CookieClicker   作:natsuki

1 / 14
第一話 違和感


01

【000】

 

 ところで、クッキーというものを、君たちはどれくらい知っているだろうか?

 そもそもクッキーとは『小さなケーキ』を意味するオランダ語から来ており、それが英語に派生した。それがアメリカに伝わり、現在のクッキーという単語が出来上がるのである。これ以外の英語圏では一般に『ビスケット』と呼ばれる。

 その中でも一般的なクッキーとして知られるのは、チョコチップクッキーだろう。あれの味は格別だ。頬張ったときのクッキー生地の湿気っていないサクサクとした食感は本当に心地よい。

 さて。

 どうしてこの話をしているのか、という話題に戻ろう。

 二十一世紀の終わり、唐突に貨幣制度が消滅した。

 いや、理由は様々あるんだ。一千五百兆円ほどある国内資産を国債で使い果たした日本国が財政破綻し、円相場が急激に落下したことで、ドルやユーロも相乗効果で落下してしまったことだ。そして、幾百もの種類の貨幣が一日で紙くずと化した。これを、当時の総理大臣の名前を借りて、『クロダ・ショック』と呼び、今も日本国の悪名として位置づけられている。

 そして、世界は貨幣経済から商品経済へとその姿を変えた。

 たくさんの商品と商品が交換され、そうして経済は回っていった。

 しかし、それでもある一定の基準を設ける必要があった。

 

 

 ――世界的に一番食べられているものは何か?

 

 

 世界各国にアンケートをとった結果、あるものが選ばれた。

 それこそが、チョコチップクッキーだった。

 

 

 

 

 

 

 

【001】

 

 二十一世紀があと二年で終わりを迎える、ある冬のことだ。

 チョコチップクッキーの世界シェア一位を誇るリンドンバーグ社は、アメリカ・ニュージャージー州に巨大工場を開いた。そこでは毎秒二千万枚のクッキーが製造出来るという。

 しかし、世界の需要を考えると、それでも足りなすぎた。

 そして、人手はあまりにも足りなすぎた。

 リンドンバーグ社――だけではなく、チョコチップクッキーは『おふくろの味』が売りだった。そのため、パートで六十歳以上の女性のみを雇い、それにより生産されていた。

 しかし、問題が発生する。

 人間には限りがある。それも、この時代、科学技術などそこまで発達しているわけでもなく、世界人口はゆるやかに減少傾向を辿っていた。

 つまりは、人材不足だった。

 少ない人材を、様々な会社が取り合っている。それは、別業界からすれば非常に滑稽なことだが、チョコチップクッキーの業界からすれば死活問題だった。工場を増やすことは簡単だが、味を保つことは非常に難しい。それは自明である。だからこそ、チョコチップクッキーをどこが一番高く払えるか、これが問題であった。

 勿論、リンドンバーグ社はその中でも桁一つ違うチョコチップクッキーの数を提示していて、そのためか、たくさんの女性パートが居るのである。

 リンドンバーグ社は、世界に百以上の工場を持ち、それにそれぞれ百人以上の女性パートがいる。どの工場も毎秒二千万枚のクッキーを生産しているのだが、これを続けても世界の需要を考えると、限界だった。

 

「――そして、世界政府はチョコチップクッキーが足りなくなることを懸念材料としていて、これが今の選挙の議題に上がっているわけだ」

 

 教室の教壇に立つ、老齢な男性教員がそう言うと同時に、終業のチャイムが鳴った。それを聞いて、教室の中からはため息と声が混じってざわついた。

 教員は足早に教科書をカバンに仕舞うと、教室を後にした。

 

「……クッキーが凡て、ねえ」

 

 教室の一番後ろに座っていた少年――ルークは小さく呟いた。

 

「なんだよ、ルーク。クッキー社会について不満でもあるのか?」

 

 前に座っていた少年――メソトが身体をルークの方に捻って訊ねる。

 

「違うよ、でもどうしてそう簡単にクッキーが作れるのかなあ、って」

「そりゃ、作業を最強に分担しているからだ、って先生も言っていただろ? ……そういえば、お前のおばあちゃん、リンドンバーグ社の新しくできた工場にパートに行ってるんだろ。おばあちゃんに聞けばいいじゃんか」

「そりゃそうだけどさ……」

 

 ルークはそう呟いて、空を見た。

 青い、青い空だった。

 

「そういえばさ、焼きそばパンが二十クッキーらしいぜ。いつもの半額!」

「マジかよ! 行くっきゃねえな!」

 

 メソトの言葉に、ルークは頷き、立ち上がった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 午後五時。学生は帰宅する時間である。

 ルークはひとり帰り道で、考え事をしながら歩いていた。

 

 

 ――どうして、毎秒二千万枚ものクッキーが百人程度の人間で実行出来るのだろうか?

 

 

 確かに、工業化という考えもあるだろう。

 しかし、度が過ぎている。

 毎秒二千万枚というのは、現代の科学技術ですら出来ないはずだった。

 にもかかわらず、それに疑問を感じる人もいなければ、それを問い合わせる人もいない。

 

「いったい、どういうことなんだろう……?」

 

 ルークはそんなことを考えながら、家に着いた。

 家に着くと、母親の声が聞こえた。

 

「おかえり、ルーク」

 

 優しく、母親は出迎えた。

 

「ねえ、母さん」

「どうしたの、ルーク?」

「母さんも、年をとったらリンドンバーグ社の工場に働きに行くの?」

 

 ルークの問いに、母親は首を傾げる。

 

「うーん……そうねえ。確かに、そうなるかもしれないわね。なんたって稼ぎがいいし」

 

 母親の言葉を聞いて、思い立ってルークは訊ねた。

 

「――ねえ、クッキーって何で出来ているのかな?」

「何で、って。チョコと小麦と牛乳に決まっているじゃない」

 

 そうじゃない――ルークは思って、話を続ける。

 

「そうだけどさ、どうして毎秒二千万枚もクッキーを作っていて、小麦や牛乳が無くならないのか、気にならない?」

「……そうかしら。もしかしたら牧場でもあるのかもしれないわよ?」

 

 確かに、そう考えるのが筋だった。

 でも、ルークの探究心はそれで収まらなかった。

 

「けれどさ、毎秒二千万枚ってほんとうに人間だけで作れちゃうものなのかな」

「今は科学技術が日進月歩で進化しているわ。そういうのも不可能じゃないのかも……しれないわよ?」

 

 そう言って、母親は夕食の支度をするためにキッチンへと戻っていった。だから、会話はそこで打ち止めとなった。

 

 

 夜になっても、ルークの探究心は収まらなかった。

 どうして、クッキーは作られていくのか。

 どうして、小麦や牛乳は一向に無くならないのか。

 それだけを考えていたから、彼は眠れなかった。

 

「ホットミルクでも飲もう……」

 

 呟いて、起き上がる。彼の部屋は二階にあるため、階段を降りる。階段を降りると、声が聞こえてきた。

 それは電話のようだった。母親が、誰かと電話をしているらしかった。

 

「誰と電話をしているんだろう……?」

 

 気になって、ルークは耳を欹(そばだ)てる。

 すると、少しずつではあるが、母親の言葉が聞こえてきた。

 

「……ええ、そうです。あの子が、そう言ってたんです。……ええ、本当にすいません。申し訳ないのですが……よろしくお願いします」

 

 そう言って、彼女は電話を切った。

 彼女は小さくため息をついて、

 

「――ルーク、居るんでしょう? 出ていらっしゃい」

 

 そう、静かな口調で言った。

 それに逆らわず、ルークは従う。

 ルークが出てきたのを見ると、母親はニヒルな笑みを浮かべていた。

 

「あなたは……結局、気付いてしまった。気付かなくていいのに……クッキーが毎秒二千万枚出来るのは何故? 小麦と牛乳がなくならないのは何故? そんなの簡単よ。そこに結果があるじゃない。結果として、毎秒二千万枚クッキーは出来ていて、小麦と牛乳は無くなっていない。それでいいじゃない。にもかかわらず、あなたはそれに着目して……しかも、調べようとしている。これは……マズイ……マズイのよ」

 

 母親はそう言ってふらふらとこちらへ近づいてくる。それを見て、思わずルークは後ずさる。

 

「マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ!!」

 

 そう言って、首を上下に激しく振るその姿は、最早人間には見えなかった。

 そして彼は恐れ慄き、その場から走り出した。玄関へ向かい、素早く靴を履いて、外へ出る。

 夜の街は恐ろしい程に静かだった。誰も歩いていなかった。等間隔に道路に立っている電灯だけが、地面を不気味に照らしていた。

 彼は、考えることもなく、前を向いた。

 その視線の先にあるのは――リンドンバーグ社の工場だった。

 

「……何があるか解らないが……、もう後戻りは出来ない」

 

 そう言って、彼は夜の街を駆けていった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。