退屈を持て余していたリンは、ずっと女医兎と話していた。それにより計らずもリンは村の事に詳しくなり、女医ともすぐに仲良くなれた。
「アナウサギ?」
「そ。ここの村はもともと穴兎族の村なんだ。そこに野兎族が移り住む形で共同生活するようになったのさ……だけど今の村長は野兎族だから、便宜上は野兎族の村ってことになってる」
穴兎族の掘る穴蔵住居は天敵に見つかりづらい利点があった。その上、適度に住心地が良く…夏期は涼しく、冬期は暖かい…自分達の造る小枝と野草を編んで組む保護色式住居より隠れ里になると判断した。
「純粋な野兎族は手が小さいから土肌を掘り返すだけの能力はない。だから住居造りは穴兎族に頼る。代わりに毒草や薬草の調合に優れた野兎族は、薬などの開発や食物の農業を請け負う形で繁栄したのさ」
「リン知ってる! 持ちつ持たれつってヤツでしょ?」
「そうだね。――だけど神殺しの落日以来、植民地制度が敷かれてからは少し変わった。高値で売買できる果実や食物の大半は“風の砦”に献上しなきゃならなくなった。それまで自由に他の隣国や近隣の村との商業で生計を立てていたアタシらにとっては大打撃さ」
「うーんと、まず、かみごろしのらくじつって何? 神様が死んじゃったの?」
「あはは、面白いね。そこをまず知らないのかい?」
「うー、そんなに笑うことないでしょ。リンは歴史の講義中は寝ちゃうの、過去は振り返らない女なの!」
「その言葉、意味わかって使わないと恥かくよ?」
苦笑しつつ女医は続きを話し始める。
「神殺しの落日ってのは、この大陸にノゾミ様が現われた日のこと。風の大陸にあった1番大きくて太い神木を滝のような落雷で焼き尽くし、大陸全土に宣戦布告したんだ。それからの数週間は地獄だったらしい」
アタシは幼くてよく覚えてないけど、と女医は言うがその方が案外幸せかもしれない。辛い現実を直視せず済んだのだろうから。
「でも、現われたって…ノゾミってヒトは、この大陸に居たんじゃないの?」
「さてね。少なくともアタシは猫族の集落なんて聞いたことないね」
彼女はリンの抱いた疑問には然したる興味もないようで話題を変えてゆく。
「今はキキ王子の国が独立してくれたおかげで、唯一の稼ぎどころになってくれているんだよ」
「よく判んない。物を買うときはお金を払うのは普通でしょ? それをしちゃいけないなら、どうやって欲しい物を買うの?」
「等価交換。物々交換で手に入れるのさ。下手に民に金銭を貯えられると他の大陸に亡命する資金にされることを防ぐためだろうね」
「うー、また難しい言葉!」
リンは駄々をこねる子どものように足をバタバタさせ、不満を訴える。
「あはは、ごめんごめん。ま、簡単に言えばお互いに欲しい物を交換するってことさ」
「じゃあ今はお金って役に立たないの?」
「いや。小国などの大きな街なら通貨を使ってるはずだから、いざという時は必要になるかもな」
話ながら女医は入り口の穴から夜空を見上げ、星の位置を確認した。
「さて、夜も更けてきたしそろそろ寝ないかぃ? アンタも疲れてるだろう?」
「えぇ? まだお話聞きたいよ。ユキ達以外と話すの、久しぶりだし――それにリン、まだ眠くないし♪」
「それなら、ネムリ草を呑ませて強制的に寝かしつけようか?」
アタシは眠いんだよ、と女医は言った。
「なになにネムリ草? どんなもの?」
「花粉や蜜に強力な催眠効果があってね……睡眠薬や麻酔薬に用いられる事が多いけど…ねむり玉とかの武器にもなるよ」
「蜜なら甘い?」
「不味くて苦い。毒だからね、気絶するように眠る」
試してみるかい? と問われリンは勢い良く首を横に振った。
「じゃあ、おとなしく寝ておくれ。ベットはそのまま使って構わないからね」
「あ、ううん、リンは横にはならないからベットはウサメちゃんが使って」
捕捉するがウサメとは女医の名前ではない。
兎の女で“兎女{ウサメ}”と、リンが勝手に考えた呼称だ。
「横にならないって――どうやって寝るんだい?」
「リン達は、いつも立ったまま目を閉じて寝るの。本当だよ? 別に無理してるわけじゃないから気にしないで」
「変わってるね」
「えへへ、初めて教えたときキキも驚いてたわ」
鳥族は基本、横にならない。特に翼のある背を神聖な部位と考え、そこを地に着けるなど以ての外だ。
天上界では当然の常識だが中庭界では奇妙に映る。
女医も例外ではなかったようだが、話し込んでリンの性格を知った上でリンがそう言うなら好きにさせることにしたのだった。
>物語は、続く。<
ふかいふかい眠りの中、誰かに呼ばれた気がした。
小さな声が現われては消え……消えては現われる。
しかし暗闇のためか声たちの姿を見ることは出来なかった。おそらく起きれば記憶に残らないだろう夢をリンは見続けた。
翌朝。明るくなるとまず白髪の美青年が髪を振り乱す勢いで医務穴に飛び込んできた。
「リン様、お加減は大丈夫ですか? しっかり御夕食は食べられましたか。私が持参した軍隊食で良ければあるので口に合わなければこちらを――」
巻くし立てるように続いたユキの言葉は、しかし、女医から白い液体状の物を木製スプーンで口に運ばれる様を見て止まった。
「失礼だね。世話を引き受けたからにはしっかり食わせてるよ……でも、ちょうど良かった。アンタ続き食べさせてやってよ。リンにかかりきりだと他の事が出来ないから困ってたんだ」
「赤ちゃんみたいな言い方しないでよっ、食べさせてもらわなくてもお皿とスプーンを渡してくれればひとりでも食べられるもん!」
「そう言ってついさっきボタボタ汚しまくってたのは誰だい?」
「ち、ちょっと手元が狂っただけよ! 本当だよ!?」
はいはい、と言いながら女医はユキを招き、近寄ってきた彼に器とスプーンを渡した。
何から突っ込むべきか判らず、おそるおそるといった感じで白い液体の入った器を受け取るユキ。
彼にしては珍しく、ゆっくりと状況を把握した後、まず聞くべき事を訊ねる。
「この食事は何ですか?」
「見て分からないかい? 粥だよ。素材はアンタ達に振る舞ってるもんと同じさ」
「すっごいのよユキ! 粥なのにいろんな味がして美味しくて、面白いのっ! 今日は少し甘酸っぱいよね」
「リンゴの酸味だろ。多めに混ぜたからね」
なるほど。この様子からユキ達のように食の違いに苦悩した気配はなさそうだ――もっとも本音は毒を盛られる危険性もゼロではないと考えるところだが、女医は自分達の本当の素性は知らないということ。一応は、看護の専門家だからと信用している節もある。
しかしユキにとって解せないのは、女医とリンの間に昨夜まではあった他者に対する警戒心や疑念、精神的な隔たりというものが、まったく感じられなくなっているところだ。
無論、リンの明るく社交的で人見知りしない性格を踏まえれば、一晩の内に打ち解けた可能性もある。
だがそうだとしても、リンだけでなくユキに対しての接し方さえ、昨日初対面で会った際に感じた、言葉の端々にあった刺々しさすら皆無なのは何故だ?
しかしそんなユキの疑念は思いの外早く――思わぬ形で判明した。
「でも、医学も出来て料理上手なんて…ウサメちゃんは天才だね!」
「大袈裟だね。粥くらい誰でも作れるよ。それに美味いのは素材が新鮮で豊富だからさ」
「ウサメ? それがドクターの名前ですか?」
聞き覚えのない単語にユキが訊ねると女医は笑う。
「アタシみたいな半端者にそんなご大層な名があるわけないだろ? 昨夜からリンが勝手に呼んでるだけさ……呼び名が無いと不便と言ってね」
「そうだよ。兎の女でウサメちゃん。可愛いでしょ」
その言葉に、ユキにしては珍しく驚愕に狼狽えた。
「名付けたって…リン様、眷属の儀を行なわれたのですか!!?」
眷属の儀とは、天上界・天城の籠に古くから伝わる王族の血族のみに許された秘術である。天城の籠では王族から名を与えられるという行為は「服従」と「信頼」を意味する神聖な儀式。
互いの名を呼び交わす事で成立する特別な儀式だ。
「眷属の儀? なんだいそりゃ?」
あまりの事に絶句しているユキを不思議そうに見つめる女医。またリンも自覚はない様子で「眷属の儀? 母様がたまに王杖を持って仰々しくやる、あれ? そんなことしてないよー?」と笑って否定しているが、ユキの描いた構想が事実とすれば、ユキの抱いた疑問は全て納得できてしまう。
ソラやユキも、昔、その儀式によって天城の王たるユメ様から名を頂いたからこそ分かるのだった。
「なんということを……」
「ねぇ、何でもいいから早く続き食べさせてよっ!」
ユキの心情も知らず、粥をねだる王女様。しかしいくらユキが悩んでも一度成立してしまった以上、当人が死別しない限り解呪するすべはない。それが現実。
「どうした? 何かあったのか?」
後から顔を出したソラは頭を抱えるユキを見て疑問符を浮かべ、共に入ってきたキキも不思議そうな表情をしている。
しかしこればかりは後の祭りであった。
>物語は、続く。<