日本国召喚・異聞録   作:無虚無虚

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第2章『戦禍の文明圏』
第1話『伝説を作った男』


 グラ・バルカス帝国海軍東方艦隊司令長官カイザルは、最近多忙だ。もともと艦隊司令長官は激務だが、それに拍車がかかっている。だから彼がその日その時、海軍本部の執務室にいたのは、偶然などではなく、わざわざ一人の男と会うために、スケジュールを調整したのだ。

 執務室のドアがノックされる。

 カイザルは壁時計を見て、約束(アポ)の時間であることを確認する。

(几帳面な男だ)

 そう思いながら、確認のために声をかける。

「誰だ?」

『ラクスタルであります』

「おう、入れ」

 ラクスタルが自分でドアを開けて、執務室に入ってくる。

 艦隊司令長官は要職だ。普通なら執務室のドアの両脇には歩哨が立ち、用件は副官が取り次ぐ。そうしないのは、「自軍の捕虜になるのは御免だ」だかららしい。

 ラクスタルは敬礼する。カイザルも立ち上がって答礼する。

「本日より復帰しました」

「元気そうでなによりだ」

「閣下こそ、ご壮健でなによりです」

「とんでもない」

 カイザルは答礼のために挙げた右手で手刀を作って、自分の首に当てて見せた。

「陛下のお情けで、首の皮一枚で繋がっている状態だ。いつ千切れてもおかしくない」

「陛下も余人をもって代え難いと思えば、閣下を慰留なさったのでしょう」

「面と向かって褒めないでくれ。指揮官なんて適度に憎まれているくらいがちょうどいい」

 カイザルはラクスタルに椅子をすすめ、自分も元の椅子に座った。

「病院は退屈だったろう」

「いいえ。読書の時間が取れて、有意義に過ごせました。今日はこれをお返しに持参しました」

 ラクスタルは左手に持っていたトランクを開けると、中から何冊もの雑誌を取り出した。

「そんな物は伝令にでも任せればいいのに……」

「閣下」

 それまで温和だったラクスタルの表情が急に引き締まる。

「これらは国家機密文書です」

(真面目な男だ)

 そう思いながら、カイザルは答える。

「確かにそうだ。この国ではな。だがな、ムーなら誰でも買えるんだぜ」

 ラクスタルが黙ったままなので、カイザルは先を続けた。

「敵が隠しているものを密かに暴くのが諜報だ。だが敵が隠そうとしていないものを隠すのは、隠ぺいだ」

「閣下が仰りたいことは、なんとなく分かります」

 ラクスタルは無難に対応する。

「今日は小官を監査軍から海軍に引き抜いた理由を伺えると期待していたのですが」

「監査軍にいても暇だろう。〈グレードアトラスター〉の修理は1年半から2年、急いでも1年は掛かる。優秀な人材を遊ばせておく余裕は、祖国にはない」

「閣下が期待するほど、小官は優秀でしょうか。〈グレードアトラスター〉の修理が完了しても、小官が再び艦長を拝命できるとは期待していません」

(意外と引きずるタイプなのか?)

 カイザルは慎重に次の言葉を選ぶ。

「アレは貴官の責任ではない。日本の情報収集を怠った情報局と、軽々しく宣戦布告を決めた外務省の責任だ。そのツケが、現場にいた貴官に回って来たに過ぎない」

「自分も頭ではそう考えようとしているのですが……海軍での小官の新たな任務は何でしょうか」

(大丈夫だ。仕事を与えて忙しくさせておけば、立ち直るタイプだ)

 カイザルは本題を切り出す。

「海軍大学校で教官をやって欲しい。これから、多くの艦長が誕生する。新米の艦長たちが指揮する艦がひとつでも多く生き残れるよう、指導してやって欲しい」

「戦時量産型駆逐艦でありますか?」

「知っているのか?」

「正確に知っているわけではありません。噂で聞いただけです」

 カイザルはため息をつく。

「じゃあこんな噂は聞いたか?……本国の位置が列強にバレた」

 ラクスタルは初めて驚いた顔をした。

「本当ですか?」

「本当だ。外務省が日本に鹵獲された艦艇の返還を要求したところ、日本側は本国の地図を持ち出して、どこでも攻撃できると脅してきたそうだ」

 ラクスタルの眉間にしわが寄る。

海上交通路(シーレーン)防衛のための駆逐艦ですか」

「そうだ。通商破壊戦をやられたら、本国は干上がる。そして神聖ミリシアル帝国とムーでも、通商破壊戦なら可能だ」

「明るくない未来図ですな」

「明るくはないが、真っ暗でもない。同じ弱点は日本も抱えている。むしろ日本の方が深刻だ。今後の主戦場は第二文明圏になるだろうが、日本とムー大陸の間は2万キロも離れている。こちらの4倍だ」

 ラクスタルの頭が回転する。

「レイフォル地区を根拠地に、こちらから通商破壊戦を仕掛けるのですか?」

 カイザルは、その回転の速さに感心する。

「その通りだ。旧世界(ユグド)でも実績がある、シータス級潜水艦を使った大規模作戦だ」

 ラクスタルは思案顔になる。

「始まる前から不吉なことを言いたくはないのですが──」

「構わん。言いたまえ」

「シータス級潜水艦がこれまで無敵だったのは、潜水艦を保有していたのは我が国だけだったからです。ですが日本も潜水艦を保有しており、それなりの対潜作戦能力を持っているはずです」

 カイザルは再びため息をつく。

「貴官を引き抜いたのは正解だったようだ」

 そう言うと、一冊の雑誌を取り出した。

「ムーで買った『タカラタイリク』の最新刊だ。これによると、日本軍が国籍不明の潜水艦を撃沈したそうだ。そして、日本を威嚇するつもりで派遣した潜水艦〈ミラ〉が、行方不明になっている」

 ラクスタルの表情が険しくなる。

「これまで世界の海は、帝王陛下の浴槽(バスタブ)でした。しかし今後の第二文明圏の海は、血の海(レッド・オーシャン)になるでしょう」

「なるだろうな」

「味方の血が流れないよう、微力を尽くします」

 そう言うと、ラクスタルは立ち上がって敬礼する。カイザルも立ち上がって答礼する。

 カイザルが思い付きを口にした。

「情報局に確認してもらうか」

「何をでしょうか?」

「ムーの書店に『女の取扱説明書(トリセツ)』が置いてないか、だ」

 豆鉄砲を食らった鳩のような表情になったラクスタルを見て、カイザルは、してやったりという表情になった。

「貴官を引き抜いたせいで、ミレケネスの機嫌が悪い。風当たりが強くてかなわん」

「……あの方は台風のような方ですからな」

「台風の方がマシだ。我慢していれば過ぎ去ってくれるからな」


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