あの夏の日の出来事は今も忘れられない。忘れるわけにはいかない。
中でも鮮烈に思い出すのは、温かくも、冷たくもないあの手を握った時に感じた想い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『今日であの集団失踪事件から丁度20年となります。未だに事件の詳細がわからないまま、残された───』
テレビに映るニュースキャスターが語る内容を聞き流しながら、外の景色に目を向ける。今は快晴。天気予報では晴れのち曇り、と言っていたので、しばらくしたら雲が出てくるのだろう。気温は真夏そのもの。外出するなら雲が出てからがいいかもしれない。
スーツを着こなしているニュースキャスターも暑さで苦しいだろうな、と思いテレビに再び視線を戻す。昔の事件について専門家と話している姿は暑さを感じさせない。それもそうか、と思いなおす。冷房あるよね。
「やっぱりポケモンの仕業とかかなぁ」
ただボーっとテレビを眺めていれば、突然聞こえてきた声。麦茶を持った妹がテーブルの隣に座りだした。どうやら兄の分は用意していないようだ。
「ポケモンの仕業? なにが? 麦茶?」
「え、お茶が欲しいなら自分で取ってきなよ。今やってるニュースよニュース。裏山のあの事件。見てなかったの?」
今はまだそれほど麦茶が欲しいわけではないので動かない。そしてテレビはただつけっぱなしだっただけで、全く見てなかった。
「今日の予定について考えてたんだよ。必要なモノちゃんと詰め込んだか思いだしながら」
「昨日言ってたの本気だったんだ」
「有言実行って大事」
そう言いながらそばに置いてあるリュックサックをぽんぽんと叩いてみせる。
「財布に地図に電話に小型テレビ、傷薬にメモ帳、筆記用具、お菓子。あと保存食を3日分、水筒。これだけあれば充分だろ」
「ポケモンは?」
「ちゃんとほら、腰に」
「一応見せて。あたしの子と間違えて持ってかれてないか確認」
信用のないことである。兄妹同じ種類のポケモンを持っているからそれも仕方のないことかもしれないが、そうそう間違えることなんてない。
「ん。大丈夫そうね。この間みたいにジョージを連れてかれたらどうしようかと」
「だいぶ前のことをねちねちと……」
ジョージとは妹の手持ちのユンゲラーのことだ。そして自分の手持ちにもユンゲラーがいる。ちなみにニックネームはじゅうべいである。
妹のジョージというニックネームのセンスは、我が妹ながら微妙だと思う。
「もうちょっとしたら出発するつもり」
「ま、テキトーに気を付けて?」
テキトーな見送り言葉を言われたが、そのままテレビを眺める。出発はもうちょっとしてからだ。
『ではポケモンの仕業ではないと』
『断言はできません。ですが残された建物はほとんど無事なのでその可能性は高いかと』
「なんかこの事件もオカルト染みてきたよねぇ」
「そうだなー。神隠しって言われだしてるしな」
「絶対ポケモンだよー」
妹はポケモンの仕業だと頑なに主張を続ける。気持ちはわからなくもない。超常的な現象は、超常的な力を持つポケモンの可能性が高いのだから。
20年前、裏山、といっても当時はそこに村があった。その村で起きた集団失踪事件。自分も妹もまだ生まれてなかった頃の事件だが、今もこうして時折番組に上げられる。
端的に言うと、当時、村に残っていた住民と学校が忽然と消えてしまったらしい。
『建物すべて無くなっていたら、災害か、もしくは特殊なポケモンの力が働いたと考えられますが、消えた建物は小さな学校ひとつのみ』
『一部では悪意あるトレーナーがポケモンに指示を出したのでは、と噂されているようですが』
『それも難しいでしょう。住民が全員いなくなるほどの大事件です。それほどの力を持つポケモンを卸す時点で困難なのに、建物に影響を少なくするよう指示をだし、目撃者が一切いない状態にするとなると───』
ただつけっぱなしだったテレビのニュース。裏山という近場のことだが20年前の話だ。正直それほど夢中になれない。興味本位でその現場に昔行ったことがあるが、もはや自然生い茂るただの廃村。新しい情報など全く出ず、興味も村も、時間と共に風化していった。
聞き流しつつある状態で、外にまたも目を向ける。快晴だった天気はなりを潜め、大きな雲が出てきたところだった。
「お、曇ってきたな」
「ん、もう行くの?」
「風も吹いてるみたいだしな。今が最大のチャンス」
「ま、帰りはちゃんとへいはちで帰るんだよ」
へいはち、とは手持ちのオニドリルのことだ。ひとりくらいなら運べるほどの飛行能力を持つ。
そしてこれから使うのは、オニドリルではない。
フワライドだ。ニックネームは、せんふう。
空を飛べるが、風に流されて飛ぶためどこへ行くかわからない。だからこそフワライドである。
目的地を特に定めずにどこかへ赴く。遠いアローラ地方では島巡りというものがある。それに似たような形で自身に試練のようなものを課してみたかった。妹からは自分探しの旅? と言われたが違う。修行の旅である。一応ポケモントレーナーなのだ。
なにはともあれフワライドで飛ぶためには風がないと、風があるからこそどこへ行くかわからない。まあ、そんなに遠くへは行けないだろうが。
リュックを背負い、フワライドを呼び出す。
「せんふう。それじゃ頼むぞ」
紫色の身体と何を考えているかわからない赤い目で、せんふうは応えるように身体を揺する。たぶん手だと思われる部分を掴み、準備完了。
「いってらー」
「いってくる!」
見送りの言葉を受けて、地を蹴り軽く跳ぶ。そしてあとはせんふうの浮力便りで風に流されだした。
高度はせんふうがいい感じに調整してくれるだろう。そんな楽観視をしながら家から、町から離れていった。
やめておけばよかった。
後悔し始めたのは、突然の雨に降られ出してからだった。
天気予報では雨だとは言ってなかったのに、と愚痴る。夕立というのは天気予報で言ってくれないから困る。予報するのが難しいらしいので仕方ないことかもしれないが。
「せんふう、大丈夫か? いったん降りない? 降りて雨宿りしない?」
雨に打たれながらも空を飛んでくれる姿は頼もしく感じるが、いや、やっぱり頼もしくはない。風に流されているだけだし。
雨宿りを提案したが高度が変わらない。下のほうは木々が生い茂っているし、雨宿りにもってこいだと思うがこのフワライド的にはダメなのだろうか。
マイペースに飛び続けるせんふうを見上げて異常に気づく。
進行方向が向かい風になっていた。
風にただ流されて飛んでいると思ったのに、自らの意思で行きたい場所を決めれたのかと驚き。雨が降りだす前は本当に風に流されているだけだった。となると、いい雨宿り場所でも知っているのだろうか。
そこまで考えて、せんふうにすべてを任せることにした。
向かい風に逆らっていた時間はどれほどだったか、測っていないのでわからなかった。少ししてから突然の強風が吹き、せんふうはバランスを崩してしまった。
バランスが崩れた程度で堕ちはしない。そのはずだったが、高度が上がらない。下がり続ける一方だ。
せんふうを見ると何かもがくようにしていた。この高度の減少は意思によるものではないようだ。下は相変わらず木々が生い茂っている森だ。特に問題ないように見える。
もがくせんふうを嘲笑うように、またも強い突風が吹き荒れた。
その風によってさらに高度が落ち、下にあった森の木に身体がひっかかってしまった。
この高さならもう降りても大丈夫だ。せんふうは飛び上がろうとしているが、雨風の中飛んでくれたのだ。少しは休ませたい。あと自分も休憩したい。
そんな思いから地に降り立つ。
葉っぱに身体を擦られて地味に痛かったが、血が出るほどではなかった。少し擦った痕ができた程度。
遅れてせんふうが隣に降りてきた。どこかそわそわしている気がするが、表情がわからないので何とも言えない。
「ありがと。少しここで休憩してこう。近くに町があったらいいんだけど、全く見てなかったしなあ……」
木の下で雨宿りをしながら携帯電話を取りだす。現在地と時間を確認したかった。
「圏外……うーむ……」
圏外のため現在地はわからずじまいだった。そして時間は思ってたより進んでいたらしく、夕暮れ時だ。
夕飯としては少し悲しいが、リュックに入れていた保存食を取りだし食べる。せんふうにも食べさせながら今後を考える。
雨が止みかけだが、もうすぐ日が落ちる。夜を風に任せて飛ぶのは少し怖い。少し上昇してもらって近くに町がないか探し、見つけたら徒歩で町に向かうのがいいかもしれない。
食べ終わったころには雨も止んだ。
この場で飛ぶのもありだったが、少しでも飛びやすい開けた場所を探して歩きだす。
突然野生のポケモンが現れてもいいように、モンスターボールを片手に持ちながら。
「───!」
奥から悲鳴のようなものが聞こえた。
途端に不安が大きくなってくる。悲鳴のような音から離れるべきか、かけつけるべきか。悩んでいる間にも悲鳴のような音は移動しているのか、近づいてきている。
悲鳴ではないのかもしれない。
移動していることからそうあたりをつけた。もしかしたらポケモンの鳴き声かもしれない。
せんふうが周囲を警戒するように漂っている。念のため、と持っていたモンスターボールからドククラゲを出した。ニックネームはごんざ。
さらに念には念をと、咄嗟に逃げだせるようにオニドリル、へいはちを出す。
「え、おまっ───!」
へいはちは出てきたと同時にどこかへ飛び去っていった。それはもうすごい勢いで、一匹だけ逃げていく。へいはちは昔から怖がりだったが、まさかトレーナーを置いて我先に逃げるとは思わなかった。
不気味な悲鳴をあげている存在はどんどんと近づいてくる。
せんふうとごんざが音の方角に注意を払っていると、それは茂みから現れた。
「ボクレー……か?」
ボクレー。この辺りでは見ないはずのポケモンだ。遠い地方にいるゴーストタイプのポケモン。くさタイプも入ってた気がする。うろ覚えだが。
ボクレーはこちらの存在に気づいて、相も変わらず悲鳴のような鳴き声を発しながらじっと見てきた。
ぶっちゃけ怖い。
不気味すぎて怖い。
かといってここでせんふう達に攻撃を指示するのはあんまりだ。向こうはただ見ているだけなのかもしれない。襲ってきているわけではないのだ。
ずっと凝視してくるボクレーに対し、どう動けばいいかわからず固まっていた時、第三者の声が聞こえた。
「チルド! 勝手に奥までいかないでって言ったでしょ!」
人間の、女性の怒り気味な声が近づいてき、ボクレーの隣に現れた。
その女性は、褐色の肌に肩までかかる黒髪、歳は若そうで少女と言えそうな見た目だった。
「チルド! 聞いて……誰? ひょっとして迷子?」
チルドというのはボクレーのことのようだ。
ボクレー以外の存在に気づいた少女は一瞬警戒心をむき出しにして尋ねてきたが、雨に降られた風貌が情けなく見えたのか、後半の言葉はどこか優し気だった。
「あ、えっと、迷子と言うか、あてのない旅をしている旅人というか……」
「ふーん、家出? あんまり関心しないなぁ」
少女の中では家出ということになってしまったようだ。
どこか年上ぶっている物言いに少しカチンときそうだった。
「いや、本当にあてのない旅してるんだよ……お? フワンテか」
誤解を解こうと思ったらまたも別の存在が現れた。今度は人間ではなくポケモンだ。
フワンテ。せんふう、フワライドの進化前のポケモンだ。そのフワンテが少女のそばにやってきて浮かぶ。
「……結構ポケモンについて詳しいのね」
「一応トレーナーだし、少しは調べてるから」
ボクレーはともかくフワンテはこの辺りでは珍しくないと思うが。
フワンテがふわふわと近づいてくる。特に襲ってくるような雰囲気ではない。
そしてフワンテはこちらの手を掴んできた。
──────握手?
「え、何」
「ポワニがそんなことするなんて、珍しい……」
このフワンテも、ボクレーと同じく少女のポケモンなのだろうか。ポワニという単語はニックネームだろう。
握手している手を、せんふうが横からぺちんと叩いた。それによってフワンテと手がほどかれた。
「ちょ、どうしたんだよせんふう」
突然のせんふうの行動に驚きだ。
「あらら、嫉妬? 残念だったねポワニ。あの子はもうパートナーがいるみたいだよ」
幸い怒ったりはしていないようだ。
というか、あの子って、少なくとも少女と同い年だと思うのに。
「あー、ごめんだけど、この近くの町ってどこにあるか教えてほしいんだけど」
なんでかせんふうが不機嫌気味なので、早々にこの少女たちから離れたく思えた。そのためにも町について尋ねる。
「町って言うほどのものじゃないけど、案内しよっか?」
「うぇ」
「何その声」
普段ならもろ手をあげて喜ぶ提案だが、離れたいと思った矢先にそう言われると変な声を出してしまうのは仕方のないことだと思う。
「お姉さんに任せなさい」
「お姉さんって言うほど離れてなさそうだけど」
「結構幼く見える自覚があるからね。でも私の方がお姉さんだよきっと」
「おばさん?」
「10代です」
「やっぱりあんまり変わらなくない?」
あまりにも年上ぶるので少し詰めてみたら、どこかグダグダな会話になってしまった。
「とにかく、その子と飛んできたんだろうけど、この付近は村がひとつしかないよ。戻るついでに案内したげるから素直に感謝しなさい」
「……あざーす」
「なーんか感謝されてる感じがしないんだけど、まぁいいわ。名前はなんていうの?」
「幌村テツヤ」
「テツヤ君ね。私はホオカノ」
不思議な響きの名前だった。あまり聞きなれない音だ。外国出身には見えないが、ハーフとかだろうか。
「変わってる名前でしょ。おばあちゃんがつけてくれた名前で、おばあちゃんの故郷の言葉らしいの」
「ほー」
「それでこの子がチルド。で、やけに懐いてるその子はポワニ」
続いてボクレーとフワンテの紹介もされた。
ポケモンの紹介もされたとなれば、こちらもポケモンを紹介し返す。
「こいつはせんふう、ちょっとなんでか機嫌悪めだけどいい奴だよ。んでこっちはドククラゲのごんざ。見た目は怖いかもだけど男気溢れるイケメンだ」
ボールに入っているままのポケモンたちも紹介するべきだろうか。
いや、そこまではいいか。むやみやたらと手持ちを見せる必要はないだろうし、おそらくホオカノもトレーナー。もしかしたらバトルするかもしれない。
「それじゃ、ついてきて。小さな村だし良かったらゆっくりしていくといいよ」
「あい。お願いたのんます」
何気に滞在許可のようなものをもらえてしまった。家出だという勘違いはなくなったのだろうか。そんなことを思いながら、先導する少女、ホオカノのあとをついていった。一匹で逃げたオニドリルのへいはちは、きっとそのうち戻ってくるだろう。
ついた先は本当に小さな村だった。森に四方を囲まれたその村は、なんとも時代錯誤に感じる姿である。教科書などの写真に乗ってそうな、昔の風景、のごとくだ。そのせいかどこか懐かしいような、見覚えのあるようにも感じれた。
「ホオカノちゃん、チルドは見つかったかい?」
「大丈夫、見つかったよちゃんと。あと迷子も見つけちゃった」
「珍しいねぇ」
村の人とホオカノが話し込む。迷子という紹介を受けてしまった。まぁ土地勘がない場所だったし仕方のないことかもしれない。
「どっか空いてる家ってあったっけ」
「ゲンさんとこならいいんじゃないかい」
「そだね。ありがとー」
会話の流れから、ひょっとして空き家で寝泊まりするよう言われるのだろうか。それもゲンさんの家。勝手に使っていいものなのか、田舎特有の距離感なのか。外から来たものにとってはなんとも判断に困る内容だ。
「んじゃテツヤ。とりあえず荷物降ろしに行こうか」
「ゲンさんの家に?」
「うん、ゲンさんの家に」
「後でゲンさんに怒られない? 大丈夫?」
「たぶん?」
何故そこで断言できないのか。断言できない家に案内される人の気持ちになってほしい。
ちなみに、村へ着くまでの間に互いに呼び捨てでいいということになった。
「ゲンさん出稼ぎに行っちゃったらしくて、もう随分と帰ってないんだ。だからたぶん大丈夫大丈夫」
「ちょー不安だわー」
間が悪く帰ってくるパターンとかになってしまわないだろうか。そんな不安を感じながら、ゲンさんの家に案内された。
小さな一軒家。そして勝手知ったる我が家のごとく、足を踏み入れるホオカノについていく。心の中でゲンさんに、ごめんなさいホオカノが悪いんです。と謝罪しながら後に続く。
「んで、ここが台所。だいたい案内は済んだかな。お湯もちゃんとでるし、シャワーも好きに使っちゃって。村の案内は明日したげるし、今日はもう休むといいよ。あ、ご飯は食材あったかなあ……」
「いや、保存食一応持ってきてるし大丈夫。ってか食材残ってても普通もう駄目でしょ。自由すぎるでしょ」
「あったあった」
「嘘ぉ……」
冷蔵庫の中身を見せられると色々と詰まっていた。
とはいえさすがにそれを勝手に頂くわけにはいかない。保存食で我慢する。カロリーメイトは素晴らしいのだ。
「それじゃ、また明日ねー。おやすみー」
「あ、ああ。おやすみ」
おそらく家に戻るであろうホオカノを玄関まで見送る。
田舎の子はこうも距離を詰めてくるものなのだろうか。森で出会ってからせいぜい数時間だというのにかなり親し気になっている感じがする。
なんとか一息つけるようになったので、携帯電話を取りだす。
家に連絡を入れるためだ。
「……ここでも圏外とは」
ド田舎感が溢れている景観だったが、電波まで届かないほどとは。
この分では持ってきた小型テレビもただの荷物だ。
テレビも見れないなら特にやることはない。疲れもあることだし早々に寝ることにした。
やけに綺麗な布団を敷き、明りを消した、街灯がないせいか、とても暗い。そして静かだ。
逆に寝れるか心配になるほど普段と違う感覚。まぁ横になって目をつぶれば、そのうち眠れるかと考えて布団にもぐった。