地獄の日々=テスト期間は終わりをつげ、春休みがやってきました。いつも通りのペースで更新していけることがこんなにうれしいなんて……
あの模擬戦(笑)から3日ほど経った。織斑側からは何の接触もない。ついでに言えば、織斑を狙って現れた代表候補生達のような存在も感じない。至って普通な生活を過ごしていた。姉さんに撫でまわされ、マドカを撫でまわし、簪様の手伝いをして、楯無様にはおちょくられ、虚様のお茶を堪能し、本音様とお菓子を食べる。うん、従者失格。
従者失格。昔はその言葉にかなりびくびくしていた。ここ以外に居場所なんてないし、ぽいっと放り出されれば即誘拐で実験体としての日々が再スタートする。学園生活で忘れがちになるけど、今でも十分俺の肩身は狭い。本家に戻れば地味な嫌がらせを四六時中受けることになるだろう。
今でも十分怖い。色んなものを、人の温かさを知ってしまった今では昔よりも怖い。贅沢を覚えてしまったのだ。呪われたように更識に尽くす身体も、たいして気にならないし、最近不思議なことに強制力が無くなり始めている。心をバッキバキに折られたあの陰湿な虐めも、どうだっていい。俺はまた1人になるのが、姉さんとマドカと楯無様と簪様と離れ離れになるのが嫌なんだ。
でも、その恐怖と同じくらい……それ以上かもしれない。俺は信じている。楯無様と簪様はそんな方ではないと、姉さんはきっと俺を助けてくれると、マドカは俺を信じてくれると。『夜叉』だって傍にいる。
その思いを支えているのは最近の生活だった。昔では考えられないのだ。物覚えが良くなった、クラスメイトの名前を覚え始めた、1年前の出来事がすらすらと出てくる、IS以外の授業でもさほど遅れてはいない、ベアトリーチェという友ができた、心に余裕が生まれて織斑に対する感情を抑えられるようになった。
普通の人間に近づきつつある。それでいて、今のところ化け物のような力を失うことは無い。
その事実に、俺こと森宮一夏は喜んでいた。
自分が何者なのかを忘れたまま。
『打鉄弐式』の装備である『山嵐』最大の特徴は世界初のシステム“マルチロックオン・システム”だ。世界初故にまだまだ試行錯誤の段階を抜け出せていないのが現状であるが、実用化に至れば、IS史にその名を残すであろう。「実用性のあるロックオン・システムを世界で最初に開発した更識簪。当時はまだIS学園1年生だったのだ!」みたいな。
その為に、ではなく単に主の願いという事でシステム開発の手伝いに没頭していた。
「r13からv56までの数値をプラス3,22。a33からj06、l24、s55、x72を先の数値と連動させてみてください」
「うん」
「どうですか?」
「………ダメ」
「むう」
失敗の連続ではあるが、諦めるつもりは毛頭ない。別に倉持技研に渡してもいいのだが、織斑の『白式』の方が優先されるのは目に見えている。たいして変わらないだろう。森宮の“望月技研”とコアを交換して所属とか変えて、そっちに頼めたりできないのだろうか? このあたりの話はさっぱりわからない。今度姉さんに相談してみよう。
勿論、簪様が完成させる事が最良であるのは変わりない。
「なあ簪」
「なに、マドカ」
「システムを組まなくても手動で相手をロックすればいいじゃないか。ペアがいるなら時間を稼いでもらって、1人の時は相手が攻撃しにくい状況を作ってしまえばいい。例えば、スモークやスタングレネード、トリモチなんてどうだ? 『山嵐』の為だけの装備じゃないから、戦略だって幅広くなる」
「それを簡単にする為のシステム…だから。それに、両手塞がっちゃうし、これは成功させなくちゃいけない事、越えなければならない壁なの」
「そうか……」
はぁ、と溜め息を吐いて落ち込む2人。
しかし、手動か。最悪の場合そうなるんだろう。それでは『山嵐』の性能を、『打鉄弐式』を持て余していることと同義。何とかしたい。
(なあ『夜叉』、なんとかならないか?)
《私達は戦闘補助が主な仕事なので、一部のコア人格を除いて整備面に関することはあまり詳しくありません。少しでも電気信号伝達速度を上げたり、警報鳴らしたり、武器展開速度を上げたり、ブレを補正したりですね。多分マスターの方が詳しいと思いますよ》
(なら、『打鉄弐式』のコアと簪様が“シンクロ”するようにしたりは……?)
《こればっかりは当人次第ですね。時間や相性、そして愛情、他にも様々な条件が必要ですから。IS学園という狭い箱庭で、2人もシンクロしている人間がいること自体がありえないんですよ》
(2人?)
《マスターと私、そして蒼乃さんと『白紙』です》
(………姉さんって、やっぱすげえな)
さりげなく凄いことをカミングアウトされた。俺、姉さんに追いつける気がしない。
気持ちを切り替えよう。
『夜叉』は専門外と言った以上、これ以上聞く必要は無い。こいつには悪いが時間の無駄とも言える。さて、どうするか……。
手動、手動、自動………………ん?
「簪様、少し試して頂きたいことが」
「何?」
「仮想ターゲットに向かって、『山嵐』を手動でマルチロックして破壊してもらえませんか? 弾数は……6で」
「分かった」
電子キーボードをガガガガガガというありえない音と速度でキーを叩きながら、ロックオンしていく。こちらのモニターでは膨大なデータの量がスクロールしている。それをじっと睨み続けた。
「全弾命中」
「あと3回ほどお願いします」
「? うん」
そして3回……合計4回の測定が終わった。
思わずにやりと笑ってしまう。読みは当たっていた。
「兄さん、どうして何回も撃たせたんだ?」
「まぁコレを見てくれ。簪様もどうぞ」
『打鉄弐式』をスリープモードに切り替えて、手足を抜いた簪様がこちらへ寄ってくる。マドカと簪様の為にイスのスペースを開けて、モニターの画面を切り替えた。4等分、つまり先の4回のデータだ。
「これはさっきの4回の……?」
「そうです。『山嵐』のマルチロックを手動で行い、ターゲットを破壊するまでのログだと思ってください」
「ふむふむ」
「この4つを重ねます。ゆっくりスクロールしていきましょう」
画面に写された4回分のログを一つに合体させて、モニターをいっぱいに使ったログがゆっくりと流れる。
「あ」
気付いてもらえたようだ。
「そういう事です」
「じゃあ、コレを繋げて調整すれば……?」
「完成……とはいかないでしょうが、少なくとも今より数歩前進したと言えるでしょう。いや、ほぼ完成と言ってもいい」
「むぅ、兄さん私にもわかるように説明してくれ」
ぷーっと頬を膨らませたマドカをつつく。可愛い奴め。
「もう一度最初から流していくぞ。…………ここ、どうなってる?」
「色が濃い」
「まあそうなんだが……結果から言うと、位置の違うターゲットをロックオンする際に、毎回必ず同じ手順を踏んでいる個所が幾つもあるって事だ」
「う、うん?」
「そうだな……ここから寮に行くとしよう。壁を壊してショートカットしたりとか、ISを使って飛ぶとか無し、普通に歩いてな。時間や距離は考えないものとする」
「なら、何百通りとあるんじゃないか? 真っすぐ行ってもいい、アリーナや教室に立ちよってもいい、駅まで行ってとんぼ返りしたっていいということだろう?」
「その通り。考えだしたらキリが無い。でも、必ず寄らなければいけない場所が幾つかあるだろ?」
「……整備ロッカーの出るためにカードリーダーを通して、昇降口で下足に履き替えて、寮に戻ったらカードリーダーをまた通して、とか?」
「うん。それが答え。どれだけ寄り道をしたとしても、必ず省けない工程や手間が存在する。マルチロックオン・システムも同じだったってことだ。だったら、最小限の入力で済むようにこれから手を加えれば完成になるよな。さっきの例え話で言うなら、ルールを守りつつ最短距離で寮に帰る事を言ってる」
「な、なるほど……流石兄さんだ!」
見えないはずの耳としっぽがパタパタ動いている。まるでチワワだな。
「あとは、大丈夫。今日中に完成するから、実戦テストで手伝って」
「模擬戦は禁止されていますが……」
「新システムの実験と言えば通してくれる。学園はその為の施設でもあるから」
「なるほど」
あと一押し。それでこのシステムは、『打鉄弐式』は完成する。
頑張ってください。
この後、見事マルチロックオン・システムは完成した。倉持技研にデータとレポートの提出はまだしていないそうだ。簪様曰く、「倉持は『白式』優先になってるから嫌」という何とも我儘な理由だった。加えて俺の『夜叉』も倉持製。世界に2人だけの男性操縦者のISを2機も扱っているのだ、開発スタッフが割かれるのは仕方が無い事だと言える。それに関する愚痴を言わないあたり簪様も分かっているのだろうけど、やっぱり専用機は大事にしたい大切な相棒。強化はおろかまともな整備すらできない現状に不満をぶつけるのもまた当然と言えた。
「じゃあどうするんですか?」
「コレを材料にしてどうにかできないか、お姉ちゃんに相談してみる」
「また無茶苦茶しそうな予感が……」
簪様は楯無様がやる事を分かっていて、相談を持ちかけようとしていた。というかした。なんか、黒いものを垣間見た気がする。
「要するに、『打鉄弐式』と『夜叉』のお引っ越しね」
「え、俺もですか?」
「簪ちゃんにだけさせるつもり?」
「いや、そういうわけでは……」
「ボディーガードも兼ねてるんだから、同じ研究所じゃないと困るでしょ。それに、蒼乃さんが言ってたのよね。『白紙』と『夜叉』のデータが『白式』に流れそう、って」
「派閥ができちゃってますからね……」
更識傘下であると同時に、政府御用達の倉持技研には派閥が出来ているらしい。研究員は少ないながらも技術力の高い更識派と正反対の政府派だ(倉持技研の中での話であって、別に政府派の技術力が低いわけではない)。当初、最も技術力があった倉持に姉さんが専用機製作依頼を出したことがはじまりで、倉持技研に更識派が誕生。民間企業だった倉持を更識が経営するグループが買い取ったことが拍車をかけて、今ではすっぱりと分かれているらしい。といっても更識派はごく少数だが。
倉持が製作した専用機を分けると、『白紙』と『夜叉』を製作したのが更識派で、『白式』と『打鉄弐式』を製作したのが政府派となる。政府派はスタッフが多いにも拘らず『白式』につきっきりなのは、それだけ大事であると同時に未知であるから。現状の『打鉄弐式』は殆ど放置に近い状態になっていた。俺と姉さんはそんなことは無い。
データが流れる、つまり政府派のスパイがいる。秘密主義な更識派は研究棟や社員寮から変電施設、マザーPCまで分ける徹底ぶりで漏れることは無い。もう同じ研究所とは言えないぐらいだと思う。政府派としては『災禍』の仕組みと『夜叉』の速さの秘密は喉から手が出るほど欲しい物らしい。故のスパイ。しかし、スパイが紛れ込むのを防ぐのは容易ではないし、彼らはそれを生業としていない為見つけるのも困難だろう。近いうちに研究者ごと別の研究所へ移す事を考えていたそうだ。
妹の専用機が放置される現状、専用機のデータが対抗派閥に流出する可能性。コレを見逃す姉2人ではない。
「だから、研究員ごとお引っ越し。更識派の全員を更識と森宮直営の望月技研に異動させて、望月技研からは色んなところから忍び込んでるアホな人達を倉持にプレゼントしましょう。私が直接指示を出すから、マルチロックオン・システムのデータをくれてやる必要は無いわ。ついでに倉持技研は売りましょう。いいですか、蒼乃さん?」
「今すぐ」
「りょーかい。虚ちゃん、聞いてたわよね? 手をまわして」
「かしこまりました」
「うわぁ」
「……黒い」
「あはっ♪」
開いた扇子には“職権乱用”の文字が書かれていた。
次の日の新聞とニュースの話題が1つ埋まったな。
よく考えると、専用機を作るための資金や資材をタダで頂いたようなものだということに気がつく。
《世界は黒いですね》
(ああ)
裏社会はもっとどす黒いぞ。
マドカの希望により、久しぶりに簪様とマドカで食堂に行ってみた。すると、姉さんと楯無様が一緒にご飯を食べていた。意外なことに、ラウラが同席している。銀髪の黒ウサギが随分と緊張しているのが遠目に見ても分かるな。
「よう、ラウラ」
「い、一夏か」
「姉さんたちと一緒ってのが珍しいな。それ以上に、緊張しているラウラが珍しいけど」
「ば、バカ者! 国家代表の2人だぞ! 方や世界で名を轟かせる日本名家の当主! 方や教官の後を継いだ日本代表でありながらお前の姉、更に半世紀は破られることは無いと言われる世界レコードを次々と塗り替えた全IS乗りの憧れなんだぞ! き、緊張しないはずがないではないか!」
「え? 姉さんと楯無様ってそんなにすごい人達なんですか?」
「私はやりたいようにやってるだけ。周りなんて気にしたことないわ」
「同じく」
「お姉ちゃん……すごい」
「もっかい言って! 録音するから! いや何度でも言っていいのよ!」
「これが無ければ、立派な姉だというのに………。その点、私の兄と姉は素晴らしい!」
「隣の芝生は青い」
「姉さん……」
その言葉は、ここに居る全員に言えることだと思うよ。
「あ、そうだ」
楯無様の頭の上で豆電球が光る。何かを思い付いたのか、閃いたのか。ヒラメ+板………ゴメン。
「月末のタッグマッチトーナメントについて、1年生諸君は知ってるかな?」
「俺は全く……」
「私も…」
「私も知らん」
「同じく」
全滅だった。俺クラス委員なのに何にも聞いてないぞ? 大丈夫か大場先生。
《大丈夫だ、問題ない》
(やめろ)
頭の中のドヤ顔ゴスロリ大和撫子にチョップを叩きこむイメージ。
「名前の通り、タッグでトーナメントを勝ち抜く公式戦よ。全学年行うから色んなところからお偉いさんがやってくるわ。今年は特に多いでしょうね。なんたって貴重な男性操縦者が出るわけだし。片方は世界最強の弟、片方は世界レコード保持者の弟(実はどっちも織斑先生の弟なんだけど)」
「実力は太陽と冥王星ぐらいの差がある」
「まぁね♪ それに合わせて専用機がたくさんあるから、きっと学園史上の盛り上がりになるわ。変な試合しちゃだめよ~」
「しませんよ」
扇子で頬をぷにぷにされる。これって確か紙の部分斬れるようになってたよな? 怪我しませんように。
「ね、姉さん」
「何? マドカから話しかけるのは珍しい」
「タッグ、なんだよね? なら兄さんと――」
「一夏はここに居る誰も組めない。私含めて」
「何っ!?」
「専用機が多いことから、今年は専用機同士がタッグを組めなくなっている」
「実はこれ、まだ発表されてないのよね。はやくいいペア見つけなさいな」
なんだって? 俺はマドカか簪様のどちらかと組むことになるだろうと思ってばかり……どうする? 専用機が無い、でも実力のある人物か。
………いるじゃないか。前回のトーナメントで偶然ではあったものの唯一俺に傷をつけた実力者が。
携帯を取り出して、電話帳から相手を選んでコール。
「電話?」
「兄さんには私達以外で連絡先を知っている人がいたのか」
地味に失礼なことを言うんじゃない、妹よ。倉持……じゃなくて、今は望月か。『夜叉』開発スタッフリーダーの芝山さんとか。他には……ほか、には……。うん、考えるのを止めよう。
『もしもし』
おお、出た。
「森宮だ。ベアトリーチェか?」
『うん。まさか一夏が電話掛けるなんてね。アドレスは教えたけどメール1つ送らないからさー』
「別にメールを使うほど連絡しなければならないことがあるわけでもないだろう? 用があるなら会いに行けばいい」
『え? 会いに? そっか、その方がいいよね……うん。敵は多いし』
「敵?」
『な、何でもない! それで、何か用があるんでしょ。急ぎの』
「月末のトーナメントでは専用機同士が組めないらしい。そこで、ペアを探しているんだが……」
『やる! 絶対やる!』
「そ、そうか。助かる。近いうちにSHRで連絡されるだろうから、またその時にな」
『分かった、ありがとう! やったぁーーーー! 一夏と一緒の時間が増え』
……………やたらハイテンションだったな。
《国の威信を背負っていようが、まだまだ花の十代。恋する乙女なのですよ》
(へー)
《イラっ☆》
超時空シンデレラのポーズからどす黒いオーラを感じたのは初めてだよ。
「というわけで、俺のペアは決まった」
「私は本音に頼もうかな……」
「な、何だって……くそ、誰かいないのか!?」
「く、クラリッサ、私だ。い、いったいどうすればいいのだ!?」
あたふたしている2人を眺めながら、楽しく昼を過ごした。