「ーーーーふ、成る程。悟はどうやら育て間違えてはいないようだ」
「はあ、はあ、はあ、はあ………」
通りを二つ横切るほど走った頃、やっと僕は来訪者と並ぶことが出来た。
はたから見れば対等に、お互いに遅れることなく並走できているように思えるだろうーーーーだが、事実は異なる。
これだけの速度にかかわらず、息を切らさないどころか本気ですらなさそうな飄々とした雰囲気の来訪者と、息を大きく切らしてそれについていくのがやっとな僕。二人の間には歴然で明白な差があった。
「………ふん、かなりの割りを食ったな…俺に損は無いとはいえ…」
「………?」
「旧友への義理立ても、たまにはしておくものか」
爆発音があった方向を横目で見ながらブツブツと来訪者は呟く。
無論、少しも緩まらない速度についていくのがやっとの僕が、そんな独り言に注意を払えるわけがない。
「おい祟楽。念の為聞くがーーーーー
そう言って来訪者が顎をしゃくって指したのはーーーーーもう遠くなりつつある僕の道場近く、恐らくは爆心地と思われる場所だ。
僕の目にはそこは、火の手が上がった街角にしか見えない。どうして自分がこれほど冷静に、死人が出るかもしれない火災を見過ごせているのかは分からない。ただあの場で、炎が燃え盛っている………それ以上の意味は見出せないが、来訪者はどうやら違うようだ。
「ち」
「………土蜘蛛、あのボンクラを止めろ。蘇生可能な具合までなら何をしても構わん」
そう言うと、どこかから影が伸び、蜘蛛の形へ変わっていく。そして段々とその蜘蛛は実体を得て、最終的には幼子なら飲み込めてしまえそうな大きさの蜘蛛が地上に現れた。
「…よろしいので?恐らくは幻術による錯乱にありますが」
「どうせあの
指示を飛ばしながらも、来訪者は走るのをやめない。土蜘蛛と呼ばれた大蜘蛛は、そんな様子をむしろ懐かしむかのように、脚を器用に動かしては並走する。人語を話したことも、丁寧な言葉遣いも、その全てが蜘蛛とーーーーー来訪者がまぎれもない「怪異」であることを僕に示していた。
「御意ーーーー我が主、
そう言い残してて蜘蛛は跳躍し、屋根伝いに僕らが来た方ーーーつまりは『ボンクラ』とやらのいる方へと向かった。正直、頭がどうにかなりそうだ。
来訪者……朽鬼は僕の恐れを透かしたかのようにちらり、とこちらを見た。
その視線の妖しい光が、本当に人間でないことを物語っているようで。
たったそれだけの動作だが、僕は体が一瞬で凍ったかのような冷ややかな感覚ーーー有り体に言えば、
そこには殺意など微塵もない。一動作で殺せる、という、余裕よりもちっぽけで悠然とした事実だけがそこにあった。
そこで僕は「何をしよう」とか、「これはやめよう」とか。そんなことは思わなかった。僕がどんな行動をしようがしまいが、朽鬼が「殺す」と思えばそれだけで僕は死ぬ。
「………なあ祟楽。怖いか?俺のことが」
「……ええ、正直」
だから唐突な問いにも、ほとんど考えることなく答えることができた。
すると朽鬼は、「くはっ」と笑いを漏らして、
「そうか。……感謝しろよ。その恐怖の度合いはそのまま、お前が父親に注がれた愛情の量だ」
「?」
「わからないか。だが、覚えておけ。いつかわかる時が来る」
意味が心底からわからない。
父は僕を愛していた?……それなら嬉しいけれど、目に見えなければ僕にとっては無いのと同じでは無いのか?そして何故、僕が朽鬼を怪異として恐れることと、それが繋がるのか?全くわからない。
「……そうだ。お前の怯えを緩和してやろう……あの平和ボケ野郎が教育を怠った分、俺直々に教えてやる」
「アレが何かわからんからお前は恐れる。違うか?」
確かに、それはそうかもしれない。
僕はわからない、から怖い。爆発も、蜘蛛も、朽鬼も。
ならばここでそれを取り除けるというのなら、ひと時教えを乞うのもいいのかもしれない。
僕はこくりと、しっかりとその目を見て頷いた。
「良し。ではまず、呪いについて」
「呪いとは人の感情が形を得たモノだ。命なきものに感情が宿れば呪具に、命あるものに宿る、あるいは成り果てれば
「後者が俺や土蜘蛛だ。まあ、土蜘蛛は特殊だがな」
ーーーー呪い。
聞いたことはある。太古に存在した、心を使った超能力。
確か1000年前にぷっつりと途絶えた、という話だったはずだが、正直全体が消えて無くなることも考えにくい。それが今の世に至るまで残ってきたのが彼らだと考えるのが自然だろうか?
「土蜘蛛はさらに、そこに人為的な呪いーーー双方の合意による条件付け、契約による呪術改変を行うことで様々な影響を得た存在、『式神』だ」
「アイツの場合は俺に服従する条件で俺の妖気を貸し与えてる、無論他にも恩恵はあるがな。……妖気は大体わかるだろう、いちいち面倒だから省く」
なるほど。お互いが納得した条件で契約することで、両者の間に様々な関係性を構築するーーーーそれが式神。
土蜘蛛が影から出現したのも、朽鬼に従うが故、常にそばについていると考えれば筋の通る話だ。
「が、普通の人間には呪いは見えん。お前に俺が見えるのは、俺が妖気を過剰に放出して、お前の視神経に強制的に俺を焼き付けてる。まあ、そこまで行くと細かい話になるがな。土蜘蛛の場合も、俺と妖気がほぼ同じだから見えるわけだ」
「……察しているかと思うが、あの爆発音も妖によるものだ。人に仇為す妖を特に『
饒舌に一息に話し切ると、やっと朽鬼から吐息が漏れた。しつこいかもしれないが、先程から速度は全く衰えを知らない。僕はやっと慣れ始めたが、脇腹の方が痛んできた。すると、また一つ遠くで爆発音が鳴り響く。
ーーーー心なしか、こちらに近づいてきたような気がする。
勘違いだと願うばかりだが、朽鬼も同様の気配を感じたのかため息をついて、
「ちっ、長々と講釈を垂れる時間は無いか……祟楽、腹に力を込めていろ」
「はあっ?」
間抜けで、鳴き声に似た疑問を漏らすが早いかーーーー。
朽鬼の小脇に抱えられた僕の体は、驚くほど軽い調子に空を舞った。
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その跳躍から十数秒後。
「こちら
「んにゃ、馬鹿でかいねー。視認したよー。やっぱ向かうは例の山かな?」
「そのようです。………隊長、街の避難の方は、首尾良く?」
「ん、大方済ましたけど……対象の式神とみられる別の妖が飛来し、街を襲ってる妖と交戦中だね。下手に手出すより、住民完璧に逃がす方に人数割いてるとこ」
町外れ路地裏、一人の少女がごつい機器に話しかけている。
声は、微かに緊張した心情を映すように震えながらも凛としている。そこにあるのはただただ美しい覚悟だ。
また、その通信相手の体調と呼ばれた男はこれまた飄々と、一見戯けた様子だが、言葉の裏には思慮深さが宿っている。
紛れもなく、一線級の戦士たちである。
言葉、行動、その一つ一つが、それを主張してやまない。
「了解しました。では、ご武運を」
「ほいほーい、死なないでねーっと」
通信終了。……これが最後の会話になるかもしれない。
いつだってそんな恐怖と隣り合わせだ。だが、彼らは臆さない。
「また会える」と信じることこそ、生き抜く術だと知っているからーーー。
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「ーーーーわっ、!!?」
「ふん、煩いな。男ならもっとどしっとしてろ」
朽鬼は冷静な声で、あの恐ろしいほどのスピードがなかったかのように静かな着地を決めた後、黙ってそう告げた。僕は死の恐怖に汗を垂らし、念仏すら唱えそうな勢いだったのに。……というか、男か女かわからない見た目に言われたくない。
「さて、最後に自己紹介といこうか」
僕をどさ、っと枯れ葉の上に落とし、朽鬼は月を背にして僕を見下ろした。その眼光は、僕を射抜き殺すのではないか、というほど冷ややかで。
「俺は朽鬼。一千年前封印された、不死の鬼神にして物ノ怪の王」
「何より、お前の体をいただくモノだ」
そう言って、朽鬼はげら、と禍々しい笑みをこぼしてみせた。