新アルタラス王国海軍巡視船タルコス号は、アルタラス島北側をパトロールしていた。
ただロデニウス大陸と違って、軍から給与を払ってもらえなくなった軍艦乗りが海賊に身を
パーパルディア皇国に占領されたとき、アルタラス王国軍は壊滅した。アルタラスは再独立を果たしたものの、国はまだ再建の途上である。海賊を取り締まろうにも、海軍には船がない。
戦争中は海上自衛隊が警察活動を担ってくれた。終戦直後は海上保安庁の巡視船が肩代わりをしてくれた。だが主権国家を名乗る以上、自国の治安維持活動を他国に任せ続けるわけにはいかない。
ルミエス女王が海軍再建を政府に指示したときのことだ。
「陛下、日本が全てタダでやってくれるのです。なぜ我々が汗水垂らして、危険を冒して海賊と戦わねばならんのです?」
こう発言した貴族がいた。
このときルミエス女王は前代未聞の行動に出た。女王は玉座から立ち上がると、その貴族の前へ行き、スカートの裾が捲れるのも構わず、貴族に強烈な前蹴りを喰らわせたのだ。
鼻血を垂らして尻餅をつき、呆然としている貴族を見下ろして、女王はこう言い放った。
「アルタラスの民は寄生虫ではない!」
政府内のアクシデントにもかかわらず、このエピソードはたちまち巷に広まった。そして国民にウケた。
女王が貴族の顔をした寄生虫を蹴飛ばす風刺画が流行り、面子が潰れた貴族はこれがきっかけとなって没落した。後のアルタラスの歴史書には、ルミエス女王の気高さを表すエピソードとして必ず載るようになった。
日本に亡命していたルミエス王女(当時)は、日本の社会制度について学んだ。そして日本が旧世界で有数の援助大国だったことを知った。
なぜ日本はそんなに援助をしたがるのか? 助けてもらった身で不謹慎だとは思ったが、ルミエス王女はその疑問を解かずにはいられなかった。そして日本の援助のポリシーが『自立支援』であることを知った。
ここから先は日本人に訊いた方が早いと思ったが、外務省の職員に訊いたら建前の返事しか聞けそうにない気がしたので、クワ・トイネの留学生の友人に、日本人の友人を紹介してもらった。
「友達づくりかな」
日本人女子大生の返事は、ルミエス王女の想像を越えていた。
「友達?」
「うん。主従関係じゃない、お友達」
「日本て、前の世界では列強じゃなかったの?」
訊かれた方は困ったような顔をした。
「うーん、経済力は第三位、軍事力も……五位以内には入っていたような気がする。でも列強じゃないと思う」
訊いたルミエス王女の方も困った。順位で判断すれば、列強以外の何者でもない。
「日本人は祖国を誇りに思わないの? 大国であることを自慢しないの?」
日本人女子大生の顔にも「理解できない」というメッセージが浮かんだ。
「それはまあ……一応、郷土愛? みたいなものはあるわよ。でもそれって、国の大小に関係ないでしょう」
これはルミエス王女の方が一本取られた。
「まして自分の国は大国だから威張るなんて、カッコ悪いじゃない」
どこがカッコ悪いのか、ルミエス王女には分からなかった。
(新世界の)外国人のこういう反応には慣れているのか、日本人は一つのエピソードを話してくれた。
日本が転移する数年前、日本で大規模な災害が起きた。この災害で2万人近い死者・行方不明者が出た。
このとき世界中の国が、日本を支援してくれた。義援金や救援物資、救助隊を日本に送ってくれたのだ。もちろん国の規模によって大小の違いはあったが。
これもルミエス王女には信じられない話だった。例えて言うなら、神聖ミリシアル帝国で災害が起きたとき、アルタラスのような文明圏外国家が支援するようなものだ。この世界だったら笑い話にしかならない。
「困っているときに助けてくれるのが、本当の友達じゃない」
この言葉を聞いたとき、ルミエス王女は一つの理解に至った。『力に頼らない世界秩序』、それが日本の目標ではないか。
海を挟んだ隣国のパーパルディア皇国の恐怖支配を見続けてきたルミエス王女には、この日本の理想は眩しく映った。
もし〈しきしま〉に救助されなかったら、ルミエス王女は毒矢で落命していただろう。命ばかりか祖国まで救ってもらったルミエス女王の日本観に
日本を利用することしか考えなかった貴族の態度が女王の逆鱗に触れたのは当然の帰結である。新政府には同じ地雷を踏むような間抜けはいなかった。海軍再建案は速やかに検討された。
しかし出てきた再建案は女王を失望させるのに十分なものだった。日本で廃船になった軍艦をタダで譲ってもらうという安直なものだったのだ。
当時のアルタラス人は機械文明を理解していなかった。日本の軍艦も魔導で動いており、ちょっと努力すれば自分たちにも扱えるに違いない。そう考えたのだ。
これには女王も頭を抱えた。彼らが間違っていることは自分には分かる。それは日本で生活していたからだ。その体験がなければ、自分も同じ間違いを犯すことは容易に想像できた。
それゆえ彼らを一方的に叱ることはできない。しかし彼らの誤解を解くことも容易ではない。彼らを日本に派遣するのが一番手っとり早いが、船出したばかりの新アルタラス王国にはそのような余裕はない。
日本に滞在していたときは考えたこともなかった(というより考える余裕がなかった)が、日本の生活費はとてつもなく高いのだ。亡命中はおんぶに抱っこが許されたが、独立した後はそうはいかない。あの貴族を寄生虫呼ばわりしたのは何だったのか、という話になってしまう。
ここでルミエス女王は逆転の妙案を編み出した。日本へ行くのが無理なら、日本に来てもらえばいい。そう考えたのだ。具体的には日本政府に公船をアルタラスに派遣してもらい、政府や軍の幹部にそれを見学させるのだ。自分が初めて〈しきしま〉に乗船したときの体験、あれなら彼らの誤解を解くこともできるはずだ。
しかしこれはアルタラス側の一方的な都合だ。日本に頼むのは、やはり虫が良すぎる。苦しい事情を日本に説明して理解を得る必要があるが、日本側にもメリットがある提案にしなければならない。
後日、新アルタラス王国から日本政府に招待状が届いた。ルミエス王女(当時)を救助した巡視船〈しきしま〉の乗組員に感謝の意を表すため、新アルタラス王国は乗組員の代表の瀬戸船長に勲章を贈ることを決定した。ついては授章式典を開催するので、〈しきしま〉の乗組員一同を招待する、という内容だった。
これが日本国内で報道されると、日本国民には好感をもって受け止められた。〈しきしま〉の乗組員たちも喜んだ。日本のマスコミもアルタラスにやってきて、式典の様子を詳しく取材した。
ただし受章者本人の瀬戸は、緊張で全く式典を楽しめなかった。海上保安官である瀬戸は、外国人と接する機会が多い。だが彼の相手は良くて堅気の船員、悪ければ海賊である。王族は完全に彼の守備範囲外である。王女と知らなかったときは冷静に対処できたが、女王と分かって接するのは気苦労の連続だった。
ルミエス女王はこのときも幸運に恵まれた。窮状を知った日本の外務省がクワ・トイネ公国に話をつけて、クワ・トイネ公国の沿岸警備隊で使っていた中古の巡視船を新アルタラス王国に売ってくれることになったのだ。しかも代金は日本政府が立て替えてくれるという。日本政府が新アルタラス王国に代金を貸す(立て替える)条件は、金利なし・返済期限なしというものだった。アルタラス国民はこれは事実上のプレゼントで、返す必要がない金だと思った。だがルミエス女王は財政に余裕ができたら返すつもりでいた。もっとも借りる前にそれを言うと不要な波風が立つので黙っていた。
この話はとんとん拍子に進み、間もなく最初の巡視船12隻がクワ・トイネからアルタラスに回航されてきた。このときクワ・トイネで保管されていた偽装商船タルコス号もアルタラスに回航された。タルコス号は旧アルタラス王国の資産であり、新アルタラス王国が所有権を引き継ぐことに問題はなかった。こうしてタルコス号は偽装商船から海軍の公船になった。最大の変化は、マストに常に海軍旗を掲げるようになったことだった。
もうひとつ変化があった。船首に据えつけられた12.7ミリ重機関銃である。こちらはタルコス号らが回航されたとき、日本政府が金銭的対価なしで譲渡したものである。その代わり銃と弾薬には厳重な管理が求められた。不心得者が巡視船から取り外して、第三国に売ったりしたら困る。アルタラスでは銃も銃弾もコピー生産できないから、日本は譲渡できたのだ。仮に相手がリーム王国だったら、日本は譲渡も輸出もしなかっただろう。
こうして巡視船に生まれ変わったタルコス号は、先進11ヵ国会議三日目の早朝も、哨戒任務に就いていた。
タルコス号の船長は銃と一緒に日本からプレゼントされた(アルタラスでは)高性能の双眼鏡を首からぶら下げて、水平線に異状がないか確認していた。彼は視力には自信があった。双眼鏡では視界が狭くなる。双眼鏡を使うのは異状を発見してからだった。その彼が双眼鏡を手に取る。北の水平線上に、艦影らしきものを認めたのだ。
「かなりデカイぞ。あの
第三文明圏とその周辺で竜母を保有している国は一つしかない。船長は緊張しつつ、更に観察する。
「ずいぶん船首が突き出て……〈ヴェロニア〉だ!」
彼は振り向いて部下に命じた。
「魔信で海軍ほ……」
船長の声は轟音でかき消された。
タルコス号の乗組員たちは、空を見上げた。蒼穹の中を日本から飛来した大型機が、ルバイル空港への
(夕べから急に数が増えたな。しかし変わった飛行機械だ。帽子を被っている)
船長は飛行機に一瞬見とれたが、自分の任務をすぐに思い出した。
「本部に伝えろ。〈ヴェロニア〉が現れた! 今はまだ中間線の向こうだ」
春の後半に差しかかったル・ブリアスは、徐々に晴天率が下がり始めた。高温多湿の海洋性高気圧と低温低湿度の大陸性高気圧の境目──いわゆる梅雨前線──が南から接近するからだ。日本より低緯度のアルタラス島は日本より早く梅雨が訪れ、日本より早く梅雨が明ける。
ル・ブリアスの郊外にある日本大使館で、近衛騎士団長のリルセイドはその肩書に相応しい服装と態度で、高宮駐アルタラス大使との面会を待っていた。
職業上の必要に迫られてリルセイドは今の佇まいを身につけたが、内心では騎士団長は自分には荷が重すぎると思っていた。
周囲から見れば順当な人事だった。だが本人はそう思っていなかった。自分が王女の供を命じられたのは、騎士団の中で一番未熟だったから。王女の命を救ったのは〈しきしま〉の武力、瀬戸の的確な判断、そして日本の高度な医療技術なのだ。自分は王女の周囲を右往左往していたに過ぎない。それがリルセイドの自己評価だった。まだ若いリルセイドは、異国で気丈に振る舞う王女にとって、すぐそばにいる精神的な支えが重要だったことに気づいていなかった。
だから式典のときに再会した瀬戸の妙にこわばった笑顔を見るたびに、リルセイドはトラウマを刺激された。〈しきしま〉が出航して平和な毎日が戻ってくるかと思ったら──どうやら瀬戸を不当に嫌ったせいで天罰が下ったらしい。
「お待たせしました。大使の準備ができました」
日本人職員に告げられて、座って待っていたリルセイドは腰を上げる。アポなしという失礼な訪問にもかかわらず、待たせたことを詫びるかのような職員の態度に、リルセイドは却って気後れする。逆に日本の国力を知らない相手には侮られるリスクがあるが、少なくとも新アルタラス王国では杞憂である。
高宮大使は50代半ばの女性で、一言で形容すれば「上品な貴婦人」という表現がぴったりの人物だ。日本の外務省が、ルミエス女王が相談しやすい相手という基準で選んだ人物だった。
「よくいらしてくださいました。リルセイド騎士団長」
「突然の訪問にもかかわらず、対応していただきありがとうございます」
「そのようなことはお気になさらないでください。少し年寄りの世間話に付き合ってくださいな」
リルセイドは無駄足にならずに済みそうだと思った。高宮大使が「世間話がしたい」と言うときは「非公式な情報交換をする用意がある」ときなのだ。この場で話し合ったということは他者には漏らさない、いわゆるサードパーティールールが適用される。もしこれを破れば、二度と
持って回った言い方が苦手なリルセイドは、ある程度相手の気心が知れていることもあり、単刀直入に切り出す。
「パーパルディア皇国の竜母〈ヴェロニア〉が現れました。まだ中間線を越えてはいませんが」
高宮大使は先を促すように頷く。
「ホットラインで問い合わせたところ、『通常の訓練航海である』と回答が来ました」
日本政府がカイオスに無線機を渡した経験を踏まえ、73ヵ国連合にも
「建前としては、筋が通っていますね」
「ですが、〈ヴェロニア〉はパーパルディアの最後の切り札と呼べるもの。しかも維持にも運用にも、相当な金がかかると聞いています」
パーパルディア皇国軍が日パ戦争で被った損害は甚大だった。最大の損害を出したのは竜騎士だった。かつて竜騎士が乗るワイバーンは文明圏外国家では撃墜は不可能、もし倒せたら自慢できるというほど強かった。ところが今は、飛行機械の射的の的である。もっとも飛行機械を所有しているのは、日本とムーと神聖ミリシアル帝国ぐらいのものであるが。
「彼らはピリピリしていますね。実は日本にも問い合わせがあったのですよ。『ルバイルに爆撃機を集めている真意は何か』と」
リルセイドは日本の返事を訊くのを一瞬ためらった。
「『フィルアデス大陸とその周辺で武力を行使する意志はない』そう答えました。あと『ワイバーンオーバーロードの飛行訓練は、本国で行われることを期待する』と要望を伝えました」
「私に話してよろしかったのですか?」
気前よく教えてくれることに、リルセイドは却って不安なった。
「ええ、この程度なら。本国から指示も出ています」
「日本のお心遣いに感謝します」
リルセイドの言葉には、情報提供だけでなく、〈ヴェロニア〉がオーバーロードの発艦をしづらいようにした牽制への感謝も入っている。
「新アルタラス王国は日本の大切な友好国です。誤解があってはいけませんからお伝えしますが、ルバイル空港に駐機している大型機は爆撃機ではありません」
それでは何のために? リルセイドは疑問に思ったが、それを訊くのは控えた。アルタラスとは関係ないことまで話す義理は日本にはないのだ。
「仕事の話ばかりで疲れたでしょう。少し年寄りの世間話を聞いてくださいな」
リルセイドは期待した。高宮大使はしばしば世間話と称して、重要な情報を匂わせてくれるのだ。それが日本本国の指示なのか、大使個人の考えなのかまでは分からなかったが。
「今、神聖ミリシアル帝国のカルトアルパスで先進11ヵ国会議が開催されているのはご存じでしょう。実は今回から日本も参加しているのですよ」
その程度はリルセイドも知っていた。だがあえて話題にしたということは──
(中央世界で何か重大な事案が発生している? 日本が武力介入を検討しなければならないような何かが!)
今のアルタラスでは知り得ない貴重な情報だった。だからといってアルタラスに何かができるとは思えないが、無知のままでいるよりははるかにマシだ。
「大変興味深いお話でした。これ以上お邪魔をしてはご迷惑でしょう。私は城へ戻らせていただきます」
「そうですか。陛下によろしくお伝えください」
高宮大使は微笑みを浮かべていた。だがその微笑みから何かを読み取ることはできなかった。どんなに温和なお人好しに見えても、彼女も立派な外交官なのだ。