〈グレードアトラスター〉の直掩に回ったと思われたベータの〈アンタレス〉隊は、ニグラート連合のワイバーンと交戦状態になった。
ニグラート連合は自衛隊とカルトアルパス基地、風竜騎士団間の魔信を傍受していた。ニグラート連合の竜母は〈グレードアトラスター〉を追撃中だったが、そのまま南風を利用して、一度は着艦したワイバーンたちを再び発艦させることに成功した。
それに比べると〈グレードアトラスター〉と一度戦ったムーの〈マリン〉航空隊は、機体の整備に手間取り、発艦がやや遅れた。
ニグラート連合のワイバーン64騎は編隊を組んで、低空を侵攻する〈アンタレス〉を迎え撃つ。
ニグラート連合の竜母は4隻、一隻あたり16騎のワイバーンを搭載していた。通常の竜母は10乃至12騎のワイバーンしか搭載できない。だがニグラート連合が連れてきた最新鋭の竜母は、輸送中のワイバーンを冬眠させることによって、16騎まで搭載することに成功した。
その代わり
彼らは戦意が高かった。日本に手も無く捻られた戦闘機なら、容易く叩き落とせる。そんな思い込みがあった。神聖ミリシアル帝国の『エルペジオ3』が一方的に負けたのは知っていたが、戦力比1:5という圧倒的に不利な条件だった。だが今の戦力比は3:1、しかもムーの航空隊が援軍として控えている。「これなら勝てる」と思い込むには十分な条件だった。
「馬鹿め。わざわざ不利な低空を侵入してくるとは。導力火炎弾の一斉射撃を浴びせるぞ!」
ワイバーン編隊長の指示により、64騎全てが口の中に炎を溜める。それはエストシラント沖大海戦のミニチュア版のようであった。
「引き付けるぞ。まだだ……今!」
すれ違いざまにワイバーンたちは炎を吐く。その炎の幕は、〈アンタレス〉たちを直撃するコースに乗った……はずだった。
「何ぃっ!」
竜騎士たちが驚く。〈アンタレス〉はワイバーンの敵前で、予想外の急上昇を行った。それは導力火炎弾どころかワイバーンも躱してしまった。
〈アンタレス〉は編隊飛行のまま、
「なんて上昇性能だ!」
驚愕する竜騎士たち。だがいつまでも驚いているわけにはいかなかった。
「トカゲ共が驚いているな」
背面飛行のまま、眼下の敵を見下ろしながら、〈アンタレス〉のパイロットが呟く。次の瞬間、〈アンタレス〉は急降下を開始、ワイバーンに肉薄する。
グラ・バルカスのパイロットたちは、ワイバーン対策を確立していた。低速で水平機動だけしていたのでは、ワイバーンが相手でも不利になる。自分より最高速度が劣るワイバーンには、垂直機動を混ぜた一撃離脱戦法が有効だ。
本来の最高速度に急降下による速度を加え、ワイバーンが避けられない速度で接近、必中の距離で機銃を浴びせ、当たっても外れてもワイバーンが追いつけない速度で離脱する。あっという間に20騎のワイバーンが墜ちる。3:1だった戦力比が、初撃で2:1にまで縮む。
「なんて奴だ!」
竜騎士たちは歯軋りをする。アレをほぼ百発百中で墜とした日本が異常だったのかと気付く。残念なことに遅すぎたが。
一騎のワイバーンがパニックを起こし、勝手に逃亡を始める。
「トカゲに乗ってると、頭もトカゲ並になるらしい……んっ!」
〈アンタレス〉の編隊長が、逃亡したワイバーンに気付く。これはひょっとしたら行けるかもしれない。そう思った彼は部下に命じる。
「2から4番機は俺に続け。後はいつも通りの手順でトカゲの相手をしてやれ」
彼は3機の部下を引き連れ、逃亡したワイバーンを追う。
『隊長、どうするつもりですか?』
「あのトカゲ、北へ向かっている。上手く行けば俺たちを連れて行ってくれるぞ」
『何処へですか?』
「日本の艦隊が鎮座している湾にだ。ひょっとしたら、奴らは同士討ちを恐れて、俺たちを攻撃できないかもしれない」
一瞬の沈黙。
「どうせ俺たちは捨て駒だ。それならトカゲや複葉機ではなく、もっとデカい的に20ミリをぶち込んでみたくないか?」
部下たちは返電をせず、行動で答えた。彼らはワイバーンを北へ追い込むように機動した。
「ベータがニグラート連合のワイバーンと交戦状態になりました」
〈ひゅうが〉のCICとFICに報告が上がる。
「ドッグファイトを展開中。このままだと誤射の恐れがあります」
鮫島はレーダー画面を睨んだ。
「恐れていたケースだ」
「この場合は、戦闘機を投入してのガンファイトしか手がありませんな」
艦隊参謀も同意する。
「こうなったら、他力本願しかないでしょう」
艦隊参謀に促されて、鮫島は魔信のプレストークスイッチを押す。
「風竜騎士団長殿、ニグラート連合のワイバーンが敵戦闘機と交戦中です。こちらの武器では味方を誤射する危険があります。戦力の引き剥がしをお願いできますか?」
『ウム、最善を尽くそう。それ以上は約束できぬ』
「それで十分です」
鮫島はプレストークスイッチから指を離す。
「ムーには要請しないのですか?」
艦隊参謀の問いに、鮫島は渋い顔をする。
「〈マリン〉じゃ相手が零戦モドキだと歯が立たない。事態を却って悪化させかねない。〈マリン〉を出すかどうかは、ムーの司令部の判断に任せるしかないだろう」
これには誰も異論を唱えられなかった。
「司令、ワイバーンが一騎逃亡しています。それを敵が4機で追っています」
それがどうしたと鮫島は思ったが、レーダー画面を見て事態を理解した。
「……味方を盾に艦隊に迫る気か」
「そのときはどうされますか?」
「戦場で人間の盾など通用しない」
「ですが問題になるかもしれません」
「フェン王国の事件の再来か?」
「ニグラート連合がどのような倫理観を持っているのか、まだよく分かっていません」
鮫島は溜息をついた。
「外交問題になる危険か……それは外務省に任せるしかないだろう。現場は現場の判断で動く。最悪でも俺の首で艦隊の損害が免れるなら、安いものだ。
鮫島は再び魔信のプレストークスイッチを押す。
「こちらは日本艦隊司令。ニグラート連合のワイバーン、本艦隊に接近し過ぎている。2キロ以内に近づいた場合、自衛のために本艦隊は敵戦闘機を攻撃する。その際誤射する危険がある。直ちに敵を振り切るか、本艦隊から離れろ。繰り返す、直ちに敵を振り切るか、本艦隊から離れろ」
鮫島はプレストークスイッチから指を離す。
「風竜騎士団は?」
「こちらに向かっていますが、間に合いません」
鮫島はまた溜息をついた。
「できることは全部やった。後は振った賽の目を確認するだけだ」
結果は第零護衛隊群にとって最悪の目になった。ワイバーンは敵を引き連れて、護衛隊群から2キロ以内に侵入。各護衛艦の〈CIWS〉が自動的に反応し、ワイバーンおよび〈アンタレス〉を迎撃。全機を撃墜したものの、〈アンタレス〉の20ミリ機銃の流れ弾が〈ひゅうが〉に命中した。
〈ひゅうが〉のCICとFICのディスプレイ群が乱れる。何が起こったのか悟った鮫島が命じる。
「X-OSを強制終了しろ」
すぐにディスプレイ群が復旧する。
「損害を報告しろ」
〈ひゅうが〉の艦長が命じると、即座に返事が返ってくる。
『こちら
「復旧作業と負傷者の応急処置を急げ」
『了解、現在作業中』
CICにいた一同は、どう反応してよいか迷った。損害は軽微とは言えない。試験用の追加装備が、これで全て駄目になった。しかし人的損害は小さいし、〈ひゅうが〉の能力は完全に損なわれたわけではない。撤去されたVLS以外は、改装前に戻っただけだ。
だが流れ弾に当たったのは、不運としか言いようがない。その不運を嘆くべきか、実害はないと胸を撫で下ろすべきか。
「クソッタレ。やってくれたな」
鮫島が妙にドスの効いた声を漏らす。
「危うく部下を靖国に逝かせるところだったじゃないか」
これまでの飄々としたイメージと全く合わない声だ。周囲は戸惑う。
「艦長、発煙筒を集めてくれ」
唐突な指示に艦長も戸惑う。
「発煙筒ですか?」
「できれば黒がいいが、多少カラフルでもいい。ミリシアルの巡洋艦のは、そうだからな」
鮫島の真意を計りかねた艦隊参謀が訊く。
「司令、何をなさるおつもりですか?」
「リベンジだよ、リベンジ。部下を殺されそうになったんだ。この場を何とかやり過ごそうだなんて、思っていたのが間違いだった。だから部下を危険に晒したんだ。脅威は徹底して排除すべきだ。この際、敵航空戦力を殲滅する。必要なら艦隊もだ」
このとき、魔信から通信が入る。
『こちらカルトアルパス海軍基地。敵艦隊を捕捉。西南西方向、距離100
「どうやら敵さんも同じことを考えているようだな」
「同じこと、ですか?」
艦隊参謀は薄々分かったものの、確認のために訊く。
「そろそろこの海戦に決着をつけるつもりだ。だがこちらの役者が一人足りない。まあ、艦隊決戦まで2時間以上ある。予定通りなら間に合うはずだ」
〈ひゅうが〉の艦橋とエレベーターから煙が上がる。同時に〈ひゅうが〉から魔信による送信が行われる。
『我被弾す。されど戦闘に支障なし。これよりフォーク海峡を通過し、敵艦隊と
同時に第零護衛隊群が発進する。南へ、フォーク海峡へ向けて。およそ10ノットの速度で。
これを見たカルトアルパス海軍基地から、魔信によるメッセージが送られた。
『武運を祈る』
彼らは第零護衛隊群が、討ち死覚悟でグラ・バルカス艦隊に立ち向かうと思ったのだ。艦数を見れば8:30と圧倒的に不利。しかも空母は痛々しく煙を吐き、よろよろと10ノットという低速で航行しているのだから、勘違いするのも無理はない。
そして、そんな第零護衛隊群の姿を見たのは、味方だけではなかった。