お祓い!霊夢さんっ!   作:海のあざらし

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其ノ窮 姦姦蛇螺 カイセン

 ずるり、ずるりと森を這う。3対6本の腕を上手く補助に使い、まるで百足と蛇が並んで闊歩しているかのような様相を呈する。

 怪異は、今日の餌を喰いに森を歩いていた。先日襲いかかった新鮮な人肉は、余計な輩の介入のせいで取り逃してしまっている。つい最近確保した巨躯の女もとっくに喰い終わって、故に空腹を持て余していた。

 

 視線の先に、単独で森をうろつく妖怪を発見した。大好物は清い人間だが、飢えを凌ぐに当たって好き放題言ってはいられない。高速移動で音も無く接近し、異変に気がついた妖怪が振り向くより早くその顔面を貫く。右上の腕を引き抜き、頽れた妖怪に文字通り喰らいつく。

 

 ごりぼき、びちゃぐちゃ。子供が離乳食を零しながら食べているような、水気のある粘着質な不協和音が森へ広がっていく。脳漿を、眼球を、心臓を瞬く間に喰らい尽くし、それでも空腹は収まらず。

 

 血を舐め取り、新たな獲物を探しに行った。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「静かねぇ」

 

 それは心地好い静けさではなかった。耳が不可視の力で圧迫されているような、不快な違和感を感じさせる静寂だった。霊夢が巫女になってこの方、斯様な森を見るのは初めてだった。

 何か良くないことの前兆であるように思えてならない。この心配が取り越し苦労になるならそれで良い、だが嫌な予想程的中するというもの。音のしない森を眺めながら、霊夢の心は無性にざわつく。

 

「霊夢」

 

「あら、晩ご飯できたの」

 

「できたぞ。だが1人で歩くのは感心しないな」

 

「別に足はきちんと動くわよ」

 

 流石は賢者の使う術と言うべきか、怪我の治りが異常に早い。折れていた骨は半ば接着し、打撲の痛みは大方消えていた。元より被害の小さかった下半身など、もう全治を宣言しても差し支えない。あまりに早過ぎるものだから、ついつい副作用が心配になってしまうくらいである。

 この調子なら、あと3日もすれば全快してしまうのでは。喜ばしいことだが、この治癒術を習得するためにかけた期間を思うと、少しばかり気が遠くなりそうだった。人間が惜しむ数年を、妖怪は安価な代償として容易に差し出してしまう。寿命は人妖を彼此に別ち、併せて可不可の境界ともなる。

 

 黙々と箸を進める。粥に鮎の塩焼き、非常に美味だが欲を言えば肉が食べたい。怪我をしてからまだ一口も食べておらず、体が衝動的に肉を欲して訴えかけてくる。魚の肉なら現在進行形で頂いているが、霊夢の求める所は更なる動物性タンパク質を有する高エネルギーな肉である。具体例としては、牛とか豚とか。

 

「ねぇ、藍」

 

「食事中にあまり話すのは良くないが、何だ」

 

「あんたまで母親みたいなこと言って。……今日はえらく森が静かよね」

 

「森が?」

 

 粥を食べ終わり、ふと思い出して藍に話を振ってみる。別段意識してはいなかったようで、きょとんとした表情を浮かべた。

 

「お前にはそう感じられるのか」

 

「うん。動物の鳴き声もしないのは珍しいかなって」

 

「ふむ。言われてみれば、確かに」

 

 藍にしてみれば、言われて初めて感じられるくらいの、ほんの些細な違い。だが、霊夢はどうも腑に落ちない。1度頭に設置してしまうとそう簡単に離れてくれないのが違和感というやつであり、途端にそわそわと落ち着きを無くす。鮎を挟む箸がぴくりと跳ねて、危うく身を皿に返しかけた。

 霊夢の勘がよく的中するのは、広く知られるところである。獣たる藍さえも察知できない微かな異常を、時に彼女はふと捉える。たかが直感と過小評価するには、些か霊夢は救われ過ぎている。

 

 何も言わず、霊夢が食べ終わるのを待つ。今のところ()()は感じないが、彼女の中に眠る本能だけが迫り来る危機を感じ取っている可能性は否定できない。となれば、自分も警戒しておくに越したことはないだろう。

 

「ご馳走様」

 

「お粗末様。寝ていなさい、片付けはしておく」

 

「ありがと」

 

 寝室を覆う結界は、以前藍が生成したものをさらに凌ぐ強度を誇る。破るどころか、傷をつけるのすら困難を極める代物だ。囲われるものは、賢者の庇護を一身に受けるのである。この上の心配は、杞憂に分類されるべきなのだろうが、博麗の巫女を守るためであれば進んで杞憂を侵すことに躊躇いは無い。

 

 藍に見送られて、寝室へと戻る。布団を被って手近な本を取り、ぱらぱらと意味無く捲る。とても読書に勤しむ気持ちは作れない。

 

「……姦姦蛇螺ねぇ」

 

 一昨日、そして昨日と綺羅星の如き面々が複数で姦姦蛇螺を探し回っていたらしいが、奴は蟻も通さない捜索の手から逃れたという。隠れるという知能を有しているのは、何とも厄介なことである。賢者勢の本気からそう何日も逃げられるはずはないので、捕まるのも時間の問題だろうが。

 できることなら、この手で殴り飛ばしてやりたい。一切の加減無く、最高の一撃であの気持ち悪い面を潰したい。それが叶わないのが初めてで、布団の中にて歯噛みする。別に巫女としての高尚な意識の元に生きているわけでもないけれど、義務として息をするようにこなしてきたことが論理的に不可能であるという現実は受け入れ難い。まるで自身の生活が部分的に破綻したかのような、ある種の喪失感を味わう。

 

「何か、腹立つわね」

 

 巫女である限りは、勝てない。それは強烈なアイロニーであった。巫女だからこそ妖怪も怪異も纏めて薙ぎ倒してこれたのに、姦姦蛇螺は巫女だからこそ負けを確約されている。

 自身の強みを逆手に取って、あの蛇巫女は暴虐の限りを尽くした。単純に負けたのも立腹ものだが、それ以上に『敗北』が定式化されている状況が彼女をどうしようもなく苛立たせる。

 

 いっそやり過ぎなくらいに保護されているのは、勝てない『と思われている』からだ。次襲われれば死ぬ『に違いない』からだ。自覚した瞬間に、自分が檻に幽閉された敗北者のような気がして、がばっと布団を深く被った。自然体でいるのが息苦しい、体が力みを求めてくる。

 肝心な場面で役に立たないお姫様、と詰られてはいないだろうか。今までの数々の殊勲は彼女も余さず知っているわけで、1度負けてしまったから玉が割れたというのは考え過ぎだ。そう思い切る勇気は、今の霊夢には無かった。

 

「ん?」

 

 外から聞こえてくる重いものを引きずるような音に、最初は気が付かなかった。それは全くその通りに、ふと彼女の耳へと届いた。一概に怒りとも括れない曖昧な感情に惑わされて、凶兆の異音を聞き流す。

 

 襖により視覚的に、そして結界により物理的に隔てられた向こう側で、脅威は静かに牙を剥いた。

 

「わっ!?」

 

 ずぅん、という轟音と共に、寝室が揺れた。いや、神社ごと振動したようにも思えた。有り得ない、有り得ないがそう錯覚するに足る衝撃だった。

 初め、霊夢は地震かと思った。しかし、揺れは断続的に何度も強烈な勢いをもって襲いかかってくる。何者かが寝室へ押し入ろうとして、結界との攻防に邁進しているのは明らかだった。彼女はその何者かを、1秒未満で悟った。

 

 居場所を特定された。霊夢をして、嫌な汗が背中を伝う。結界越しに感じる忘れもしない妖気が、最悪の現実を肯定する。──確実に、霊夢を狙って、姦姦蛇螺は不遜にも神の社を襲撃した。

 まさか神社まで乗り込んでくるとは想定していなかった。紫の結界も、気休めみたいなものだと勝手に考えていた。だが、この怪異はそう甘くなかった。霊夢の楽天的な思考を豪快に叩き割り、今まさに目と鼻の先にまで詰め寄る。

 

 何度目かの激突が契機となり、咄嗟に布団の上に立ち上がったが、そこで足が竦んだ。それ以上の動作を、体が受容してくれなかった。足が地面に縫い付けられたように、その接面に密着し続ける。

 彼女の目は、姿の見えない恐怖に釘付けになった。目を離したら、殺される。八雲 紫の謹製たる防壁に守護を受けてすら、呼吸が浅く、荒くなっていくのを止められない。

 

 後ろでぱぁん、と勢い良く襖が開かれ、霊夢の肩が思い切り跳ね上がった。思い出したかのように体が不可視の呪縛を振り切って、即座に藍の元へ駆け寄る。身に纏う真っ白なエプロンは、彼女が台所から飛んで来た証左だった。

 

「抱えるぞ」

 

 藍の目には、招かれざる客の姿がはっきりと見えている。主より話には聞いていたが、成程身の毛もよだつ醜悪な怪異だ。無論嫌悪している暇は無く、即座に霊夢を横抱きにした。驚きから短く素っ頓狂な声をあげたけれど、抵抗はせずされるがままだった。

 そのまま神社の裏口へ走る。妖獣の健脚が木張りの地面を捉えて2人分の体重を前に進め、強烈な負荷をかけられた床がぎしりと悲鳴をあげるが、彼女達にそれは届かない。結界はまだ暫く持ち堪えてくれるだろう、神社から逃げる時間は充分に稼げる。事前の緻密な計算から、結論は既に提示されている。

 

 ほんの数秒で、裏口が見える。怪異は未だに結界へ張り付いており、藍の動向には気がついていない。抜け出すならこの瞬間しか無い。須臾の判断で扉を開き、そこから一直線の飛行に移る。

 ……脱出には何とか成功した。だが、じきに気がついて追いかけてくるだろう。そうなれば、怪我人を抱えた藍では分が悪い。そこまで把握・理解を完了しているのが八雲主従であり、最善たる対応(マニュアル)は作成済みであった。

 

「紫様。()()()()

 

『分かったわ』

 

 藍自身の右手に、緊急事態を報告する。何らかのネットワークが確立されているようで、抑揚の無い冷淡な返答が掌から返された。摩訶不思議な術だと霊夢が目を見張るよりも早く、藍達よりさらに上空で良く知る異質な妖力が胎動していた。

 

「霊夢、平気かしら」

 

「この狐のお陰でね」

 

「それは良かった」

 

 スキマから現れた紫は、およそ一切の感情を排斥していた。淡々と事実を確認していくその様相は、まるで人形のようだった。普段の穏やかで温和な彼女しか知らない者からすれば、姿形の同じ別人とすら映るだろう。

 姦姦蛇螺には差し迫った恐怖を感じるが、こっちもこっちで中々怖い。胸の奥底にしまい込んだ本音は、きっと何処かに穴が開いたせいで漏れ出していたのだろう。僅かばかり、ともすれば見誤ったかも知れないが、面持ちが和らぐ。

 

「藍、手筈通りに。隠岐奈(おきな)はもう招聘してあります」

 

「承知」

 

 言うが早いか、紫が通ってきたスキマの中へ躊躇いなく突入する。よくもまぁこんな薄気味悪い空間に物怖じしないとか、あいつはどうするんだとか、聞きたいことは沢山あったけれど、息も詰まる緊張感がそれを許さなかった。藍はただ前を向いて、一心に宙を翔ける。

 ややあって暗紫色の空間を抜けた2人を、ややこじんまりとした和風の邸宅が迎える。藍にとっては住み慣れた家で、他方霊夢からすれば知らない誰かの家だ。尤も、住居者が誰かなんて心当たりは1人しかいないわけだが。

 

 玄関の前に、女が立っている。橙色の狩衣には北斗七星と思しき星の配列が描かれ、長い黄金の髪がそよ風に揺らぐ。容姿や雰囲気において、極めて紫に似た女だ。

 

摩多羅(またら)殿」

 

「中へ」

 

 端的に促し、屋内へ入る女を追う。幻想郷のあちこちで四季が乱れるという、思い返すと一体何がしたかったのか良く分からない異変で存在を主張した……と、大半が認識しているのが摩多羅 隠岐奈という秘神だ。しかし、一部の有識者連中などは異変以前から彼女と交流を持っていた。霊夢もそのうちの1人で、彼女が紫らと肩を並べる幻想郷の管理者であることも承知している。

 

 知った神の前で抱き上げられているのは、年頃の少女として少々恥ずかしい。そろそろ降ろしても良さそうなものだが、藍はそうしてくれない。多分そこまで気を回す余裕ができていないのだろう。これが魔理沙なら蹴ってでも降ろさせるが、窮地を救ってくれた恩人を無碍にする真似は理性が押し留めてくる。結局お姫様抱っこのまま、静々と運び込まれていく。

 屋内に幾つかあるらしい部屋のうち、隠岐奈は恐らく最も広いであろう部屋を選択した。そこには用意良く布団が敷かれており、霊夢はそこに横たえられた。神社のものよりずっと分厚く、それでいて柔らかい布団が心地好い眠気を誘う。

 

「摩多羅殿。来てくださり、感謝します」

 

「巫女は楽園の中核。如何なる理由があろうとも失ってはならぬ存在。窮地となって黙っている理由は無い」

 

「その通りです」

 

 ほんの短い時間の騒動だったとはいえ、蓄積した精神的な疲労は大きい。安息を得たのだから、安堵感で眠くなったって責められない。時間帯も夜、眠気は一入となろう。

 霊夢の目がとろんと落ちつつあるのは、2人も分かっている。できるだけゆっくりと寝かせてやりたいという思いから、隠岐奈が早速自らの目的を明かした。

 

「さて、私がここにいる理由は1つ。億が一の場合に、貴女を私の世界に逃がすためよ」

 

「あんたの世界って、後戸?」

 

「えぇ」

 

 隠岐奈は普段、この世界とは別次元の何処かにいるそうだ。そこが幻想郷に含まれるのかは霊夢も知らないが、紫のスキマ内部空間と似たようなものなんだとか。朝ご飯を作るより気軽に異次元を接続させないでほしいものだ、普通と異常の境界が曖昧になる。

 訳が分からなくてこそ、不思議の集う幻想郷を束ねる代表者とも言えるので、彼女達の個性はこれからも存分に発揮されて然るべきなのだろう。だがしかし不公平だ、せめて私にも何か凄い能力を寄越せ。霊夢の切実な願いは、或いは既に叶っているのかも知れない。

 

「紫に億が一も無いはずだけれど、我々は兆をも視野に入れる必要がある。そんなわけだから、事が落ち着くまではここでの療養となるわ」

 

「あいつが戦ってるのね。さぼってるみたいで悪いわ」

 

「怪我人に鞭は打たないわ。私も、紫も」

 

 霊夢の心配は、結局のところ見当違いも甚だしかった。紫が稀にも見ない怒りようで家を出ていったのを、声もかけられずに見送っていた。同情はしないが、元凶を哀れには思う。この幻想郷で最も触れてはいけない逆鱗中の逆鱗を、あろうことか姦姦蛇螺は大きく振りかぶって殴りつけたのだ。行動には相応の反応があり、つまり奴は己の首を己で締め上げた。

 

 ぽん、ぽんと額に優しく触れる。赤子を寝かしつける母親のような、慈愛のある手だった。柔らかさに包まれて、霊夢の瞼がすぅっと降りる。

 

「今は眠りなさい。私達が貴女の借りを返すわ」

 

「それは……悪いわね……」

 

「大丈夫よ。何も悪くない」

 

 誰かにあやされて眠りにつくなんて、もう何年経験していないか。記憶の片隅に、朧気に残る記憶は探れなかった。何処か深い所へ落ちゆく意識を、自分ではない自分がはっきりと見ている。

 

 そこまでが夢だったのか。答えの出ない、暗くざわめく問いだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 叢雲が星月を覆い隠し、一筋の光も差さない夜闇。名刀で両断したかの如く、純白の閃光が迸った。その場にいれば思わず目を庇う程の光量、次いで大地が身に降り注ぐ異常な力を恐れて身震いする。

 

 地が恐れるものに牙を剥く蛮人はいない。自分との圧倒的なスケールの違い、立つ次元の差に本能が適わないと叫び散らすのだ。どれだけ強く、そして賢くなろうとも、敗北を目的として戦う生物が生まれるものか。

 

 歯向かうとすれば、それは追い詰められ自棄を起こした愚か者だ。もしくは、勝算を見出している猛者か。蛇を得た巫女は、果たしてどちらに。

 

 高く舞い上がった土煙の中で、妖しい紫眼が爛れた光を放った。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 少し足を引き摺り、家の前へ立つ。呼ばずとも気配は察してくれる、現にらしくない急ぎ足で玄関へ向かっている。

 がら、と戸を開け、半身が血に染まった主を目の当たりにする。致命的な重傷だ、明らかに焦りが強まった。

 

「紫様」

 

「心配いらないわ」

 

 あやすように、顎をちょいっと触る。服が血塗れだから重篤な怪我を負っているというのは、些か浅慮であろう。返り血の可能性くらい考えるように、訓戒を込めて頬を引っ張ってやる。何だこれ凄い伸びる、まさにつきたての餅と言うに他ならない。

 餅が一対、しかれば食べない道理は無い。激しい運動の後は、それを補うカロリーの補給が推奨される。というわけで、有り難く差し入れの餅を頂こうと齧りつく。突然のことに驚き抵抗する皿を頑張って抑えながら、はむはむと啄むように食べ進める。

 

 思い切り突き飛ばされてしまい、皿が決死の防衛に成功した。少し濡れそぼった頬は、食まれたせいか鮮やかな朱を湛えていた。草臥れた体には手痛い反撃だがこれでもまだ甘い方だ、もしいつもの昼下がりに事に及んでいたら、体の半分が地面に埋没する憂き目を見ただろう。

 

「……元気ですよね、紫様」

 

「見ての通り、疲労困憊よ」

 

 その言葉に嘘は無い。例え真実の口に右手が捕らわれていたとしても、紫は今自分が疲れていると胸を張って……そんな元気もあるか怪しいが、言い切ることができる。

 さっきの戯れで僅かな体力の欠片まで使い果たしたので、多分あと3歩歩いたら天寿を全うするのでは。まだまだ生きていたいので、藍に部屋までの送迎を指示する。林檎顔でぶつくさ愚痴を零しながらも渋々と、実に渋々といった様子で貸された肩に、遠慮なく全体重を預けた。紫からは見えないけれど、さぞかし嫌そうな顔をしているに違いない。

 

 愛い子、愛い子。半死半生の厚顔妖怪は寝室へと運び込まれ、心做しか乱雑に着衣を剥ぎ取られた。血みどろの服で寝られたら布団の洗濯が大変になるのは当然で、藍としては絶対に回避したい未来であった。

 寝間着を用意し、慣れた手つきでささっと着せていく。帯を結び終えるまでたったの24秒、他を寄せ付けない早着替えならぬ早着付けである。瞬く間に赤から白へと纏い直された紫は、そこから横倒しにされて布団にセッティング。合計1分足らずの早業で、快眠の準備は恙無く整えられた。

 

 このまま目を瞑ってしまえば、程無く夢の世界へ一直線だ。それはそれは悦楽の至りなのだろう、しかし紫にはまだ為すべき仕事が残っている。特例措置を実行した以上、その成果についての報告は徹底しなければならない。

 未だ血の滑らかな服を持っていく藍が、横目にちらりと映る。彼女とて暇ではない中で、こうして協力してくれるのは有り難いことだ。紫の式神なのだから命令の遵守は絶対、成程その通りではあるがやや自己本位の詭弁めいた印象は否めない。感謝はしている、だがそれはそれとして餅は食べに行った。大変美味しゅうございました。

 

「お疲れ様。結果を聞いても?」

 

「引き分けね。両者共に限界近くまで疲弊して、戦闘の継続が不可能となりましたわ」

 

 展開としては、紫の一方的な暴力が姦姦蛇螺を襲った。全く手も足も出る余地の無い、虐殺と称するに相応しい戦いであった。

 だが、奴はあまりにも頑健だった。レーザービームで薙ぎ払っても、鉄塊を突撃させても、気味の悪い笑みを絶やさぬまま戦闘を取り止めなかった。結局久しく発揮していない全力を余さず動員して、漸く痛めつけられた程度だ。間違いなく幻想郷のどんな妖怪より頑丈で、無いことだが2度目は強く勘弁してほしい。

 

 姦姦蛇螺の並外れた耐久力は、隠岐奈には伝わったらしい。圧倒的な優勢に立ちながらも倒し切れないタフネスは、回復し切らないうちに果てさせねばならない。それが可能な刺客を1人、紫と交代する形で送っている。

 信頼に足る、凄腕の仙人……というと語弊があるかも知れない。彼女の得意分野は、見た目によらず肉弾戦なので。幸いにも肉体は硬くないらしく、こうなればインファイトで物理的に分解してもらうのが1番効果的と言える。

 

「華仙はもう動いているのでしょう? 何とも豪華な一団だこと」

 

「相応の報いですわ」

 

 紫と華仙の波状攻撃など、姦姦蛇螺にしてみれば堪ったものではない。無数の肉片と成り果てて、己の罪は地獄できっちり精算される。餓鬼道すら生温い邪悪な魂に、輪廻などという救済措置が用意されるかは閻魔様の裁量次第だ。

 もう夜も更けた、霊夢は別の部屋でぐっすりと眠っていることだろう。願わくば彼女が1秒でも早く全快せんことを。祈りを胸に、紫の意識もまた海の底へ引きずり込まれていった。海面の上で、隠岐奈が緩く微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「馬鹿な、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再生が、早過ぎる」


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