ファイアーエムブレム蒼炎の軌跡 エレブ大陸編   作:よもぎだんご

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序章 傭兵と公女

 暁の女神に祝福されたテリウス大陸。その北西部には文化と平和を重んずる国、クリミア王国があった。

 クリミア王国には緑溢れる大きな森や透き通る清水を湛えた湖があり、そのうちの一つには屈強なグレイル傭兵団が拠点にしている古びた砦が隣接されている。

 

 この物語はそこに住む傭兵見習いの剣士、のちにクリミア救国の英雄、テリウス救世の英雄として歴史に刻まれることになる青年アイクが、父親のグレイルと剣の鍛錬をしているところから始まる。

 

「せい! はっ!」

 

 緑の木々が生い茂る春の森の中で、アイクは太めの枝を削って作った簡素な木剣で父親のグレイルと打ち合っていた。

 

 アイクは剣を顔の横で水平に構えると、横薙ぎ、袈裟懸け、逆袈裟、と素早い連撃を繰り出す。

 

 この構えの利点は、相手からすると剣の先が自分の顔に向くので、相手の剣の長さが正確に分からず、初見では間合いが掴めないことにある。

 

 アイクの使う剣術は本来両手持ちのサイズの剣を敢えて片手で持つことを基本にしている。強敵相手に大技を使う時は両手持ちで戦うが、あくまでも基本は片手持ちである。

 

 普通のサイズの剣を振るうより遥かに難易度が高い分、リーチの短い片手剣と侮った敵の意表を突いて切り裂く、といった戦法も可能にしていた。

 

「ふん!」

 

 しかしグレイルは歴戦の元デイン王国騎士団長にして、現グレイル傭兵団長。なによりアイクの師である。

 

 槍や弓よりもリーチで劣り、騎馬や騎竜ほど機動力もなく、魔法使いほどの万能性もない、強いて利点を上げれば時と場所を選ばぬことが剣の利点と言われ、言ってみれば弱兵の分類であった剣歩兵を、最強の戦士に仕立て上げ、どんな状況でも生き抜く術を編み出し、アイクへと叩き込んだのは他ならぬグレイルなのだ。

 

 グレイルは見た目に誤魔化されることなく、高速で振られる剣のリーチを一瞬で見抜き、一、二、三、とアイクの攻撃を師匠として全て木剣で受け止めると、噛ませた木剣をぐいっと押し返した。

 

 剣を押し戻されてたたらを踏んだアイクは、また踏み込もうとしたところで、グレイルが放った追撃の横薙ぎに気づいた。ギリギリのところだったが、後ろに飛び退いて回避し、また打ち込みに行く。

 今度は上段からの振り下ろし。遠心力と重力の力を借りられるので威力が高い技だ。奇襲が駄目なら、正面突破というわけである。

 

 だが、その動きはグレイルに見抜かれており、一撃二撃とわざと剣で受け止め、アイクが畳み掛けようとする瞬間を狙って、顔面目掛けての鋭い突きを放った。

 

 アイクはとっさにのけぞるようにして下がることで刺突を回避した。

 

 剣士に限らず人間は踏み込もうとする瞬間、つまり片足が浮いてしまっている状態は無防備だ。片足が浮いているから避けることも踏ん張って耐えることもとても難しい。

 

 無論、剣士としてグレイルに鍛えられているアイクは、並の相手どころか正式な訓練を受けた一流が相手だったとしても、そうそうに攻撃のタイミングを悟られるようなへまはしない。

 

 だが、如何せん相手が悪かった。

 

 何しろグレイルは全盛期を過ぎたとはいえ、かつて間違いなく大陸一の剣士で、大陸でも5指に入る強者だった男である。

 

 グレイルの剣術は、秀才が血反吐を吐いて辿り着く一流を軽々と飛び超え、天才たちが火花を散らして鎬を削る超一流の領域をあっさりと踏破し、比類なき存在として頂点に君臨してなお己を磨くことを止めない怪物(フェノメノ)の域に達していた。

 

 息子であるアイクは幼少の頃から彼に鍛えられてきたとはいえ、フィジカルもテクニックも経験も、何もかもが圧倒的に違うのだ。

 

 それでも踏み込む瞬間を正確に狙った、いわば必中と言っていい刺突を回避したことは、アイクの高い戦闘センスの現れであったが、無理な姿勢で避けたことが災いして、バランスを崩し、尻餅をついてしまう。

 

「どうした、アイク。もう終わりか?」

 

「……くっ!」

 

 父ほどの手合なら、無様に尻餅をついた男など息でも吸うように殺せるはず。

 そう確信しているアイクは、とどめを刺すことなく敢えて挑発する父と、父の手にあっさりとかかった無様な自分に苛立った。長時間の鍛錬に疲労を訴える体に鞭打って立ち上がる。

 

 気合を入れ直すように短く鋭く呼気を発しながら、アイクは鋭くグレイルに木剣を打ち込んでいく。

 素早い連撃を受け止められ、踏み込みで詰まった間合いをまた力で押し返されても、今度はその勢いに逆らうことなく回転して、父の力をも利用した横薙ぎを放つ。

 

 不意打ち気味に放ったこれもグレイルにはなんなく受け止められるが、アイクはグレイルの追撃を封じたことで良しとし、また力強く剣を打ち込んでいく。

 

 静かに白熱する勝負。

 真剣を使った命の取り合いではない。

 訓練であるからこそ、お互いに遠慮なく攻め、守り、躱す。

 

 体を鍛え、父の技を盗み、新しい技を閃いては父に破られて悔しがりつつも、偉大な父の背中に倦むことなくまっすぐに挑み続けるアイク。

 

 その努力と才能を認め、いつか自分を超えてくれることを確信し、またそう願いながら、厳しく息子を鍛えて、武の高みへと導いていくグレイル。

 

 武の頂へと真摯に挑み続ける親子の、一つの理想の形がそこにはあった。

 

 そんな時だった。

 

「おにいーちゃーん! おとーさーん!」

 

 春らしい薄黄色の服とスカートに身を包んだ可憐な少女が、手を振りながら丘を駆け下りてきた。

 

 傭兵団の砦からアイクの妹のミストが兄と父を呼びに来たのである。

 

「おお、ミスト……」

 

 グレイルは険しい顔をわずかに緩ませ、愛娘の方を見た。

 

 全身を筋肉の鎧で覆った父や兄に似ず、母親譲りの愛くるしい容姿と美しい青い目、ころころとよく動く表情、人を思いやる優しい心を持ったミストを、グレイルは表立った態度にこそ出さないものの、とても愛し、可愛がっていたのである。

 

 よそ見をしているグレイルをよそに、アイクはそっと木剣を振り上げた。

 

 グレイルが「やめ」と宣言しない以上、まだ修練は終わっていない。

 

 ならば敵がよそ見をしている隙に打ち込まないのは、むしろ相手への非礼に当たるだろう。

 

 両手で力強く剣を振りぬく。

 相手の眉間目掛けて真っ直ぐに振り下ろす真向斬り。これにジャンプを加えた飛込み斬りがアイクの得意技であるが、地上で使うのもまた隙が少なく、悪くない。

 

「だあっ!」

「……ふっ!」

 

 アイクが不意打ち気味に放った今日一番の強烈な一撃に、グレイルは一瞬戦場にいるかのように眼を鋭くすると、初めて身を翻してアイクの剣を“避けた”。防ぐのは間に合わなかったのだ。

 

 そして、勢い余ってグレイルの横を通り過ぎていくアイクの背中に本気の、あくまでも“今のグレイル”が出せる本気の一撃を、一瞬とはいえ父の予測を超えた息子への想いを籠めて叩き込んだ。

 

 訓練用の木剣とはいえ、歴戦の勇者であるグレイルに、背中を本気で打たれたアイクは、なすすべもなく吹き飛んだ。頭から地面に突っ込む。

 

 ここまで細かい差異はあったが、おおむねいつも通りだった。

 そしてこのあともいつも通りだろう。

 アイクとグレイルは訓練をして、あれこれと世話を焼くミストに目を細め、個性豊かな傭兵団の皆と一緒に日々を過ごしていくだろう。

 

 そのはずだった……

 

「お兄ちゃん? お兄ちゃん!?」

 

「っ、アイク!!?」

 

 だが、運命は流転する。

 

 何のために力を求めたのか、その理由すら闇に熔かして失ったエレブ大陸の悲しい大魔導士の欲望が、異界を繋げる竜の門の封印を解き、それを通して竜の門を真に開けるための生け贄に相応しい英雄を召び寄せんとする。

 

 目まぐるしく変わり続けるグレイルの座標に苛立った魔導士が、座標の定まったことを感じて行った召喚の魔法は、親子の一瞬の攻防により、狙われた父ではなく、息子を呼び寄せることになった。

 

 妹の悲鳴と父の珍しい焦り声をバックに、アイクの意識は朝霧のように消えていき……

 

「くっ、行くな、アイク!!」

 

 必死で伸ばした手は空を切り、この日アイクはテリウス大陸から、消失した……

 

 

 

 ○○○○

 

 

 

 セピア色の記憶の中で、優しい歌声が聞こえる。

 

 魔法の薬や薬草が所狭しと並べられた木の棚が見える。

 たくさんの草木が風で揺れて自然の歌を奏で、窓からは初夏の風と木漏れ日が入ってくる。いつかは分からない、遠い日の優しい記憶。

 

 布団に入った幼いアイクに手をのせて、不思議な旋律の子守歌を歌っている、アイクと同じ青い髪と瞳の若い女性。

 

 彼女はアイクが布団の下から覗いていることに気が付くと、風に揺れる髪を抑えながら、優しく微笑んでくれて……

 

「母さん……」

 

 

 

 

「……気がついた?」

 

 暗闇の中で声がした。

 夢の中の母ではないが、彼女の声もまた思いやりに溢れている。

 

 その声に誘われるように、アイクはゆっくりと目を開けた。

 

 少し潤んだ美しいグリーンの瞳がアイクを射抜く。猫のようだ……とアイクは感じる。

 

 異国の模様が入った簡素な家の中で、見知らぬ少女が木製の器を片手にアイクを見ていた。

 

 少女の年の頃は16,7といったところだろうか。アイクとほとんど年は変わらないだろう。

 夏の山のような色合いの髪を後ろで一つに纏めて垂らし、目鼻立ちの整った顔に、人を安心させる優しい笑みを浮かべている。

 

 首元まで詰めた禁欲的な襟とは対照的に、腕は半袖で腰から足にかけて深いスリットの入った開放的なグリーンのスカートを履いており、健康的な色合いの足が覗いている。

 

 アイクは眩しさに目を細めた。

 どうやら親父に殴られてしばらく気を失っていたらしいと気づく。

 瞼の裏の暗闇に慣れた目には、窓から漏れる強い太陽光がとても明るく感じられた。

 

「あ、ごめんなさい。今閉めるわ」

 

 アイクが眩しそうにしていることに気づいたのか、少女はさっとカーテンを閉めてくれた。

 

 ありがたい、とアイクは目礼して、身を起こした。

 

 薄明りに順応してきた目であたりを見回す。

 

 そこは不思議な家であった。

 

 まず壁は積み上げた石や木ではなく布である。

 細かな刺繍が施された色取り取りの綺麗な布が、複数の木の枠の間に星座のように張り巡らされており、まるで傘か天幕のように家を形作っている。

 

 アイクは石造り、あるいは木造建築の文化圏の人間だが、軍隊が遠征するさいに天幕という布と木で出来た即席の宿舎を作ることを知っていた。

 その構造や作り方も親父に教えられてある程度知っている。将来傭兵として軍隊と共に行動した際に足手纏いにならないようにするためだ。

 だが天幕というのは雨風を凌いで体力の消耗を抑えるために作られるもので、その造りは実用一点張りの非常に簡素なものであり、王侯貴族用のものはいざ知らず、一般的には家具や装飾は最低限どころか皆無であることも珍しくない。

 

 その点、この場所はどうだろうか。

 壁や天井は色彩豊かな布で飾り付けられ、細かな刺繍が施されて一つの大きな模様を作っている。その模様は見慣れないものだったが美しいものだ。

 家具は木製の棚や食器、テーブルや椅子などを取りそろえ、アイクが今まで眠っていたベッドまである。貧乏すぎて普通の天幕さえ買えず、マントにくるまって雑魚寝が基本のグレイル傭兵団とは偉い違いだ。

 

 しかし、ここまで家具を揃えておいて何故か家の足元は地面がむき出しであり、やろうと思えば簡単に斬り破って外に出られそうな布の家ということもあって、仮ごしらえの家という感じが残る。

 

 つまりアイクの感覚としては、この拠点は天幕というには豪華すぎ、さりとて王侯貴族の天幕や家というには簡素にすぎる。なんともよく分からない不思議な布の家という感じであった。

 

 グレイルの教育によってもはや習性になっている周囲の確認と観察を終えたところで、森で親父と訓練をしていたはずなのにどうしてこの異国めいた布の家で見知らぬ少女に看病されているのだろう、と至極当然の疑問にアイクは頭を悩ませた。

 

 そして一秒もしないうちに、あれこれ悩んでも分からないので目の前の人物に尋ねるのが一番だという結論に達した。即決即断が良くも悪くもアイクの性だ。

 

「すまないが俺には状況が分からない。俺は、どうしてここにいるんだ……?」

 

「あなたは草原の入口で倒れていたのよ。あのままだと山賊に襲われちゃうから、私の家に連れてきたの」

 

 アイクの疑問に少女はコップを棚の上に置くと、この状況を端的に説明した。

 

 森にいたはずが何故草原に、いやそもそも親父とミストはどうしたんだ、と様々な疑問や不安がアイクの胸の中を駆け巡る。しかしアイクはそれを顔に出すことなかった。

 

「あんたが助けてくれたのか……礼を言う」

 

 詳しい状況はよく分からないが、自分はこの少女に助けられたらしい。

 

 少女の言葉に嘘や作為を感じず、むしろ同情や思いやりの類を感じたアイクは素直に頭を下げた。

 

「わたしが勝手にやったことよ。気にしないでいいわ」

 

 リンは笑って何でもなさそうに言ってくれたが、アイクはますます頭を上げられなくなった。

 

 家族や仲間であるなら助けるのは当然だが、赤の他人を助けるのは、たとえそれが人の道として正しいと分かっていても、とても難しいことだとアイクは教わった。助けた人物が自分に襲い掛からないとは限らないのだから。

 

 まして、あまり金を持っていなさそうな格好のアイクだ。金銭的な謝礼は大したものにならないだろうとすぐに予測できるし、実際それは当たっている。

 

 つまりリスクとリターンが釣り合っていない。

 それでも彼女はそのリスクを負ってまで見ず知らずの自分の命を助けてくれた。しかもそれを恩に着せず、気にしないでいいと言ってくれるほどの好人物だ。

 

 ここまでされたならば、口で礼を言うだけでなく、行動で示す必要があるだろう。人として筋を通さなければならない。

 

「命を助けてもらったのに、そういうわけにはいかないだろう。何かして欲しいことはないか」

 

 一瞬、実は自分が山賊か何かに攫われていて、この少女は巧みな嘘でアイクを騙そうとしているのでは、という可能性が頭をよぎったが、アイクは馬鹿馬鹿しいと心の中で頭を振った。

 

 アイクを攫っても自他ともに認める貧乏傭兵団から身代金は出ないし、そもそも“あの”親父が目の前で息子を攫われるようなことを山賊や目の前の少女程度に許すわけがない。

 

 そもそも、もし本当に誘拐ならアイクは抵抗できないように全身を縛り上げられているはずだし、グレイル傭兵団の鬼のような追撃と、その対応のせいでもっと周囲が慌ただしくなっているだろう。

 

 だが、付近は静かだ。アイクたちの息遣いと、風が草木を揺らす音しか聞こえないほど静かなのである。静かすぎて不思議なほどである。

 

 アイクは周囲の静けさに疑問を覚えつつも、少女に提案を持ち掛けた。

 

「俺に出来ることなどたかが知れているが、依頼をいくつかタダで請け負おう」

 

「依頼? あなた傭兵か何かなの?」

 

「ああ。グレイル傭兵団に所属している。といっても見習いだが」

 

「傭兵団の見習いって、そんなこと勝手に決めていいものなの?」

 

 アイクの提案に首を傾げて問いかけてくる少女だが、これはアイクにとっても苦肉の策であった。

 

「よくはないが、命の恩人に恩を返さず見過ごしたなんて知られたら親父に殴られるし、ティアマトに――うちの副団長なんだが――長々と説教される。団員の給料は俺がしばらくタダ働きするか、雑用を多めにこなせば何とかなるだろう」

 

 アイクとしても正式な団員でもない自分が依頼を勝手に受けていいのか大いに疑問ではあるのだが、それはそれとして、義理人情に厚い団長と副団長は、アイクが不義を働いたならば、まだ教育が足らなかったかと、教育的指導(物理もあり)のオンパレードだろう。それは御免被りたい。

 

 またアイク個人としても、恩人に報いない行為は悪である。アイクは時に非情な判断を強いられることもある傭兵だが、進んで悪を犯すつもりはさらさらない。

 勝手に仕事を受けるな、傭兵見習いの立場を弁えていないと、あとで親父に説教され、皮肉屋スナイパーのシノンあたりに嫌味を言われまくるだろうが、それはもう仕方がないと諦めよう。なんだかんだ言っても気の良い奴らが集まる傭兵団だ。事情を話せば分かってくれるはずである。

 

 傭兵見習いとしての立場をわきまえて恩人に報いないか、恩に報いる代わりに越権スレスレの行為をするか、アイクは後者を選ぶ人間だった。

 

 そんなアイクの葛藤をよそに、少女は残りの食器をテーブルに置いて、困ったような笑顔でアイクを眺めていたが、名案を思いついたらしく顔をほころばせた。

 

「ねえ、まずは自己紹介しない? わたしたちお互いのことよく知らないし」

 

「それもそうだな」

 

 少女の提案に、アイクはちょっとせっかちすぎたな、と内心で頭を掻きながら頷いた。こういうところがシノンにお前は交渉事に向いてないと言われる原因だろうと思う。

 

「わたしはリン。ロルカ族の娘。あなたは? あなたの名前を教えて?」

 

 胸に手を当てて誇らしげに名乗る少女、リンに、アイクもまた堂々と答えた。

 

「俺はアイク。さっきも言ったがグレイル傭兵団の見習いだ」

 

「アイクっていうの? 不思議な響き……でも、悪くないと思う」

 

 そう言うリンの方こそ不思議な少女だ、とアイクは口には出さないがそう思った。

 

 異国めいた服装や所作、ロルカ族という見たことも聞いたこともない部族の名など、挙げていけば枚挙にいとまがない。何よりも……

 

「それで……あなたは傭兵団の見習いって言っていたけど、この草原には何しに? やっぱりお仕事? よかったら話を聞かせて」

 

 身を乗り出し、好奇心に目を輝かせて聞いてくるリンに、アイクは心の内で一歩あとずさった。

 気のせいか先程からリンの会話が疑問形ばかりで、妙に好奇心旺盛である。まるで興味深い物に出会った猫のようだ。もしかしたら人付き合いに飢えているのかもしれない。

 

「いや、俺は傭兵団の砦の近くの森で親父と訓練をしていただけなんだが……」

 

「森で訓練していただけ……? じゃあここにはその傭兵団の訓練で来たの?」

 

 アイクの要領を得ない説明に、リンはよく分からないという顔をして質問を変えた。アイクはどう言えば分かってもらえるだろうかと頭を悩ませながらも正直に答え続ける。

 

「俺はクリミアにある傭兵団砦近くの森で、訓練中に親父に木剣で殴られて吹っ飛ばされた。たぶんそこで気を失って、気が付いたらあんたの顔が目の前にあった」

 

 アイクとしてはまさにそんな感じである。

 親父との訓練、ミスト登場、親父に不意打ちを仕掛けてぶっ飛ばされる、いつの間にかリンが目の前に! という具合だ。

 

 ミストをダシにして親父に不意打ちを仕掛け、あっさりと返り討ちにされたくだりは、あまりにも情けないし、この件に関係ないだろうと話さなかった。アイクにも多少のプライドがあるのである。

 

「えっと、ちょっと待って。あなたはクリミアっていうところの森にいたのに、気が付いたらここにいたってこと?」

 

「ああ」

 

 リンもアイクの置かれた少々異常な状況を飲み込んできたらしく、驚きが顔に出ている。

 

「人攫いかしら……大変だったわね。でも私クリミアって地名初めて聞くんだけど、サカのどのあたりか聞いても良い? 近くまで送っていくわ」

 

 何か共感できる理由があったのか、はたまた情が深いのか、深い同情を滲ませたリンがありがたい提案をしてきてくれた。

 

 とても助かる、とアイクは頷きかけて、 ん? と首をかしげた。

 

 アイクは今までこの少女を、クリミアに住む変わった人物だと思っていた。異国めいた部分は先祖が外国人なのだろうと。

 

 だが、大陸に8つしかない国の名前を知らないなんて、いやそもそも自分の住んでいる国の名前を知らないなんて、おかしな話だ。

 

 ここはクリミアじゃないのか、そんな不安が首をもたげてくる。自分は自分で思っていたより長く気を失っていたのだろうか。そう言えばさっきから感じる空気が違うような気がしているのだが……不安が募る。

 

「サカってのは分からないが、クリミアは大陸の北西にある国だ」

 

「うーん、大陸の北西にそんな国あったかな……悪いけどその近くの国を挙げて貰っていい? 場所が分からないの」

 

「ああ、いいぞ。北東にはデイン王国、南にはガリア王国、南東にはベグニオン帝国があって……」

 

 せめて近場だといいのだが、そう思っていたアイクの淡い希望はすぐさま打ち壊されることになる。

 

「ま、待って待って! あなたが言っている大陸っていったいどこの大陸なの!?」

 

 順番に国名を挙げていたアイクをリンが叫ぶように遮る。

 

 その顔には「信じられない、でもまさか……」という表情が張り付いていて、否が応にもアイクの嫌な予感を猛烈に煽った。

 

「どこってテリウス大陸にきまっているだろう……っておい、まさか……」

 

「あの……ここはエレブ大陸って言うのだけれど……」

 

「…………」

 

 沈黙の天使が二人の頭上を旋回した。

 あまりに予想外の出来事に、二人とも事態をうまく呑み込めず、思考は巡っても言葉が出てこないのだ。

 

「おいおい、嘘だろ。勘弁してくれ……」

 

「た、大陸間を飛び越えたってこと!?」

 

 頭痛がしてきたと言わんばかりに額に片手をやるアイクと、跳び上がらんばかりに驚くリン。

 リンの驚きはエレブ大陸以外の人に出会えるなんて! というある種純粋な驚きだったが、自分がいつの間にか別大陸に来ていたと言われたアイクの衝撃は、凄まじいものがある。

 

「確かなのか……ここがそのエリなんとか大陸でテリウスじゃないっていうのは」

 

「たぶんね。だってクリミアとかデインとか、あなたが言った国は、今のエレブ大陸のどこにもないわ」

 

「たぶんってことは違う可能性もあるのか?」

 

 国が違うどころか、大陸が違うとなれば帰還は著しく困難になる。何しろテリウス大陸には他の大陸との交流などアイクの知る限り、皆無なのだ。テリウス大陸以外の大陸は邪神の洪水によって滅んだと言われているテリウス大陸に、エレブ大陸との連絡船などあるはずがない。

 

 アイクは僅かな可能性に縋ったが、リンの答えは無情だった。

 

「ええ、まあ。例えばあなたが国や大陸の名前が変わってしまうほど、遠い遠い過去や未来からやって来た可能性とか……」

 

 過去や未来から来たとなると、それはもう神話の出来事である。アイクには想像することしか出来ない。

 

「あるいはあなたがお父様に強く殴られ過ぎて、記憶が混乱している可能性とかもあるわね。」

 

「俺は正気だ」

 

「分かってるわよ。言ってみただけ。ここまで来て正気じゃなかったら逆に怖いわ」

 

「そいつはよかった……ん?」

 

 冗談半分でも正気を疑われるのは、嫌なものだ。もっとも現状はもっと悪いのだが。

 

 そんな皮肉めいたことを柄にもなく考えていた時、アイクの鍛えられた感覚が風に揺れる草木の音の中に、それにそぐわない違和感のある音を聞き取った。

 複数の人間が草を踏みしめる足音、そして猥雑な男たちの声だ。洗わないで放置した雑巾のような匂いもうっすらと漂い出す。

 

(こいつは俺たちのお得意様か……?)

 

 田舎暮らしの傭兵のお得意様、即ち山賊である。

 

 グレイル傭兵団は団長や副団長が元騎士なだけあり、山賊行為に身をやつしたりすることはないが、村を追われた者や兵役を終えた者が野盗になるなどありふれたことだ。それを近隣の村の訴えで討伐することも。

 

 もっともまだ傭兵見習いのアイクは戦場に出たことはないので、団員たちの又聞きでしかないのだが。

 

 十中八九違うだろうが、もしかするとリンの知り合いだろうかと思って、それとなくリンを見ると、彼女も外の音が聞こえていたらしく、顔を強張らせている。一目見ただけで分かるほど、複雑な想いの籠った顔だ。激情、と言っても良い。

 

「多分違うと思うが、外にいるのはあんたの知り合いか?」

 

 今にも武器を持って外に飛び出していきそうなリンを落ち着かせる意味も込めて、一応確認をとったアイクに、リンは首を振って応えた。

 

 彼女は部屋の隅に置いてあった先端に行くほど曲がっていく細身の剣、たしかカティとか刀とか言う片刃の剣、を手に取って入口に向かっていく。

 

 その動きは風のようにさらりとしていて、無駄がない。明らかに武術の訓練を積んだ者の動きだった。

 

「外が騒がしいから、ちょっと様子を見てくるわ。アイクはここにいて」

 

「一人で行くのは良くない。俺も行こう」

 

「ううん、大丈夫。あなたは病み上がりだし、こう見えても私、けっこうやるのよ」

 

 リンは入口で振り返ってニッコリ笑うと、アイクに待つように告げて出て行った。

 

 それを見たアイクは今まで寝ていたベッドから這い出ると、近くに置いてあった自分のブーツを履いて、黙々と靴紐を結びだした。

 

 待っていろだなんて、そんなことを、あんな感情を押し殺した笑顔で言われても説得力に欠ける。彼女の心の底で激しい感情が渦巻いていることが、嫌でも分かってしまうというものだ。

 

 あの流れるような立ち居振る舞いからしても、リンが剣の訓練を修めていることに疑いの余地はない。

 

 だが、激情は勘を鈍らせ、鈍った勘が体を鈍らせ、鈍った身体は最後には己を殺してしまう。

 

 そうなる前にアイクはリンを助けるつもりだった。

 勿論見当違いなら、それはそれで構わない。家主の言いつけを破ったアイクが怒られるだけで済む。恩人であるリンの命と比べれば安いものだ。

 

 亡くなった母が編み始め、ミストとティアマトが縫い上げた青い上着と赤いマントを羽織り、鉄板入りの手甲と急所を守る革の部分鎧を装着する。外されていた兜代わりの緑の鉢巻を頭に巻き、緩められていたベルトと靴紐をギュッと締めて、ベッドに立てかけてあった木剣を手に取る。

 

 この部屋にあった武器はリンが持って行ったカティと壁に飾ってある弓、そしてアイクが訓練で使っていたこの木剣だけだった。アイクに弓の心得はなく、ならば必然的にアイクの装備はこの木剣になる。

 

 実剣でないのは少々心細いが、この木剣はアイクがグレイルとの訓練で使っていたものだ。金属の剣ほどの殺傷力はないが、それでも扱いやすく重量のある硬くて丈夫な木で作られた代物だ。

 

 相手が余程の手練れでなければ、鋼鉄の剣とある程度打ち合うことだって出来るし、殴り倒すことだって出来るだろう。

 

 ふう……と、アイクは目を閉じて、息を吐き出した。

 

 これはアイクにとっては初陣である。

 年が近いボーレがもう戦場に出ているというのに、過保護な親父が今までアイクが戦場に出るのを許してくれなかったのだ。

 

 意識と感覚を尖らせて、戦うための体を構築していく。

 一歩この家を出れば、そこは戦場だ。

 まだ戦いになると決まったわけではないが、アイクの勘が十中八九戦いになると告げている。

 そしてそれは競い合いでも、試し合いでもない、殺し合いになるだろうとも。

 

 そのことに過剰な恐怖も緊張も興奮もない。

 

 人を殺すことに対する忌避感はあるものの、物心ついた時から傭兵としての心構えや訓練を受けてきたアイクは、むしろ人殺しの忌避感が殺人狂にならないために無くしてはならないものだということを知っていた。

 

 集中を終えたアイクは、ぶん、と木剣を振り下ろし、己の体の性能を確かめた。

 

 感覚、集中力は十分、体も鈍っていない。

 

 征ける、そう確信して扉を開けた。

 

 アイクは息をのんだ。

 扉の外は地平線まで続く青々とした草原だった。

 暑い午後の陽射しが照り付け、クリミアとはまた違った匂いの風が頬を撫で、衣服を靡かせる。草の海原は時折ある小さな森を挟んでどこまでも続いていき、遥か遠方には切り立った高い山や黒い森が、ポツポツと見えていた。

 

 アイクはまだテリウス大陸を隅から隅まで旅したことはないから、ここがテリウス大陸ではなくエレブ大陸かどうかまでは分からない。

 

 だが、少なくともここは慣れ親しんだ故郷クリミアではない。そのことがアイクの心を騒めかせたが、戦場の高鳴りの前にそれはすぐに消えていった。

 

「ベルンの山賊どもが山から降りてきたわ。また近くの村を襲う気ね……そうはさせない……!」

 

 リンは火花が出そうな目で、少し離れたところにある大きな布の家を占拠した数人の山賊たちを睨みつけていた。

 アイクが出てきたことには音で気づいているだろうに、見向きもしない。どうやらベルンの山賊団と何かしらの因縁があるらしい。

 

「あれくらいの人数なら私一人で追い払うわ。アイクは隠れて……」

 

「いや、俺も一緒に行かせてもらう」

 

 隠れていろだなんて寝ぼけたことを言う少女に自分も戦うことをアイクは宣言する。

 

 そう、宣言だ。リンが何と言おうと、この危なっかしい少女を一人で戦場に出すことはしないとアイクは今決めたのだ。

 

「え!? 一緒に来るって、あなた何か武器が使えるの?」

 

 戦うことを宣言することでリンはやっとアイクの方を見た。驚きで目を見開いている。

 

「剣を使える。何でもいいから予備の剣はないか」

 

「……いいえ。半年前に山賊の襲撃があって、金目のものは全部あいつらに持っていかれたから」

 

 山賊の襲撃。リンが明るさの中に仄暗い炎を宿すのはそのせいか、とアイクは察した。

 

 略奪の光景を思い出したのか、リンは一瞬だけ暗い炎を瞳の奥に宿して答えると、まるで何かを見定めるようにアイクをじっと見た。

 

「予備の剣はないわ。私の村を守るための戦いだから、私の剣を貸すつもりもない。それで、あなたはどうするの」

 

「なら、こいつを使おう」

 

 試すようなリンの物言いに、アイクが手に持っていた木剣を見せると、リンは再び目を見張った。

 

「……間違ってたら悪いんだけど、それ訓練用の木の剣よね」

 

「ああ」

 

 アイクは頷いた。

 ここにアイクが使えそうな剣はない。戦いの当事者であるリンから助力者であるアイクが武器を奪うのもおかしな話だ。

 

 ならば普段から使い慣れていて、アイクやグレイルが馬鹿力で何度使っても壊れないくらい、やたらと頑丈なこの木剣を使うしかない。

 

「この木剣は確かに訓練用だが、俺や親父がどんなに乱暴に扱っても一度も折れたことがないくらい頑丈だし、長めの鉄剣と同じぐらいには重さもリーチもある。斧を持っているだけで鎧も着ていない山賊を殴り倒すくらいは出来るだろう」

 

「……どうしてもついてくるの?」

 

 無言で頷くアイクを呆れと感心が半々ぐらい宿った目で見ていたリンは、溜め息をついた。

 

 それから気分を切り替えるように首を振って、覚悟を決めた凛々しい目になる。その目には熱い炎はあっても曇りはない。

 

 これが彼女の戦場での顔なのだろう。さきほどの暗い瞳よりよほど好ましい顔である。

 

「……そう、わかったわ。なら、二人で行きましょう!」

 

「ああ!」

 

 根負けしたリンが受け入れる形で、アイクとリンの山賊討伐作戦が始まる。

 

 目標は敵の撃退および敵拠点の制圧である。

 

 

 ○○○○

 

「あの家には今も誰か住んでいるのか」

 

「ううん、あのゲルは空き家よ。今ここにはあいつらと私たちしかいないから、人質とかの心配はしなくていいわ」

 

 ゲル、というのは多分あの布の家のことだろう。

 

「そいつは朗報だな」

 

 山賊に襲われている村には逃げ遅れた村人がいて、彼らを保護するのが大変なのだと、女好きでお調子者な重歩兵のガトリーが酒の席で愚痴っていたが、どうやらその心配はしなくて済みそうだ。

 

 村人のリンには辛いかもしれないが、傭兵であるアイクにとっては朗報である。

 

 剣士は攻撃も護衛もこなせるが、素早い身のこなしを武器にする関係上鎧をほとんど身にまとっていないので、重歩兵ほどの安定感はない。人数も少ないし村人を護衛しながらだったら厳しい戦いを強いられていただろう。

 

 村人がリン以外一人もいないというのは山賊以外にも何か事情がありそうだが……折を見て聞くとしよう。今聞いてはリンの心を乱してしまうかもしれない。

 

 戦場は心と心のぶつかり合い。より揺らいだ者から死んでいくとは親父の言だったか。

 

「それより私たちより敵の数が多いわ。おびき出して各個撃破して行きましょう」

 

「ああ。だが、体力は出来る限り温存したい。奇襲は出来るだけ二人で一気にかかって、反撃を許さず、一撃で決めていこう」

 

「オッケー。じゃあ、こっちよ。ついて来て」

 

 アイクとリンの作戦は、二人とも剣士ということもあって、シンプルなものだった。

 

 一撃必殺、即、離脱。

 自分たちより数が多い敵を相手にする時の王道である。

 

 二人は敵に気づかれて弓矢などが飛んできたり、囲まれて袋叩きにされないように、腰を落として背の高い草に隠れながら敵を目指して進軍していく。このあたりの地形に詳しいリンに先導されながら、アイクは徐々に敵の斥候に近づいていった。

 

「こっちよ、アイク。ほら敵はあそこ」

「ああ、こっちからも見えている。敵は不貞腐れてるみたいだな」

 

 草木の間からリンが敵を指さす。見るとそこには敵の見張りと思しき山賊が二人、やる気なさそうにたたずんでいた。お楽しみの略奪タイムから外されて、不貞腐れているようだ。

 

「いざとなったら私があなたを守るから、離れないでね」

「自分の身ぐらい自分で守れるさ。あんたの方こそ無暗に突っ込むなよ」

「あら、傭兵団見習いが言うじゃない」

 

 ささやき声で軽口を叩いて互いに緊張をほぐしながら、タイミングを見計らう。見張りというものは常に一方を見ているというわけにはいかない。だからこちらが死角に入ったのを見計らって……

 

「ふっ!」

 

 静かで鋭い呼気と共に同時に突入する。

 

 リンは獲物を狩る狼のように音もなく地上を疾駆し、アイクは高々と跳び上がって、空中から獲物を狙う鷹のように音もなく猛然と襲いかかった。

 

 哀れなのは山賊たちであった。

 叫び声を上げる間もなくリンの居合い斬りに喉を搔っ切られ、アイクの飛び込み斬りで後頭部を打たれ、ほとんど一瞬で地面にぼろくずのように横たわることになった。

 

「よし、第一関門は突破だな」

 

「…………」

 

「この調子で行こう……なんだ?」

 

 ジャンプの衝撃と音を相手の体に着地することで殺しつつ、すぐさましゃがみ込んで身を隠したアイクが自分たちの成果に頷いていると、同じく隣で姿勢を低くしていたリンが、しんねりとした視線を向けてきた。

 

「アイク……あなたが奇襲しようって言ったのに、あんな派手な動きをして……よくバレなかったわね」

 

 見張りはもちろん、気を付けていたので家の奥の山賊たちからも未だ何の反応もなかったが、リンはアイクが空中から襲い掛かったのを見咎めたようだ。しかしアイクは何も考えなしにジャンプ斬りをしたわけではない。

 

「後ろ頭ってのは人間の一番の死角だからな」

 

「え?」

 

 小首をかしげて何を言っているのか分からないという顔をするリンに、先に進むように合図して、進軍を再開する。

 

「同じ死角からの奇襲でも、左右や背後からの攻撃より、頭上からの攻撃が一番気付き辛いし回避も難しい。人間は前後左右や足元に比べて、頭上への警戒心が極端に薄いんだ。うちの参謀が言うには人間が昔、木の上で暮らしていたことの名残りらしいんだが……」

 

「だから高い所から奇襲すれば、敵に気付かれずに攻撃出来る可能性が上がるってことね……」

 

「それに自分の体重が加わる分、切れ味が悪い剣でも大きな威力を出せる」

 

 参謀であり、自分以外に心を開こうとしない魔術師セネリオの持論も混ぜたアイクの持論にリンは興味深そうに何度も頷いた。自分の経験と照らし合わせて、納得出来るところがあったらしい。

 

「アイクって結構面白いことを考えるのね。参考になるわ」

 

「別に俺だけで考えたわけじゃない。親父たちと一緒に作った技だ」

 

 本当は、この技は武術の奥義に至る前段階の技なのだが、リンがいかに善人とはいえ他人に武術の秘奥の話までするつもりはない。

 

「お父さん、か。あなたも剣はお父さんに習ったの?」

「ああ。身内を褒めることになっちまうが、親父より強いやつを俺は知らん。あの剣を超えることが俺の目標なんだ」

 

「そう……良い目標ね」

 

 つい熱くなって語ってしまったアイクは、微笑まし気に見ているリンを見て、やや気恥ずかしさを覚えた。また熱くなってしまったと、内心苦笑し、リンに話を振る。

 

「あんたはどうなんだ。何か目標はあるのか」

 

「……ええ……もっと強く、誰よりも強くなること、それが私の目標よ」

 

「……誰よりも強く、か」

 

 誰よりも強くなりたい。それは武術を学ぶ誰しもが一度は考えたことがある目標だろう。無論アイクもそうなりたいと思っているし、そうなれるよう努力しているつもりだ。

 

 ただ、目標を語るリンの瞳には剣へのひたむきさと同時に暗い火が燃えていたことにアイクは気づいていた。

 

「でも空から攻撃すると、私たちが攻撃してきたってことが、家の中にいる山賊たちにバレちゃうと思うんだけど……」

 

 それを知ってか知らずか、リンは脱線していた話題を元に戻した。特に追及するつもりもなかったので、アイクもその話題に乗る。

 

「一応そこは気をつけていたが、見張りがいなくなっているんだから、どうせ遅かれ早かれバレる。俺たちは剣士だ、暗殺者じゃない。要は最初の攻撃で安全に数を減らせればそれでいい」

 

「……それもそうね。それにあの家はそんなに大きくないから、入っていられる人数も限りがあるし」

 

 そんなことを話しながら警戒進軍しているうちに、目標の家まで無抵抗でついてしまった。

 

「待ち伏せを警戒していたんだが……何もないな」

 

「ちょっと拍子抜けね」

 

 家の中からは家探しする音と、品のない会話と笑い声しか聞こえない。

 

「……一応伏兵を探してみるか。どこかに弓兵がいるかもしれん」

 

「……そうね」

 

 家に突入した途端に包囲されても困るので、付近を静かに素早く捜索していくが特に伏兵などはいなかった。警戒心が薄い山賊らしい。油断しているのか、それだけ強さに自信があるのか。

 

「……警戒して損したわ。さっさと片付けましょう」

「ああ。……建物に篭っているなら、焚き火をつけて炙り出すという手もあるが」

 

 布の家、いやゲルの中は天幕よりはずっと広いが、それでも剣を振り回せるほど広くはない、とアイクは先程のリンの家の中での経験から考えていた。

 

 広いところで戦えば、斧よりも剣、剣よりも槍と、リーチが広い方が基本的に有利なのだが、狭いゲルの中では逆に短剣や手斧などの至近距離用武器の方が有利だろう。

 

 わざわざ敵に有利なところで戦ってやる義理もない。

 適当に小さな火でも起こして、煙をゲルの中に入れて燻してやれば、焦って飛び出してくるだろうからそこを叩き斬ろうと、傭兵団きっての頭脳派で軍師でもあるセネリオの考えそうな策を考えて、アイクは提案したのだが、リンは首を振った。

 

「やめときましょ。草原は風が強いから、燃え広がると手に負えないわ」

 

 たしかに付近は乾燥している上に、やや風がある。燎原の火を引き起こしてしまえば、その脅威は山賊の比ではない。

 アイクは素直にリンの言に頷いた。アイクは自分がセネリオの思考を完璧になぞることが出来るなどとは露ほども考えていないので、特に異論はない。

 

「そうか。じゃあ正攻法だな」

「ええ。幸いこっちには傷薬もあるから、2,3人なら何とかなると思う。アイクも持ってて」

 

 リンが腰のポーチから肌色の陶器を取り出してアイクに渡した。受け取ったアイクはじっとそれを見つめている。

 

「あっ、この傷薬はね、回復魔法にも使われる薬草と薬石を煎じて作られた魔法の薬で……」

 

「使うと傷が癒える……切り傷だろうが、雷に打たれようが魔法のように……」

 

 アイクが異大陸の人間だと思い出したリンが傷薬について説明していると、アイクが途中で呟いた。アイクは不思議なものを見る目で、傷薬を見る。

 

「正解……アイクのところにもあったのね」

 

「ああ、これは……俺のいたところにもあった。親父たちが使っていたし、俺も使ったことがある」

 

「不思議な共通点があったものね……」

 

 そんなことを話しつつも、アイクたちは周囲の警戒と観察を忘れてはいない。

 

 敵の籠る布の家の入口は暖簾のような玄関が一つと窓が一つ。

 

 窓は人が乗り込めるほどの大きさではないので、潜入口は実質玄関だけだ。これではこっそり侵入して後ろから剣で一突きというわけにはいかないだろう。さすがに気配でバレる。

 

 傭兵としては、入口を複数持たないのは、いざという時逃げ道がなくなるのでお勧めできない。

 まあ、壁が布なので斬り破って逃げるということも出来なくはないだろうが……余程素早くやらないと、そんなことをしているうちに待ち伏せされて、出てきた瞬間斬り殺されるだろう。

 

 そんなわけなので、アイクたちは降伏を呼びかけることにした。従うもよし、従わないなら倒すまでだ。

 

「おい、お前らの仲間は全員倒したぞ! 一応聞くが降伏するか。命だけは助けてやる!」

 

「なんだあ、おめえら!」

 

 大声でアイクが叫ぶと、ガサゴソと音を立ててゲルの中から怒鳴り返しながら山賊が飛び出してきた。洗っていない脂ぎった赤っぽい髪を逆立てた男と黒っぽい髪を短く刈りあげた男が2人である。

 

 赤髪の男は若いアイクとリンを見て、露骨に見下した顔をした。

 

「はっ、ガキが偉そうに口上垂れやがって。このバッタ様をなめんなよ!」

 

 唾を飛ばしながら口汚く罵って斧を構える山賊の頭らしき男バッタに、アイクとリンは馬鹿につける薬なし、と予定調和的に剣を構えた。

 

「どうやら交渉の余地はないようだな。まあこっちの方が後腐れがなくていい」

「私が頭をやる。アイクは残りをお願い」

 

「分かった。気を付けろよ」

「ええ」

 

 分担を決めると、二人は素早く目標に向かって駆けだす。

 

 山賊たちも慣れた様子で彼ら唯一の武装らしい手斧を構えているが、その動きは一目で分かるほど洗練されておらず、リーチもアイクたちの剣の半分もない。

 

 リーチとスピード、そして技術差でほぼ確実に先手を取れる。傷を負えば動きが鈍るのだから、戦いはこちらが有利だ。

 

 そう思っていたアイクたちだが、戦場は理屈通りにはいかないことをすぐさま思い知ることになる。

 

「かかったなぁ、若造!」

 

 なんと山賊たちは全員で斧を投げつけて来た。

 

 リーチで劣る武器で不利な戦いを強いられるくらいならば、唯一の武装を投げつけてでも、相手に手傷を負わせることでその差を帳消しにする。その後のことは考えない、なるようになっちまえ。

 

 剣や槍のような一定の技量が必要な武器、言い換えれば教えてくれる師匠とそれ相応の訓練時間が必要な武器を使うことが出来ない山賊なりの知恵であった。

 

 手斧は投げつけることも出来るということを知っていたアイクとリンだったが、まさか山賊が彼ら唯一の武装を自ら手放すとは思っていなかった。

 

 これは一重に、二人の経験不足が原因である。アイクとリン、後に英雄と称えられる2人だが、今はまだ経験の浅い未完の大器でしかない。

 

 知識として知っていることと、経験として知っていることは大きな差がある。

 見つかり次第殺されることすらある山賊に身を落としてでも、他人が汗水たらして得た命の糧を力づくで奪う非道を犯してでも、それでもなお生きようとする人間の生き汚さを知らなかったのだ。

 

 意表を突かれた体は思ったように動かないものである。アイクとリンは手斧を避けきることが出来なかった。

 

 それでもすでに剣を構えていたアイクは咄嗟に1つを切り払い、もう1つを左手の鉄甲で強引に凌いだが、リンはその身に帯びた鉄は刀1つしかない。そしてその刀は居合切りのために腰の鞘に納めたままで、とっさの防御は間に合わなかった。

 

「くっ!?」

 

「リン!?」

 

 攻撃を食らってしまったリンが呻いた。咄嗟に飛び退いて直撃は避けたのは流石だったが、脇腹を浅くやられたらしく、血が飛び散っている。

 

「俺が抑える! リンは下がって回復しろ!」

 

「させるかよぉ!」

 

 すかさず徒党を組んで突進してくる三人の山賊たち。

 

 だがアイクは臆することも逃げることもなく、敢えて前へ踏み込んだ。戦場においては怯懦こそ最大の敵であると知るが故に。

 

 敵が間合いに入った瞬間、木剣を横薙ぎに振るう。

 

 繰り返すがアイクの木剣は一般的な物よりかなり長い。その分重く、扱うのに腕力とテクニックがいるが、一度に大勢を攻撃することが可能だ。

 

 さらにアイクは木剣を片手で持ち、その先端を相手の目に向けて構えることで、相手に剣を短く見せることに成功していた。

 

 もう片方の手でさり気なく横と下からの視線も遮っているので、相手からするとアイクは片手で振るえる短めの棍棒を持っているようにしか見えない。

 

 アイクが振るった木剣は、木剣のリーチを見誤り、拳を振り上げて向かって来た左の山賊の頬骨を殴り飛ばした。

 

「おごぅ!?」

 

 顎の骨を砕かれた山賊はもんどりうって倒れ伏し、木剣は勢いを落とすことなくそのまま真ん中のバッタを狙う。

 

 すでに木剣の間合いにいて、殴るために体が前に出てしまっているバッタには避けることは出来ないタイミングだ。

 

「おらぁ!」

 

 しかしバッタは二人の想像以上に外道であった。

 

 このままではアイクの一撃を避けられないと悟ったバッタは、もう一人の部下の山賊の肩を掴むと、自身の前に押し出して肉壁にしたのだ。

 

 アイクの剣には刃がついていないので、山賊の胴体を両断して、バッタを攻撃することは出来ない。それをとっさに見抜いて自分が生き残るために行動したバッタの生き汚さは、見上げた、あるいは身下げ果てたものがある。

 

 哀れなのは親分に生け贄として差し出された山賊だった。

 彼はとっさに腕を構えて、アイクの木剣を受け止めようとしたが、山賊自身の突進のスピードと、高々と跳べるアイクの脚力を使った踏み込み、剣の遠心力と重量まで乗った一撃を、受け止めきれるはずもない。

 

「うごぉぉお!?」

 

 吹き飛ばされ、腕の骨を折られて悲鳴を上げる山賊だが、苦しむ時間はそう多くなかった。アイクは返す刀で袈裟斬りを放ち、山賊の首をへし折ったからだ。

 

 これでアイクとバッタの一対一。

 離れたところにいるリンが戻ってくればニ対一になる。バッタを一時逃がしてでも、まずは敵の頭数を減らすことを、アイクは重視したのだ。

 

 アイクは振り返り、部下を見捨てて逃げたバッタを追おうとして、愕然とした。

 

 そして猛然とバッタを追って走り出す。

 

 一度退避して回復しているはずのリンが、まだ膝をついたまま、そこにいたのである。回復すらしていない。傷薬は持っていたはずなのに……!

 

 山賊バッタは逃げることなく、弱っているリンに躍りかかった。彼もまず確実に人数を減らすことにしたようだ。

 

 隠していた手斧を振り上げるバッタだが、すぐにその場を飛び退くことになる。

 

「で、てめえ……!」

 

 山賊バッタの腹は、シャツがスパッと斬れて血がべっとりと滲んでいる。リンが目にも止まらぬ居合切りを放ったのだ。

 

 勝ったと思っていたのが、傷をつけられて怒りに燃えた目でリンを睨むバッタ。

 

 対するリンも自慢の居合切り、つまり膝をつき鞘に刀を入れた状態から一瞬で切り付ける技を不完全とはいえ避けられて、驚愕する。

 

「こいつ、強い……! でも次の一撃で……決める!」

 

 リンは腰を落としたまま、片手を開いて前に、もう片方の手で抜き身の刀の先端を敵に向けて顎の付近まで弓のように引いた。

 アイクの構えに似ているが、アイクは剣を上側に、片手を下側に構えているのに対して、リンの手と刀は平行だった。

 

 いずれにしても、これもまた居合切りやアイクの構えと同様に、相手に剣の長さや攻撃のタイミングを悟られないようにする構えだろう。

 

「アイク、もし私がやられたら……一人で逃げて。約束よ!」

 

 リンは次の一手で必殺の一撃を……放てば自分か相手のどちらかが必ず死ぬ、捨て身の一撃を放つつもりだ。アイクは戦慄する。

 

「リン、無茶するな!」

 

 リンの援護をするためにアイクも突っ込むが、山賊バッタとリンの激突の方が一瞬だけ早かった。

 

「死ねやおらあああ!!」

 

 バッタはリンに振りかぶった斧を両手で力一杯振り下ろした。

 

 まるで木こりが大きな木でも割るかのような一撃で、当たれば人間の頭などパックリと割れてしまうだろう。彼はもしかしたら山賊になる前は木こりだったのかもしれない、アイクにそう思わせる程、堂に入った一撃だ。

 

 振り下ろされた斧はリンを両断する。少なくともバッタの目にはそう見えた。

 

「ぃやったぜ!」

 

 喜びを露にする山賊バッタだったが、両断したはずのリンからは血の一滴も出ていないことに気づく。

 

 それもそのはずで、確かに目の前にあったはずのリンの体は3つの幻となって、ふっと消えてしまった。

 

「な、なにぃ……!?」

 

 瞠目し硬直するバッタ。

 意表を突かれた体は咄嗟には動けないものだ。

 そしてそれを見逃すほど、疾風を纏う草原の剣士は呑気でも鈍感でもない。

 

 一瞬のうちに三つの斬撃がバッタを襲った。

 左右から袈裟切りと逆袈裟切りが鋭い弧を描き、鮮やかな血の花が咲く。

 とどめにバッタの背後から現れたリンがすり抜けざまに首を狩り取った。

 

 リンが血を払い、パチンと刀を収めた時、立っているのはリンとアイクだけだった。

 

「ふうっ……あぶなかった」

 

 長距離を走り抜けたような息を吐くリン。

 残像が見えるほどの高速移動と、それを制御しての高速3連撃。まるで3人のリンが同時攻撃をしかけたような大技だ。

 山賊の斧投げなど問題にもならない。受け継がれ、研ぎ澄まされてきた狼の牙であった。その見た事も無い剣技にアイクは感じ入った。少なからず感動してしまったのだ。

 

 だがアイクはその剣技に感嘆しつつもリンにどうしても言いたいことがあった。

 

 どうしてあの時、怪我をした時点で一度退かなかったのだろうか。アイクは確かに山賊を一人取り逃したが、それでもリンにはあそこで捨て身にならなくても逃げ切れるだけの時間と距離があった。あのスピードなら猶更だ。

 

 リンが一度後退してくれれば、アイクは逃げる山賊に追いすがって、背中に木剣を叩き付けることが出来た。アイクが戦っているうちに回復したリンが加勢すれば、リンが一か八かの賭けに出ることなく、安全に勝てていただろう。

 

 勝利は勝利だ。だがいらぬ博打を打つなど、反省すべき点も多いし、なにより早く怪我を治した方がいい。それを伝えようとアイクが元から険しい顔をさらに険しくして、のしのしと近づいていく。

 

「……こんなんじゃ、駄目ね。たくさん戦って、もっと強くならないと。もっと誰にも、負けないくらい強く……」

 

 しかし刀を収め俯いたリンが呟いた仄暗い独り言が、風に乗って届いた時、アイクはその言葉を飲み込んだ。

 

 リンはどうやら心に闇を抱えているようで、それが先程の無茶に繋がっているようだ。恐らく以前山賊に襲われたのだろう。

 それはこのご時世決して珍しい話ではなかったが、適当に扱ってよいものでは断じてない。

 

 突っ込んだ話し合いはリンが手当てを終えて、自分も戦いの熱が冷めてからにしよう、そう判断する。

 

「あ、アイク……相手が山賊だと思って油断したわ。心配かけてごめん」

 

 そう思っても険しい顔までは治らなかったアイクが近づいてくると、リンは罰の悪そうな顔で謝ってきた。自分でもまずいことをした自覚はあるようだ。

 

「いやそれは後にしよう。あんたは早く傷の手当てをした方がいい」

 

 アイクが険しい顔を解いて諭すと、リンもホッと笑顔になって提案した。

 

「ええ、いったん家に戻りましょう。お疲れ様、アイク」

 

 ○○○○

 

 時刻は夕刻、リンの家に戻ったアイクたちは疲れからか、どっかりと椅子に座り込んだ。

 

「じゃあ私は傷の手当てをするから、悪いけど外で待っていてもらえる?」

「一人で大丈夫か」

「平気よ。私はここで一人で生きてきたんだから」

「……そうか。何かあれば呼んでくれ」

 

 リンの重いカウンターを受け流しながら、アイクは傷の手当てをするというリンをゲルに残し、夕暮れの草原に出た。

 付近を見張りながら、装備をざっくりと点検する。本格的な点検は後にするとして、今後も使えるかどうかは知らなければいけない。

 

 まず山賊との戦いで手斧を逸らした手甲は無事だった。木製の柄の部分を弾いたので、大きな傷も歪みもない。手に痣が出来ていたが、命を守るためには必要経費だろう。

 

 山賊や手斧を殴った木剣も傷一つない。まあ親父の馬鹿力に耐える木剣だしな、とアイクは特に疑問に思わなかった。相変わらず丈夫な木剣である。

 

 装備の点検をしながら、アイクは先の戦いを見つめ直していた。

 

 手斧を投げつけられたくらいで気を乱してしまうなど、グレイル傭兵団の見習いとしてありえないことだ。

 

 まさか自分の唯一の武器を手放したりはしまい、という先入観があったのは否めない。猛省すべき点である。

 敵は人間なのだから、隠し武器や奥の手の一つや二つあって当然。現にあの山賊は懐に入る位小ぶりだが手斧をもう一本隠していた。

 無意識にバカな山賊程度と侮りがあったのかもしれない。相手を見くびるなど三流のすることだ。相手の力量を正確に推し量り、勝利してこそ一流の戦士だろう。

 

 さらにリンが逃げなかったという計算違いがあったものの、バッタを逃がしてしまったのはアイクのミスでもある。あそこはバッタの危険性を見抜き、先に片付けるか、肉壁ごと木剣でぶっ飛ばすか、あるいは両断すべきだった。

 だが、実際にはアイクの攻撃は二人目の山賊を打った時点で勢いをそがれてしまい、その隙にバッタに逃げられてしまった。もっと深く踏み込み、もっと強く、早く、鋭く斬り込めていればあの時点で勝てた勝負だ。

 

 有利な戦いにも関わらず、自身の腕力と経験の少なさ、相手を両断出来ない木剣の弱点を突かれ、戦闘を無駄に長引かせてしまった。リンが強かったからよかったものの、あそこにいたのが非戦闘員の、例えば妹のミストだったりした場合、どうなるかは想像に難くない。ミストに万が一のことがあれば、アイクは己を一生許せないだろう。

 

 剣技と身体能力の向上は地道な努力と考察を深めるしかない。武に近道も脇道もない。地道な積み重ねとそれによる一瞬の閃きと飛躍こそが王道である。

 

 しかし時間がかかることが分かり切っている武術の方はともかく、武器の方は早急に解決出来るかもしれない、そしてしなくてはならない問題だ。

 

 例えばあれが刃のある大剣だったならば、相手をまとめて両断出来ていただろう。そもそも山賊側が降伏してくれた可能性もある。

 やはり安全に傭兵団の砦に帰るためにも、金属製の剣を手に入れる必要があるだろう。出来れば一対一の戦いや素早い敵を相手にするための剣と、守りの厚い敵や多人数を一度に相手にするための大剣の両方が欲しいところだ。

 

「リン、このあたりで鉄の剣が手に入る所はないか」

 

「あるわよ」

 

 背後に感じたリンの気配に問いかけると、案の定リンの応えがあった。

 アイクが振り返ると、広々とした夕暮れの草原にポツンとリンと彼女の家が立っていた。

 

 立ち姿と気配からして、とりあえず怪我の手当ては終わったようだ。

 だが地平線まで見渡せる夕暮れ時ということもあってか、草原に一人で佇む彼女は酷く寂しげに見えた。

 

「このあたりだとブルガルね。あそこは交易都市だからアイクにも売ってくれると思う。他にも剣を作っている部族はあるけど、基本的に身内にしか作ってくれないわ」

 

 交易都市ブルガルか、とアイクは頷いて心の中でメモを取る。リンに方角を教えてもらって、あとで向かうことにしよう。金は何か仕事か狩りをして稼げばいい。

 

「その……よかったらブルガルまで案内してあげよっか?」

 

 言い辛そうに言いよどんだ後、リンは手を後ろで組んで、顔を明後日の方を向けて訪ねてきた。そわそわと体を揺らしている彼女を不思議に思いつつ、アイクは正直に答える。

 

「それはありがたいが……いいのか?」

 

「ええ。構わないわ」

 

「助かる。あんたには世話になってばかりだ」

 

 アイクは世話になってばかりで申し訳ない気持ちになったが、リンの方は澄まし顔をしようとしているものの、どことなく嬉しそうだ。

 

 どうしてだろうとアイクは考えて、さっきこの村にはリン以外誰もいないと言われたことを思い出した。そしてリンが、山賊に敵意を持つことと、強くなることに執着していることを合わせると……嫌な結論しか出なかった。

 

(やはりリンの家族や村はもうないのか)

 

「あ、そう言えばアイクも怪我していたわよね。傷薬ある?」

 

「いや。だが、こんなもん放っておけば治る」

 

 あざの一つや二つ、常日頃から修練で殴り合っているアイクにとっては傷の内に入らない。

 

「駄目! ちゃんと治療しなきゃ! 病気になったらどうするの! ほら手を貸して!」

 

 ぐいっとアイクの手を取って、リンは傷薬を塗り始めた。治癒の魔法の元になる薬草を使って作られた傷薬は、その魔法の力を遺憾なく発揮して、アイクの手から青痣を消していく。

 

 彼女の細い指をくすぐったく思いながら、アイクはされるがままになっていた。こういう時に逆らっても良いことはないと、世話好きな女性であるティアマトやミストから学んでいた。

 

「……少し聞いてもいいか?」

 

「ええ、良いわよ。なんの話?」

 

 アイクとリンはどちらも澄まし顔だ。だがどちらも重要な質問をする、される覚悟を内心で決めていた。

 

「どうしてさっき奴らの攻撃を受けた時、この傷薬を使わなかったんだ?」

 

「え、そっち?」

 

 肩透かしを食らったという顔のリンをアイクは不思議そうに見た。

 

「そっちって、他に何の話がある」

 

「いや、あなたの帰り道の話とか私の村に何で人がいないのかとか、色々……」

 

「どれも重要なことだが後でいい。それよりもさっきの戦い、あんたは俺が前に出ている間にこいつを使わなかった。傷薬をじっくり使う暇はなかっただろうが、適当に振りかけるくらいは出来たはずだ。俺のところではそれでも一応傷薬は発動するが、こっちではどうなんだ」

 

「えっと発動するわよ。傷は治るわ」

 

「じゃあ何故使わなかったんだ。俺の痣なんか問題にならないくらいの重傷だったろう」

 

「……えっと……傷をそのままにしておけば相手が油断すると思って……」

 

「血をつけたままにしとけば、傷を治しても遠目には分からないんじゃないのか」

 

 歯切れ悪く言い訳するリンを論理的に問い詰めるアイク。意外に思う人も多いがアイクは別に頭は悪くない。ただ貧乏人の田舎暮らしゆえに、学がないだけだ。

 

「……その……ごめんなさい。正直に言うとあなたが山賊たちを抑えきれるかどうか分からなかったから使わなかったの。だって傷薬を使っているところを攻撃されたら格好の的だもの」

 

「俺の腕を信じてなかったのか……いや、当然だな。すまん出過ぎたことを聞いた。忘れてくれ」

 

 アイクは傭兵見習い、新米でさえない。それに守ると己に誓ったリンに怪我をさせてしまうような腕の男だ。もっと強くなりたい。親父のように、親父以上に。アイクは切実にそう思った。

 

 再び二人の間に沈黙が舞い降りる。以前と違って、それは重苦しいものだった。

 

 

 

 ○○○○

 

 

 翌朝。爽やかだが、肌寒い夜明け前の風が吹き込んできてアイクは目覚めた。

 

「おはよう、ティ……じゃないリン」

 

「おはよう、アイク。やーね、寝ぼけてるの?」

 

「ああ、どうやらそうらしい。でも今起きた」

 

 暗い顔を少し明るくして、クスクスと笑うリンに、苦笑いで返すアイク。頭を掻きながらベッドから身を起こす。

 

 リンはリンでアイクの隣にストンと腰を下ろした。

 それから何かを言おうとして引っ込める。言おうとして引っ込める、というのをしばらく繰り返したのち、当たり障りのない風を装って話しかけてきた。

 

「もうすぐ夜が明けるわ。昨日の戦いで疲れたなら出発を遅らせるけど」

 

「いや、思っていたより全然辛くないな。初陣の後は心身共に結構辛いらしいんだが」

 

「あら、アイクさんはお強いのね」

 

「人より鈍いだけさ」

 

 軽口もすぐ止まってしまう。だが、それでも二人の間の緊張が少しほぐれた。

 

 だからだろうか。

 リンは迷いを振り払うかのようにアイクを見て言った。

 

「ねえ、アイク。少し話があるんだけど、いいかな」

 

「ああ」

 

「アイクはテリウス大陸に帰る方法を探すのよね」

 

「ああ、そのつもりだ」

 

 ここが別大陸なのか過去なのか未来なのか、それともまったくの異界なのか、魔導士でもましてや賢者でもないアイクには皆目分からない。

 

 でも一つだけ言えるのは、アイクは家族の待つグレイル傭兵団に帰るということだ。

 

 そのためには武器を手に入れ、情報を集め、欠点だらけの自分を支えてくれるような仲間を探さなくてはならない。アイクは自分一人で何でも出来ると思えるほど自惚れてはいない。むしろ自分のことを欠点だらけの人間だと自覚している。

 

「その旅にさ、私も一緒について行っちゃダメかな?」

 

 こっちの目をじっと見ているリン。

 

 不安に揺れながらも、それに負けない強い瞳だった。

 

 イエスと言うのは容易い。だが、それは公平(フェア)じゃない。

 

 アイクは尋ねるのは今だろうなと感じた。

 

「故郷と家族は良いのか。ずっとあんたが護って来たんだろう」

 

 自身の目指すべき剣のようにまっすぐ問題に切り込んだアイクに、リンは目を閉じて、応えた。

 

「……父も母も……半年前に死んだわ」

 

 耐え難いものに直面したかのように、リンは静かに目を閉じていた。

 

「私の部族……ロルカ族は、本当はもう存在しない。山賊団に襲われて……かなりの数が死んでしまって……部族はバラバラになっちゃった」

 

 バラバラになった、そのくだりでリンは目を開けた。死者への深い悲しみ、無法者と無力な自分への強い怒り、その他人生経験の薄いアイクには読み取れない様々な感情が、渦となって彼女の中に沸き起こっている。そうアイクは感じた。

 

「私は……父さんが族長だったこの村を守りたかったけど……こんな子供……しかも女に……誰もついてこなかった」

 

 リンの答えは概ねアイクが予想していたのと同じだった。かと言ってそれで目の前で涙を流すリンに、かける言葉が出てくるわけではなかったが。

 

 無法者の襲撃とそれによる家族の死亡、後継者の不認知と一族の離散。

 それはきっとテリウスでもエレブでもありきたりな悲劇。たとえばグレイル傭兵団だとて、団長のグレイルがなんらかの形で死んでしまえば、いくらアイクが団を継ぐと言ったところで誰もついて来ないだろう。アイクには経験も実績も力も、ない。

 

 リンは決して無力な村娘ではない。むしろ類まれな剣術の才をアイクは彼女に感じていた。だが、彼女にリーダーは任せられないという村人の意見もアイクには分かってしまった。リンもまた、経験による厚みや実績がないのだ。成長すればひとかどの者になるだろうとは思うが、その成長を待つだけの時間と余裕が、ロルカ族にはなかったのだろう。

 

「えへへ……ゴメン。ずっと一人だったから……」

 

 自分が音もなく涙を流してることに気付いたリンが恥ずかしそうに指でぬぐった。それでも後から後から涙があふれてくる。

 

「うーん、だめだ。もう泣かないって決めたのに……」

 

 目を閉じて静かに嗚咽と涙を流す少女に、アイクは何かを語ることも手を握ることもしなかった。

 

 アイクはただ静かに隣に座っていた。

 

 死者は生者がその者のために流した涙の分だけ、女神より安らぎを得られるという。

 

 アイクは幼いころに母親を失ったが、泣いたことはなかった。

 アイクは母のことをあまり覚えていないが、優しい人で大好きだったことは覚えている。だがどんなに母親のことを思っても、何故だか涙が出ないのだ。ただ心にぽっかりと黒い穴が開いているような悲しさと虚しさが募るだけで。

 

 それはきっと死んだ母にとっても自分にとっても、たぶん望ましいことじゃない。

 

 だから、というわけじゃないが、涙は流せる時に流すべきだ。

 

 亡くなったリンの両親や一族のためにも、リン自身のためにも。

 

 そうすることで悲しみを自分のものにし、乗り越えられる。少なくとも乗り越えるための一歩を踏み出せる。

 

 アイクは彼女に何も言わない。ただ黙って彼女に居場所を提供する。

 

 こんな自分でも、一人で涙を流すよりはきっとマシだろう。

 

 それが今のアイクに出来る最大限の優しさだった。

 

 

「みっともないとこ、見せちゃったわね」

 

 真っ赤になった目でリンは照れ笑いした。

 

「俺は気にしてない。あんたも気にするな」

 

「ありがとう。大丈夫、落ち着いた」

 

 溢れる涙が心を洗ってくれたのか、リンは昨日よりずっと落ち着いた顔になっている。憎しみの炎も今は灯っていない。

 

「アイク、私父さんたちの仇を討つためにも強くなりたいの! 昨日アイクと一緒に戦ってみて分かった。一人でここにいても、強くなんてなれない」

 

 リンは立ち上がり、アイクの方を向いた。

 

 奔放だが優しい風を思わせる眼差し。きっとこれが彼女本来の姿なのだろう。

 

 彼女は手を差し出した。

 

「だからね、アイク。私と一緒に修行しない?」

 

 答えは決まっている。

 アイクはリンの手を取った。

 剣をやっているのが信じられない程、細くて淑やかな手だった。

 

「頼むのは俺の方だ。何にも知らない新米だが、よろしく頼む」

 

「いいの!? 本当にいいの!? ありがとう! すごく、すっごく、うれしい!!」

 

 手を握ったままぶんぶんと振るリン。彼女の雨上がりに雲から覗いた太陽のような笑顔につられて、アイクも自然と笑みを浮かべることが出来た。

 

「絶対一人より二人の方が心強いって思ってたの。一人前の剣士を目指して、がんばろう! ね」

 

 その笑顔の素はなんだろうか。

 

 孤独じゃなくなった喜びだろうか、強くなるという目標に一歩前進したことへの喜びだろうか、元気になるための空元気っていうのも勿論あるだろう。

 

 それでもやっぱり、人は泣いているより笑っている方が良いものだな、とアイクは思った。

 

 

 

 

「さあ、まずは準備を整えて、ブルガルに向かいましょう!」

 

「ああ。……朝から元気だな」

 

「ええ、バリバリ行くわよ!」

 

 朝日の中を涼やかで溌溂とした笑顔を浮かべるリン。その中には冒険への希望の他にも昨日会ったばかりの人の前で泣きはらしてしまった照れ隠しもあるかもしれない。

 

 それを知ってか知らずか、アイクもまた歩き出したリンに続いて彼女の村を後にする。

 

 

 こうして始まりの物語は終わり。

 草原の公女と傭兵の、長い冒険の旅が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで序章でした。以下は読まなくてもいいあとがきです。

作者は何を隠そう蒼炎と烈火が大好きで、特にアイクとリンにいたっては愛していると言っても過言ではありません。相性良さそうだし、二人で人気投票一位を取ったしで、二人のお話が増えるかなあと思ったら全然増えず、ならば自分で書くしかないと書いた次第です。
これ書くのに1年以上費やしましたよ……普段勘違いものばかり書いてるっていうのと、アイクとリンのキャラをどうやって魅力的に描くかで苦心しまくりました。

特にアイクさん。彼は英雄、あるいは主人公の鏡みたいな人だから、誤魔化しが一切効かず、作者の力量がもろに出てしまうのです。まあリンもそうなんですけど、アイクは難しさの桁が違う。
気になった人はアイクさんが出てる蒼炎の軌跡、暁の女神をプレイするか、動画や会話集で見てみると良いと思います。蒼炎暁は批判もあったけど、アイクさん主人公の英雄譚としてはほとんど完璧だったと思います。

今作ではレンジャーレベル1、つまり一番弱いころのアイクさんが主人公でしたが、実は蒼炎終了時のアイクさん、あるいは暁終了時のアイクさんなど色々と試行錯誤をしました。それぞれに良さがあるのですが、主にアイクさんが強すぎて無双しすぎてしまう問題が発生したため没になった次第です。色んな意味でシリーズ最強の主人公である彼の全盛期を初期から投入するのは色々とやりすぎもいいとこですからね。

何度も心が折れそうになりましたが、そのたびにとある絵師様にお願いして描いてもらったアイクとリンの絵を眺めて、気力を繋ぎ、やっと投稿出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

今後の予定は未定ですが、読者の方から要望があれば続きを書きたいと思います。

6月13日
追記
件の絵師様であるねむポン様に挿絵掲載の許可がいただけましたので、アイクとリンが旅立つシーンのイラストを掲載させていただきました。
私が何百人いても描けないような大変素晴らしい絵です。拙作にこんな美しい挿絵がつくなんて……と感動と興奮で言葉が上手く出てきません。しかも応援のメッセージまでいれてくださって……本当に、本当に、ありがとうございました!
これは気合いを入れて書かねばならないと、現在続編を執筆中です。
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