地上から宇宙を見上げれば、虚空には何も見えず、見えるのは何万光年も離れて、ようやく地球に到達した恒星の光のみ。
地球を取巻く軌道空間に在り周回しているのは、人工の衛星を除けば様々なデプリであり、その存在は懸念されてはいたが、あまり問題視されてはいなかった。
その、地球を周回するある軌道空間のとある一隅に、それはあったし彼らもいた。
だが地上からも、他の軌道空間からも、彼らが探知されることはなかった。
それも彼らも、準備を進めつつ目覚めの時を待っていた。
時に、西暦2128年・1月13日
全システム起動予定時刻13時間前で、今のステーション内はナイトタイム、総合司令室の中央付近に立って、フェイズ1のスタートまでの計画予定とそれに対しての総合進捗状況だけが映し出されているメインスクリーンを眺めていた。
司令室のシートは2/3以上が空席で、今座っているのもナイトシフトの担当者だったが、システムの起動前なのでほぼ全員が最終チェック・最終調整を進めている。
スクリーン右下隅の時刻表示(クロノメーター)は二つ。
上が現時表示で下が起動予定時刻へと至るカウントダウンだ。
予定は順調に進行中と40分前にも報告を受けた。
それは、今座っているナイトシフトスタッフの人数も証明している。
メインスクリーンの左下隅で緑色のシグナルが点滅し、呼び出し音が低く流れる。
「司令、Mネット経由で着信です」
「接続して映像と音声を・・」 「了解・・」
「こんばんは、シエンさん」
古くからの付き合いで私の本名も知っているが、この人は直接会話する場合でも私を本名では滅多に呼ばない。ハロルド・フィンチだ。
「どうしたんです? もう第1級警戒時間ですが・・・?」
「すみません・・そちらのフェイズ1が起動する前に、最後の連絡をと思いまして・・」
「こちらは順調ですよ・・フェイズ1は予定通りに起動します。すみませんが次の連絡はフェイズ2起動後にお願いします」
「了解しました・・・順調と言うことで安心しました・・」
「そちらの皆さんは元気ですか?」
「元気だよ・・」画面に長身の男が割り込む。ジョン・リースだ。珍しくウィスキーグラスを持っている。
「久しぶりですね。暇なんですか?」
「そちらが腕っ扱きのスタッフを50人も贈ってくれてからは、俺も副業の刑事の仕事をこなしながら、たまには一杯呑めるぐらいの暇を楽しめるようになったもんでね・・・まあそれは置いても、ささやかながらの前祝いと言うことさ・・・君の計画の完成を祝して・・」
そう言って彼は軽くグラスを掲げた。
「これからが大変なんですよ。こちらが起動すれば暫らくは騒ぎが続くと思いますから、気を付けて下さい。サマリタンが過剰な反応を示すかも知れませんから・・ところでハロルドさん、統合プロジェクトの方は如何ですか?」
「そちらでも分かると思いますが、フェイズ3のパート5です。そちらが起動したら、少しペースを速められると思いますが・・・」
「いや、ペースはこのまま維持した方が良いと思います。今はできる限りサマリタンの気を引かない方が良いでしょう・・」
「分かりました・・それではこれで失礼します・・お気を付けて・・」
「そちらも気を付けて下さい・・ああ、こちらから贈りました人員・物資・機材・装備は自由に使って下さい・・でもあまり目立たない方向で・・あぁフィンチさん、一つ、注意を喚起させて下さい・・私達は起動して、メッセージを5段階で世界に発信します・・すると世界の中で、私達に接触して関係を築こうとする意欲が顕れるでしょう・・・私達はそう言う人々に対して交信回線は常にオープンに設定します・・・サマリタンは当然、私達を脅威と認定するでしょう・・・そしておそらくは私達に連絡を取ろうとする人々も、脅威と認定する筈です・・・先の粛清でサマリタンは、脅威となり得る可能性を持つと認定した人々を殺害しましたが、それを再現しようとするでしょう・・・ですが今マシンは、私達のMネットの中にあってサマリタンより優位に立っています・・・サマリタンが狙おうとする人々の番号を出してくるでしょう・・つまり・・」
「・・これから出てくる番号は、ほぼ被害者・・?・・」と、リース。
「・・そう思います・・・忙しくなると思いますよ・・フェイズ2を起動したら、こちらからも様子を伺いますから、人手が足らないようでしたら、また廻します・・」
「ありがとうございます、シエンさん・・無事な起動完了を祈ります・・」と、フィンチ。
「ありがとうございます・・お互いに気を付けましょう・・・それでは、また後で・・」
回線が閉じられた。
司令シートに座って自分で淹れたコーヒーを飲み終わった頃、また呼び出し音が聞こえた。
「また着信です」 「つないで・・」
画面に現れた男は、山高帽を被ってコートを羽織ったまま椅子にふんぞり返っている。
傲慢そうに見えるがそれは自信と虚勢の現れで、実際に話せば彼はかなりに礼儀正しい。
彼と私の関係に於いて信頼できているのは、お互いに提供する情報の確実性と正確性だけであり、お互いに余計なことは話さないし教えないが、私は彼のやってきたこと、今やっていること、やろうとしていることの98%は把握できる。
我々の存在と目的とするところについて、教えられる範囲内では話しているが、彼がそれをどこまで信じているかは分からないし、我々としてもそれは関知するところではないし、正直に言うと関心もない。
彼の自称で、犯罪のコンシェルジュ。
我々の認識では、社会の裏側での情報・金銭・物資・人員の流通ハブのひとつ。
レイモンド・レディントン。通称「レッド」だ。
「ミスター・レッド。用件は何ですか? 既に第1級警戒時間ですが・・」
この男は決して自分からは口火を切らない。いつも相手から先にしゃべらせる。
「警戒時間に入っているのは知っていたが、フェイズ1が起動する前に最後の挨拶とお祝いを言いたかったんだよ、榎本さん。ご機嫌は如何かな?」
「こちらは順調ですし、総て予定通りで特に何も変わりませんよ。あなたもお元気そうですね、レッドさん・・何か心配事とか、知りたい事がありますか・・?」
「知りたいこと、欲しいものはいつもあるが、それらについて君に何を要求しても応えてくれないだろう?」
「それは内容によりますよ。フェイズ1が起動すれば、何かと騒がしくなるでしょうが、あなたに不都合なことにはならないと思いますよ。まあ何かあれば緊急回線で連絡を下さい・・・財団や同盟に何か動きはありますか?・・」
「彼等については君の方が私よりも余程知っているだろう?」
「それもそうですが・・末端の組織の動きは貴方の方が詳しいでしょう?・・何か気になる動きでも?・・」
「2日ほど前から(M)の動きが慌しいようでね・・」
「Mですか・・同盟の末端組織ですね・・サマリタンが動かしていると言う可能性もありますが・・同盟がこちらの位置を察知したなら、今頃は総攻撃が開始されているでしょうから・・問題はないでしょう・・まあ大丈夫ですよ。キーン捜査官だってここを見上げて、あれは何?ってあなたに噛み付くようなことはないでしょうから・・・フルクラムの方はどうですか?・・」
「・・具体的には動いていないようだが、かなり緊張しているな・・・リジーについては、そう願いたいものだね・・・それはそうと、アメリカと日本が極秘裏に共同で開発して建造して完成させた攻撃型原潜(シーバット)が一週間前に就役・就航して、5時間前に突然消息を絶ったようなんだが・・君の差金なのかね?・・」
「・・流石に耳が早いですね・・北太平洋作戦司令部におられるお友達からの情報ですか?・・それとも日本の民間企業にもお友達がいますものね?・・」
「・・私に友達はいないよ・・」
「件の原潜の艦長を調べましたが、なかなか面白い人物ですね・・今回の彼と部下たちの行動は、こちらとしても不確定要素であってどのように転ぶかはまだ分かりませんが、うまくすればこちらを側面援護してくれる勢力になってくれるかも知れませんね・・」
「・・と言うより、その彼の計画を知った上で、フェイズ1の起動スケジュールを組んだのじゃないのかね?・・」
「・・そこら辺は、ご想像にお任せしますよ・・それでは、他に特に無ければ次の連絡はフェイズ2起動後にお願いしますね・・では、お気を付けて・・」
そう切り上げるとオペレーターに手を振って見せて回線を切らせた。
「オペレーター、やまと、艦内の音声は拾えているな?」 「はい・・」
「浮上予定に変更はあるか?」
「ありませんね・・・予定通り、こちらのフェイズ1起動後、7時間で浮上する、との事です」 「了解した・・」
立ち上がってコーヒーカップと皿を片付けて戻ると、声がした。
「まだレッドなんかと付き合っているんですか?」
高野 由明だ。左後ろで壁に背中を付けて立っている。
「・・ああ、同盟や財団の末端の動きを知るには、丁度良い情報源だからね・・」
振り返らないで応えたが、気遣ってくれているのは分かる。
「でも、奴がやっている事の片棒を担いでいる感は、どうしても拭えないね・・」
芳邨 恭輔だ。何時の間にか真後ろのキャプテンシートに座って脚を組んでいる。
「こちらからは必要な時にしかコンタクトをとらないし、彼が何を言っても、教えられる事しか教えなかったし、教えないよ・・まあいずれは袂を分かつだろうがね・・」
「今の・・貴方自身は・・どうなんですか?・・もう眠っているべき時間でしょう?・・」
ジョン・フランツだ。コマンダーシートに座って腕を組んでいる。
「・・うん・・何か、見落としがあるような気がしたんだが・・やっぱり何も無いね・・」
「・・不安があるんですか?・・大丈夫ですよ。計画は今のところ順調で、スケジュールにもシステムにも問題はありません。バックアップの体制も充分ですから、寝みましょう」
ティナ・ヒートンだ。少し離れたスタッフシートに座っている。
その声は労りが主成分ではあったが、見透かすような、探るような響きもあった。
「・・ああ、もう寝むよ・・・しかし不思議なものだね・・いよいよと言う時が近付くと、どう言う訳か以前の事が思い出されるものなんだね・・・・」
「・・何を後悔しているのですか?・・・」
河邨 義之だ。左後ろの壁にもたれて腕を組んでいる。
「・・何も後悔などしていないよ・・・もしもの話に意味は無いからね・・ただ、思い出しているだけだよ・・・それじゃあ、軽く何か食べてから寝るか・・一緒にどう?・・」
「行きますよ・・実は皆であなたを迎えに来たんですよ・・ラウンジで軽く1杯呑りましょう・・・」
「良いね・・ああ、最後に一つだけ・・ターミナル1とターミナル2はどうしてる?・・」
「3時間ほど前からサイレントモードに入って沈黙しています。予定通り、こちらがフェイズ1を乗り切るまで連絡は禁止です」
「嗅ぎ廻っているだろうな・・・」
「最後の連絡の中で、原潜と哨戒機のパトロール頻度が25%上昇したそうです。向こうもピリピリしてますね」
芳邨が立ち上がって上着の裾を引っ張りながら言った。
「彼らの眼を逸らすためにも明日のイベントは重要ですね・・」言いながら歩きだす。
話していた全員でターボ・リフトに乗り込んだ。誰かがラウンジのあるレベルを告げる。
殆ど人のいないラウンジで、カウンターに近い大きいテーブル席に陣取った。
「全員、優しい夜食のタイプA2、それとライトビールをグラスで・・」
テーブルに来たウェイターに高野が開口一番で告げる。誰も何も言わなかった。
「やまとに付いているのはシードラゴン?・・」と、ジョン。
「うん、ポセイドンとネプチューンだね・・・あとは距離を置いてMLHMの2と3が追尾しているよ・・」
先にライトビールが来たので、全員で軽くグラスを掲げた。
「海江田艦長と言う人は、どこまで知っているんでしょう?・・」
ティナだ。欠伸を噛み殺した。
「具体的には、まだ何も知らない筈だ・・・だが、我々のプレッシャーは感じているようだね・・・」
「!・・ニュータイプ?・・」
「・・・そう言っても、別に差し支えは無いだろうね・・現時点では・・」
「・・彼は海を起点として・・・我々は宇宙(そら)を起点として、同じ目的地を目指している・・・」
食事も運ばれて来たので、皆、思い思いに手を付け始めている。
暫らくして手を止めると、独りごちるように言ってみる。
「サマリタンを開放したジョン・グリアも、世界を一つにしようとした、と言う点に於いてだけは、同じなのかな・・・・?・・」
「手法は全く受け容れられないし、最優先すべき対象も完全に履き違えている・・・全く問題外ですね・・・・・」
高野が夜食の残りをかき込みながら言った。
それから皆が食べ終わるまで、誰も話さなかった。
グラスを干して口を拭うと皆の顔を見渡す・・・疲れが見えるし、眠そうだ。
「よしっ・・じゃあ引き揚げよう・・シャワー浴びて寝るよ・・集合時間でよろしく・・」
そう言って席を立った。皆も同じように続く。
自分の個室に戻ると軽くシャワーを浴びてタンクベッドに入った。
このタンクベッドは最新型で、この中で3時間眠れば10時間の熟睡と同じ効果が得られる。
私はこの中で3時間と30分を過ごし、起きてタンクから出ると、改めてシャワーを浴びて身なりを整え、コーヒーを飲みながら私専用のパッドで最終のチェックを進めた。