アルケミアストーリー~クロとエルの物語~ 作:cloverlight
僕の膝に頭を乗せて、静かに寝息を立てるクローバーの頬を、そっと撫でた。顔色は悪く無い。回復魔法で傷は癒えている。もう少しすれば、じきに目を覚ますだろう。
連邦の地下牢は薄暗くジメジメと湿っていて、放っておけば、あっという間に体温が奪われてしまう。地面の固さと冷たさから彼女を守るため、鞄から出した野宿用の毛布をかけ直しながら、僕は胸ポケットから懐中時計を取り出した。
20歳の誕生日に、師匠からもらったそれは、錬金術の技法と精巧な機械仕掛けで、正確な時を刻む。
時刻は午後9時を回っていて、エージンの家でのビモット暴走事件から、5時間程経っていた。
エージンに「ビモットを壊してくれ」と頼まれたとき、僕はなんと言うつもりだったのか。
「やりましょう」「できません」「他に方法を考えましょう」どれも違う気がする。
結局答えが見つからず、言い淀んでいたところに、邪魔が入ったのだ。
たとえ時間をかけたとしても、良い返答は思い浮かばないということは、今でも明白であったが、それでも尚、あの時邪魔が入らなければ、もっとマシな答えが見えたのではないかという期待が、捨てられずにいた。
だがしかし、それはもう取り返しのつかないものだ。邪魔は入り、僕らは囚われ、連邦の地下牢に閉じ込められている。
悪い夢を見ているような気分だった。
僕はユーリエフ家に生まれた瞬間から、疎まれ、蔑まれ、両親や兄からは人間としての扱いを受けたことなどなかった。衣食住の保証はあっても、居場所は決して与えられない。家のどこに居ようと邪険に扱われ、相手の視界に入るだけで殴られた。暴力に理由などない。僕は元々そういう、殴られても仕方ない存在として、あの家にいたのだ。
何も与えられず、元から持っていたものは奪われた。
唯一の理解者であった妹も、僕の手によって死んだ。事故だったといえば、そうであろう。でも、あれは僕の心が、彼女を縛り付けてしまっていたから、起きたのだ。
僕はもう何も望まない。失うくらいなら、壊してしまうくらいなら、何も持たなくていい。
そう思って、師匠の、血の繋がった本当の父親の元で、錬金術を学んだ。
それは救いだった。
錬金術は持っていても裏切らないし、決して失わない。知識は誰かの手によって消えるものでは無いのだ。
誰にも奪われないし、誰も傷つけない。
「はぁ……。」
またため息をついて、僕はまたクローバーの頬をそっと撫でる。こんなことは、寝てる今しかできない。起きている時は、すぐに鉄拳が飛んでくるのだ。
暴走し、エージンの首を締め上げるビモットを思い出す。
錬金術で得た知識は、こうして奪われ、誰かを傷つける。
エージンの知識の結晶のビモットは、連邦にその中身を奪われ、エージン自身を傷つけ、次はどこかの誰かを傷つけるだろう。
僕は、大事な宝物が、世界で唯一愛したものが、奪われる瞬間を目の当たりにしたのだ。
本当にバカバカしい。この世界には砂の城しかない。ずっとそうわかっていたはずだった。確かなものなど何もない。手に入れれば奪われる。そんなことは幼少の頃何万回と経験していたのに、僕はまた錬金術の美しい化学式に、合理的で無駄のない世界に目がくらんで、バカな妄想に浸っていたのだ。
それを奪いたいと思う者がいれば、すべては容易く奪われてしまう。僕の手で守れるものなどないのだ。
「悪い夢なら、ずっと見てるじゃないか……。」
今この僕が生きている世界そのものが、正に悪夢だった。
氷のような静けさが、地下牢を満たす。
「エル……?泣いてる?」
クローバーの暖かい手が下から伸びてきて、僕の頬に触れた。
「クロ?起きたの?大丈夫?」
ハッと我に返って彼女を見下ろす。ぼーっとした目をしているが、口元は優しく微笑んでいた。
「泣いてるのか?」
尚もそう聞いてくる彼女に、僕はキョトンとしてしまう。
「泣いてないよ?」
嘘ではない。涙などこれっぽちも出ていなし、その証拠に、クローバー触れている僕の頬は濡れていない。
「そうか……。」
寝起き特有のぼやぼやした声で、クローバーが呟く。
「どうして、泣いてると思ったの?」
「ん、何となく。」
クローバーはぬるりと体を反転させながら起き上がると、僕の首に縋るように抱きついてきた。
「うぇ?あっ?く、クロ?」
突然のことに、僕の思考は追いつかず、目を白黒させる。
背中に回されたクローバーの手は暖かく、細い首元からはほのかに優しい肌の香りがした。
抱き締め返したい衝動に駆られたが、2本の腕をわなわなと震わせることしかできず、自分の情けなさに苦笑いがこぼれる。
怖かった。それに触れてしまえば、また失って惜しいものが増えてしまう。もう絶望はたくさんだった。僕は臆病者なのだ。
「泣いたっていいんだぞ。」
クローバーが僕の肩に顔を埋めたまま、くごもった声で言う。
「泣かないよ。」
強がったわけではない。涙なんて、本当に一滴もでてこないのだ。
「そうか。」
クローバーは案外あっさり引き下がると、体を離し、眠そうに目を擦る。
「大丈夫?」
「うん。」
まだ意識がはっきりしないのか、クローバーは言葉少なで、どこか気だるそうだ。
急にガチャガチャと牢屋の扉が開けられる音がして、囚人が1人追加された。
僕とクローバーは一瞬顔を見合わせると、新入りの方に目を向ける。
「おお、お互い落ちぶれたもんだな、友人。」
聞きなれた声で、フェンダークが軽い挨拶をしてきた。
「お前何やってんだ?」
怪訝な顔で、クローバーが返す。
「どうしたんです?」
「ま、大体、友人と同じ理由だな。不穏な動きをしてるヤツは大体、こういう目に遭うってわけだ。」
フェンダークはそう言いながら、地面にどかっと座り込むと、胡座をかいた。もうどうしよもないからゆっくり休むというような態度だ。
「不穏な動きをするよう仕向けたのはお前だろ?私らは、あんたがエージンに会いに行けって言うから、会いに行っただけだ。」
クローバーの主張に、フェンダークは肩をすくめるだけで、何も言わない。
フェンダークがどこまで予想していたのかは、僕にもわからない。でもその口ぶりから察するに、少なくともエージンに会いに行けば連邦と何らかのトラブルになることは、ある程度想定内だったようだ。
だがしかし、そんなことをして一体なんになるのか?
「これからどうするんですか?」
僕はフェンダークの向かいに座り直しながら聞く。クローバーも僕の隣に腰を下ろし、3人で丸くなるように座った。
「まぁ、自由はき利かねぇが、ここは平和だ。メシも出るし、外の世界なんて関係ねぇ。」
クローバーが口をへの字に曲げてこっちへ合図を送ってくる。まったく同意できないらしい。
「このまま、ここで残った人生を罪の禊に費やしてもいい。」
呆れ返ったクローバーが、眉をよせ、ゴミを見るような目をフェンダークに返す。
僕はそれが面白くて、思わず笑ってしまう。
「……なんてな。」
最後、フェンダークは片方の口の端だけ釣り上げる笑顔で、冗談を締めくくった。すぐに
「全然面白くねぇな。」
と、クローバーの辛口な批評飛ぶ。
「こういうとき、冒険者はどうするか。ここの門番をぶっ殺して、出てって、平和のために働くんだよな。」
「聞かねぇ話だな。」
冗談の続きだと思ったクローバーが、そう、不愉快そうに鼻を鳴らす。
でも僕には、フェンダークが至って真面目に、本気でその話をしているように思えた。そう考えた方が、辻褄が合うのだ。
目的は不明だが、フェンダークは、僕らを戦争に参加させたがっている。しかも、純粋な戦力ではなく、もっと複雑で乱雑な交渉ごとに巻き込もうとしているように思えた。
問題はなぜそんなことをするのか?
先にいったように、目的は不明。皆目見当もつかない。元々フェンダークは、何を原動力に、何の目的で動いているのか、まったく見えない人物なのだ。
それでも今まで特に不利益もなかったし、むしろ魔王ちゃんの件では助けてもらったこともある。だから正体不明でもそれを享受してきたが、今回の件は問題が大きすぎだ。
それでも、事態はもう引き返せない所まできているような気がした。
「ぶっ殺した時点では悪だと言われる。だが、その先で侵略者を数千人殺し、多くに国民が幸せになれば英雄と呼ばれ、正義だ。何が正義で何が悪か……。てめぇの中で正義は、どっちか…… 。」
そう言いながらフェンダークは「ふあぁ」っと大きなあくびをする。
「俺は寝る。」
フェンダークはそう短く言うと、立ち上がり、牢屋の隅に行き、ゴロンと寝転がってしまった。
「勝手なやつだな。」
呆れたため息をつくクローバーに、僕は肩をすくめて返す。
フェンダークが勝手ではなかったことなんて、きっと1度もないのだから、仕方ないだろう。