「おそらくあそこが官庁街だろう。あそこで〈ジビル〉を使う」
そう指示するワールマンは、地上で逃げ惑う人々が、自分と対等な存在だということに気づく想像力を持ち合わせていなかった。ただ効率的に指令を実行することしか考えていなかった。
混乱の中、カイザルたち三人は帝都防衛隊指令室に辿り着いた。
「閣下、カイザル閣下とミレケネス閣下をお連れしました」
ランボールが報告する。それで指令室の全員が、カイザルたち三人に振り向いた。ただ一人を除いて、皆が「なぜミレケネスまで?」と思った。
たった一人の例外は、こう言っただけだった。
「ちょうどいい」
そして用件をいきなり切り出した。
「〈リゲル〉をありったけ貸してくれ」
さすがにカイザルにも唐突過ぎる発言だった。陸軍は、雷撃が主任務の〈リゲル〉を配備していない。
「こっちも兵の命を預かってるんだ。『はい、そうですか』と貸せるか! ちゃんと説明しろ」
「空中戦艦を攻撃するのに使う」
「それぐらい言われなくても判る。問題はどうやって攻撃するかだ。水平爆撃では、爆弾を落とす前に落とされるぞ」
「違う」
「急降下爆撃なら無理だぞ。機体がもたん」
「それも違う。急上昇爆撃だ」
その場にいた全員が唖然とした。
ジークスは曳光弾の写真を見せた。
「空中戦艦の真下を通過した弾道だ。最初と最後は放物線を描いているが、途中は直進している」
カイザルはジークスから写真を受け取った。それをミレケネスとランボールが左右から覗き込む。
写真には弾道の上をなぞるように、直線が引いてあった。ジークスが言った通り、曳光弾の弾道は途中は完全に直線と重なっていた。
「何が言いたい?」
カイザルは自分で考えるより、ジークスに訊いた方が早いと思った。今は非常事態なのだ。
「奴の真下では重力が効いていない。無重力になっているんだ」
カイザルは「馬鹿な」と否定したり、「なぜ」と訊きたくなる衝動を抑えた。なぜなのかはジークスにも分からないはずだ。彼は実験と観測によって得られた事実を述べているだけだからだ。
「重力が効いてないから、あの車輪は落ちないってわけ? それで?」
ミレケネスが続きを促した。
「〈リゲル〉で奴の真下に潜り込んで、急上昇して爆弾を投下する。無重力空間に突入すれば、揚力によって自然と機首は上を向く。重力が無いから見かけ上上昇しても、エネルギーは要らない。〈リゲル〉でも垂直上昇が可能だ。上昇に移ったら、前方機銃で弾道を確認し、奴に命中したら爆弾を切り離す。爆弾は慣性で奴に飛んでいくから、〈リゲル〉はそのまま離脱すればいい」
カイザルは一瞬で理解した。ミレケネスは数秒で理解した。だがそこにいた者のほとんどは、なかなか理解できなかった。
「それでも奴が移動していたら、当てるのは至難の業だぞ」
カイザルが疑問点を問う。
「奴は爆弾を投下するとき静止した。そのタイミングを狙う」
「あの車輪が止まらなかったら、どうするの?」
今度はミレケネスが訊いた。
「止まるまで、低空飛行で追い続ける」
「それでも止まらなかったら?」
「奴に爆弾投下を諦めさせたら、それだけで帝都防衛は成功する」
そうなのだ。純粋に防衛だけを考えれば、〈パル・キマイラ〉を撃墜する必要はない。〈ジビル〉を投下させなければ、成功なのだ。
「なぜ〈リゲル〉でなきゃ駄目なんだ?」
カイザルは推察していたが、確認のためジークスに訊いた。
「〈シリウス〉は駄目だ。急降下爆撃に慣れたパイロットは、無意識のうちに放物線を想定して、照準を修正してしまう。〈リゲル〉なら800キロ爆弾を搭載できるし、巡航速度でも奴に追いつける。〈ベガ〉では図体がデカすぎで、奴の機動に追従できない」
ジークスの答えは、カイザルの予想通りだった。
「いいわ。監察軍の〈リゲル〉航空隊の指揮権を、ジークス、アンタに預けるわ」
カイザルより先に、ミレケネスが答えた。そりゃないだろうと思いつつ、カイザルも答える。
「本国艦隊の〈リゲル〉を用意しよう」
そのとき二度目の衝撃が、一同を建物ごと襲った。
「今度はどこだ?」
ジークスが吠える。少し経ってから、電話で各所と連絡を取っていた兵が答えた。
「中央官庁区画です!」
政府の中枢が吹き飛んだのだ。ショックに襲われた者も少なからずいた。陸軍省と海軍省もかつてはそこにあったが、機密保全のために移転した経緯があった。
だが帝国三将は微塵も揺るがない。
「次はここか? それとも皇城か? 急がないといけないな」
カイザルは敢えて不吉な言葉を口にした。それはカイザルの危機感の表れだった。
「できれば国会議事堂にして欲しいわ」
ミレケネスのセリフは、単に不謹慎なだけだった。
それが二人の別れの挨拶だった。二人は約束を果たすため、各々の職場へと駆け出していた。
二人の予想(?)は外れた。〈パル・キマイラ〉は郊外の工場地帯の爆撃を始めたのだ。もちろんそれはそれで深刻なのだが、貴重な時間が稼げた。
監察軍〈リゲル〉飛行隊のコリスドールは、海軍本国艦隊の〈リゲル〉より一足早く空へ上がった。あまりにも異色な命令なので、半信半疑で帝都防衛隊と連絡を取る。すると先導の〈アンタレス二型〉がすぐに飛んできた。
『こちら帝都防衛隊のカニンガムだ』
「監察軍のコリスドールだ。天国か地獄か知らんが、道案内を頼む」
『どっちへ行くかは、アンタの腕次第だ』
三度目の閃光と爆炎が、工業地帯で上がった。
『くそっ、やりやがった!』
カニンガムが罵声をあげた。もっとも罵声をあげたのは、カニンガムだけではなかった。
炎上する工場群を、ワールマンは見下ろしていた。
「思ったほど延焼しないな」
そして無自覚に、運命を分ける選択をした。
「工業地帯にもうひとつ落としておこう」
ワールマンの決定に従い、〈パル・キマイラ〉1号機は移動を開始した。
『こちら防衛隊指令室、空中戦艦の最新の位置を伝える』
地上から情報が伝えられる。それに従いコリスドール隊が針路を決め、カニンガム隊がそれに追従する。
(地上だが)カニンガムは本物の雷撃を見て、肝を冷やす。
(海軍の方が(パイロットの)練度が高いって噂、全く根拠がないわけでもないんだな)
『爆撃手順を確認する』
カニンガムが驚いていると、コリスドールが編隊機に通信を開始した。
『まず目標の真下に潜り込む。すると重力がなくなって、機首が自然と上を向く。目標が正面に来たら、前方機銃で弾道を確認する。機銃弾が目標に当たったら、爆弾を切り離す。後は操縦桿を引いて離脱する。重力が戻ったときは背面飛行になっているので、機体をロールさせてインメルマンターンを完成させる。そのまま全速力でトンズラだ。ここまではいいか?』
『『『了解』』』
『目標の高度は200メートル、〈リゲル〉の巡航速度だと3秒足らずで到達する。機首が上がり始めてから2秒以内で照準を付けて、爆弾を切り離せ。もたもたしていると、爆弾を抱えて目標に体当たりすることになるぞ』
これはもはやアクロバット、いやスタントだ。カニンガムは〈リゲル〉乗りを見直した。
不意に通信が入った。
『こちらは海軍本国艦隊航空隊。一番槍は譲るが二番槍をやらせてもらう。外してもいいから安心されたし』
『そっちこそ、出番が無くてもほえ面をかくなよ』
縄張り争いをしているのは陸軍と海軍だけではない。監察軍も海軍とやっているのか。なぜかカニンガムは微笑ましくなった。
〈パル・キマイラ〉は工場地帯上空を移動していた。
「ここでいいだろう。停止せよ」
ワールマンの命令で、〈パル・キマイラ〉は停止した。
「〈ジビル〉を使用せよ」
再び〈パル・キマイラ〉が「ゴウン……ゴウン……」と唸りだす。そこへレーダー担当が報告を上げた。
「レーダーに新たな感。敵航空機多数が地上を這うように向かってきます。速度およそ140ノット」
ワールマンは逡巡した。〈ジビル〉の投下を中止して迎撃するか。それともこのまま〈ジビル〉を投下するか。
「このまま〈ジビル〉を投下せよ」
それがワールマンが出した結論だった。これまで自分より高度が低い航空機は無視したが、害はなかった。むしろ地上すれすれを飛んでいるのなら、〈ジビル〉で一掃できる。それなら貴重な液体魔石を消費して15センチ砲を撃たずにすむ。それが彼の考えだった。
もちろんこれは希望的観測*1であり、本職の軍人なら絶対にしない選択肢だった。
飛行隊の先頭を飛んでいたコリスドールは、〈パル・キマイラ〉中央部の艦底の一部が開こうとしているのを目撃した。明らかに爆弾を落とすつもりだ。
「間に合え!」
コリスドールは無意識のうちに叫んでいた。
他の戦術機と較べると鈍足な〈リゲル〉が、ますます鈍足に思える。だが接近するにつれ、〈パル・キマイラ〉がどんどん大きくなる。かつて見たどんな敵艦よりも遥かに大きい。こんな大きなものに立ち向かえるのか? そんな不安が大きくなるが、必死に抑え込む。
眼前の景色が変わった。街のスカイラインが下へ下がっていく。何もしていないのに機首が上がっているのだ。コリスドールは軽めに操縦桿を引いて、〈パル・キマイラ〉を正面に持ってくる。そうしたら操縦桿を逆に押し込んで、その状態をキープする。
〈パル・キマイラ〉はぐんぐんと大きくなる。逃げ出したくなる衝動を抑えて、前方機銃を撃つ。〈パル・キマイラ〉の青く強く光っているベールが、僅かに波立つ。
「投下、今!」
コリスドールが命じると、後席にいる同僚が800キロ爆弾を切り離した。その音を確認したコリスドールは、思いっ切り操縦桿を引き、スロットルを全開にした。エンジンと機体が悲鳴を上げる。なんとか耐えてくれと祈る。
不意に頭に血が昇る感覚を覚えた。重力が戻ったのだ。慌てて操縦桿を戻して、水平飛行をする。それから機体を回転させて背面飛行から通常飛行に戻す。
〈リゲル〉で戦闘機並みの機動をこなしたコリスドールは、ようやく後ろを振り返った。
カニンガムは一部始終を見守っていた。コリスドール隊6機は〈パル・キマイラ〉の真下で垂直上昇して、爆弾を投下した。爆弾は垂直に昇って行ったが、4発は外れた。だがコリスドール機が放ったそれを含む2発が、〈パル・キマイラ〉中央部に命中した。
〈パル・キマイラ〉は大爆発を起こした。800キロ爆弾のうち1発が、〈ジビル〉の爆弾倉に突入して、内部で爆発したのだ。残っていた3発全ての〈ジビル〉が誘爆を起こした。さらに液体魔石にも誘爆し、〈パル・キマイラ〉1号機は内側から破裂した。
カニンガムは爆風に翻弄されそうになりながらも、なんとか機体を制御しきった。爆風が収まったところで周囲を見回したが、爆煙がひどくてよく見えない。
「こちらカニンガム、コリスドール隊、応答せよ」
カニンガムは無線で呼びかけてみたが、応答がない。
「こちらカニンガム、コリスドール隊、応答せよ」
これは全滅したか、と思ったときだった。
『……ちらコリスドール。カニンガム、聞こえるか?』
カニンガムはプレストークボタンを押した。
「聞こえるぞ。どこだ?」
『たぶん貴様の右下だ』
カニンガムは機体を軽く右にバンクさせて、下を見る。ボロボロになった〈リゲル〉が飛んでいた。
『他の機からの応答は?』
「まだない」
『そうか』
なんとも言えない間ができた。
『こっちは見ての通りだ。あまり長く飛べそうもない。帝都防衛隊の航空基地に、緊急着陸を要請する』
『こちらは帝都防衛隊航空団司令だ。貴機を喜んで歓迎する。カニンガム、ちゃんとエスコートせよ』
「了解」
カニンガム機の先導で、コリスドール機は帝都防衛隊の航空基地に着陸した。