少女偶像紀行   作:偏(片)頭痛

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偶像

 8月に入ると、気温はますます高くなった。

 ジリジリと東京の街を焼く太陽は夏休みというものを知らないらしい。今週中にも猛暑日が訪れる、と顔しか分からない天気キャスターが言っていたのを思い出した。

 木陰に避難するのにもちょっと無理があったか、と私は読んでいる本に汗が落ちないようシャツで顔を拭いながら、自身の選択を少しだけ後悔した。

 

 夏休み。そう、夏休みだ。

 

 もうテストもレポートも全て出し終わり、私は大学生の特権である長い夏休みに入っているのだ。

 今日は冷房の効いた喫茶店で一日コーヒーでも飲みながら、ずっと手をつけられないまま積まれていた小説を読んですごそうと思っていたのだ。

 思っていたのに。

 

 「ちーちゃんお待たせー」

 

 へらへらと笑いながらこちらに向かってくるユーリのせいで、こうして大学に付き合わされている。

 

 「お待たせじゃねえだろバカ。くそ暑かったんだぞ」

 「いやーごめんごめん」

 「そんで、ロシア語の追試はどうだったんだ。ちゃんと解けたんだろうな」

 「いやー、それが多分落としたわこれ」

 「ぶっ飛ばすぞお前」

 

 そう、ユーリのテストの追試に、何故か私まで付き合わされることになった。別に追試だけならあいつ一人で行けばいいだけの話なのだ。私は全く関係がない。

 しかし今日、前日にテスト範囲を一夜漬けしていたせいか今日、よりによってユーリは寝坊したのだ。このままでは追試に間に合わず落単。焦るユーリに泣き落とされ、私はため息を吐きながらユーリを乗せてバイクを飛ばしてきたのだ。

 

 「一応全部埋めてはきたんだけどねぇ」

 「お前本当これで落としてたらいよいよ殺すからな」

「まあまあ、過ぎたこと言っても仕方ないってー」

 

 なおもヘラヘラ笑うユーリにまた何度目かのため息をついて、私たちは駐輪場へと足を向けた。

 

「お前追試ロシア語だけだろ。もう帰ろう。暑くて死ぬ」

「そう言えばちーちゃん、もうそろそろ一週間だよ?」

「……」

「返事、そろそろしなきゃなんじゃない?」

 

 分かってるよ。そんなこと。

 私はその返事を口の中で転がして、誤魔化すようにフルフェイスのヘルメットをかぶった。

 

 一週間前。

 私たちは買い物の途中、765プロのプロデューサーを名乗る男からスカウトを受けた。

 765プロといえば、今をときめく天海春香をはじめとしたアイドルたちが所属する、芸能に疎い私だって知ってる有名どころの事務所だ(ユーリは知らなかったようだが)。

 話を聞くと、どうやら765プロで新たに「39プロジェクト」なるものを立ち上げるらしく、彼はそのメンバーを集めるために西へ東へスカウトに駆け回っているようだ。私たち二人はその39プロジェクトの一員としてお声がかかったと言うわけだ。

 当然、いきなり降って湧いたそんな話に即答できるはずもなく(その時点ではこの765プロのプロデューサーなる人物が偽物である可能性もあったわけで)、考えさせてくれと言うと、じゃあ大体一週間後くらいまでに答えを聞かせてくれると嬉しいと言うと自身の名刺を残し、彼はさっさとどこかへ行ってしまった。「すごいねちーちゃん、私たちスカウトされちゃったよ」なんて、珍しく食べ物以外の事ではしゃぐユーリの声をどこか遠くに感じるくらいには、あの時の私は目の前で起きたことを処理するのにいっぱいいっぱいだった。

 あの後家に帰って、二人で765プロのホームページを見た。そこには確かに、「39プロジェクトメンバー募集!!」という文字が概要と共に並んでいた。どうやら、天海春香をはじめとした765プロのアイドル13人に次ぐ次世代のアイドルを育成するといった趣旨のものらしい。一般公募でオーディションもやっている中で、私とユーリはスカウトという形でお声がかかったということだ。

 

 そうしてはしゃぐユーリとは対照的にどうしたものかと私が軽くパニックになったのが一週間前。

 そして、明日がその一週間後だ。

 

 私はスカウトされた日からずっと、その返事についてうんうんと悩んでいた。

 アイドル。

 私が、私とユーリが、アイドル。

 そんなこと考えたこともなかった。青天の霹靂にもほどがある。

 少し前にユーリと将来どうするんだと話したことはあった。このまま漠然と卒業してなぁなぁで適当なところに就職するものだと思っていたところに、そんな不意打ちにも似た新しい選択肢を突きつけられ、正直なところどうすればいいのか分からなかった。

 そもそも、私たちのどこを見てあのプロデューサーの彼はアイドルにスカウトしようなんて考えたのか。

 ユーリは何となくスカウトしようとなるのは分かる。きれいな金の髪にスッと通った鼻立ち、スタイルだって他の人よりいい(背丈で言えば私も平均よりは高いのだが、ユーリはプロポーションもいい。悔しいけれど)。けど私はユーリと比べて地味だと言わざるを得ない。そんな私をプロデューサーの彼はユーリと一緒にスカウトした。自分のどこにアイドルとしての素質があるのかも分からず、そのことも私を悩ます原因の一つでもあった。

 

 「おい、お前はどうするんだよ。お前だってスカウトされてたんだぞ」

「私は、ちーちゃんの選んだ方に従うよ。ちーちゃんがやるならやるし、ちーちゃんがやらないなら私もやらない」

 

 ほら、私考えるの苦手だからさ。なんて、缶ビール片手にユーリはケラケラ笑ってる。あの日から何度問いかけてもこいつはずっとこの調子だ。ちーちゃんと一緒ならやるよなんて、小学生みたな理屈の一点張りだ。

 

「もうちょっと真面目に考えろよな」

「えー、考えてるよ」

「うそつけ、酔っ払い」

「て言うか、ちーちゃんはなんで悩んでるの」

「簡単に答え出せる訳ないだろ」

「ふーん……えいっ」

「うおわっ」

 

 ユーリはぐいと缶ビールを大きく煽ると、ベッドにもたれてた私に飛びついてきた。私はそれになすすべもなく、いつぞやのようにユーリにベッドに押し倒される形となった。

 

 「ちーちゃんさ、この前も話したじゃんか」

 「な、なにを」

 「私たちは行き止まりだって」

 

 それは、アイドルの話がくる少し前にユーリが私に言った言葉だ。

 

「あの時は、適当な国に行って旅して回ろうなんて言ったけど、割と冗談じゃなくそう思っててさ。このまま社会に出て就職して普通に過ごしてても、面白い事なんてなんもないんだって思ってた」

「それは……分からないだろ。だったらそれこそ、ユーだけでも今回の話は受けるべきなんじゃないのか」

「私は、今が欲しい。ちーちゃんと一緒の今しかいらない。それ以外の今なんていらない」

 

 だから、ちーちゃんが一緒じゃないなら、アイドルなんてやる意味がない。

 

 あの時と同じように真っ直ぐに私の目を見ながら、ユーは、ユーリは、そう言った。

 ずっと考えていたことだ。大学生というモラトリアムの身分に甘えながら見ないふりをしてきたけれど、私たちが一緒にいられる時間は、もうあまり残されてはいないと。私とユーリは得意なことも苦手なことも違う。それぞれ自分に合ったところに就職して、違う生活サイクルを送っていれば、そのうち会う頻度もだんだん少なくなって、どっちかが結婚すればなおさらだ。今まで物心ついたときから今日までずっと一緒で、お互いの家に入り浸って、惰性で時々体を重ねて、二人して酒を飲んでヘラヘラ笑う生活。ずっと二人で一緒にいる生活に行く末なんてないと、ユーリの方が強く認識していたからこそ、「行き止まり」なんて言葉が出てきたのかもしれない。

 そこに現れた、アイドルという第三の選択肢。

 二人の新しい今を手に入れられるかもしれない、新しい選択肢。

 これが結論の先延ばしなんてことは分かってる。アイドルなんてそう長く続けられるものではないだろう。続けるどころか、アイドルとして芽が出るかどうかもまだ分からないのだ。いずれまた、同じ選択を迫られる時が来るだろう。それは分かってる。

 

「ユー……」

「うん」

「やろうか、アイドル。」

「……うん。」

 

 私だって、ユーリとの今がもっと欲しい。

 私の答えに、ユーリは満足そうに薄く笑った。

 

「せっかくだからさ、明日直接言いに行こうか。やりますって」

「なんだそれ。電話でいいだろ」

「いいじゃん。決意表明ってことで」

「バイク出すの私だろうどうせ……」

 

 ユーリの提案に文句を言いつつも、内心それもいいかもな、なんてことを思っていた。

 私はのしかかっていたユーリをどけて、机の上の飲みかけの缶ビールを景気づけに一気にグイと飲み干したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?もうメンバーの枠は埋まった?」

 翌日、私は765プロの事務所で地獄にたたき落とされることとなる。

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