CookieClicker   作:natsuki

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【006】

 

 ビルに入ってすぐ、異変に気がついたのはルークだった。

 

「……ん?」

「どうした」

「いや……なんか章の番号が飛んだ気がするんだ」

「気のせいだろ。というか、章ってなんだ章って」

「チャプター?」

「英語で言わなくとも解るわ」

 

 ルークとレイジの漫才紛いの会話はこのまま断ち切ることにしておいて、ルークはただ歩いていた。ルークたちが侵入したのは、リンドンバーグ社のニュージャージー工場管理ビルと呼ばれる場所だった。

 

「……にしても、これほどまでに広いと、管理も大変なんじゃないのか。そのへんはどうなんだ?」

「大変さ。勿論大変だ。管理費にチョコチップクッキー七百万枚が消えているよ。それも毎日、ね」

「大した額には見えないが」

「これでもやりくりしている方なんだ。ほかの工場じゃ毎秒二億枚、一番すごいところは毎秒五十億枚ものクッキーを生産しているところだってある。確かにそういうところからすれば、管理費はわずかに過ぎないがね」

 

 レイジがため息をつくと、ルークは窓の方を見て、

 

「大変なんだな、クッキー生産を独占状態にある会社といっても」

「ここはその会社の中でも末端だからな。まだ子会社の方がマシだと思うよ」

 

 レイジは呟くと、スーツのポケットからタバコを取り出す。

 

「吸っても?」

「未成年じゃねえのか? 免許持っていないって言ってたし」

「何も免許持っていない=未成年とは限らないよ。これでも俺は二十三だ」

「そうか。……ちなみに俺は十八だ」

「五つ先輩、ってわけだ。敬語くらい覚えておけ。将来舐められんぞ?」

「敬語ってのは、敬うべき存在の人間に対して使うからな」

 

 俺はそれに入ってないと言いたいんだな、とだけ吐き捨ててレイジはタバコを一本取り出し、口に咥え火を点ける。直ぐにタバコの煙が一筋上に上っていった。タバコを吸って、思い切り息を吐く。その息は煙が混じっていた。

 

「ああ。やっぱりこの瞬間が一番気持ちいいね。吸うか?」

「未成年なもんでね。健全な学生だからな」

「健全な学生が大人を使ってまで夜中に工場に侵入するもんかね。……そうだ、この工場について少し説明してやろう。といっても、この工場凡てがチョコチップクッキーを生産している工場ってのは、お前も知っている話だと思うが」

「それは周知の事実だからな」

「ああ。そうだ。だがな、中でもたまーにキャンディをくだいたものを入れたクッキーも販売するんだ。それはチョコチップクッキー百個分に相当する貴重なものでな……」

「おい、レイジ」

 

 ルークはふと壁を見ると、目の前に小さな扉を見つけた。呼び止められたレイジはバツの悪そうな表情でルークの方を向くと、ルークよりもルークが指差した扉の方に目がいった。

 

「……なんじゃこりゃ」

 

 小さな扉を見て、レイジは呆気にとられてしまう。

 

「……こんなもの見たことねえぞ。ほかの工場にもあるのかね……。たぶんは、スタッフオンリー、いやそれ以上に機密を守らなくちゃならない場所かもしれないな。機関室とか、おおかたそんな感じじゃないか?」

 

 レイジの言葉とは対照的に、ルークはここに何かがあるのではないかと踏んでいた。

 これほどまでに重々しい雰囲気が漂っている部屋だ。何かがあるに決まっている――そう決めつけたルークは観音開きの扉のドアノブを両手で構えた。

 

「おいおい、ルーク。開けるというのか。やめておけ。そこに目ぼしいものなんて入っているとは思えないよ」

 

 レイジの言葉を無視して、ルークは扉を開けた。

 部屋には――何もなかった。

 いや、強いて言うなら。

 その部屋には、あるものがあった。

 それは人形だった。

 それも、ただの人形ではなかった。

 

「……なんだよ、これ」

 

 ルークはその人形の肌に触れる。その感触はまるで、本物の人間のようだった。

 

「何だよこれ。まるで人間じゃねえか……」

 

 そしてルークは少女の服に刺繍がされていることに気付いた。

 

「EVE……『イヴ』ってことか? レイジ、聞いたことは?」

「ないな。少なくともこの空間があることすら知らなかった」

 

 レイジの口ぶりからして、嘘を言っているようには見えなかった。ルークはそう思うと、部屋を物色し始める。しかし、それ以外の目立った物がないのだから、物色のしようがなかった。

 

「……しかし、この人形は何なんだ? もしかしたら、人形じゃない可能性もあるわけだが」

「流石にそれはないだろう。……ないと思う」

 

 ルークはレイジの言葉に、ちょっと不安に思ってしまって、言葉を付け足した。

 

「……考えてもしょうがない。外へ出よう。俺の目的はこれじゃない――」

 

 そう言ってルークが部屋の外に出ようとした、その時だった。

 今まではいなかった部屋の入り口に誰かがいたのだ。

 それは――ルークも良く知る存在だった。

 

「グランマ……おばあちゃん!?」

「んん~? 私はあんたを知らないねぇ。それに私はグランマじゃない、大グランマだよ」

 

 大グランマ。

 大グランマから告げられたその名前はルークには聞き覚えのないことだった。

 

「あれ? 隣に居るのは……さっき会った社員じゃないか。やはり、裏切ったんだね」

 

 大グランマから告げられた一言に、レイジは思わず一歩前に踏み出す。

 

「どういうことだ……?」

「工場長が言っていたのさ。あいつ……レイジは裏切るだろう、ってねぇ!!」

「工場長、が……?」

「そう。だからそれも含めて呼びつけたらしいさ。……リンドンバーグ社のトップを」

 

 その言葉を聞き、レイジは身体を小刻みに震わせ始めた。

 

「社長がなんだよ、トップがなんだよ」

 

 そう言ったのはルークだった。ルークの話を聞いて、大グランマはルークの方に向き直る。

 

「間違っているものを『間違っている』とも言えねぇのかよ」

「子供が減らず口を叩くねぇ。なに? 特別にでもなったつもりかい? ヴェルターズオリジナルでも食べたのかい?」

「その飴なら小さい頃に死ぬほど食ったさ。お陰で虫歯になったがな」

「歯を磨かないのが悪いのさ。歯を磨いていりゃ虫歯になるわけがないだろう」

「ちょっと待て、話がずれてないか」

 

 レイジの冷静なツッコミによって、二人は話の本題に戻る。

 

「……ともかく、あんたたちは邪魔なのさ。この世界には、ねぇ……」

 

 そして。

 大グランマはゆっくりと近付き、彼らの額に指を添える。

 

「何を……!?」

「初めての人間は酔うかもしれないねぇ」

 

 その言葉を最後に――三人は部屋から姿を消した。

 

 

【009】

 

 次にルークたちが目を開けたとき、ルークたちは直ぐに縛られている事に気が付いた。

 ルークの隣にはレイジが横たわっていたので、ルークはそれを見て溜め息をつく。

 

「大丈夫か、レイジ」

 

 ルークはレイジの身体を揺さぶる。少しして、レイジは上半身を起こす。気持ちよく眠っていたらしく、目は半開きだ。

 改めて、彼らは自らが置かれた状況を見直してみる。

 先ず、彼らが縄で緊縛されていること。

 次に、先程の部屋とは違う部屋にいるということ。

 

「……目が覚めたかい?」

 

 ルークはその声を聞いて、あたりを見渡す。

 すると、目の前にいつの間にか大グランマが立っていた。

 

「お前は!」

「……まさか、ここまで単身で来るとは驚いたよ。友人を殺されてもなお、『真実』に辿り着くために来るとは。まったく、お前なら、真実の奥にあるその奥……そんな深いところまで解るんじゃないかね。そして、理解して、受け入れる。私はそんなことすら浮かんでしまうよ」

 

 その言葉の意味を、この時のルークは理解していなかった。

 そして、ルークは大グランマの後ろから、小さな鼻歌が聞こえてくるのに気がついた。

 

「大グランマ、それくらいにしておきなさい」

 

 回転椅子を回し、漸くその人間の姿が見て取れた。

 それは一見して――ピエロのような人間だった。赤と白の縞模様をしたTシャツに赤いジーンズ、赤い帽子に赤い靴、鼻には赤い球も付けていた。

 ピエロは立ち上がり、言った。その声は意外にも低いトーンだった。

 

「――お初にお目にかかりますね。わたくし、この工場を受け持つ工場長でございます。名前はございませんので、工場長と皆呼んでいます」

 

 とても丁寧なピエロ――否、工場長だった。しかし、直ぐに座ると壊れたような笑みを浮かべた。

 

「……さて、あなたたちをどう処罰しましょうかね」

 

 その言葉を聞いて、再びルークたちは身体を震わせる。

 

「そもそもこの工場の存在意義――レゾンデートルと、哲学では言うわけですが、それについて理解しているのですか? それを知らずここに侵入したのであれば、それは途轍もなく情けないことです。くだらないことです。無意味なことですよ」

 

 工場長の言葉に、ルークたちは何も答えられない。

 工場長はニヒルな笑みを浮かべて、続ける。

 

「解りませんか。分からないですか。解らなかったですか。答えはですねえ……この工場は世界そのものなのですよ」

 

 工場長はそう言うと、机に置かれている地球儀を触る。

 

「地球儀を見れば解る話です。この世界は最早クッキーで回っています。かつてこそ、日本という国で『金は天下の回り物』というコトワザがあったくらいですが、今は金がクッキーに変わっているのですよ。だから、この工場は必要であり、不必要でない。それくらい……どうして解らないんですか。解りたくないんですか。解り合おうとしないんですか」

 

 工場長の問いに、ルークは言う。

 

「人間ってのは凡て同じ考えを持っている訳が無いだろうが。クッキーでとらえても同じだ。チョコチップクッキーが好きな奴もいれば、プレーンのクッキーが好きな奴もいる。キャンディを砕いたやつを入れたクッキーが好きな奴もいれば、そもそもクッキーが嫌いな奴だっている。人間は、そんな違った存在がまとまり合って生きているからこそ、今まで続いているんだろうが。それを、たったひとつの意志でまとめる? 反吐が出るね。そんな世の中ならば、さっさと滅んでしまったほうがマシだ」

「そうかい。だが、そんな理論が通用するとでも思っているのかな? 今は君が言う、クソッタレな世界なんだ。ということは、君の思う最悪な世界で、君の思う最高の世界の真逆な世界であるわけだ。にもかかわらず、君は、君が思う最高の世界のルールってやつを適用している。それは間違いだ。何故ならそれは、ここが最高の世界ではないから、だ。私たちにとっては勿論違うが、君からすればこの世界は掃き溜めに見えているのだろうね。価値観が違うというのは悲しいことだ。……私だって、私は元々この世界の住民だから理解出来ないが、君のような状況にあれば同じような感じになるだろう。だからこそ、悲しまないで欲しい。世界を理解して欲しい。これは、君がこの世界で生きていく上で一番重要であり、一番大事であり、一番不必要だと思ってはいけないことだからね」

 


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