薄い血の匂いがした。出所は予想が付いていた。
「あああっ、エンヴッ! よくもエンヴを殺し――」
掘り師ゲルルの声が聞こえた。それも、私の“目の前で”。
「ゲルル、誰が下手な芝居をしろと?」
真ん中の通路にしっかり立ち、私は三人を見つめていた。
「ありゃあ……嬢ちゃん、出て来ちゃったか」
余裕に塗れた口調でゲルルが言う。
出会った時の清々しい笑顔は、ねっとりとして不快な笑みに変わっていた。
じっとり暗い空に囲まれて、私と、ゲルルを含む三人の男達は対峙していた。
男達の足元には白衣姿の男性が倒れている。かつて彼はエンヴと呼ばれていた。
ここは、とある列車の五番目の客車。少し前に賊に襲われ、ここ五号車に賊がいる事を確認したのはつい先程。
私が先に五号車に乗り込み、後から掘り師ゲルルと医師エンヴが突入し、見つかった。その後エンヴの言葉が途切れ、打撃音と共に転倒。未だ起き上がる気配がない。
倒れたエンヴの傍に立ち、賊らに背を向けて私に対峙する人間の名は掘り師ゲルル。その手に握られているのは先の尖ったシャベル。つまり――
「っははははは! ゲルル、ああ、ゲルル! 君は裏切り者だったんだね!」
全身の血が火柱で打たれたように膨張する感覚。脳裏に焼き付いた自らの意志は、残忍で凄惨な行動を嬉々として行える力を持っていた。
現状を冷静に整理しようとしたことで、私の狂喜を止める
「たわけ、誰が裏切り者だ。俺は元々賊側の人間でお前の仲間じゃねえ」
ゲルルが答える。見下すように流される視線は私の瞳を射ていた。
皮肉にも、私を含めた四人は全員が笑みを浮かべていた。
「それに、嬢ちゃん。あんたは言ったよな?」
またも、ゲルルが口を開いた。
「“命は自己責任だ”、ってな」
私は上着の右袖の先を探り、止まっていた小さなポーチのピンを外した。
右肘のあたりに重さが落ち、腕を下ろすと“それ”は手のひらへ落ちてきてくれた。
「あぁ――言ったね! そうさ、決断と同じように、命は自己責任なのだからね」
私がそう言いつつ左足を一歩分出すと、ゲルルは軽く目を見開いた。
「驚いた、まさか向かってくる勇気があるとは」
「そこの殉職? 医者と同じく、私も賊狩りに付いて来た人間なものでね」
そう呟き、私の右手に落ちた重みを握りしめる。ごつごつした形状の球体、これが私の武器であることを肌で感じた。文字通り。
「じゃあ――何故、立ち向かう? そのまま泣いて逃げればいいだろ、嬢ちゃん?」
にたあと開かれた笑みは邪悪な感情を伝えている。賊らしい“情けを与えるつもりのない”目をしていた。
私は右手から球体を離し、代わりに降りてきた“鎖“を掴む。そして口を開いた。
「ゲルル、私は言ったよね? “命は自己責任だ”、“決断と同じように”――ってね」
あぁ、大きく切られてよく煮込まれた羊肉が食べたい。
自らをかろうじて人たらしめていたのは、そんな願望の念だった。
―――
倒れた人影は四つ。ゲルルを含め賊が三人、そして医師エンヴの姿があった。彼はもう遺体になってしまったのか、確かな事は分からない。
見たところ、賊の持っていた武器は腕の長さの
本来ならばエンヴが生死を確認するはずだった。
「まさか、二日連続で世話になるとはね。サプレサ」
右袖から垂れた”鎖”。その先には片手で握れるくらいの鉄球が結ばれている。
これが私の相棒、そして武器。名前は”サプレサ”。語の意味は”抑える者”。
「お疲れ様。よくやってくれた」
地に落ちた鉄球を掴み、大きさに反して重量のあるそれを右袖のポーチへ戻す。まるで動くことを拒むような重量には仕掛けがあるのだが、まずは先を見る事にした。
医師エンヴの足元に倒れたランプを拾い上げ、私は歩みを進める。目指すは客車の前方、人質に取られていた客達の下へ。
「お前は――賊の人間か?」
怯えた中年の男性が問うた。
「いいえ、私はただの乗客ですよ。道を開けて下さいませんか?」
私はそれに要求を伝え、客衆の間に開いた道を進む。
すると突然、
「待て、坊ちゃん。……この先には、何が待っているか分からない。危険だ」
そう声がして、肩にくたびれた手が当てられた。声は震えており、悪意は感じられない。
「忠告どうも。
私が振り返ると、多くの目がこちらに向いていた。
「
―――
「気をつけろ、残る賊はきっと手練れだ。乗り込んできた奴らの目は相当だった」
整った髭姿の男性が言った。
「私としてはもう降りたいんだけど……ともかく、忠告に誠実な感謝を」
私がそう返す。すると、男の脇から彼の一回りほど小さな人影が現れた。
「おに……お姉、さん」
現れた人影は、年若そうな少女の姿をしていた。同じ車両に乗り合わせていた乗務員、ローレ・レランクルを思い浮かべたのは言わずもがな。
私は軽く膝を曲げ、目線を合わせて口を開く。
「なぁに? 私は少し忙しいから、名前と要件だけ教えてくれるかな?」
愛想のかけらもないというか、ぶっきらぼうというか。酷い返答だった。
しかしこれが私、旅人ウェルフという人間の性格だ。
「私の名前はリサ」
「リサちゃんね。で、私に何の用?」
ここまでは、私の目の色は普通だった。
「……そこに倒れてる、怖いお兄さん達が話してたこと、私聞いてたの」
ここで私の目の色が変わる。そんな自覚があった。
「なに? そこの怖い武器を持ったお兄さん達はなんて言ってたの?」
武器が怖いのか、武器を持ったお兄さんなのかもはっきりしない言葉を返す。
少女は一瞬だけ呆気を浮かべ、口を開く。
「あの人、私に『あ、小娘!』って言って、そしたらもう一人のお兄さんが『職服じゃねえだろ、遊ぶんじゃね!』って」
言葉の節々が不思議な発音になっているが、私はリサという客少女の言葉に様々な感情を覚えた。
一人は、この少女に向かって感嘆符を浮かべた。
まるでこの子と面識があるか、この子の存在を知っていたように。
もう一人は、賊仲間に指摘した。その内容は”何かが職服でない”こと。
そして後に”遊ぶな”または”遊ぶのでは”という意味の言葉をはいた。
「遊ぶ……? あれ、どこかで――あっ」
遡ること少し前、ここ五号車へ突入して身を隠していた時。
一人の賊が鳥の羽を見つけたと言って、もう一人は何と言ったか?
こう言っていたはずだ。
『……遊ぶなよ、ゴドレ』
疑問の余地はあるものの、私の仮定はある程度の根拠を手に入れた。
「そうか、そうだったのか! 片方は『あ、小娘がいた!』と言い、片方は『服装が職服ではないだろ、遊んでないで仕事しろ』、と言った! つまり――」
私は息が苦しくなってしまい、言葉を切った。
脇に居た乗客が「あ」という短い声を発した事に私は気が付かない。私は推論の結末を言い放った。
「仕事服を着た女性、しかも小柄で歳若い人! それが賊の探し人だ!」
「――え?」
間の抜けた声はやっと、私にその存在を伝えた。
風の音が聞こえたのは、私が推論を語り終えた後となった。
―――
振り返る。
視界には車内の景色が映り、後ろの車両に繋がる扉が開いている。
開いた扉に人影が一つ。間の抜けた顔をして右足を前に出していて――
”歳若く、小柄で、仕事服姿で、女性”。
「いたーッ! あいつが賊にいう小娘だーッ!」
「”小娘”って言うなぁーっ!」
なんとも立派な叫びを上げて、黒乗務員服姿の少女がこちらへ歩いてきた。
彼女の名はローレ・レランクル。何度も名前を思い出した気がするが、覚えにくい名前なのも悪いと思った。
「悪い悪い、賊の狙いを探ってたら、どうやら
悪気を含まぬ返事で返した。
「今さらっと怖いコトを……あぁもう、ウェルフさんと関わるとロクな目に……」
乱暴に頭を掻くローレ。少し悪気を感じてしまった私がいた。
まぁ、彼女は無事だったのだ。少し安心した面もありつつ。
―――
「それで? 本当に付いて来るの?」
心底面倒そうに私が言う。
「あぁ、もちろん。お客さんの面倒を見張る、それが乗務員の務めだからね」
乗務員ローレが皮肉を言うように呟く。
妹に見えても姉には見えぬ顔はいつ見たことか。
―――
「ああ、ああぁ……ひどい、ひどすぎる――」
少女は瞳に涙を浮かべ、眼前の光景に口元を覆った。
「四号車は無事通過……と」
医師エンヴの手記を持ち、私は借りた彼の筆でそう書き入れた。
四号車では誰とも話せなかった。
―――
「そんな、どうして、どうして――ッ!」
少女は顔に怒りを浮かべ、眼前の光景を嘆いた。
「乗務員らしき人間が複数。三号車も無事通過」
手記の残りページは二十と少し。列車の揺れで文字がふにゃふにゃになった。
三号車でも話せなかった。代わりに既視感を覚えた。
―――
「なぁ、ウェルフさん」
少女は顔に
「賊らしき人間と装備が五つ、二号車同じ。……なに」
手早く記入し、インクを仕舞って右袖のピンを外す。
「――正しいって、何なのかな」
人間の頭を撫でるのは久しぶりだった。
二号車同文。足元には先端が鋭い剣になっている杖が落ちていた。
―――
「さよなら、ローレちゃん」
一号車にて会敵。数は二人、性別は男女一人づつ。乗務員服を身に着けていた。
「ローレ、邪――魔ッ!」
鉄球のサプレサに、今日は二度もお世話になった。
乗務員内に離反者を確認。運転手を解放した。
一号車同じ。
―――
「ねぇ、ローレ」
少女は俯いて答えない。
「さっきの答えだけど」
私は曇り空を見ていた。
「――人を救うこと。私はそれを”正しい”と思う」
空はまだ晴れない。
まだ旅は始まりだというのに。