日本国召喚・異聞録   作:無虚無虚

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第11話『地政学のススメ』

 カイザルは『第二次フォーク海峡海戦』の戦果を直接報告する名誉を賜り、帝王グラルークスに謁見することになった。

「俺が死んだら、骨は拾ってくれ」

 カイザルは謁見の前日、ミレケネスにそう言った。

「本当に講和を進言するの?」

「止めるのか?」

 ミレケネスは首を横に振った。

「無駄なことはしない主義だから」

 そう言い残して、ミレケネスは去った。

 

 謁見の間で、カイザルは帝王に戦闘結果を奏上した。

「そうか」

 意外と淡白な反応だな、カイザルはそう思った。

「カイザルよ。神聖ミリシアル帝国を、恐れるに足らずと思うか?」

「いかなる相手であれ、油断は禁物かと存じます。今回の非対称(エイシンメトリー)作戦も、一回限りの使い捨ての策です。潜水艦の存在を警戒されたら、二度と通用しません」

「ほう」

 グラルークスは目を細める。カイザルは心中を見透かされているかのような錯覚を覚え、背筋が寒くなった。

「人間は成功体験を繰り返したがるものだが、それに固執しないとは、なかなか大したものだ」

「恐れ入ります。分を(まきわ)えぬ発言を、お許しいただけますか」

「申してみるがよい」

「神聖ミリシアル帝国と講和を結んでください。今なら有利な条件で、講和が結べます。他の国も神聖ミリシアル帝国に追従するでしょう」

 謁見の間が騒然となった。

「カイザル、控えよ!」

 侍従長がカイザルを叱責しようとしたが──

「構わぬ。余が発言を許したのだ。最後まで申してみよ」

 帝王が先を促す。

「敵がミリシアルとムーだけなら、この(いくさ)は勝てるでしょう。しかし日本にだけは勝てません。まずは日本を、他の列強から分断しないといけません」

 大勝利を収めた将軍の意外な言葉に、謁見の間は凍り付く。

 グラルークスはしばらく考えた。

「いきなり講和は難しい。まずは休戦協定がよかろう。もう下がってよいぞ」

 カイザルは深く敬礼し、退室しようとした。

「待て」

 不意に帝王に呼び止められて、カイザルは振り返った。

「肝心なことを忘れるところだった」

 侍従が元帥杖を持って、カイザルのところにやってくる。

「それを其方に授ける」

 

 このエピソードは、帝王グラルークスがカイザルに不快感を示したものとして、その場にいた者たちに受け止められた。

 

 日本でも『第二次フォーク海峡海戦』は大きく報道された。「現代のサラミス水道戦」、「潜水艦による真珠湾攻撃」といった見出しが、新聞や雑誌の紙面を飾った。

 

 このニュースにより、国家安全保障会議(NSC)が急遽開かれた。

「これはえらいことになった」

 冒頭で総理大臣が発言した。

「第零護衛隊群の勝利が完全に打ち消されてしまった。そればかりか、経済への悪影響があるだろう」

 経産大臣が発言を求める。

「すでに影響が出ています。第三文明圏内の貿易は健全ですが、世界中の物流が滞り始めています。海上保険の掛け金が高騰し、ムーとの直接貿易にまで、悪影響が出ています。国内の消費も落ち込み始めています」

 外務大臣も発言を求める。

「外交面での影響も出ています。第二文明圏の周辺の国々の中には、グラ・バルカス帝国の庇護を求める国も出始めています。中央世界でも、ミリシアルの影響低下は確実です。これまでの世界秩序が崩れつつあります」

 秩序の崩壊、それは最も好ましくないものだった。

「経産省で試算したところ、神聖ミリシアル帝国が被った経済的損失は、10兆円を越えると思われます」

「神聖ミリシアル帝国は、艦隊戦力の半数を失いました。もはや自国の防衛で精一杯で、他国へ派兵する余力はないものと思われます」

 大臣たちから報告が上がる。そんな中、外務大臣の秘書官が途中入室して、大臣にメモを渡した。

「総理、グラ・バルカス帝国が、神聖ミリシアル帝国に休戦を申し入れました」

 会議場が一斉にざわつく。

「グラ・バルカス帝国の真意はなんだと思うかね」

 総理大臣の質問に、外務大臣は即答できなかった。代わりに防衛大臣が発言する。

「神聖ミリシアル帝国を我が国とムーから切り離して、第二文明圏の侵略を容易にするためかと思われます」

 会議場は更に騒々しさを増した。

「それは拙いぞ」

 総理は悩む。

「ミリシアルが中立を宣言して、海上交通路を封鎖したら、我が国とムーの物流が途絶える。これまでの努力が全て無駄になってしまう」

「それは、神聖ミリシアル帝国が世界の王者のタイトルを、グラ・バルカス帝国に譲ると宣言するようなものです。さすがにそこまでの決断はできないでしょう」

 外務大臣は楽観を示すが、いまいち説得力がない。

 防衛大臣が発言を求める。

「総理、技術流出防止法の緩和を、ミリシアルにも認めるのはどうでしょうか? 彼らに対潜兵器を与えれば、こちらに繋ぎとめることができます」

「そう簡単にいくだろうか」

 文科大臣が疑問を示す。

「ムーは科学文明だったから、同じ土俵に立てた。だがミリシアルは魔法文明だ。話が通じるかどうかも怪しい」

 議論は続いた。

 

 帝都ラグナの一角で、密会が行われていた。

「カイザル将軍も、また面妖なことを言い出されたものですな」

「将軍ではない。元帥だ」

 カルスライン社のエルチルゴの言葉を、帝王府副長官のオルダイカが訂正した。

「陛下も元帥の言に不快感を示されたとか」

「だが陛下は元帥杖をやつに与えた。これでやつに命令できるのは、帝王陛下のみになった。やつは海軍で、絶対的な権力を握ることになった」

「しかし休戦となれば、私共は困ります」

「安心しろ。ムーと日本が残っている。それより戦時量産型駆逐艦の方は大丈夫なのか? あまり手を抜きすぎると、製造者責任を問われることになるぞ」

「ご安心を。最低限の要求水準は満たしています」

 オルダイカは盃を傾けた。

「だがおかしなことを言い出したのは、他にもいるな」

「ギーニ様ですね。日本との講和を急に言い出しましたな」

 エルチルゴの顔に不快感が浮かぶ。彼がいるカルスライン社のライバル社の、ド・デカテオン社と癒着している議員だ。

「講和の相手は違うが、二人とも日本を意識している。二人が水面下で繋がっている可能性はないのか?」

「まさか……とは思いますが、調べてみます」

「ウム、頼んだぞ」

「お任せください」

 

 シエリアはルーンポリスの神聖ミリシアル帝国外務省を、極秘に訪問していた。

「久しぶりですな、シエリア殿」

 異例なことに、外務省統括官のリアージュが応対する。シエリアが課長なのに対し、リアージュは部長より上のポストなのだ。

「先進11ヵ国会議のときと比べると、ずいぶん様変わりしましたな」

「貴国にとっても悪い話ではない筈だ」

「ええ、先進11ヵ国会議のときよりはマシな要求です」

「要求ではない、提案だ。帝王陛下は現実主義者だ。利害が一致すると思えば、敵と一時合意することもある。貴国は喪失した戦力の立て直しに、時間が必要だろう?」

 リアージュは肯定も否定もせず、シエリアに問い返した。

「そちらには、なぜ時間が必要なのですか?」

「答える義務はない。だが、そちらが想像するのを止めはしない」

 リアージュを始め、ミリシアル外務省は、グラ・バルカスの意図を幾つか推測していた。最も有力なものは、第二文明圏への本格侵攻の間、神聖ミリシアル帝国の干渉を排除する狙いがある、という説だった。

 だが第二文明圏を見捨てることは、神聖ミリシアル帝国が序列第一位の席を放り出したと受け取られかねない。しかしシエリアの言う通り、戦力を立て直さなければ、第二文明圏どころか中央世界の防衛もままならない状況なのだ。

 このときリアージュは、ミリシアル8世が〈パル・キマイラ〉を投入する覚悟を決めたことを、まだ知らされていなかった。知らされていれば、もう少し強気に出られただろう。

「海を支配するものは、世界を支配する。現在、第二文明圏のみならず、中央世界の海も、我が国が支配している。第三文明圏もいずれそうなるだろう」

 リアージュは、何も言い返せなかった。

「仮に休戦で合意できたとして、その後貴国は何を望むのですか?」

「もちろん講和だ」

「講和、ですと?」

「その通りだ。何かおかしいか?」

「いえ。やはり先進11ヵ国会議のときから比べると、ずいぶん変わったと思いましてな」

「状況は常に変わる。臨機応変な対応だ。おかしいとは思わないがな」

 だがリアージュは違和感が拭えなかった。

「講和の条件を話すのは、いささか早過ぎますかな?」

「貴国が捕えた捕虜の解放、鹵獲した空母二隻の返還、第二文明圏における我が国の既得権益の承認、ムー及び日本との国交断絶、そして日本の船舶の領海通過の禁止。この五つは最低条件だ。他にも要望はあるが、交渉に応じる用意はある」

 あまりにもシエリアがはっきり言ったので、リアージュは内心で驚いていた。

「第二文明圏を侵略した結果を認めろと?」

「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。進出だ」

 その後、4時間近くに渡って、両者の交渉は続いた。

 

 その翌週、朝田はルーンポリスにいた。

 朝田はムーの日本大使館にいて、グラ・バルカス帝国との交渉にあたっていたが、シエリアの足がすっかり遠のいたので、神聖ミリシアル帝国との交渉を担当することになった。

(また何で俺ばかり難しい案件をやらされるんだ)

 朝田は内心で愚痴ったが、同期の外交官から見れば、エースとして重宝され、出世街道をまっしぐらに走っているようにしか見えなかった。

 朝田はルーンポリスの日本大使館で、駐在の加山大使と打ち合わせをする。

「グラ・バルカスがミリシアルと極秘に会合をしているという情報は確かなんですか?」

 朝田は加山大使に確認を取った。

「ええ、うちの職員が()()()()撮影した写真があるんです」

 加山は一葉の写真を朝田に見せた。数人の男に取り囲まれた女性が、ミリシアルの外務省に入っていく写真だ。

「……間違いない。シエリア外交官だ」

「現状況下で両者が直接接触しているということは……」

「休戦か停戦、ひょっとしたら講和ですか」

「それ以外、考えられないでしょう」

 朝田は腕組みをして考える。

「しかし世界最強を自他ともに認めるミリシアルが、負けた状態で、停戦や講和に応じるとは思えませんが」

「それだけフォーク・ショックは大きかった、というわけです。海軍戦力の過半数を一方的に失ったんですよ」

 加山大使に言われても、朝田は納得できなかった。

「過半数と言いますが、その全てが撃沈されたわけではないでしょう?」

「ミリシアル政府は数字を公表していないので推定値になりますが、完全喪失は艦艇の3割です。修理が必要なものが同じく3割、残りの4割は無傷か、修理が不要な軽度の損傷だと考えられます」

「それなら1個半以上の艦隊が残った計算になりませんか?」

「艦の数だけ見ればそうですが、実際には艦隊の再編成が終わるまで、相当な時間がかかるでしょう。それに乗組員の損害が馬鹿にならない。軍艦乗りは専門職の技術者集団です。養成には相当な時間がかかる。向こう1年間は、ミリシアルが動員できるのは残った3個艦隊のみになると推定されます」

「……しかも、その3個艦隊も、潜水艦が怖くて運用できない?」

「その通りです。ミリシアル海軍は、外洋海軍(ブルー・ネイビー)から沿岸海軍(ブラウン・ネイビー)に転落したと考えていいでしょう」

「ミリシアルは海外派兵能力(パワー・プロジェクション)を失ったわけですね」

 ここまで整理して、朝田はようやく疑問点が明確になった。

「わからない」

 加山は不思議に思って、朝田に訊いた。

「何がです?」

「この交渉でグラ・バルカスが得るもの、です。どう考えても、グラ・バルカスにメリットがあるとは思えない。ミリシアルが海外派兵ができなくなったのなら、ミリシアルを無視して、これまで通り第二文明圏で勢力拡大を図ればいいはずだ。なぜグラ・バルカスは、ミリシアルと交渉しているんです?」

「戦後処理を睨んでいるんでしょう。中央世界と第二文明圏の間に、新たな国境線を引く相談でもしているんじゃないですか」

「それは……グラ・バルカスの実効支配を認めるということですね?」

「ミリシアルには、それしか選択肢がないでしょう。だからグラ・バルカスが、それを早目に迫っているわけです。ミリシアルが和を請うたら、中央世界の他の国もそれに従うでしょう。ムーを中心とした第二文明圏の結束にも、楔を打ち込めます。もしミリシアルが局外中立を宣言して、海上交通を遮断したら、我が国とムーの物流は絶たれてしまいます。第二文明圏は確実にグラ・バルカスの手に落ちます」

「……なるほど」

 朝田は加山に矢継ぎ早に指摘されて、事態を頭の中で整理することにした。神聖ミリシアル帝国に駐在大使として赴任していただけあって、加山の指摘は鋭かった。自分はムーにいたが、常に日本の立場から物事を俯瞰していたことに気づかされた。そこで朝田は、グラ・バルカス帝国の立場から、物事を俯瞰しようとした。

「……なんてこった!」

「どうしたんです?」

 物覚えの悪い若造だと加山は思ったが、そんなことは態度には出さなかった。

「日本がムーを防波堤にしようとしたように、グラ・バルカスは、中央世界を日本に対する防波堤にしようとしているんだ!」

 この男はいささか自意識が過剰ではないか、加山はそう思った。

「ミリシアルを中立にさせてはいけない! こちら側に繋ぎとめておかなければ!」

「その通りですが、どうやって?」

「技術流出防止法の緩和しかない。対潜兵器をミリシアルに提供するんです」

 加山は、やれやれと思った。

「それは現場の判断ではできませんよ」

「自分が本国を説得します。通信室を貸してください」

 そう簡単に説得できるものか、加山はそう思ったが、朝田の要望に応えた。その一方で、朝田の情熱を羨ましくも思っていた。


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