【018α】
「……ごめん」
それだけを言って、ルークは踵を返し駆け出していった。
「あひゃ、はははは! 逃げていったぞあいつ! 命を賭して戦っているにも関わらず! 自分の力量を冷静に判断したのかどうかは知らないが! 逃げ出していったぞ!」
サルガッソーはそれを予想していたからこそ――非常に楽しかった。きっと、あの人間は最後の最後までイヴを捨てていく――そう思っていたからである。
そして、それが的中した。
これで笑わないわけがない。
この瞬間が――非常に好きだった。
信頼していた人間が、最後の最後で裏切る。
最高のエンディングだ――サルガッソーはそう思って、改めてイヴの顔を見た。
しかし、イヴの顔は――苦痛に歪んでなどなかった。
「なぜ、苦痛に歪んでいない? お前がずっと守っていた人間は結局裏切ったんだぞ」
「これでいいのよ」
イヴはそう言ってゆっくりと立ち上がる。正直言って、彼女はもう満身創痍で、とても戦える状態ではない。
にもかかわらず、彼女は立ち上がる。不屈の闘志、とでも言わんばかりに。
「どうして」
サルガッソーは思わず言葉を漏らす。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして! どうして絶望しないんだよ!!」
「私はね……彼が元の世界へ戻ること、それだけを目標としているのよ」
イヴの目は、こんなに身体が傷ついているというのに、まっすぐサルガッソーの目を見つめていた。
サルガッソーはそれを見て、身体を震わせた。そして、それを再確認する。
恐怖した?
私が?
敵である、管理AIに?
ボロボロとなって、戦えるかも怪しい存在に?
「……有り得ない」
サルガッソーはそう言って、杖を振り翳す。
「私はこの世界で生まれ育った。対してあんたは外部の人間に作られた。管理者だかなんだか知らないが、ずっとあんたは上からこの世界を管理していた。正直、鬱陶しい程にね」
「秩序を守るためには、監視する存在が必要だからね」
「秩序、だと? 笑わせる。今は殆ど守っている人間が居ないじゃないか。あの現実――私たちを『創った』存在が居る世界だってそうだ。彼らの世界は秩序を守るべく監視する存在がいる。秩序を破ったとき処罰する存在がいる。だが、彼らは凡て同種だ。同種が同種の傷の舐め合いをし、結局秩序というものが、おざなりになり始めているじゃないか!? 若者が秩序の本来の形を知らず、秩序に背いた行為を取ってもそれが本当に背いたのか解らないから罪を償う事も出来ないし、しない。だから、そいつらが成長すれば『歪んだ秩序』が『正しい秩序』として生まれいくこととなる。そうして、秩序は気がつけば初めに作ったものと比べれば……全く違うものへと変化してしまう。それは、秩序ではない。横柄な存在がおざなりにして作り上げた虚構だよ。この世界みたいにね」
「だとしても……私を裁く権利は、あなたにはないわ」
「なぜだ」
「私は私の行っていることを……正しいと思っているから」
イヴはそう言って、小さく微笑んだ。
それを見て、サルガッソーは杖を構える。
「……もう、終わりにしましょう」
サルガッソーの声は、低く厳かな声だった。
それを聞いて、イヴは笑った――まだ自分に勝ち目がある――そう思っているようだった。
「嬉しいわね。私もそう考えていたのよ」
「詭弁か。……どこまで張り合えるか……見ものだね」
「しかしまあ、まさかここまでやられるとはね」
イヴは自分の身なりを改めて見つめて――最後にサルガッソーの方を見る。
「……ありがとう」
サルガッソーはその言葉の意味が解らなかった。大方、ピンチの状況で、切迫しすぎてエラーでも起こしたのだ――そう考えた。
そして、サルガッソーは――杖を振り翳した。
【019α】
「今の音は……?」
ダンジョンをひたすら歩いていたルークにも、戦いの決着を報せる轟音が聞こえていたようだった。
しかし、彼は立ち止まるわけにはいかなかった。
イヴが稼いでくれた時間を――どぶに捨てることになるからだ。
「ここが……?」
そして、彼は漸く『始まりの間』へ辿りついた。そこはただ扉があるだけだった。
「この扉を抜ければ……」
――元の世界が待っている。
その期待に、胸をふくらませて――彼は扉を開け放った。
【020】
西暦二〇二五年、東京。
テレビ局と政治家をも巻き込んだサイバーテロは主犯格であるリンドンバーグ博士とテレビ局の社長、及び岡田元総理大臣の逮捕が決定した。しかし、後に岡田元総理大臣については、情報提供が行われていたとして釈放されることになった。
『魂の情報』は凡て解放され、凡ての人間が戻ってきた。その中に、ルーク・フィロスティアの姿もあった。
ルークは桜並木を歩いている。十年もベッドで横になっていたのだ。筋肉は相当衰えている。だから、彼は復活してから毎日ウォーキングをして、ほとんどが初めて目にするこの世界の光景を目に焼き付けているのだ。
そういえば、『魂の情報』が奪われていた彼らが何をしていたのか――それは、科学者にも解らない。場所こそはリンドンバーグの供述によりサーバに保管していたことは判明しているが、それ以外は不明である。
それは、ルークも例外ではなかった。
つまりは。
あそこであった、クッキーの凡てを忘れてしまったのだ。まるで、流行が廃れてしまったかのように。
だけれど。
彼は生きている。この世界を、精一杯。
その事実には――変わりない。
そうして、彼は今日も生きているのだった。
『クッキークリッカー』
終わり。