神聖ミリシアル帝国 ルーンポリス ルーンポリス魔導学院
「名案だと思ったんですがね」
初対面の男はぼやいていた。
魔導学院に日本語を教えるため講師として招かれていた笹島は、突然の呼び出しを受けて入った部屋で、大勢の面識のない人間たちの群れにいきなり放り込まれた。
笹島は理学博士の博士号を持っていたが、いわゆるオーバードクターで、予備校講師のアルバイトで食いつなぐ生活をしていた。日本では少子化のあおりを受けて、大学教員の職にありつくのが難しくなっていた。しかも多くの大学では縁故採用がまかり通っている。よほどの業績を挙げない限り、実力で職を得るのは難しい。
日本が転移し新たな外国と国交を結び始めると、少子化に悩んでいた日本の大学は留学生の受け入れを始めた。そのおかげで笹島も一時は母校で職につけたが、人間関係が原因で長続きしなかった。
だが転移による再就職のチャンスは日本の大学以外にもあった。外国の大学、いわゆるお雇い外国人である。笹島はそれも検討したが、求人は工学系が多く、理学博士の笹島は微妙にミスマッチした。また笹島自身も外国、しかも(日本人から見て)発展途上国での生活には不安があった。
そのようなときに見つけたのがルーンポリス魔導学院の求人だった。だがその求人はかなり異色なものだった。応募資格は理学または工学の博士号の持ち主だったが、教える内容は日本語だったのだ。しかも待遇は教授や客員教授ではなく講師である。笹島がこの募集内容について問い合わせてみたところ(窓口は開設されたばかりのミリシアル大使館だった)、「文学や言語学の博士号の持ち主を募集していないのだから教授の地位は与えられない」という返事が返ってきた。回答だけを聞けば一応筋が通っているように見えるが、そもそもそんなミスマッチな条件を提示している方がおかしい。その求人を見た人間の多くは、本当は教員ではなく翻訳家が欲しいのではないかと察した。それなら翻訳のプロや業者に頼めばよさそうなものだが、それをしないというのは大っぴらには頼めないような怪しい文書を扱うか、なるべく安く上げたいということなのだろう。求人を見た多くの人間にそう思われたので、その求人は応募者がなく長らくそのままにされていた。
このいかにも怪しげな求人に笹島が応じる気になったのは、経済的な理由が最も大きかった。赴任先が新世界での最強の先進国というのも、心理的なハードルを下げる要因にはなった。
実際に来てみると、日本語の講師というのは嘘ではなかった。教える学生の数は多くはなかったが、相談をされることは多かった。そんなときに学生が持ち込む文献は理学や工学系の日本語の文献が圧倒的に多く、その内容を説明させられることも多かった。いわば翻訳の仕事が半分を占めている状態だった。全般的に見れば、あの求人はグレーだがぎりぎり黒ではない、という状況だった。
また魔導学院に来たことで、あのような不自然な求人になった魔導学院側の事情も見えてきた。魔導学院では理学は魔法に関わる学問と定義されており、魔法を知らない学者は理学博士と認められないという。だから日本の理学博士の博士号は、魔導学院では博士号として認められないのだ。
魔導学院に来てから半年も経つと、笹島はルーンポリスに来たことを後悔し始めていた。金銭的な理由でルーンポリスで働くことを選択したが、講師の報酬は決して高くないし、ルーンポリスの物価は日本より高い。貯金も思うようにできず、任期の終わりまで働いても目標の金額は貯められそうもない。金銭面で不満があっても学者としてやり甲斐があれば勤労意欲が湧くかもしれないが、専門外の日本語講師と翻訳の仕事ばかりではモチベーションなど湧くはずもない。辞めることも考え始めたが、ミリシアルの法律を知らないのでどのようなリスクがあるか判らず、誰に相談すればよいかも判らないので困っている状況だった。
そのような状況に置かれているとき不意の呼び出しを受けた笹島は、自分の勤務態度に何か問題があったのかと訝しんだが、解雇の可能性はさほど怖くはなかった。逮捕されたり、損害賠償を請求されるような真似をした覚えはなかった。呼び出しで指定された部屋は初めて入る建物にあった。笹島は時間に十分余裕を持たせたつもりだったが、目的の部屋に着いたときには指定の時間ギリギリだった。
笹島が部屋に入ったとき、十数人の人間が議論をしていたようだが、全員が途中入室した笹島に注目して議論が中断した。笹島は猛烈な居心地の悪さを感じた。最も上座にいた人物が笹島に声をかけた。
「君がササジマくんかね?」
初対面だったが、笹島はその人物が誰か判った。この建物の入口に飾ってある肖像画の人物だったからだ。
「はい、そうです。オズワル学長」
「こっちに来たまえ」
笹島は学長が示した席に座った。周りは面識のない人間ばかりだ。エルフの年齢は日本人には判らないが、学生はいなさそうだった。
「実は議論をしていたのだが、結論が出なくてな。君の意見を聞きたい」
笹島はそこで初めて魔法のバルジを知った。
「なぜそれが成功すると思ったんですか? まるでパンジャンドラム*1じゃないですか」
魔法のバルジを知ったとき、笹島はそう言ってしまった。それを聞いた男の一人が笹島を睨んだ。「名案だと思った」発言をした人物だった。これは何か拙ったかと思ったとき、学長が男に声をかけた。
「まずは彼の意見を聞いてみましょう。ヴィンスくん」
笹島は大急ぎで記憶を探った。ヴィンスという名前は聞き覚えがある。そして思い出した。ルーンポリス魔導学院の主席魔導工学士の名前がヴィンスだったことを。眼の前の人物が同名の別人であることを祈りつつ、笹島は説明を始めた。
「色々と前提条件がありますから実験しないと断言はできませんが、それが上手くいかないと考える根拠は2種類あります。まず海水を冷却しても、簡単に凍らせることはできません。海水には大量の不純物が含まれていますから、融点が低い。また海流があり動いていることも、海水を凍りにくくさせます。それに装甲の表面の海水を冷やすと対流が起きて、冷やした海水が沈んで代わりに下から温かい海水が浮き上がってきます」
笹島の話を聞きながら学長はメモを取っていた。それにつられてか、何人かは同じ様にメモを取る。だがヴィンスと呼ばれた男は仏頂面をするばかりで、メモを取る様子は一向にない。
「それに海水を凍らせても、その氷はかなり脆くなります。氷の結晶を固くするためには、規則正しい結晶構造を作る必要があります。そのためには不純物を濾過し、空気を抜く必要があります。また凍結にも時間をかける必要があります。しかしそこまでやっても、金属に比べれば遥かに脆いのが実情です」
相次ぐダメ出しに、ヴィンスが切れた。
「あのときにはそれが最善だったのだ! 魚雷を防ぐ方法を短期間で実現しろと言われたんだぞ。金属でバルジを増設する時間はなかったし、装甲強化の機構をわずかに改造するだけで実現できたんだ!」
笹島はヴィンスの剣幕に気圧されたが、学長がやんわりと仲裁に入った。
「そこら辺の事情は、ササジマくんは知らないからね。それは自然法則も同じだ」
本気で期待していたわけではないが、同名の別人かもしれないという可能性が完全に潰えたことを笹島は悟った。
「ところで、さっきパンジャンドラムとか言ってなかったかね? あれはどういう意味なのかな?」
学長のリクエストで、笹島はパンジャンドラムについて説明する羽目になった。
「そんなのと一緒にされるとはな」
ヴィンスは不貞腐れたように吐き捨てた。パンジャンドラムはフォーティチュード作戦*2の一部だったかもしれない、という説を話すのを笹島は止めた。
「ササジマくん、もし君がヴィンスくんの立場だったら、どうするかね?」
学長にそう訊かれて、笹島は一瞬意味がわからなかった。
「それは、魚雷を防ぐ方法を短期間で実現しろと言われたら自分ならどうするか、という意味ですか?」
「その通りです」
「自分は魔法の事は何も知りませんが」
「でも魚雷の事は、ここの誰よりも知っているでしょう」
そう言われて、笹島はすぐに答えた。
「そんな方法はないと答えます。魚雷を撃たれたら逃げろ、できれば撃たれる前に敵を沈めろ、そう答えます」
それを聞いた人間たちのほとんどは、失望したような表情を顔に浮かべた。彼らは笹島が素晴らしいアイディアを提供してくれることを期待していたらしい。だが学長だけは例外だった。
「なるほどね。それが正解なのだろうね」学長は自分に言い聞かせるようにそういうと、笹島を労った。「これからも君の活躍に期待しているよ」
そんなことは言うつもりはなかったのだが、笹島は発作的に言ってしまった。
「実は、魔導学院を辞めようかと思っているんです」
その後は学長に、なぜ辞めたいのかを根掘り葉掘り訊かれ、笹島は結局全てを話してしまった。全てを聞き終えた後、学長は独り言のようにつぶやいた。
「求人を出しても人が集まらなかったのはそういうことか」そうつぶやいたとき学長は険しい表情をしていたが、すぐに柔和な表情に戻った。「我々は君を不当に扱っていたようだ。すまなかった」
その翌日、笹島は講師から客員教授に昇格し、給料も上がった。そしてときどき学長に呼ばれて意見を求められるようになった。