ファイアーエムブレム蒼炎の軌跡 エレブ大陸編   作:よもぎだんご

2 / 2
第一章 運命の足音 ブルガル攻防戦

「アイク、こっちよ」

 

 たたたたっとリンがアイクの腕を引っ張って城塞都市に駆け寄った。

 

 歩兵や騎馬の軍団を寄せ付けぬがっしりとした石の壁が、ぐるりと街を取り囲んでいる。

 本来ならば威圧感や圧迫感を感じるはずの光景だが、開けっ放しのままたくさんの旅人や行商人が出入りする城門が、この街が長い間平和の中にあることを告げてくれていた。

 

「いらっしゃいいらっしゃい、さーいらっしゃい! こちらベルンで獲れた岩塩だ! こいつで肉を焼けば、どんな肉でも一流レストランのステーキだよ!!」

 

「買った買った、最新の氷魔法で獲れたてピチピチ!! フェレ領の海魚だよ! サカで食べられるのはここだけだ!」

 

『――――八神将に数えられし、神騎兵ハノン、疾風のミュルグレ携える。弓にして太刀、太刀にして剣、剣にして弓なる神の武器――――』

 

「ひっひっひ、次の戦いのことが知りたいのかね? だったら50ゴールドもらうよ?」

 

 敵が侵入してくるかもしれない門のすぐ側だというのに立ち並ぶ店や屋台。店の親父さんやおかみさん、売り子の少年少女の声が大通りに響いている。

 

 岩塩で焼いた肉を勧める北国の分厚い服の塩屋、逆に南国から来たと思われる薄着の魚屋、片足で太鼓を鳴らしながら弦楽器を引いて英雄の詩を朗々と歌い上げる器用な詩人、中には傭兵相手に水晶玉で占いをしているらしい怪しげな老婆までいる。

 

 アイクとしてはどんな肉にも合うという岩塩が気になるところだ。

 アイクはグレイル流サバイバル術の一環として、味や食感を無視してどんなものでも食えるし、自炊だって出来る。グレイルに剣術と共に「どんな環境でも生き残る術」を物心つく前から叩き込まれているからだ。

 

 しかし好き好んで不味い飯やゲテモノ料理が食べたいとは全く思わない。むしろ栄養的にも心情的にも美味い飯を積極的に取りたい所存だ。

 

 家族や仲間と一緒に美味いものを腹一杯食べて昼寝をする。それが、アイク流の幸福術である。腹ごなしに親父たちと鍛錬も出来れば言う事なしだ。

 

 しかし誠に残念ながら、ここエレブ大陸には、どんなものでも美味しい料理に変えてくれるとアイク達が全幅の信頼を寄せる傭兵団最強のコック、オスカーがいない。

 

 となると必然的にアイクかリンが料理を担当することになるのだが、二人の料理の腕は正直なところ一般人の域を出ない。しかも、だ。

 

『リン、これは液状のチーズ……なのか? かなり酸っぱいし炭酸も効いている。あと俺の勘が、栄養はあるが飲んだら腹を下すかもしれん、と言っているんだが』

『え? 何言ってるの、アイク。これは馬乳酒よ。とっても美味しいし体にも良いのに、飲んだことないの?』

 

『アイク……その……カエルを、食べるの?』

『ああ。乳粥やチーズもいいがやはり肉を食わねば力はつかんからな。こいつを焼くか油で揚げて……どうしたリン、そんなに引いて。もしかしてこいつには寄生虫か毒でもあるのか?』

 

 一事が万事こんな具合だった。

 

 “常識とは、十代までに拾い集められた偏見の束である”

 

 とは誰の言葉だったか。たぶん、セネリオかティアマトが持ってきた本の中の言葉だと思う。

 

 ともかく昨日の食事で分かった事だが、クリミアで傭兵団として生きてきたアイクと、サカの遊牧民として生きてきたリンでは育った環境が全く違うので、味付けの好みどころか、そもそもの食べ物や飲み物が全く違うのだ。

 

 幸いなことに二人とも強靭な度胸と胃腸の持ち主だったので、二人の食事は事なきを得たが、一事が万事こんな調子では大変である。

 

 なので手っ取り早く料理の質を上げられるなら、それに越したことはない。

 

 幸いアイクもリンも肉料理は大好きだったので、そこの所は問題なかった。問題は二人の食肉の定義が若干ズレていることと、たとえ良い塩があっても肉が取りづらいことか。市場で買う肉は高いし、ここら辺は見晴らしのいい平原なので、鹿や猪などがあまりいないのである。

 

「どう、アイク。ここがサカで一番大きな街ブルガルよ」

 

 立ち止まって周囲を見渡していたアイクに、頃合いを見計らっていたらしいリンが訪ねて来た。その顔から何を言って欲しいか分かったアイクは心もち笑って告げた。

 

「良い街だな。平和そうだし、賑やかで活気もある」

 

「でしょう。ここで旅に必要なものを揃えましょう」

 

 故郷を褒められて嬉しかったのか、リンは満足げに顔を綻ばせて、アイクに告げた。

 

「それは助かるが金は足りるのか。俺の持っている金は使えんだろうし、ないならないで何か依頼でも受けて稼がなくちゃならんが……」

 

「たぶん大丈夫だと思うわ。山賊からいくつか取り返した金品があるし、掲示板を見る限りバッタたち自身も賞金首だったから。合わせれば食糧と飲み物、アイクの剣の二本くらいは余裕で買えるはず。馬は……まあ無理ね」

 

 歩きながら手元のお財布や、遠方の噴水広場の掲示板を見て、お金を勘定するリン。広い草原で暮らしているだけあり、リンはアイクが霞んで見える距離のものも平気で見えるようだ。

 ちなみにアイクは王都などの都会には噴水があるということを知ってはいたが、実物を見るのは初めてだ。どういう仕組みなのか気になったが、頭の中で算盤弾いて計算しているらしいリンを邪魔するのは忍びなかったので、遠くから眺めるに留めた。でも気になるのであとで行ってみよう。

 

「やっぱりこっちでも馬は高いのか?」

 

 リンの計算が終わったのを見計らってアイクは会話を再開した。

 

「ええ、普通の馬も高いけど、サカの馬は特に高いわ。買ったことも売ったこともないから詳しい値段は分からないけど、ちゃんとしたサカの馬なら爵位と庭付きの立派なお屋敷がいくつも買えるって昔お父様が言ってた気がする」

 

「そんなにか。軍馬並か、いやそれ以上だな」

 

 野生の馬、駄馬、農耕馬、軍馬、と値段の桁が跳ね上がっていき、最終的には維持費も込みで屋敷一軒余裕で買えると言われるのがアイクの知る馬の世界だが、サカの馬はどうやらそれを超えるようだ。まさか爵位まで貰えるとは。

 昔クリミア王国の騎士だったティアマトやオスカーの話では平民が貴族になるのは本当に大変、というかほとんど不可能だというが、ここではそうではないのだろうか。

 

「まあ騎士だの爵位だのは俺には縁のない話だな。リンはいるか、爵位」

 

 しかし、普通の傭兵なら目を輝かせそうな出世話や爵位も、アイクにとっては割とどうでもよい話だった。理由は単純、そんなもの興味がないのだ。

 

「私もいらないかな。貴族って窮屈そうだし。遠乗りも出来無さそう」

 

 似たような感想のリン。性別も食べ物も住む世界までも違っても、こういうところが似通っているから、仲間になれたのかもしれない。アイクはぼんやりとそう思った。

 

「ともかく、まずはこいつらを始末しちまおう。衛兵隊の詰め所に向かえば良いんだったか?」

 

 アイク達が目指すはこの街を守る衛兵たちの詰め所だ。そこに山賊たちの首を持っていき、賞金を受け取らなくてはならない。

 ちなみに山賊たちの首は袋に入れて、アイクが持っている。

 現状では保存のための魔法も塩漬けにするための塩もないので、首をボロきれでグルグル巻きにしてズタ袋に入れて持ってきただけだ。腐ってしまえば誰だか分からず賞金は貰えないし、相手が非道な山賊とはいえ死者を冒涜するのはあまり良い気分ではないので、さっさと始末したいのが本音だ。

 

「ええ。でもまずは市場に行って、最新の値段を確認しないと……」

 

「おおっ、これはなんと美しい女性なんだ。待って下さい、美しい人。よろしければお名前を! そしてどこかでお茶でもいかがですか」

 

 アイクとリンが爵位や騎兵についての他愛のない会話を終えて、今後の予定を立てていると、噂をすれば影とばかりに、当の騎兵が通り道を塞いで来た。しかも軟派な口説き文句を明るく叫びながら、だ。

 

 胡乱な目で騎兵を見上げるアイクとリン。

 

 青い目をした逞しい黒馬に跨っているのは、アイク達と同じか少し年上くらいの若い騎士だ。短く切って適度に乱した茶髪の下にはそこそこ整った顔があり、人懐っこい表情を浮かべている。

 

「誰だ、あんた」

「……あなたどこの騎士?」

 

 期せずして似たような質問をする剣士二人に、騎士は輝くような笑顔を浮かべた。

 

「おお、よくぞ聞いてくれました。俺はリキアの騎士セイン! もっとも情熱的な男が住むというキアラン地方の出身です」

 

 緑色の鎧に手を当てて芝居がかった礼をする騎士セイン。

 

「もっともバカな男の間違いじゃないの」

 

「リン、鬱陶しいのは分かるが言い過ぎだ」

 

 その彼に夏の水も凍りだしそうな視線を向けるリンをアイクは宥めた。

 リンはこういう軽い男が嫌いなようだ。

 しかし如何に相手が軟派な、しかも微妙に阿保っぽい騎士だとはいえ、あんまりにもあんまりな対応ではないか。同じ男として同情してしまう。

 

「大丈夫よ。この手の手合いはこのくらい言わないと分かってくれないもの」

 

「う……冷たいあなたも素敵だ……」

 

「ほらね」

 

「まるで堪えてないな……」

 

「行きましょう、アイク。付き合ってらんないわ」

 

(初対面の女に言い寄ってはすぐさま手酷く振られる……なんだかウチのガトリーみたいなやつだな。微妙に阿保っぽいのと振られても案外ケロッとしているとこも含めて)

 

 アイクはそんなことを呆れ半分に思いながら、リンと共にセインの横を通り過ぎようとした。

 

「ああ、待ってください、美しい人! せめて名前くらい……」

 

「セイン! いい加減にしないか!」

 

 だが、そこにもう一頭の馬が駆け込んできて、二人はまたしても足を止める羽目になった。

 

 往生際が悪い緑騎士セインを叱り飛ばしたのは赤鎧の騎士。

 いかにも今時の若者といった風情のセインと違い、金属のように光沢のある赤毛を油でピッタリと撫でつけているあたりに、彼の几帳面さと生真面目さが伺われる。

 

「おお、ケント。我が相棒よ。どうした、そんな怖い顔をして」

 

 あくまで明るく芝居がかった様子のセインに、ケントは激高して食って掛かった。

 

「貴様が真面目にしていれば、もっと普通の顔をしている! セイン、我々の任務はまだ終わっていない。いやそれどころか始まってすらいないのだぞ!」

 

「分かっているさ。だが、こんな美しい女性を前にして、声をかけずに立ち去るのは、礼儀に反するだろう?」

 

「なんの礼儀だ、なんの!」

 

「無論、騎士として、さ。騎士はか弱い女性を守る者、キアラン騎士12則にもそう書いてあっただろう。忘れたのかね、優等生のケントくん」

 

「ならそいつに則って、私もますます貴様を見過ごせなくなったぞ、セイン!」

 

「ケントてめえ、そりゃどういう意味だ!?」

 

「そういう意味に決まっているだろう! 手当たり次第に女を口説くなと言ってるんだ、この不良騎士め!」

 

「なんだと、この石頭騎士! 騎士としての権力を悪用しない品行方正な俺がいったい何年女日照りにあってると思ってるんだ! 撤回しろ!」

 

「女日照りが嫌ならさっさと故郷に帰って許嫁を嫁に貰えばいいだろうが!」

 

「あんなブスでワガママで性根のねじ曲がった女、嫌に決まってるだろ、いい加減にしろ!! てめーこそ、さっさとイーグラー将軍かワレス様の娘さんでも嫁に貰えよ! てめーのせいでキアランの女が俺に振り向かねえんだよ!」

 

「知ったことか! そもそも貴様がモテないのは貴様の節操のなさが原因だろうが!」

 

 相方の不真面目さを問いただす硬派な騎士ケントと、それをのらりくらりと躱す、と思ったら何が琴線に触れたのか逆ギレし出した軟派な騎士セイン。

 

 突然始まった騎士二人の漫才……押し問答を、アイクは目の前で突然大道芸が始まった位の感覚で面白半分呆れ半分くらいで眺めていたのだが、言い争う二人の騎士にうんざりしたのか、リンが割って入った。

 

「あの! どうでもいいけど道を開けて。馬が邪魔で通れないわ」

 

 確かにたいして広くもない道路に馬が二頭も並んだせいで、通行が滞っていた。周囲の人も迷惑そうに見て……いや、意外と面白がって見ている。「いいぞ、もっとやれ!」と野次を飛ばしているおっさんすらいるようだ。

 

 リンの言葉で騎士ケントはハッと周囲の状況を思い出したらしく、怒り顔から真顔に戻って周囲に謝罪した。ちなみに野次を飛ばしたおっさんは隣のおかみさんにひっぱたかれていた。さもあらん。

 

「すまない、すぐにどこう。お前もだ、セイン」

 

 ケントはそう言って、すぐさま後ろを見ながら馬を下げ出した。やはり見た目通り真面目な性格のようだ。セインも飄々と後に続く。その様子にリンも溜飲が下がったのか、少しだけ穏やかな顔になった。

 

「ありがとう。あなたは、まともみたいね」

 

「ええ、まあ。 ッ! ……失礼だが、君とはどこかで、あった気が……」

 

「え?」

 

 ケントはリンを見ると、まるで墓から蘇った死人にでも会ったような深刻な顔になった。

 

 戸惑いの声を上げるリン。声こそ上げないがアイクも似たような心境である。

 

「あんた、リンの知り合……」

 

 アイクがそれを尋ねようとした時、セインが割り込んできた。

 

「おい! ずるいぞ、ケント! この娘には俺が先に声をかけたんだ!」

 

「……! リキアの騎士にはロクなヤツがいないのね! 行きましょ、アイク! 気分が悪いわ!!」

 

 抜け駆けは許さんと割り込んできたセインに、リンはこれがそういう類のナンパだと悟ったのか、アイクの腕をむんずと掴むと猛然と歩き出した。

 

「いいのか、リン。あれはたぶん……」

 

「いいの!」

 

 ずんずんと道を進んでいくリンにアイクは尋ねたが、リンは取り付く島もない。

 

 アイクはケントの反応の理由が口説き文句の類とは思えず、少し引っかかったが、所詮自分は年頃の女性を誘ったことも逆に誘われたこともない無骨な人間である。

 

 非常に整った容姿を持つリンの方がこういう状況に慣れているだろうと考え、リンの判断に従うことにした。

 

「買い物の下調べをするわ。質と量と値段が良い塩梅のやつを探すわよ」

 

 

 

 ○○○○

 

 

「待ってくれ、違うんだ……」

 

「抜け駆けは許さん!」と叫ぶセインの頭を抑え込みながら、ケントは旅人たちが去っていった方に苦労して馬首を回した。セインとケントは頭の方はともかく、組打ちなどの腕前の方は腹ただしいことに完全に互角なので、取り押さえるのも大変なのだ。

 

 しかし、ケントがやっとのことで馬首を回した頃には件の旅人たちは雑踏の中にとっくに消えてしまっていた。ブルガルは古い街なので、今見えているだけでも入ったことの無い分かれ道や細道がたくさんあり、名も知らぬ旅人二人を探すのは容易ではない。

 

「セイン……貴様!」

 

 怒りを込めてケントはセインを睨みつけた。相棒が本気で怒っているのを感じたセインはビクっとなる。そこで硬派を気取る相棒が会ったばかりの女の子を口説くなどおかしいとようやく思いあたったらしく、セインは首を傾げた。

 

「え、違うのか。俺はてっきり……」

 

「貴様と一緒にするな! それより今の娘を追うぞ。彼女は多分……」

 

「……もしかして、俺たちの任務か! 嘘だろ、おい!」

 

 焦った顔で二人の騎士は街へと駆けだした。

 しかしここはサカで一番古く、広い街だ。

 派手な馬車に乗っているだとか、お供をたくさん引き連れているだとか、そういった目立つ要素のない一人の少女が、余所者に簡単に見つかるはずもない。

 

 そんな厳しい現実に二人の騎士はすぐさまぶち当たることになった。

 

「ぜぇ、はぁ。み、見つからないな……」

「はぁ、はぁ……ば、馬鹿者、見つかるまで探すしか、ないだろう……」

 

 馬を降り、噴水を囲む石の輪に腰かけて息を整えるセインとケント。

 夏の午前中から昼下がりの一番日差しが強くて暑い時間帯を、二人は鎧を装着し、複数の武器を背負って駆け回ったのだ。おかげで、喉はカラカラ、汗もだくだくである。

 

「……ケント、俺噴水に飛び込んじゃダメかな」

「……気持ちは分からんでもないが、人前でそんなことをしたら、私はお前と縁を切るぞ」

 

 誰はばかることなく、冷たい噴水に顔を突っ込んでゴクゴクと美味しそうに水を飲む自身の愛馬を恨めしそうに見るセイン。騎士達は人間なので同じ真似は良識とプライドが許さず、自前の革袋の中に入った生温い水を飲むしかないのだ。

 

 せめて噴水が生む涼やかな風に当たって少しでも涼を取ろうと寝っ転がるセインを見るともなしに見ながら、ケントは思考する。

 

 時刻はもうすぐ夕刻。

 

 半日近く駈けずり回ったが、結局昼間の彼女たちの足取りは掴めなかった。しかし聞き込みの結果いくつか気になる噂も耳にしていた。

 

「リンディス様の行方は分からなかったが……ホンホルドィ通りに、亡くなられたはずのハサル殿とマデリン様が現れたというのは気になるな」

 

 ケントの呟きに倒れたままセインが反応した。

 

「ああ。あと、ここらを荒らしまわっていたバッタ山賊団が何者かに討伐されたってのもな。噂じゃ騙し討ちにされたロルカ族の復讐だとか、そのために凄腕の傭兵が雇われただとか、胡散臭いのばっかりだったが、討伐されたのは事実らしいし。ロルカ族ってハサル殿の部族だろ?」

 

「……私たちの任務は元々マデリン様とハサル殿をキアラン領にお連れすることだった。お二人が亡くなられていると分かってからは忘れ形見のリンディス様を追うことになったが……」

 

「お二人が生きておられるなら、三人全員連れていきてぇよな、やっぱ。その方がハウゼン様も喜ばれるだろうし」

 

「……手分けしていくぞ。セイン、この街の衛兵隊の詰め所は覚えているか」

 

「あー、あそこだろ。あそこ。あっちの方」

 

 適当な、しかも全然違う方を差すセインにケントは額に手を当てた。なんでこんな奴が相方なのか、ともう何度嘆いたか分からないことを嘆く。

 

「……もういい。お前はホンホルドィ通りに行って、マデリン様たちを探せ。もしかしたら噂を聞いたリンディス様もいらっしゃるかもしれん」

 

「お前は?」

 

「私は詰め所に行き、事情を話してリンディス様たちの捜索を手伝ってもらおうと思う」

 

「おいおい、良いのかよ。任務の詳細明かしちまって。」

 

「やむを得ん。ワレス様によれば、衛兵隊長のベルケン殿は義理堅く、信用できる人物だと聞いている。我々だけではこの入り組んだ古都相手に、リンディス様もマデリン様も見つけられない。ましてや彼女達がブルガルを出て、広大な草原地帯に行ってしまえば、捜索はもっと困難になる」

 

「全員がブルガルにいるかもしれない、今がチャンスってことか……」

 

「そういうことだ。さあ、休憩は終わりだ、行くぞ!」

 

 騎士達は夕暮れ迫る黄昏の街に向かって、再び馬を駆った。

 

 

 ○○○○

 

 騎士達がそんなことを話しているころ、アイクとリンは市場を回って食糧や飲料、武具などの必需品の質や値段を確かめ終えて、衛兵たちの詰め所に着いていた。

 

 先にどれくらいの金が必要なのか確かめておけば、賞金額の交渉において役立つというのが、リンの言だ。アイクはリンの強かさに感心したが、族長の娘として商人との交渉の席に立ち合ったこともあるリンに言わせればこんなことは大したことではないらしい。その気になれば金がなくても平気で生きていけるアイクはその辺の機微は疎かった。

 

「あそこがブルガルを守る衛兵隊の詰め所よ」

 

 リンは戦に備えた造りをしている建物を指さした。

 

 アイクには読めないが、リンによると「ブルガル衛兵詰め所」と書かれているらしい看板。その下の窓口にはスキンヘッドでゴリゴリの筋肉の持ち主が足を組んで座っている。見かけだけではない使い込まれた骨と筋肉の持ち主だ。

 

(歩兵、それも重装歩兵として、かなり鍛えこんでいるな……)

 

 彼はあたかも椅子に座っているかのように見せかけているが、アイクの目はごまかせない。

 アイクはグレイルから、視線や筋肉の強張りなどから相手の次の動きを読み解いたり、逆に自分の動きから相手の動きを誘導したりする「見切り」の技術を学んでいた。これはグレイルの教える「見切り」の一つであり、極めれば相対しただけで敵の奥義を見切り、封じることさえ出来るようになると言われている。いつかアイクも到達したい境地だ。

 

 目の前のスキンヘッドの中年はあたかも椅子に座るように腰を曲げて、脚を組むように片足を膝の上に上げて中腰のまま、”立っている”。短時間ならともかく、長時間この体勢でいるのはきついはずだが、姿勢もよく、手も淀みなく動かしていた。

 どうやら事務仕事中であろうと、片時も自分を鍛えることを止めないつもりらしい。アイクは感心した。リンの分身剣と一緒に今度自分もやってみようと心に決める。持久力のトレーニングに良さそうだ。

 

「こんにちは、ベルケンさん」

 

「おおっ、リン! ハサルの所のリンじゃないか! 生きていたのか!」

 

 スキンヘッドの男ベルケンは勢いよく立ち上がった。どうやら二人は知り合いらしい。

 ベルケンの良く通る割れた声は常日頃から訓練で大声を上げているのだろうな、とアイクに想像させた。

 

「ええ。父や母、それにロルカのみんなが守ってくれたから」

 

「……ああ、ハサル殿たちのことは残念だった。まさか聖なる泉に毒を投げ込む大馬鹿者がいるとは、思いもよらなかった。オレ達衛兵隊や他部族の皆がもう少し早く気づけていたらなぁ……本当にすまねえ」

 

 慙愧に堪えぬという表情で禿げ頭を深々と下げるベルケンに、リンは笑って手を振った。ぱっと見では無理をしているとは分からないだろう。

 

「いいえ、あなたたちは良くやってくれたわ。タラビルの山賊団があそこに居座らなかったのも、皆がやつらを追い払ってくれたおかげだもの」

 

 タラビルの山賊団、それがリンの仇らしい。

 

「礼を言われるほどのこっちゃねえよ。ロルカ族の敵討ちと再犯を防ぐためにやつらは徹底的に叩かなくちゃならなかっただけだ。しかもやつら、ただの山賊とは思えねえほど強くて、追っ払うのがやっとだったしな」

 

 早速始まってしまっているデリケートな話題に、アイクは先程から気付かれないように横にいるリンの顔を見ていたが、昨日のように決壊しそうな雰囲気はない。

 

 どうやら昨夜きちんと泣けたことで、ひとまず心の整理がついたようだ。アイクとしても安心である。

 

 アイクがそんな妹を見守るような心境でいると、リンと目が合ってしまった。

 

 彼女はまず妹扱いにムッとしたように口を突き出し、続いて何か思いついたのか、リンの目が嗜虐心を刺激された猫のように細まり、口元に優雅な微笑が浮かんだ。

 

 まずい。

 

「ベルケンさん、紹介するわね。こちらはグレイル傭兵団“次期団長”のアイクよ。今回私と一緒にバッタ山賊団をやっつけたから、ここに案内したの」

 

「おい、リンっ」

 

 アイクと腕を組んでベルケンの前に突き出し、次期団長という言葉を強調するリン。

 

 アイクは確かに団長であるグレイルの息子だが、次期団長どころか一般団員ですらない見習いである。鉄の剣すら持っていない。将来団長の地位を継ぐかもしれないが、それは親父が引退した後、つまり何十年もあとのことだろう。

 

 つまり嘘ではないかもしれないが真実でもない。

 分不相応な持ち上げは、敬語やお辞儀と並んでアイクの最も苦手とするところだ。背筋に虫唾が走る。

 

 アイクがリンをじろっと横目で見ると、彼女はベルケンには見えないようにべーと小さく舌を出した。そういう姿まで可愛らしいのだから反則もいいところだと、アイクは内心で唸った。

 

 妹扱いしたことへのリンなりの仕返しなのだろうが、どうして彼女は短時間でアイクの苦手とすることが分かったのだろうか。恐るべきは彼女の洞察力、あるいは女の勘、というやつか。

 

「アイク、こちらはベルケン衛兵隊長。ここブルガルを守る衛兵隊のトップよ。ほら、ちゃんと挨拶して」

 

 おのれ、澄まし顔でいけしゃあしゃあと。アイクは後でリンに仕返しすることを心に誓った。具体的には明日の夕食はカエルと蛇の姿焼きである。

 

「グレイル傭兵団のアイクだ。よろしく頼む」

 

 それはそれとして礼を通すアイク。返礼にベルケンも頷いた。

 

「ブルガル衛兵隊長ベルケンだ。よろしく。しっかしグレイル傭兵団ねえ。聞いた事はねえが、その若さで次期団長とは大したもんだ」

 

「いや、俺はまだまだ見習いにすぎん。剣の腕も団員の指揮も、親父たちには遠く及ばない。精進あるのみだ」

 

 顎髭を扱きながら興味深そうにこちらを見るベルケンの誤解を解こうと、アイクは正直なところを語った。

 

「……今どき珍しいくらい謙虚なやつだな。しかも謙遜じゃなくて本心で言ってやがると来たもんだ。……体もかなり鍛えこんでいるみてえだし、目も曇ってねえ。あの男勝りで有名なリンちゃんが選んだ男だし、こりゃもしかすると大化けに化けるかもしれねえな……」

 

「あの、ベルケンさん?」

「おい、ベルケン? 俺はだな……」

 

 何やらアイクとリンをじっと見比べながら真剣な顔でぶつぶつ呟きだしたベルケン。

 途中から小さすぎてよく聞こえないが何やらおかしなことになっている気がするので、これ以上変なことになる前に修正を試みるアイクとリンだったが、それを遮るようにベルケンが言った。

 

「決めた! おい坊主、良かったらうちで雇われてみねえか!」

 

「は?」

「え?」

 

 期せずして似たような反応をするアイクとリン。ベルケンは目に入っていないのか、気にせずまくしたてた。

 

「うちは訓練はきついし、住民がらみの面倒事も多いが、解決すれば感謝もされるし、給料も良いぞ。カミさんと子供を食わしていくには十分な額だ。どうだい? 不安定な傭兵団を抜けてうちで働かないか?」

 

「……いや、あんたみたいな奴にそう言って貰えるのはありがたいが、やめておこう」

 

 最初こそ状況が理解できず、リンと一緒に素っ頓狂な声を上げてしまったが、自分が衛兵隊の勧誘を受けているのを悟ったアイクは、彼の申し出を断った。

 

「なんだい、うちじゃあ不満かい。自慢じゃねえが、交易都市ブルガルの衛兵って言ったら、ベルンにもリキアにも落とされたことのない精強な軍隊って有名なんだぜ」

 

 まさか断られるとは思っていなかったのか、矜持を傷つけられた顔のベルケンにアイクは言った。

 

「そうじゃない。あんたらが強いのは見てれば分かる。体は基礎からみっちり鍛えられているし、装備も上等な物がきちんと手入れされている」

 

「じゃあ何でだい。どうして誇り高きブルガル衛兵隊への入隊を断るんだ?」

 

 アイクの誠意が伝わったのか、不満げな顔から不思議そうな顔に変わったベルケンにアイクはその理由を語った。

 

「確かにグレイル傭兵団は貧乏だ。経営はカツカツで、参謀のセネリオはそのことでいつも小言を言っている。だがな、親父たちはどんなに金を積まれても決して義の無い仕事はしないし、逆に本当に困っている貧乏人からはタダ同然でも仕事を受ける」

 

 アイクは語った。それは仕事への、仲間への、家族への理解であり、愛情であり。

 

「俺は見習いだが、グレイル傭兵団の一員だ。そのことに、誇りを持っている」

 

 誇りであった。

 

 語るべきものを語ったアイクに、ベルケンはどこか眩しいもの、あるいは懐かしいものを見たように目を細めた。

 

「へへっ、誇りか。こんなことを真顔で言う奴なんざ、ハサルとワレス以来だぜ。分かったよ、お前さんの誇りとやらに免じて、衛兵隊の話は保留にしといてやる。良い旦那見つけたなリンちゃん」

 

「だ、旦那!? ち、違うわよ! アイクとはそういう関係じゃなくて……!」

 

 あらぬところに飛び火して、リンは顔どころか首筋まで赤くして大慌てで否定した。

 

 凛々しくて男勝りな彼女も人並みにそういうのを気にするのか、とアイクは意外に思った。てっきりそういうのに欠片も興味が湧かない自分の同類だと思っていたのだ。

 

 あとそれはそれとして、アイクも誤解を解くことにした。顔から湯気を出しそうなリンが気の毒だったのだ。

 

「俺とリンは昨日会ったばかりだ。夫婦どころか恋人ですらないぞ」

 

「なんだ、違うのかい。俺はてっきり、リンちゃんが旦那を衛兵隊に売り込みに来たんだとばっかり……」

 

 そう言ってスキンヘッドをぼりぼりと掻くベルケン。

 

 なんとまあ、明後日の方向に誤解されたものだと、アイクは呆れてしまった。早とちりなおっさんである。

 

 あとさっきからさりげなくベルケンはハサルやリンちゃんと呼んでいるが、彼女たちとは知り合いなだけでなく結構親しい仲なのだろうか。そうだとしたらリンは精神的に追い詰められて目に入らなかっただけで、案外孤独ではないのかもしれない。良い事だ。

 

「だから違うって言ってるでしょ!? もう、ベルケンさん!」

 

 リンもご立腹である。今水を掛けたら湯気が出そうなくらい熱くなっている。

 

 アイクは熱したヤカンのように付近の水を蒸発させているリンを想像してしまい、内心笑いを堪えた。こんなことで動揺するリンが微笑ましかったし可笑しかったのである。

 

 そういえばミストもいつだったか兄である自分と恋人だと村娘に誤解されて、似たような感じに慌てていたなとアイクは懐かしい気持ちになった。ティアマトが親父との関係を誤解されても笑って否定していたのと対照的だったので、よく憶えている。

 蒼い目と髪以外は父親似のアイクと、栗色の目と髪以外は母親そっくりなミストは、たまにそういう誤解をされるのだ。

 まあ、実際は兄のことを兄としか思っていないのがミストで、親父のことを団長としてだけでなく、異性としても尊敬し、愛しているのがティアマトなのだが、真実は他人には分かるまい。

 

 アイクとしてはティアマトの気持ちに気付かない親父の信じられない鈍感ぶりと、それでも親父に尽くし、その子供である自分たちや部下のみんなにまで母親のように優しく、そして厳しく接してくれるティアマトの健気さに感心し、感謝していた。頑張れ、ティアマト。死んだ母さん一筋の親父のガードは硬いぞ。

 

 そんなことを考えながら、ふと視線を戻せばベルケンはニヤニヤするのを必死に堪えているらしく、眉間にしわを寄せ、口元をひくつかせていた。鍛錬に余念がなかったり、自身の仕事に誇りを持っているらしかったりと、アイクとはまあまあ気が合うようだ。

 ちなみに感情があまり表情に出ないタイプであるアイクは、よくよく見れば口元が多少緩んでいるかなあ、という程度にとどまっている。

 

 敏感にそれらに気づいたリンにじろっと睨まれたので、二人してすぐさま口元を引き締め、真顔に戻ったが。

 

「さて、それじゃあそろそろバッタ山賊団の首を確かめるから、そいつを出してくれないか」

 

「ああ。ここにある」

 

 急にお仕事モードに入った男二人にジト目を向けるリンをよそに、アイクは担いでいたずた袋から首を取り出した。ある程度血抜きをしたとはいえ昨日の今日だ。まだまだ誰の顔か分かるぐらいには原型を保っている。サカが日差しこそ暖かいものの、乾燥している上に気温自体は低いというのもあるだろう。

 

「うむ、確かにバッタ山賊団だ。じゃあ、リンでもアイクでもどっちでもいいからこいつにサインしておいてくれ。俺は賞金を用意してくる」

 

 旗色悪しと見てベルケンは首を袋に入れ直すと、そそくさと奥に引っ込んだ。

 

 残されたのはアイクと未だ顔に赤みが残り、ちょっとぶすっとしているリンだ。

 

「あー、リン」

 

「……なに」

 

 不機嫌さを隠そうともしないリン。元はと言えば変な紹介の仕方をした彼女の自業自得な気もしないでもないが、その前にアイクがリンの事を妹扱いしたことが原因とも言えなくない。

 こんなところで片意地を張っても仕方ない、とアイクはさっさと謝ることにした。ミストとの兄妹喧嘩も大概自分が謝って終わっている気がするのは、気のせいだろうか。

 

「笑って悪かった。リンの反応が妹にそっくりだったんで、ついな」

 

「……別に怒ってないわ」

 

「じゃあサインを頼む。俺はテリウスの字しか書けん」

 

「自分で書けば?」

 

「リン、リン。それじゃあ俺やベルケンのおっさんだけじゃなくて、ここの衛兵隊の人達が困るだろう」

 

「分かってるわよ、言ってみただけ」

 

 リンはぶつぶつと文句を言いながらもサインを書き始めた。

 

 あとは賞金を貰えば任務完了だ。晴れて食糧や飲料、そして剣を買いに行ける。

 

 アイクはやっと剣のない不安定な生活から解放されることを喜んだ。訓練用の木剣があるとはいえ、やはり真剣があるのとないのとでは、戦力的にも敵味方に与える心理的にもかなり違うだろう。

 

 そんなことをつらつらと考えながらベルケンを待つアイクだが、ベルケンは中々帰ってこない。

 

「ベルケンさん、遅いわね……」

「そうだな……」

 

 アイクたちは徐々に退屈になってきた。

 ここは表通りから外れているとはいえ、そこそこ人通りのある街中だ。なので木剣を振り回して鍛錬をするわけにもいかない。山籠もり気味でやや世間知らずな所もあるアイクでもそれぐらいの良識はあった。

 

「そういえばどうしてサカの馬は普通の馬より高いんだ。質が凄く良いのか、それとも数がいないのか」

 

 アイクはリンにここに来るまでの間に話していたことを聴いてみる事にした。純粋に気になっていたし、いい加減暇だったのである。

 

「どっちもね。サカの民はね、生まれた時からずっと馬や羊たちと一緒に過ごすの。毎日を馬の背に乗って過ごし、彼らの乳で作った酒やチーズで育つ。馬もまた同じ。毎日どこまでも広がった草原や荒れ地を乗り手と一緒に歩き続ける。だから私たちは馬を売ったりしないし、馬たちもとっても体が丈夫なの。飢えや渇きにも強い上に生まれた時から一緒だから人に慣れていて、ちょっとした工夫もしているから集団行動も得意よ」

 

 リンは訥々とサカの馬の良い所を語った。

 それでリンの不機嫌さがマシになっているあたり、リンが女の勘でアイクの弱点を短時間でなんとなく悟ったように、アイクもまた野性の勘で無意識にリンの弱点を見切ったようだ。こういうところも二人は似た者同士なのであった。

 

「粗食に耐え、丈夫で、人に慣れていて、集団行動も出来る、か。おおよそ軍馬として理想的だな。俺は馬に乗って戦えるほど器用じゃないから無くても構わんが、リンは良いのか。賞金の額にもよるが、歩兵戦より馬上戦が得意なら、多少無理してでも手に入れた方がいいと思うが」

 

 アイクは何の気なしにそう言った。

 維持費が大変かもしれないが、一頭だけならその辺は工夫次第で何とかなるだろう。長い旅になりそうだし、移動手段としても戦力としても騎兵がいるのはありがたそうだ。

 

「……昔ね、ピュイっていう馬がいたの。私が5歳の頃からずっと一緒だった……でもあいつらに奪われてしまって……とても、別の馬に乗る気にはなれないわ」

 

 しまった、とアイクは思った。

 ついさっき彼女自身が言ったではないか、サカの民は生まれた時からずっと馬や羊と一緒に過ごすと。それなのにリンや彼女の村に馬や羊がいなかったのは、奪われたか殺されたかしかないではないか。アイクは迂闊な自分を罵った。

 

「そうか……すまん、無神経だったな」

 

 何はともあれ、悪い事をしたら謝らなくてはならない。アイクは頭を下げた。気遣いが足らなくてすまない、と。

 

「ううん、私の方こそ昨日から暗い話ばっかりで、ごめんね」

 

 リンが落ち込んでしまっていた。やはり彼女はまだまだ情緒が不安定だ。それも当然だが。

 

 リンは生まれた時から部族や動物たちと共に暮らし、共に生きてきたのだから。突然それを奪われて、動じないやつは少ないだろう。

 

「俺にとって傭兵団が家族なように、たぶん、あんたにとって部族や馬たちは家族だったんだろう。家族を奪われたなら、辛いのは当然だ。恥じいるようなことじゃないさ」

 

「……うん。ありがとう」

 

「いや、あんたが馬を大切に扱う人間だと分かってよかった。そうじゃ無い奴と長く一緒に旅するのは難しいだろうからな」

 

「そうね……私も旅の仲間があなたで良かったわ」

 

 アイクとリンは顔を見合わせ、ほんのりと笑いあったその時だった。

 

「リン様……? そこにいるのはリンディス様じゃないですか!?」

 

 ボロを纏った怪しい女が大声を上げて駆け寄ってきた。とっさに木剣の柄に片手を置くアイクに、リンは待ったをかける。

 

「シュメルさん! 生きていたのね!」

 

 どうやらこの女性もリンの知り合いのようだ。目深かに被ったフード付きの服は随分と汚れている上に、その顔はやや青白くて生気が薄い。まるで蝋人形に魂を無理矢理吹き込んだような具合だ。

 

 リンの一族は大多数が死んだか、離散したらしいから、逃亡生活でやつれているのか? それとも何かほかの原因があるのだろうか。

 

 ところでリンディスとはなんだろう。リンの本名、あるいは部族の中の名前なのか。今までリンに偽名を使われていたとはアイクは考えていない。リンはそんなことをするような奴ではないと信用している。

 

「アイク、紹介するわ。この人はロルカ族のシュメルさん。シュメルさん、この人はグレイル傭兵団のアイクよ」

 

「アイクだ、よろしく頼む」

 

 何はともあれ、挨拶は大事だ。しかし、シュメルはリンに会えて興奮しているのか、アイクを見ようともしなかった。

 

「ここにリン様がいるってことは、ハサル様とマデリン様が落ちのびたという噂はやっぱり本当だったのですね! おかしいと思っていたんだ。灰色狼ダヤンと並び称されるサカの英傑、翡翠の狼ハサル殿が、いくら毒を盛られたとはいえ、タラビル山賊団ごときに遅れをとるはずがないとワタシは常々……」

 

「!? 父と母を見た人がいたんですか!? 」

 

 興奮してまくしたてるシュメルを遮るように、リンが叫んだ。

 

「ええ! 亡くなられたはずのハサル様とマデリン様がブルガルのホンホルドィ通りを歩いていたって! リン様は一緒じゃないのですか?」

 

「一緒じゃないんです! お父様たちに森に逃がして貰っただけで……でも毒が抜けて戻った時にはもう誰もいなくて……私は一人になっちゃったんだって……!」

 

 その時のことを思い出したのか、目に涙を浮かべ出したリンの肩をアイクは掴んだ。

 

「リン、落ち着け。泣いてる場合じゃないだろう」

「っ、そうね。お父様たちがいるなら、早く探しに行かないと! ごめん、アイク。すぐ戻るからお金は受け取っておいて!」

「おいっ、リン! そういう意味じゃ」

「ああっ、待ってください、リン様!」

 

 止めようとするアイクの腕を風のようにすり抜けて、リンは駆け出していく。彼女を追うシュメル。

 アイクも後を追おうとしたが、そこに丁度ベルケンが大きめの袋を持ってやってきた。

 

 アイクはベルケンに事情を説明する者がいなければならないことを思い出し、寸でのところで走るのを思いとどまった。

 

「おう、遅くなってすまねえな。いやあ、バッタの野郎、でっけえ悪事には大して加担しねえくせに、せこせこと小せえ悪事にばっかり手を出しては人に恨まれるってのを繰り返してやがってよぉ。少額の賞金があっちこっちでたくさんついてやがって、帳簿纏めるのに苦労したぜ……ってリンはどこ行った」

 

「ベルケン、ホンホルドィ通りってのはどこだ?」

 

 長話をするベルケンに苛立ちながら、時間がないアイクは要件だけを告げることにした。

 

「あん? この通りをまっすぐずーっと行って、城壁に突き当ったところを右に行ったところだが……そんなこと聞いてどうするよ」

 

「今さっきフード姿の怪しげな女、リンが言うにはロルカ族のシュメルってのが来た。その女はリンの死んだはずの両親をホンホルドィ通りで見たって言うんだ。リンはそれを聞いて飛び出して行っちまった」

 

「ハサルとマデリンが!? そんなはずは……」

 

「悪いが時間がない。賞金は後で受け取りに来るから、万が一を考えて増援を頼む。俺は先に行っているぞ」

 

 唖然としているベルケンにアイクは最低限のことを伝えると、今度こそリンを追って駆け出していく。吉報か、罠か。前者ならいい。だが後者ならば急がなくては……!

 

「確かにあいつらの死体は無かったし、リンが生きていたんならハサルたちが生きていてもおかしくはねえが、リンが現れたこのタイミングでっていうのは出来過ぎだ。怪しすぎるぜ……っておい坊主!? くそっ、どいつもこいつも突っ走りやがって! おい、てめえら!! 仕事だ仕事! さぼってねえでやるぞ、おらあ!」

 

 我に返ったベルケンは衛兵隊の詰め所に駆けこんだ。

 

 にわかに慌ただしくなる詰め所。

 

 そこに赤毛を綺麗に撫でつけた騎士が馬に乗って駆け込んできた。

 

「衛兵隊長のベルケン殿はいらっしゃるか!」

 

 当たり前の話だがここにはインターホンや呼び鈴のような小洒落たものは置いていない。そのために受付がいたのだが、それもついさっきまでの話だ。

 

 故に騎士は馬上から大声で呼びかけたのだが返事はない。

 代わりにガシャンガシャンと鎧を着る音や誰かの怒鳴り声が聞こえるだけだ。

 

 騎士は馬をさっと降りると、詰め所の中に足を踏み入れる。

 

 目当ての人物はすぐに見つかった。

 

 詰め所の中でケント側に背を向け、従者たちに重厚な鎧を付けさせながら、部下たちに次々と指示を出している禿げ頭の人物がいたからだ。

 

「失礼、衛兵隊長のベルケン殿でよろしいか」

 

「ああん!? 誰でい、俺っちは今忙しいんだ! ハサルとマデリンたちの、いやロルカ族そのものの生き死にがかかってんだよ! 冷やかしなら帰えな!」

 

 ベルケンは騎士に掴みかからんばかりの物凄い剣幕だが、騎士の方も怯みはしない。いや、彼に詰め寄られて一瞬逡巡したものの、マデリンの名を聞いた途端により一層の熱意を得て、睨み返した。

 

「私も、任務だ……! 私はマデリン様と、その娘御を守るためにキアランよりここに派遣されたのだ!」

 

 ケントは熱した鉄のような表情でベルケンを見返した。そこには嘘も欺瞞もなく、任務遂行のための忠誠と熱意だけがこもっている。

 

「……詳しく聴こうじゃねえか」

 

 

 

 ○○○○

 

 ホンホルドィ通り。

 城壁のすぐ側にある通りでありながら、ブルガルでもっとも日の当たりづらい通りの一つだ。それ故にやや治安が悪く、空き家も多い通りでもある。

 

「はあっ、はぁ、お父様、お母様、どこなの……?」

 

 両親が生きているかもしれない。

 そんな希望を抱いて、後先考えない全速力で駆けて来たリンは肩で息をしながら、周囲を見渡した。

 

 奇しくも黄昏時に差し掛かってきており、視界がやや悪い。そんな中リンは自身の感覚を総動員して、懸命に両親か、せめて彼らがいたという痕跡を探す。

 

 そして違和感に気付いた。いや、正確には気付かされた。

 

(誰かいる。お父様たちでもシュメルさんでもアイクでもない! すごい殺気!)

 

「そこにいるのは誰! 出て来なさい!」

 

 リンは足元の小石を上に蹴り上げ、空中でキャッチ。脇道の影に向かって手首のスナップを効かせて投げつけた。

 

 たかが投石と舐めてはいけない。何しろ人類最古の飛び道具だ。素人が投げても当たれば怪我をするし、そこらへんに落ちているから補充は容易で弾切れの心配もない。リンのように狩猟用の投擲術を収めた者が投げれば、当たり所によっては相手を殺すことだって容易に出来る。

 

 リンの投げた小石はビュンっと風を切って飛んだが、ぱしっと誰かに受け止められた。

 

「中々いい腕だな、嬢ちゃん」

 

「傭兵……? 何の用?」

 

 刀の柄に手を置いて、いつでも抜けるようにしながらリンは尋ねた。

 

 小石を片手で受け止めたのは傭兵だった。

 しかもアイクのような高潔なタイプではない。

 戦慣れしていて、不潔で厭らしい。金さえ払えば何でもする。賊スレスレのタイプだと一目でわかった。

 手には抜き身のままの鋼の斧を持ち、鋼鉄の鎧で急所を守っている。ぼろ布を頭に巻いて目元を隠し、くちゃくちゃと噛み煙草を噛みながら、口元には下品な笑みを浮かべていた。

 

「へへへ、可愛いお嬢ちゃん、あんたリンディスって言うんだろ」

 

「!!……何者!?」

 

(落ち着け、動揺するな)

 

 リンは自分に言い聞かせた。

 戦場での動揺は死を招く、そんなことは嫌と言う程知っているというのに、リンは己の動揺を抑えられなかった。

 

 ―――リンディス。

 家族水入らずの時にだけ両親が呼んでくれる大切な名前。家族との暖かい思い出、その象徴のような名前。

 その名前を、よりもよって、家族を殺し、ロルカ族を崩壊に追い込んだ、リンにとって害悪と憎悪の象徴のような山賊まがいの男が口にしている。

 

 頭が怒りで真っ赤になりそうだ。

 

 しかも山賊の襲撃で行方不明の両親を探しに来たら、当の山賊がリンの両親しか知らないはずの名前を知っていて、待ち伏せていた。嫌な想像が湧いてしょうがない。

 

(わたしは、騙されたの? 同じロルカ族の仲間に……?)

 

「こんな上玉、滅多にいないっていうのにもったいねえ、心底もったいねえなあ」

 

 男はヤニ臭いため息をついた。それなりに距離があるというのに、鼻が曲がりそうだ。

 

「だが、これも金のためだ。お前さんには消えてもらう。出て来な、野郎ども!」

 

 敵の傭兵は道路に噛み煙草をぺっと吐き出し、腕を振り上げた。

 すると細い通りや家の中から鋼鉄の鎧を纏った男たちがぞろぞろと出てくる。ここから見えるだけでもざっと十五人以上。完全に包囲されていた。

 しかもただのごろつきや傭兵とは思えない程、装備が整っている。鉄の武器と鋼の鎧兜でガチガチに武装しており、まるでどこかの国の正規兵だ。

 

(これじゃ、鉄の剣がまともに通らない……!)

 

 リンは焦った。

 敵が少数なら槍を掻い潜って鎧の上から無理矢理叩き斬ることも出来るが、そんなことをしていたら刀が駄目になってしまう。サカの刀は剛力で叩き斬るものではなく、弓のように引き斬るものなのだ。

 かといって剣を壊さないように鎧に覆われきっていない関節部分を斬り裂こうにも……

 

「総員、構え! 小娘だからと油断するな!」

 

 こんなに大勢で槍衾を張られ、盾を構えられてしまえば、懐に潜ることも難しい。

 

(っく、お父様たちの捜索に気を取られすぎた。これだけの数、私一人じゃ……でも、やるしかない!)

 

 奴ら相手に引くという選択肢はリンにはない。ありえない。心理的にも戦術的にもだ。

 

 賊は逃げる者にも降伏する者にも容赦しない。むしろ逃げねばならない弱者ばかりを嬉々として大勢で嬲り、犯し、殺す。そういう連中なのだ、奴らは。

 

 リンは刀の柄と鞘をギュッと握り締め、体勢を低くした。

 

 いくら相手の数が多くても一度に全員で攻撃することなど出来ない。純粋にスペースが足らないからだ。

 一度の攻撃は精々前後左右から4人~6人といったところだろう。だからといってこのまま敵の挟み撃ちに会えば、波状攻撃に会い、防ぎきれる確率は低い。

 

 ならば一度包囲を突破してしまえばいい。1対15なら勝機はないが、1対1を15回繰り返すのならば、細いながらも勝機はある。

 

 覚悟を決めたリンが決死の思いで突破口を開こうとした時だった。

 

 

「舐められたもんだな。たったこれだけの人数で俺たちを倒すつもりか?」

 

 

 静かな自信に満ちた口振り。

 思わず振り向いたリンの視線の先で、アイクが地を駆けた。

 

 力強い踏み込みが開かれた彼我の間合いを一瞬でゼロにする。

 その猛烈な勢いとスピードは、欠片も損なわれることなく振り絞られた木剣に乗せられ、硬くしなやかな木剣が複数の傭兵たちをまとめて薙ぎ払った。

 同時に剣から解放されたエネルギーが、蒼い炎の如き閃光となって弾け、傭兵たちを鎧の内側から打ちのめす。

 

 ズザァッ――――

 

 敵を切り伏せながら突破、追い越して反転。

 踵を地面に擦らせて、アイクは止まった。丁度リンの真横だ。

 

「すまない、遅くなった」

 

 リンは首を横に振った。それしか出来なかった。

 

 横薙ぎが敵の肉を打つ鈍い音、踵が地面を擦る音は確かに同時だった。踏み込みの音に至っては全くの無音だ。

 これでは相手からしたら、いつ踏み込まれたのか、いつ撃ち込まれのか、まるで分かるまい。気づいた頃には撃ち込まれていて、死んでいる。これで本物の剣を使ってすらいないというのだから恐ろしい。

 草原の剣術を学ぶリンとは全く違う理を持つアイクの剣技。荒削りだが確固とした理と技に支えられた独特のそれは、強さを求めるリンの心を捉えてやまない。

 

 そしてもう一つ胸に浮かぶ想いがあった。

 

(また、来てくれた……)

 

 昨日の戦い、リンは肝心なところでアイクを信頼しきれなかった。

 アイクとは昨日出会ったばかり。出会って数時間のアイクに命を預けるのは無理に決まってる。

 そう言い訳するのは簡単だ。

 だがリンの中のアイクへの猜疑心と、己の実力への過信、そして奴らへの復讐心が、戦いを危ういものにしたのも事実だった。

 

「無事か、リン」

 

 横薙ぎを放った体勢を解きながら、アイクは尋ねた。何も答えないから心配させたのかもしれない。

 

「ええ。ありがとう、助かったわ」

 

 リンの後ろの囲みを強引に切り破って来た青年アイク。相変わらずの仏頂面だが、いつも変わらぬその顔が今は頼もしい。

 

 両方面を警戒するために二人で背中合わせになりながら、リンは自分の中の奇妙な感覚を確かめていた。

 

 アイクは大声で激励したわけではない。勇壮な演説で鼓舞したわけでもない。

 

 ただ名前を呼んで、「無事か」と聞いただけ。

 

 それだけだというのに、こんなにも胸が軽くなる。安心し、勇気づけられている自分がいる。

 緊張で強張っていた心身が余裕と自信を取り戻し、さっきまでカラカラに乾ききっていた舌が、潤いと滑らかさを取り戻す。

 

「行けるか」

 

「ええ。いつでもオーケーよ」

 

「よし、そいつは上々だ。すぐベルケンの増援が来る。それまで耐え抜くぞ」

 

「了解、精々引っ掻き回してやりましょう」

 

 それはきっとアイクが揺らがないからだ。リンはそう思っている。

 

 異大陸、あるいは過去か未来か、異世界から来たという傭兵団の青年アイク。

 

 彼は17歳。15のリンと殆ど年も変わらぬというのに、根本的な所で、まるで齢を重ねた大樹のように粛々としていて揺らがない。

 

 彼もまた理不尽に家族と引き離されたはずだ。彼がグレイル傭兵団の仲間たちと自身の家族を愛し、大事にしているのは、言葉の端端から伝わって来る。

 愛する家族から引き離される、心を引き裂くような辛さと不安、孤独の恐ろしさをリンは嫌と言うほど知っていた。しかも曲がりなりにも故郷に残ったリンと違い、彼にとってここは帰る当てなど欠片もない異邦の地なのだ。不安が、恐怖が、孤独があるはずだ。

 

 だというのに、彼はそのような感情はおくびにも出さず、昨日会ったばかりのリンの心配をしてばかりだ。

 昨晩はその暖かな気遣いが懐かしくて、ありがたくて、あの日家族を失った時から変わらず何もできない弱い自分が悔しくて、泣いてしまった。今思い出すと、ちょっと、いやかなり恥ずかしい。

 

 今日だってそうだ。

 アイクはリンを見捨てても良かったはずだ。行く当てもなかった昨日とは違う。ブルガルの街に着いて、まとまった金も得た。

 

 両親を出汁にこんなところまで、まんまとおびき出されて、囲まれる。父母が死んだあの時から、あるいは昨日戦った時から、まるで成長していないリンを見捨てる選択肢だってあった。むしろ自分の命を守るためにもそうすべき場面だ。

 

 それでもアイクは見捨てなかった。ロルカ族すら見捨てたリンを見捨てず、自分から死地に飛び込んでくれた。どれだけ嬉しかったか、安堵したか……

 

 昨日も今日も、まるで妹か何かのように心配されて、守られている。詰め所ではつい反発して、意地悪してしまったが、別に本気で不愉快だったわけではなかった。むしろ逆だ。暖かくてくすぐったくて、なんだかこのままだと自分はその暖かさに守られたまま、もっと弱くなってしまいそうだったから。

 

(まあ、次期団長と呼ばれて珍しく慌てていた彼が可愛らしかったというのもあるけど)

 

 傍から見ればアイクが来たところで、たった一人の特攻作戦が、たった二人の絶望的な持久戦になっただけだ。質はともかく相手との人数差は依然としてこちらが大変不利である。

 

 だというのに、こうして己を振り返る余裕すら出てきた己の心をリンは可笑しく思う。

 

 アイクはそうならないように気をつけてくれているようだが、自分はやはり彼に寄りかかりつつあるのだ、とリンは思った。

 

 実際それは抗いがたい誘惑だ。

 長旅に疲れた旅人が大樹に寄りかかって休息するように、故郷を、一族を、家族を失って、傷ついた心身が拠り所を求めている。

 

 でも、それではダメだと思うのだ。それは対等じゃない。

 

 もしアイクが身を守る術のない一般人だったら、リンは彼の命を守ることで己の中で釣り合いが取れていただろう。リンが外界の守りを担当し、アイクが内界を守る関係になっていたかもしれない。

 

 しかし実際にはアイクは身を守る術も生き抜く術も十分以上に持っている。泉の蛙や蛇、地虫まで食べようとしていたくらいだ。そのサバイバル技術や発想はたぶん、族長の娘として食べる物に困ることなく生きてきたリンより上だろう。

 

 あとリンに提供できるものなんて地理的な情報くらいで、それだってすぐ種が尽きる。

 少し調べればわかることばかりだし、生まれてからずっとサカで生きてきたリンにとって、サカの外のことは又聞きくらいでしか知らないのだから。

 

 つり合いが取れない。あるいはもうすぐ取れなくなる。

 

 その思いが、リンがアイクの大樹のような優しさや安心感に完全に寄りかかれないようにしていた。今の時点で預けてしまえば、そこはきっと心地よくて、失えばもう二度と立ち上がれなくなりそうだから。

 

 だから、強くなろう。

 誰かに心を預けてもまた立ち上がれるように。逆に誰かが辛いときや疲れた時に預けてもらえるように。もっともっと強く、身も心も魂も全てだ。

 

 今までは父母と一族の仇を取ることばかりに目を向けていた。

 今でもそれは変わらない。仇は取る。アイツらに同胞を奪われたロルカ族の怒りを思い知らせてやる。これは誰に言われるまでもない決定事項だ。

 

 でも両親と一族の仇を取っても、世界が終わるわけじゃない。その先がある。

 生きているかもしれない父母、あるかどうかも分からないアイクの帰還手段、ロルカ族の再興、やりたいこと、やるべきことはたくさんあって……

 

 何をするにしても強さは必要だ。

 そのために、まずするべきことは……目の前の敵を倒すことだ。

 

「鎮まれ! ガキが一匹増えた所でなあ!! 俺達の勝ちは揺るがねえ!」

 

 傭兵のリーダーが雄叫びをあげて仲間を鼓舞する。しかしそのまともな武器すら持っていない“ガキ”に隊の一角を崩されたのだ、動揺は抑えきれていない。

 

「そいつはどうだろうな」

 

 後ろでアイクも木剣を構え直しているのを感じながら、リンは腕の力を抜いて刀をそっと握り直した。

 リンたち草原の剣士は刀剣を力いっぱい握りしめたりしない。

 薬指と小指が大地となって剣を支え、他の指は空のように包みこむだけ。

 それが『風になること、狼になること』を尊ぶリンたちの剣術の基本だ。

 

『力を抜け、リン。無駄な力みは柔を落とし、柔のなさは隙を生む』

 

 武術の師であった父の言葉を思い出しながら、リンは刀をそっと鞘から引き抜き、獲物を狩る獣のように身を低くした。

 

「さあ、いつでも来なさい。サカの剣士の狩りを見せてあげる」

 

 サカの民の祖先は風の狼だということを思い知らせてやろう。

 

 ○○○○

 

 

 

『月光』

 

 いずれ至るべき親父の剣術の奥義、その一つ。

 

 夜の森に差す月光のように、あらゆる防御や装甲を枝葉末節とすり抜けて、敵を斬り伏せる。

 

 敵の力を利用して己を守り敵を討つ、柔の奥義『太陽』とは対を成す剛剣の奥義、それが月光だ。

 

 アイクはまだそこに至れていない。

 子供の頃に剣を握るようになって以来、偉大な親父の背中を追って、ひたすらに努力し、基礎を固めて、研鑽を積んできた。

 だが長いテリウス大陸の歴史の上でも3本に入る剣士であろうグレイルの技、その奥義を、アイクはまだ見切りきっていなかった。

 

 しかしその真似事くらいは出来る。出来るようになるまでそれこそ血反吐を吐いて修業した。何度も無様に地を這って、土の味を舐めさせられた。その成果が、これだ。

 

(親父のが『月光』ならば、こっちはさしずめその影、『月影』ってところか)

 

 アイクは昔一度だけ見せて貰ったことがある。

 己の力を瞬間的に何倍にも高めた上で放つ、敵の回避や防御を一切合切無視する、必殺必中の剛撃を。

 

 あれが本当の『月光』だ。満月の光だ。

 それに比べればアイクの『月影』など、精々三日月が良い所である。児戯に過ぎないとアイクは断言できる。

 

 児戯に過ぎないが……それでも、上等な防具に身を包んでいるだけの賊を、防御の上からまとめて殴り倒すくらいのことは出来る。

 

 

 そうして敵の囲みを突破して、戦場への到着がやや遅れてしまったことをリンに詫びる。

 

 両親の生存を騙ってリンを卑劣な罠にかけた連中と、危うくまた間に合わなくなりそうだった自分への怒りが湧くが、今は胸の底に沈める。怒りはこの戦いで晴らせばいい。

 

「すまない、遅くなった」

 

 だが、リンは泣きそうな顔で首を横に振ると下を向いてしまった。

 

 ……殺されてしまったはずの両親を探しに来たら、その犯人の仲間と思しきやつらに囲まれているのだ。泣きたくもなるか。

 

「リン、無事か」

 

 月影の構えを解きながら、アイクは尋ねた。ともかく怪我の有無だけでも確認しなければならない。薄情なようだが、彼女が戦力になるかどうかで、自分たちが生きるか死ぬかが決まるのだ。

 

「ええ。ありがとう、助かったわ」

 

「行けるか」

 

 敢えてアイクは尋ねた。鉄火場に飛び込めるか、と。

 

「いつでもオーケーよ」

 

 アイクはリンの目を見た。

 アイクが来るまでの破れかぶれの突撃をする狂戦士の顔ではない。強かで生きることを諦めない狩人の顔だ。誇り高き剣士の目だ。

 

 やはり彼女は強い人間だ。

 奪われ、侵され、打ちのめされてなお、彼女は前に進むことを諦めない。それでこそ、だ。アイクは頷いた。これで自分の仕事に集中できる。

 

「よし、そいつは上々だ。すぐベルケンの増援が来る。それまで耐え抜くぞ」

 

「了解、精々引っ掻き回してやりましょう」

 

「へっ、ガキが一匹増えた所でなあ!!」

 

 傭兵のリーダーが雄叫びをあげて仲間を鼓舞する。しかしその“ガキ”に後続部隊を崩されたのだ、部隊も本人も動揺は抑えきれていない。

 

 殴り倒しただけで死んではいないというのに、この程度で動揺するとは……やはり彼らの練度は見た目より低いな。アイクはそう睨んだ。

 

「俺達の勝ちは揺るがねえ!」

 

「そいつはどうだろうな」

 

 今がチャンスだ。敵は装備こそ整っているものの、士気や練度は低い。前線を維持しつつ、隙を見て突っ込んで大将を討ち取れば、敵の士気を挫くことが出来る。問題はどうやって、そこまでたどり着くかだが。アイクは木剣を構え、気付かれないように注意しながら、敵の陣形と街の構造を観察する。

 

「さあ、いつでも来なさい。サカの剣士の狩りを見せてあげる」

 

 リンが刀を抜き、跳びかかる寸前の狼のように姿勢を低くする。

 研ぎ澄まされた戦意、剣のように鋭い気。

 残像すら生む超速の連撃は、あいつらにも十二分に効果を発揮するだろう。例え槍衾を張られていても、誰かが前に出て敵の注意を引き付けられれば、勝機は十分だ。

 

(俺も、負けてられん……!)

 

 アイクも意識を鋭く研ぎ直し、戦が始まる。

 

「いくぞ、作戦開始だ!」

 

 作戦目標は敵の撃滅、および味方の増援までの生存である。

 

 

 

 

 アイク達の作戦は変わらない。

 一撃必殺、即離脱。

 多勢に無勢で剣士が二人では取れる作戦は多くない。それでもやりようはある。

 

 機先を制するのはやはり、この場の誰よりも速いリンだった。

 

「ふ―――っ!」

 

 地を駆ける狼のような姿勢で駆け、槍衾を下からかいくぐり、足を切り裂かんとする。

 

 長槍を使った槍衾はリーチこそ長大だが、そこを突破されてしまえば脆い。

 

 重い長槍を左右の仲間と隙間なく並べているから、正面の敵には滅法強いものの、自分だけ槍を引き戻したり、振り回したりは出来ないのである。無理にやろうとすれば味方に槍が当たって折角組んだ陣形が崩壊する。

 

「前衛隊、抜剣!」

 

 だが敵もそんなことは先刻承知。

 

 敵傭兵隊はもう片方の手に持った盾や小剣を、リンに叩きつけようと構えた。

 

 当然だろう。サブウェポンを使って、突っ込んでくる命知らずや飛んでくる矢から身を守る。そのために重たい長槍を片手で持てるよう訓練するのだから。

 

 これに怯んで動きを止めれば槍で串刺し、怯まなければ盾やショートソードで叩き潰す。どちらに転んでも長槍隊の敵に命はない。

 

 果たしてリンは……怯まなかった。

 

 速度はそのままに、長槍隊のリーダー目掛けて地を馳けるリン。

 

 哀れな、そう言いたげな顔をしたリーダーは訓練通りにショートソードを振り上げていき……

 

「なっ!?」

 

 仰天の声を上げた。

 

 確かに槍の下スレスレまで屈んでいたはずのリンが、いつの間にか自身の槍の上で、刀を上段に構え“終えている”。

 

「後の先ってご存知かしら?」

 

「がはっ!?」

 

 答える間もなく斬り伏せられる。

 

「はっ!」

 

 リンは返す刀で唖然とする敵を更に切り伏せ……

 

「こ、こいつ!?」

 

 敵が状況を認識して盾を叩きつけようとした時にはもう、そこにはいない。ひらりと風のように宙を舞っていた。槍の長いリーチの、更に外だ。

 

「どこを向いている」

 

 そこに戦車のように猛然と突っ込んでくるアイク。上を向いていた槍兵隊は慌てて視線を下げて槍を叩きつけるが、腰の入ってない槍など今のアイクはものともしない。

 

「だあっ!」

「うわぁっ!?」

 

 強引に接近し、腰の入った横薙ぎで盾ごと敵を打ち崩す。木剣ゆえに両断こそ出来ないが、それでも後に巨大な投石機を軽々持ち上げるようになるアイクの腕力でぶん殴られたのだ。鎧が凹む程度ではすまされない。

 

「てめえら何してやがる! ええい、後衛部隊、味方に当たってもいい! 敵を殺れ!」

 

 盾を弾かれた槍兵隊を返す刀で叩き伏せるアイク。

 敵リーダーは崩された前衛を立て直すことを諦め、攻撃命令を出した。

 

 だがこんな命令をしても、陣形を崩され混乱した低練度の部隊では兵は従えなかった。味方ごと敵を討つには上官の言う事に即応する高い練度や命を惜しまない忠誠心が最低限必要となる。どちらもこのならずもの部隊にはないものだ。

 

 アイク達はそう睨んでいたし、それは合っていた。

 上等な装備と人数を得て調子に乗っていたならずものたちは、たった二人の剣士にその優位を崩されて浮足立っていた。すでに部隊の半数以上が地に伏せている状況では、麻薬でも使うか、歴史に名を残す将軍が指揮しているのでもない限り、士気など維持できるはずもない。

 

 だが……この戦場にはその法則に当てはまらない者がいた。

 

「承知」

 

 戦場の流れが変わる。

 

 未だ未熟の域を出ずとも、後に伝説となるアイクとリンには、それがはっきりと分かった。たった一人で、戦場を己の色に塗り替える古強者が、今ここに現れたのだということを。

 

 攻撃を終えた直後のアイクに向かって高速で飛翔する1本の矢。

 

 右前方の3階の窓から射られた銀の矢は、混乱する部隊の頭上を縫うように飛来し、アイクの心臓を正確に狙っていた。

 

(速い!)

 

 アイクがまず驚いたのはその速さだった。

 

 その速さ、いつかセネリオの放った雷魔法に勝るとも劣らない。雷は光の約三分の一の速さだと言われているので、それを矢にして放つ相手の力量は推して知るべしだろう。最低でも相手はシノンに近い強さ、ということだ。

 

(だが、狙いさえ、分かっていれば……!)

 

 常人には避けるどころか見ることも叶わない雷速の一矢。

 それをアイクは木剣を振るった反動を利用して、その場で身体ごと振り返るように動いて、なんとか回避した。

 いくら相手の方が速くとも矢は矢である。常人が戦場となって矢が降り注ぐ場所から予め退避しておくように、狙いが分かり、回避する時間さえあれば、予測による回避は可能なのである。あとは速いか遅いかだけだ。

 

 しかし敵は歴戦の古強者である。そんなことは百も承知であった。

 

 アイクが避けた先には、さも当然のように、アイクの首を狙い飛翔する二本目の矢があった。

 

 一本目の矢は誘い。

 一本目を死角にして回避した先を狙う二射目があったのだ。

 

 今度は回避する時間的余裕すらない。

 

「……ッ、だあっ!」

 

 回し蹴りならぬ回し斬りで矢を叩き落すべくアイクは木剣を振るった。

 

 回避に円運動を用いたのは、もとより次の攻撃への布石であった。

 

 矢が1発なら敵の前衛部隊に、連射ならその叩き落しに使うためのものである。

 

 一つ一つの動作をその場限りのもので終わらせず、次の行動の予備動作にする。そうすることで、予備動作を省略して隙を消し、身体能力以上の速さを得る。グレイル流剣術のもっとも大切な基礎の一つだ。

 

 もっとも、基本こそ奥義という言葉に代表されるように、それを完璧に行い得る人間はそう多くない。

 

 そしてグレイルに執拗なまでに基礎を叩き込まれたアイクは、それをとっさに可能にするだけの技量があった。

 

(これでも。食らえ……!)

 

 アイク自身の膂力、全身を使った踏み込み、回転による遠心力、それら全てが掛け合わされた強力な一撃。矢を叩き返す、あるいは最低でも撃ち落すつもりの一撃だった。

 

 そのはずだったが。

 

(ぐっ……!?)

 

 矢の当たったところから衝撃波が起こる。

 

 木剣に当たった矢が岩のように重い。相手は小枝のように細く優美な銀矢だというのに、まるで大男に大木を投げつけられたかのようだ。ギチギチと当たった所から不協和音と火花すら上がっている。

 

「っ!」

 

 だがどんなに強くても、速くても。

 それでも矢は矢に過ぎない。

 傭兵団の抱える皮肉屋スナイパー、シノンとの鍛錬でアイクは矢に対する対処法を学んでいた。

 

 世界一のおべんちゃら屋でもお世辞にも素直な性格とは言えないシノンもまた、矢を何のひねりも無く、単発で終わらせるようなことはしなかった。騙し、隠し、虚構と本命を混ぜ合わせて、不意に出してくる。そんな奴だ、シノンってやつは。

 

 矢は既に持ち主の手から離れている。魔法がかかっていない限り、直接持っている剣と違って、持ち主の意を汲んで途中で軌道を変えることも力を加えることも出来ない。

 

 アイクは力づくで矢を跳ね返すことを諦め、逸らすことに切り替えた。力を加える方向を徐々に変えていけば、矢はおのずとアイクから向きを変えていく……

 

 その途上でアイクは自身の眉間に高速で向かってくる3本目の短矢に気付いた。

 

(こっちが本命か。だがここまでほぼノータイム、敵に矢を3本も射る時間はなかったはずだ……)

 

 となれば敵は複数いるのか、それともアイクの動きを読んで予め複数の矢を時間差で射ていたのか、あるいは一度に三本の矢をアイクの予想進路上に、強弱付けて正確に射たのか。

 

 どちらにせよシノンに匹敵するスナイパーが複数か、あるいは凌駕する腕の持ち主が敵にいるということになる。非常に不味い状況だ。

 

(防御も迎撃も論外……回避出来る可能性も低い……だが、やるしかない!)

 

 静かに白熱し、加速した灰色の意識の中で徐々に迫って来る短矢。

 今までの気取った銀の矢とは違い、短い矢柄に黒曜石の矢じりと斑模様の羽を付けただけの質素なものだが、威力、精度、速度、あらゆる面で段違いだ。

 もはや神官のキルロイが時間をかけて詠唱した光の魔法すら超える速度を持つこれを撃墜することは現状では不可能だと、アイクは即座に悟った。

 

 絶対に当てるという気迫に満ちて、否、“もうこれは当たっている”という予定調和染みた恐ろしさがある。

 

『たまにいるんだ。魔導士や弓兵なんかにな。当たるのが当然というか、必然っていうか。そういういけすかねえ奥義を持っているやつがよ』

 

 シノンが酒の席でこぼしていた愚痴が脳裏をよぎる。

 

 奴は傭兵団きっての皮肉屋で口を開けば悪態をついてばかりだが、豊富な実戦経験を持ち、団員に嘘はほとんど言わない。

 

 シノンの言が正しいなら、これは完全に避けきることが出来ない必殺必中の一撃、ということになる。

 

 アイクは腹を決めた。

 

(なら、盾と腕の一本ぐらいくれてやる。それで意地でも生き残って射手を叩き斬る……!)

 

 アイクは敵が必殺だの必中だのをしてきたくらいではめげない。むしろ俄然ファイトが湧くというものだ。

 

 アイクが左手と籠手をぶっ飛ばされても致命傷を避けようとしている時だった。

 

「アイク!」

 

「リン!」

 

 先程敵の注意を引くために宙を舞っていたリンが、住居の壁を蹴ってアイクを押し倒した。リンのうなじスレスレを通っていく短矢が、当たった先の地面を抉り、消し飛ばす。

 

 そのまま、二人で石畳の上を勢いよく跳ねて転がった。アイクは無理に止まれば矢や槍で串刺しにされると考え、リンを抱えたまま、流れに逆らわず自分から転がっていく。

 

(矢の追撃がくる……!)

 

 ある程度距離を取り、勢いが弱まって来たのを見計らって、アイクたちは跳ね起きた。

 

「撃ち方やめ! 槍兵隊、突撃ぃいい!!」

 

 追撃に来たのは弓兵ではなく、アイクたちの攻撃から立ち直った槍歩兵たちだった。長槍を構え、5人がかりで突っ込んで来る。

 

「っち!」

 

 逃げる間もない。

 アイクは咄嗟に前に出てリンを庇ったが、アイクは体のあちこちを、リンは肩口を槍で串刺しにされた。そのまま背後の城壁に釘付けされる。

 

 勝利を確信し、ニヤリと笑みを浮かべる敵のリーダー。

 

 だが……

 

「助かったな……!」

 

「ええ……!」

 

 だが、アイク達は生きていた。

 

 スナイパーの矢が急所に当たっていれば死んでいたかもしれないが、多少なりとも経験を積んで成長した二人は雑兵の槍に少し刺されたくらいでは即死しない。ならやりようはある。

 

 アイクもリンも避けられないと悟った段階で少しでも被害が少ない所を刺されるようにしていた。おかげで急所は抉られていないし、動けないような傷でもない。

 

「ひっ」

 

 アイク達を刺し貫いた兵の口から空気が漏れた。

 

 笑顔とは歯をむき出しにする攻撃的なものから生まれた。

 その言葉を実証するかのように、歯を食いしばったアイクとリンは、まるで狼が獰猛な笑みを浮かべているかのようだ。

 

 腰が引けた槍歩兵たちを尻目に、アイク達は自分の身体に突き刺さった槍をむんずと掴む。

 

「この死にぞこないめ、死ね、死ねえ!!」

 

「お生憎様!!」

 

「死ぬのはお前らだ!!」

 

 絶叫しながら槍に力を込めて傷口を広げ、止めを刺そうとする槍歩兵たちだったが、アイク達の方が数段速かった。

 

 リンは槍が刺さった方の手で槍をぐっと固定すると、反対の手から刀を放し、自由になった掌で槍を下から叩き折った。

 一瞬の出来事に驚愕する敵を横眼に収めながら、落下する刀を掴み取り、一閃。

 下から跳ね上げるようなそれは、目の前の敵の顎からこめかみまでを綺麗に断ち切って見せた。

 

 一方、刺された拍子に木剣を落としてしまったアイクの方はもっとバイオレンスだった。

 アイクは自分の脇腹と太ももに刺さった槍の穂先近くを掴み、満腔の力を込めて握り折ったのである。そのまま流れるように踏み込んで、目の前の敵二人の首元に折れた槍の穂先を叩き込んだ。武器が無ければ現地調達、傭兵の基本である。

 

「グアアアアアッ!?」

「ば、馬鹿な!?」

 

 首から血を吹きだして阿鼻叫喚の中崩れ落ちる槍歩兵たち。アイク達を突き刺した中で残っているのは、あと二人。

 

「お、おのれえええ!」

「消えろ、消えろおお!!」

 

 二人が槍を刺したままショートソードを持って突っ込んでくるが、アイクは慌てない。返り血と自身の血液でドロドロになった手を振り抜く。

 

「ぬわっ!?」

「しまっ、目が!?」

 

 己の血を敵の兜のスリットに投げ入れて即席の目くらましにする。直感的に閃いた技だったが存外悪くない。

 

 アイクは残りの槍も引っこ抜いて即席のショートソードにしようかと思ったがその必要はなかった。

 

「はあっ!」

 

 アイクに刺さった残りの槍の柄も、それを持った敵も、リンが一刀のもとに斬り捨てたからである。いくら鎧を着こんでいても、目が見えないと叫んで反撃しない木偶の坊の始末などリンにとっては朝飯前だ。

 

「ふう……」

 

 弓兵の射撃を警戒しながら、アイクたちは残りの槍を引っこ抜き、傷薬を握りつぶして体に振りかける。傷薬は回復魔法を薬品の形に封じ込めたもの故に、他の医療品では出来ないような大雑把な治療が可能なのだ。青白い回復魔法の光が二人を包みこむ。

 

 光が消えた時、二人は傷も体力も全快していた。

 

 アイクは改めて木剣と敵の落としたショートソードを拾う。サブウェポンとして設計された小剣はアイクが普段使う剣の半分もないが、それでも刃のある剣であることには違いない。リーチの違いは、踏み込みと運用でカバーしよう。

 

「まだ行けるな」、そうアイクがリンに確認しようとしたら。

 

「アイク、まだ行けるよね」

 

 鋭い目をしたリンに先に訊かれてしまった。

 彼女の顔には不安もある、恐怖もある。

 だがそれらを飲み込んで、日々を生きるために全力を尽くす猛々しい女獅子の笑顔だ。自然と気力が湧いて来る。

 

「ああ、まだまだ行けるぞ。あの弓兵に気をつけながら敵を削っていけば勝機はある」

 

 アイクが木剣は腰にしまい、小剣を逆手に構えた。回復魔法が疲れも血液の不足も補ってくれた。いつでも突っ込める。

 

「……あの弓の技、見覚えがあるの。たぶん、いえ間違いなく、サカの技だわ」

 

「あの弓兵はリンの知り合いかもしれないってことか……」

 

 敵を油断なく見据えながら小声で相談する。

 リンによれば、彼女たちサカの民は弓と馬術、剣術に長けた一族らしい。その弓の技は、見る者が見れば分かるということだろう。

 

「あの弓兵は明らかに只者じゃない。もし倒すなら二人がかりだな。それでもかなり厳しいが……」

 

「そうね……アイク、私あの人と話したい。会ってどうして山賊なんかに与して同族を襲うのか聴きたいの。もし何か事情があるなら、それをなんとかすればこっちの味方になってくれるかもしれないし……甘い事言っているって分かってるけど」

 

「いや話し合いで戦いが無くなるなら、それが一番だろう。うちの参謀も戦いを略するのが戦略だって言っていたし、あんたの行動は間違ってないと思うぞ」

 

 あの弓兵は明らかに今のアイクたちより強い。

 戦う必要があるなら戦うが、穏便に済ませられるならそれに越したことはない。

 

「アイク……そうよね。私、やってみるわ!」

 

 意気込むリンにアイクは頷いた。

 

「俺も出来るだけ説得を試みるようにしよう。現状じゃまともにやり合ってもきついだけだ」

 

 アイクたちが意思を確認し合い、山賊団も部下がやられた混乱から立ち直りつつあった。

 

(矢が飛んでこないな)

 

 あの弓兵は仲間の死亡で混乱するような玉じゃないのは、先程の狙撃で嫌というほど分かっている。どうやらあの弓兵はリーダーの命令がなければ攻撃してこないようだ。

 

(これは敵のリーダーを倒すのはかえって危険か? いや、なんらかの弱みを握られて嫌々従っているなら、敵のリーダーを倒せばこっちに着いてくれる可能性もある……)

 

 

 その時だった。

 

 

「あーーーっ! み、見つけたっ!!」

 

 

 アイク達の右から馬蹄の音と共に、騎兵が一騎駆けて来た。どこかで見た事のある顔だ。

 

「あなた、さっきの!」

 

 リンが目を見開いた。アイクも表情こそ変わっていないものの驚いている。

 

「おお、またお会いしましたね、美しいお方! やはり、俺たちは運命の赤い糸でつながっているに違いない!」

 

「……相変わらずだな、あんた」

「……こんな時に何しに来たの?」

 

 血みどろの戦場ですら口説きにかかる緑鎧の騎士セインに、アイク達の驚愕は呆れへとスムーズに移行した。

 アイク達の隣に来たが、間合いには入ってこないあたりセインも戦いを生業としている者として一応配慮しているようだが、もっと他にも配慮すべき点があるだろうことは明白だった。

 

 そんなアイク達の白い目をものともせず、つまり全く気付くことなく、緑鎧の騎士セインは自信満々に答えた。

 

「ふっふっふ、俺は騎士ですからね。麗しいお嬢さんが怪しい男たちに囲まれているとあっちゃあ捨て置けません。おい、お前ら! か弱い女の子相手にこんな大人数で囲みやがって! この卑怯者! それでも〇玉ついてんのか!」

 

 挨拶ついでとばかりに、セインは敵に槍をビシッと突きつけて非難した。

 敵が卑怯者だという点についてはアイクたちも完全に同意だが、当の相手はたいして気にしていないようだ。敵のリーダーと思しき斧を持った男が吐き捨てる。

 

「けっ、余計なお世話だぜ、ナイト様よ。てめえこそこのザグ様率いる精鋭20人相手に、そこの坊主とたった2人でお嬢ちゃんのお守りをするつもりか? ああ!?」

 

 どうやら敵の頭はザグと言うようだ。あと敵の数はあと10人もいないはずだが、倍の数を言っている。本当なのか、はったりなのか、アイクは気付かれないように敵勢の観察を続ける。

 

「てめえらお姫様を助ける勇者か騎士のつもりかぁ? そんなもんはガキの伽話の中にしかねえんだよ!」

 

 それはそれとして、アイクには気掛かりなことがあった。

 

 お嬢ちゃん、か弱い女の子、お姫様……と、セインとザグの配慮の欠片も無い地雷ワードの連発に、ただでさえ研ぎ澄まされた戦意に水を差されて苛立っていたリンの機嫌が加速度的に悪くなっていく。

 ……このままでは彼女の額に青筋が浮かぶのも時間の問題ではなかろうか。アイクは天を仰ぎたくなった。

 

「騎士役はむしろ望むところさ。ささ、お姫様はおさがりください。このキアラン一の騎士セインがあなたをお守りします。パパッと片付けますんで!」

 

 いや、どうみてもあんただけでは無理だろう。俺たちも参戦する。そう言おうとアイクが口を開いたが、それよりリンが叫ぶ方が速かった。

 

「ちょっと、これは私が売られた喧嘩よ。余計なことしないで!」

 

 山賊にお荷物という意味でお姫様と言われ、またセインにも似たような感じに扱われた結果、リンはこの状況で味方になってくれるというセインをあろうことか拒否してしまった。

 

 おいおい、とアイクは思ったが、リンの立場に立ってみると、それも仕方のないことかもしれないと渋い顔になった。

 

 暴挙の原因はザグとセインがリンの心の脆い部分を土足で踏みにじったからだろう。

 リンは『自分が弱く、子供で、女であること』が原因で父母や部族を守れず、仲間もついてこなかったと思っている。彼らの会話は彼女の傷口に悪意を以て塩を塗りこむ様なものだった。怒って当然だ。

 

 まあ、たとえ彼女が心に傷を負っていなかったとしても、高い実力を持った剣士であり、それ相応の誇りを持つリンをあろうことかお荷物扱いしたのだ。

 応援を断られたところで、さもありなんと言ったところだろう。むしろ誇りを穢されて怒り狂った彼女に斬り殺されなかっただけ御の字だ。人の誇りは時として、命より重い。

 

 アイクは天を仰いだ。

 薄い水色、夕焼けのピンクや黄色、赤、夜を告げる暗い青と白い星々まで見える美しい空だったが、アイクにこの拗れた状況を変える術を教えてくれはしなかった。かわりに二階で身を隠していた弓兵を見つけたが、それがこの拗れた状況を変えることが出来るかは疑問である。

 

「えー……そんなことを言われても困るんですけど……ちょっと君、そう君だ。なんとか彼女を説得してくれないか、頼む!」

 

 リンに拒否されるとは思ってもみなかったのか、心底困った顔のセイン。お前、女を口説き慣れているんじゃなかったのか。

 

 アイクが、「俺か? 」と自分を指さすと、セインはうんうんと頷いた。

 

「正直、気乗りしないんだが……」

 

 いつの世も怒り狂った女性の説得程、面倒で神経を使うものはない。中途半端なことをすると後の禍根になったりするし、敵は説得の間も待っていてくれたりはしないのだ。

 

「そこをなんとか……! このとおり!」

 

「アイク、あんなやつの言う事なんか気にしないで戦いに集中しましょう!」

 

 リンはセインに顔を向けることすらなく、山賊たちを鋭い殺気を向けて警戒している。

 

 おかげさまで山賊たちに目立った動きはないが、リンの塩対応にセインが雨の日の子犬のような顔になってしまった。

 

 それを見たアイクは少し迷ったが、結局リンを説得することにした。

 

 セインは少々お調子者で人の機微に無神経な所があるとはいえ、一応騎士道に則って善意で味方してくれているらしい男だ。彼が気の毒だし、この際味方は一人でも多い方がいい。戦術も生き残る確率も大きく上がる。

 

「分かった。セインだったか? 俺たちが話している間、敵を牽制して時間を稼いでくれ」

 

「アイク!!」

 

「おおう、やってくれるのか!? 助かるぜ!」

 

 馬上槍を突きあげて意気揚々と前に出るセインとは対照的に、リンは非難の声を上げた。

 

「やあやあ、我こそはリキアで最も情熱的な男の住むキアランの騎士セイン!! いざ尋常なる勝負を……」

 

 敵に向かって朗々と名乗りを上げるセイン。その臆面の欠片も無い堂々とした態度と良く通る聞き心地の良い声は、この男は舞台役者としても食っていけるかもしれない、とアイクに思わせた。

 

「アイク、私はあの男を入れるのは反対よ。敵味方の分からない無能な味方ほど怖い者はないわ」

 

 リンの言う事はもっともだ。有能な敵より無能な味方に裏切られたり、足を引っ張られて殺されるという結果は実際の戦史でも多い、とセネリオが言っていた気がする。

 

「リン、山賊たちはあんたを怒らせて冷静な判断をさせないようにしているだけだ。あの浮ついた騎士が信用出来ないのは分からんでもないが、セインは重い馬上槍を片手で振り回す男だ。今は有能な味方は一人でも多い方がいい」

 

 アイクは努めて冷静に彼女に声をかけた。

 

 敵の頭、ザグは明らかにリンディスのことを知っていて、それに基づいて挑発してきている。彼女のプライドを刺激して、視野を狭めようとしている。リンとセインはそれに乗せられてしまったにすぎない。憎むべきはザグだけでいいだろう。

 

「でも後ろから刺されたらどうするのよ」

 

「こいつに感情を隠して、裏切るなんて真似が出来ると思うか?」

 

「…………」

 

 アイクがまだ自己紹介を続けているセインを指差すと、リンは閉口した。彼にそんな知恵が回るならもっと上手に女を口説けるだろう。

 

「でも、これは私たちが挑まれた戦いなのよ! 関係ない人に邪魔されたくないわ」

 

 彼女の言い分も分かる。実際アイクとリンの二人でも死ぬ気で頑張ればなんとかなりそうなのだ。しかし、味方が増えれば綱渡りすることなく、安全に勝てる。それに槍騎兵がいれば剣歩兵だけの現状に比べて戦術に大きな幅が出るのも事実だ。

 

「リン、気持ちは分かる。しかしセインがいた方が生き残る確率はぐんと上がるんだ」

 

「でもっ、でもっ!」

 

「それにあんたは山賊の卑劣な罠に引っかかるような真似はもう二度としないんじゃなかったのか。もっと強くなって、一族の仇を討つんだろう。ここで奴の口車に乗ったら前の二の舞だぞ」

 

 理解はしていても納得はしていない。そんなリンにアイクは彼女の問題に敢えてまっすぐに踏み込んだ。もちろん彼女の心を傷つけないように細心の注意を払って。

 

 リンが心の傷の膿に囚われて、目が曇ってしまったならば、それを晴らす手伝いが必要ならば、それは彼女の臨時の相棒である自分の役目だろう。アイクはそう思っていた。

 

「! そうね……ありがとう、アイク。私、お姫様なんて馬鹿にされて、ちょっと頭に血が上ってたみたい」

 

 アイクの刃物のような意見に、リンはハッと冷静に戻った。ここで激昂せずに冷静になれるのが彼女の良い所であり、非凡な所だ。普通の人間は図星を突かれると怒り狂うものだからして。

 しかしリンは表面的には冷静さを取り戻したものの、雰囲気は硬いままだ。いつ死ぬか分からない戦場でしこりを残すのは良くない。コンビネーションが悪くなって本当に死にかねないし、死んだ時に悔いが残る。

 

「気にするな。俺だってついムキになって突っ走りそうになることくらいしょっちゅうだ。ミストが山賊に攫われでもしたら、俺は場所も分からないまま山賊のアジトに向かって全力で突撃する自信がある。場所が分かって突撃したリンよりよっぽど重症だ」

 

 アイクがそんな風なことをあんまりにも自信満々に言ったせいか、リンはくすりと笑った。硬い空気が霧散する。

 

「じゃあその時は私がアイクを止めてあげる」

 

「ああ、その時は頼んだ。バカなことをしようとしていたら、ぶん殴ってでも止めてくれ」

 

「ふふっ、了解」

 

 こうして和やかにリンの説得は完了した。

 なお、アイクはここまでの説得を計算ではなくごく自然と行っていた。彼は自分では気づいていないが、そういう人間(天性の人誑し)だった。

 

「えーと、お話はまとまったかな」

 

 アイク達が話している間にじわじわと距離を詰めてくる山賊団に、セインが顔を引きつらせながら尋ねてくる。どうやらセインの堂々たる名乗りはリンの殺意のこもった視線ほど威嚇効果がなかったようだ。

 

「ええ。あなたが味方になってくれるなら歓迎する。でもこれは私たちの戦いだから、私かアイクの指示に従ってもらうわよ。それでも良いなら、手を貸して」

 

「わっかりました! あなた方の指示に従いますよ。それが俺たちの任務でもあるしね」

 

 リンの無意識な女王様発言に、騎士セインは自分の胸を叩いて快諾した。

 

 何となくそうなんじゃないかとアイクは予想していたが、セインは女好きだが、女性を侍らせるのではなく、女性に仕えることに喜びを見出すタイプなのかもしれない。それはさておきセインが気になることを言った。

 

「任務だと?」

 

「それっていったい何の……」

 

 気になることを言ったセイン。どうやら彼は自分の性癖や騎士道の命ずるままに加勢したのではないらしい。アイクとリンは疑問の声を上げたが、セインは首を振った。

 

「その話はあとで。まずはこいつらを何とかしましょう。俺の華麗な槍捌き、見せてやりますよ!」

 

「……そう、期待してるわ」

 

 興奮して槍を振り上げ、頭上でグルグルと回すセインに、リンはつれない声で返した。

 

 本来は馬具と鎧に固定して使うほど重く長大な馬上槍を、片手で振り上げ、振り回せるセインの膂力と体幹は大したものだ。

 だが馬上で槍を回すのは確か騎士の決闘の略式礼ではなかっただろうか。それともそれはテリウス大陸独自の風習で、エレブ大陸では違うのだろうか。

 

 アイクは様々な疑問が胸中に沸いたが、それを飲み込んだ。

 

 このままだと彼らは三々五々に突撃しかねないので、アイクは手短に即興の作戦案を伝える。

 

「リン、俺はあの家の中に隠れているアーチャーたちをなんとかしてから、あのザグとかいう敵のリーダーを狙う。それまではリンたちには敵の数を減らしつつ、場のかく乱を頼みたい」

 

「私たちもあいつを狙った方がいいんじゃない? 頭がいなくなれば、戦いは楽になると思うけど」

 

「それはそうだが、リンやセインがやったんじゃ、あのザグとかいう男を殺しちまうだろう。奴にはなぜリンを狙ったのか吐いてもらう。それには俺の武器の方が都合がいい」

 

 忘れられがちだがアイクの木剣は非殺傷武器である。鋼鉄製の武器よりは殺傷能力はずっと低く、やろうと思えば相手を生かしたまま捕えることも可能だ。セインが一部蹴散らしてしまったが、アイクが最初に殴り倒した連中も生きている。虫の息も同然だが生きていることに違いはない。

 

「でもあの弓兵は? 彼を説得するか倒すかしないといけないわよね。それなら同族の私がやった方がいいはず」

 

「いや、あんたが敵の技を知ってるってことは、向こうもあんたの技を知ってるってことだ。空中に出た途端に撃ち落される可能性もある。それならまだ技を知られていない俺の方がいい」

 

 アイクは言わなかったが、敵が問答無用で殺しにかかってきた時、同族を大切にするリンが相手を倒せるか疑問だったのも、アイクがこれを引き受けた理由の一つだった。

 

「さっきは動きを見切られていたみたいだけど?」

 

 リンが挑発するように言った。アイクはカチンときたが、リンの瞳に強い心配の色があるのを見て、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 

「ちょっと見た程度で見切れる程、親父の剣術は浅くない。やってやるさ」

 

 それでも多少語気が荒くなったが、それはご愛敬だろう。

 リンにも誇りがあるように、アイクにも誇りがある。剣士の誇りは時に命より重い。無駄に命を散らすつもりはないが、そういうことだった。

 アイクは親父の技の深さを誰よりもよく知っている。どんな達人や賢者が相手だったとしても、一目見た程度で見切られるほど安くはない。親父に基礎を叩き込まれた自分の技もだ。

 

「分かった。じゃあ陽動は任せて」

 

 リンが仕方ないわね、と微笑んだ。

 アイクがリンを感謝の目で見ると、リンはこれでおあいこよ、という具合に口角を上げて頷く。

 

 さすが族長の娘、懐が大きい。

 リンを女だからという理由で支持しなかったロルカ族は見る目がないな、とアイクは他人事ながら思った。

 

「頼む。あと、あくまで自分たちが生き残ることに重点を置いてくれ。敵を倒しましたが、こっちもやられましたじゃ意味がないんだ。セイン、あんたはリンを援護しつつ、合図したら敵に突撃してくれ。敵の士気を挫くんだ」

 

 騎兵突撃は歩兵にとって恐怖の象徴だ。

 槍に当たれば串刺し、人間の10倍以上重く素早い馬に衝突すればあっと言う間にあの世行きだからである。騎兵は歩兵の天敵と言っても過言ではないだろう。なお、馬どころか竜に突進されても無傷で跳ね返すだろう親父のような人外連中は例外とする。

 

「おっと、そういうことなら俺の出番だな。戦場を決定づける突撃は騎士の花だぜ。中々分かってるじゃないか、アイクさんよ!」

 

 嬉しそうに槍を掲げ、もう片方の腕で騎士の礼を取るセイン。やはりアイクは彼を憎めそうにない。お調子者なボーレやガトリーに通ずるものがあるからだろうか。

 

「アイクでいい。よし、それじゃあ、行くぞ!」

 

 即興の作戦会議を手早く終えて、各自一斉に飛び出す。

 

 まずアイクが軽々と跳び上がった。

 鉄の矢と黒曜石の矢がアイク目掛けて飛んでくるも、周囲の壁を蹴ってそれらを躱し、3階建ての建物の窓に飛び乗る。そのまま建物の間を八双飛びの要領で矢を躱しながら突き進んでいく。

 

「よそ見している暇があるなんて、余裕ね?」

「なっ!? がふっ!」

 

 派手に動いたアイクをつい目で追ってしまった山賊たちの眉間や喉には、漏れなくリンの刀かセインの槍が突き立てられた。物言わぬ体となった彼らをリンは渾身の蹴りで、セインは突き立てた長槍で掬いあげるようにして、敵陣に勢いよく放り込む。

 

「うわっ!?」

 

 鋼の武具と鎧兜を纏った成人男性の重さは軽く百キロを超える。それらをぶつけられたり、頭の上から叩きつけられたら堪らない。敵の堅固な陣に緩みが生じた。

 

「セイン、前へ出て注意を引いて!」

 

「りょーかい!」

 

 その隙にリンたちは陣形を整える。セインが前に、リンが後ろに。リンは刀を鞘に仕舞い、深く息を吐いて目を閉じる。

 

「くそ、何やってやがる! 隊列を崩さず囲め! 囲んで殴ればこっちのもんだ! 囲め、囲め!!」

 

 リーダーは何度も怒声を上げて、部下を統率しようとするが、二人を囲めない。

 

「そらそらっ、近寄るんじゃねえ、よっ!」

 

 長槍を風車のように豪快に振り回して、歩兵を圧倒するセイン。リーチで劣る山賊たちは後方に回り込もうとするが……

 

「ぬわっ!?」

「いいぞ、ブルズアイ!」

 

 セインの馬から嘶きと蹴りを叩き込まれて沈黙する。馬の脚力は人間の比ではない。巨人のような大男にハンマーを叩きつけられたようなものだ。鎧は中の人ごとべっこりと凹んでいた。

 

「くそっ、前後左右から同時かかる、っか!?」

 

 吹き飛んだ同僚に注意を取られた山賊たちに襲いかかるのは、紅の刃。

 

「かふっ!?」

「ごへっ!?」

 

 リンの刃が次々と血の華を咲かせながら、山賊たちの首から首へと、紅い軌跡を描いて行く。リンのことを注視している相手ならともかく、よそ見している相手の首を取ることなど、彼女程の腕前なら容易いことだ。

 

 何しろリンの技量とスピードは山賊たちを圧倒していた。セインは騎兵ゆえに細かい動きこそ苦手だが、きちんと訓練を受けただけあって立ち回りと馬とのコンビネーションが光る。

 

「馬鹿野郎! 女どもから目を離さず、じわじわと槍で囲むんだよ! そんなことも出来ねえのか!?」

 

 不利な戦況に怒鳴り散らすザグ。だが部下たちは練度が低く、彼の言う通りには動けていない。やはり彼らは装備こそ整っているものの、正規兵でもきちんとした傭兵でもないようだ。見かけを整えても、数を揃えても、ゴロツキはゴロツキでしかない。

 

 その時、喚き散らすザグの頭上に黒い影が舞い落ちた。太陽を背にした奇襲攻撃だ。

 

「甘ぇ!」

 

 アイクが跳び上がった時から奇襲を予測していたのだろう。

 ザグは太陽で目を眩まされないように、地面の影を見て、襲撃者の頭に正確に戦斧を叩き込む。無骨な斧が襲撃者の頭蓋骨をかち割って、深々と突き刺さった。血が溢れ出し、武器を伝って地面に落ちる。

 

「はっガキが、そんな手がザグ様に通用すると思ったか!」

 

「思っているさ」

 

「何いっ!?」

 

 かち割ったはずの襲撃者の声を聴いて驚愕したザグが思わず顔を上げると……家の中に隠れていたはずの弓兵の一人が、己の斧に頭をかち割られていた。大量の血が噴き出し、ザグの顔に降りかかる。

 

 ザグが殺したのはアイクが二階から叩き落とした弓兵だったのだ。

 

「ぬうっ!? しまっ!?」

 

「遅い!」

 

 遅まきながらそれに気づいたザグは斧の刃を引こうとするが、ザグの腕力と落下の勢いが合わさって、完全に頭蓋骨に突き刺さってしまい、とっさに引き抜けない。

 

 ザグはそれでも腰から予備の手斧を引き抜こうとしたが、弓兵を死角にしてすでに彼の頭上に跳び込んでいたアイクに間に合うはずもなく、空中で縦回転したアイクの打撃が吸い込まれるようにザグの後頭部を打った。

 

 鈍い音がして、白目を剥いたザグが吹き飛ぶ。

 

「あ、あいつは……?」

 

 ザグは消えゆく意識を総動員して頼みの綱の男が隠れているはずの3階の窓を見た。だが、そこには闇が広がるばかりで、誰もいない。

 

「今よ!」

 

「うぉおおおおお!! 走れ、風のように、ブルズアイ!」

 

 リンの合図でセインが雄叫びを上げて、長槍を馬上で派手に振り回しながら、リーダーを倒されて動揺する山賊たちに向かって突撃する。

 

 それがトドメになった。

 

「う……うわあああああ!!??」

 

 敵の士気は思いのほかあっさりと崩壊した。

 

 もともと情報になかったアイクやセインの奇襲で後続の部隊を倒され動揺が広がっていた。それを抑えていたリーダーを倒され、更に歩兵の天敵である騎兵が突撃してきたことで、混乱と士気の低下に歯止めがかからなくなったのだ。

 

 武器を投げ捨て、リンたちに背を向けて逃走し始める賊たち。

 

 その彼らを更に絶望の淵へと叩き落とす事態が起こる。

 

 高らかに楽器の音が響き渡る。ドンドンと腹の奥にくる太鼓の音と、ラッパのような音だ。

 

「こ、この音はブルガル衛兵隊だ!?」

 

 そう、鋼鉄の鎧に身を包み、長槍と大盾で武装した重歩兵たちを先頭にズンズンと前進してくるのは、ベルケンを筆頭とするブルガル衛兵隊と赤鎧の騎士ケントだった。

 

「ブルガル衛兵隊隊長のベルケンだ! 街での私闘は禁じられている。武器を捨てて大人しくお縄に着け! さもなければ……」

 

 重装歩兵の中でなお一層の重装鎧と鎖の付いた大斧を装備したベルケンが腕を引き、逃げる山賊の足元に狙いを定めた。

 

 ズドンッ!!

 

「は、わ……」

 

 足元に重厚な斧を投げつけられ、地面を消し飛ばされた山賊が尻餅をついた。

 あと一歩でも前に行っていれば、消し飛んでいたのは彼自身だったろう。他の山賊たちも怯えた様子で足を止める。鎖が自動で巻き取られ、大斧がジェネラルの腕に戻る。

 

「てめえら全員串刺しだぜ?」

 

 長槍による槍衾が張られ、屋根の上から遊牧民たちが弓を構えてずらりと盗賊団を包囲する。

 山賊たちはがっくりと膝を落とした。

 

 

 ○○○○

 

 

「これで敵は全滅! やったわね、アイク!」

 

「おっしゃあ、勝ったぜぇ!!」

 

 飛び跳ねんばかりに喜ぶリンたちに、アイクも生き残った達成感と若干の不満を込めて頷いた。

 

「ああ、作戦成功だ。リンたちもよくやってくれた」

 

「ああ!! あんたもやるじゃん、アイクさんよ!」

 

「アイクでいいって言ってるだろ」

 

 単純に諸手を上げて戦勝を祝うセインに対し、リンは警戒を緩めないアイクの様子から何かに気付いたようだ。付近の警戒を再開しながら、アイクに尋ねた。

 

「アイク、あの弓兵はどうしたの?」

 

「え、弓兵ならさっき斧で頭をかち割られて……」

 

「あいつじゃないわ。サカの弓を使う敵がいたの。あいつはどこ?」

 

「いなかった。俺が踏み込んだ時にはもぬけの殻だったんだ」

 

 アイクが3階から侵入した建物の中には窓から叩き落した弓兵以外の敵はいなかった。

 

「じゃあ、あいつがそのサカの弓を使う敵だったんじゃ」

 

「いや、こいつじゃない。こいつが俺に気付いて撃ってきた矢はお粗末すぎた。とても急所に3発同時発射出来るような技量じゃない」

 

「しかも敵が避けたところに重なるように、地面を消し飛ばせるような威力で、よ」

 

「……やっべえ技量だな。キアランどころかリキア中を見渡したって、そんなやつ数えるほどしかいねえぞ」

 

「それにほら、見て、二人とも」

 

 リンが屈んで弓兵の死体の矢筒から矢を一本取り出した。

 リンが屈んだ際にスリットの隙間からリンのふとももがチラっと見えて、セインが目を限界まで見開き、鼻の下を伸ばせるだけ伸ばしたが、彼にとっては幸いなことに、あたりを警戒しながら真剣に矢を見ているアイクとリンには気づかれなかった。

 

「黒曜石の矢じりでも銀の矢でもないな。普通の木に、鉄の矢じりだ」

 

「ええ。これで確定したわね。あのスナイパーは、いえあの遊牧騎兵はまだこの街のどこかにいる」

 

「遊牧騎兵ってなんだ?」

 

 耳慣れない単語を聞き、アイクは尋ねた。

 

「遊牧騎兵はサカの民の中でも特に力量や精神が優れた者に与えられる称号よ。数はそんなにいないけど、みんな一騎当千の実力者ばかりだわ」

 

 リンの説明によると馬術、弓術、剣術に人並み外れて優れていることが最低条件だというそれは、サカの剣を極めた剣豪と並ぶかそれ以上にサカの民の尊敬を一身に集める称号らしい。

 

「機動力のある狙撃手が夜の街に潜む、か……厄介だな」

 

 あらゆる街角で狙撃を警戒しなくてはならない、というのは非常に厄介だ。目の前の戦いに集中できなくなる。しかも追い詰めても得意の機動力ですぐに離脱してしまう。無策で追いかけても延々と矢を射かけられながら、逃げ回られるだけだろう。

 

「そうね、なんとかしないと……」

 

「おーい、リン、アイク、それと騎士さんよー無事かーい!」

 

 そんなことを話していると、えっほえっほと、ベルケンが小山のような鎧を揺らしながら走って来た。横には馬に乗った赤髪の騎士ケントもいる。

 

「おいおいおいおい、二人とも血だらけじゃねえか!?」

 

「心配しないで、ベルケンさん。傷は傷薬を使ったから大丈夫。あとはほとんど返り血よ」

 

「そうか……それなら良いんだけどよ。でも念の為あとで腕の良いシスター紹介するから、見て貰えよ。お前さんは嫁入り前なんだから、傷痕なんて残すもんじゃねえんだ」

 

「ベ、ベルケンさん! もう嫁入りの話はいいから!」

 

 姪っ子を心配する叔父さんのようなベルケン、と赤面するリン。

 

 ほっこりする光景だが、狙撃手がいるかもしれない現状では、いつまでも見ているわけにはいかない。

 

「ベルケン、援軍を出してくれて感謝する。だが、この付近に遊牧騎兵の狙撃手がいるかもしれん。警戒してくれ」

 

「んだと!? くそっ分かった。部下たちに徹底させる」

 

 ベルケンが大声で部下に知らせると、山賊たちを縄や鎖で縛っていた兵士たちが囚人を担いで集まって来た。囚人たちは乱暴な扱いに暴れたが、兵士たちが数発殴って大人しくさせる。

 

 あっと言う間に衛兵たちに囲まれたアイクたち。彼らはアイク達を守るために集合したとはいえ、重鎧の兵士たちがずらっと並ぶと迫力があった。

 

「弓兵隊は周囲の安全を確保しろ! 相手は遊牧騎兵かもしれん、必ず四人一組で動け! 定時連絡を欠かすな!」

 

 次々と指示を飛ばすベルケン。馬に乗った遊牧民たちが弓を携えて、付近を警戒する。更に4人組の兵士たちが一つ一つ建物の中に入っては誰もいないことを確認していく。

 

 指示を一通り出し終え、「付近に異常なし!」の報告が次々と上がって来た頃、沈黙を保って付近を警戒していたリンがベルケンの方を見て頭を下げた。

 

「私からもお礼を言うわ。来てくれてありがとうベルケンさん」

 

「我々からもお礼申し上げます。リンディス様たちだけでなく、セインまで助けて頂いて」

 

「気にすんな。俺達は最後に脅して捕縛しただけだし、ブルガル衛兵隊としても街中で好き勝手しやがったザグ山賊団を楽に潰せて大助かりだぜ。ガハハハハハハッ」

 

 多くの人に礼を言われ、さらに人員や装備の損耗なしに山賊団を一個潰せたベルケンは機嫌良さげに大声で笑った。

 

 アイク達はそれを微笑まし気に見ているだけだったが、騎士達はその笑い声に不吉なモノを思い出したかのように体をぶるりと震わせた。セインはコソコソとケントに話しかける。

 

「……あの人、どこかワレス様に似てないか」

「……ベルケン殿はワレス様とハサル殿の、共通のご友人だそうだ」

「どうりで……笑い方までそっくりだぜ……」

 

 キアランの鬼将軍ワレス。スキンヘッドも眩しい彼は、兵士強化マニュアルと呼ばれる「鎧を着たまま領地を全速力で3周する」などの地獄のような訓練を高笑いしながら行うことで有名な将軍だった。キアラン騎士であるケントとセインも新兵時代にその教育を受けた。それはもうたっぷりと。

 二人の騎士の脳裏に肩を組んで、『ふっふっふっふっ』、『ククククククッ』、『ふははははははは!』、『ガァハハハハハッ』、と笑い合うワレスとベルケンの姿が浮かぶ。

 

 スキンヘッドのダブルマッチョ爺! 飛び散る汗、弾ける筋肉!

 

((夢に出そうだ……))

 

 ケントとセインは耐え難い悪夢を見たかのように、額を覆った。

 

「リンディス様も将来あんなふうになる……のか?」

「……そうならないように我々がお止めしよう、全力で」

 

 イメージ内に麦酒片手に『ぶわっははは』と笑うおばさんになったリンとその家族が加わりそうになったので、慌てて二人は妄想を打ち切った。それはあまりにも不敬で冒涜的というものだ。

 

 そんな騎士たちの様子に彼らが何やら落ち込んでいると勘違いしたリンが話しかけた。彼女は誇り高いが優しい人でもある。

 

「セイン、あなたも思っていたよりずっと強いじゃない。見直したわ」

 

 どうやら共闘を経てリンとセインは少しだけ距離が縮まったようだ。当初彼女が抱いていた怒りや嫌悪感のようなものが消えている。たぶんセインが命がけで奮闘したことで、ただの軽薄男ではないことを示したからだろう、とアイクは分析した。

 

「ああ、中々の槍さばきだった。助けてくれてありがとう」

 

 アイクも改めて感謝する。実際セインは大勢の山賊相手に持ち堪えたのだ。並の者なら人数差に押されて飲み込まれてもおかしくなかった。

 

「そっ、そうですか! いやあ、人に褒めてもらえるなんて何ヶ月ぶりかなあ! あっ、リンディス様たちも凄かったですよ。アイクは凄え身軽で派手な動きしてるのに全然気配がねえし、リンディス様はこう、スビャアッて感じで、ともかく速くて鋭くて!」

 

「ええ。お二人ともお見事でした。セインも良く持ちこたえてくれた」

 

 興奮してまくしたてるセインの横でケントも穏やかに、アイク達と相棒の功績を認めた。

 

「ケント……お前、本物か?」

「どういう意味だ、どういう!?」

 

 幽霊でも見るかのような目のセインに、食って掛かるケント。アイクとリンは苦笑した。

「あなたもベルケンさんを呼んでくれたのよね? ええっとケント、だったかしら」

 

 リンがケントに尋ねた。ケントも苦笑して答える。

 

「はい、キアラン騎士のケントと申します。他にも色々とあったのですが、結果としてはそうですね」

 

「なんだかひっかかる言い草ね……」

 

 怪訝な顔でケントを見るリン。アイクは提案した。

 

「リン、そろそろセイン達とそこに転がっている男に事の次第を詳しく聞かないか」

 

「そうね、さっき任務がどうのとか言っていたし」

 

 ザグとその傭兵団は、もともと素行が悪かった上に、戦闘禁止区域であるブルガルで旅人を襲った罪で、山賊団として衛兵隊と有志の人々に討伐された扱いになった。捕縛された山賊団の一味は現在衛兵隊によって牢獄へと連行されている予定である。

 

 ちなみにこの中に件の遊牧騎兵が紛れているとまずいので真っ先に調べられている。具体的には手のたこや腕の筋肉の付き方を調べられた。剣士、弓使い、斧使い、槍使い、あるいはそのどれかの複合の場合でもすべて、筋肉の付き方やたこの付き方が違うからだ。

 

 また、アイクに殴られて気を失ったザグは自害出来ないように猿ぐつわを噛まされ、両手両足を縛りあげられて、地面に転がっている。両脇には万が一にも逃げられないように兵士が立っており、いつでも尋問を開始できる状態だ。

 

「ええ。まずは我々の事情を先にお話しいたします。実は……」

 

「あー、その話は飯を食いながらにしねえか。この街の衛兵隊長の俺が言うのもなんなんだが、ここら辺はあんまり治安が良くねえし、誰が聴いてるかも分かんねえ。口の堅い信用出来る店を紹介するからよ」

 

「そりゃあ良いっすねえ。俺たち朝から働き詰めでもう腹ペコで……」

 

 指示を出し終わって戻ってきたベルケンの夕食の提案に、ケントが何か言う前にセインが答えた。

 

 相変わらず己の欲望に忠実なやつだ、とアイクはそう思ったが、確かにこんな場所で長話をして第二第三のザグや、遊牧騎兵を呼んでしまっては元も子もない。それにアイク達も朝から大したものを食べないまま、移動と戦闘に時間を費やしたせいで空腹だった。

 

「たしかに腹が減ったな」

 

「そうですね、積もる話もありますし、夕食を食べながらにしましょうか」

 

「だろ? 美味い飯を食いながらなら、難しい話も自然と纏まるってもんさ」

 

 ベルケンの厳つい笑顔の提案にアイクとケントは生真面目顔のまま首を縦に振ったが、リンだけは申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「ベルケンさんの好意はありがたいけど、私はお父様たちを探さないと……」

 

 リンはベルケンの提案を断ろうとしたが、そうは問屋が卸さない。

 

「リンよ、もう日が暮れてる。こんな時間に松明片手にうろついても、またさっきみたいなゴロツキに絡まれるだけだ。ハサルとマデリンの捜索は衛兵隊と商工会の見回り連中がもう始めているから、お前さんは体調を整えた方がいい。……こんなに痩せちまって、その様子だとあれからあんまり食ってねえんだろ」

 

「で、でも、ベルケンさんたちに任せておくだけなんて、わたしは……」

 

 親戚のおじさんのように世話を焼いてくるベルケンにリンは一歩引いたが、そこをアイクが畳みかける。

 

「リン、居ても立っても居られないって気持ちは分かるが、二人が見つかってもあんたが殺されてしまっては意味がない。ましてやこの先もさっきみたいな襲撃があるかもしれないんだ。俺たちは食える時に食って、力を蓄えておくべきだと思う」

 

 本音を言えばアイクも彼女の両親の捜索を手伝いたい。実際、ここにいるのがアイクとリンだけならそのまま手伝ったかもしれない。彼女が孤独と罪悪感に押し潰されそうなことは、会って間もないアイクでも容易に察せられるからだ。

 

 だが、アイクの中の冷静な部分(何故か赤毛の女副団長や黒髪の魔導士の姿をしている)が囁くのだ。

 

『リンが来たのと同時に現れた生気の薄い婦人と死んだはずの両親、現場に行けば山賊や数が少ないはずの遊牧騎兵に襲われる。どう思うセネリオ』

 

『十中八九罠ですね。そもそも襲撃者の正体も狙われる理由も不明なまま、土地勘のない治安の悪い街を夜間にうろつくなど愚の骨頂。狙撃手がいるなら論外、ただの自殺行為ですね。ましてやこちらが疲労と空腹を抱えたままでは、拾える命も落としてしまいかねない。一度撤退して戦力を整えるべきかと』

 

 脳内ティアマトとセネリオはさておき、この出来過ぎた状況にアイクはあの時リンに話しかけてきた婦人と山賊団は繫がりがあったのではないかと疑わざるを得なかった。リンと婦人をまっすぐ追ってきたはずのアイクが、婦人に出会わなかったというのも疑いに拍車をかけている。

 もちろんこれは参謀でも何でもないアイクの推理だから真実とは限らないし、リンにこのことを伝えると精神的ショックが大きすぎる可能性もあるのでまだ伝えていない。

 

 それに再度の襲撃の可能性があるのも、休息が大事だというのも無視できない重要な要素だ。

 あの婦人が山賊団とグルならば次の連中を送り込んで来るかもしれない。

 人は休息を取らなければ戦いながらでも寝てしまう、というのは戦場のあるある話であるが事実だ。攻城戦の最中に居眠りをした兵士が城壁から墜落した、という例もある。休息は決してないがしろにしてはいけない。

 

「うぅっ、アイクまで……分かった。ご飯にします」

 

 親戚のおじさんのようなベルケンと、兄のようなアイク、二人がかりで情理に富んだ説得をされ、さしものリンも何も言えなかった。アイクは、ベルケンに頷いた。

 

「そういうことだ。ベルケン、案内を頼んでいいか」

 

 今は大人しいが、いつ彼女の気が変わるか分からないので早く案内して欲しい、そういう意味を込めた視線をベルケンは正確に読み取った。伊達にこの街で衛兵隊長やってないようだ。

 

「おう、こっちだ。うちで一番料理が上手くて、警備が整ってるところに案内してやるぜ」

 

 

 

 ○○○○

 

 

 案内されたのは衛兵隊の詰め所、そこに併設された食堂だった。

 

「ここは退役した連中が趣味と実益を兼ねて始めた店でな。従業員は全員俺の知り合いの元衛兵だ。余計なことは聞かねえし、言わねえ。遠慮なく食って喋ってくれ」

 

 ベルケンの指示で貸し切りになった店のテーブルに次々と並べられる料理、料理、料理……。チーズと肉の焼けた香ばしい匂いが湯気と共に漂い、食欲を誘う。

 

「本日の赤い料理は、羊の丸焼き、ゆで肉のサラダ、腸詰め、肉団子……」

 

「白い料理は我が一族特製の馬乳酒、羊と山羊の乳のチーズ、グラタン、包み蒸し、……」

 

 それをアイクとセインは目を輝かせて見ていた。傍目には常に真面目な顔を崩さないアイクだが、顔に出ないだけで本人的には、異国の肉料理に目を輝かせて見ている。アイクと相性がいいか、無表情な人間に慣れているか、あるいは人の機微に聡い者ならば、彼の変化に気づく……かもしれない。

 

 その横では真面目なエリミーヌ教信者のケントが目を閉じて神と聖女エリミーヌに祈りを捧げ、サカの精霊を信仰するリンとベルケンもまた同様に食事前の祈りを捧げていた。

 

 アイクは一応、形式的に、形の上では、暁の女神アスタルテの信者ということになっているのだが、食事前に一々祈りを捧げるほどの信仰心の持ち主ではない。

 

 それでもグレイルたちの教育の賜物か、それとも身近に神官であるキルロイがいたせいか、真面目に祈る者たちを馬鹿にしたり、無視したりはしなかった。早く食べたくてうずうずしていたが、それを表に出すような無作法なこともしない。アイクは他者の大切にしているモノを大切にするように教わっていたからだ。

 

「じゃ、祖霊と精霊、我らの糧になってくれた獣たちへの礼も終わったし、飯にしよう。外国人のアイク達もいるし、マナーだとか作法だとか、そういう堅苦しいのは無しだ。おのおの好きに取って、好きに食べてくれ」

 

 この中で一番の年長であり、今夜の主催でもあるベルケンの挨拶で食事が始まった。

 

 アイクはさっそく手近にあった羊の丸焼きを手元に手繰り寄せると、給仕から貰ったナイフとフォークでそれをザクザクと切り分け始めた。

 その動きは剣術の賜物か、それとも大好物の肉料理が相手故か、どこまでも無駄に洗練されていて無駄がない。あっと言う間に羊を解体しては、半焼けの物は熱した網の上へ、焼けているものは次々と自分の取り皿に運んでいく。

 

(こいつは良い肉だ……)

 

 表面がパリパリになるまで焼かれた羊。

 その鮮やかな茶色にナイフを突き立てると、ジワリと透明な肉汁と油が溢れてくる。

 

 たまらず一口。

 程よい噛み応えと共に口の中に広がるジューシーかつ淡泊な肉の味。今まで味わったことのない燻った豆のような香りのたれと、羊肉独特の野趣とが絡み合っている。羊肉特有の臭みをまるで感じず、逆に完全に風味として活かしきっていた。ベルケンが自信を持って勧めるだけあって大した料理人だ。

 

 アイクは無言で頷きながら、モグモグと食べ進める。美味い飯ほど無言になる、アイクはそういう人間なのかもしれない。

 

 丸焼きを食べ進める途中で、口直しに湯で肉を食べた。

 肉を食べる口直しに肉を食べるというと何だかおかしな風に聞こえるが、アイクとしては決して間違った選択肢ではない。

 薄く切った肉をさっと湯に通して岩塩を振っただけの素朴な料理だが、余計な油や臭みが抜けてさっぱりとした味わいとなったそれは、付け合わせのレモンや葉野菜によく合う。柑橘類の爽やかな酸味と葉野菜のシャキシャキ感も合わさって、アイクの口内を爽快なものにした。

 

「アイク、焼き肉を少し貰っていい?」

 

「ああ。そっちの煮込み料理も貰っていいか」

 

「いいわよ、はい、どうぞ」

 

 隣に座って食べていたリンと大皿を交換する。

 食欲をそそるコゲ茶色のスープで煮込まれた野菜と肉の塊を、スープと一緒に自分の器に盛り、さっそく一口。

 

 口の中に広がるコクのある濃厚な味わいと風味を楽しむ。だが、この肉の味は覚えがあった。

 

「牛肉……他は羊肉なのにこれは牛肉なんだな」

 

 思わずといった具合にアイクは呟いた。

 

 どうやらリンたちはカエルは食べないが、牛は食べるようだ。やはり折を見て何が肉で何が肉でないのかについての議論を深めなくてはいけない。

 

 そんなことをアイクが考えていると、リンが杯を飲み干して言った。

 

「私たちは馬や羊の遊牧が主で、基本的に牛や豚の放牧はしないんだけど、ここはベルンとの国境の街だから、ベルン人と一緒にその文化や慣習も流れこんできているのよ」

 

「人と共に料理も混ざる、そういうもんか。」

 

 基本的にはクリミア人しかいない環境で育ったアイクは、また一つ新しいことを知って新鮮な気持ちになった。どうりで異大陸出身で衣装もサカのものとは違うアイクを見ても、誰も何も言わないはずだ。

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら、煮込み料理を平らげる。

 肉も野菜も一噛み二噛みで口の中でとろけていき、ソースと共に芳醇な味と香りだけを残して消えていく。

 

(肉、芋、玉ねぎ、きのこ……他はなんだかよく分からんが、具もスープもこってりしていてうまい……次はあの白い皮で包まれた肉団子を試してみるか。うおっ、中から熱々の肉汁が!?)

 

 そんな具合で過ぎていく食事。全員朝から働き詰めで、なおかつもともと健啖家な面々なので、言葉も少なめに、存分に食べて、飲む。

 

 もっともこれから大事な話が控えているので適度に緊張を解いてリラックスしつつも、全員、それこそお調子者なセインでさえ強い酒は控えていたが。

 

「ベルケン様……少々お時間よろしいでしょうか」

「ああ。分かった」

 

 食事がある程度一段落したころ、ベルケンが部下の兵士に耳打ちされ、どっこらしょと席を立った。

 

「何か分かったんですか!?」

 

 リンが椅子を蹴倒すようにして立ち上がった。

 

「いえ、囚人の護送が終わり、尋問の用意が整ったのをお知らせしに来ただけです」

 

「何か分かったら連絡するから、先に騎士達の話を聴いてやってくれ。お前にも関係のある話だからな」

 

 どうやら山賊の尋問などに関する話らしく、思わず立ち上がったリンたちを置いてベルケンたちは出て行った。あとには気まずい空気と頭を垂れたリンが残された。

 

 

 ○○○○

 

 

「リン、大丈夫か」

 

「ええ。ありがとうアイク。私はもう大丈夫」

 

 湯気と爽やかな香りが立ち上るお茶のカップを手で包んで、リンは気丈に微笑んだ。本当は大丈夫じゃないのは一目で分かったが、本人がこう言っているのだ。アイクは気付かなかったふりをして、頷いた。

 

「そうか。じゃあセイン、ケント、話を聞かせてくれ」

 

 リンも何もしないでいるより、何か話をしたり、作業をしている方が気が紛れるだろう。

 

 そういう考えもあって、アイクはセインとケントに話を切り出した。

 

「はい。改めまして私はケント、こちらがセインです。我らは、リキアのキアラン領より、人を訪ねて参りました」

 

「リキア……ここから南西の山を越えたところにある国ね?」

 

 リキアのキアランと言われても分からないアイクのためか、リンはケントに確認を取ってくれた。アイクはリンに目で礼を言い、ケントも軽く頷きを返す。

 

「そうです。16年前に遊牧民の青年と駆け落ちした、マデリン様への使者として」

 

「……マデリン?」

 

 マデリン、たしかリンの母親の名前だ。リンの目の色が変わる。

 

「我らが主人、キアラン侯爵のたった一人のご令嬢です。ずっと消息が知れず、侯爵も、もう娘はいないものとあきらめておられました」

 

 そこでセインがケントから説明を引き継いで話し出した。

 

「しかし、今年になって初めてマデリン様より便りが届いたのです! 『サカの草原で、親子3人幸せに暮らしている』と」

 

 息を飲むリンに、臨場感たっぷりにセインは続けた。

 

「そのことに、侯爵はとても喜ばれ、『自分には15になる孫娘がいる。知らぬ間におじいちゃんになっていたようだ』と、それは、幸せそうな顔で発表なさいました。孫につけられたという名前〈リンディス〉は、侯爵が、早くに亡くされた奥方様のお名前だったのです」

 

「リンディス……」

 

「娘夫婦の思いやりに、頑なだった心も、とかされたのでしょう。なんとかひと目なりとも娘たちに会いたいと願われ、我らがここに来たんですが……」

 

「マデリン様は、手紙を出した直後、亡くなられていて……そのことを、数日前に到着したこのブルガルで知りました」

 

 手紙を出した直後、か。アイクは何かひっかかりを覚えたが、何も言わず聞き役に徹した。もっと情報がなければ何も判断することは出来ないだろう。

 

 セインから話を引き継いだケントはじっとリンの目を見てそう言った。

 

「……ですが希望は残されていました。娘は生き延びたというのです。一人で草原に残り暮らしていると……私はすぐに分かりました。あなたこそ、リンディス様だと」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「……あなたは、母上にとてもよく似ておられる」

 

「! 母さんを知ってたの?」

 

「直接お目にかかったことはありませんが、キアランの城で絵姿を何度も拝見しました」

 

 リンはそっと目を閉じていた。口元を微かに綻ばせたその顔が、彼女の郷愁と切なさを物語っている。

 

「部族での私の呼び名は〈リン〉……でも父さんも母さんも家族3人の時は、私を〈リンディス〉って呼んでいたわ。なんだか、ヘンな感じ。もう1人ぼっちだと思ってたのに、おじいちゃんが……いるんだ。〈リンディス〉……って呼ばれること、もうないって思ってた……」

 

 リンは俯き加減でつっかえつっかえ語る。

 食卓の上で揺らめく蝋燭の炎が、影を作って健気に彼女の涙を隠していた。

 

 明かされた二人のリンディスの由来。キアラン候夫人リンディスと、リンの本当の名前で、家族との親密な時間の象徴としての名前としてのリンディス。

 

 だとすればやはり……これは伝えなければならないだろう。

 

「……違う。ザグも、私のことを〈リンディス〉って呼んだわ!!」

 

 アイクが口を開こうとした時、リンが閉じていた目を開けて、思い出の中から現実に帰って来た。

 

「ロルカ族のシュメルとか言う女、あいつもだ」

 

 リンの顔に驚きはなかった。ただ信じていた者に裏切られた深い悲しみがあった。彼女も目を逸らしていただけで、気付いていたのだろう。辛い話かもしれないが目を逸らし続けるわけにはいかない。またこういう事が起こってからでは遅いのだ。

 

「!? まさか……」

「ラングレン殿の手の者……だよな?」

 

 戦いの場にいなかった故に驚愕の反応を返すケント、恐る恐ると言った様子で推測を口にするセイン。

 

「ラングレン? 誰?」

 

 怪訝な表情を浮かべるリンに、ケント達は説明を続けた。

 

「キアラン侯爵の弟君です。公女のマデリン様は、二度と戻らないものと誰もが思っておりましたので、その場合、ラングレン殿が次の爵位を継ぐはずでした」

 

「つまり、あなたの大叔父上はあなたに生きておられると困るってことなんです」

 

「後継者争いか……」

 

 さっきのザグたちの襲撃は貴族の後継者争いの刺客ってことで良いんだろうか。

 

 今回の敵はリンを嵌めるために両親の噂を広めたり、高級な武具を揃えたりと随分手が込んでいた。アイクは正直これが山賊のやり口か疑問に思っていたのだが、財力と陰謀に長けた貴族がバックに控えているなら話は別だ。山賊はいつでも切り捨てることが出来る使い捨ての駒なのだろう。

 

(だが、だとしたらあの遊牧騎兵はなんだったんだ?)

 

「そんな……だって私、爵位になんて興味ないわ!」

 

 困惑しきりのリン。

 家族をこの上なく大切に想っている彼女からすれば、大叔父が自分の命を権力欲しさに狙うという状況が理解できないのだろう。

 実際のところアイクもその辺の心理はさっぱりだ。なので貴族に仕える騎士たちに聞いてみる事にした。

 

「俺は貴族じゃないからよく分からないんだが、爵位なんて肉親と引き換えにしてまで欲しいものなのか? 気楽に生きたいなら、むしろ邪魔だと思うんだが」

 

「……ほとんどの方は爵位を継げなくても肉親を謀殺したりしません。暮らすのに十分な財産はお持ちですし、お身内故に責任のある仕事を任されますので退屈もしません。お仕事をしたくなければ、それはそれで悠々自適に暮らすことも出来ます」

 

「それはまた……随分な御身分だな」

 

 マメに仕事をこなさねば食い詰める貧乏傭兵団としてはなんとも言い難い話だ。

 

「ほんとっすよね。こちとらワレス教官の鬼のようなしごきに必死になって耐えてやっとこさっとこ正騎士になるってのに、貴族の方は貴族ってだけで、上級騎士だ将軍だって簡単になっちまうんだから」

 

「セイン、口を慎むんだ。今はキアラン領の組織改革の話をすべき時じゃない」

 

 ケントはセインを窘めたが、その苦い顔には隠しようもない同感の意が浮かんでいる。

 

「あんたも今のやり方には反対みたいだが……」

 

「……イーグラー将軍やワレス様のように地位と実力の伴った方もいるにはいるのですが……」

 

「ぼんくらやそれ以下も多いってわけね」

 

 呆れたように話すアイクとリンに、ケントは居心地悪そうに頷いた。

 

「正直に申しますと……その通りです」

 

「ラングレンだったか。そいつはどうなんだ?」

 

 アイクは問題のリンの大叔父はどうなんだ、と水を向けた。リンも興味深そうにケントたちを見る。

 

「ラングレン殿は武芸に長けたお人です。侯爵の弟という立場でありながら、現場で一から叩き上げたワレス様やイーグラー将軍とも個人戦でも兵を率いた複数戦でも引き分けています。戦えば今の我々よりも遥かに強いですな」

 

「将軍や兵士たちにも慕われてましたよ。領主が戦に強いのは悪い事じゃありませんからね。まっ、いつまでも負けてる気は俺たちにもありませんでしたけどね」

 

 意外なことをケントは答えた。セインも意外な負けん気を発揮している。

 

「へえ、意外ね。謀殺なんてしようとするからもっと陰険で部屋に籠っている人かなって思ってた」

 

「俺もだ。案外話せばなんとかなりそうじゃないか」

 

 アイクたちの楽観論にセインは首を振った。

 

「残念ながら……今のラングレン殿は話が通じる相手じゃないんです。これから先も、リンディス様のお命を執拗に狙い続けるでしょうね」

 

「今の? 昔は話が通じたのか」

 

「ええ、まあ。以前は多少野心家な所もありましたが、実力も度量もあって頭も悪くないので結構みんなから慕われてたんですよ。穏健派で文官肌なハウゼン様と野心家で武断派なラングレン殿は実際良いコンビで、たまに喧嘩することもありましたが、《キアランの両輪》なんて呼ばれていたこともあったんです」

 

 アイクの問いに、セインが昔を思い出したのか遠い目をして語った。

 

「……そんな立派な人がどうして私なんかを……私、キアランの権力も公女の立場もいらないわ。だってそんなもの貰っても、どうしたらいいのか分からないもの」

 

 リンの憂いがますます深くなった。自分の存在が立派な人物だった大叔父を変えてしまったのが堪えているのだろう。自己評価が低い彼女のことだ。自分がいなければ……なんてことを考えていないといいんだが……とアイクは心配になった。

 

「……詳しいことは我らには分かりません。ただ……」

 

 言いよどむケントにアイクは続きを促した。

 

「ただ……?」

 

「……一年前、マデリン様から手紙が届く半年ほど前のことです。思えばあの時から、ラングレン殿はおかしくなり始めた」

 

「あの時?」

 

「ええ。あの時、我らはハウゼン様の寝所を警備していました。夜も遅いころになって、突然ラングレン殿が現れたのです。これまでもご兄弟だけで緊急の相談事をすることはたまにあることでしたので、普段ならお通ししましたが、その日の我らはラングレン殿をお止めしました。ラングレン殿が怪しい男を連れていたからです」

 

「怪しい男ってのは?」

 

「フードの付いた黒いローブを目深に被った金色の目の男でした。剣などの武器こそ持っていませんでしたが、風体から言って魔導士、それもかなり高位にある者だと思います。見ず知らずの男、それも何をするか分からない魔法使いを侯爵の寝所に入れるなど、とんでもないことです。我らは彼の入室を丁重にお断りしました」

 

「ところがラングレン殿はこれにいきなりキレだしましてね。お前らは侯爵家に対する忠誠心が足りないだとか、侯弟たる私を信用していないのかとか、盛大に怒鳴り散らし出しまして……」

 

「随分と理不尽だな」

 

「ええ、彼の言い分はまったく筋の通らない物でした。結局、あまりの彼の剣幕にハウゼン様が出て来まして、ラングレン殿を一喝して頂き、その場は収まったのですが……」

 

「話はそこで終わらなかったってわけね」

 

「はい。それからというもの、徐々にラングレン殿は変わっていきました。気難しさに拍車がかかり、些細なことで怒鳴り散らしたり、逆に大喜びしたりするようになりました。他領への野心や策謀も隠さなくなり、侯爵様と頻繁に口喧嘩をするようになったのです」

 

「決定的だったのはマデリン様から手紙が来た時ですかね。あの時のラングレン殿の血走った目、ありゃどう控えめに言っても殺人鬼の目でしたよ。私怨で何人も人を殺すような、ね」

 

「……話を聴いてると、どう考えてもその黒ローブの魔法使いが毒とか魔法を使ってラングレンをおかしくしたようにしか思えないんだが、なんであんたらはそいつをどうにかしなかったんだ?」

 

 アイクは素朴な疑問を投げかけた。どう見てもその魔法使いが怪しすぎるだろう。二人は、というかキアラン候は対策を取らなかったのだろうか。

 

「そりゃあ……! なんでだっけ……?」

 

 激高したように立ち上がったセインは、次の瞬間には痴呆の老人のように首を傾げた。

 

「確かに我々はあの魔法使いの件をイーグラー将軍やハウゼン様、ワレス様に報告し、判断を仰ぐべきだった……何故だ。なぜ我らは、私はそうしなかった……」

 

 ケントも俯いてぶつぶつと思考を呟いている。どう見ても二人ともまともな反応ではない。

 アイクとリンは顔を見合わせ、リンが恐る恐る告げた。

 

「も、もしかしてだけど、あなた達も魔法にかかってるんじゃ……?」

 

 しーんとなる部屋。耳が痛いほどの沈黙だ。

 

「た、確かにそれで説明が、ついてしまう。このことを指摘されるまで気付けなかった、いや意識に登ることさえなかったのはどう考えても不自然だ……それこそ魔法にでもかかっていたとしか思えない……」

 

 顔を真っ青にして震えながらしゃべるケントに、同じような顔色のセインがひきつった笑い声をあげた。

 

「そ、そんな訳ないじゃないっすか! だ、第一本当に俺たちに魔法がかかってたら誰かに訊かれたくらいで、なんで魔法が解けるってんです!」

 

「あの魔法使いがいるキアランを離れたから魔法が解けたという可能性は?」

 

「そ、それだったら、ブルガルに来た時点で魔法が解けなきゃ変だろう!」

 

 言い争う二人の騎士を前に、リンはアイクにおずおずと尋ねた。

 

「……アイク、あなたの出身を二人に言っていい?」

 

「別に構わないが……」

 

 それとこれとに何の関係があるのだろうか、そう考えるアイクだが、特に否はない。別段隠したいことでもないからだ。

 

「ありがとう。あのね、信じられないかもしれないけど、これから私が話すことは、父なる空と母なる大地に誓って嘘じゃないから、二人には良く聴いてほしいの」

 

「……はい。信じましょう。他ならぬリンディス様の言葉です」

 

「俺は……とりあえず話だけでも聞きます」

 

 騎士として主君の孫にやや盲目的な忠誠を捧げるケントと、まだ自分が魔法にかかっていたということを受け入れられず、リンの言葉に慎重な姿勢を見せるセイン。

 

 つまるところ、どちらもリンという人間を完全に信用したわけではないのだが、それでもリンはめげることなく頷いた。

 

「ありがとう、とりあえずそれでいいわ。あの、ね……アイクは別の世界の出身なの」

 

「は……?」

「え……?」

 

 リンの衝撃のカミングアウトに、フリーズしてしまった二人の騎士。

 

「出身地はテリウス大陸、その最北西にあるクリミア王国で……」

 

 リンの説明は続く。

 

 昨日、アイクが説明したテリウス大陸の地理、その創世神話や歴史のこと。アイクがクリミアの森で訓練中に気絶し、気がついたら、サカの草原に倒れていて、リンに介抱されたこと。基本的に口数が少なくて無愛想なくせに、超がつくほどお人好しの熱血漢であり、見た事も無い剣術や体術を使い、この大陸の常識も馬乳酒も一切知らず、蛇やカエルを食べることなどなど。

 

 最後の方は関係があるのか怪しかったが、リンが一生懸命説明してくれていたのでアイクは口を挟まなかった。というより、最初の衝撃発言でフリーズし、その後リンが何を言っても無反応な騎士たち相手に、リンは何とかして話に説得力を持たせようと頑張りすぎて、最後の方は若干お目めをぐるぐるさせていたので、口を挟むタイミングがなかったともいう。

 

「えーと、大丈夫? 話について来てる?」

 

「え、ええ。まあ、なんとか……」

 

「正直、話が壮大すぎるところあり庶民的すぎるところありで、なんというか……すぐには信じられないですけど、アイクが良い意味でも悪い意味でも、そこらの傭兵Aじゃないってことは、十分分かりました……」

 

 全員がたぶん正気に戻ったらしいので、アイクは口を挟むことにした。

 

「ことが事だ。すぐに信じられないのはしょうがないさ。俺だって自分が別の世界に来てしまったなんて正直信じられん」

 

「おいおい……じゃあ今までのリンディス様の説明は何だったんだよ?」

 

「信じられんが……それ以外に説明がつかないんだ」

 

 本当にこれに尽きた。

 アイクの深い慨嘆のこもった発言には説得力があったのか、セインは黙ってしまった。かわりにケントが鋭い目をして聞いて来る。

 

「貴殿が我々のように心を操る魔法にかけられている可能性は?」

 

「おいっ、俺は自分が魔法をかけられてたって説に納得した覚えはないからな」

 

「セイン、ではそれ以外にどう説明するって言うんだ。如何にお前が怠惰でも、どんなに私が融通が利かなかったとしても、怪しい奴を上司に報告するくらいはする。絶対にな。それを今日この時まで思いつきもしなかったことこそ、敵の魔法にかかっていた何よりの証拠だ」

 

「ぐ、ぬう」

 

 ケントの理路整然とした反論にセインはぐうの音しか出ない。

 

「それで、アイク殿、どうなのですか」

 

 セインを退けて、再び訪ねて来たケント。その真摯で真面目な態度にアイクもまた正直に答えた。

 

「心を操る魔法の有無に関しては正直分からん。そんな魔法があること自体、今日まで知らなかった。ただ俺はリンに自分から嘘をついたことは今まで一度もない。それだけは確かだ」

 

 嘘をつかないことに関してはアイクの得意分野だ。むしろ嘘をついたり世辞を言ったりすることはアイクの大の苦手分野である。まともに出来る気もしないし、やろうとも思えない。

 

 そんなアイクに対し、ケントは顎に手を当てて考え、リンの方を向いた。

 

「ふむ……リンディス様はどう思いますか?」

 

「わたし?」

 

「ええ。あなたは我らに心を操る魔法がかかっていたと見抜いてくださった。その真実を射貫く目で見て、アイク殿はどうでしたか」

 

「そうねぇ……これはただの勘だから、あんまりあてにしないで欲しいんだけど……」

 

「構いません。今はリンディス様の目と勘が頼りです」

 

「昔から女の勘は嘘をつかないって言いますしね」

 

「アイクは嘘を言っていないし、あなた達みたいに心を操られてもいないと思う。不自然な受け答えはなかったし、聞いた事はスラスラと答えてくれたか、知らんって言われるだけだったもの」

 

「そうですか……」

 

 ある程度納得したが、まだ検討中といった具合のケントとセイン。丁度いいのでアイクはリンに気になっていたことを聞いてみた。

 

「なあ、リン。さっきから考えていたんだが、俺の出自が彼らの件とどう関係するんだ?」

 

「ここからは私の勘というか、推測になるんだけど、アイクは別世界の人だから、その怪しい男の魔法が効かなかったんじゃないかと思うの」

 

「……いやそれは変だろう。俺はエレブ大陸の人間ではないが、普通の人間だ。斬られれば血を流すし、傷薬を使えば回復魔法はきちんと発動する」

 

「ごめん、言葉が足らなかった。アイクはその怪しい魔法使いか、その人よりもっと凄い魔導士に魔法をかけられて、エレブ大陸に連れて来られたから、魔法が効かなかったんじゃないかしら」

 

 強い魔法がかけられたから、それより弱い魔法が効かない? 

 

「どういうことだ?」

 

「大した根拠があるわけじゃないの。でも大陸間、あるいは世界間を飛び越える転移魔法も、人の心を自在に操る魔法も、普通の魔法使いには絶対に出来ないし、やらないことだと思う」

 

「……確かにこれほど高度な魔法は、使い手が非常に限られるはずです。しかも今回は拉致や洗脳といった悪意をもって用いられているという共通点もあり、距離的にもキアランとサカでかなり近い……」

 

「確かに筋は通りますが、でもそれだけじゃあ……」

 

 頷くケントと控えめに反論するセイン。

 

「昔お父様と一緒にロルカ族の呪術師に、いくつか魔法を見せて貰ったことがあるの。人の心を狂わせるバサーク、遠いところにいる人を呼び寄せるレスキュー、魔法を防ぐ盾を張り巡らせるマジックシールド……色んな魔法を見せて貰ったわ」

 

 興味深い話だ。

 アイクはマジックシールドこそ知っているものの、その他については見た事も聞いた事も無い。エレブ大陸特有の魔法だろうか。

 

 リンはしゃべりながら、腰のポーチを外してテーブルの上に乗せた。

 

「今回ケント達やラングレン叔父様が受けているのがバサークを微調整したもの、アイクにかかっているのがレスキューを物凄く強化したものだとすれば説明はつくわ」

 

 彼女はそこから小さな玉のついた羽飾りを二つ取り出す。白い羽と薄茶色の羽の下には翡翠のような小さな玉がついていた。

 

「でもリンディス様、そうだとしてもアイクがいたから俺たちの魔法が解けた理由にはなりませんよ」

 

「これを見て」

 

 リンがテーブルの上の羽飾りを持ちあげた。

 

「なんです、これ」

 

「方位磁石よ。これを水の上に乗せると方角が分かるの。導きの石、なんて言う人もいるわね」

 

 リンがゴブレットの上に羽飾りを浮かべると、すーっと一人でに回転して、ゆっくりと止まった。リンがゴブレットを回しても、羽飾りの先は常に同じ方向を向いている。

 

 アイクは船乗りが使うという羅針盤を思い出した。あれは結構大きなものらしいが、リンは水がいるとはいえ、随分と小さなものを持っているようだ。

 

「はぁ、こんな小さい羅針盤は凄いっちゃ凄いですけど……えっと方位磁石がどうかしたんですか」

 

 セインが首を傾げた。アイクとしても似たようなものだったが、リンがもう一方の羽飾りをゴブレットに近づけたことでピンと来た。どうやらケントも同じようで、瞳に理解の色が広がる。

 

「そうか、そういうことか!」

「なんてことだ……なんてことだ……!」

 

 今までのリンの話がやっと繋がったのを感じたアイクとケントは対照的な反応を示した。アイクは興奮して立ち上がり、ケントはテーブルを叩いて突っ伏してしまったのだ。

 

「お、おい! 皆して俺をのけ者にするな! 一人だけ分からない俺がまるで馬鹿みたいじゃないか!」

 

 一人分からなかったセインが、焦った声を上げる。

 

「これで分からんお前は、実際馬鹿だ……」

 

「なんだと!?」

 

 頭を抱えてテーブルに肘をついたまま呻くように言うケントにセインが突っかかる。また喧嘩漫才が始まるのかと思われたが、収集がつかなくなる前にリンが解説を始めた。

 

「見えない力は見えない力の影響を受ける。それが強ければ強い程にね」

 

 厳かに語りだしたリン。アイクたちは黙って席について、リンの答えと自分の答えが一致しているかどうかを確かめることにした。

 

「バサークは本来、人をごく短時間、狂戦士に変える魔法よ。キアランに現れた魔法使いはそれを、人を長い時間少しおかしくする魔法に作り替えた」

 

「一方アイクの転移魔法はレスキューをとことん強化したようなもの。それこそ世界や時間の壁を超越するくらいね」

 

「キアランの魔法使いの魔法は悪質よ。でも純粋に魔法として見れば効果を弱めて時間を延ばしただけの小手先の技。一方アイクを呼び寄せたのはレスキューの純粋な上位互換。とても強い魔力で編まれた大魔法。そんなものが近くにあったら、周囲の他の魔法も影響を受けて当然だと思わない?」

 

 こんな風に、とリンが方位磁石にもう一つの磁石を近づけた。

 

 大地の磁力より近くにある磁力に反応して、水の上の羽がリンの持つ羽に吸い寄せられるように方向を変えた。

 

「ですが、レスキューの魔法は対象を呼び寄せた時点で効果が切れます。その点はいかがでしょうか」

 

「もし、まだアイクを呼び寄せている途中だとしたら?」

 

 ケントの疑問を受けて、リンが近づけていた磁石を遠ざけた。

 羽の向きは磁石がある方に向いていたが、リンが磁石を遠ざけると、また元の方向を指し示す。また近づけると羽はまた磁石の方を向いた。

 

「私は魔法のことはそんなに詳しくないけど、世界の壁が人の魔法如きで破れるほど薄いなんて思えないわ。この磁石みたいに常にアイクをこっち側に呼んでないと、すぐ元に戻っちゃうんだと思う」

 

「つまり、今のアイク殿はこの磁石のように常に強い魔力を帯びているということになるのですね。だから周囲の魔法を掻き乱し、正常に働かなくしてしまう」

 

 几帳面なケントが話を纏め出したが、アイクが待ったをかけた。

 

「正直俺は自分に魔力なんて感じないぞ。それに傷薬は俺の傷を確かに癒した。俺の周囲の魔法が影響を受けるなら、回復魔法は正常に反応しないはずだ」

 

 アイクの言葉にリンが我が意を得たりと強く頷いた。

 

「そう、そこ! そこらへんが分からないから、ただの勘。推測の域を出ないのよね」

 

 リンによると強い魔力が近くにあると肌が栗立つような感触があるらしいが、アイクには何も感じないという。自身の感覚に重きを置くリンだからこそ、それに反する推論は支持しかねるということか。

 

「なるほどな。だが、現状では十分な推理だ。これ以上はもっと情報がないと無理だろう」

 

 アイクは魔力と言えば、セネリオの攻撃魔法かキルロイの回復魔法しか知らない。

 今の所それに近いものは何も感じないが、現状を一番よく説明出来ているのがリンなのも事実だ。これ以上を望むならベルケンの尋問の結果を待つなり、街に繰り出すなりして、もっと情報を集めなければならないだろう。

 

「ええ。ですが現状でもリンディス様の推測には説得力があります。こう考えれば多くのことに説明がつく」

 

「となると、アイクから離れると俺たちはまたおかしくなっちまうってわけか。くそったれめ!」

 

「セイン……お前……」

 

 怒りの炎に燃えるセイン。その顔はかつてないほどシリアスであり、まさに義憤に燃える騎士といった感じである。

 

「どうして強力な魔法にかかってるのが美女や美少女じゃなくて、むさくるしい野郎なんだ!! あなたと離れると私はおかしくなるのです! って言って合法的に女性にお近づきになる大チャンスだったのに! どこの誰だか知らないが、この恨みは深いぜ……!」

 

 怒り、嘆き、慟哭する騎士。絵になる光景のはずなのに、言っている内容のせいで色々と台無しである。

 

「あの……彼、いつもこんな感じなの?」

「……ええ、まあ。たまに真面目になる時もあるんですが、概ねこんな感じです……」

「あんた、結構タフだな」

 

 ひそひそとリンがケントに訊き、ケントは頭痛がするのか頭を押さえながら答えた。アイクはセインの繊細なのか単純なのか分からないタフな精神構造に感心していた。

 

「これから俺は四六時中このしかめっ面を拝まねばならんのか……ケントだけでも十分だってのに……あんまりだ、残酷すぎる」

 

「そんなに心配しなくても、杖使いにレストをかけてもらえばいいだろう」

 

 好き放題言うセインにアイクがぞんざいに提案した。

 レストは毒や催眠などの心身の状態異常を癒す回復魔法だ。やや高価だが、一般の道具屋でも買える杖である。この世界でもあるのは昼間の商店巡りで確認済みだ。きっとバサークにも効くだろう。

 

「そうだ、それだ! グッドアイデア! ケント、さっそく教会に行くぞ! エリミーヌ教会の清楚なシスターに合法的にお近づきになれるチャンスだ!」

 

「この街のシスターって、確かおばあさんと子供しかいなかったと思うんだけど……それでもいいの?」

 

「よし、ケント、さっそく衛兵隊に事情を話して杖使いを紹介してもらおう! 騎士たる者、行動は迅速確実にしないとな」

 

「お前というやつは……」

 

 いっそ清々しいまでの手の平くるりんを見せるセインに、ケントはまた額に手を当てている。

 

「おう、そういうことなら男にモテなくて悩んでる杖使いを紹介してやるよ」

 

 ベルケンが部屋に入って来た。どうやら尋問が済んだらしい。両親の情報をもとめてリンが、女を求めてセインが彼に駆け寄った。

 

「ベルケンさん! 何か分かった!?」

 

「おお、ベルケン殿! やはり既婚者は話が分かりますな! 助かります!」

 

「ベルケン殿、あまりこいつに餌を与えないで頂きたい。任務をほっぽりだして女のところに遊びに行き兼ねません」

 

「大丈夫だ。そいつは男だからな。嫌でも任務に出たくなるだろう」

 

「おのれ、既婚者! やり方が非道であります!」

 

「ベルケン、どうだった」

 

 酷く疲れた顔で立っているベルケンにアイクは冷えた茶を渡した。心なしか彼のスキンヘッドの張りも鈍くなったようにも思える。何かあったのか?

 

 ベルケンは受け取った茶を一息に飲み干すと、しかめっ面でリンの方を向いた。

 

「悪い知らせだ、リン」

 

「なにかしら」

 

「牢屋にぶち込んでおいたザグとその仲間たち、その全員が変死体で発見された」

 

 凶報に口元を抑えるリン。アイクたちも顔をしかめた。

 

 

「このやり口、相手はおそらくベルンの黒い牙だ」

 

 

 

 

 

 

 

 




ということで第一章、運命の足音・ブルガル攻防戦でした。

ここからはあとがきです。

字数 57528字 普通だな()

ベルケンさん出張り過ぎ問題 でもこのおっさんはたぶんブルガルでしか出ないので。
烈火本編や封印のルトガーの支援会話を見る限りサカの人、特に交易都市ブルガルの人は混血が進んでいて、肌や目の色で人を差別したりせず、侵略者には一丸となって戦うなど、アイクやリンと相性の良い善人が多い印象です。

その割に名有りキャラでいい人がいないので(本編前後で死んでること多数)、渋々オリキャラとしてベルケンさんを登場させました。モデルはワレスさんとファーガスさん、ダヤンさんですね。
リンと知り合いなのは、部族単位で暮らしているとはいえ、族長の娘が交易都市の衛兵隊長と顔見知りじゃないというのも変だからです。交易や交易行商人の護衛などの仕事は遊牧民の大切な現金収入源です。これらをしない人達が現金を得るには軍属か山賊になるしかありません。
ちなみにベルケンのクラスはサカでは珍しいジェネラル。まあ基本は拠点防衛の人ですからね、街の中では馬は走りにくいですし。あとGBAのジェネラルは重い鎧を着けて、フックショット的機構がついた長槍や戦斧で戦うという浪漫溢れる素敵性能なので大好きです。パイルバンカー叩きつけにも似た浪漫がある。

アイクの月影について
ゲームで言う所のレンジャー時代のアイクの必殺です。シリーズお馴染みの攻撃力が三倍で必中攻撃になるアレですね。ただ必殺というだけではなんだか味気ないので、名前をつけました。
名前の由来はファイアーエムブレムヒーローズの月光の前段階の技、影月から頂きました。もじって、鋭月、ってのもありだった気もします。ま、親父の月光の影ぐらいしか及んでいないということが作中の理由なので、鋭いはおかしいかなと思ってこうなりました。ちなみに親父の月光は暁しっこくさんがぶっ放す力5倍、防御力無視、必中の、当たれば女神すら即死するあれです。利き腕が駄目になってるので、力は3倍に落ち、戦場では出せませんが、非戦闘時に呼吸を整えじっくりと集中すれば出せるって感じ。ちなみに蒼炎でも出そうと思えば威力3倍必中天空をアイクは出来たりする。頭のおかしい火力が出ます。
ちなみにスマブラでしかアイクを知らないという人は、横必殺技の突進居合切りです。あれ原作だと当たった瞬間、良い感じの炸裂音と蒼白い光が出るんですよ。あと普段なら敵に接近する時には足音がするんですが、必殺時は足音が一切ないってのも蒼炎暁通しての特徴ですね。その辺を料理してこんな感じにしています。
また必殺は蒼炎にも烈火にもありますが、異なる武器や武術の流派に属しているはずの彼らが単一の術理の必殺技を持っているというのは変な話だし、皆が皆界王拳3倍するのも面白くないので、各々にそれっぽい理屈と特徴をつけることにしています。

方位磁針の羽
ヒーローズのミドリンや弓リンが付けてる羽飾りです。アクセサリーにもサバイバル装備にもなる、お洒落と実用性を両立するリンらしい装備。

馬乳酒
サカの遊牧民の飲むお酒。ダヤンの飲むような祝杯用の強いもの、リンが飲むようなアルコール度0.1パーセントくらいのヨーグルトソーダみたいなのと種類は豊富。栄養価はとても高く、これを飲んでるだけでも生きて行けるほど。反面癖が強く、作り手によって当たり外れも多い。リンは当たりの方。ダヤンのはサカ人以外が飲むと気絶する。

皆さまのご評価ご感想、大変嬉しく思っております。未熟な身ですが、精一杯アイクとリンを、そしてファイアーエムブレムの世界を表現していきたいと思います。これからもどうかご支援のほどよろしくお願いいたします。

また前のお話のラストに、ねむポン様が描かれた「アイクとリンの旅立ち」のイラストを掲載させて頂きました。私にはもったいないくらい美麗なイラストなので、見てない人はぜひ見てみてください。
これから冒険が始まるって感じで、胸が高鳴りますよ! 作者も改めて見て、胸がドキドキしてます。世の作家さんたちは自分の本に素敵な挿絵がつく時、こんな気持ちなのだろうか。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。