ドイバ基地上空では制空戦闘機同士による
『くそっ、後ろを取られた!』
相棒の悲鳴が無線で響く。ケーニッヒは努めて冷静に応えた。
「右へ回避しろ」
〈アンタレス〉の機体が右へ傾くと、それまで〈アンタレス〉がいた空間に光る魔光弾が刺さった。今度はケーニッヒがトリガーを絞る。20mm機関砲弾が〈エルペシオ3’〉に刺さる。〈エルペシオ3’〉はカラフルな煙を吐きながら地上へ墜ちていった。
ケーニッヒは機体の異常に気付いた。
「20mmが弾切れだ。空母に帰投する」
『了解』
2機は編隊を組んだ。
「送り狼には気をつけろ」
『分かって……うわっ!』
ケーニッヒが僚機の方を振り返ると、火だるまになって墜ちる僚機の姿が見えた。ケーニッヒは本能的に〈アンタレス〉を左上昇旋回させた。この機動を選んだのに理由はない。ただ現状維持が危険だと感じたからだ。その戦闘勘の正しさを証明するように、機体を光弾がかすめる。
(下からか)
光弾の軌道から敵機の位置を推定したケーニッヒは、右下から上昇してくる〈エルペシオ3’〉を発見した。初撃を躱されたのが相当悔しかったらしい。〈エルペシオ3’〉は離脱せず、執拗にケーニッヒの〈アンタレス〉を追いかけてくる。
(行けるか?)
ケーニッヒは操縦桿を微妙に引き、左捻り込みを仕掛ける。左旋回しながら機体が減速する。このままだと機体がエネルギーを失って不利になるが、舵を使って高度を維持し、エネルギーロスを最小限にとどめた。
想定外の減速についていけない〈エルペシオ3’〉はたまらずオーバーシュートして、〈アンタレス〉の前に飛び出した。〈エルペシオ3’〉は下降に転じて〈アンタレス〉を引き離そうとしたが、〈アンタレス〉が放った機関砲弾の方が一瞬速かった。十数発の砲弾が〈エルペシオ3’〉の尾翼に穴を空けたが、〈エルペシオ3’〉はそのまま飛び去った。
(7.7mmじゃ決めきれないか)
ケーニッヒは深追いせず、〈アンタレス〉の針路を戻した。
タウラスは臍を噛んでいた。仕留めたと思った敵に躱されて、熱くなって追いかけたらまんまと返り討ちにされた。機尾に被弾したのは衝撃で分かった。今のところ方向舵も昇降舵も効いているが、明らかに感触がおかしい。口惜しいが母艦に帰って修理するしかない。
タウラスが戦域を離脱して空母に帰投しようとしたとき、魔信が救助要請を拾った。
『……ら42飛行隊、敵戦闘機2機に追われている。付近の友軍戦闘機、支援を求む!』
タウラスの視界に〈ジグラント2〉の編隊と、これを追い回す2機の〈アンタレス〉が映った。
タウラスは一瞬逡巡する。自機の状態を考慮すれば、第42飛行隊を見捨てて帰投しても、自分に不利益はないだろう。だがタウラスは魔信に手を伸ばした。
「42飛行隊、こちらジャムリーダー、支援する」
第42飛行隊はシースキミングで飛んでいた。これは敵に発見される確率を低くするためと、誤爆を防ぐには低高度の水平爆撃をしなければならないためであった。だが運悪く2機の〈アンタレス〉に見つかってしまった。すでに編隊は8機のうち2機を失っている。だが戦場を離脱すれば最初からやり直しになる。ウィアットはギリギリまで粘るつもりでいたが、3機目が失われたら離脱するつもりでいた。
『42飛行隊、こちらジャムリーダー、支援する』
魔信から声がした。待望の支援だ。尻についていた〈アンタレス〉2機が火だるまになる。ウィアットは魔信に手を伸ばした。
「42飛行隊から上陸部隊へ。爆撃で地雷原に突破口を作る。頭を低くして待っていてくれ」
6機の〈ジグラント2〉は予告通り超低空飛行で海上から海岸へ進入した。敵橋頭堡の対空射撃を掻い潜り、爆弾を投下した。爆弾を投下後、離脱のために高度を上げたところ、運悪く1機が対空砲火を被弾し墜落した。生き残った5機の編隊をまとめ、ウィアットは母艦を目指した。
「こちら42飛行隊。地雷原への爆撃終了。これより帰投する」
『42飛行隊、地雷は除去できたのか?』
「俺に判るわけないだろ! 上陸部隊に訊け!」
ウィアットは乱暴に魔信を切った。
(二度と敵制空権下で爆撃なんかするもんか!)
一度の急降下で2機の〈アンタレス〉を屠ったタウラスだったが、機首を引き起こそうと操縦桿を引いて、顔色が青くなった。昇降舵が効かなくなっていたのだ。
(着水するしかないか)
タウラスはエンジン出力をカットすると、フラップを下げて揚力を最大にした。〈エルペシオ3’〉はゆっくりと水平飛行に移る。そのままグライダーのように滑空して、海面に無事に着水した。
タウラスは魔信と同じ原理のビーコンを持って、コクピットから脱出した。救助を求めるためにビーコンをオンにしようとして、初めて躊躇した。今日は夜明け前から出撃したのでクタクタの状態だが、まだ昼前だ。すぐに母艦に戻ったら、また出撃させられかねない。だがビーコンを出すのが遅れれば、生存確率が下がってしまう。タウラスは諦めてビーコンをオンにすると、せめて救助が来るまではのんびりしようと心に決めた。
〈ジグラント2〉の爆撃で目の前の土地が耕された魔導兵たちは、勇敢に爆撃跡を前進した。途中で2両が除去できなかった対戦車地雷に足を吹き飛ばされたが、上陸部隊の士気は揺るがなかった。1両が地雷原を突破したら、形勢は完全に変わった。魔導兵は人間を想定した障害物をやすやすと突破し、グラ・バルカス兵が立て籠もる塹壕に辿り着いた。塹壕をまたぐと、20mmを容赦なく塹壕にぶっ放して、人肉のミンチを量産した。次々と地雷原を突破した魔導兵が、掃討というより虐殺に近い行為に加わった。最後に地雷原を渡った歩兵が塹壕の中に入り、最後の仕上げをした。
こうして夜明け前から始まった上陸作戦は、昼過ぎに海岸の橋頭堡を確保することに成功した。
夜戦のために編成されたグラ・バルカス海軍砲戦部隊は、夜が明けても解散されず、引き続き独立部隊として活動していた。現在はドイバ沖に停泊していると思われる敵艦隊に殴り込みをかけるために東進していた。
「分艦隊司令、艦隊司令部から入電です」
通信士がメモを司令官に渡した。メモを見た司令官は、眉をしかめた。
「撤退命令が出た。針路反転だ」
ヘルクレス級戦艦の艦橋にいた全員が司令官を見た。
「海岸の橋頭堡は敵に占領された。我々は間に合わなかったということだ」
艦橋に沈黙が広がる。
「我々の攻撃は陸軍と連携を取って行うことになる。今はその時ではない」
戦艦3隻を主力とする艦隊は、西へと引き返していった。
上陸作戦は一応の成功を収めた。だが
「死傷率が3割だと!」
ダグラスは部下から上がった報告に眩暈を覚えた。魔法による治療を施しても、3割の兵士が死亡するか戦闘不能状態に陥った。これは到底許容できない損害だった。このような戦闘を続けていたら、基地全体を占領する前に上陸部隊は部隊消失してしまう。グラ・バルカス側の死傷率が9割を越えていたことは、なんの慰めにもならない。
融和主義に転じてから、神聖ミリシアル帝国は大規模な戦闘を経験していない。現代戦における敵前上陸作戦の苛烈さを、本作戦で初めて知ったのだ。足りない戦力はどこからか工面するしかない。ダグラスは気が進まなかったが、第4魔導艦隊に同行していたルーンズヴァレッタ魔導学院の実験部隊に実戦参加を要請した。
ルーンズヴァレッタ魔導学院は、天の浮舟の開発を担当している学院である。新型魔光呪発式空気圧縮放射エンジンの評価・整備・修理のサポートをするため、学院のメンバーが第4魔導艦隊に同行していた。だが同行していたのは整備要員だけではなかった。新型魔導兵の実験部隊も参加していた。学院側がメンバーを派遣する交換条件として軍に認めさせたのだ。いわば学院による売り込みである。戦力が未知数なうえ、部隊内の不和の原因になりかねないものを参加させたくはなかったが、もはや贅沢を言っている場合ではない。
一方ではダグラスの苦労を知らず、無邪気に喜ぶ人々もいた。
「殿下、ついにミリシアル軍が祖国に上陸しました!」
「ビーリー卿、長かった放浪もようやく終わるのだな」
だがエイテス王子とビーリー卿の悲願は、そう簡単に実現するわけではなかった。