アルケミアストーリー~クロとエルの物語~ 作:cloverlight
「泣いてないよ」と不思議そうに言うエルサイスは、なんだかとても痛々しくて、儚くて、消えてしまいそうで、私は思わずその体を抱きしめた。
そうすることに、何らかの効果があったかと言われれば、ないかもしれない。
それはただ彼を戸惑わせただけで、何も響いていないように思えた。
自分の感情を表現したり、自覚したりするには、ある程度の訓練が必要なのだ。
悲しい時には泣いて、嬉しい時には笑って、腹が立ったら怒る。そんな単純な動作1つとっても、その思考の流れを読み解けば、とても複雑で、大人でもコントロールするのは困難である。
私はすぐ怒りや高揚感に振り回されるし、イライラの原因を言語化するまで、時間がかかりがちである。
でもそれは、何らかの事象に反応して、感情が動いている証拠だ。問題は、そのあとの「自分の感情の自覚」という点で不具合が起きやすいということなのだ。
ところが、エルサイスはその前の時点「事象に対する感情の反応」で、不具合を起こしているように思える。
悲しい場面で悲しいと思えない。我慢しているわけではないのが、また厄介だった。
事象に対して、反応するスイッチを切ってしまっているようなのだ。
その心には何も響かない。
動揺もないし、痛みも感じない。ある意味穏やかであろう。
でも、慰めで癒しを感じることもまた、できないのだ。
誰が彼をこんな風にしたのか、責任者がいたら訴えたい。
「クロ?大丈夫?」
フェンダークが寝ている場所とは反対側の壁に寄りかかった私たちは、肩を寄せ合い暖を取る。
薄暗い地下牢はひんやりと冷たい空気が漂っていた。息が白くなるような寒さではないが、じっと地面に座っているだけだと、体温は奪われ、指先はどんどん氷のようになっていく。
「寒い。」
「うん、寒いね。」
エルサイスは同意を示すと、膝にかけていた毛布を口元まで引っ張りあげてくれる。
「さて、どうしようか?」
「さぁね……。」
はっきりした回答は元から期待していなかったので、気のない返事にも腹は立たなかった。
「どうにもできないか。」
「そうだね。」
「じゃぁ……どうしたい?」
「僕?」
意外そうな顔で、エルサイスが首を傾げる。
「そうだよ。エルはどうしたい?」
私がさらに続けると、彼は困ったように眉を下げ困惑を示す。
「僕は別にどうもしたくないよ。強いて言うなら、なるようになればいいと思ってる。」
「じーさんは、エージンことはどう思うんだ?」
私はそう核心を突いたつもりだった。でもエルサイスは
「どうも思ってないかな。技術を生み出すということには、それなりのリスクがある。そこから永遠に逃れる方法なんて、僕ら錬金術師持ち合わせてない。エージンさんのことも、ビモットのことも仕方ないことなんだよ。」
と言うだけで、暖簾に腕押しだ。
「そんなもんか。」
深く追求はしない。追いかけたところで、意味のある論議にならないのは一目瞭然だった。
痛みを感じないやつに、痛みとはどういうものなのか説明するのは、途方もなく複雑で乱雑で大変なことで、私1人で面倒を見切れるわけがないのだ。
「クロはどう思うの?」
「私?私はさっさとここから出たいね。寒いし、お風呂に入りたい。」
私が冗談混じりにそういうと、エルサイスがおかしそうにクスッと笑った。じんわり安堵が広がる。
「フェンダークさんは、ここから出て、戦争に参加しろ、みたいなこと言ってたけど。」
そう、冒険者なら平和のために戦う、なんてうそぶいていた。
冒険者は冒険者であって、英雄でも勇者でも、ましてや正義の味方でもない。
ただ世界を自由に旅して、冒険をする者であって、そこに他の意味を持たせようというのは、随分乱暴な話だった。
「聞かねぇ話だなぁ。」
このセリフは2回目だ。
「根拠が薄すぎる。動機としては弱いね。」
エルサイスが同意を示す。
お互い見つめ合って、ため息と苦笑い。
なんとも言えない気分だった。
コツコツと、こちらへ向かってくる足音に、私とエルサイスは顔をあげ、牢屋の外に目を向ける。
反対側で寝っ転がっていたフェンダークも「ふぁーあ」っと大きな欠伸をしながら、床に座り直していた。
現れたのは、銀髪の青年、ハクロ王子だ。
意外な訪問客に、私とエルサイスは訝しげに顔を見合わせる。
「さっきは悪かった。おまけにこんなところに閉じ込めて……。陛下の言うことには逆らえないんだ。王子と言えね……」
ハクロ王子はそういうと、小さく息を吐いた。相変わらず、お上品なため息だった。
「君を捕まえたのは、君にお願いしたいことがあるからだ。」
ハクロ王子の言葉に、私は眉を寄せて身構える。面倒事が増えそうな、嫌な予感がした。
「魔王を封印した話や、魔物退治のこと、噂はいろいろ聞いている。」
「瑣末ことだ。」
一応牽制を送るが、王子の目は変わらない。もう既に、覚悟を持ってここに来ているのであろう。無駄弾に終わった。
「そんな君に王を脅して欲しいんだ。僕を人質にしてね。奪った機械兵の生産を止めるようにって。」
「はぁ?」
若干語気を荒ぶらせながら、眉を寄せる。無茶苦茶過ぎて、そうとしか返せなかった。
一体こいつは何を言っているのだ。
「クロ。」
仮にも一国の王子を前にして、随分失礼な態度を取る私を、エルサイスが窘めてくるがお構い無しだ。
「バカバカしい。そんな脅しが効くようなやつかよ。お前んとこの王様は。」
私の言葉にハクロ王子は唇を噛む。でも、もう止まれないのだろう。
「陛下は戦争をしたがっている。どこでもいいから手当たり次第に。手始めは公国だろうか。」
と、言葉を紡ぐ。
「お前の親父の目的は一体なんなんだ?」
そもそも戦争というのは、極めてリスクの高いビジネスなのだ。どんな大義名分を振りかざそうと、負けたら全て水の泡。やるならそれなりのリターンが見込めなければならない。
連邦は戦争を起こすことで、一体何を得ようとしているのか?それがさっぱりわからない状態だった。
私の質問にハクロ王子はしばし沈黙する。
しかし、最後は諦めたように頭を左右に振ると、肩を竦めてみせるだけで、意味のある言葉を練ることはできなかったようだった。
「わからない。というわけですか。」
エルサイスが、いつものよそ行きの微笑みを貼り付けた顔でハクロ王子に返す。
王子は申し訳なさそうに「うん」と頷く。
「とにかく、陛下は戦争をしたがっている。そんな時に、おあつら向きの機械兵を手に入れた。だが機械兵を使用すれば、この世界はバランスを崩し、世界そのものを崩壊させてしまうんだ。」
「目的と手段が逆の可能性もありますね。」
ハクロ王子の話に、エルサイスが反応を示す。私はその意味がよくわからず
「つまり?」
と聞き返した。
「機械兵という強い武器を手に入れた。だから、戦争がしたい。という可能性もあります。圧倒的な武力があれば、戦争に「負ける」というリスクを極限まで減らせますからね。」
リスクが無いなら、リターンを望まなくてもいいという暴論だ。
「子供じゃねーんだよ。「ぼくのさいきょうのぶきをためしたい」なんて初めて木刀を振り回した5歳児か?」
正直な感想をぶつけるが、エルサイスは肩を竦めるだけで
「5歳児の思考と、さほど変わらない大人は、結構いっぱいいるんだよ。」
と、窘めてきた。
バカバカしい話だ。なんでそんなやつらに、平和な暮らしを引っ掻き回されなければいけないのだ。
「君の協力があれば、機械兵を止められるかもしれないんだ。」
ハクロ王子がそう割り込んでくる。
「失敗したら、世界は……終わるかもしれない。……今は君しか頼れないんだ。頼む。世界を救ってくれ。」
冷たい牢屋に、沈黙が広がる。
世界を救ってくれとは、大きく出たもんだ。壮大すぎるが故に、全然心に響かない。
チラリとエルサイスを盗み見る。なんでもない、いつもと同じ、僅かに微笑んでいるような柔和そうな顔で、感情の反応のスイッチを切ったままだ。
私はため息をついた。
「断ってくれても構わない。逃げてくれても構わない。君たちが、救ってくれることを期待して、牢屋の鍵を開けて待っている。」
ハクロ王子はそう言って、カチャリと牢屋の鍵を開けると、期待を込めた眼差しで、こちらを見つめてくる。
そんな目で見られても困ってしまう。世界を救うなんて大それたこと、私たちがやる義理などどこにも無いのだ。