魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

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まだ人なのか 06

 

 

 

 たっち・みーは、生まれて初めて何かの気配を感じて獣のように目が覚め、飛び起きた。

 寝ぼけ眼のままだが本能のままに、アイテムボックスから武器を取り出し振りかぶる。相手の気配が動かなかったのと理性が、既の所でその腕を止めた。

 目の前にいる闇夜に竚むモンスターを見て、逆に思考が冷静になるのも、たっちにとっては初めてのことだった。

「……シャドウ、デーモン?」

 見覚えのある影の悪魔は頭をゆっくりと垂らし、恐る恐るといった風に頭を上げる。そして窓辺へするすると移動した。まるで、誘うように。ゴクリと唾を飲み、勢いで取り出した武器を握りしめたままたっちは窓辺へ近付く。そっと外の様子を覗き込み、そして下にいた存在にたっちは息を呑んだ。

 軋む窓を慌てて空けて、その勢いのまま外へと飛び出す。三階から飛び降りたのだが、しかし当然のごとくノーダメージでたっちは着地できた。

「……まさか、あなたもいるとは思いませんでしたよ、ウルベルトさん」

 名を呼ばれた悪魔は、つまらなさそうに、冷めた声音で答える。

「それは俺の台詞ですよ、たっちさん」

 心許ない星明りしかない夜。建物に陰られ塗りつぶしたような黒の中にいるウルベルト・アレイン・オードルは、まるで人々の悪夢をこの世に体現してしまったかのようだ。ステッキを持ち優雅に立ちながらも、じっとこちらを伺うウルベルトの見慣れているはずの姿も、たっちには見知らぬ者に思えた。

「何をしに来たのですか」

「そっちこそ、こんな所で何をしているのですか? 大人しく最期に家族のことでも思って成仏していれば良かったのに」

 目を見開くたっちに、ウルベルトはにんまり笑う。

「おや、当たりですか。ますます仮説が確証に近づいたな」

「仮説……?」

 ウルベルトは空を見上げ、何かを思い出したのか、ふうと気怠げに息を吐いた。

「想像通り、俺も死んだと思ったらこっちにいたんですよ。原因として考えられるのは死ぬ寸前の後悔。モモンガさんともっと遊びたかったなという、後悔だけ」

 その後悔は、たっちにも身に覚えがあることだ。

 走馬灯の中で思い出したアインズ・ウール・ゴウンの思い出は、とても楽しかったが、最後に一つ棘のような気掛かりを残していた。

「この世界は、死ぬ時にゲームのことを強く思った存在が引き寄せられる世界なのではないか、という推測です」

 それなりに緊張感を持つべき場面だが、ついたっちはぽかんとしてしまう。

「なんですかその推測は……、滅茶苦茶だ」

 しかし別にからかっている訳ではないらしく、ウルベルトは真剣に言葉を続ける。

「そうですか? 世界のルールなんてそんなものでしょう。重力がなぜ存在するのか、そもそも物体がなぜ存在するのか、考えだしたらキリがない。そう決まっているから、そう決まっている。ただそれだけの話でしょう」

「だから、それが無茶苦茶だと……」

「あの世界のルールに比べたら可愛げがあると思いますがね」

 その冷ややかな声に、たっちは言葉を失くす。そのルールを守る立場だったたっちに対する皮肉であることは、その顔の歪んだ笑みを見れば分かることだ。

「まぁ、つまらない雑談は止めましょう、たっちさん。こんな所で悶々としているあなたに、親切な俺が、せっかく答えを持ってきてあげたのだから。デミウルゴス!」

 名を呼ばれ現れた悪魔を見て、たっちは郷愁を感じた。かつての輝かしく楽しかった思い出が、思わず脳裏に溢れ、とめどなく流れ出てくる。

 翼を広げ優雅に降り立つ悪魔は、ナザリック地下大墳墓の、たしか第七階層の守護者だ。ただただ懐かしいと、たっちは思った。

 翼が仕舞われ、悪魔が何事か呟くとその身を屈めようとして、ウルベルトに邪魔された。

「跪くな、デミウルゴス。忘れたのか、俺が戻って来た時のことを。あれはまだアインズ・ウール・ゴウンに正式に帰還していない、部外者だ。お前達が忠誠を誓うのは、アインズ・ウール・ゴウンとそこに君臨する、俺達だろう?」

 その言葉に、悪魔は我に返ったように一瞬息を止め、邪念を振り払うかのように頭を振った。

「はっ…! 失礼致しました、ウルベルト様。私の、いえナザリック地下大墳墓にいる全ての者達の忠義は、ウルベルト様とモモンガ様に捧げております……!」

 意志を持ち喋っているNPCは、想定していたが、やはり驚愕してしまう。本当に今は自我を持ち生きているのだと、目前で自由に動く姿を見てやっとたっちは呑み込むことが出来た。

「どうやら……、NPCが生きている予想は当たっていたみたいですね。それでも衝撃的でしたけど」

「えぇ、可愛い子供達は皆いますよ。エントマ!」

 今度はウルベルトの後ろの闇から、人影が現れた。それを見てたっちは戸惑う。

 どう見ても、ただの人間だったからだ。傷は無いが何故か随分と草臥れ弱り果てている雰囲気で、その衣服も妙に臭う。焦げと腐臭が漂っていた。ひどく怯えているその大柄な男は、今にも泣きそうな顔でメイド服を着た自分よりも小さな女の子に背中を小突かれるまま歩いている。

 そのメイド服の小さな女の子には、たっちは見覚えがあった。第九階層でよく見た懐かしい姿だ。記憶にある設定通りなら、正確には“女の子”と言うのは正しくなかったはずだ。

 エントマもたっちの方をちらりと見るが、ウルベルトを一瞥すると会釈だけをし、たっちを視界から外した。

「最後のチャンスですよぉ。さぁ、走ってぇ~」

 とんっと、先程より強めに小突かれた男は弾かれたようにたっちの居る方向へと走り出した。しかしその瞳には何も映っていない。ただ塗り込められた恐怖と絶望がそこにあり、本人もどこかで無理だと分かっている節があった。

 後ろからひたひたひたひたやって来る死から、逃げられないという確信をその男は抱きながら走っていた。

「《魔法の矢》」

 光の矢が、美しく宵闇を切り裂き駆け抜ける。その果にあったのはたった一人の命。

 矢に貫かれ、男の左目から、右肩から、胴体から、大量の血液と裂かれた臓物が飛び出る。衝撃で飛び出してしまった右目眼球が、ころころとたっちの足元に転がってきた。

 そうして魔法の矢は消え、死体は石畳の上に崩れ落ちる。ただの肉塊はぴくりとも動かず、ただ血を流していた。

「これが答えですよ、たっちさん」

「そうですか……、よく分かりましたよ!!」

 デミウルゴスもエントマも見えていない、装備の差も考えていない、ただ目前の相手が人殺しをしたという認識だけで、たっちは飛び出していた。

 笑う悪魔は構えない、何もしない、何も起こらない。

 それに流石にたっちもなぜと思った瞬間、頭上から第三者が落ちてきた。

 二刀流、小柄、素早い、即座に判断したっちは身構え直す。一旦距離を取り、そして間近の相手が、全く知らない小柄な少女であることに瞠目する。

「っ、なに、」

 慌てるたっちと違い、相対する少女は冷静に一撃一撃を繰り出してくる。たっちの戸惑いはそれだけでない。

 弱い、弱すぎるのだ。ろくに装備も整えていないたっちでも、力で押し勝てそうで、ハッキリ言って手加減に苦労させられていた。

「なんなんだ君は! なぜあいつを護っている!?」

「私はウルベルト様に拾われた身。あの方に刃物を向ける者は、全て殺す」

 見た目と全く合っていない冷淡で無機質で幼さだけを粗末に残す声。そこでたっちはやっと、目前の少女が暗殺者だと気付く。武闘経験による攻撃ではない、急所だけを確実に狙い殺そうとする剣だ。

「忙しそうだから簡単に解説しますよ。その子、本当は魔導王を暗殺するために送り込まれたんです。だけど暗殺は無理だと王と側近を見て直ぐに分かった。弟を人質に取られてさえいなければ逃げ出していたほどに、絶望したらしいですよ」

 金属音が響く、だがたっちは別に命の危機を感じない。ウルベルトも分かっているのだろう、たっちが話を聞きながら片手間で少女をあしらえることを。

「くく、今でも笑える。いきなりエ・ランテルの玉座に現れて自分から暗殺者だってバラしたんですよ、その娘。それで弟を助けて欲しい、何でもするからって……、全く美しい話じゃないですか、大爆笑ものの」

 ウルベルトは隣で首を傾げているデミウルゴスに気付き、さらに笑みを深める。暗殺訓練のみ受けた戦闘経験皆無の低レベル少女が、なぜ至高の御方と打ち合いができるのか不思議で仕方ないのだろう。

 対たっち・みーメイン盾として、あれを連れて行くと言った時からずっとデミウルゴスは理解できないと顔に出していた。そろそろ解説してやらないと可哀想だと、ウルベルトは口を開く。

「デミウルゴス、ただ強いだけじゃなく、こういう盾もあるんだ。あの正義厨のたっちさんに弱い女の子は殺せない」

「さすがはウルベルト様……。考えが及ばず、恥ずかしい限りです」

 たっちの目の前で少女が不愉快そうな顔をし歯ぎしりする。悔しいと、分かりやすく顔に出す少女に、再度たっちの剣が鈍った。洗脳されているのではなく、本心からウルベルトに忠誠を誓っているのだと知って。

「さてと、そろそろ落ち着いてくださいよ、たっちさん。さっきのは罪人ですよ」

 さすがに我慢の限界を迎え、可能な限り力を制御し女の子をたっちは弾き飛ばした。

 少女はあっさりと吹き飛ばされ、壁に衝突する。

「罪人だからって……! 貴方は今、人を殺したんですよ!?」

 淡々としたまま身動ぎ一つしないウルベルトに、たっちは苛立つ。睨めば、呆れたような溜息が返ってきた。

「分かりませんか? 一桁単位の殺害なんて、とうの昔に終えているのですよ。今ではもう何人殺したのやら……」

「なっ!?」

「ちなみに拷問も経験済み……、というか趣味ですね。この間はなんだか楽しくなってずっとオッドアイを作ってましたよ」

 笑うウルベルトの言葉の意味はあまりに常軌を逸していて、何を楽しんだのか、たっちはなかなか理解できなかった。

「あ、あなたは……」

「赤色を見て赤色だと思う、肉を触って肉だと思う。立って歩くのを意識しないのと同じように、もうすっかり、思考と趣向が悪魔なんですよ。人間の笑い声は耳触りだし、逆に悲鳴は癒やされる。怯えた無垢な子がいれば、暗がりまで追い詰め目玉をくり抜き指を一本一本切ってやりたいと思いますよ。……やりませんけどね、アインズ・ウール・ゴウンに逆らった存在にしか」

「……アインズ・ウール・ゴウンに逆らった存在だけ、か」

 その手に持つ武器を下ろすたっちの姿に、ウルベルトも警戒を解いた。

「良かった。あなたがもし古典ラノベによくいた訳の分からない精神論や人間の命は平等だとほざく主人公のようなことを言い出すようなら、ここで殺してしまうつもりでしたから」

 心底安堵したように言うウルベルトに、乾いた笑い声が返ってくる。それは予想外で、ウルベルトは訝しげに正義が好きなはずの男を見遣った。

「ハッ、ハハ……。ウルベルトさん、あなたは本当に勘違いしている。私が、本当にそんな愚か者で、リアルでも真っ直ぐに正義を貫き通すことができていたのなら……、ユグドラシルでわざわざ正義の味方なんかしていないでしょう」

 その言葉に、ウルベルトは少し戸惑った。自分がずっと嫉妬していた、ずっとキラキラ輝いているはずだった存在の、しなびた声を、まさか聞けるとは思っていなかったのだ。

 勘違いをずっとしていたのかもしれないという動揺と、これなら敵対することなくアインズ・ウール・ゴウンに帰還し戦力になるかもしれないという打算が、同時にウルベルトの頭に浮かんだ。

「……モモンガさんは、まだ人なのか?」

 その問いの意味なす所に、ウルベルトは呆れる。しかしその気持ちに、同調もしていた。自分の意識と記憶があるまま、自分ではない何かに変わった動揺と誤魔化しようのない心理変化。それはウルベルトも知っていることだ。

「……たっちさんこそ、まだ人のつもりですか」

 ウルベルトの想定以上に、その言葉は効果を表した。たっちは足元の死体を見て、黙り込んだ。黙ったまま、何も否定をしないのは、そういうことなのだろう。

「……今日はもう帰ります。影の悪魔は見張りと伝令用に付けておきます。破壊したら敵対したと判断しますので、その馬鹿力でうっかり壊さないように」

「……モモンガさんに報告するのか」

「しますよ。我らのギルマスは相変わらず周りのためにギルマスしてるんですから、雑務や報告ぐらいサボりませんよ。何か伝言でもあるんですか?」

「今は……、特に何も無いな……」

 武器をアイテムボックスに仕舞い、たっちはウルベルトに背を向けた。

 同行する意思は無いと伝える子供のようなその背中に、ウルベルトは声を掛ける。

「……百八十年です」

「は? 何がだ?」

 突然の脈絡ないウルベルトの言葉に、困惑したたっちは振り返る。

 悪魔はステッキを相変わらず優雅に持ち、感情の読めない瞳でじっとたっちを見ていた。

「先程の質問に対するヒントです。モモンガさんがこの地に来てから約百八十年、俺がこの地に来てから約五十年、経っているんですよ」

 それは今までの戦闘よりも何よりも、たっちに衝撃を与えた。足元が揺らぎ、目の前が真っ暗になったように感じ、膝から崩れ落ちそうだった。嘘だとか悪い冗談だとか、それも言えない。

 否定するのも認めるのも、たっちにはひたすらに怖かった。

「たっちさん、貴方が考えてくださいよ。俺達が、まだ人なのか」

 とんでもない難問をさらりと投げつけてくるのは、さすが悪魔と褒めるべき所なのだろうか。

 何も答えず、いや答えられずに、たっちは黙り込んでいた。呆然とただ立ち尽くしていると、気づけば悪夢は立ち去っており、死体も幻だったのではないかと思えるほど綺麗に消えていた。

 しかし夢ではないのだと、影に潜む悪魔の気配が嫌というほど教えてくれる。その悪魔たちが、まるで答えを急かしているようで、彼は苛立つ。

 問いの答えなど、自分が教えて欲しいのだから。尋ねてきてほしくなど、なかった。

 

 


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