――中庭界。
そこは、古くから争いの絶えない三つの大陸で成り立つ界層である。
もともとは各大陸内部の小国同士での戦火が争いの原因だったが、近年では強力な魔法を扱う猫族の魔女たちが競い合うように各大陸内部の小国を支配、制圧し植民地化して自分達が各大陸の王座に君臨する事で争いの火種は内乱から大陸間戦争へと進展することになった。それが現在だ。
だが、そんな中で唯一、大陸にありながら、どの王の支配も受け付けない独立国が存在する。
キキの国“地底の平原”のように独立宣言した訳ではなく、特異な環境から猫族の魔女は立ち入れない。
水の大陸にありながら、深い湖の底で建国した“水魚の湖畔”という魚族の暮らす国である。この国の民達は争いを避け、陸上である大陸での生活を諦めて、湖の底に逃げ延びた。
だがそこで猫族は深い水の中には入ってこられないという体質を知り、難を逃れる。
そして三大陸国へのアドバンテージとして、中庭界で唯一、天上界との交易を持ち、天上界へ渡る鳥居の門……通称ゲートを開設。
それゆえ、中庭界から天上界へ渡る為には“水魚の湖畔”の助力無しでは叶わないのであった。
しかし逆に天上界から中庭界へ降りてくるのに“水魚の湖畔”の王族からの許可を取る必要はない。それは通常、天上界から降りてくる使者は天城の王からの命を請けている、信用に足る者だと思われているからだ。まれに無断で通る犯罪者もいるが――そういった輩は発見次第、“水魚の湖畔”側の、門の守人によって排除されるのだ。
だが今日の門番兵は、とても困惑していた。
ついさっき門から、まさに飛び出してきた来訪者は…さてどちらの類だろう?
「なんてことしやがるんだアホ王女! まともに扱った事もないくせに力任せで落雷降らせやがって!」
「何よ! ちゃんと兵達を退けたんだから、文句無いでしょ!?」
「俺達にまで当てる気かと言ってるんだ!! 当たれば洒落にならなかったぞ!?」
ボーイッシュな軽装をしたサイドを黄緑に染めた金の長髪が特徴的な美少女と顔が隠れるほどのボサボサな灰色の髪を振り乱して怒鳴る不審な男。
「――と言うか、突然のことだから聞き流してましたけれど、至宝を無断で持ち出したってどーゆう事ですか!? それも僕が強制させたみたいな事を言われたような気がするんですが!?」
「いやいや、そもそもあなたと合流するのに約半日も掛かった最大の理由がそれだったんです。厳重に管理されている宝具を盗み――もとい、持ち出すには見回りの兵の交代時間を見計らってやる他なく、そのタイミングを待っていたからこそ、お待たせしてしまったという次第なのです」
「そんな経緯はこの際いいです! 問題はなぜ責任が僕にあると言われたかで」
「おや? それこそ今更でしょう? 我々はあなたを救うため仕方なく窃盗まがいの暴挙を行なう羽目になったのですから…それ位のリスクは覚悟の上かと思いましたが?」
「確かに、それは否定しませんけど…何か納得できません!!」
雪のような美しい白髪に整った顔立ちの美青年と、栗色の短髪ごしに頭を抱えて喚いている少年。この四人組は、客人なのか不審者なのか…どう報告すべきか門兵は迷った。
「それはそうと、ゲートを抜けたんだからここは下界なのよね? ここがキキの国なの?」
キョロキョロと辺りを見回すリンにソラが呆れ顔で言った。
「アホ。下界のゲートは、水の大陸の独立国“水魚の湖畔”にある。ユキに習ってただろ?」
「忘れちゃった、そんな昔の話」
「おかしいですね。お教えしたのはつい先日だったと記憶していますが……」
「それはともかく…なんか動きにくくない?」
話題を逸らすようにリンが手足を軽く振るってみると、目に見えない空気の膜を重く押し退けているような感じがする。
「馴れるまでは仕方ないと思いますよ。この国は深い湖の底にありますから魚族ではない我々にとって、ここの環境は居心地の良いものではありません」
説明しながらユキも身体にかかる負荷を確認するように手足を動かす。
「ええッ? 湖の底? じゃあ溺れちゃうじゃん! あれ? でも息が苦しくないって事は…あれ?」
「ゲートを抜けた瞬間に、自動的に空気の層が僕らの頭部を覆う仕組みになってるんだ」
不思議がるリンに、今度はキキが説明した。だが、先程からリンが疑問に挙げている内容は常識的に中庭界の環境について学んでいれば、知っているはずの事ばかりだ。従者であるはずのソラが彼女を罵倒するのは謎と思っていたが、実は的を得ているのだろうか?
「僕の国に着くのは、水の大陸の陸地に出て…風の大陸へ渡った更に先です」
さて、報告を迷った門番兵がどうしたかというと…自分では判断しかねると思い――上に判断を仰いだ。
つまり、守人を呼んだ。
「まったく騒がしい事だ。誰かと思えば…平原の栗鼠王子サマか。初めて訪れた時もそうだったが、お前はもう少し礼節ある訪問は出来ないのか?」
「シンさん!」
キキに、シンと呼ばれた者は濃い青色の髪をした男だった。背が高く、引き締まった肉体からは“漢”といった印象が強く伝わってくる。そんな彼の傍らには妖艶な女性がたたずんでいた。半透明な長髪をツインテールに束ねているが、女性らしい豊満な身体付きが大人びた印象を与える。
そして二人とも腰に刀を一振りずつ携えていた。
「なに? キキちゃんが戻ってきただけなら…殺さなくてもいいのかしら?」
「いや、よく見ろラン。増えてる。鳥族が三人か――天城の王が求めに応じたにしては半端な人数だな」
まるで値踏みするように観察する不躾なシンの視線に割って入るようにリンの前に立ったユキも問う。
「そういうあなた方は、堂々と帯刀を許されているところを見ると、ゲートの守人で合ってますね?」
「なんで?」
間の抜けたリンの呟きにソラが声を潜めて言う。
「この国は基本、武器の保持は認められていない。ゆいいつの例外がゲートの守人なんだ。…分かったら間違っても国外に出るまでは“天雷槍”を出すなよ」
名高い天城の至宝も立派な槍という武器だ。それを天城の王の許可もなく持っていると知れれば、王族といえども犯罪者確定だ。
「単刀直入に問おう。何が目的でゲートを通った?」
「シンさん、この方達は怪しい者ではありません。…我が“地底の平原”に招く客人です」
「客人か――ときに、“天城の籠”まで兵力を求めた結果はどうだった? オレたちの言った通り無駄足だっただろう? あの国は基本、自分達だけの平穏が保たれていればいいという薄情な気質だからな…」
ムッとしたリンが声を上げそうになったところを、ソラが抑える。
「挑発に乗るな。武器を所持してないか確認するための常套手段だ」
怒りを買いそうな言葉で感情を煽り手の内を探る。
回りくどい手法だが、リンのような激情家タイプの性質には的面だ。ソラが抑えてなければ即座に口論となっていたところだ。
「それで? そこの三人の目的は観光か? まさか王子サマの国の実状を知らないわけないよな?」
「ですから、護衛役として私が居るのです」
リンの前に立つユキが宣言するように言った。
「これでも多少、武の心得がありまして……」
「ほう。それは一度手合せ願いたいものだ。もっともココじゃ相手にならないだろうがな」
シンや、ランという女性は魚族だ。深い水圧の土地で不自由なく動けるだろうが、鳥族であるユキ達は、そうはいかない。武術の心得があっても水の抵抗が身体の自由を奪い、まともに闘えない。
「ま、仮に陸上でやりあったとしても負ける気はないがな……」
「血が騒ぐのは解るけど…キキちゃんの供なら通行許可は下りてるでしょ?」
「分かってるさ。ちょいと試してみただけだ――悪かったなキキ王子」
そう言うと、刀の柄から手を離した。
「来い。水面出口まで連れていってやる。余所者に都市部をうろつかれて問題を起こされたら、オレ達が迷惑だからな」
「ありがとうございます」
キキは素直に礼を述べたが、始終上から目線の物言いだったことにリンは不満を覚えた。
(陸上での戦いなら、リンも…ユキだってあんな奴には負けないもん!)
>物語は、続く。<
長い長い湖の底から続く水道を抜けると…そこは、雪国でした。
「――寒い!」
“水魚の湖畔”の国境である水面を出た直後にリンを襲ったのは肌に突き刺さるような極寒の空気だった。
水の大陸。その領土は猫族の魔女がひとり、“凍土の魔女”という二つ名を持つ王・モユルに支配されている。その強大な魔力は大陸の環境にまで影響を及ぼし、水の大陸全土を雪原の世界に変えているのだ。
『餞別だ。キキはともかく…そっちの三人は下手すると死ぬからな』
そう言われて、防寒着を見せられた時は何の事か分からなかったが、現状では用意してもらえたことに感謝の念が絶えない。
しかしそれでも冷気を完璧に遮断できるわけではなく…吐く息は白煙のように白くなる。
「下界の気候はどうなってるの!? ここまで寒いのが日常? 城の冷凍室に居るみたいだよ~~」
「確かに、これはこたえるな――下界の冬という気候なのか?」
リンはぶるぶると身震いしながら、カチカチと觜を鳴らしながらキキに問う。
彼ら“天城の籠”に住む鳥族にとって、中庭界のように各大陸によって気候が変わる体験は未知だ。
天上界にも浮遊島によって肌寒い島はあるが、ここまで極寒になる事はない。
「飛ぼう! 飛んでソッコー抜けてしまおう! リンも頑張るからッ!」
「そうしたいのは山々ですが……難しいでしょうね」
巻くし立てるリンを宥めるようにユキは言った。
「ここまで低温の空を長距離飛行するとなると…羽が凍結する可能性あります。まさかここまでとは…」
「あの、深刻そうに話しているところ言いにくいのですが、今は晴れてるだけマシな状況なんですよ? 吹雪けば歩くどころか視界さえ怪しくなりますから…」
キキの言葉に、ユキも、さすがに言葉に詰まる。
「とにかく天候が変わらない内に進みましょう」
足元が埋もれるほど積もった雪原を掻き分けるように歩み始めるキキ。
その歩みには迷いがなく白い広野に隠れた道が見えているようだった。
「ここの地理には詳しいのか?」
「そういう訳じゃないですが…来た道を戻るだけならそこまで難しくありませんから…」
そう。キキは単身で“地底の平原”から大陸を渡り……ゲートのある“水魚の湖畔”まで過酷な道のりを旅したのだ。
想像を絶する旅路を寒さと孤独に襲われながら…
「ま、俺らと違って毛皮がある分、寒気には強そうだしな」
「ハハハ……」
今だからこそソラと軽口を交わすだけの余裕もあるが、行きの道は軽口を叩く相手さえ居なかった。
それでもキキは辿り着いた。それは、向かう先に希望があったからだ。
祖国の民を救うため“天城の籠”からの助力を受ける一縷の希望があったからこそ危険な旅路を生き延びられたのだ。
もっとも結局、天城の王には断られ…助力を得るという夢は、はかなく散ったわけだが…それでも今こうして祖国への帰路に着いているキキの心が折れていないのは、彼ら三人の存在があるが故だろう。
「でも、本当に危険なのは風の大陸に入ってからです…来る時は僕一人だったから歯牙にも掛けられませんでしたが、自分の領内に余所者を手引きして、ノゾミ様が黙っているか…」
「関係ないわ! リンたちの邪魔をするなら誰であっても悪者よ! 勇者リンの前に跪かせてあげるッ!!」
「言葉だけなら心強いのですが、やめてください。 ノゾミ様は僕らの元領主様でもあるんです。独立を宣言した今となっては他国の王ですが…それでも世話をやいてくれた過去に恩義があります。出来るならノゾミ様とは争いたくない…」
「矛盾した言動だな――植民に戻ることに、反抗したお前たちを従わせようとして、他国の領土を奪わせるという無理難題の条件を出されたんだろ? それに困って俺たちに助けを求めてるのに…その元凶である相手に、まだ恩義を感じるのか?」
「それはそれ、これはこれというヤツです」
苦笑いを浮かべてキキは言った。
「ところで、話からすると…王の許可無く領地に入ると怒りを買うということのようですが…現状は大丈夫なのですか? 我々は水の大陸の領地に不法侵入している最中だと思いますが」
「あー、そこはあまり問題ありません。幸か不幸か、水の大陸を統べるモユル様という方は昼間は眠り続けているので――たぶん僕らがここに居ることも気づいてないはずです。そうでなければこんなに簡単に歩くことは出来ません」
「歩く事が、出来ない?」
「この地に積もる雪はほとんどモユル様の魔力で降らされたものです。もし余所者の存在に気づいていれば…何もせず素通りさせてはもらえないでしょう」
歩きながら足元で踏み付けている雪や周囲の積雪壁を指してキキは言う。
「少なくとも、天候が荒れて吹雪になります。それだけでも抜けるのは困難です…だから何とか、モユル様が目覚めて活動する夜までには大陸を横断しないと」
言いながら深く積もっている雪道を、足を取られながらも進む一行。
「……ちなみに、大陸境界までは、あとどのくらいの距離があるのです?」
ユキが訊ねる。
「距離はそれほどないです…“水魚の湖畔”は大陸の外れに位置してるので…だけどこの積雪では迂回して進むことになるから…」
「つまり、積雪の壁が無ければ最短ルートを行けるという訳ですね? …任せてください」
「え?」
キキが疑問符を浮かべるより先にユキは動いた。
防寒着を一旦脱ぐと周囲の雪と同色の両翼をバッと拡げ、それぞれの片翼に、《烈風》と呼ばれる技で生む風の刄を纏わせると、それを正面の雪壁に向けて……螺旋状に絡ませ、回転させる形で解放した。
「次列風切羽《羅穿孔》!!」
絡み合った鋭い風の刄は収束した竜巻を思わせる軌跡を描いて勢い良く行く手を阻んでいた高い雪の壁を貫き吹き飛ばしていった。
「わ~、さすがユキね!」
「多少威力を抑えましたから、こんなものでしょう」
当然の結果とばかりに述べるユキに、キキは唖然。
「こんな…こんなデタラメな事が出来たのですか…」
「おや? 言いませんでしたか? 多少武の心得があると……」
なんと、これが魔法ではなく武術だと言うのか。
彼らと関わってからというもの、キキの中の常識が尽く破られてゆくのを感じ…いかに自分の良識が井の中の蛙であったかを知る。
「さて、急ぎましょうか。――これで距離は稼げるのでしょう?」
ユキの言葉に前を見ると…吹き荒れていた風は既に止み、開けた道の先に雪原が途切れた大陸の境界が、風の大陸に続く深緑色の大地が見え隠れしていた。
>物語は、続く。<