アルケミアストーリー~クロとエルの物語~ 作:cloverlight
チョコレートケーキを口いっぱいに頬張るクローバーを見ながら、僕はコーヒーを飲んでいた。
「口、ついてるよ。」
僕がそう指摘すると、クローバーは口元についたクリームを親指で拭って、ペロリと舐める。何だかセクシーだな、なんて思う。
公国の酒場はお昼のピークタイムを過ぎても賑わっていた。本の市との相乗効果があるのか、冒険者だけでなく、一般客も比較的多くいて、いつもよりも騒がしい。
僕はコーヒーの香りを楽しみながら、クローバーが言った『でも』の先について考えていた。
死というゴールは絶対で平等だが、生は違う。人は生まれながらにスタート地点が違っているのだ。そのスタート地点が、厳しく、険しい人もいる。テイルや、ポーラのように。
そこでくるのが、クローバーの言った『でも…』なのだ。
『でも』僕やクローバーが、彼らに比べて、楽で簡単なスタート地点だったという訳では無い。確かにお金もあったし、衣食住の保証もあり、それなりに恵まれていたかもしれないが、僕もクローバーも、それとは別の困難を、多く抱えていた。
「ねぇ?クロ?」
「ん?」
「クロは、自分が他人より不幸だとか、恵まれてないとか、そう思ったことがある?」
クローバーはケーキを口に含みながら、「うーん」首を傾げる。
「あんまりないかなぁ……。誰かを羨んだり、妬んだりは、月並みにあるけどさ、それと比べて自分は不幸なんて思うのは、なんか違う気がするし。」
僕はその言葉に「うん」と頷く。
どっちがより苦しいとか、どっちがより大変だとか、そういう比較に意味は無い。人はそれぞれ、ある程度の困難を抱えていて、そこに優劣はつけられないものなのだ。
「クローバーの『でも…』の先はさ。結局それじゃないかな?」
「どれ?」
「ポーラさんは厳しい生まれだった。僕らはそれに比べれば恵まれていたかもしれない。『でも』、僕らには、僕らの辛さがある。その辛さは、誰かの辛さと比べて、軽いとか重いとか、比較できるものじゃないんだよ。」
ポーラが不幸だからといって、僕らが幸福だった訳では無い。そこに因果関係はないのだ。
「うーん……ちょっと近いかも。なんかさ、なんとなく、楽だろ?って言われてるような気がしてたんだよね。そうじゃなくても、私が恵まれてることと、彼女が恵まれてないことは、関係ない。そんなん知るか。なんだよ。」
クローバーはそう言いながら、チョコレートケーキを3分の1ほど残したまま、フォークを置く。
「食べないの?」
「お腹いっぱい。」
クローバーは本当に少食で困る。こんな美味しいスイーツすら入らないなんて、普通なら考えられない。
「関係ないのに、勝手に羨まれて、それを理由に慈悲だとか、許しを請われて、応えなきゃいけないのが、納得いかない。」
クローバーがケーキの入ったお皿を遠ざけながら言う。本当にもう食べないらしい。
「エル、私はさ、多分、誰か許すのが苦手なんだ。」
クローバーの言葉に、僕はケーキの残ったお皿から顔を上げ 、彼女を見つめた。
「私が許されたことが無かったから、誰かを許すと、許されなかった時の自分が、心の中で騒ぎ出す。それでモヤモヤするんだよね。」
それが、クローバーの答えだった。
「クロ、そのモヤモヤは大事なことだよ。無視しちゃダメだ。」
自分の心の声を無視し続けると、取り返しのつかないことになる。僕はそれをよく知っていた。僕自身がそうやって、もう戻れなくなってしまっていたからだ。
「クロには、ポーラさんを許さなきゃいけない義務も、責任も無かった。」
あそこでポーラを断罪したって、あの時テイルに言い返したって、それは悪いことではないのだ。ただ、それを『しなかった』ことの選択には、大いな意味があるだろう。
「クロがしたことは、特別なことだと僕は思う。でも、自分の心を無視して、無理にやる必要はないんだよ。」
「そうかぁ……。」
クローバーは僕の言葉の余韻を噛み締めるように、目を閉じた。どこかすっきりしたような顔をしているようにも見えて、僕は少し安心する。
しばらく沈黙。
口を閉ざすと、周りの喧騒がより大きく聞こえる。カランコロンと酒場のドアについているベルの音が聞こえたので、僕はなんとなくそちらを見た。
「あ、テイルさん。」
僕が手をあげて呼び止めると、テイルの横からソラが飛び出してきて、クローバーに駆け寄り、思い切り抱きつく。
「くーちゃん!」
「ソラちゃん!元気だった?」
クローバーはソラが抱きついた反動で椅子から落ちそうになりながらも、ソラを優しく抱きしめ返す。ソラは嬉しそうにクローバーの胸に顔をうずめながら「うんうん」と頷いて返事をした。
「よぉ。」
あとからきたテイルは、そう短く挨拶をすると、僕の隣に腰を下ろした。
「ソラさんすっかりクロに夢中ですね。」
笑いながら僕がそう言うと
「困ったもんだよ。しょっちゅう「くーちゃんがね」って話を聞かされる。」
と、テイルが呆れたため息をつく。
クローバーが、余ったチョコレートケーキをソラちゃんにアーンしている隙に
「ソラちゃんの様子はどうですか?」
と、小さな声でテイルに尋ねる。
「一時期に比べれば、随分良くなった。かなり安定してるよ。まだ時々悪夢にうなされることはあるみたいだけどな。」
先日、ソラは誘拐事件に巻き込まれ、心に深い傷を負ってしまっていた。でも、今は随分元気そうに見える。
「何かあったらいつでも言ってくださいね。すぐクロが駆けつけますよ。」
「くーちゃん、だーい好きです!」
僕の言葉に、ソラが嬉しそうに笑う。テイルは困ったように頭を抱え
「このままだとクローバーを『お姉ちゃん』とか呼びそうで怖い……。兄貴の俺の立場があああ!!」
と、叫んだ。僕はそんなテイルがおかしくて、笑った。
ソラのジュースが届くと、クローバーはソラを誘って2階の席へ移動する。そうやって、時々2人きりで話して、ソラの経過を見ているのだ。
「くーちゃんあのね、こないだテイルがね……」
クローバーに連れられて、2階への階段を登るソラの姿を、テイルが不安そうに見つめる。
「ソラちゃんおしゃべりだから、すぐ俺の失敗とか、見られたくないところを、あいつに話しちゃうんだよなぁ……。」
てっきりソラの心配をしていると思っていたのに、テイルは自分の心配をしていた。そんな姿に、僕は安心する。それくらいの余裕が出てきたと言うことだ。
僕とテイルは、向かい合わせに座り直すと、それぞれ飲み物を飲む。
「テイルさん、クロの話を1つ、聞いてくれますか?」
「なんだよ、藪から棒に。」
僕は、ポーラを許したクローバーの話をした。それは元々、テイルへの罪滅ぼしのためにやったことだ。それをテイルにそれ伝えるのは、恩着せがましいかもしれないが、クローバーの気持ちが伝われば、また何か変わるかもしれない。
「珍しいことするじゃねーか。」
テイルがグラスに入ったサイダーを飲みながら言う。
「明日は槍が降るかもな。」
「それくらい後悔してるってことですよ。」
「あいつは正論を言ったまでだ。 」
「正論で人が動いたら、苦労しないんですよ。」
僕がお決まりの言葉を言う。
「それもわかる。俺は正論ばっか言うやつが嫌いなんだ。正論じゃどうにもできねー人生歩んできてるから。」
正しい道を知っていても、そこに辿りつくには、本人の努力だけでなく、周りの環境も必要だ。
やりたくても、できない、いくつもの障害が、テイルにはあったのだろう。
一方クローバーは、正しい道に行くのが当たり前で、周りの環境が整ってなくても、自分の努力のみで辿りつくように言われてきたのだ。できないなんていうことは、許されなかった。
どちらも、苦しい事情があった。だからこそ、どっちが正しいとか、正解とか、そういうものはないのだ。
僕が2杯目のコーヒーに口をつけていると、テイルが思いついたように話し出す。
「なにもさ、他人の人生の苦労とか、幸せとか、気にする必要なんてねーんだよ。それがわかったところで、自分がどうこうなるわけじゃねーし。」
そこでテイルは人差し指を立て
「人生はポーカーゲームのようだ。」
と、得意そうに言う。
「なんだか素敵な響きですね。」
僕が気のない返事をする。
「適当なこと言ってんなーって思ってるだろ?」
「思ってます。」
「お前さぁ、なんで俺には馬鹿正直なんだよ。他のやつの機嫌は、嘘でもとるくせに。」
「だってテイルさん、そいうのお好きじゃないでしょ?」
「確かに嫌いだけど、なんかもっと他に言い方あるだろ。」
拗ねるテイルを見て、僕は笑う。
クローバーとテイルは、まったく違う人生を歩んでいるが、なぜか性格は似ているように思う。
「ポーカーゲームですかぁ……。」
ひとしきり笑ったあと、僕はそうつぶやいた。響きは素敵だ。
テイルがその意味について、話し出したので、僕は耳を傾ける。とても興味深い内容だった。今度クローバーにも話してあげたい。
「この話、テイルさんが考えたんです?」
「いや、受け売りだよ。」
全部話してすっきりしたのだろう。テイルは満足気な表情で、サイダーを飲んでいる。そこにクローバーとソラが帰ってくる。
「ただいま!テイル?なんかいいことでもあったの?」
どこかすっきりした表情のテイルを見て、ソラが言う。
「なんでもないよ。ソラちゃん、そろそろ行こうか?欲しい本が、売り切れちゃうよ。」
「うん!くーちゃんまたお願いします!エルさんもありがとうございました!」
「じゃぁ、またな。」
そう言って2人は、酒場を出ていった。
「お疲れ様。ソラさんはどう?」
2人の背中を見送ったあと、僕がクローバーに聞く。
「大分いいよ。まだ油断はできないけど。」
クローバーはそう言うと、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。
「ポーラさんのこと、テイルさんに話したよ。」
「お前、余計なこと言うなよ。」
クローバーが眉間にシワを寄せる。
「「明日は槍が降るかもな」って言ってた。」
僕がそう言って笑うと、クローバーがうんざりした顔をする。
「もう二度とやらねーよ。あれは気の迷いだ。」
クローバーはそう言いながら、荷物をまとめて、出発の準備をする。僕はウェイトレスを呼び止め、お会計をすませる。
「柄にもないことするもんじゃないな。」
「悪くないことだと、僕は思うけど。」
僕の言葉を遮るように、クローバーが手を振る。
「ないない。私らしくない。次同じようなことあったら、間違いなくぶん殴るわ。」
「暴力沙汰は困るなぁ。まぁもう同じようなことが起こらないことを願うよ。」
そんな僕の願いは虚しく、同じようなことは起こってしまうのだが、この時の僕は、まだそれを知らなかった。