アルケミアストーリー~クロとエルの物語~   作:cloverlight

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第56話 『でも…』の続き

チョコレートケーキを口いっぱいに頬張るクローバーを見ながら、僕はコーヒーを飲んでいた。

「口、ついてるよ。」

僕がそう指摘すると、クローバーは口元についたクリームを親指で拭って、ペロリと舐める。何だかセクシーだな、なんて思う。

公国の酒場はお昼のピークタイムを過ぎても賑わっていた。本の市との相乗効果があるのか、冒険者だけでなく、一般客も比較的多くいて、いつもよりも騒がしい。

僕はコーヒーの香りを楽しみながら、クローバーが言った『でも』の先について考えていた。

死というゴールは絶対で平等だが、生は違う。人は生まれながらにスタート地点が違っているのだ。そのスタート地点が、厳しく、険しい人もいる。テイルや、ポーラのように。

そこでくるのが、クローバーの言った『でも…』なのだ。

『でも』僕やクローバーが、彼らに比べて、楽で簡単なスタート地点だったという訳では無い。確かにお金もあったし、衣食住の保証もあり、それなりに恵まれていたかもしれないが、僕もクローバーも、それとは別の困難を、多く抱えていた。

「ねぇ?クロ?」

「ん?」

「クロは、自分が他人より不幸だとか、恵まれてないとか、そう思ったことがある?」

クローバーはケーキを口に含みながら、「うーん」首を傾げる。

「あんまりないかなぁ……。誰かを羨んだり、妬んだりは、月並みにあるけどさ、それと比べて自分は不幸なんて思うのは、なんか違う気がするし。」

僕はその言葉に「うん」と頷く。

どっちがより苦しいとか、どっちがより大変だとか、そういう比較に意味は無い。人はそれぞれ、ある程度の困難を抱えていて、そこに優劣はつけられないものなのだ。

「クローバーの『でも…』の先はさ。結局それじゃないかな?」

「どれ?」

「ポーラさんは厳しい生まれだった。僕らはそれに比べれば恵まれていたかもしれない。『でも』、僕らには、僕らの辛さがある。その辛さは、誰かの辛さと比べて、軽いとか重いとか、比較できるものじゃないんだよ。」

ポーラが不幸だからといって、僕らが幸福だった訳では無い。そこに因果関係はないのだ。

「うーん……ちょっと近いかも。なんかさ、なんとなく、楽だろ?って言われてるような気がしてたんだよね。そうじゃなくても、私が恵まれてることと、彼女が恵まれてないことは、関係ない。そんなん知るか。なんだよ。」

クローバーはそう言いながら、チョコレートケーキを3分の1ほど残したまま、フォークを置く。

「食べないの?」

「お腹いっぱい。」

クローバーは本当に少食で困る。こんな美味しいスイーツすら入らないなんて、普通なら考えられない。

「関係ないのに、勝手に羨まれて、それを理由に慈悲だとか、許しを請われて、応えなきゃいけないのが、納得いかない。」

クローバーがケーキの入ったお皿を遠ざけながら言う。本当にもう食べないらしい。

「エル、私はさ、多分、誰か許すのが苦手なんだ。」

クローバーの言葉に、僕はケーキの残ったお皿から顔を上げ 、彼女を見つめた。

「私が許されたことが無かったから、誰かを許すと、許されなかった時の自分が、心の中で騒ぎ出す。それでモヤモヤするんだよね。」

それが、クローバーの答えだった。

「クロ、そのモヤモヤは大事なことだよ。無視しちゃダメだ。」

自分の心の声を無視し続けると、取り返しのつかないことになる。僕はそれをよく知っていた。僕自身がそうやって、もう戻れなくなってしまっていたからだ。

「クロには、ポーラさんを許さなきゃいけない義務も、責任も無かった。」

あそこでポーラを断罪したって、あの時テイルに言い返したって、それは悪いことではないのだ。ただ、それを『しなかった』ことの選択には、大いな意味があるだろう。

「クロがしたことは、特別なことだと僕は思う。でも、自分の心を無視して、無理にやる必要はないんだよ。」

「そうかぁ……。」

クローバーは僕の言葉の余韻を噛み締めるように、目を閉じた。どこかすっきりしたような顔をしているようにも見えて、僕は少し安心する。

しばらく沈黙。

口を閉ざすと、周りの喧騒がより大きく聞こえる。カランコロンと酒場のドアについているベルの音が聞こえたので、僕はなんとなくそちらを見た。

「あ、テイルさん。」

僕が手をあげて呼び止めると、テイルの横からソラが飛び出してきて、クローバーに駆け寄り、思い切り抱きつく。

「くーちゃん!」

「ソラちゃん!元気だった?」

クローバーはソラが抱きついた反動で椅子から落ちそうになりながらも、ソラを優しく抱きしめ返す。ソラは嬉しそうにクローバーの胸に顔をうずめながら「うんうん」と頷いて返事をした。

「よぉ。」

あとからきたテイルは、そう短く挨拶をすると、僕の隣に腰を下ろした。

「ソラさんすっかりクロに夢中ですね。」

笑いながら僕がそう言うと

「困ったもんだよ。しょっちゅう「くーちゃんがね」って話を聞かされる。」

と、テイルが呆れたため息をつく。

クローバーが、余ったチョコレートケーキをソラちゃんにアーンしている隙に

「ソラちゃんの様子はどうですか?」

と、小さな声でテイルに尋ねる。

「一時期に比べれば、随分良くなった。かなり安定してるよ。まだ時々悪夢にうなされることはあるみたいだけどな。」

先日、ソラは誘拐事件に巻き込まれ、心に深い傷を負ってしまっていた。でも、今は随分元気そうに見える。

「何かあったらいつでも言ってくださいね。すぐクロが駆けつけますよ。」

「くーちゃん、だーい好きです!」

僕の言葉に、ソラが嬉しそうに笑う。テイルは困ったように頭を抱え

「このままだとクローバーを『お姉ちゃん』とか呼びそうで怖い……。兄貴の俺の立場があああ!!」

と、叫んだ。僕はそんなテイルがおかしくて、笑った。

ソラのジュースが届くと、クローバーはソラを誘って2階の席へ移動する。そうやって、時々2人きりで話して、ソラの経過を見ているのだ。

「くーちゃんあのね、こないだテイルがね……」

クローバーに連れられて、2階への階段を登るソラの姿を、テイルが不安そうに見つめる。

「ソラちゃんおしゃべりだから、すぐ俺の失敗とか、見られたくないところを、あいつに話しちゃうんだよなぁ……。」

てっきりソラの心配をしていると思っていたのに、テイルは自分の心配をしていた。そんな姿に、僕は安心する。それくらいの余裕が出てきたと言うことだ。

僕とテイルは、向かい合わせに座り直すと、それぞれ飲み物を飲む。

「テイルさん、クロの話を1つ、聞いてくれますか?」

「なんだよ、藪から棒に。」

僕は、ポーラを許したクローバーの話をした。それは元々、テイルへの罪滅ぼしのためにやったことだ。それをテイルにそれ伝えるのは、恩着せがましいかもしれないが、クローバーの気持ちが伝われば、また何か変わるかもしれない。

「珍しいことするじゃねーか。」

テイルがグラスに入ったサイダーを飲みながら言う。

「明日は槍が降るかもな。」

「それくらい後悔してるってことですよ。」

「あいつは正論を言ったまでだ。 」

「正論で人が動いたら、苦労しないんですよ。」

僕がお決まりの言葉を言う。

「それもわかる。俺は正論ばっか言うやつが嫌いなんだ。正論じゃどうにもできねー人生歩んできてるから。」

正しい道を知っていても、そこに辿りつくには、本人の努力だけでなく、周りの環境も必要だ。

やりたくても、できない、いくつもの障害が、テイルにはあったのだろう。

一方クローバーは、正しい道に行くのが当たり前で、周りの環境が整ってなくても、自分の努力のみで辿りつくように言われてきたのだ。できないなんていうことは、許されなかった。

どちらも、苦しい事情があった。だからこそ、どっちが正しいとか、正解とか、そういうものはないのだ。

僕が2杯目のコーヒーに口をつけていると、テイルが思いついたように話し出す。

「なにもさ、他人の人生の苦労とか、幸せとか、気にする必要なんてねーんだよ。それがわかったところで、自分がどうこうなるわけじゃねーし。」

そこでテイルは人差し指を立て

「人生はポーカーゲームのようだ。」

と、得意そうに言う。

「なんだか素敵な響きですね。」

僕が気のない返事をする。

「適当なこと言ってんなーって思ってるだろ?」

「思ってます。」

「お前さぁ、なんで俺には馬鹿正直なんだよ。他のやつの機嫌は、嘘でもとるくせに。」

「だってテイルさん、そいうのお好きじゃないでしょ?」

「確かに嫌いだけど、なんかもっと他に言い方あるだろ。」

拗ねるテイルを見て、僕は笑う。

クローバーとテイルは、まったく違う人生を歩んでいるが、なぜか性格は似ているように思う。

「ポーカーゲームですかぁ……。」

ひとしきり笑ったあと、僕はそうつぶやいた。響きは素敵だ。

テイルがその意味について、話し出したので、僕は耳を傾ける。とても興味深い内容だった。今度クローバーにも話してあげたい。

「この話、テイルさんが考えたんです?」

「いや、受け売りだよ。」

全部話してすっきりしたのだろう。テイルは満足気な表情で、サイダーを飲んでいる。そこにクローバーとソラが帰ってくる。

「ただいま!テイル?なんかいいことでもあったの?」

どこかすっきりした表情のテイルを見て、ソラが言う。

「なんでもないよ。ソラちゃん、そろそろ行こうか?欲しい本が、売り切れちゃうよ。」

「うん!くーちゃんまたお願いします!エルさんもありがとうございました!」

「じゃぁ、またな。」

そう言って2人は、酒場を出ていった。

「お疲れ様。ソラさんはどう?」

2人の背中を見送ったあと、僕がクローバーに聞く。

「大分いいよ。まだ油断はできないけど。」

クローバーはそう言うと、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。

「ポーラさんのこと、テイルさんに話したよ。」

「お前、余計なこと言うなよ。」

クローバーが眉間にシワを寄せる。

「「明日は槍が降るかもな」って言ってた。」

僕がそう言って笑うと、クローバーがうんざりした顔をする。

「もう二度とやらねーよ。あれは気の迷いだ。」

クローバーはそう言いながら、荷物をまとめて、出発の準備をする。僕はウェイトレスを呼び止め、お会計をすませる。

「柄にもないことするもんじゃないな。」

「悪くないことだと、僕は思うけど。」

僕の言葉を遮るように、クローバーが手を振る。

「ないない。私らしくない。次同じようなことあったら、間違いなくぶん殴るわ。」

「暴力沙汰は困るなぁ。まぁもう同じようなことが起こらないことを願うよ。」

そんな僕の願いは虚しく、同じようなことは起こってしまうのだが、この時の僕は、まだそれを知らなかった。

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