アルケミアストーリー~クロとエルの物語~ 作:cloverlight
私は覚悟を決めて、大きく息を吸い込むとエルサイスの目を真っ直ぐ見ながら、言葉を紡ぐ。
「ねぇ、エル。私は、男が恐い。男が恐くて憎い。」
そんなこと、本当は認めたくなかった。でも認めなければ、自分の差別と向き合えない。
城門下で腕を掴まれたときも、王の間で兵士に囲まれたときも、あんなに怒ってしまったのは、相手が『男』だったからだ。
結局、魔物を見れば悲鳴を上げる人々と一緒で、私は相手が『男』というだけで、怒りをぶつけていた。
「そっか。」
エルサイスはそう素っ気ない返事をしながら、マグカップを握りしめる私の指先に、ふっと触れる。私はびっくりして一瞬体を強ばらせた。
「僕が恐い?」
「エルは……多分、大丈夫。でも、男の中ではマシな方って感じでしか、評価できない自分がいて、嫌だ。」
私はずっと『女にしては強い』という評価に苦しんできた。元々男が1番であって、その下に女がいて、その中では上の方という評価軸の中では、私は一生1番になれなかった。
それと同じことを、私は大事なパートナーにしているのだ。それが自分で許せない。
「うーん……。僕は別に構わないけどね。」
エルサイスはそう言って一瞬だけニコッと笑う。
「僕はさ、ただ単純に魔物を恐がる彼らと、クロが一緒だとは思えないよ。」
私は首を傾げる。他にどんな余地があるのか、自分ではわからない。
「僕はよく知らないけどさ、クロが感じた恐怖は、クロのものなんでしょ?誰に言われたわけでも、教えられたわけでも、世間の風潮でもない。クロが実際に経験して感じたことなんじゃないの?」
私は「うん」と頷く。
思い出されるのは、騎士時代のことだ。いきなり髪を掴まれたり、後ろから抱きつかれたり、不意打ちで組み伏せられたり、他にも思い出すだけでも吐き気がするようなことを『男』たちにされた。
「その恐怖と、この国の人たちが感じる恐怖は、質が違うんじゃないかな。この国の人は、ただ何となく怯えている。でもクロは、実際に何らかの被害に遭って、相手から恐怖を植え付けられた。」
エルサイスはそう言いながら、私のマグカップを指さし、中身を飲むよう促す。私はそれに従って、少し冷めたけれど、まだほのかに温かいミルクを喉に流し込んだ。少しだけ、ホッとする。
「クロの言うとおり、恐怖と差別はセットになりやすい。だからこそ、立ち振る舞いには気をつけなきゃいけないんだよ。僕ら人間も、魔物も。クロで言うなら、男も女も。」
スっと私の心の糸が解けていく。
エルサイスは、私の恐怖を、そこからくる差別心を否定しなかった。それは差別を作ってしまった側が、気をつけなければならないことだと、言ってくれた。
私は、騎士時代のことを、仕方ないことだと、女で騎士になろうとした者の宿命だと思って、今までずっと、その気持ちにフタをしてきた。
「あぁ……エル……。私はずっとね、なんでもないことって、思おうとしてきたんだ。不当な扱いを受けてたんだって、自覚すればするほど、怒りとか恐怖が私を支配して、どんどん『男』ってだけで嫌な目で見ちゃうから。」
なんだか急に泣きそうになって、私は手の甲で涙を拭う。
「私、弱くなったのかなって……。」
気にしなければ、傷だと思わなければ、私の心がもっと強ければ、こんな思いはしないで済んだはずだ。でも私は、触れてしまった、気づいてしまった。
「それは違うよ。見ないふりするのは、きっと簡単なんだ。クロはちゃんと自分の痛みと向き合ってる。それが本当の強さだと、僕は思うよ。」
エルサイスの言う通りだとしても、私はまだこの痛みをコントロールできていない。ただ恐くて、その恐さから、差別を振りまき、自分がされたらぶん殴りたくなるようなことを、他人にも、エルにもしてしまっている。
「それでも……。嫌なんだ。個人じゃなく、カテゴリーでしか見れない自分が。」
「クロがそう思うなら、戦うしかないんじゃないかな?」
「戦う?」
「自分の恐怖心と。」
言葉にすれば単純だが、現実はそう簡単な話ではない。私が行こうとする道は、厳しく辛い。きっとかなりの痛みを伴うだろう。
でも、それから逃げてたら、ずっとこのままなのだ。
「クロは十分強い。羨ましいくらいに。僕はまだ逃げてるよ。考えないようにして、忘れたふりしてる。向き合うのが怖いから。」
そうエルサイスが自嘲する。その姿があまりに儚げで、消え入りそうだったので、私は思わずその頬に手を伸ばす。柔らかな肌にスっと触れれば、命の温かさがあり、彼は確かにそこに居て、生きていた。
「クロ……?」
エルサイスの驚いた顔を見て、私はハッと我に返る。
「あっ……えっと……。」
慌てて手を離すと、熱くなる顔を見られないように、ルームランプの明かりが届かない暗がりへと、体を引っ込めた。
「なんか……どっか行っちゃいそうだったから……。」
しどろもどろになりながらも、なんとかそう絞り出す。
「僕はどこにも行かないよ。」
エルサイスはそう言うと「ふふっ」っと笑った。
沈黙。
夜の静けさが私たちを包む。でも冷たくはない。むしろ、暖かくて、柔らかく、安心できた。
「そろそろ寝ようか。一緒のベットで寝る?」
そうエルサイスがいたずらっぽく笑いながら、私の頭を撫でようとする。
「調子に乗るな。」
私はその手を振り払い、あっちへいけと蹴って彼を追っ払う。
エルサイスは
「つれないなぁ……。」
と不満漏らしながらも、顔は笑っていた。
すぐ茶化して、嫌なやつだ。私は小さくため息をついた。
「消すよ。」
「うん。」
ルームランプが消えると、夜のベールが部屋を包んだ。柔らかなベットに身を横たえながら、私はゆっくり目を瞑る。
痛みも恐怖も、すぐには癒えないし、消えない。私はまだ自分が傷ついていたんだと、自覚しただけで、癒し方も、向き合い方も、これから考えていくのだ。
私はまだスタートラインに立ったばかりだった。
どうすればいいのか見当もつかないが、私は1人ではない。大事なパートナーがいる。しかも『男』のパートナーだ。それがいい方向に私を導いてくれる。
ただ、漠然と、そんな風に思った。
隣のベットから、すやすやと安らかな寝息が聞こえる。その息遣いに合わせて、私も呼吸を繰り返す。眠気は急にやってきた。熱湯に入れた氷のように、私の意識はあっという間に、夜の闇へと溶けていった。