アルケミアストーリー~クロとエルの物語~ 作:cloverlight
私はベットの上に寝転がり、本を読んでいた。
身分違いの男女が恋に落ち、周囲の反対を押し切って、駆け落ちする、そんな恋愛小説だ。随分前に、エナが不老不死の村の劇場で見たと言っていた演劇も、そんな内容だったなと思い出す。流行っているのかもしれない。
「つまらん……。」
私はそうつぶやくと、本を投げ出す。まだ半分ほどしか読んでいない。
なぜこんな本を買ってしまったのだろうと後悔する。
公国で時々開催される『本の市場』に、私とエルサイスはよく行く。私は読書のための小説を、エルサイスは錬金術のための学術書を探して買うのだ。
この恋愛小説も、そこで買ったものだ。チョコレート色の布装丁で、金文字の美しいフォントと縁取りが、芸術的だった。それに目を奪われて、つい、中身を見ずに買ってしまったのだ。表紙は美しいのに、中身はスカスカだ。いや、見る人が見れば楽しめるのかもしれないが、私には合わなかった。
私は幼い頃、騎士になるための教育を受けていたので、最低限読み書きができなければならなかった。その勉強の一部として、よく小説を読んでいた。
小説は、事前知識が少なくても、言葉さえわかれば気軽に楽しめる。今でも、雨の日や、夜寝る前など、ちょっとした空き時間に、ぱっと本を開いては楽しんでいる。
一方、エルサイスが読むのは、難しい学術書や研究書だ。それらは前提理解がないと、読み解けないものばかりなので、私は手が出ずらい。
今エルサイスは、黒い革張りの装丁の小さな本を広げて、時々何かを確認するように見ながら、ジルコニアを加工している。
テーブルの上で、ジルコニアがキラキラ光っていた。宝石みたいでキレイだ。
「調子はどうだい?」
「んー?まぁまぁだよ。」
私が聞くと、エルサイスはかけていたゴーグルを外して、額の汗を拭う。
「加工自体はできる。でも、僕のはエージンさんのレンズに比べて、屈折率が悪いね。僕の腕じゃ、これ以上カット数が増やせないんだ。」
「ふーん……。」
よくわからない。でも、大変そうだ。
「時間もかかっちゃうしね。」
エルサイスはジルコニア加工するのに、さっきから2時間以上テーブルにかじりついていた。それでやっと1個完成させたのだ。いや、本人が納得していないので、完成とは言わないのかもしれない。
「エージンさんは確かに天才だよ。」
そう言いながら、エルサイスは笑った。目の前に立ちはだかる壁を見て、それを楽しむような感じだ。
私は、エルサイスのこういうところが好きだ。たとえ自分より遥か上の能力をもつ人がいても、腐らない。むしろ喜びを持ってそれを目標とする。
世の中には、そういう人を妬んだり、馬鹿にしたりして、自分の尊厳を保とうとするやつがごまんといるのだ。
「まだやる?」
エルサイスがまだ加工を続けるのなら、先にシャワーを浴びておこうと思っていた。
「いや、もう今日はおしまいにするよ。目がチカチカするや。」
エルサイスはそう言いながら、メガネを外し、目をこすった。
「じゃぁご飯でも食べに行く?」
「あぁ……もうこんな時間なのか。クロ、ごめん。お腹すいてたでしょ?」
エルサイスがメガネをかけ直し、時計を見ながら言う。夕飯にするは、随分遅くなってしまっていたが、私は気にならない。
「別にいいよ。じーさんのところでクッキー食べたし。」
このくらいの時間方が、私にとっても都合がいい。
「そういえばそうだったね。僕はお腹ぺこぺこだ。」
「じゃ、行くか。」
私は勢いよくベットから起き上がると、宿を後にした。
連邦の酒場は、今日も盛況だ。食事をする人よりは、お酒を飲む人の方が多い時間帯なので、どのテーブルも酔っ払いで騒がしい。
エルサイスはウェイターを呼び止めると、料理を注文する。いつもより品数が多い。
「私そんなに食べられないからね。」
先回りして、牽制を送る。
「僕が食べるからいいよ。」
最後にビールと、サイダーを注文して、おしまいだ。ウェイターは足早に厨房に去っていった。
いっぱい食べられるエルサイスが、少し羨ましい。私は食べたくても、食べられないのだ。胃袋のキャパが小さい。大剣を振るうには、もう少し体重を増やした方が安定するのだが、中々難しい。
料理がくると、エルサイスは大いに食べて、大いに飲んだ。今日のエルサイスは、やっぱりどこか機嫌がいい。
「じーさんのところには、時々寄るようにしようか。」
「そうだね。友達になったし。」
エルサイスはそう言うと笑った。私もおかしさがこみ上げてくる。
ボンド『シルフィード』とのメンバーとは仲良しだが、それは『同志』とか『仲間』という感じで、『友達』とはまた違う。
この歳になって、新しい、しかも随分年上の『友達』ができるとは思ってもみなかった。
エージンから見れば、私たちなんてただの小娘と小僧だ。こんな年端もいかない子供に、自ら「友達になってくれ」と頼むのは、相当勇気が必要だっただろうし、多少のプライドも捨てただろう。
それだけで私は、エージンをリスペクトできる。天才はただの天才ではなく、奢らず、膿まず、褪せず、老齢になっても自分を磨き、挑戦していた。
「(どっかのクソガキとは大違いだな。)」
私は少し前に会った、ひねくれ天才錬金術師のアルスを思い出していた。
同じ天才でも、エージンの方がずっと格が高いように思える。
「ブライドはどうなのかな?」
「どうって?」
「公国の手先だと思う?」
私の疑問に、エルサイスは「うーん」と首を捻る。
「難しいところだね。ブライドさん自身は、ビモットを奪うとか、そういうことはしないと思うけど、公国としては、あの技術は欲しいんじゃないかな?」
いつの時代も、高度な技術の発展と戦争はセットだ。文化の発展に寄与する美しい技術を、人間は人殺しの道具に使う。愚かなことだ。
「かわいい息子を戦争の道具にされるのは、じーさんだって嫌だろうね。」
「エージンさんは娘って言ってたけど。」
私にはなぜか息子に見える。
「機械人形は、兵士として使うには都合がいいんだよ。命令に逆らわない、恐怖も痛みも感じない、それに死なない。」
エルサイスはそう言いながらも、どこか悲しそうだ。
「耐久度もあって、戦闘能力も高い。」
「パーフェクトってわけか。」
私は暗雲たる気持ちになった。
「エージンさんだって、最初はただの興味だったんだろうね。ビモットを作ったのは。」
「技術を生み出すやつに罪はない。使うやつの頭が未熟なのが問題なんだよ。」
私はため息をついた。人間は未熟だ。でも、私もその人間の1人なのだ。
「中々難しいね。」
エルサイスも、私に倣ってため息をついた。なんだか暗くなってしまった。
隣のテーブルで、拍手が沸き起こる。誰かの誕生日のようだ。大きなケーキが運ばれてきて、店員たちが、ハッピーバースデーの歌を口ずさむ。やがてそれは酒場にいる全員を巻き込む大合唱になった。
私とエルサイスも、その渦に参加する。今日はなんだか気分がいい。
戦争の足音は、私たちすぐ後ろまで、刻一刻と迫ってきていたが、私とエルサイスはまだそれに気づいていない。
誕生日の主役の青年が、照れくさそうにケーキのロウソクを吹き消すと、酒場全体に、拍手やら、指笛やら、ベルやら、様々な祝福の音が響き渡る。
今はまだこうして、束の間の平和を、私はエルサイスと2人で楽しんでいた。