【012】
二十一世紀があと二年で終わりを迎える、ある冬のことだ。
チョコチップクッキーの世界シェア一位を誇るリンドンバーグ社は、アメリカ・ニュージャージー州に巨大工場を開いた。そこでは毎秒二千万枚のクッキーが製造出来るという。
しかし、世界の需要を考えると、それでも足りなすぎた。
そして、人手はあまりにも足りなすぎた。
リンドンバーグ社――だけではなく、チョコチップクッキーは『おふくろの味』が売りだった。そのため、パートで六十歳以上の女性のみを雇い、それにより生産されていた。
しかし、問題が発生する。
人間には限りがある。それも、この時代、科学技術などそこまで発達しているわけでもなく、世界人口はゆるやかに減少傾向を辿っていた。
つまりは、人材不足だった。
少ない人材を、様々な会社が取り合っている。それは、別業界からすれば非常に滑稽なことだが、チョコチップクッキーの業界からすれば死活問題だった。工場を増やすことは簡単だが、味を保つことは非常に難しい。それは自明である。だからこそ、チョコチップクッキーをどこが一番高く払えるか、これが問題であった。
勿論、リンドンバーグ社はその中でも桁一つ違うチョコチップクッキーの数を提示していて、そのためか、たくさんの女性パートが居るのである。
リンドンバーグ社は、世界に百以上の工場を持ち、それにそれぞれ百人以上の女性パートがいる。どの工場も毎秒二千万枚のクッキーを生産しているのだが、これを続けても世界の需要を考えると、限界だった。
「――そして、世界政府はチョコチップクッキーが足りなくなることを懸念材料としていて、これが今の選挙の議題に上がっているわけだ」
教室の教壇に立つ、老齢な男性教員がそう言うと同時に、終業のチャイムが鳴った。それを聞いて、教室の中からはため息と声が混じってざわついた。
教員は足早に教科書をカバンに仕舞うと、教室を後にした。
「……クッキーが凡て、ねえ。にしても今日の授業、聞き覚えがあるぜ……。これって何ていうんだっけか……」
教室の一番後ろに座っていた少年――ルークは小さく呟いた。
「ルーク、まさかお前予習したのか? いや、有り得ない。お前に限って予習するなんて……。ちなみにそれは『デジャヴ』。既視感、ってやつだな。あれ? でも聞いたことがあるってことは、既視感じゃなくて既聴感なのか? ……解らん」
前に座っていた少年――メソトが身体をルークの方に捻って訊ねたが、話の途中で問題にぶつかったらしくぶつぶつと独りごちっていた。
「おい、一人の世界に突入するなよ」
「ん? ああ、すまん。ついつい話に夢中になってしまってな……。仕方ないだろ?」
「まあ、お前のそういう癖は今に始まった話じゃないからな」
ルークはそう呟いて、空を見た。
青い、青い空だった。
「そういえばさ、カレーパンが二十クッキーらしいぜ。いつもの半額!」
「マジかよ! 行くっきゃねえな!」
メソトの言葉に、ルークは頷き、立ち上がった。
◇◇◇
午後五時。
帰宅時間である。
ルークもその例に漏れず、とぼとぼと家への帰り道を歩いていた。
彼は今日の講義について考えていた。別に真面目に勉強に取り組み始めたとかそういうわけではない。
「……なんだろう、聞いたことあるんだよな……」
デジャヴ。
実際は一度も経験したことがないのに、経験したかのように思わせる現象のことである。
ルークは一度も聞いたことのない講義を、聞いたことがあると認識した。それは、普通ならばおかしな話である。
「ねえ」
そこで彼は、背後から声をかけられた。
気になったので、振り返ると、そこには一人の少女がいた。
まるで精巧な人形のような少女だった。肌から髪の一本一本までが職人の手で精巧に作られたような――絵に描いたような『完璧』がそこにはあった。
しかし、ここでもルークは既視感――デジャヴを感じた。見たことがある気がする――だが、見たことはない。その矛盾を、彼は紐解く暇もなかった。
「……ごきげんよう、ルーク」
「どうして僕の名前を知っているんだい」
ルークは訊ねると、少女は口に手を当て、優雅に微笑む。
「だってあなたとは恐ろしいくらい長い付き合いがあるのですもの。当たり前ですよ」
ルークは頭の中をかき回す。探している情報は、目の前に立っている少女についてだった。
少女はルークを知っている。だが、ルークは少女を知らない。ならば、どうして少女はルークを知っているのだろうか? それについて、自分の頭の中で何かあるのかもしれない。そんな一抹の期待を、ルークは考慮していた。
だが、そんな期待も虚しく、ルークは彼女の名前を覚えてはいなかった。
「……ごめん、やはり覚えていなかったよ」
「覚えているのであれば、話は早いんですが……。ですが、まだ記憶は若干残っているようですね。今日の講義に関して既視感を覚えたりしませんでしたか?」
「何故それを?」
「何故なら私は今までのパターン、六千七百四十五万九千七百二十八回、凡てを記憶していますから」
パターン――それを聞いて、ルークは何も思い出さなかった。
それを見て彼女はため息をつく。
「……仕方ありません。一先ず、私の説明がてら、私が行ってきたことについて話していきましょう。あれはそう。一個前のパターン、六千七百四十五万九千七百二十七回目の世界での出来事です……」
【005】
ビルにこっそりと忍び込んで、私はようやく息をつきました。一先ずこれから何をしようだとかは決まっていましたが、対象を見つけない限りは問題外です。
――音が鳴りました。ちょうど、タイヤのゴムと地面のアスファルトが擦れ合う音。即ち、乗用車の停車音が聞こえたのです。ライトは会社の建物側に当たっていましたので、誰が来たのか私はビルの窓から小さく眺めてみることにしました。
車に乗っていたのは二人だけでした。片方はスーツを着た男。もうひとりは――対象となる人間でした。どうやら、このパターンでは友人は助からなかったのだと直ぐに私は悟ります。もう六千万回以上もパターンを繰り返していると流石になんとなく覚えてしまうのです。ゲームのRTAみたいな感じになっちゃいますね。
そんな戯言はさておき、私は対象を目視したので目標のエリアへと向かいます。恐らくこのパターンで行けば、部屋にいつものように突入して、この世界軸での『奴らによって停止させられた』私とご対面していると思うので、それまでにその部屋へ向かわなくてはなりません。急がなくちゃ。
そう呟くと、私は小走りでその部屋へと向かうのだった。