魔が注ぐは無償の愛   作:Rさくら

9 / 37
主演:捧げる者達 3

 

 

 

 友達、と言っても数年ぶりに会えばほぼ他人だ。

 環境の変化、趣味の変化、性格の変化から久々に会った友人と会ってみても楽しくなかったということだって普通にあるだろう。だからこそ久々に会う友人には、やはり若干緊張する。若干、他人行儀になってしまうものだ。

 それも、喧嘩別れしたような友人など殊更そうだろう。まさに今のウルベルトと、モモンガのように。

「…………あぁ、ウルベルト様……、」

 そんな気まずい空気をまず切り裂いたのは、感極まる美声だ。現実ではあり得るはずない夢想の幸福を目にしたと、その声は打ち震えている。

「デミウルゴス……」

 ウルベルトの作ったNPCが、よろよろと造物主に向かい歩いてくる。そして座るウルベルトの足元にへたり込むと、その手を取りぼろぼろと涙をこぼし始めた。

「また、お会いできる日が来るとは、」

 泣きじゃくるデミウルゴスの肩に、戸惑いながらもウルベルトはそっと手を置く。慰めるべく、ぎこちなくもその手でぽんぽんと肩を叩けば、デミウルゴスは身体を大きく震わせ咽び泣いてしまった。

「……デミウルゴス、独りにして、悪かった」

「その様な、その様な御言葉……! 私は、貴方様に忘れられなかっただけで、ただそれだけで……!!」

 痛々しすら感じる程に喜び咽び泣く自身が創り出した悪魔から目を離し、ウルベルトは少し離れた所でただ立っている懐かしいアバターの友に目を遣った。そして何故か、再度目を逸らしたくなり、やっと自分を支配する先程からの感情の名を理解した。

 それは、罪悪感だ。

 ウルベルトの再会に純粋すぎる喜びをみせる彼らに対する罪悪感。そして、そこまでのことを自分はしたかという怒りにも似た言い訳と自己弁護の気持ち。それらがウルベルトの胸の内で居た堪れなさを作り出している犯人だった。

「……お久しぶり、ですね」

 その頭蓋から出てきた声は、変わらない雰囲気を纏っている気がした。そのことに、密かに安堵の息をウルベルトは吐く。そんなウルベルトが返事するより早くデミウルゴスが姿勢の向きをアインズへと変え、深々と頭を下げ謝罪をした。

「私としたことが、御身の前で恥ずかしい姿を……!」

「気にするな、デミウルゴス。お前が喜ぶ姿を見られて、私はほっとしている位だ。しかし、すまないが……、私とウルベルトさんのニ人きりで話したい。構わないか?」

「私めの許可など不要です! 一目、ウルベルト様に御会いできただけで、この身に余る至福であります……!」

「頭を上げよ、デミウルゴス。後で私からもウルベルトさんにお願いして、お前と話す時間を作ってもらえるようにしよう。さぁ、手を貸そう」

 デミウルゴスに手を差し伸べるアインズ自身とその御手を交互に見詰め、戸惑いながらもデミウルゴスはその手を偉大なる存在の手に重ねた。

「有難き幸せ……! 今日この身に起きた幸福な事実は、この身朽ちるまで決して忘れません……!!」

 御手を借りて立ち上がったデミウルゴスは、アインズを、そしてウルベルトを熱く見詰め、再度深々と頭を下げた。美しく優雅な所作からは、真の忠誠が滲み出ている。

 御前から去る無礼を丁寧に詫びてから、デミウルゴスは退室していった。部屋から出て扉が閉まり切るまで、悪魔は当然の如く頭を下げていた。

 その頭頂部が見えなくなり、静まり返った部屋の中、咳払いをしてからウルベルトはやっと口を開いた。

「…………あー……、えっと、お久しぶりです、モモンガさん」

 それに笑い声が返ってきて、ウルベルトはきょとんとする。

「あははっ、懐かしいなぁ。久々に聞きました、その名前」

「あぁ! そう言えば、アインズに改名したんですっけ?」

「えぇ、今の俺は、アインズ・ウール・ゴウン、しかも魔導王なんです」

 茶目っ気たっぷりの言い方だったが、嘘でも冗談でもないのだろうとウルベルトは感じ取る。この自称工事現場の休憩室にある玉座に、慣れた様子で今はアインズを、そして王を名乗る彼は優雅に座った。その姿はとても様になっている。

「魔導王陛下、ですか。確かに王の風格を感じさせますね」

「たくさん練習しましたから」

「あはは、モモンガさんらしい!」

 ウルベルトがひとしきり笑えば、先程まであったどこかぎこちない空気は消え去り、まるで昔のようにニ人はまた笑いあった。

「他のギルメンは、どうやらいないみたいですね」

「はい、ナザリックにオレ一人です。まさかウルベルトさんに再会できるとは、思ってもみなかったですよ」

「俺だって、こんな形でモモンガさんと会えるなんて思ってもみなかったですよ」

 葡萄を一粒房からちぎり取り、ウルベルトは口に放り込んだ。それを羨ましそうにアインズが見ていることには、気づいていないままだ。すっかりリラックスした彼は、姿勢を崩す。

「ウルベルトさんは、どうやってここに?」

「モモンガさんとまた遊びたかったなぁー、とか思いながら死んだら、来ちゃってました、この世界に」

「え、死んだ!?」

 素っ頓狂なその声にウルベルトの方が驚く。自分が死んでこの世界に来たのだから、モモンガも同じようにやって来たのだと思いこんでいたため、そこまで驚くことではないと考えていたのだ。

「…………間違いなく、それどころじゃないし、失礼なんですけど……、……うん、やっぱり嬉しいですね」

 続いて出てきたその言葉に、再度ウルベルトは目を見開く。

 その視線に気付いた気遣い屋の骸骨は軽い謝罪を挟めてから、言葉を続けた。

「もう……、アインズ・ウール・ゴウンのことも、ナザリック地下大墳墓のことも、全部忘れて、皆は生きてるんだろうなと思っていたので……」

 目を逸らして床に視線を遣るその姿から、王の風格はすっかり消えている。ウルベルトのよく知る、己にあまり自信がない彼本来の姿に近い。それは、友人として分かることだった。その淋しそうに、複雑そうに喜ぶモモンガに、ウルベルトは慌てる。

 確かに三百六十五日二十四時間ずっと思い馳せていたといえば嘘になるが、忘れることなどあり得ない。卑下する彼が思うよりウルベルトはあのゲーム世界を愛しており、そして、モモンガのことはあの世界で得られた貴重な友の一人だと思っているのだ。

 それなのに、そんな嫌な思い違いなどしてほしくなかった。

「現実に帰らず、あの世界でずっとモモンガさんと遊びたかったぐらいには気に入ってました。……忘れられませんよ、アインズ・ウール・ゴウンのことも、モモンガさんのことも」

 骸骨の顔のくせに随分と嬉しそうにモモンガがウルベルトを見つめ返した。まだどこか信じられないという空気を漂わせているが、それでも随分と嬉しそうだ。

 ギルドメンバー同士が仲良くしている時やアインズ・ウール・ゴウンが称賛されている時も、同じように嬉しそうにしていたなぁと、ウルベルトは懐かしむ。

「そう思えば、ここは天国ですね。ユグドラシルとは違うみたいだけど、永遠に帰らないで遊べるみたいだ」

「そうですね、……帰れませんよ」

 その含みある言葉に、ウルベルトは己が気にしていたことを思い出す。この室内でずっと考えていたのだ。この世界に来て一体どれ程の時間が経てば、城郭を堂々と築き様々な種族を従える力を手に入れることができるのだろうかと。

「……モモンガさんは、いつからこの世界に?」

 それが想定を越えることは、たっぷりと空いた間と、言い難そうな雰囲気で察することができた。しかしそれでも、モモンガからの答えにウルベルトはただ驚くしかなかった。

「………百三十年ほど前、ですかね」

 たっぷりと時間を掛けて、その答えと意味する所をウルベルトは呑み込む。百三十年。それは、ウルベルトの知る平均的な人間の一生の約三倍の時間だ。

「その間、ずっと独りで」

「独りじゃありませんよ」

 思いの外強い否定が返ってきて、ウルベルトは再度驚くことになった。

「ナザリックの子供達がいましたから、独りじゃなかったです」

 それは力強い言葉だった。その事実を欠片でも否定などしようものなら、ウルベルト相手でも烈火の如く怒るだろうと感じ取れる程に。

「そう、でしたか」

 その返答が言い終わると同時に、しんと部屋が静まり返る。黙り込むウルベルトは、友であるはずのモモンガを見られなかった。視線を遣ってしまったら、そこにはウルベルトの知らない存在が玉座に腰掛けている気がしたからだ。

「……さて、この世界について教えますね。俺の立場とか、ナザリックの子供達についてとか、その他たくさん」

 聞こえてきた良く知る声に、ウルベルトは一体自分は何を考えているのだと頭を軽く振る。

「……それは、長くなりそうだ」

少し疲れた様子のウルベルトに対してモモンガは、笑って応えた。

「百三十年分の歴史ですからね。覚悟して下さい」

 ウルベルトが顔を上げ見詰めた先の真っ赤な玉座には、不敵に笑う魔導王がいた。

 

 

 

 ウルベルトは、羊皮紙から目を離し重たい溜息を吐き出す。

 それから机に置いてある広げた地図を指差し教えられたことを反芻し記憶を整理した。

長い歴史の授業に未だ終わりは見えない。と言うよりか、歴史の授業はつい先程に始まったばかりだ。

 まず第一に教えられたのはナザリック地下大墳墓の子供達について、だった。

 アルベドの設定を書き換えたことから始まったそれは、ウルベルトが途中からまだ続くのかと内心焦り出した程に長い話だ。

 この世界に来てから増えた子供達の仕事と友好関係や趣味嗜好から始まり、外部から入って来た新メンバーのことまで事細かな話は、しつこい程にとても丁寧に説明された。

 その説明を聞くだけでも長かったうえに、うろ覚えのナザリック地下大墳墓にいるNPCを思い出すことも大変な作業だった。自分が執着して作成した第7階層以外は、ウルベルトの中でかなり曖昧な記憶でしかなくなっている。

 階層守護者達は大侵攻の被害時の衝撃と、親ばか自慢のおかげではっきり記憶しているのだが、それ以外はすっかり記憶から抜け落ちていたのだ。モモンガから指摘されてやっと、ログハウスの自動扉をしていたメイド達がナザリックのメイドだと思い出せた程だ。

正直に言って、ナザリック地下大墳墓にいる全員を完璧に暗記できる自信がウルベルトには全く無かった。

 ナザリックに来るつもりなら子供達が落ち込んでしまうので最低でも名前を全部暗記してからにしてくださいと、モモンガからしれっと言われた時には何かの冗談かとウルベルトは思いたかった程だ。

「あー……、メイドを全員覚えるだけでも心折れそう……」

 先程ウルベルトが同じ弱音を呟いた時には、モモンガから絶対にメイド達の前でそういったことは言わないようにと釘を刺された。しかし今は、そのモモンガがいないため返事は無い。

 多忙なる彼は、今はナザリック地下大墳墓に戻っている。

 元々組み込まれていたスケジュールで、魔導王として地方視察と冒険者組合の顔出し、それから明日には地方管理役人からの報告会が控えていたらしい。

 モモンガは出掛けるのを渋っていたが、脳が休憩を求めていたウルベルトは背中を押して送り出したのだ。

「あー……、そういや結局、モモンガさんじゃ駄目なのか? アインズさん? 様? って、呼んだほうが良いのか?」

 しかしあれはモモンガさんだと、ウルベルトはすとんと感じる。アインズとは、呼びたくないなとも思う。

 そしてやっと、ずっと昔のモモンガのことを思い出す。時には無茶苦茶なことも言い出す位だった、こうと決めたら意外と頑固な、アインズ・ウール・ゴウン結成前のモモンガの姿だ。

 今現在の、落ち着きはらい冷静になっているあの雰囲気、あれは彼がギルドマスターとして、まとめ役に徹する時の雰囲気だ。確かに元から滅多に自己主張のしないタイプだったが、それでも言うべきことや言いたいことは言える人だった。改めて思えば、ギルドの中心になってから意見を言わないことが増えていった気がする。

 ギルドメンバーの仲裁のためなら、必要以上に自己を殺せる人だった。だからきっと、アインズ・ウール・ゴウンのために彼は黙る道を選んだのだろう。

「……、まだ、我慢してるのかな」

 ナザリックの子供達がいたと言っていたモモンガが、その子供達のために一体何をしてきたのか、どのように振る舞ってきたのかも、教えられたからウルベルトは知っている。そしてそれが、本来のモモンガなら選びそうにない道なのも分かっていた。

 あのユグドラシルで遊んでいた時ですら見たことのないフィールドや魔法にキラキラ目を輝かせていた人が、盤石の基礎を築くことだけに腐心するなど、あり得ない。勿論、心変わりして慎重派になっただけという可能性もあるが、そうでないとすれば、彼はずっと、ずっとアインズ・ウール・ゴウンに捕らわれていることになる。もしも本当にそうならば、ウルベルトにとって、とても許し難いことだ。

 そんな苦しみなんかと共に、アインズ・ウール・ゴウンに君臨などしてほしくはなかった。

「モモンガさん、忘れちゃいましたか。俺達のギルドができた理由を」

 好きなアバターで好きなように自由に遊ぶため、たとえ貶されても馬鹿にされても憎まれても呆れられても、それでも、ただ只管に自由を楽しむために。そのために、自分達はあの世界に君臨していたのだ。

 "九人の自殺点"として始まり、そして“アインズ・ウール・ゴウン”として。

 発案者とその発案者自身の考えは気に食わない。だが、自分達が異形種であるがためだけに自由に遊べなくなる胸糞悪さをPKで晴らす、それは、確かにウルベルトが愛する悪だった。

「つまんないですよ」

 せっかくニ人いるのに、一人だけが楽しいのでは遊べない。もう一人も楽しんで、そこでやっと笑い合えるのだから。

 ウルベルトはつまらなさそうに地図と羊皮紙から目を逸らし、そして目を閉ざした。

 

 

 

 悪魔は瓦礫の上に座っていた。

 常に何かをしている彼にしては珍しく、本当にただ座っているだけだ。背を丸め、手を祈る様に組み、額に押し付けている。

 炎に満ちた第七階層の朽ち果てた有様の神殿を前にして、その神殿の瓦礫上で悪魔が祈る様は、皮肉と嫌味と悪趣味に溢れている。だがしかし、その悪魔は、デミウルゴスは、真剣だ。真剣に、冷静さを一瞬で消し去りそうな自身を押し留め、敬愛する神の来訪を待っていた。

 ただ、じっと待っていた。

 動かないその悪魔は偉大なる支配者のお役に立つために、読書や実験をしたり趣味に興じたりと、常日ごろから時間を有効活用すべく心掛けている。だからこそ、彼の周りはぴくりとも動かないだけの上司を心配する部下で溢れていた。

「っ!」

 ばっとデミウルゴスが弾かれたように顔を上げる。それに驚いた彼の配下達も遅れて、偉大なる存在が自分達の居る階層に現れたことに気が付いた。配下達は一斉に一歩下がり、膝を地につけた。

「デミウルゴス、待たせたな」

「とんでも御座いません、アインズ様。わざわざ第七階層まで来て頂き、恐悦至極で御座います。どうぞ、こちらへ」

 見た目は朽ち果てた神殿の奥へと、デミウルゴスがアインズを招く。

 建物というより廃墟と言った方が正しい朽ちた神殿の奥には、デミウルゴスの居室と来客用の部屋がある。当然抜かりの無い悪魔は、偉大なる存在が来客する事態も想定し神殿奥に玉座の間を増設していた。

 先程まであった朽ちた柱や神像が幻かと思えるほど、廃墟奥に見事な白亜の大理石で出来た空間が突如広がった。真紅のカーペットが王の道を祝福する様に鮮やかに玉座まで案内している。

 アインズはその赤い道を歩き、そして先にある玉座を見遣った。様々な動物の良い所の骨で構成された、一度はアインズが着席を断った悪魔自作の玉座だ。

 その玉座に、躊躇なくアインズは座った。肘掛けの先にある頭蓋骨に、手を乗せ、落ち着いた様子でゆったりと腰掛ける。

悪魔は嬉しそうに跪き、頭を下げた。

「一通りの話は終わった。そして、ナザリック地下大墳墓にウルベルトさんが来ることになった」

 ぴくりと思わず肩が動いたが、デミウルゴスは続くアインズの言葉をじっと待った。

「ウルベルトさんの世話係を、お前に任せよう」

「はっ……!!」

 その応えは喜びに震えていた。我儘や願い事をあまり言わない忠誠心の厚いこの悪魔も、この命令の取り下げだけは、きっと受け入れないだろうと思わせる程に。

「ウルベルトさんはこの世界に来たばかりだ。私からも色々と説明はしたが、分からないことがあれば、デミウルゴスに聞くように言ってある。お前は賢いからな、教師役にはぴったりだとも伝えておいた」

「おぉ……、それはなんと真に恐れ多いことでしょう。身に余る御言葉、有難う御座います……! 畏まりました。このデミウルゴス、僭越ながら精一杯務めさせて頂きます!」

 深々とデミウルゴスは頭を下げ、御世話係という大役を拝命する。その役目を授かったことによる緊張と喜びを噛み締めるデミウルゴスの耳に、衣擦れと玉座が微かに軋む音が届く。

 次に、俯くデミウルゴスの視界に偉大なる存在の崇高なる美しい御衣装の裾が入ってきた。唐突の事態に悪魔は戸惑う。

「デミウルゴス、よく聞いて欲しい」

 頭を上げられないまま、デミウルゴスはただ混乱する。優しい支配者の声は直ぐ近くで聞こえており、更には、間違いなく至高の方が自分の前で膝を地に付けていた。それに対して戸惑いはしても、策謀を得意とするはずの頭脳は何の打開策も出してこない。

「ウルベルトさんは……、今は行く宛がないから、このナザリック地下大墳墓に戻るだけだ」

 御手を肩に置かれたこと、その御言葉、様々な要素が智将たるデミウルゴスを混乱させていく。一体、何が起きているのかと。そして、自分は何を求められているのかと。

「だから、もし、ウルベルトさんがナザリックに戻ってこず、この世界のどこかで自由に暮らしていくのを望むなら、お前は……、好きな所に行くと良い」

「っ……!! アインズ様っ、それは!」

 許可を得ていないのに顔を上げたデミウルゴスの瞳は見開かれ、そこにある綺麗なダイヤモンドがアインズの姿をたくさん映し出していた。

「お前の幸せを、私は願っている」

「勿体ない御言葉……ッ! しかし!」

 続けたかったはずの言葉が上手く出せずに、デミウルゴスはただ口を開閉しただけだった。それでも何とか、何か伝えたくて、デミウルゴスは必死に言葉を搾り出す。流暢に心地の良い声で素晴らしい提案を次々と出す普段の彼とは真逆の、無様とも言える姿だ。

「しかし……、アインズ様、わ、私は……、私は……!!」

「デミウルゴス、お前が選ぶのだ」

 切り捨てるような言葉を言うやいなや、アインズは立ち上がる。振り向かずに静かに去って行くその黒衣のローブの裾に、不敬だろうが無様だろうがデミウルゴスは縋り付きたい気分になった。何処にも行かないで欲しいと、不敬なことを言い出しそうな自分自身をデミウルゴスは必死に食い止める。その噛み締められた唇には、血が滲んでいる。

「お前の幸せを私は邪魔しない、それだけは、覚えておいてくれ」

 その尊き後ろ姿から発せられた声に、デミウルゴスは辛うじて、か細い返事をした。

 

 

 

 くたびれ果てたウルベルトは、ナザリック地下大墳墓生活における大先輩のモモンガから教わった注意点の意味を、寝室のベッドで横たわりながら噛み締めていた。

「くたびれた……、贅沢してるのにくたびれるって何なんだ……」

 八日前、ウルベルトはナザリック地下大墳墓に帰ってきた。他に行く宛も、したいことも特段何も無かったため、だ。それに加え、自分が作成したNPCのデミウルゴスに再会した時に、ああも感極まられたら、今後の身の振り方は決まってなくとも顔を見せに1度は戻った方が良いかと思えたのもあった。

 しかし、そんな軽い気持ちに罪悪感を抱いてしまう程、ウルベルトを迎えたナザリック面々からの歓迎は予想以上に熱烈だった。

 一日目には盛大なパーティが行われた。

 ウルベルトはそこで、今までの生活にはニ度と戻れまいと覚悟する程の贅沢を味わった。

 用意されたフルコース料理の絶品さに、逆に怖くなったほどだ。明日世界が終わるのではないかと思わせる程の御馳走を、ウルベルトがウルベルトであるという理由だけで与えられたのだ。怖くなって当たり前だろう。

 しかもウルベルトの感想を待つ料理長達は、不味いとでも言われようものなら即座に自害すると言わんばかりの気迫で胸を張って微動だにせず立っていたのだ。それも食事するウルベルトの目の前に、だ。

 とても美味なのは間違いないのだが、拙いウルベルトの感想に咽び泣き膝から崩れ落ち肩を抱いて互いの健闘を讃え合う料理長と副料理長、そしてメイド達を見た後は、いろいろ衝撃的すぎて食事の味が分からなくなってしまった程だ。

 そのパーティーでは料理長達以外のナザリック地下大墳墓の者達も、よく泣いていた。次から次へとウルベルトに挨拶をしに来て、そして姿を見るだけで感極まり泣いていくのだ。

 さすがに初日に全員との挨拶はできなかったため、今でも一日の内の数時間はナザリックの者達の挨拶と歓迎の言葉を聞く時間になっている。

 何が驚きかと言うと、その挨拶をどう考えてもニ度三度と繰り返し、何度も咽び泣いている者達が未だ多いということだ。

 これに関しては、さすがにウルベルトもモモンガに相談した。直接創造したデミウルゴスならまだしも、それ以外のNPCからまで感極まれる理由に心当たりなど無く、少し不気味に思えたからだ。モモンガとアルベドの協力のもと判明した事実に、ウルベルトはこの熱が冷めきることはきっと無いのだと諦めた。

 ウルベルトは、ナザリック地下大墳墓にて生まれた全NPCの“見える希望”になっていたのだ。

 至高の方々も、自身の造物主も、もう二度と帰ってくることは無いのだと長い年月に心を打ち倒されたNPC達にとって、突如帰還したウルベルトは正に希望の星だった。もしかしたら他の至高の方々も帰ってくるかもしれない、そんな淡い可能性だけでも彼らにとっては果のない幸福だ。だからこそ彼らは、その嘘のような希望が、都合よく作ってしまった自身の夢幻ではないのだと確かめるため、何度もウルベルトの御姿を視界に入れようとし、そして感極まり泣き出すのだ。

 ウルベルトが覚悟を決めた予想通り、ナザリック地下大墳墓訪問初日からの歓待の熱は、未だ冷める気配すら一向に見せていない。

 ひとまず、ナザリックの面々がウルベルトを恨んでいないどころか、果ての無い程に敬愛し、深い、深すぎる情熱を傾けているのは分かった。分かったのだが、あまりに唐突に向けられた重く痛い程の大量の熱愛に、精神が悲鳴をあげている。

 この数日間、ウルベルトが受けているのは間違いなく高待遇なのだが、くたびれて仕方がなかった。

「……だからって、引き篭もってても駄目だよなぁ」

 たった一度だけ、ウルベルトはうっかりメイドの仕事を奪ったことがある。

 それは未だに慣れない朝の着替えの時間だった。

 ウルベルトが少し寝坊し、定時通りにデミウルゴスが来たため、メイドがウルベルトのボタンを留めている時に扉がノックされたのだ。後は最後にマントを羽織るだけだったので、戸をノックしたデミウルゴスを迎えに行くようメイドにウルベルトは指示を出した。そして、彼女が少し離れた間に、ウルベルトは自分でマントを羽織り身なりを整え終えたのだ。

 部屋に戻り、そのウルベルトの姿を見たメイドの信じ難い程に悲痛な表情は、最早ウルベルトのトラウマだ。その後に続いた彼女の痛々しい懺悔の声も、未だ耳から離れないでこびり付いている。

 ウルベルトが部屋から出ないことで仕事が無くなるなどと、はしゃぐ者達がいないことはこの数日間だけで嫌という程に分かっている。

 外が酷い有様になる前に部屋から出ようと、決意と覚悟を決めウルベルトは立ち上がった。

 しかし寝室からでて直ぐに、忠誠心限界突破の悪魔が当たり前の顔をして出迎えてきた。

「お出かけで御座いますか、ウルベルト様」

「…………ずっと待ってたのか、デミウルゴス」

「はい、当然で御座います」

 昼食後から寝室に籠もっていたため、おそらく最低でもニ時間は経っているはずだ。その間ずっと寝室外で待機していたと聞かされ、ウルベルトの覚悟がいきなり粉砕された。そういえば、下がって良いと命令を出し忘れていたと、ウルベルトは内心頭を抱える。

「そ、そうか……。でも休みたかったら休んでいいからな?」

「お気遣い頂き有難う御座います。ですが休憩など不要で御座います。ウルベルト様の御世話係という大役を任されたことが望外の喜び……、それに疲労など感じませんので」

 残念なことに聞き慣れてしまった尽くせることに喜びを抱く嘘偽り無いその言葉を、ひとまずウルベルトは、適当に相槌を打ち聞き流すことにした。

「あー、俺が見ていない残りの場所は?」

「第五階層の氷結牢獄と第六階層の果樹園、この辺りにはウルベルト様はまだ足を運ばれておりません」

「そうか……、じゃあ、そこに向かおう。まず最初に、果樹園。次に氷結牢獄、だ」

 いよいよかと、ウルベルトはひっそり覚悟を決める。

 この世界に来てから肉体に引っ張られ精神も変容したと、モモンガは言っていた。ならば同じくウルベルトも変化を迎えているはずだ。

 その変化は、子供達のためにしたことの報告をモモンガから受けた時に心に漣一つすら立たなかった時から既に感じてはいる。だがしかし本当の変容というものを感じられるのはきっと、牢獄で行われている事実を見詰めた時だ。

 その時にきっと、ウルベルト・アレイン・オードルが正しく再誕するのだろう。

「今は、何人捕らえている?」

「生きた人間、亜人種なら三千ほど。今は牢獄隣に倉庫を増設しており、そこに殆どの好きにして良い生物を入れております。殺さないように気を付けている者達は予め氷結牢獄内の部屋に分けておりますので、御安心ください。ウルベルト様なら、倉庫内全て使い切っても誰も文句は申しません」

「……そうか」

 流れるような明朗とした報告内で、簡単にやり取りされる命はナザリックの者達の意思一つで吹き飛ぶ軽い命だ。それに対して、やはり、ウルベルトは憐れとも救ってやりたいとも思えない。

 ただ、備蓄を無闇矢鱈に減らした場合に補充される分はあるのかなと、中が残り少ない冷蔵庫を見るような、そんなくだらない思考が展開されただけだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。