怖い。
与えられた仕事を淡々とこなし、連合軍がサウスゴータを占領し終わったのは戦端が開かれてからおよそ1週間。
このシティ・オブ・サウスゴータをロンディニウム攻略の足掛かりとする目論見は崩れていた。
占拠した時点でこの街の食糧庫は完全に空で、さらに言えば此処に住む住民からも食糧は取り上げられていたのだ。
いっそ清々しいまでの嫌がらせ。
正義の名の下に侵攻してきた連合軍はただでさえ少ない食糧を分けざるを得なかった。
更に食糧不足という理由から侵攻に二の足を踏みかねていた連合軍に届いた神聖アルビオン共和国からの停戦の申し入れ。
始祖の降臨祭が終わるまでの間の停戦。
疑わしくもあるが食糧が無いというこの状況で断るという選択肢は有り得なかった。
先行きが見えない為どうしても下がってしまう士気。
士気を維持するためなのか、行われた勲章の授与。
我らが司令官、ド・ポワチエ将軍と同じ台の上に居るキザな学友とキザな神官。
キザコンビだと易の無いことを思い浮かべる。あ、ウチの中隊長も居るけどどうでもいいや。
自分の置かれている状況に戸惑っているらしいギーシュにいつもの調子を崩さないジュリオ。
対照的な2人の姿にキザ度ではジュリオの勝ちかと意味も無く比べてみる。
まあ親しみ安さではギーシュの圧勝だがな。
だから何の勝負だとセルフツッコミを入れる。
虚しい。
式典の後アンリエッタ女王陛下が戦地の視察に来ると将軍からお達しが出た。
食糧の運搬ついでに来るらしい。
慰労とかなんとか。
警戒態勢のレベルが上がって仕事が増えるのでノーセンキューである。
降臨祭終わりまでいるらしいから今から気が滅入る。
アルビオンのメシが不味いからかトリステインからお店が幾らか出張してくるらしく、名簿の中に「魅惑の妖精」亭の名前があったのは嬉しいと思うべきか財布の紐が緩くなりそうなのを怖がるべきか。
この機会にアルビオンの飯屋も料理ってものを理解してくれるといいがまあ無理だろう。
そんな簡単に理解できたらとっくの昔に良くなってるだろう。
淡い期待を抱きつつも寒さをごまかすためにその辺の飯屋に入り暖かいスープを飲む。
ああ、懐かしき故郷の味。涙が出てきそうだ。悪い意味で。
早くお店来ないかなーと願う冬の1日。
相も変わらず駆り出される哨戒に嫌気がさしてくる。
ロンディニウムに籠りっきりの共和国軍だがあいつら一度騙し討ちでトリステインに侵攻したから警戒を緩める訳にもいかないし。あの時は不本意ながら俺も参加してたけどね。
ついでに言うと今は麗しの女王陛下が来てるから尚更だ。
竜騎士隊にも一度顔を出していた。
俺にとって女王陛下の印象はあの謁見の時だけだから、正直笑顔を振りまく女王陛下はすごく不気味で気持ち悪い。
俺にもその笑顔は向けられた訳だが鳥肌が立ってしょうが無かった。
そんなこんなで当初の予定から大分少なくなってしまった休暇だったが運良くヤラの月の初日、つまり降臨祭初日は終日休みと相成った。
何時もよりも豪勢なメシをレッドにやってから向かうのは妖精亭アルビオン出張所。
店内に入ると人と料理とその他色々の熱気で外の雪でも降りそうな寒さとは似つかない暖かさ。
夏休み中に見た顔もチラホラいる。こんなとこまで来て此処にするのか。俺が言えたことでは無いが。
あ、ルイズ嬢とシエスタってメイドもいる。なんで学院のメイドが居るんだ?
気を取り直してそのまま店内を見渡していると、探し人を見つける。
「遅くなってごめん」
「良いさ。気にすることは無いよ、ロナル」
「まあ待ってたのは確かだからさっさと乾杯しようぜ」
ギーシュとサイト。
何故か第2中隊の奴らも居るが良いだろう。
めでたい日だからな。
「「「かんぱーい!」」」
カチャンとグラスを鳴らして思い思いに飲み始める。
俺もチビチビ飲み始める。
以前2度と酒飲まないって決めた気がするがこういう場では仕方ないと思う。
それに酔うほど飲まなきゃ大丈夫さ!
テーブルの料理を一斉に摘まむもんだから直ぐに皿の中身が消えていく。
仕方ないので料理を頼むことにする。
「すいませーん。料理の追加お願いしまーす」
「はーい。…あっ!!」
「」
振り返れば奴が居る。
流石に奴なんて言うのはかわいそうだな。
以前見た時より少し伸びた金髪。
口元を抑えてびっくりした様を表現しているのは。
以前俺の財布どころか口座まですっからかんにした張本人、マレーネちゃん。
「どうしてロナルさんがアルビオンに居るんですか?」
「一応これでも貴族なんでね。動員されたのさ」
「そういえばそうでしたね。お疲れ様です」
苦い記憶が蘇るがそれでも癒されてしまうのは男の性か。
戦争だから色々と溜まる物もあるので仕方ないだろう。仕方ないったら仕方ない。
適当に目についたメニューとマレーネちゃんのお勧めを持ってきてもらうことにする。
気付いたらチップを握らせていた自分に戦慄しつつも見送る。
「すぐ持ってきますねー!」
「ありがとー!」
「…」
「…なんだいギーシュ?」
「あの子、前一緒に食べた時の子だろう?やっぱりロナルはあの子推しなのかい?」
「そういうつもりじゃないけど…」
少しニヤニヤしながら聞いてくるギーシュ。
突然何かを思いついたような表情になって聞いてくる。
「そういえばロナル。君、タバサに告白したそうだね」
「ッ!?ゴホッ、エホッ!!…な、どうして」
「キュルケから聞いたのだよ。なるほど、君もやっぱり恋多き男のようだね、ロナル」
あの野郎。
この分だと学院中に広まっていることも覚悟しておかねばならない。
取り敢えず先ずは誤解を解くことが先決だ。
「アレは誤解なんだ。少し言葉を間違えたというか、その…」
「ロナル、君は学院に帰れるようにというおまじないで親の形見をタバサに預けて、尚且つ帰ったらタバサに話したいことがあるんだろう?これじゃあ愛の告白以外の何物にも聞こえないのだが…」
「そうだそうだ。それなのに照れて俺の事フネから突き落とそうとするなんて…」
「いや、だから、それは、色々あって…」
「照れてるようだね」
「ああ、照れて顔真っ赤だ」
なんかサイトまで話に入ってきやがってクソが。
事情はまだ話せないので何の弁解もできない。
こんなアホみたいな理由で自分にかけられた『制約』がもどかしくなるなんて思ってもみなかった。
いや確かにタバサは色々ちっちゃいが綺麗だし。
照れた時に無表情で取り繕おうとしても顔赤くなっててほっこりするし。
あの時見た笑顔は……。
危ない危ない。トリップするところだった。
「とにかく!この話はナシだ」
「逃げたね」
「ああ、逃げた」
うるせえ。戦略的撤退だ。
無理矢理話題を変える。
「あー。遅れたけどギーシュ、杖付白毛精霊勲章の叙勲、おめでとう。学院に戻ったらモンモランシーに自慢できるんじゃないか?」
「随分いきなりだね。けど、ありがとう、ロナル。僕としてはもう少し手柄は立てたい所だけどね」
「そうかい?勲章なんてそうそう貰えるものじゃないと思うけど」
ギーシュの表情は嬉しそうな反面ちょっと不満そうな感じも確かに見受けられる。
「僕なんてまだまださ。補佐をしてくれた軍曹や中隊員におんぶに抱っこだしね」
「だから、まだまだ僕は未熟だけれどそれでも必死に喰らいついて…そして、モンモランシーに報告して、認めて貰いたいのさ」
照れ臭そうに言うギーシュ。
学院に居た時はもう少しナヨッとしていた気がするが、いやはや「男子三日会わざれば括目して見よ」とは言ったものだ。
普通に恰好良い。
「それじゃあ、頑張らない訳にはいかないな。そこまで言うからにはやるんだろ、ギーシュ?」
「勿論だとも」
「…それで、死んじまっても良いのかよ?」
口を閉ざしていたサイトが静かに、しかしはっきり聞こえる声で言う。
「どういうことかね、サイト?」
「お前ら貴族ってのが名誉とか大事にするのも納得は出来ないけど理解できないことはないさ」
「でも名誉の為に戦って、それで死ぬかもしれないんだぞ」
「お前が認めて貰いたいモンモランシーにしてみればそっちの方が困るだろ。アホか!?」
叫ぶように声を上げるサイト。
第2中隊の奴らが戻ってきて少しはマシになったと思ったが…。
悩み続けてたのか。
ギーシュが手を握りしめながら口を開く。
「君は…僕の行いを侮辱するのか!」
「落ち着け、ギーシュ。サイトも抑えろ」
ルネ達第2中隊も間に入って仲裁している。
睨み合ったままの2人の間には剣呑な空気。
一触即発。
「確かに君は平民だから名誉なんて知ったこっちゃないのかもしれないけどさ…」
ルネがポツリと漏らした言葉にサイトが激発する。
「お前らだって死にかけたのになんでそんなに平然としてられるんだよ!偶々運良く生き残れたかもしれないけど今度は本当に死ぬかもしれないんだぞ!?」
「其れなのにまだ名誉だなんだってバカじゃないか!?」
「サ「サイトッ!!」
被った。
余りの声量に完全に俺の声をかき消したのはルイズ嬢。
肩をいからせて近づいてくる。
「サイト、ギーシュとルネ達に謝りなさい」
「…なんでだよ」
「"名誉"を侮辱することは許せないわ。だから、謝りなさい」
有無を言わせぬ高圧的な物言い。
沈黙。
2人の間に広がる距離はまるで2人の間に存在する"溝"を表しているようにも見える。
他に守るべきものは無いのかと言うサイト。
対するルイズ嬢は名誉は命よりも大切だと譲らず。
平行線。
お前は命令されれば死ぬのか。
あたりまえよ。
なら俺も、お前が死ねと命令されれば死ぬのか。
…あったりまえじゃない。
ルイズ嬢は困ったような顔で答える。
死ぬのが怖いの?
当たり前だろ。
臆病者。覚悟が足りないのよ。
俺は連れてこられただけだから当たり前だろ。
誰も頼んじゃいないわよ。
考える時間もくれなかったじゃねえか。
激しくなっていく応酬に周りはすっかり冷静になって止めに入る。
止められると我に返ったのかルイズ嬢が終わりにしましょうとサイトに伝える。
一瞬の沈黙ののちにサイトは吐き出すように言葉を紡いだ。
「結局、お前もあの将軍たちと同じなんじゃねえか…」
何処か失望したような絶望したような。
そんな言葉にルイズ嬢は反応した。
「どういう意味なのよ、それ!」
「俺は"道具"なんだもんな?そりゃそうか、使い魔だしな」
言うなり天幕から出て行くサイト。
サイトを追うメイド。
ワインを注いで一気飲みするルイズ嬢。
(ままならんな…)
いきなりの展開に全く対応できず狼狽えたまま何も言えなかった自分。
情けなくなる。
「あの、ロナルさん?お料理お持ちしたんですけど…」
「ああ、ごめんね。マレーネちゃん。ありがとう。あと悪いんだけど飛び切り良いお酒持ってきてくれないかな?」
「飛び切り、ですか?分かりました、すぐお持ちしますね」
厨房の方に飛んでいったマレーネちゃんは直ぐにお酒を持って戻ってきてくれた。
注いでもらい一気に飲み干せば喉を焼くアルコールにむせそうになる。
ギーシュ達も交えてさっきの口論を忘れる様にどんちゃん騒ぎをするが皆どこかぎこちなかった。
飛び切り良いものである筈のお酒はあんまり美味しく感じられなかった。
二日酔いと、飛び切り良いお酒の飛び切りお高い値段に頭を痛くした日も既に1週間以上前。
ぎこちないサイトとルイズ嬢にどこかバツの悪いものを感じつつもこっちもこっちで警備なり何なりで忙しく何一つしてやれることは無かった。
『マシになったと思ったら今度はまた別の悩みか。人間と言うものは中々大変な生き物なのだな、ウルド』
『前はこんな風に悩むようなことは無かったからな。俺含めて脳筋ばっかだったし。俺も色々と変わったのかね』
空中を駆けるレッドと雑談しながらの早朝の哨戒任務。
最も既に引き継ぎも終わっており俺には飛ぶ理由なぞ何ひとつないんだがレッドがどうしてもというので気晴らしを兼ねてシティ・オブ・サウスゴータ上空を遊覧飛行している。
悩み云々言ってくるレッドではあるが、当の本人(本竜?)も何だか考え込んでいる様子だ。
しばらくの間レッドの自由に飛ばせていると時折黙り込み考え事に没頭するので気になる。
『なあレッド。どうしたって言うんだ、いい加減教えてくれないか?』
『……やはり、おかしいな』
『?…おかしいって何がだ?』
しびれを切らして訊いてみるとなんとも要領の得ない答えが返ってきたので聞き返す。
『俺に分かる様に言ってくれないか?』
『ああ、すまん。…ここ最近この地の一部の水の流れに違和感を感じてな。最初は気のせいだと思ったのだが…』
『水の流れってどういうことだ?』
『私は火韻竜であり、火の精霊を操る事を得意としてはいるが他の精霊に呼びかけることも出来ない訳じゃあないし、そういった精霊の力の流れを読むこともできる』
『つまり、この街の水の精霊の力がおかしいって事か』
『いや、この街だけではなくこの地方と言った方が良いかもしれない。』
レッドの言葉に不穏な物を感じる。
精霊の力と訊くと思い出されるものがある。
指輪。
『特に今日は今までにない力の高まりを感じる。何者かの意思すらも感じられる』
「おい、それってつまり…!」
思わず言葉に出てしまう。
此方に向けて器用に首を曲げたレッドが頷く様に首を縦に振る。
『ああ、今までは判然としなかったが今分かった。この力は、ウルドを操ったあの力だ。しかし、こうまで巨大な力の行使をするとは…』
同時に街の各所から聞こえてくる爆発音。
ついで銃声や怒号と言った戦闘音が聞こえてくる。
ギリ、と歯を噛み締める。
『レッド!高度を落とせ!』
『分かった!』
全速力で都市に降下していく。
悪夢は始まった。
『しっかし、竜騎士まで操られている奴が居るのを見ると俺達は運が良かったと言えるか!』
『この状況では運が良いも悪いも言ってられんぞ!』
どいつが敵でどいつが味方なのか。
操られている奴らはどいつもこいつも虚ろな表情しているうえに一言も喋りもしない為分かり易いものではある。
いつぞやのマヌケな自分を見ているようで腹が立ってくる。
もっとも、腹が立つのはその力の存在を知っていたにも関わらずタカをくくり楽観視していた自分にでもあるかもしれないが。
しっかしまあ。
「単調だな!」
自分も操られていたときはこんな情けない機動をしていたのだろうか。
八つ当たり気味に纏わり付く1騎を焼き尽くしてちらりと街の通りに目をやる。
友人だったのだろうか、何故こんなことをと問いかける者に対して浴びせられる鉄と魔法の返答。
いきなりの離反に困惑し対応できず敗走する部隊が各地に見受けられる。
昨日まで味方だった奴に躊躇なく攻撃できる奴なぞあまり居なかろう。
『動きは単調だがやり辛いものがあるな』
『ああ…!?レッド、あそこ、あの追い立てられている奴らだ。追っ手にブレスを撃ちつつ降下!』
『応!』
追い立てられている部隊の一つに見知った顔がいた。
降下で上乗せされた速度の分だけ速くなったブレスの乱射で追っ手の部隊を蹴散らかす。
突然の援護に驚いたようだが直ぐに体勢を立て直し残った敵を撃っていく部隊。
随分と練度が高いようだ。
「ギーシュ、無事か!?」
「ロナルかい?!…僕は無事さ。でも今は良くてもこの状況では何時まで持つか…」
ギーシュの率いていた部隊。
見れば中々に年かさのいった連中で構成されている。
なるほど、さっきのあの切り返しは亀の甲よりなんとやらって奴か。
「中隊長どの、この竜騎士の方は?」
「僕の友達さ。ありがとうロナル。お蔭で助かったよ」
「良いさ、それよりもこのまま進むとヤバそうなのに鉢合わせるぞ」
空からなら建物の陰に多少隠れてしまうがそれでも地上よりは遥かに見通しが良いからこそ気付いた。
追っ手を何とかするためではなく挟み撃ちになるのを防ぐため。
「そんな、それじゃあどうすれば…いや、そうだ。ロナル、ここの攻略作戦の時に城壁に開けた穴はどうだったか分かるかい!?」
「なるほど、確かにあっちの方は敵が少ないな。よし、撤退を支援する。構築されてるバリケードは俺が吹っ飛ばすから心配するな」
「ありがとう…。さて、訊いたね、諸君。竜騎士が僕らを支援してくれることになった。絶対に、生き残るぞ!」
『『『応っ!!!』』』
ギーシュの声に呼応して老兵たちが声を上げる。
生の渇望に満ちた咆哮を背に飛び上がるレッド。
先導しながら進行方向の邪魔な敵を狙い撃ちし、撃ち漏らしはギーシュの中隊の奴らが銃で剣で対応する。
そうして敵を蹴散らしながら徐々に生き残りの部隊を吸収しつつ破壊された外壁部分に到達する。
あらかじめ先行した俺とレッドで物見やぐらが追加されていた仮のバリケードを破壊しておいた為スムーズに街の外へと逃げていく。
「すまないギーシュ。此処までだ」
「いや、充分さ。しかし、君はどうするんだね?」
「ルイズ嬢とサイトを探す。そっちも油断するなよ」
「君も生き残れよ。タバサに伝えたいことがあるんだろ?」
「いや、だからそれは……今はその話はいい。また、学院で」
「ああ、勿論だとも、ロナル」
友人に背を向けて、レッドと共に空を行く。
悪夢はまだ終わらない。
「狼狽えてはなりません。応戦しつつ後退。部隊を集結させた後にロサイスまで退却なさい」
「しかし、敵味方入り乱れているこの状況では…」
「貴方に与えられた階級は飾りなのですか?そうではない筈です。それに、斥候からの情報では離反した兵は皆虚ろな表情で分かり易いとの話です。それとも…貴方はここで戦死なされたいのですか?」
「はっ、いいえ!ですが…」
「言い訳は聞きたくありませんわ。それに偵察の竜騎士が持ち帰った情報によると敵軍主力がロンディニウムから出撃したとの話です。早くしなければどうにもなりませんわ」
突然の離反に際して、ド・ポワチエ将軍以下多数の将校に死者が出たため、指揮系統が混乱するかと思われたが未だこの街に残っていた女王の有無を言わさぬ命令によって致命的な混乱は避けられることができた。
しかし、状況は思わしくなくロサイスへの撤退が開始されるまでに離反、戦闘での死傷者を含め連合軍はその数を半分以下にまで減らしていた。
ユニコーンに引かれる馬車の中でアンリエッタは一人歯噛みする。
(こんな、まさかあんなに複数の人間を一度に操る事が出来るなんて、完全に想定の範囲外だったわ)
あの忌まわしい事件と、かき集めた情報、あの竜騎士の言からクロムウェルは死体は一度でかなりの数を操る事は出来るが、生きた人間はそうはいかないだろう。
アンリエッタはそう予測を立てていたが、まさか実態としてはここまで大きく食い違っていたのかと自身の過ちを悔いる。
この状況まで隠し玉としてとっておき、ここぞというタイミングで最大の効果を発揮させる。
悔しいが敵の方が何枚も上手だったということかとそのほっそりとした白い絹のような肌をした手が青白くなるくらい握りしめるアンリエッタ。
(ああ、ウェールズ様。お許しください…)
遠のいたクロムウェルの首と、共和国の滅亡。
悲壮なまでに張りつめた表情で手を組み祈る様に涙を流す。
トリステイン内部の鼠共を排除し健全化させたことで増長していたのだろうか。
自身が未熟であることを忘れ、その結果がこの有様か。
いや、まだだ。まだ終わってはいない。
涙を振り払いその眼に消えぬ憎悪を宿しながらもアンリエッタは決意する。
折れてはいけない。
大損害であることは間違いない。
国も傾くことだろうし、ゲルマニアとの軍事同盟も解消されるかもしれない。
しかし、自分はまだ生きているのだ。
愛しいウェールズとは違い今なおこの世界で生き続けているのだ。
ならば諦めることなどあってはならない。
たとえ、王位を追われ泥水を啜ることとなろうと絶対に諦めない。
どんな汚い手を使おうとせめて、クロムウェルに対する復讐だけは。
復讐の炎は未だ消えない。
ロサイスに撤退完了後。
敵の進行速度が思ったよりも速く、このままでは撤退完了までにロサイスへの侵入を許してしまうという凶報がもたらされ、司令部で行われている会議は紛糾していた。
敵軍主力4万に加え離反した連合軍3万、計7万もの大軍勢にまともに抵抗する力は連合軍には残されてはいない。
誰かが、残って足止めをする他ない。
皆それに気付いているため押し付け合う様に議論が進められていた。
喧騒を尻目にどうするべきかと思案していたアンリエッタ。
その時、死亡したド・ポワチエ将軍に代わり指令を代行しているウィンプフェンが思いついたかのように話し出した。
「陛下、彼女を、使いましょう」
「彼女、ですか?」
「そうです。彼女をミス・"
「ルイズを、ですか?」
その通りだ、確かに彼女なら、と口々に言いだす貴族達。
アンリエッタは思案する。
半数以下にまで減った連合にこれ以上損害を与えることは得策ではないし、マトモな精神をしている者達なら足止めなどせずに寝返る事だろう。
なるほど、忠義深く強大な力を持つ個人であるルイズならば都合は良いだろう。
しかし、今ここでルイズの"虚無"を失う訳にはいかない。
強大無比な力を失うことは復讐を完遂するにあたって避けねばならないことである
それに、彼女は自分に大切な…。
ここまで考えてふと気付いた。
復讐のために、強力な力を持っているだけで戦とは無関係なルイズを参加させたのは自分だ。
ルイズを自分の復讐の道具に仕立て上げたのは彼女の親友であった筈の自分自身だ。
それなのに未だ自分は彼女の親友だと、言えるものなのか。いや、言える筈もない。
ふっ、と自嘲が漏れる。
本当なら今ここで大声で自分自身を嘲り笑い転げまわりたい位だ。
それ位、自分は愚かな人間だと気付いた。
「陛下、ご決断を…」
さも、神妙そうに聞いてくるウィンプフェン。
関係性を知っているのか痛ましい表情でこちらを見てくるがそんなの嘘八百なのは一目瞭然だ。
ここにいる全員がここから一目散に逃げたいのだろうが自分の目がある為に哀れな生贄を捧げて逃れようとしているのだろう。
自分も同じだ。
生き残らねばならないのだ。
復讐を完遂するまでは、死ねない。
爪が皮膚を破り血が滲む程にきつく握りしめられた手。
食いしばる様に歯を噛み締めながらゆっくりとアンリエッタは口を開く。
自身の復讐と、親友であった筈の少女の命を秤にかけて。
「ルイズを……ここに呼びなさい…!」
秤は復讐に傾いた。
一応補足ですがマレーネちゃんは原作に登場しています。