日本国召喚・異聞録   作:無虚無虚

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第10話『つぎはぎの艦隊』

「一発外れたか」

 鮫島の呟きは、〈ひゅうが〉のCICと艦隊司令施設(FIC)に居合わせた人間には意外に聞こえた。

 周囲の視線に気づいた鮫島は、先を続けた。

「喫水線に当たったのは外れだ。(アレ)は〈ASM-2〉の終端誘導プログラムを改造しただけだから、重要防御区画(バイタルパート)の装甲は抜けない。本当は煙突を狙うはずだったんだ」

「煙突を真上から直撃しても、機械室には届きませんよ」

 艦隊参謀の言葉に、鮫島は少し眉をしかめた。

「その程度は知っている。俺の狙いは排ガスだ。蒸気タービンの釜の排ガスは高温になるんだ。煙突の根元に穴を開けて、それを最上甲板や上部構造物に撒くつもりだったんだ。それで艦を沈められるわけじゃないが、人の活動(ダメコン)は制限できる。排ガスを止めようと思ったら、艦を止めるしかないというわけだ」

 その策が本当に有効かどうかはともかく、なんと嫌らしい事を考えるのだろう。周囲が鮫島を見る視線が少々変わった。

 当事者たちは知る由もなかったが、その外れが〈グレードアトラスター〉の運命を変えた。

 

 フラグストンは腰を抜かして、尻餅をついた。そして股間を濡らしてしまった。軍歴が長いフラグストンはこれが初めてではないが、久しぶりだった。

 それも無理はない。SSMの行方を望遠鏡で追っていたら、望遠鏡の視界の下にもぐり込まれ、次の瞬間には轟音が後部射撃指揮所に轟いた。しかも眼下にあったはずの副砲塔が宙を飛び、その跡からは炎が立ち昇っていたのだ。

 フラグストンは何が起こったのか、瞬時に悟った。というのも、想定された事態のひとつ、弾薬庫への誘爆だったからだ。

 副砲塔のエレベーター孔は、重要防御区画(バイタルパート)に開いた数少ない穴のひとつだ。副砲塔内で強力な炸薬が爆発した場合、爆発によって生じた高温のガスによる衝撃波がエレベーター孔を通って弾薬庫に届く可能性は、予め分かっていた。だが問題(じゃくてん)とは思われていなかった。

 その理由は艦砲の命中率につきる。艦砲は敵艦に当てるだけでも苦労する。副砲塔を狙って撃つなど、ゴルフに例えるならホールインワンを狙うに等しい。当たる可能性がないわけではないが、それは杞憂だと思われていた。

 しかし、それは実現してしまった。何という不運、そう思いながら、フラグストンは状況を確認した。

 周りを見回すと、助手を務める砲術士二人が、自分と同じ醜態を晒しているが、命に別状はなさそうだ。副砲塔が後楼に衝突しなかったことに、フラグストンは感謝した。

 彼は知る由もなかったが、彼らはもうひとつの幸運に恵まれていた。もし煙突が破壊されていたら、後楼は高温の排ガスをまともに浴びる位置にあったのだ。

 後部射撃指揮所は一応装甲で守られている。フラグストンはのぞき窓から眼下を確認する。そこには予想通りの光景があった。先程と比べればかなり小さくなっていたが、副砲塔のエレベーター孔からは炎と煙が立ち昇っている。誘爆が熱によるものか、衝撃によるものかははっきりしないが、それは重要ではない。副砲の弾薬庫に誘爆したら結果は同じだからだ。

 主砲の弾薬庫に誘爆したら、〈グレードアトラスター〉の艦体は真っ二つに折れていただろう。だが副砲の弾薬庫なら艦体は耐えられるはずだ──

「拙い!」

 フラグストンは気づいた。副砲の弾薬庫は隔壁で仕切られている。だがこのまま火災が続いたら、隔壁は高温になる。後部副砲塔と第三主砲塔の弾薬庫は、その隔壁一枚だけで仕切られているのだ。しかも後部砲塔群は射撃の機会が一度もなかった。どちらの弾薬庫も砲弾(ねんりょう)が満載の状態なのだ。

「おい、ついてこい」

 フラグストンはまだ尻餅をついている助手たちに声を掛ける。だがなかなか立ち上がろうとしない。

「小便なんか気にするな。嫌でも火にあたれば乾く」

 フラグストンは後楼を降りる。助手たちが慌てて続く。

 

 地獄の蓋が開いたとはこの事か、それがフラグストンの感想だった。副砲塔のエレベーター孔からは、依然として炎と煙が上がっている。この孔は弾薬庫に続いている。そして──弾薬庫にも少なくない要員がいたのだ。そこで条件反射が働く。フラグストンは感情を押し殺した。

 死んだ者を悼むのは生者の特権だ。まだ自分も〈グレードアトラスター〉の生き残りも特権を手にしていない。まずは特権を手に入れなければならない。

 第三砲塔の要員やダメコン班が集まってくる。フラグストンの予想通り、第三砲塔の弾薬庫の隔壁は爆発の衝撃で歪み、高温になっているという。揚弾エレベーターも一部が歪み、とても使える状況ではない。第三砲塔の主任砲術士の判断で、第三砲塔は放棄され、要員はダメコン班に参加することになった。

「火災の消火が最優先だ。主砲の弾薬庫に誘爆したら、艦は保たない」

 フラグストンの言葉に一同は頷く。

「消火用のホースをありったけ持って来い。上から水を注ぐ。ポンプもだ。消火栓だけじゃ足りない。海水を汲み上げて使う」

 ダメコン班のリーダーの指示で、ダメコン要員が即座に動く。それより一拍遅れて第三砲塔の要員が続く。だが戻ってきた彼らを見て、ダメコンリーダーは駄目出しをした。

「それだけか?」

「火災は他でも起きているんです」

「ここより重要な現場があるか?」

「それが……前部副砲でも弾薬庫が燃えているんです」

 フラグストンは頭を殴られたようなショックを覚えた。

 ホールインワンは滅多にないが、あっても不思議ではない。だが2ホール続けてとなると、話は全く違ってくる。

 ホールインワンを狙って打てる怪物(プレーヤー)が現れたのだ。

 自分は砲術士としてショットの正確さを磨いてきた。帝国では『神業の持ち主』とまで呼ばれるようになった。だがその技術(スキル)は無意味になった。

 日本はショットどころか、ボールそのものを直接コントロールできるのだ。いくらショットを磨いても勝てるわけがない。

 戦争がゴルフだった時代は終わったのだ。では自分はどうすればいい?──決まっている。今は生き残ることだけを考えろ。

 今の状況は自分の手には余る、そう思ったフラグストンはようやく指揮系統を思い出した。

「司令部には状況を伝えたのか?」

 なぜか気まずい沈黙が降りる。だがダメコン班のリーダーだけは、呆れたように訊き返した。

「昼戦艦橋は被弾したんだ。知らなかったのか?」

 ああ、自分は何と甘いのか! ホールインワンを狙える奴が、2ホールで遠慮してくれる理由があるだろうか。3ホールでも4ホールでも狙ったっておかしくない。費用対効果を考えれば、こちらが沈むまで狙い続けるだろう。

 ここでフラグストンは気がついた。日本の無人機による攻撃が止んでいることに。

 

 時間を少し遡る。

 鮫島は周囲の視線が変わったのに気づいたが、気がつかない振りをした。

(最少の損害で勝つためには、当然だろう)

 そう思ったが、さすがに口にはしなかった。

「SSMの攻撃が止まっているな」

「全艦が片舷のSSMを撃ち尽くしたので、反対側のSSMを撃つために回頭中です」

「そうか」

 だがSSMを撃つ機会は奪われた。

「ミリシアルの巡洋艦が動きます」

 鮫島たちはディスプレイに注目した。輪形陣の中にいた8隻の巡洋艦が、4隻ずつの2列縦陣で輪形陣の外に出ていく。

 鮫島は魔信を手に取り、プレストークスイッチを押す。

「こちら日本艦隊司令、ミリシアル艦隊なにをしている? 勝手に動くな。射線を塞いでいるぞ」

『こちらはミリシアル地方隊司令。ここは我が領土、我が領海。貴官に命令される(いわ)れはない』

「命令ではない。連合の一員としての忠告だ。〈グレードアトラスター〉は戦闘力を失っていない。迂闊に近づくと巡洋艦では返り討ちに遭うぞ」

『配慮には感謝するが、御意見無用だ』

 それで通信は切れた。

 8隻の巡洋艦は、2列縦陣から単横陣に艦列を組み直す。地方隊だから二線級の艦隊の筈だが、その動きは驚くほど滑らかだった。練度は高いが、このままだとそれも無駄に終わってしまう。

「ラ・カサミ型2隻も続きます。ムーの空母から〈マリン〉が発艦を開始。他の国々の戦列艦も……」

 輪形陣から競うように、様々な国の軍艦が〈グレードアトラスター〉に向かっていく。

 これがゲームと現実(リアル)の違いだ。ゲームはプログラムが定めた通りに動く。部隊も兵士もデータでしかない。だが現実の戦争を戦うのは、司令官から一兵卒に至るまで人間だ。人間は自分の意思を持ち、自分の判断で動く。その判断の材料は、命令のときもあれば、エゴのときもある。

 鮫島は魔信のプレストークスイッチから指を離しているのを確認してから、なじった。

「そんなに手柄が欲しいか? ハゲタカ共が!」

 あの派手な爆発を見て、彼らは勘違いしたのだ。あと少し小突いてやるだけで、〈グレードアトラスター〉は沈むと。簡単に金星が手に入ると。

 もちろん現実はそんなに甘くなかった。

「司令、どうしますか?」

 艦隊参謀の問いに、鮫島はすぐに答えられなかった。その躊躇の間に、魔信から新たな通信が入った。

『こちらカルトアルパス海軍基地対空監視部、グラ・バルカス帝国と思われる航空機が南西方向から多数カルトアルパスに接近中! 距離70.1NM(ノーティカル・マイル)(約130キロ)、機数約40!』

 鮫島はデ・ジャブかと思ったが、そうではなかった。

『我に要撃機なし。日本艦隊、支援を求む!』

 

 再び時間を少し遡る。

 グラ・バルカス帝国海軍東部方面艦隊に所属する機動部隊は、カルトアルパスに急行していた。

「では〈グレードアトラスター〉が大破したというのは、間違いないのだな」

 司令カオニアの問いに、参謀バーツは頷く。

「〈グレードアトラスター〉からの通信がありますし、艦隊直掩機も爆発の炎と煙を確認しています。弾薬庫への誘爆は確実かと」

 カオニアは思案顔をする。

「近くに友軍は?」

「アルカイド提督の東征艦隊だけです」

 東征艦隊はマグドラ群島で威力偵察を努めて、かなりの損害を出している。旗艦〈ベテルギウス〉は沈まなかったが、無傷ではあるまい。同型艦の僚艦〈プロキオン〉は撃沈されたという。

「やはり我らだけで何とかするしかないか」

「はっ。〈グレードアトラスター〉は監査軍の所属。しかもレイフォルを単艦で降した伝説的武勲艦です。これが失われれば、帝国と我が東部方面艦隊の面子は丸潰れになります。せめて〈グレードアトラスター〉は救出しなければなりません。少なくとも最善の努力は必要です」

 要するにアリバイ作りもなしでは、自分たちの首が飛びかねない。医学的に本当に飛ぶよりはマシではあるが。

「それで、『最善の努力』とは何かね? 構わん、記録には残さないから言いたまえ」

 バーツは少し言い難そうだったが、そこまで言われれば答えるしかない。

「水上艦は間に合いません。航空隊を出すしかありません」

 目を剥いたのは航空隊司令である。

「バカな! そんなことをすれば、第一次攻撃隊の二の舞になる。兵たちにそんな命令ができるか!」

 これはバーツも予想していた。

「なにも日本艦隊と戦う必要はありません。〈グレードアトラスター〉はまだ自力航行が可能です。日本艦隊に追撃させなければよいのです」

「では、何と戦うのかね?」

 カオニアが問う。

「カルトアルパスの市街地を爆撃します」

 これに顔色を変えたのは、航空隊司令である。

「敵がいるのに、市街地の爆撃を優先するのか?」

「そうするより仕方ありません。航空隊の全滅を避けるためには。どのみち市街地の爆撃は、当初の作戦目標に入っていました」

 これには誰も反論できない。バーツは先を続ける。

「もはや当初の作戦目標は、達成不可能です。ならば最少の損害で収拾を図るしかありません」

「だから〈グレードアトラスター〉と引き換えに、航空隊を差し出せと?」

「語弊はありますが、その通りです」

「この期に及んで、兵の命より面子が大切か!?」

 航空隊司令が本当に掴みかかろうとする。

「〈グレードアトラスター〉にも兵はいます」

「……民間人を人質に捕れというのか?」

「蛮族です。作戦目標です」

 見かねたカオニアが口を出す。

「対案を出したまえ。対案なき反対は、指揮官として無責任だ」

 結局、バーツの作戦案は小規模の改造を経て、採用された。

 

「敵航空機は湾ではなく、市街地を目指しているようですな」

 艦隊参謀の言葉で、鮫島の腹は決まる。魔信のプレストークスイッチを押す。

「カルトアルパス海軍基地、こちら日本護衛隊群司令。支援を行う」

『感謝する!』

「連合軍の方はどうするのですか?」

「放っとけ。彼らも軍人なんだ。自分の身は自分で守ってもらう。我々は自分を守れない民間人を優先する」

『我がエモール風竜騎士団も加勢しよう』

 魔信から予想外の通信が流れ、〈ひゅうが〉の一同はびっくりする。

『おお、風竜騎士団が! 有り難い、千人力を得た想いです』

 カルトアルパス海軍基地の感謝の言葉に、鮫島は首をひねる。

「風竜て、強いのか?」

「ガハラ神国の話ですが、生物でありながら、レーダーを持っていると聞いています。ワイバーンが怖がって近寄らないそうですが、具体的な空戦能力はなんとも……」

 今度は魔信ではなく無線で通信が入る。

ZEBRAHQ(ゼブラ・コマンド)、こちらTANGO1(タンゴワン)。APGにマシントラブル。機上では修理不能』

 遂に試作品のレーダーが壊れたのだ。

「TANGO1、帰投せよ」

『アイ・コピー、TANGO1は帰投する』

「司令、〈SH-60K(シーホーク)〉を代りに上げますか?」

〈ひゅうが〉の艦長がすかさず提案する。故障したレーダーの代りに、〈SH-60K〉のレーダーを使おうという提案だ。

「それは無用だ」

 鮫島の返事は全員にとって意外だった。その理由が理解できなかった。鮫島も空気を察して、説明する。

「サンダー・ドラゴン以外の航空機とのレーダー連携は、まだX-OS(ソフト)のデバッグが終わっていない。こういう言い方をすべきではないが、まともに動く気がしない」

 周囲が別の意味で納得しないのを見て、鮫島は一番口にしたくなかった言い訳を口にした。

「一番工数がかかるレーダーの実験を最優先にしたんだ。それが全体では一番開発期間が短くなるんだ。まさか実戦で使うとは思っていなかったんだ」

 軍人(国内向けの建前では、自衛官は軍人ではないことになっているが)にとって、「実戦(まさか)は想定していなかった」というのは、一番恥ずかしい言い訳なのだ。

 

 第零護衛隊群の編成にはややこしい背景がある。防衛装備庁への配慮である。

 日パ戦争後、海上自衛隊ではSAMの不足が懸念された。これまでSAMはアメリカから輸入していた。だが国が丸ごと転移した結果、早急に国産に切り替える必要があった。

 だが事情は陸上自衛隊や航空自衛隊も同じである。特に航空自衛隊は海上自衛隊以上に深刻といえた。既存の戦闘機は国内で再生産できず、次期戦闘機に事実上決まっていた〈F-35A〉も輸入できなくなった。早急に次期戦闘機(F-X)を国内開発しなければならない。ベースは実験機の〈ATD-X〉があるが、実用機となると開発には通常は十数年はかかる。

 だが三自衛隊の装備を担当する防衛装備庁の開発リソースは限られている。水面下では三自衛隊(主に海自と空自)によるリソースの奪い合いが始まっていた。空自に言わせれば、最優先すべきは『F-X』であり、後は空母があれば艦隊防空は自分たちがやるから、SAMの開発リソースは全て『F-X』に回せ、といった調子である。

 これに比べると海自の態度は多少は建設的であった。自分たちが持つリソースを、一時的に防衛装備庁に提供することにしたのだ。人材面ではミサイルの専門家の鮫島一等海佐を防衛装備庁に出向させた。装備面では3桁艦(海自では主力戦闘艦に3桁の艦番号を与えるので、こういう呼び方をする)を実験艦として貸与するという、破格の大盤振る舞いをした(通常は装備試験艦〈あすか〉で実験を行うが、開発すべき装備は多数あって、〈あすか〉のスケジュールは一杯いっぱいだった)。

 そう、鮫島の本当の階級は一等海佐なのだ。だが彼が海将補として第零護衛隊群の指揮を執っているのも、これまた防衛装備庁への配慮の結果なのだ。

 海自の短期的な目標はSAMの国産化だったが、中期的にはイージスシステムとその後継の艦隊防空システムの国産化も睨んでいた。そのシステム艦として〈ひゅうが〉を、ミサイル護衛艦として〈あきづき〉(汎用護衛艦に分類されているが、これは艦の建造枠の辻褄合わせという、まことにお役所的な事情によるものだ)をプラットフォームとして提供した。

 そこへ舞い込んだのがカルトアルパスへの護衛隊群派遣任務だった。既存の護衛隊群は日パ戦争で疲弊しきっている。派遣できる護衛隊群はない。やむを得ず臨時編成を行ったが、艦の数が揃わない。海自は一度は防衛装備庁に差し出した〈ひゅうが〉と〈あきづき〉を撤回した。

 防衛装備庁はこれに理解を示したが、開発スケジュールの遅延を伝えてきた。プラットフォームの提供が延期されたことによる当然の事務的手続きだったが、海自の一部はそうは受け取らなかった。

 そこで海自は装備庁に新たな提案をした。カルトアルパスへの派遣の航海中も、実験を続けることを提案したのだ。それを保障するために、装備庁に出向していた鮫島を呼び戻して群司令にするという異例の人事までやった。

 実は鮫島は艦長の経験がない。ミサイルの専門家なので、その知識を買われて砲雷長を務めたことはあったが、その考課は『凡庸』というものだった。無能ではないが他人を持って代え難いという程ではない。それなら装備庁とのパイプ役としての方が使いでがある(その点では鮫島の代わりが務まる人間は海自にいなかった)。海自の上層部からは、鮫島はそう判断された。このときから鮫島は『佐官止まりの人物』と見なされるようになった。要するにエリートコースから外れたのだ。

 そんな人物をいきなり群司令にするのは、さすがに無理がある。過去に佐官の群司令はいたが、艦長経験がない群司令はいない。これでは鮫島を任命しても、隷下の艦の艦長たちが納得しない。最悪の場合は命令に従わないだろう。最低でも鮫島を将官にする必要がある。艦長たちは納得しなくても、上官の命令なら従わざるを得なくなる。

 そこで海自は人事上の裏技を使った。鮫島を装備庁から、海自へ海将補待遇で再出向させたのだ。古巣の海自へ異動を帰任ではなく再出向としたのは、派遣任務が終わればまた装備庁に戻るからという、理由を考えた本人でさえ納得できない理由だった。

 そのような理由で、第零護衛隊群の人員の構成は、なんとも歪なものになった。司令は肩書だけの将官で、乗組員の他に装備庁の防衛技官が大勢同乗している。これに外務大臣を筆頭とした外交官たちが〈ひゅうが〉に同乗している。「まるで動物園だな」とは、〈ひゅうが〉のある乗組員の言葉だった。民間の旅客船を使わなかったのは、海自が反対したからだ。表向きはVLSを撤去した〈ひゅうが〉には十分なスペースがあり(これは本当だ)、税金を無駄遣いすべきではない(これも本当だ)というものだった。だが本音は、足の遅い民間船のペースに合わせたくなかったからだ。とにかくこの航海は、さっさと無事に終わらせたかった。

 斯くして〈ひゅうが〉の艦長の気配りは無駄になった。彼は〈SH-60K〉を飛行甲板に上げて、暖気運転まで済ませていたのだ。その程度は艦長の裁量の範囲だった。

 

「それじゃ、後は頼む」

「は?」

 鮫島の言葉に、艦隊参謀は戸惑った。

「俺はミサイルの専門家だ。空戦のことは分からん。俺にできるのは部下を信じて盲印を押すことだけだ」

 確かにその通りだが、艦隊参謀の方も困った。彼も海上自衛官だ。航空自衛官ではないのだ。

 実は艦隊参謀はこうなることを密かに望んでいた。お飾りの司令が責任を持て余して、自分に指揮を丸投げすることを。彼の役割は鮫島が余計なことをしないようにするお目付役だったが、できれば自分が群の指揮を執ってみたいという野心もあった。さすがにこれは鮫島を舐め過ぎである。鮫島も防大を卒業したバリバリの幹部自衛官なのだ。現に凡庸とはいえ、砲雷長は立派に務めている。彼が望んだチャンスは、最悪のタイミングでやってきた。

 それでも艦隊参謀は最善を尽くした。レーダーの故障で稜線より下の敵機を捉えられないことを、魔信を使ってカルトアルパス海軍基地とエモール風竜騎士団に伝えた。

『ならば敵を上空に誘き出せばよいのだな』

 騎士団長のウージは理解が早かった。

『その役は我らが引き受けよう。カルトアルパスの基地から敵の位置情報を貰い、我らが上空へ誘き出す。それを日本の誘導魔光弾で撃ち落とせばよい』

 ウージはうっかり情報を漏らしてしまった。日本のミサイルが誘導魔光弾と同じだということに、他国はまだ気づいていなかったのだ。この魔信を傍受した国々の間で、誘導魔光弾の噂はじわじわと拡がっていくことになる。

「敵とは300メートル以上の距離をとってください。でないと巻き添えを喰いますから」

 ミサイルの話になったので、鮫島が口を出す。

『承知した。相棒によると、アレから逃れるのは相棒でも無理だというからな』

 魔信から何やら音が漏れてきた。日本人たちが、それが竜人族の笑い声だと知ったのは、かなり後になってからだった。ウージがモーリアウルの指示で、誘導弾の情報を集めるために自衛隊と行動を共にしたと知ったのは、それより更に後だった。

 

 フラグストンは前檣楼の様子を確認するため、最上甲板を走った。そして前檣楼を後ろから眺められる位置で足を止めた。

 前檣楼トップにあった15メートル測距儀は明らかに傾いており、露天の射撃指揮所がメチャメチャになっていることは容易に想像できた。

 その下にある昼戦艦橋の右舷の窓は大穴に変わっていた。当然、昼戦艦橋もメチャメチャになっているだろう。

 だが前檣楼後部の左舷にある、昼戦艦橋に続く扉が開いた。そこから誰か人が出てくる。そして危ない足どりでラッタルを降りようとしている。

「生存者だ! 昼戦艦橋に生存者がいるぞ!」

 フラグストンは叫ぶと同時に救助のために再び走り出した。その声を聞いて、何人かがその後に続く。

 

 左舷ラッタルを降りようとしていたのはラクスタルだった。ラクスタルは軽傷とはいえない怪我を負っていた。

「通信士がまだ生きている。救助してくれ」

 それがラクスタルが救助されたときの第一声だった。だがフラグストンの部下たちが昼戦艦橋に入ったとき、もはや生存者はいなかった。

 ラクスタルは最も近い重要防御区画(バイタルパート)である司令塔に運び込まれた。司令塔とは名ばかりで、艦内電話があるだけのスペースだった。

「艦の状況は?」

 ラクスタルは海軍軍人らしく、自分より艦の健康を心配した。フラグストンは状況を的確に伝える。

「最大の問題は弾薬庫の火災か」

「はっ、消火用のホースで注水を行っています」

 ダメコン班のリーダーが答える。

「それじゃ間に合わんだろう。排水系を利用しろ」

 その場にいた者は、一瞬理解が追いつかなかった。

「排水のためのパイプに海水を逆流させて、弾薬庫に注水しろ。最初の手間はかかるが、それが一番速い。誘爆を起こす前に注水を開始するんだぞ」

 ダメコン班たちは敬礼する時間も省いて、現場に向かった。第三砲塔の要員は敬礼してからそれに続く。

「カオニア提督の艦隊と連絡がとれた。我々を救助するためにこちらに向かっている。これが救助作戦の概要だ」

 ラクスタルはメモを差し出す。一番近くにいたフラグストンが受け取る。

「俺はここまでのようだ。指揮は先任が執れ」

 ラクスタルは目を閉じると、力なくうなだれた。慌てて衛生兵が駆け寄る。

「気を失っただけです」

 衛生兵の言葉にフラグストンはほっとする。だがすぐに周囲の視線に気づく。フラグストンは逆に周囲を見回す。そして気づいた。自分が先任らしいと。

 なんてこった! 俺がなりたかったのは砲術長(ホチ)だ。艦長(オヤジ)じゃない!

 追い打ちをかけるかのように艦内電話が鳴る。先任の責任でフラグストンが受話器を取る。

「どうした?」

『敵が攻撃を再開しました』

 フラグストンは一瞬血の気が引いたが、次の言葉を聞いて意識を繋ぎ止めた。

『ミリシアルと思われる巡洋艦が、接近しながら砲撃を加えてきます』

「砲撃なんだな?」

 何故と思いつつ、フラグストンは確認する。

『はい、砲撃です』

「わかった」

 電話を切ったフラグストンを見た者たちは、背筋が寒くなった。フラグストンは笑っていたのだ。

 確かにフラグストンは喜んでいた。相手は日本ではない。自分はまだ戦場でゴルフをプレーできるのだ。


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