ちている剣を拾わないかと責める兄の声を、弟は無視する。彼は狂ったように、ただ悪魔を見詰めていた。目前の視認できる恐怖に指示されなければ最早、己の一挙一動、瞬きすらも自信を持って彼は行えないからだ。自身の身体を悪魔の許可も得ずに微かに動かすことすら、彼には恐ろしくて堪らないのだ。

「…デミウルゴス、斧を」

「畏まりました、ウルベルト様」

恭しく持って来られたその斧は既に使い込まれており、赤黒く染まっている。それが、椅子に座るだけの弟の直ぐ横の床に突き刺さった。

「兄の指を切り落とせ」

さすがに目を見開いた弟の、左眼孔の皮膚と肉の下にある骨の縁を、爪先でそっと悪魔がなぞる。

「支配はしない。君の意志で兄の指を切り落とせ。勿論、兄の首を切り落としてやり一瞬で楽にしてやる選択肢もある。ただしその時は、」

一拍置いて告げられた言葉は、人間の心にとどめを刺し、支配するのには充分な言葉であった。

「今までのこと全て、ただのお遊びだったのだと思えるほどの歓待を、未来永劫に与えることを私が約束しよう」

悪魔の爪先が微かに赤い液を纏いながら、離れてゆく。それを見送り、悪魔が数歩下がった所で、弟はやっと、ふらふらと立ち上がった。

周りを見渡して地獄を眺め、地獄に相応しい斧を見詰め、その向こうで床に伏す愛しかった兄を、彼は見た。

「―――『指を広げ、弟が切り落としやすいようにしてやり給え』」

「なっ…、やめろ!おいおいおい、なぁ、おい、違うだろ、お前が、」

「なんで、こんなとこに、来ちまったんだよぉ、…兄貴ぃ」

その涙を耐える声に兄は、口を閉ざした。いや、掛ける言葉を失い何も言えなくなったのだ。

死をもって救うと言った白銀の騎士が、彼の脳裏に過る。あれは本当に、心からの憐れみであり、確かな救済だったのだと、やっと男は知った。

弟は、斧を掴む。重たいそれを引き摺り、兄の前まで来ると、しっかりとその両手で握りしめ、構えた。

その斧を使い行える正しいことを、彼は知っているし理解している。だがしかし、正しいと思い進んだ果ての終着がここならば、正しさには一体、何の意味があるというのだろうか。そんな疑念が、兄を見詰める弟の頭にはこびりついていた。

「……ごめん、なさい…」

子供のするような弱く単調な謝罪の後に、雫が落下した。その雫が赤いのか透明なのか、兄には分からなかった。ただ、落下してくるその刃が、どこに着地をするのかだけを、苦々しい真実として、ただ呑み込んでいた。

そして、愛しい弟に指を切り落とされた兄の悲痛なる絶叫が、テント内に響き渡った。

 

 暫しの静寂後、拍手がテントの中で響く。その音源へと振り返った弟は、拍手を送ってくれたウルベルトに向き直ると、たどたどしく頭を下げた。

「デミウルゴス!氷結牢獄にこの二人を送れ。ただし弟は今後拷問は一切なしだ」

その言葉に、弟は歪に顔を綻ばせた。救われたという甘美なる事実が、その口角を自然と釣り上げていた。

「特別に普通の人間が問題なく過ごせる一室を用意して、そこに入れておけ。そっちの兄は魔導王陛下を殺そうとしたんだ、死なないように気を付けて拷問してやれ。最後に、」

痛みが訪れることはもう無いのだと知って緩んでしまっていた弟の頬はしかし、次の言葉によって一気に引き攣り、ひくりと痙攣する。

「弟の部屋に、必ず兄の絶叫が届くように気を付けろと念押ししておけ」

「畏まりました!あぁ、流石はウルベルト様…、下等生物の兄弟のためにそこまで考えてくださるとは、なんと、ああ、なんと御優しい方なのでしょう…!」

瞠目する弟は、落ちていた兄の剣を視界に入れて直ぐにそれに飛びつく。しかし今更、悪魔を倒そうなどと思えない彼が選択したのは、自死であった。

「―――『手を止めたまえ』。全く、ウルベルト様からのせっかくの恩赦を何だと思っているのか…」

兄の剣で自らの喉を斬り裂こうとしていた弟の直ぐ側に、ゆらりと悪魔が近寄り、そしてそっと、彼に囁く。

「暫くしたら、兄の悲鳴を聞きながらすやすや眠れるようになるさ」

優しいその声音は、彼の魂に直接響いたようだった。壊れたように涙が止まらず、ただ只管に血液を送る自身の心臓が、彼は憎たらしくて堪らなかった。

「幸福に生きろ、弟くん」

兵士として生きてきた彼はやっと理解した。今まで逃げてきた、恐れてきた、死。しかしあれこそが最大の慈悲であり、紛うことなく神の愛だったのだと。

「ああ、これが、」

その足元を血に塗れさせつつも、華々しく悪魔は確かに眼の前に居た。その爪をふるい歪に悲鳴を奏でるその背には、祝福する生者はおらず幸福そうな死者が転がるばかりだ。

その前に立ちはだかるものはなく、彼の背にて生者は世界と神を呪う。

その絶対なる力で生きる美しさを否定する、ああ、その行為に名をつけるのならば―――

「………悪」

小さく零したその言葉に対し、バケモノが呆れたように笑ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなもので良いだろうかと、ウルベルトは思案する。

 指を切り落とされた男も、涙を流して呆然とする男も、テントの中でかろうじて命の灯火を抱く者達も、全て殺そうとウルベルトは最初から決めてそこを訪れていた。ただ、ある一定の、ウルベルトが敵対したのでも心変わりしたのでも方針を変えたのでもないポーズは、どうしても必要だった。

そのため、先程に兄弟達へ与えられたものは慈悲が下るまでの罰、煉獄のようなものだ。

これ程のことをしておけば、殺してもそこまで不満はあるまい。階層守護者達の前でモモンガを殺そうとした罪は、これで終わりで良いだろうと思案し、一仕事終えた気持ちのウルベルトの耳に、聞こえるはずのない声が届く。

「あっ、ぅう!ぁ、」

「…ん?」

「騒がしいですね…」

デミウルゴスが非常に不愉快そうに、苛立たしげに呟くのと同時に、黒い布地が捲れ、暴れる子供を抱えるプルチネッラが飛び込んで来た。

「え、なんで、」

「どうしたんだ、プルチネッラ」

「一体何事ですか」

「ウ、ウルベルト様!デミウルゴス様!大変申し訳ありません…!目が覚めてからペットが暴れっぱなしで、私では手に負えず!」

くすくす微笑ってウルベルトはプルチネッラに近寄り、必死に悪魔へ手をのばしてくる子供を受け取った。そして振り返り、眉間に皺を寄せて不愉快そうにするデミウルゴスに対し、肩をすくめる。

「デミウルゴス、仲間を睨むな。そもそも、躾も終わらせてないペットを預けた俺が悪い話だろう」

ウルベルトの言葉に、気不味そうにデミウルゴスは顔から表情を引っ込め謝罪し、役目を全うできなかったことに負い目を感じていたプルチネッラはなんと御優しいことかと震え声で感謝を述べた。

「…それで、お前はこいつのことを知っているのか?」

ウルベルトは振り返り、自殺に失敗してぼんやりしていた男に問いかける。人間が思わず漏らしただけの独り言を、悪魔は耳聡く聞いていたのだ。

その問いかけに答えない選択肢など持ち合わせていない兄の指を切り落とした弟は、怯えながらもこくりと頷く。

「み、見世物小屋で見たことが、ま、ま、前に、一回だけ」

「あぁ…、成る程」

あの廃村においてこれは貴重な収入源だったのかと、ウルベルトは家畜が飼われていた理由を知り納得する。

「それで、なんでっていうのは、どういう意味だ」

その問いかけに対しては、彼は言い淀んだ。しかし人間の沈黙に意味など無い。悪魔が支配し、問いかければ、その口は容易く開かれる。

沈黙を貫くことによる無罪判決も、有罪判決も、そこには存在しなかった。悪魔が支配し問い掛け、彼は嘘偽り無く全てを吐露する。

「な、んで、そんなのがっ、救われて、俺達は救われないんだ!?」

そのつまらない返答を聞き届け、ウルベルトは男を殺した。

それは一分にも満たない動作だった。落ちていた斧を片手で拾い上げ、持ち上げ、滑らかに振り下ろす。ただそれだけの行為だった。そうして酷くあっさりと、その首と胴体を、片手で軽く振り下ろした斧一つでウルベルトは切り離し、その生命を終わらせた。淡々と、吹き上がり己と子供に掛かる血飛沫にすら大したリアクションもせずに。

 随分あっさりと弟が死んだのを見た兄は、何が起きたか理解できずに唖然としていた。壊れたように、おそらくたった今死んだ弟の名前であろう名称を呟く指の無い彼に、赤い血が滴る斧を持つウルベルトは優しく語り掛ける。その肩の重苦しい荷を、下ろしてやろうとするかのように。とても、気遣わしげに。

「安心しろ。お前たち人間の死は無駄にしない。その死体を有効利用するという意味でも、お前たちの意志を継ぐという意味でもだ」

「……意志を継ぐ、だと…」

ウルベルトの言葉に反応し、顔を持ち上げた彼は、潤んだ瞳の中に悪魔を映した。

「あぁ、そうだ。お前たちが望む人間の存続と繁栄の意志は継いでやる。まぁ正確には…、幸せになるのは人間だけではないけどな。…人間も、幸せになれる。それで良いだろう」

人間ではない存在が、人間を支配する。そして繁栄も約束すると、その人間を容易く嬲り殺した存在が、宣う。その目前にある事実に、今まで見た全てに、男は怖気が走った。

「お前たちには決してできない支配だ。未来永劫に幸福のまま、生きて死ぬ。俺達が管理する世界で。…素晴らしいだろう?」

「そ、それは違う!違うだろ!!」

自身に言い聞かせるようにも男は叫ぶ。否定しなくてはならぬという、ただそれだけの理由のない義務感による必死な想いで。

「人間には可能性がある!!よりよい世界を創ろうと弱小種族でも頑張ってきた!なっ、なぜ、そんなにも否定する!?可能性を!未来を!まるで見てきたかのように!!」

叫びながら、男はやっと答えを見つけた。目前の存在に対する気持ち悪さと不愉快と、怒りを感じる原因を。

 それは否定だ。目前の存在は、全てをまず否定している。失望し、見限り、諦めているのだ。こちら側に対してバケモノは、欠片も、何も、全く期待などしていない。始めから終わりまでの、全て、人間に何かできるなど思っていないのだ。

「…全部、見てきたんだよ。だから、俺達が支配者として相応しいんだ」

バケモノのその断言に、男が叫ぶ美しき理想が入り込む余地は、無かった。

「苦しいだろ、人間。…今、楽にしてやるよ」

子供を片腕に抱えたまま、振り下ろす為に斧を持ち上げるバケモノを見詰めながら、しかし、確かに男はその声に人間らしさと深い慈しみの心を感じた。そんな自身に対し、ああ自分は狂ったのだなと思いながら、男は疲れを感じ、諦めて、瞼を閉じる。まるで祈るように。

「…お前もどこかで、強くてニューゲーム、できるといいな」

からかうような、意味がよく分からないその言葉が、男に送られた最後の見送りの言葉であった。そうしてまた、振り下ろされた斧が、首と胴体を切り離し生命を一つ終わらせた。

 

 ウルベルトの手から離れた斧が、血飛沫を散らしながら床に落下する。やかましい金属音が響きわたった。

片腕に抱え込まれた子供は、体にかかった血飛沫も気にせず無垢なる瞳のまま悪魔を見つめ、その衣服に縋るようにしがみついていた。

「…いや、それもしんどいか」

独り言を零し、そしてウルベルトは、赤と黒の縞模様のテント内に残っている人間全ての殺害を命じた。殺し尽くし、燃やし尽くし、湖の底へと沈めると、決定事項を命令する。

至高の存在の御言葉に対し当然、反対する存在はいない。恭しく頭を垂れ了承し、仕事へと悪魔とモンスターは取り掛かり始める。

そうして、そこに居る人間が死んでいくのを、最後の一人が息絶えるまでウルベルトは見守った。全ての人間が死体になったのを確認し終えると彼はテントの中に火を放ち、そして暫しの間だけ死体を燃やす炎を眺め、無言のままに退室する。

 

 生きる死体で構築された湖上の砦にて、腕に抱く子供とともに燃え盛るテントを眺めるウルベルトに、彼が創造した悪魔が語り掛けてくる。

「やはりウルベルト様はモモンガ様のご友人で御座いますね。お優しく、慈悲深い」

感銘したと涙ぐむ息子に苦笑しつつ、ウルベルトは否定する。

「いや、違うんだ、デミウルゴス。俺はただ…、あれを、火葬したかっただけだ」

そう語り、炎を眺めるウルベルトの耳に、もはや聞き慣れた、言語として成されていない音が届く。

「あ、ぅっ、」

燃え盛る炎から散る火花を見詰めるウルベルトに向かい、子供は無邪気に手を伸ばしていた。

「…お前は、神を信じるか?」

問いかける彼に対して、子供はきょとんとした表情のまま首を傾げるばかりだ。炎の灯りを受け、光をチラつかせる緑色の瞳を、ウルベルトは、真っ直ぐ見つめ返した。

そして彼は、ひっそりと何も言わぬ子供に返事する。

「あぁ、俺も同じだよ」

そう言ってウルベルト・アレイン・オードルは、歪んだ笑みをその悪魔の顔に浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。