アルケミアストーリー~クロとエルの物語~   作:cloverlight

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第64話 命の価値

熱湯の入った鍋を持ち上げたら、一気にメガネが曇り、前が見えなくなってしまった。

「あ……。」

「もう……。だから自分でやるって言ったんだよ。ほら、こっちだ。」

クローバーが手を添えて、誘導してくれる。

「気をつけろよ。」

クローバーの介助を受けながら、僕は鍋をひっくり返し、ザルに茹で上がったパスタの麺を移す。湯気がさらに上がり、頬がほんのり熱くなる。

「もう自分でやった方が早いんだけど。」

クローバーが不満そうに漏らす。

「また落としたら危ないでしょ?」

「もう落とさねーよ。それに、前が見えないお前より、私の方がずっと安全だ。」

クローバーはそう言いながらザルを持ち上げ、パスタの湯切りをする。

その横で、僕は空っぽになった鍋を片付けると、服の裾で曇ったメガネを拭いた。これがないと、本当になんにも見えないのだ。不便で仕方ない。

公国の狭いキッチンに、僕とクローバーは、寄り添うように立って、昨日落としてしまって食べることできなかった、ミートソースパスタを作っていた。

「エル、バターちょうだい。」

「はーい。」

僕は、昨日鍋を落として火傷してしまったクローバーが心配で、手伝いにきたのだが、あんまり役には立っていない。むしろ邪魔かもしれない。でも、クローバーが僕を無理に追い出す素振りを見せないので、そのまま居座ることにする。今は、何となくクローバーの傍に居たい気分だった。

僕が渡したバターの欠片を、クローバーはパスタの麺に丁寧に絡ませる。ほのかに甘い香りが、キッチンを満たす。自然とお腹が鳴った。

僕がトングをつかってパスタを皿に盛り付けると、その上から、クローバーが、温め直したミートソースをかける。

「ほい、できた。」

ドライパセリで彩りを添えれば完成。

美味しそうだ。

テーブルセッティングをして、僕らはそれぞれ席に着く。

「「いただきます。」」

そう手を合わせて、僕はパスタを一口頬張った。ひき肉の旨みと、トマトの酸味がマッチしていて、最高に美味しい。

「んーーーー最高!」

「うん、麺の茹で加減もちょうどいいな。」

僕が目を瞑って最初の一口の余韻を楽しんでいる向かいで、クローバーが満足気にうなずく。

こんな時間が、僕らの、何気ない普通の幸せなのだ。

貧しいことは、それだけで不幸だと、ロッツは言った。ロッツだけではない。あの地下工場に人を集める手引きをしている公国も、きっとそう思っているのだ。

何ともめちゃくちゃで、乱暴な話だった。貧しいことは、不自由ではあるが、不幸であるとは限らない。

そもそも、国こそが、そういう貧しい者を幸せにするシステムを考えるべきなのではないだろうか。

「ねぇ、エル。」

「ん?」

「この国のこと、どう思う?」

食事の終盤、クローバーがフォークを置きながら聞いてくる。僕がちょっと多めに盛った分を、きっちり残していた。

「残してるよ。」

「食べられない量を盛る方が悪い。」

どうやらバレていたようだ。

「もっと食べないと。」

「はいはい。それより、質問に答えろよ。」

クローバーは僕の言うことを聞きはしない。僕はため息をついた。

「難しい質問だなぁ。抽象的だし。クロはどう思ってるの?」

「気に食わない。」

クローバーらしい回答だった。僕は思わず苦笑いを返す。

「エルは?」

「うーん……。国の政策の1つとしては、まったく無い話ではないかな。でも、良策とは思えない。先々まで考えれば、とんでもない愚策だと思うよ。」

上の者のために、下の者を切り捨てるというのは、どの時代の、どの国でも、ある程度行われてきたものだ。だが、それで良い結果を残した国はほぼないと言っていいだろう。

「本当のこと言えば、こんなめちゃくちゃなことしないと、国を保てない時点で、この国は既に終わってるんだよ。」

「だよな。こんな国、さっさと滅んだ方がいい。」

クローバーの言葉に、僕は肩を竦める。国の最期とは、どんなものだろうか。滅んだら滅んだで、たくさんの人が死ぬだろう。不死の薬を作るよりもずっとたくさんの人が。

「エル、私は許せないんだ。」

クローバーはそう言いながら、食後の紅茶をゆっくりと喉に流し込む。

「死は平等で絶対のはずだ。貧しかろうと、金持ちだろうと、死ぬ時は死ぬ。それなのに、あいつらは、それを勝手な基準で選別して、操作した。」

国が滅んで人が多く死ぬことは、ある意味仕方ないことなのだ。それよりも、死が平等であるという真理を破壊される方が、ずっとずっと許せない。

「これは数の問題じゃない。質の問題だ。」

クローバーはそう言って、真剣な目で僕を見る。

「エル、これはすごく大事なことなんだよ。神でもないやつが、勝手に人の生き死にを決めてる。しかもその基準が『金』なんだよ?」

そもそも、人の命の価値に、基準なんて設けられない。金持ちだろうと、貧しかろうと、健康だろうと、病気だろうと、強かろうと、弱かろうと、生きる権利は平等であるはずだ。

「自分は上だと思い込んで、下の方を切ることに、なんの痛みも感じないやつは、きっといっぱいいるよ。まったく、想像力が足りない。」

クローバーはそう言って、うんざりしたため息をつく。

「そうだねぇ。いつ自分が下になるかなんて、わからないのに。」

僕はそう言いながら、空っぽになったお皿をテーブルの奥に押しやって、赤ワインが入ったグラスを傾ける。安物のお酒だが、中々美味しい。

人生何があるかわからない。今お金を持っていても、数年後に全てを失っているかもしれない。いつ病気になるか、いつ事故に遭うか、世の中一寸先は闇なのだ。上の者が下に、下の者が上に、立場は目まぐるしく入れ替わる。

「いつ下とみなされて、誰が犠牲になってもおかしくない社会っていうのは、恐ろしいよね。」

僕は苦い顔をする。

「僕はさ、世界にとってなんの価値もない人間だから、真っ先にやられる気がするよ。」

僕は、誰にも必要とされずに生きてきた。

社会に貢献することもなく、誰かを救うこともなく。

身近な人からは、疎まれ蔑まれ、兄や父のサンドバッグになるくらいしか能がなかった。唯一僕を必要としてくれた妹は、死んでしまったし、クローバーだって、僕がいなくても全然問題なく生きていけるだろう。

だからといって、僕は誰かに必要とされたいのかといったら、それはまた違う。誰かに絶対的に必要とされるのは、それはそれで苦しいものだと、師匠のところで学んでいたから。

僕はただ、何となく、ふわふわと、クローバーに寄り添って生きてるだけでいい。

「お前馬鹿だな。」

クローバーが呆れたように漏らす。

「そもそも、価値のある人間なんて居ないんだよ。」

クローバーの言葉に僕はポカンとしてしまう。

「人は皆、誰かに必要とされてるとか、役割があるとか、そんなこと言うやつはいっぱいいるけど、そんなのは全部嘘っぱちだ。」

クローバーはそう言いながら、腕を頭の後ろで組んで、大きく伸びをする。

「何にも持ってなくても、何にもできなくても、何の役にも立たなくても、生きてていいんだ。命っていうのは、本来そういうもんだろ。価値がなくても、全然問題じゃない。」

目から鱗。そんな考え方があるとは、思いもしなかった。

命に価値があると思うからこそ、相対的に価値のない命がある。全部に価値がないなら、そこに優劣はつかない。

だが、価値がないからといって、簡単に切り捨てていいものなのかといえば、それは違う。たとえ世界に貢献していなくても、平等な命の1つとして、大切に扱われるべきなのだ。

「クロは、意外に頭がいいんだね。」

「意外ってなんだよ。」

不満そうな顔をするクローバーを見て、僕は笑った。

何だかとても心が軽い。劣等感に苛まれ続けていた僕を、クローバーはいとも簡単に救ってくれた。当たり前のように、飾らない言葉で。

しばしの沈黙。

僕らはそれぞれに思いを巡らせる。

きっと僕らは、何もできない。万能薬の秘密を知ったからといって、この国ごと動かす力なんてもってないのだ。だからといって、何もしないとういのは、違う。ただ、黙っていれば、簡単に潰されてしまう。たとえ無力でも、抵抗する。流されて終わる人生なんて、僕はもう、受け入れられそうにない。

「(なんだか僕も、クローバーに似てきたな。)」

僕はそう思って「ふふっ」っと笑ってしまった。

「何笑ってんだよ。」

クローバーは中々目ざとい。

「別に。僕はクロが好きだなーって。」

僕の返答に、クローバーはうんざりした顔を返す。

「くだらいこといってねーで、さっさと皿片付けろ。」

「まだ残ってるよ。」

僕が、パスタの残ったお皿を突き出すと、クローバーはバツの悪い顔をした。

「はい、あーん。」

麺をフォークで巻いて、クローバーの口元に持っていく。クローバーはすごく嫌そうな顔をしたが、最後は諦めたように口を開け、パクリと1口食べた。その要領で、4口程でお皿を空っぽにした。

「よし、いい子。」

僕は満足した気持ちでお皿を下げた。

「くっそ……。もう二度とお前に盛り付けやらせねー。」

クローバーはそう言いながら、テーブルに突っ伏し、うなだれた。それを見て、僕は笑った。

こんな小さな幸せ瞬間を、赤の他人が不幸と決めつけて、奪うことなど許されないのだ。

僕は、僕の大事な幸せを守るため、この歪んだ国と戦おう。たとえ無謀でも、クローバーと一緒なら、大丈夫な気がした。

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